おじん0523のヒロ散歩

おじん0523のヒロ散歩

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

オジン0523

オジン0523

カレンダー

フリーページ

2020.10.12
XML
カテゴリ: ヒロ散歩
宝城坊日向薬師から降り、車で上流の日向渓谷へ向かう。

9月28日(月) 11:15
日陰道
「かながわの古道50選」のひとつで、北向きの土地で日陰になるところから、この名が付けら
れたといいます。全長約1.5kmほどののどかな道で、初夏には紫陽花、秋には彼岸花と季節の
花々を楽しむことができます。こうした日陰道の整備は、20年以上前から地域の人々の手で行
われています。
鎌倉幕府の事績を記した『吾妻鏡』には、源頼朝が1回、北条政子が2回、日向薬師に参詣した
ことが記されています。また、頼朝は自身が歯痛に苦しんだ時、代理を参詣させています。

されています


これからの紅葉時期も楽しめる日向川


細道の坂道を登っていくと突然三重の塔が現れた。
誰もがビックリするとの書き込み、日向薬師バス停から歩いて約10分


11:16
おおやまめぐりルート「ここは浄発願寺」
上流側に「石雲寺 0.6km」、下流側に「日向薬師 1.6km」


石柱には「一の沢 浄発願寺」


浄発願寺の文化財
無常山浄発願寺は、上野寛永寺の凌雲院の末寺となる天台宗弾誓派の寺です。創建は慶長13年
(1608)、ひたすらに修行に勤しみ、口にするのは木の実や草だけという木喰の僧、弾誓上人に

い庇護を受け、山岳修行者や各地を行脚する修行僧の行場として栄えました。また、殺人や放
火を犯した者以外であればどんな犯罪人も許される駆け込み寺としても有名となりました。
明治維新におこった廃仏毀釈運動では激しい弾圧を受け、徳川本家をはじめ、尾張徳川家、藤
堂氏、佐竹氏などの大名や、公家の広幡家など、後ろ盾となる信徒をも失い、寺領も減少して
衰退の一途をたどりました。

和初年まで盛大に続きました。また、寺が日向川の水源地に鎮座していることから、伊勢原を
はじめ平塚や大磯など下流域に住む人々からは雨乞い信仰の寺としても崇められました。
昭和13年(1938)の秋、浄発願寺は台風による山津波に見舞われて崩壊状態となり、現在の場所
に移転しました。かつての寺跡はここより約1km上流の一ノ沢に「奥ノ院」として残り、そそり
立つ崖と生い茂る草々に囲まれて、静かに往時の面影を偲ばせています。

伊勢原市指定重要文化財『浄発願寺縁起絵巻 3巻』
浄発願寺開山の弾誓上人の誕生から遷化までを絵と仮名まじりの文で描いています。作者は未詳
ですが、小田原狩野派画家の筆といわれます。尾張徳川家あたりからの寄進でしょうか。市内に
残る絵巻類の中でも特にすぐれた江戸時代の作です。

伊勢原市指定重要文化財『六字名号雨乞軸』
幅2m、長さ13m。麻布に、浄発願寺中興の祖である四世空誉上人の筆で「南無阿弥陀仏」の六
字名号が認められています。言い伝えでは、空誉上人が自らの衣の袖で書いたといわれます。
江戸時代中頃の作と考えられます。日向川流域の高森村・石田村・小稲葉村など13ヶ村の名も書
かれており、当時の人々の水に対する信仰をうかがわせる資料です


石碑には
元伊勢原警察署長田中勝五郎氏ガ其ノ職ヲ勇退サレ第二ノ故郷伊勢原町ニ居住サレ
世界プロレス界ノ王者故力道山ノ供養ニト此ノ橋桁ヲ寄贈サレタモノデアル
                  昭和40年7月吉日建立


