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著者・編者 | 小林和彦=著 |
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出版情報 | 新潮社 |
出版年月 | 2011年11月発行 |
著者の小林和彦は 1962 年生まれ。早稲田大学アニメーション同好会からアニメーション制作会社「亜細亜堂」に入社し、アニメーター、演出家として「魔法の妖精ペルシャ」「魔法の天使クリィミーマミ」「うる星やつら」などの作品に携わった。しかし、1986 年 7 月に幻覚妄想状態に陥り、精神神経科に入院。本書は、精神病者として体験したことが子細に綴られている。当時、小林さんと同じ同じテレビやアニメ番組を見て、同じニュースに接し、現在ではトンデモ本に分類される書籍を読んだ者とし、ヒトとしてどこに正気と狂気の境があるのか、自分の常識が揺らぐ強烈な内容であった。
小林さんは、「現実世界でできないことはアニメーションでもできない」(101 ページ)と、きわめて常識的な考えをもっている。一方で、アニメーションで体制を変えようという革命思想を持ち続け、「1986 年の上半期は、他にも大きな事件・事故が相次いで起こり、僕はそれをハレーすい星の影響と考えていた」(56 ページ)。とはいえ、その主張を出版したり団体を立ち上げたりするトンデモさんではなく、アニメーションという手段を使って社会にアピールしようという真っ当な考えをもっている(当時そういうアニメを作れば人気が出たに違いない)。だが、突然、病気に襲われる。「立ち上がると、世界が変わってしまった。空はオレンジ色になり、建物や地面はあやふやで、手や足がそれらを通り抜けてしまうのではないかと感じ、すべてのものが自分への脅威となった」(116 ページ)。そして、仕事を休み、病院へ入院することになる。
少し長いが、小林さんの意見を引用する――。
薬物(化学)療法は確かに有効で、僕は発狂という恐怖のどん底からは救われたが、同時につかみかけていた真実からも遠ざかってしまった。だから入院が正解だったかどうかは今もってよく分からない。7 月の末に僕が挑んだ真実探求の冒険は、ウヤムヤのままで中断してしまい、再開できる日が来るとは思われなかった。平穏を得た代わりにパワーをなくしてしまったのだ。もっとも医者をはじめ、世の常識人は、それでいいのだ、真実を知ることなど人間が生きていく上でプラスにはならない、と思っているだろうが、というより、僕が覗こうとしていたのは真実でも現実の究極の姿でもなく、ただの幻だと言うだろうが。薬物療法は僕をおとなしくさせたが、同時に創作者としてもっとも大事な想像力まで奪われたような気がしてならなかった。これが病院の目指している患者の社会復帰というものなのか。僕は大いに疑問を感じてしまう。社会や体制(病院はその象徴)に対して反抗していたものを、薬の力で無理矢理、おとなしく無気力な人間に変えるための洗脳ではないかという思いはいまだに払拭されない。(182 ページ)――小林さんの体験が幻覚・妄想だと言うことはたやすい。だが、クリエイターの頭の中から幻覚・妄想の類いを取り除くことが、本人にとって果たして幸せだろうか。
退院した小林さんは亜細亜堂に復帰するが、自分の創作能力がないと判断して退職してしまう。
その後も小林さんは何度か入院するが、精神病の状態を肯定的に受け入れる。「それを矯正するのではなく、うまく人と折り合いをつけて、入院せずに暮らしていきたい。暴力をふるったり、人に迷惑をかけたりさえしなければできるはずだ」(210 ページ)。そして、精神科医が言った「妄想しても仕事ができればいい」という言葉を大切にしている。「大事なのは病気を治すことではない。仕事をすることなのだ」(214 ページ)
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