おじん0523のヒロ散歩

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2020.04.20
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カテゴリ: 東海道53次
今にも雨が降りそうな中、水口宿へ進む。

2/22(土) 8:43
国道1号線沿いに建つ、『御代参道(ごだいさんみち)道標』、水口方面。
土山宿を横切る国道1号線の脇に二基の道標が建っている。「高埜世継観音道」と刻み、天明8年
(1788)設置された。高埜世継観音とは近江の多賀大社へ行く途中の永源寺観音堂のこと。
もう一基は「右北国 たが街道ひの八まんみち」と刻み、文化4年(1807)に日野の豪商が設置した。
皇族が派遣した代参の使者が通ったので「御代参道」の名が付いた


この道標の左に進む小路が旧御代参街道で、右斜めに進む道が旧東海道である。
御代参街道は東海道土山宿のこの地点から笹尾峠を越え、鎌掛、八日市を経て、中山道愛知川宿

この道は中世においても重要な間道であったが、正式な脇街道として整備されたのは17世紀のこ
とである。寛永17年(1640)三代将軍家光の乳母の春日局が将軍の名代として多賀大社へ参拝し、
この道を通って伊勢神宮へ参詣された際に、この道は整備拡張されたといわれている。
江戸時代には、皇族が毎年伊勢神宮と多賀大社へ名代を派遣する習わしがあり、京から伊勢神宮
へ詣で、帰路土山宿から多賀大社へはこの道が利用されたことから御代参街道と呼ばれるように
なった(この案内板の設置場所から、最初の左、右は反対になります)


国道1号線から北側の御代参街道へ少し入ると『見性庵廃寺跡』の石柱


8:48
旧東海道は国道1号線の北側を進み案内板。
『ようこそ「歴史の道」東海道へ』
ここは土山町滝町です。

図に示すとおり、国道1号へ迂回いただき、「歌声橋」をお渡り下さい。
土山を訪れていただいた皆様のご無事をお祈りいたします


8:55
旧東海道が寸断されているため国道1号線へ戻る。
この先を横断して斜め左方向へ



右側は国道1号線


旧東海道の迂回路に親切な目立つ案内板、
この先へ、足進めれば歌声橋、のんびり歩こう旧東海道。これより三キロ先に松並木


前方に歌声喫茶ならぬ『歌声橋』


9:00
人と自転車のみが通れる『歌声橋』


国道1号線の上流側に架かる白川橋。 
上流にはロックフィル式の『青土ダム』があり「世界でも例のない形をした洪水吐」は必見と!


野洲川の下流側は渓谷美。
歌声橋の下流側の直ぐ左から、田村川が合流する


9:05
国道1号線の交差点を横切り、迂回路から旧東海道へ進む、廻りは土山茶畑


道路脇に石柱があり何か刻んであったが


9:07
この先の右下が『松尾の渡し場跡』


この下が野洲川の『松尾の渡し場跡』


松尾の渡し場跡から坂を登ると左側に碑。
碑には鈴鹿馬子唄が刻まれていた。
「坂はてるてる 鈴鹿はくもる あいの土山雨がふる」


坂道を上り旧東海道を進む


あいの土山マラソン


街道を進むと茶畑の中から鳥の声、しばし立ち止まり撮影


「ホオジロ」?


9:14
甲可日雲宮(かふかひくものみや) 東の宮


倭姫命が諸国巡行された時、この地に4年間滞在。数百人の随行員が長期間生活するのに最適な場所
だったと思われる。郡内各所へ足を運び、田村神社にも関っていたと思われる


先程渡った歌声橋方向


9:17
史跡 垂水頓宮址
所在地:滋賀県甲賀市土山町頓宮


静かな杉林を進む


前方に小さな社が現れる


伊勢神宮遥拝処
右側の立札には「賜 伊勢神宮遷宮古材」


世にふれは 又も越えけり鈴鹿山 廿日の今になるにや あるらむ
右は醍醐天皇の第四皇子重明親王の長女斎王徴子(きし)女御の歌である。
(注)
 徴子女御は斎王として天慶20年(938)に僅か9才で伊勢へ下向されたこの時、ここ垂水頓宮に
 御宿泊なされ、又貞元2年(977)に斎王に卜定された娘である村上天皇の第四皇女規子内親王
 に母として付添い49歳のときに再び伊勢群行に同行され、ここ垂水頓宮に二回目の宿泊をな
 された節にこの歌を詠ぜられた


斎王垂水頓宮址


ここ垂水斎王頓宮跡は、斎王が群行でお泊まりになられたところである。斎王制度は、今から約
1300年前制定されたもので、歴代天皇がご即位されるたびに、未婚の皇女または女王の中から占
いで選び出された『斎王』を天皇のご名代・天照大神の御杖代として多くの神々をお祭りする制度
であった。
平安時代仁和2年(885)京都から伊勢を結ぶ大道『阿須波道』ができ、翌886年平安京から五泊六
日の群行となった。近江の国は勢多・甲賀・垂水、伊勢の国は鈴鹿・壱志の五ヵ所である。ここ
垂水頓宮には378年間に31人の斎王が泊まられたという記録が残されている。
斎王が宿泊されたところを『頓宮』といい、仮の宮とか、にわかの宮を意味する。群行が行われる
たびに建造され、終わるとすぐに解体されたので遺構が残らず所在地の限定に困難をきわめた。
この垂水頓宮跡は、昭和10年に当時の内務省から派遣された学者たちが現地調査した結果、頓宮
跡地であることが実証され、昭和19年には文部省より唯一の国史跡として指定された。現在は周り
を囲う土手・井戸跡が残っている。
また、平成10年から『あいの土山斎王群行』として群行を再現し、顕彰に努めている


ここ垂水の頓宮建立跡地は、平安時代の初期から鎌倉時代の中期頃まで、約380年間31人の斎王が
伊勢参行の途上に宿泊された頓宮が建立された所である。
斎王とは、天皇が即位される度毎に、天皇のご名代として、皇祖である天照大神の御神霊の御杖代
をつとめられる皇女・女王の方で、平安時代に新しく伊勢参道がつくられると、この道を斎王群行
の形でご通行されることとなった


9:21
国道1号線沿いに建つ『史跡 垂水頓宮跡』


9:22
国道1号線の前野交差点
この交差点を左へ進むと、新名神高速道路「甲賀土山I.C」へ至る


前野交差点を振り返る、右の森は「垂水斎王頓宮跡」


赤茶色の旧街道を進む


9:25
瀧樹(たぎ)神社
所在地:滋賀県甲賀市土山町前野155


鳥居の扁額は「瀧樹神社」


この神社には、次の二つの宮が祭祀されている。
  一、瀧樹大明神宮
  一、天満宮
この神社の祭礼日は、毎年5月3日で当日は、国の選択文化財に指定されているケンケト踊りを
はじめ花奪神事や神輿の渡御が行われる盛大な祭である。平成17年に本殿・拝殿が新築され同
時に境内の全面的な整備がなされ神域の荘厳さを増している 


天気も悪く境内まで時間を要するので参拝せず



                               土山宿~水口宿ー続く





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最終更新日  2020.04.20 03:00:05
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