この橋を寄贈されたのか。
桜の時期は桜並木も良いと


浄発願寺 本堂
所在地:神奈川県伊勢原市日向1816
人気ドラマ「半沢直樹」の最終回、北大路欣也さんがお墓参りするシーンのロケ地であった


本堂の扁額
「無常山」「浄発願寺」


三重塔と右手前に「地蔵菩薩坐像」
手前に桜並木がありその時期も最高では


地蔵菩薩坐像


三重塔


三重塔の木組み


匠の技


浄発願寺に招いたお釈迦様は、仏教国ビルマ(現ミャンマー連邦共和国)アヴァ王朝時代(1364~
1555年)の、1376年に造立された石仏です。長い歳月色々な時代を過されて、令和元年(2019)
9月8日、三重塔内にお座りになられました。どうぞお参り下さい。   合掌


日向川の流れ


11:31
桜並木もあり三重塔と桜とのコラボ、紅葉時期も再度訪れたいものです


11:34
浄発願寺から日向渓谷への途中にある「大友皇子の墓」


史跡 (伝)大友皇子の陵墓 二代目・不老松
墓まで歩いて3分と


史跡 (伝)大友皇子の陵墓 二代目・不老松
日本の第39代天皇で、弘文天皇


歩いて登ることにするが


11:39
途中から草むらになり、山ビルにご注意の看板もあり取りやめる


山ビルにご注意を!!
草むらや落葉の裏に野生の鹿が運んできた山ビルがいます。吸盤で人の肌について
吸血します。特に雨降りの日や地面が湿っているときは活発に活動します。草むら
や湿った落葉のそばには近寄らないで下さい。
対処法は:山ビルが嫌う、木酢液、食塩水、虫除けスプレーなどを、足元の衣服に
     予め塗布しておいてください。専用忌避剤としてヤマビルファイター(
     イカリ消毒)もあります。
吸血されたときは:直ぐに引き離して下さい(ダニのように肌に口が残る心配は有り
     ません)。かゆくなり血を固まらせないヒルジンを注入されています。
     なるべく早く血液と一緒にしぼり出して、バンソウコウなどで止血して
     ください。危険なウイルスなどは持たないといわれています、後は傷口
     を清潔に保てば大丈夫です


(伝) 大友皇子之陵
石造五重塔でこの墓はレプリカ。
実物は近くの石雲寺へ移設されている


11:45
道路標識
← 浄発願寺奥ノ院(約650m)、〈伝〉大友皇子の墓(約550m)・浄発願寺(約530m) →
石雲寺
718年、諸国行脚の華厳妙瑞法師が紫雲に導かれるままこの地に分け入り、大友皇子の冥福を
祈り建立したとされる寺院。1489年、天渓宗恩が曹洞宗の寺として再興し、現在に至る


曹洞宗 石雲寺 駐車場
所在地:神奈川県伊勢原市日向1767


石雲寺縁起
寺伝によれば、八世紀初めの養老2年、諸国を行脚していた華厳妙瑞という法師が日向へやって
来た。法師が山中の石上に座し瞑想すると、渓谷に紫雲を認め、不思議に思った法師が、河原に
降りると周囲三丈(十メートル程)の石の上方に紫雲がたなびいていて、法師は一心に仏・菩薩の
名号を唱えたところ、仏・菩薩の御姿が現れたという。
里人に尋ねたところ、その昔、壬申の乱で敗れた大友皇子が近江国から逃れ住まわれ、この地で
亡くなられ、従者も殉死したという。哀れに思った法師は精舎を建て、皇子の菩薩を弔うことと
した。これが石雲寺の草創である。皇子の墓所は当初、遺言により松を植えただけであったが、
鎌倉時代になって従者の子孫が石で五重の塔を建てたという。
永禄年間、天渓宗恩和尚が曹洞宗として中興開山され、天文12年に北條幻庵から朱印状を拝領し
た頃、寺院としての基盤が確立したようだ。当初の寺院名は「雨降院」で、後に開創の縁起に因
んで「石雲寺」と改められている


