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十分な予算、時間、人員が確保されているプロジェクトに、残念ながら私は出合ったことがありません。
小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクト・リーダーである川口淳一郎・教授が、「はやぶさ」帰還後に著したプロジェクトの全貌。本人が「ハイリスク・ハイリターンの投資だと考えていました」(26 ページ)というほど困難なプロジェクトは、予想を遥かに超える 500 点満点で完了した。
「はやぶさ」の原点である小惑星ランデブー計画は、じつは NASA との共同プロジェクトとしてスタートした。しかし、NASA に比べて数十分の一の予算しかない宇宙科学研究所は、NASA のプロジェクトの進捗について行けなくなり、ついに NASA の単独プロジェクトとなってしまう。
その時、著者は「こんちくしょうッ!」(44 ページ)と思ったという。その悔しさをバネに、NASA が絶対に取り組まないはずのハイリスクな小惑星サンプルリターン構想をぶち上げたという。
しかし、イオンエンジンなど日本初の技術の開発は困難を極め、ロケット発射のわずか 2 ヶ月前にようやく「はやぶさ」は完成した。
打ち上げは順調に行われ、目的の小惑星「イトカワ」に到着するまでは、ほぼ予定通りのスケジュールで進んだ。ところが、それからはトラブル続き。ついに通信が途絶してしまう。
ところが幸運なことに、「プログラムのどこにも書き込まれていなかった」(173 ページ)にもかかわらず補充電回路が ON になり、46 日後に通信が回復する。
著者は「『はやぷさ』が自分の意思で、危機を回避するために補充電回路を ON にした? それは、科学の原理としてあり得ない」(173 ページ)と言いつつも、地球に帰ってきた「はやぶさ」に対しては「成長した自分の子どもが帰ってきたようで、とても『はやぷさ』を機械とは思えない。特別な存在になっていました」(194 ページ)という思いを記している。
7 年間を「はやぶさ」に捧げたプロジェクト・リーダーの言葉のひとつひとつには重みがある。
「不可能といわれたミッションを次々達成できたのは、高度なテクノロジーと精確な運用はもちろん、関わった全員が『楽しい』と思えたから」(192 ページ)。
通信途絶が起きた時には、「運用室にやってきた JAXA やメーカーの人が、お茶を飲もうとしたとき、ポットからお湯ではなく水が出てきたりすれば、もうプロジェクトの終焉も近いんだな、あとは運用停止を待つだけなんだな、そういう印象をもってしまいかねません。すごく悲しい気持ちになるはず」(158 ページ)と気を回し、自身がポッドに水を注いでいたという。
政府の事業仕分けで名言となった「1番でなければダメですか? 2番ではダメなんですか?」に対しては、「そもそも、『2番を狙う』などという、器用な真似はできません」(217 ページ)と指摘。「1番に NASA があり、『その次でいい』と考えていたら、あっという間に他の国に追い抜かれてしまいます。それでいいのでしょうか」と疑問を投げかける。
われわれ技術者は、困難なプロジェクトに立ち向かわなければならない場面は多い。「はやぶさ」プロジェクトからは大きな勇気をもらった。
■メーカーサイト⇒ 川口淳一郎=著/宝島社/2010年12月発行 はやぶさ、そうまでして君は
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