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私の同世代人は、多かれ少なかれ、宮崎駿の影響を受けている。子ども時代、「アルプスの少女ハイジ」にはじまるカルピス名作劇場を家族で見ていた人は多いだろう。一方、ルパン三世シリーズや映画版「カリオストロの城」を通じて、後の「おたく」が生まれてゆく。そして、NHK初の連続アニメ「未来少年コナン」と、初のオリジナル長編アニメ「風の谷のナウシカ」により、宮崎駿の名前は全国区となった。
本書は、そういった事実を延々と並べ(刊行時点で最新映画だった「千と千尋の神隠し」への言及は少ない)、筆者の感想が付け加えられているだけなのである。ナウシカをリアルタイムで見た頃の私だったら、それでも納得できたかもしれないが、歴代の宮崎作品を見続け、社会人となり、自分の子どもに「トトロ」を見せている現在では大いに不満がある。
一番大きな不満は、関係者の生の声がないことである。文章の大半は、雑誌や対談からの引用である。関係者が死亡した後の時代ならともかく、宮崎駿をはじめ、ほとんどの人々はいまだ一線で活躍しているのである。かりにも読者から金を取るなら、彼らに直接インタビューするくらいの努力はしていただきたいものだ。これで「研究本」を名乗れるのだとしたら、「おたく」なら誰でも発刊できるであろう。
もう1つの不満は、宮崎駿の社会への影響である。本書でも触れられているが、「カリオストロの城」に続いて起きたロリコン・ブームと宮崎勤事件、教団の資料でナウシカを神聖視していたオウム真理教――宮崎作品には光の部分と影の部分がある。それが人気の秘密だと思うのだが、光と影のメッセージ性が強すぎるのである。宮崎アニメに潜む病理について、もっと研究してほしかった。
私は、アニメに限らず、映画はエンターテイメントに徹すればいいと考えている。その意味では、著者が宮崎アニメの「第一期」に分類する「カリオストロの城」や「未来少年コナン」は、エンターテイメント性の強い作品だった。おかしくなってきたのは、「風の谷のナウシカ」からである。その後、「天空の城ラピュタ」「紅の豚」などは、それなりに楽しめる作品だったが、最近はそれもなくなってしまった。
宮崎駿という人物は、どうも、アニメを作りながら自分の考えを作品に埋め込んでいる節があり、観客のことを考えていないのではないかという気がする。それが天才の天才たるゆえんだろうが、金を払って映画を見る観客としてはいい迷惑である。もっと観客を楽しませる作品を作ってほしいものだ。でないと、本書のように、量だけで中身のない批評家が増えるばかりである。
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