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8月17日(土) 16:05
「自由の翼」熊坂兌子
所在地:神奈川県藤沢市江の島1丁目10−10
フェンスに囲まれた中に白い彫刻があった。女性の自立や活躍を願って作られたと。
熊坂兌子 (なおこ) さんは鎌倉市在住 (90歳) の彫刻家で、藤沢市へ29点の美術作品を寄贈し、
文化振興基金へ寄付したと(2023年4月7日のタウンニュースより)。
タイトル:自由の翼
作者:熊坂兌子
作品解説:
この彫刻は1982年に完成した神奈川県婦人総合センター(当時)に設置されていたもので、施設
の老朽化による解体に伴い、2017年に現在の場所に移設されたものです。
「女性よ、元気よく立ち上がれ」との願いを込め、さんさんと輝く湘南の太陽を浴びた女性が、
翼を広げて力強く大地に立つ姿を表しています。
〔藤沢市〕
この辺りにいるネコを世話をしているオジサン。彫刻の前に座っておられたが撮影のため移動
願い、話しをすると「避妊処置をしており以前は六匹いたが死んで四匹になった」と。
聖天島公園 (しょうてんじまこうえん)
所在地:神奈川県藤沢市江の島1丁目6−21
遊具施設、公衆トイレも設置されている公園である。
道路標石に「聖天島」と。
標石のトップには聖天島の説明文。
聖天島 (しょうてんじま)
もとは海に浮かぶ二つの岩からなる島でしたが、大正12年(1923年)の関東大震災の時に隆起し
て、江の島と陸続きになりました。その後、昭和39年(1964年)の東京オリンピックのヨット競
技会場の整備のため海が埋め立てられ、現在のように上部だけが丘となって残されました。
この丘は、海底火山噴出物と砂岩と凝灰岩から出来ています。
聖天島の名称は、二つの岩の形が仏教守護神の一つである「歓喜天」の姿に似ていることから
名付けられました。
建仁2年(1202年)、僧良真が千日間の修行満願の夜、天女が現れ「お告げ」があったと伝えら
れています。また、昔は八坂神社祭礼の日に神輿を担ぐ者全員が、この場所で禊をし、新しい
下帯をして神社に向かったという神聖な場所でした。
今も残る社の中には、良真上人像が安置されています。
写真は「江の島全景」。
江の島を題材にした、古い絵はがき (左に小さく見える岩が、聖天島)。
出典:みゆネットふじさわ
聖天神社
聖天島公園に入り丘の前に建つ社。
聖天島と聖天上人
僧良真は元久元年二月宋に渡り慶仁禅師に参じて受法聞かずして日本に霊地江の島ありと知る
禅師よりそこに社壇を開くべしと教えられ帰朝する。
後に江の島東岸の巌窟に籠り一千余白の間修業を重ねた良真が建仁二年(1202)七月窟内に紫雲
香気満ちて天女が壇上に現れ給うを見る。以来此処を聖天島と謂う更に時の将軍源実朝の帰依
僧となる。良真は実朝の懇志を受け「下の宮」現在の江島神社辺津宮を創建す。
建永元年(1206)江の島縁起に依る
聖天島 島の東岸にあり天女影向の古跡と言う。窟内に良真の像を安す(天保一二(1804)? 新編相模風土記)。爾来慈悲上人良真に依りここ江の島東岸一帯の地霊は守護されるとして島人
は聖天上人と仰ぎ崇教を集めて現在に至ります。
社に納められている「聖天上人 (良真上人) 像」。
訪れた日は扉は閉められていたが。
聖天神社を西側から。
聖天神社の左側にはふたつの朱色の鳥居が並んで建っていた。
右側の鳥居
榊、お酒などが供えられていた。
龍宮神
中には「龍宮神」とだけ書かれた石碑が祀られている。御祭神の詳細は不明。
道祖神が二体
左側には道祖神が祀られている。こちらについても由緒書等がないので建立年など詳細は不明
龍宮神、道祖神の前には棚があったが。
聖天島公園の西側から。
公園の東側には ”湘南港ヨットハウス” 。
公園の公衆トイレは建物が四等分になっているユニークなデザインである。
次の目的地はこれもGoogleマップで知った「延命寺」でスマホの案内で進む。
歩道にはめ込まれていたタイル「きくのはながい」。
「おおいとかけがい」
「ちまきぼら」
スマホの案内で狭い裏参道を進み「目的地に到着」と。
岩肌を見上げると朱色の建物が目に入った。
延命寺 (えんめいじ)
所在地:神奈川県藤沢市江の島1丁目5−4
宗派、創建等は不詳。狭い裏参道沿いに入口があり門扉があいたので参拝。
階段を上り右側に並ぶ一部破損した石仏。
左側に並ぶ石仏。どちらにも花が供えられていた。
柱に「延命寺」と。
狭い境内の奥に左から「六地蔵」、「六観音」右側に「如意輪観音」。
如意輪観音は、右手は頬に触れて思惟したかたちで、衆生(しゅじょう)をどのように救済しよ
うかと考えている。
洞窟の入口に「延命寺」と。
本堂がなく洞窟の中が納骨堂となっていて、中央には閻魔大王が祀られている。
明治36年6月、江の島に集中豪雨が降り、延命寺の墓地は崖崩れで壊滅した。流された墓石や
遺骨は、誰の骨だか、何処の家の墓だか分からなくなってしった。それらの霊を祀るため、石
窟を造り納骨堂にしたと。その後も大正、昭和と大雨でお墓もろとも流された。
右側に「六観音」
多岐にわたる人間の苦悩や願いに応じるため、観音さまは色々な姿で現れます。基本になる聖
観音をはじめとする地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道の苦を除いてくれる六観音。
左側に「六地蔵」
悟りを得られなかった人間が地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道のなかを輪廻すること
から救うため、「六地蔵」が生まれた。立ち姿が多いのは、行脚中だから。
無縁塔と刻まれた墓石。
無縁塔の台座にも彫られた石仏。
裏参道にある門扉。
裏参道にある 「台湾梅花 江の島」
。
所在地:神奈川県藤沢市江の島1丁目6−30
店先にはGoogleマップを見ながら訪れたお客が待っていた。
16:30
台湾梅花江の島は、台湾出身の店長が作る本場の調味料を使った本物の台湾の味を追求した、
台湾料理やスイーツはもちろん。大人気の口の中であっという間に溶けるふわふわでこだわり
果物を使用した濃厚ソースのかき氷。コーヒーも注文が入ってから淹れ、一品こだわりのある
メニュー。カウンター、テーブル席、お座敷あり。江の島観光のひと休みに是非お立ち寄りく
ださいと。不定休で営業している。
ー 続く ー
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