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萱沼村にあることがわかり寄からの返る途中再度訪れた。
明治9年(1876)に近隣の七つの村が合併してできた ”寄村”
。その七つの村とは 萱沼、弥勒寺、
土佐原、宇津茂、大寺、中山、虫沢
。その寄村も、昭和30年(1955)に松田町と合併して名前は
消えた。このため今日訪れた「寄五大しだれ桜」の住所は全てが「松田町寄」となっている。
名残りとしてかつての村名が ”五大しだれ桜” の名として残しているのであろうか。
4月10日(水) 12:45
県道710号線(神縄神山線)を南下、富士急バス停「萱沼入口」。
萱沼地区はここを左折して小田原ゴルフ倶楽部松田コース場方面へ上る。
バス停から坂道を上ると”小田原ゴルフ倶楽部松田コース”のコース間の橋。
車窓の左側に朝見た ”萱沼(かやぬま)のしだれ桜”
。
萱沼のしだれ桜から更に進むとスマホで「目的地に到着」と。
馬頭観世音 (文字塔/擁壁上)
所在地:神奈川県足柄上郡松田町寄?番地
見上げると民家の庭先にしだれ桜、古木の欅であろうか聳えていた。
民家の擁壁を見ると ”馬頭観世音の文字塔”。
道路整備時にここへ移設されたのであろう。先程訪れた虫沢地区にもあった。
擁壁の中に「馬頭観世音」。
近世以降は国内の流通が活発化し、馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなった。
これに伴い馬が急死した路傍や芝先(馬捨場)などに馬頭観音が多く祀られ、動物への供養塔
としての意味合いが強くなっていった。なお、「馬頭観世音」の文字だけ彫られた石碑は、多く
が愛馬への供養として祀られたものであると。
更にゴルフ場への道を進むと、今度は擁壁の上に。
ズームアップすると「馬頭観世音」と。
なお、ご利益は、無病息災、動物救済、厄除け、旅行安全のご利益があるとされている。
更に進むと三叉路にバス停「萱沼上」。
傍にポスト、石碑も。
記念碑
此ノ萱沼部内ヲ通ズル道路ハ古ヨリ大雨ゴトニ人馬ノ往来殆ド杜絶シ住民不便ヲ感ジ
幾度カ改善ヲ試ミラレタル〇其ノ〇容ラ〇ク○得○○○今回住民ハ村長ノ提案ニ賛同
シ更ニ道路○○○ノ○○○○ノ篤志ニ依リ協力一致昭和五年八月起工シ翌春三月竣功
ス而シテ総工費五千圓内縣補助二千四百円ヲ以テ積年ノ希望ヲ達成シタレハ将来洵ニ
便〇ナラント云〇
昭和六年三月 寄小學校長 安藤庫之助 撰〇書
〇起人 寄村長 安藤溝十郎
村會議員 石井奥 助 世話人
區 長 安藤林之介 石井新次郎
副区長 安達安兵衛 飯山惣次郎
工事設計〇土木技手 〇 廣 吉 安藤源次郎
工事監督者 神部北之助
野口政 吉
更に坂道を進み、萱沼地区の最奥部に。
突き当りに「小田原ゴルフ倶楽部 松田コース」の看板。
看板前から上って来た道を振り返る。
クラブハウスへの道には満開のサクラ並木。
ソメイヨシノの花びらが絨毯の如くに散っていた。
ゴルフ場入口から折り返すと道路脇に石碑。
石碑には「堅牢地神」であろうか。
石碑の裏面には、世話人の名前が刻まれていた。
ここにも安藤、石井の名字がありこの辺りの名主であったか。
次に訪れたのがGoogleマップに載っていた「子乃神社」。
道路脇に案内板がなく車を道路脇に停めて探す。
スマホの案内で路地を入り正面に階段。
階段下から振り返る。
子乃神社
所在地:神奈川県足柄上郡松田町寄?番地
萱沼を見下ろす傾斜地に建ち南東方向を向く神社である。説明板がなく詳細は不詳。
Googleマップ上では萱沼には他に神社がないので村の鎮守であろう。
社殿前のスペースがなく鳥居も社殿前に建っている。
社殿の左側に石祠。
境内に北側、ここまで車で来れたようだが途中の道が狭い。
北側の道を進むとかつての中山村?にある「福昌院」へ。
子乃神社から戻る途中の民家の庭先に咲いていた紅白の花桃であろうか。
断りもなく撮影したが。
道路へ戻り ”子乃神社” を振り返る。この道は普通車にとってギリギリである。
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