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2019.01.24
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カテゴリ: 書籍
ホモ・デウス(上)

ホモ・デウス(上)

 共同主観的なものは、個々の人間が信じていることや感じていることによるのではなく、大勢の人間のコミュニケーションに依存している。(180ページ)
著者・編者 ユヴァル・ノア・ハラリ=著
出版情報 河出書房新社
出版年月 2018年9月発行

著者は、イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリさん。前作『サピエンス全史』の最後で触れた、人類の幸福や超ホモ・サピエンスについて、具体的に説明してゆく。
本書は、プロセスやアウトプットを明記したハウツー本ではない。読みながら自分の頭で考えをめぐらせる余裕がある人が読むものである。『サピエンス全史』より、さらに考える時間を求められるだろう。当然、読み進むスピードも落ちる。
歴史、宗教(とくにユダヤ・キリスト教氏史)、哲学、進化学、心理学に関心がある人向け。そうでない方は、『サピエンス全史』から読み進むことをお勧めする。

冒頭で、ハラリさんは、人類はこれまでの歴史で、常に飢饉と疫病と戦争という 3 つの問題に取り組んできたとしたうえで、現代社会はこれらの問題を解決しつつあり、人類は次に不死と幸福と神性を目標に掲げるのではないかと推測する。「人間は至福と不死を追い求めることで、じつは自らを神にアップグレードしようとしている」(59 ページ)と指摘する。プロローグとしての第1章はやや冗長だが、演劇の「デウス・エクス・マキナ」よろしく、ここから本編の開幕となる。

「第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する」で、ハラリさんは、「心と魂」について論じる。「心」「魂」「精神」「情動」という複数の表記があり混乱するが、読み込んでゆくと、「心は魂とは完全に別物」(134 ページ)、「心は、苦痛や快楽、怒り、愛といった主観的経験の流れ」としたうえで、「心=精神=情動」は動物も持っているという立場をとる。
一方で、農業革命によってアニミズムの神々は後退し、「森羅万象の支配者が人間に他の動物の支配権を与えた」(121 ページ)という。心を持っているはずの家畜を狭い小屋に閉じ込めたり、屠殺するのは、新しい神がサピエンスに与えた権利だというのである。
ハラリさんは、人間と動物を分けるポイントとして、知能や道具作りの能力ではなく、「多くの人間どうしを結びつける能力」(165 ページ)と主張する。

ハラリさんは、現実には、主観的現実、客観的現実、そして共同主観的現実の 3種類があるという。動物も主観的・客観的現実は認識できるが、唯一、サピエンスだけが共同主観的現実を認識できると主張する。
協同主観的現実とは、たとえば、1 ドル札のように、客観的な価値はないものの、何十億もの人がその価値を信じているかぎり、それを使って食べ物や飲み物や衣服を買うことができる物事を指す。
ハラリさんは、「サピエンスが世界を支配しているのは、彼らだけが共同主観的な意味のウェブ――ただ彼らに共通の想像の中にだけ存在する法律やさまざまな力、もの、場所のウェブ――を織り成すことができるから」という(187 ページ)。個や群れの力ではなく、国家規模の集団力を発揮できるのはサピエンスだけだというわけだ。

さらに、「共同主観的なものを生み出すこの能力は、人間と動物を分けるだけではなく、人文科学と生命科学も隔てている」(188 ページ)のだという。なせなら、「歴史学者が神や国家といった共同主観的なものの発展を理解しようとするのに対して、生物学者はそのようなものの存在はほとんど認めない」からだ。

共同主観的現実は、たとえそれが虚構であっても効力を発揮する。ハラリさんは、「今日でさえ、アメリカの大統領が就任の宣誓を行なうときには、片手を聖書の上に置く。同様に、アメリカとイギリスを含め、世界の多くの国では法廷の証人は、真実を、すべての真実を、そして真実だけを述べることを誓うときに、片手を聖書の上に置く。これほど多くの虚構と神話と誤りに満ちた書物にかけて真実を述べると誓うとは、なんと皮肉なことだろう」と指摘する(215 ページ)。

「脳と心」というお題で小論文を書いたのは 30 年以上前の話だ。だが、当時より突っ込んだ内容を書く自信がない。研究をしていないというのは言い訳に過ぎない。この 30 年間、多くの優秀な研究者に出会い、話をする機会があった――にもかかわらず、にである。本書で、「共同主観的現実」という第三の視点を与えられたことで、この難問の突破口が見えてきた気がする。歴史や心理学などの人文“科学”は、自然科学とまったく異なるスキームに立脚しているということであれば、課題解決の方針を変えなくてはいけない。

ハラリさんは、「人間の法や規範や価値観に超人間的な正当性を与える網羅的な物語なら、そのどれもが宗教だ」(223 ページ)という。宗教は、科学ができない倫理的な判断を下すこともできる。だから、科学とは競合関係ではなく、協力関係にあるという。逆に、「霊的な旅」は反体制的であり、宗教とは相容れないという。なぜなら、「社会全体ではなく、個々の人間にだけふさわしい、孤独な道のりだからだ」(230 ページ)。






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最終更新日  2019.01.24 12:02:47
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