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2022.04.09
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カテゴリ: 書籍
女性と天文学

女性と天文学

 40歳近くになって、キャロラインは天文学の研究で報酬をもらう世界初の女性になった。(50ページ)
著者・編者 ヤエル・ナゼ=著
出版情報 恒星社厚生閣
出版年月 2021年11月発行

著者はフランスの理学博士(天体物理学)ヤエル・ナゼさん。天王星を発見したウィリアム・ハーシェルの妹キャロラインにはじまり、木星に衝突したシューメーカー・レヴィ第9彗星を共同発見した妻キャロライン、ピッカリングのハーレムの女性研究員たち。パルサーを発見したジョスリン・ベル・バーネル‥‥多くの無名の女性天文学者が残した「観測記録」は、ガリレオやローウェルが残したスケッチと違い、科学的価値が高い。彼女たちは名声を欲したわけでもなく、ただ科学者として高みを目指そうとしたのであろう。ジェンダーとは関係なく、科学者とはそうあるべきだと思う。

キャロライン・ルクレティア・ハーシェルは、天王星を発見したウィリアム・ハーシェルの11歳下の妹だ。1750年3月16日、ドイツのハノーファーで生まれ、1772年8月、兄が暮らすイギリスへ渡った。彼女は、ソプラノ歌手として兄の音楽隊をサポートする一方、兄の天体観測の助手として記録をとっていた。自らも彗星を発見し、国王ジョージ3世は彼女に年間50ポンドの報酬を払うようになった。彼女は、天文学の研究で報酬をもらう世界初の女性となった。1797年に、フラムスティードの星図に載っていない561の恒星を加え、これを改訂した。1828年、兄が発見した2500の星雲のカタログを完成させた。1828年に王立天文学会ゴールドメダルを受賞し、1835年にメアリー・サマヴィルとともに王立天文学会初の女性会員に選ばれた。

キャロライン・ジーン・スペルマン・シューメーカーは、1993年に夫のユージン・シューメーカー、ディヴィッド・レヴィととも、木星に衝突したシューメーカー・レヴィ第9彗星を発見した。結婚するまで天文学の知識はなかったが、子どもたちが独立すると、夫の仕事を手伝い、地球近傍小惑星や彗星の観測を始めた。彼女は、2002年までに32の彗星と800を超える小惑星を発見しており、これは個人での彗星の最多発見記録となっている。

1877年にハーバード大学天文台の台長となったエドワード・チャールズ・ピッカリングは、分光装置のついた望遠鏡を使って天体を撮影することにより、恒星の分類ができることに気づいた。観測写真を精査するために、彼は時給25~35セントを出して多くの女性研究員を雇った。ピッカリングのハーレムでは、ウィリアミナ・パトン・フレミング、アニー・ジャンプ・キャノン、アントニア・カエタナ・モーリ、セシリア・ヘレナ・ペイン=ガポシュキンらが活躍し、MK分類法など、今日も用いられている恒星や星雲・星団の分類が確立された。

ヘンリエッタ・スワン・リービットはピッカリングのハーレムでは目立たない女性だったが、ケフェイド変光星の変光周期と光度との間に相関があることを発見し、天体までの距離測定に大きく貢献することになる。彼女の業績はノーベル賞候補に挙がるほどだったが、胃がんを患いひっそりと死去していた。

エレアノール・マーガレット・ピーチー・バービッジは、イギリスの大学を卒業した後、アメリカの大型望遠鏡で分光観測をする研究を望んだが、当時の女性差別的伝統のために実現できず、1943年にロンドン大学で学位を取得した。1948年に天体物理学者のジェフリー・バービッジと結婚。1951年に初めて渡米、ヤーキス天文台で主に星の元素組成を研究した。夫ジェフリーやフレッド・ホイルと共同研究を行ない、1957年に、ほとんどの化学元素は星の中の原子核反応で生成されるという仮説を述べた有名なB2FH論文を発表した。夫妻はホイルとともに、ガモフのビッグバン仮説に疑問を唱え続けた。
また、銀河の質量を測定した最初の一人であり、クエーサー研究のパイオニアでもある。マーガレットが指導した若い女史学生ベラ・ルービンは、のちに暗黒物質を発見する。
天文学の世界における女性差別と戦い、1971年、アメリカ天文学会から授与されたアニー・ジャンプ・キャノン賞を辞退した。この賞は女性のみに与えられるもので差別的というのがその理由だった。1972年には女性として初のグリニッジ天文台長に任じられたが、女性という理由から、台長職でセットで付いてくる王室天文官の称号を受けられなかった。1976年から1978年にかけてアメリカ天文学会の会長、1983年から米国科学振興協会の会長を務めた。

ベラ・クーパー・ルービンは、バービッジ夫妻と共同研究を行い、1965年には女性として初めて、パロマー天文台の観測時間を獲得した。そして、渦巻銀河が暗黒物質のハローに包まれていることを観測的に実証した。

スーザン・ジョスリン・ベル・バーネルは、1967年、ケンブリッジ大学大学院生時代、アントニー・ヒューイッシュらとともに電波望遠鏡の観測データのなかに非常に早く規則的に変化する電波信号を見つけた。当初、宇宙人からの通信ではないかと考えられたが、高速で回転する中性子星が電波源であることがわかった。1968年2月、5人の共著でパルサー発見の論文がネイチャーに発表された。1974年、パルサー発見の功績でヒューイッシュがノーベル物理学賞を受賞した。このことに驚いたフレッド・ホイルは、陰謀がなされたのではないかと騒いだ。当のジョスリンは騒動に加わらず、最終的に多くの賞を授けられ、2002年から王立天文学会会長を、2014年からエジンバラ王立天文学会会長を務めた。

小山ひさ子は1945年から50年間にわたり太陽黒点の観測と記録を続け、太陽の活動周期や長期の変動に関する研究に貢献している。私も学生時代、黒点観測を行っていたが、小山ひさ子の観測結果と比較したものである。直接面識はないが、その記録こそが良き師であった。林左絵子は、アポロ11号の月面着陸に触発され多くのSFを読み、星間雲内部で誕生する恒星・惑星の様子を研究するため、すばる望遠鏡プロジェクトに加わり、2017年には次世代超大型望遠鏡TMTプロジェクトに移った。






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最終更新日  2022.04.09 12:32:22
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