日本遺産のまち伊勢原   日本遺産の構成文化財  ~ 石雲寺と日向地区の文化財 ~
《信仰の地「大山」の生い立ち》
大山への信仰は古く、奈良時代には、霊山寺(現・宝城坊。通称・日向薬師)、石雲寺、大山寺が
開かれ、平安時代にまとめられた「延喜式神名帳」に記される阿夫利神社や比々多神社、高部屋
神社の成立などにより、信仰の地としての姿が整えられていった。
※日本遺産は、我が国の文化・伝統を語る ”ストーリー” を文化庁が認定するものです


日向地区の文化財位置図
①石造五層塔、石雲寺、②〈伝〉大友皇子の墓、③宝城坊、④日陰道、⑤浄発願寺、
⑥浄発願寺・奥ノ院、⑦勝五郎地蔵


石雲寺山門下
紅葉時期も期待できる


わたしたちの宗旨は
宗  名:曹洞宗(禅宗)です
伝  統:曹洞宗はお釈迦さまより歴代の祖師がたによって相続されてきた正伝の仏法です
日本開宗:曹洞宗は今から八百年ほど前、鎌倉時代に高祖道元禅師さまが我が国に伝えて、
     ゆるぎなき基礎をきずかれ、四代目の太祖瑩山禅師さまが一層盛んになさいまし
     た。このお二方を両祖大師と申し上げます
大 本 山 :福井県の永平寺(高祖道元禅師さま御開山)
     横浜市の総持寺(太祖瑩山禅師さま御開山)
本  尊:曹洞宗はお釈迦さまをご本尊として仰ぎます
本尊唱名:南無釈迦牟尼仏
教  義:わたしたちはみな仏の子であり、生まれながらに仏心を具えています。しかし、
     それに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみ悩みのもとをつくっています。
     ひとたび仏さまに懴悔し帰依するならば、心が落ち着いておのずから生活が調え
     られて明るくなり社会のお役に立つことを喜び、又、どんな苦難にも耐えて生き
     抜こうとする信念が生まれます。そこに生きがいと幸福とを発見するのが曹洞宗
     の教えであります
お  経:修証義 般若心経 観音経 寿量品等の諸経典を読誦します


伊勢原市指定文化財 有形文化財 「日向渕ノ上石造五層塔」
石雲寺境内に石造りの五層塔があります。かつては、石雲寺から東へ400mほど下り、御所の
入橋を渡った日向川の右岸にありました。この石塔は壬申の乱(672年)で敗れた大友皇子の墓
との伝承があり、通称「大友皇子の墓」と呼ばれていますが、石塔そのものは鎌倉時代末から
南北朝時代の初め(14世紀前半)に造られたものと考えられます。
・・・・・略・・・・・


参道の階段廻りには彼岸花


新しく新築された山門


山門新築寄進
平成30年10月吉日
施主 新田堀江家  
二十八世 義仙代


山門から本堂を見上げる


階段を登り本堂へ


本堂前から山門を見下ろす


石雲寺 本堂


本堂の扁額「雨降山」


本堂にぶら下がる「梆(ほう)」


梆(ほう)ついて
「魚鼓(ぎょく)」とも言われ、木魚の原形と言われます。修行道場では、坐禅や寝食の根本
道場である「僧堂(そうどう)」の堂内に吊され、食事の時間になると打ち鳴らされ、修行道
場全域にいる修行僧は、この音を聞いて僧堂に参集します


11:57
伊勢原市指定文化財 有形文化財 「日向渕ノ上石造五層塔」


この石塔は壬申の乱(672年)で破れた大友皇子の墓との伝承があり、かつては、石
雲寺から東へ400mほど下り、御所の入橋を渡った日向川の右岸にありました。
文化財指定を受けた後、貴重な層塔の毀損を防ぎ適正に管理するために、令和2年
に当地に移設し、旧所在地にはレプリカを設置しました



                              ― 続く ―





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020.10.12 03:00:05
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: