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「ナニが?」って感じですけど、イギリスの通称「レジデンツヴィザ」がこの日パスポートに貼られて送られてきました~。ということでmixiを始めてま~あったく更新してないこちらに記録として残しておこうと思いまして、、。経過としては1月にlife in the UK test を受けて、4月10日に送ったレジデンツビザの申請がスムーズに通って5月10日にビザとその他の書類とかが送り返されてきました。やはり750ポンド(日本円で15万円以上)払っただけあって以前よりは仕事が速くなっている様子。 これで仕事も自由に変えられるし、パートタイムで働けるし、職が無くなってもこっちにいたっていいし今までワークパーミットだったので税金やナショナルインシュアランス(国民保険??)は払ってももらえないことになっているベネフィットももらえる(予定はないけど:笑)。それにもう古いパスポートにあるビザを見せるのに持ち歩かんですむし、母が夏に来るので旅行の計画も本格的に立てられます。 ということで一番取れてよかったことは前よりももっと「自由」な気分になった事かな~。 取れてもっと飛び上がるほど嬉しいんかなと思ってたけど、他にも看護師の友達が去年このビザを取ってて「自分も大丈夫」という気持ちがどこかにあったのでとにかく取れて安心、パスポートが無事戻ってきて安心という気持ちです。
2008.05.10
ってうれしいのに風邪引いてすっきりしません、、、。明日の朝まで夜勤で夜出発の予定でぎちぎちに仕事詰めていたためかエネルギー消耗の様子。で病欠に寛大なイギリスの職場なので、うちのシスターが、「kiku今夜仕事来ない方がいいわ。」ということで休みをくれました。(というか近くでゲホゲホやられてうつったらそっちの方が迷惑だった!?)長期休暇前に病欠をもらうなんて申し訳ないやら、ありがたいやら、複雑ですね。(←日本人とにかくゆっくり休んで、あと荷物も詰めて(まだやってない!)日本に行きます。沢山知り合い、友達にも会いたいので楽しみです。
2007.03.26
今冬2回目の雪が降りました。前回もそうだったけど夜中に降ったので朝カーテンを開けてびっくりでした。今回はさらに一気に降ったようで同僚は2:30に起きて外を見たときには雪は降ってなかったと、、。で、それを話したのが朝7時。4時間の間にかなり降ったんですかね~。積雪は5~6センチだと思うんですけど、交通機関パニックです。特に電車や地下鉄が。バスは少し遅れましたが仕事には時間前に行けました。でも郊外の田舎に住む医者が道路が閉鎖というか使えなくて仕事に来れなかったり、いくつかの学校も休みになったりしたようです。日本じゃこれくらいで休みにはならんよね~など思いながら、夜カレッジのコースを取ってたので学校に着くと門も閉まって休みになってました。 オイオイ、、、。まあ、電話ででも確認しなかった私が悪いんですけど、、。近くのスーパーで買い物して帰りましたよ。(笑カメラを持って仕事に出なかったので写真が撮れなかったのが残念なのですが、朝早くから外に出ると全てが真っ白でとてもきれいでした。特にうちのホスピスがとてもきれいでこれを見れただけで早起きは三文の徳だわ~と思ったのでした。
2007.02.08
寒中お見舞い申し上げます♪2007年ももうすぐ2月になりますね。イギリスは先週1度雪が降ったりして寒かったのですが、また気温が上がってきてます。寒くないのはうれしいのですが、異常気象だと思うと「う~ん、、。」と唸ってしまいます。年末年始の事を今更書くのも遅いですが、クリスマスの夜勤の後は、友達の結婚お披露目パーティーに行った以外、(風邪を引いたのもありますが)家でのんびりしてました。友達のパーティーは、日本から着物を持ってきてお母さんが着付けをされたりと彼女やご家族は忙しかったと思いますがイギリス式パーティーに参加させてもらって楽しませていただきました。Nちゃんお疲れ様でした。準備中で忙しいかもしれないけど3月の本番も楽しんでね~。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~タイトルにした話題なんですけどイギリスにいる人はもう知ってる人のほうが多いだろうし、「なんじゃそれ?」と思ってるこんな物全く必要のない人も多いと思うんですが、まあ自分への覚え書きとしてココに残しとこうと思います。今私はワークパーミットという物を職場に申請してもらってホスピスで働いています。この期限は来年まで。で、来年の春にはイギリスでワークパーミットで働いて5年になるので通称「レジデンツビザ」と呼ばれる「indefinite leave to remain in the UK」という物が取れるはず。で、それに関してRCNと呼ばれるイギリスの看護協会の会報を最近読んだら、その手続きがまた変更になったということが書いてありました。ビザを取る前にLife in the UK Testという物を受け、合格点を取るとビザを申請できるという風になったとか、、、。また変更ですか~ という感じですけれども、イギリスもこれ以上移民を増やしたくないのが本音ですから仕方ないでしょう。私も一生この国にいるわけではないけれど、もう少し居るならこれがあった方がパートタイムで仕事をしながら学校に通ったり無理なく生活できそうだし、転職もワークパーミットの下りるのを待たずスムーズに始められるしと思ってたんですね。テストの内容が含まれた冊子が購入できるようなので買ってみようかと思ってますが、どんなもんでしょうね?もう人ごとのように「どんな内容なんだ?」とちょっとワクワクしてたりするんですが。(←アホ?)今年にでも受けてみようかなと思います。♪indefinite leave to remain in the UK のフォームはココからダウンロードです♪ さて、今年はやってみたい事が色々あるので初歩からですが進めていきたいです。Mixiの自己紹介のところに書いてあることがそれなんですけども、去年からの延長でもっと知識を増やしたいなと思います。それでは皆様、今年もお互い良い年にしましょうね。
2007.01.28
鬼が笑う、といいますが、、、。今日、日本から葉書が届きました。それもなんと年賀状!!さすがにこれは鬼も笑いすぎて気絶してるんじゃあなかろうか。(笑私はというと、、「、、、、、、、。早すぎるっちゅーの!!」 とも思いましたが、、、それはお友達のCHIiちゃんからだったので、、、、「この人ならこれくらいのことやってくれるだろう、、。」と変に納得してしまいました。ちなみにCHIiちゃん、あなたが日本にいるために遊んで上げられません、あしからず。その代わり、私がそちらに行った際には遊んでくだされ。chichicocoちゃんとこにも今日届いたのを知って、思わず書いてしまった今日の日記でした。
2006.11.30
あっという間に11月ですね。皆さんお元気でせうか?アウトドア行事が少なくなるこの時期、私は色々講習会など行きながら元気にやっております。1週間の有給休暇が終わったところですが、2日ほどバーミンガムのお友達の所にお邪魔して、後は本当に家でのーんびりしてましたわ。ところで、明日はガイフォークスDay(またはボンファイヤーナイト)と呼ばれるイギリスの行事(?)がある日です。この日は町のあちこちで人々が花火を上げます。本当はそれが基本なんですけどね、、これがすでに何日も前からあちこちで花火の音がします。それプラス10月の終わりにディワリというヒンドゥー暦のインドのお正月があって、(特に私の家の周りはインドとかその国周辺のアジア人が多いので)その時もかなり花火が上がってました。最近、家の周り花火三昧ですよ。(笑こちらの花火、家庭用花火なので日本のようにあまり美しくはないのですが、家庭用でも結構大きな物を打ち上げてるんですね。そしてスーパーとかで売ってるものや昼間に使われて捨てられている物を見ると、これが何連発ものよ(!?)というものが沢山、、。10個の筒が束にしてあったりとかホントに見るし、、。それだけ大きいし、こちらの若者、わるそー(子供の時、悪がきをこう言ってなかったっけ?)が多いので色々いたずらしてまわったり、この時期街は結構危険なのですよ。って、まあ普通に道を歩いてる分にはそこまではないかもしれないんですけどね。でもやっぱり大きな音にビビリながら準夜勤の帰り道は急ぎ足でした。(笑ということで、この時期テレビのコマーシャルでも、「いたずら防止キャンペーン!」のような物が時々見られます。私が見たのは、鏡の前でメイクをしている女の子の横顔が写って、「以前はお化粧しようなんて思いもしなかった、、。」って言うんですね。その後回想シーンで、その子を含む何人かの10代の子供が花火でいたずらをしながら街を走り回ってると花火がその女の子のすぐ横で爆発、、。で、そこで回想シーンが終わって、カメラが彼女の反対の顔を映し出すと、その花火のやけどですごい痕が残っていた。で、その子が一言、「でも、今はメイクをするのにすごい時間をかけてるの、、。」最後に、花火でいたずらしてまわらないように という一文が現れる、という物。う~ん、恐いですね。これ系のコマーシャルはイギリスではよく見かけるもので、見てる人に恐怖心をおこさせて、気をつけさせようというものらしい。(と私はいつも見ていて思うのだけれど。)この、急に暗くなって気分が滅入るイギリスの冬の初めに楽しむイベントがあるのはいいことですが、ほどほどにと言う事ですねー。イギリスにいる皆さん、この時期花火に気をつけてくださいね~。(私も含めて:笑)
2006.11.04
えー唐突ですが、わたくし生まれも育ちも福岡県です。その中でも北九といわれる地域出身です。博多方面の人からは、「福岡のどこなん?」と聞かれ「北九っちゃね。」とでも言おうものなら「あー北九、、、。」と「ちょっと違う、、。」と言いたそうな感じを受けます。(笑そんな風に地域によって方言も少しづつ違ってきます。(って、どんな風?)私もイギリスに来て他の都道府県の人とお知り合いになっても、仲良くなると方言丸出しで話すので結構面白がられているのですが、、。最近日本語を話す機会さえ少なくなっているので、ココに自分で忘れないように例文を書いてみようかと、、。(他のホームページも参考にしてできるだけ沢山北九弁集めてみました。でも九州のほかの地域と重なるものもあるのかもしれませんが、、。)「これ小銭にこまめて。」(両替して)「今日仕事大変やったっちゃ。」(だったのよ)「今日面白い事があったんばい。」(あったのよ)「今日はぬくいね~。」(あたたかいね)「私、お化け屋敷とかすかんっちゃね。」(きらいなのよね)「あんた、なんしよん?」(何をしているの)「この袋きびっとってね。」(結んでおいてね)「もー、しゃーしーねー!」(うるさい)「この服穴がほげとーよ。」(穴が開いてるよ)「きさん、なんしよーとか!」(お前、何をしてるんだ)「これ、引き出しになおしとって。」(しまっておいて)「壁になんかかりなさんな。」(もたれかかるな)「車運転しきらんと。」(できないの)「誰か外でおらびよるよ。」(さけんでるよ)A:「そこの席とっとーと。」(そこの席とってあるのよ)B:「あ?こことっとーと?」(え?こことってあるの?)A:「そうっちゃ。それとっとーんやけ、あたしの席ばい。」 (そうよ。そこ取ってるんだから私の席よ)などなど、、、。こんなもんでしょうか??う~ん、まだあるような気がするけど、まあ家の父親は博多寄りの地域出身だったんでまた違う方言が家では使われていたし、、、。何か他に思い出した人はコメント下さるとうれしいです。と、まあ、色んな九州弁のホームページを見ながらへらへら笑っていて、このおかしさを誰かと分かち合わなければ!と、急いで隣を見ると、、、、そこには日本語さえほとんど理解しないハンガリー人の彼がいました。なんだかちょっとこの面白さを分かち合えない事に「がーん、、、、!」とショックを受けてしまったkikuでした、、、。(笑
2006.10.09

最近また日本に帰国する友人達がいる。すぐに会えなくなるのは寂しいのだけれどどこにいても皆がそれぞれの幸せを見つけて生活していればそれが何より一番大切なんだなーと思い直してみる。みんな体に気をつけてね。またいつか会えるのを楽しみにしてるよ。
2006.09.24

今日はすでにイギリスへ戻る日だけれども夕方まで時間があるので妹の彼の車で買い物に連れて行ってもらえることになった。その前に彼のもう一人のおばあちゃんの所へ。昔話を彼の通訳を通して聴いて短い時間を過ごした。その後彼の実家を出る前に犬と猫にご挨拶。(笑彼が本を買いたいと言う事でショッピングセンターに行った後、とても大きいテスコ(イギリス発祥のスーパーマーケット)へ。あまり時間がなかったので、急いでハンガリーワイン、トカイワイン、パーリンカ、ソーセージ、パプリカチップス、フォアグラの缶詰、トゥーロォーロォーディを買う。その後飛行場まで送ってもらってサヨナラを言い、ガドウィックに飛んだ。たった2泊だったけれど彼の家族みんなの親切で充実した旅行になった。
2006.08.02

夜勤があけた昨日の夜ガドウィックからハンガリーへ。一足先に里帰り中の彼と彼のお父さんが車で迎えに来てくれました。夜の10時にハンガリーに着いたのでおうちに着いたのが11時くらい。彼のお母さんはハンガリーの家庭料理を用意して待っていてくれました。お腹はあまり空いてなかったので味見程度に少しずつ頂きました。どれもなかなか美味しかった!その後は皆で話をして夜中を過ぎてから就寝。さてこの日は火曜日なのでご両親はお仕事。運良く休みが取れた彼の弟が車を出してくれて観光に連れて行ってくれることになりました。まずはケチケメートという街へ。ココは学校が多くて学生の街名のだけど今は夏休み中で若者の姿は見えなかった。高校がない小さな村出身の彼も彼の弟もこの街で学生生活を過ごしたということ。教会が4つほど立っている広場へ行って、「そうだ、写真を撮ろう!」と思ったのはいいが、スイッチオンしたらメモリーカードが入ってませんだった。ショック!それでも彼の携帯を借りて何枚か写真を撮ってきた。下はケチケメートの教会のうちの2つ。教会なのになぜかカラフルだった。ちょうど12時だったので鐘の音をボーッと聞いて、「この街は見るところってこんなもんなんだよねー。」という事だったので、それからまた車でブダペストへ移動。車を降りてドナウ川に架かるくさり橋、王宮の方へ歩く。ケーブルカーに乗って丘の上にある宮殿まで上がってうろうろ、、。またボーッとした後は彼の祖父母宅でディナーの予定だったので坂を下りて車で弟の家へ。弟の彼女をピックアップして家に戻った。両親、弟カップル、妹カップルと私たちが揃った後にすぐ近くの祖父母宅へ。チェリーをメインにしたフルーツの冷たいスープから始まって、メインには山盛りの色んなお肉のフライ、デザートにはカッテージチーズやチェリーのパイ。全てハンガリーの典型的家庭料理。で、メインを食べ始めた所で、「何か視線を感じる、、、。」と思って他を見ると皆が私を見ていた。彼に、「みんな私を見てるんだけど、、。」と言うと、「そうだよ、みんな君がハンガリー料理が好きか心配してるんだよ。」(笑 と言われました。食事の後は庭でのんびり、みんな英語を話さないので全て彼が通訳して日本の事なんかも話してみました。そんな感じで夜は更けて、家へ戻った後また皆でお茶を飲んだりした後就寝。
2006.08.01
今週のイギリスはとても暑いです。ロンドンは今日の最高気温は37度!今年の最高気温らしい。日本に比べれば湿度はやや低めですが、何と言っても問題なのが建物でクーラーがあるところが極端に少ないこと、、、。バス、地下鉄もクーラーなくて蒸し風呂のよう、、。今ニュースで地下鉄の中は47度だったと言ってて、中の様子を写してたけど皆平気な顔で乗ってた。うわ~、バスだけでもクラクラしそうだったのに、こんな日に絶対地下鉄乗りたくないぞ。でもTVテキストで今のイギリス各地の気温をチェックしたら、さすがにスコットランドは20度前半の所が多かった。私は朝から3時まで仕事だったけどクーラーがあるのが薬庫と小さなキッチン。他は暑くて暑くて仕方なかった。患者さんも扇風機だけで大変だ。まあこれも長くは続かず、雨が降って気温が下がって、夏でも薄い上着を持って出かけなければ寒い日があったりするのだけど。
2006.07.19

最近仕事の内容がヘビーで何か癒しが欲しかったので「海を見に行く」という理由でこの日休みを利用してBrightonに初めて行ってみました。 私の父は海の近くで育ったので、小さい頃は父の実家へ行けば海を見ていたし、夏の海水浴も毎年行ってました。父は酔っ払うとよく「我は海の子白波の~♪」とお風呂で歌ってました。(笑そのせいか私も海が大好きで、スキューバダイビングにもはまりました。海に行くと亡くなった父を思い出します。 ブライトンの話に戻りますが、そこは砂浜ではなく小石が敷き詰められた浜になっています。砂だらけにならなくていいのかもしれませんがなんかちょっとちがうような気もします。(笑写真で見られるように天気が良くて、たくさんの人が甲羅干しをしていました。海に浸かってる人もいましたが、入ったとたん「ひ~!」って感じで叫んでいる人もいて、イギリスだけあってさすがに水は冷たいようです。お昼はブライトンピアにあるレストランでお決まりのフィッシュ&チップスをいただきました。お魚おいしかったですよ。^^ ブライトンまで来たのでやはりロイヤルパビリオンも見ておこうということで行ってみると中庭の方でブラスバンドの方達がジャズを演奏してました。たくさんの人が芝生に座りリラックスして音楽を楽しんでました。行き帰りコーチ(長距離バス)を利用しましたが、行きはなぜかバスに乗れる2倍の人数の人がブッキングしてたようで初めのバスには「乗れないよ」と断られ、30分待って2台目に乗り込みました(会社のミスなのか故意なのかは不明、、)。帰りはバスに乗り込むと異様に暑くて「走り出したらクーラーが効くかな。」と悠長に考えていたらこれまたバスの運転手が「クーラーガスが切れててクーラー使えないんだよ。」と信じられない言葉を発したのでした、、、。拭いてくるのは暖かい風、、、。もう、イギリスでのこういうハプニングなんてあって当たり前で怒るのもエネルギーがもったいないです。(笑すごい暑かったけど走り出すとそうでもなかったので生きて帰れましたがご老人が何人か乗ってて生きたまま帰り着くのかちょっと心配してみたりしました。(笑こんな事もありましたが、なかなか楽しい週末でした。
2006.07.02

有給を使って彼とイタリアに行ってきた。17日の朝ガドウィック空港からヴェネチアに飛び、近郊の町Mestreにあるホテルに泊まった。インターネットを通して予約した3つ星ホテル、それくらいのレベルが当たり外れが多いと聞いていたがココは新しくてなかなか良かった。泊まったのはここココから路線バスでヴェネチアまで20-30分ぐらいだったかな?朝食を取り、ホテル近くのバス停からベニスへ。聞いてはいたけど、やはり有名な場所だけあってバスは人でいっぱい。街もたくさんの観光客でにぎわっていた。何処に行こうか~、ということでやはりメインのサン・マルコ広場へ。ゴンドラには乗らなかったけど、便利な水上バスの24時間チケットを買って移動しました。番号があって何処に行くかが一目で分かります。(でも間違った路線に乗ったりしたハンガリー+日本人2人組、、、)写真でもちょっと分かるようにすごい人で大聖堂に入るのにもすごい行列になっていた。その日はすごく暑くて外で待つのはちょっと、、、とこらえ性のない2人はその中には入らなかった。その代わりドゥカーレ宮殿に入り、隣接している牢獄に渡る有名なため息の橋を渡ってみる。きらびやかな宮殿から一転して寒々しい牢獄へ向かう橋は結構狭くできていた。昼食は適当にレストランへ入ってパスタとピザを食べる。結構何処へ入っても食事はおいしくてハッピーだった。コーヒー好きな彼は何処へいってもエスプレッソを頼んでいた。料金が高いと聞いていたゴンドラ、またベネツィアに来る事があったら乗ってみようかな?その前に地球温暖化でこの街が海に沈まないように個人でやれる事に取り組まないとな~と思ったのでした。
2006.06.18

昨日ハンガリーから彼が戻ってきました。行く前から、「何かハンガリーからほしいものある?」と言っていたのですが、8月に行くことになってるしこれと言って思い当たらなかったので「特にないよ。」と言っておきました。昨日帰ってきて、友達から頼まれたベーコン、ソーセージ、向こう特有のフルーツなどから作るウォッカのようなお酒パーリンカ、本、タバコなどなどもって帰ってきていました。そして私にも何かお土産と思ったらしく持って帰ってきたのがこれ。 マジパンチョコ!って、珍しくないですか?以前、冗談で「今度ハンガリーに行ったらマジパンチョコ買おーっと。」と言ってたのを覚えていたらしく、買って来てくれました、、、。が、ヨーロッパのお菓子にありがちな劇甘かな~とちょっと心配。恐る恐る口にしてみましたが、これがさっぱりした甘さでまずまずおいしかったんですよ! 写真のようにダークチョコレートに包まれて上の層が色んな味(オレンジ、コーヒー、ナッツ、ミルクチョコ味)のソフトチョコ、下の層がマジパンなんです。2種類買って来てくれましたが女の人の絵が付いたほうがさっぱりしてて私の好みでした。 でもハート型と、長方形の物も中にアーモンドスライスが混ざっててなかなかでしたよ。この私が気に入った方のマジパンを作ってる会社はマジパン博物館を持っているようです。(地球の歩きかた参照:笑)ハンガリーでのマジパン作りの老舗ですね。そして、彼が自分用に買ってきたのがこれ、私たちの年代のハンガリー人が大好きなお菓子。 トゥーロォーロォーディ (発音から言うとこんな感じ、、) 彼らが子供の頃はおいしい輸入チョコレートなんかなくてチョコのお菓子といったらこれだったらしいです。ハンガリーのその年代の人たちには今でも人気らしいのですが、他の人には、、、らしいです。私も一度食べました。中身は円柱型のダークチョコレートでコーティングされたカッテージチーズ状またはまたはヨーグルトがもっと固形化したもの。これもさわやかな感じで、ひどく甘いことはないです。まあ、子供が好むような駄菓子(?)でしょうか。ハンガリーのスーパーでは乳製品売り場(要冷蔵ですので)に売ってるようですよ。ちなみにホームページ上にトゥーロォーロォーディファン用のサイトもあります。(笑お土産としては、他にもフォアグラのパテ、パプリカ、蜂蜜、サラミ、プロポリスなどなど有名な物もありますが、ハンガリーに行かれた際には話の種にマジパンとトゥーロォーロォーディもぜひ一度お試しください。
2006.06.13
アニ~さんに返事書いてて思い出した、、、。最近聞いたあきれたGP(General Practitioner:イギリスで病気になって最初にかかる家庭医で全ての科の病気を見なくてはならない。自分で手に負えないものは総合病院の専門の科に紹介する。逆に言えば救急でない限りGPを通さなければ専門医に会えない)の話。ある日職場に行くと同僚のおでこに数個の赤くなって破れたにきびの痕のような物が、、。とても痛くて夜眠れなくて耳下腺も腫れているらしい。でも、GPにかかっても、「それはただのにきびだよ、Dear。」(でたイギリス式Dear攻撃!)と言われたらしい。結局お医者さんとスペシャリストナースである親戚の家に仕事が終わったその日の午後行ったところ、「わ~!あんたそれ帯状疱疹やん!」と言われたらしい、、、。、、、、、、、、、、、、、、、、、。 イギリスのGPなんてこんな感じです。そりゃあ、ホスピスにもGPになるために6ヶ月研修に来る医師がいるし、On-CallはGPがすることもあって、その中にはとてもいい医師がいます。そうじゃない方もいます、、、。それは日本でもイギリスでも同じでしょう。でも結局1人の医者が全ての病気を網羅して診断・治療・または専門医に振り分けるなどするのにはかなり無理があると思うんですよねー。 というわけで当の本人の同僚はその後またGPへ戻り、薬を処方してもらい、2週間のOff-Sickを取っています。
2006.06.05
昨日歯医者に行きました。元々私は永久歯が生え揃ってからは歯医者とはあまり縁のない人間で、ココ最近は1年に一回日本に帰ってチェックしてもらうだけだったのですが、おととい歯にかぶせていた物が取れてしまい行かざるを得なくなりました、、。さて、イギリスでのGP登録は済ませているものの歯医者の事は良く分かってなかった私、、。イギリス人に、歯科医院にNHS患者として登録できるだの、、NHS患者は6ヶ月ごとにチェックアップに行かないとリストから削除されるだの、、プライベートで治療しただの、、色々な情報をちょこっとずつ手に入れてるだけで本当のところどういうシステムになってるのかよくわかってなかった、、。まあ、つい最近(ホントに最近)彼の虫歯がMAXに悪くなりほっぺがプックリというか、ボッコリ腫れあがってしまい、あわてて近所のどこら辺に歯科医があるのかインターネットで調べました。ここでGP検索、歯科医検索などできます。その時、今年からNHS歯科医の制度がちょっと変わったというのは見たんだけどー、ホスピスの近くに大きめの審美歯科もやってるところがあったよなーと思い、予約がてらどうなってるのか聴きに行きました。歯科衛生士のおねーちゃん(白人、アクセントから言うとエゲレス人ではない)に聞くところによると、、「NHS患者として登録できるけどNHS治療は2週間待ちよ。」(いや、そんなに待てないから!)「もしエマージェンシーのプライベートで取れたものを戻したとして25ポンドね。」待ってられないし、払えない額ではないのでプライベートで見てもらうことにしました。プライベート治療費リストによると日本で普通に使う金歯や白金の詰め物を作ってもらって入れるのに何百ポンド(金額忘れちゃったけど)!高いわーやっぱり。ということで、翌日仕事が終わって行きました。お医者さんはでっかいアフリカ人でした。やはりロンドン衛生士も医師もイギリス人ではない、、。(ちなみに彼の行った所はインド人医師だったそうな)日本人歯科医としか接触がない私、、。「この人ホントに治療できるんだべか?」とちょっと不安。名前が呼ばれて治療室に入ると日本で見る歯科医の治療用イスがやはりココにもありました。(何かやしい年代物が出てくるかと期待していたけどちょっと残念:笑)医師に私の歯から取れたものを渡すと、「お~プレゼントかい?ありがと~!」とちょっとジョークを言ってみたりしてます。衛生士のおねーちゃんが、「それが取れちゃったんだって。それを戻してほしいらしいわよ。」と説明。そのあと私が、「もし戻すだけでいいんだったらそうして。何か治療がいるんだったら言ってください。」と付け加えました。医師が、「これはどこで治療したの?」と聞いてきたので、「日本。」というと彼は、おねーちゃんに、「君、見てみろよ。日本の歯科技術は発展してるんだよ。普通にこんな白金を使って治療してそれが取れたといったってその下だって全く虫歯になってないんだから!イギリスのNHSでははあんな詰め物なんか使って(日本で治療途中に詰め物として使うようなもの)ホントにクレイジーなんだもんな~!」と嘆いてました。(笑私は心の中で、「おお、チミよく分かってるでわないか、、、。」と自分はただやってもらった側だというのにちょっと得意げ(笑。まあ、私が日本でかかった歯科医は仕事場つながりの先輩お勧めの人だったので、曲者でしたがすばらしい歯科医でしたからねー。ということで、取れたものをとりあえずそのまま戻してもらい、歯のチェッククリーニングをやってもらい合計60ポンドお支払いでした。帰り際に医師が一言言いました、「Toffy(キャラメル)には近づかないようにねー。」
2006.06.02
昨日の9時過ぎ家に到着。やっぱり長旅は疲れます。といいながらもう夜中の2時過ぎ、、。時差ぼけで眠れませんね! 昨日の旅は更にお土産を買い、食べて、寝るの繰り返しでした。(笑飛行機の中で食べたというのに、韓国に付いたら「やっぱり韓国料理食べないとね!」とキムチゲを食べ、免税店では韓国人の売り子のおねーさんの「お客様~!お客様~!」と呼びかけ、商品を売り込むパワーに圧倒され、(そして思わず海苔とキムチをかってしまう私、、、)飛行機内ではスチュワーデスさんの「本日は○韓航空をご使用いただきまことにありがとうごじゃいました!」にちょっと笑わせていただき、(韓国の方「ざじずぜぞ」の発音が難しいようですね。)疲れたけど楽しい旅でごじゃいました。
2006.03.19

いつも日本に帰るときに悩むのはお土産ですねー。無難なのは紅茶、チョコレートなんかがありますがいつもそれでは芸がないような気がする、、、。(でもチョコも買ってしまったんですが:笑)ということで今回選んでみたのが、インドカレーのペースト瓶詰め!です。 インド、スリランカ、パキスタン系の移民が多いイギリスではインド料理レストランがたくさんあります。そしてそっち系の人が多く住んでるのでそういう食材もフツーのスーパーに色々と置いてるんですね。これ結構いいんですよ。以前住んでたシェアハウスに一緒の時期にいたスリランカ人も使ってました。まあ、向こうの人で料理のできる人は色んなスパイスをたくさん持ってて調合して自分なりのカレーを作るので、基本的にこういうペーストは使わないんですけど、あまり料理しない人にはお手軽に国の味が楽しめるということでしょうねー。何種類かのカレー(コーマ、ティカマサラ、マドラスなどなど)があって、それぞれ味や辛さが違う。イギリス人用にそんなに辛くないだろうと思ってマドラス=Hotを買ってみたらめちゃくちゃ辛かった! やはり本格派なのでしょうね。でもおいしいんですよねー。そして、瓶詰めに合わせてこれも買ってみました。チャパティー! って強調する事もないんですが、、。(笑まあ、これは買ったことがないのでおいしいか分からないんですけど、、、。ということで4夜勤が今朝で終わり、明日から3週間強日本です。ホリデーメインではなく用があって帰るのですが、日本に帰れるだけで楽しくなってきますね。今回福岡に帰るのに便利な○韓航空が取れたので、ビビンバ食べるぞー!と張り切っております。余談ですが、以前○韓使った時の朝食時、あまり食べれなくて手をつけなかったら、隣に座ってた韓国人の50~60代くらいのおばちゃんが、「あんたこれ食べないの?」というようなことを韓国語で話しかけてきて、「いらないんだったら貰うわよ。」というような事を聞いてきたので、圧倒されながらも「ああ、どうぞー、、、。」とジェスチャーで会話した事があります。(笑隣の人の食べ物まで貰おうとする人今まで見たことないよ!とびっくりでした。日本のおばちゃんたちもそんなこと聞くのかなー?いや韓国のおばちゃんだからかなー?と色々思いをめぐらせてしまいました。それでは日本のお友達、帰ったら連絡するのでよろしくねー。
2006.03.17
みなさんこんにちは、このところ働きづめだったのでお疲れ気味でしたが、昨日今日の休みで復活傾向のフィービーです。早速ボイラー修理の話題に移りますが、結果は、直りましたよ。て言うか、きちんと仕事させました。もうホントに今回最初にやってきた20代前半イギリス人修理人(Aとしましょう)にはあきれさせていただきました。前回書いていた日、昼まではいくら待っても誰も連絡してこないし、誰も来ませんでした。私は午後から仕事だったのでMが仕事場から昼休みを使って帰ってきました。(と私は思ってたんだけど結局MはこのAのせいで無意味な2日間の有給を使う羽目になります。)で、Mは仕事場に戻るのも諦め、待つ事午後の4時過ぎ、修理人Aがやってきました。そしてボイラーに直行し、なにやらチューブの交換をしました。その間15分ほど、、、。そして、「屋根裏にある配管をチェックしないといけない」と言います。M「はい、どうぞ。はしごもここにあるよ。」A「これじゃだめだなー。ちゃんとしたのがないと上れないよ。(Aは背が低かったので家にあるはしごでは短かすぎた)今日ははしご持って来てないし、他に必要なパーツも持ってこないといけないから、また明日12時過ぎに来るよ。」何で修理に必要な物も持たずにやって来るかなーと思いつつ、次の日も私は午後から仕事だったしMは仕事なので午前中にこれないかと言ってみたのですが、午前中は他の場所に行かないと行けないと言われました。まだまだ寒いし早く修理してもらいたかったのでMは明日の午後ということで約束をしました。1日目15分でヒーティング直らずに終了。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2日目、Mは仕事を半日で終了しまた戻ってきました。そして待ちました。また、午後の4時まで。A、はしごと必要なパーツを持ってきました。そして屋根裏へ上がります。A:「アイソレーション(室内の温度を外気と遮断するためのスポンジ様の敷物)がひいてあるから、誰か同僚を連れてこないと修理できないよ。」M:(また明日来ると言い出しそうなAを引き止めなければと、)「ああ、大丈夫。僕が持っててあげるから、その間に修理しちゃってよ。」A:「OK。でもライトも必要なんだよね。朝修理に行った所に忘れちゃって。(←ホントか)だから今日はできないな。」M:(絶対修理してもらうぞ!)「それなら店がすぐそこにあるから僕がライト買ってくるよ。10分待っててくれたらすぐ帰ってくるから。」A:「OK。じゃあ、俺ちょっとやらなければならないことがあって30分でもどってくるから。」ということで2人とも家を後にします。M、約束どおりライトを買ってもどってきましたが、待っても待ってもAはもどってきません。6時を過ぎてMはB.gasのお客様サービスに電話しました。その人はすぐにMをAのモバイルにつなげてくれました。M:「Mだけどどこにいるんだ?30分で帰ってくるって言ったよね?」A:「ああ、何度も電話してたんだよ。今日はもう行けないと伝えようと思って。」Aはそう言いますがMはモバイルを持って出かけました。家の電話もMが帰ってきてから1度も鳴っていません。Mは今日やってもらわないと困るんだと訴えましたが、もう今日は仕事時間が終わったから来れないと全くやる気のない修理人A。さすがイギリス人、サボるためには何とでも言います。Aはパーツもはしごも全て置いて帰ってしまったのでした。ということで2日目も直らず終了。しかし、このままでは終わらせません。M、カスタマーサービスにすぐに電話して苦情を言います。でも、ココはイギリス。一筋縄ではすぐに対応してくれません。この時点でもう木曜日。明日は2人とも仕事。土曜日ならと言ってみますがB.gasは「土曜日は緊急時対応なので、、、。」と、、。でも、これは立派な緊急事態だっていうの!あんたたちの雇ってる人間がレイジーで仕事もきちんとやろうとしないからこんなことになるんでしょう??ホントにもう、、、。埒が明かないので、大家さんから苦情係の人に話をしてもらいました。で、その人から、土曜日午前中に修理人を派遣するから。そしてAには戒告処分しますから。すみませんでしたー。とMに電話があったみたいです。でも、苦情係の人が言うにはAは「家具が邪魔して1人じゃ修理ができなかったからもう1人必要だと思って今日は修理できなかった。」と大嘘をついていたそうです。当然ですが、すごく温和なMも「もうあの修理人は絶対よこさないで」と言ったと言ってました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー土曜日、私は朝から仕事。Mが修理人を待ちました。11:30AMに2人の若い修理人たちがやってきました。そして30分ほどでお仕事終了。こんなに短い時間で終わったのに、あの2日間はなんだったんでしょうか??その後外の強風が影響して種火が消えてしまう事態が起きて、もう一度修理人に来てもらうことになりましたが、それは大事にはならず。今は快適にヒーティングもお湯も使えてるので良しとしますが、イギリスで日本で思う「普通」に暮らすのはなかなか大変ですよー。(笑
2006.03.06
おとといの夜「なんだかボイラーが変な音立ててるなー。」と思ってたのですが、あまり気にしてなかったら昨日の朝動いてない事に気がつきました。早速B.Gasへ電話。今日修理に来てくれるという事だけど、ホントに来るのか??設定時間は朝8時~12時の間。以前大家さんがラジエーターの交換の見積もりをしてもらいたいということで、私に家にいてくれと頼んだ時は1回キャンセルされたし。すでにもうすぐ10時だし、、、。う~ん、やっぱり信用ならないイギリスのサービス業。まあ、ラッキーだったのが1つ電気で動くラジエーターがあるのと、リビングにガスで尽く暖炉があるのと、シャワーが電気な事。昨日はリビングのソファベッドで寝たし、今のところ生活上大きな問題はないのだけど、、。でも、まだまだ寒いイギリス、昨日は昼間4度だったし。早く修理してもらうに越した事はない。早く修理の人来ないかな~。
2006.02.22
いつものようにかなり久しぶりに更新してますが、皆様お元気でしょうか?Phoebeは12月のお引越しを終わらせ、クリスマスが入ってしまったので色々とフラットの環境を整えるのに時間がかかりましたが、1月半ばぐらいから落ち着いて生活できるようになりました。まあ、手続きとかで細かな事がチョコチョコありましたが、、。何回か彼の友達や私の友達を呼んで食事をしたりしましたが、私たちのフラット皆さんにはなかなか好評でした。^^がんばってくつろげる素敵なお家をめざしてレイキでも環境の浄化を試してみた甲斐があるというものです。ふふ、、。(←ブキミ:笑ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさて、久しぶりに更新と同時に久しぶりにお仕事中のお話でも書きたいなあと思います。ホスピスでの仕事というより一般的なことですが。さっきCHIiさんの日記読んで同感だったので、ココでトラックバックさせてもらいました。私、日本でNICU勤務でした。特殊な環境で、家族の入室面会は両親のみ。他の家族は窓越し面会と言う事でベランダ(病棟が4階にあってホントに外にあるベランダ)に出てもらい外から赤ちゃんの様子を見るというものでした。私が働いてた病院はかなり古くて、近代的な病院なら廊下に面会用窓があってそこから面会というところがそういうものはなかったのです。何年も前に辞めたので今は色々と違うだろうし、病院によっても決まりは変わってくると思いますが、、。それは余談として、、。そして電話応対なのですが、電話での状態説明も午後何時~何時までにお願いします。としっかり入院時のパンフレットに書かれていました。電話をかけてくるのは大体お母さんで、それでも電話ではあまり詳しい説明は避けて赤ちゃんの体重、簡単な今日の様子を伝える程度でした。日本では、マナーの本(笑 にも書いてあるのを読んだ事がありますが、一般常識として友達や親戚などが入院した時はまず直接の家族に状態を聞いたり、面会にいけるか確認したりするものだったような気がします。家族だったとしてもまずよほどのことがない限り誰かが毎日病院に面会に行くので、その家族に状態を確認して、病棟スタッフに電話で状態を聞くということはほとんどなかったと思うのです。がですよ、イギリスではですね、そんな常識はありませんから。(いや、残念~!とは言いませんが:古い?)ホントにその患者さんに関わる色んな人から電話がかかってきます。「娘(息子、いとこ、友達、近所に住んでる者)ですが誰々の状態はどうですか??」または友達や近所の人だと「入院してると聞いたんだけど状態はどうなんですか?」まだ家族なら説明のし様があるんですが、近所の人ですか、、?って思いませんか?まあ、こちらには年をとっても1人で頑張って暮らしているご老人をサポートしているご近所さんもいたりしますのでむげにはできないのですが、、。一度家族でない人(たぶんご近所さんだった)から患者さんの様子を確認する電話がかかってきました。その患者さんは近くに家族も住んでる方だったし、家族でない人に状態説明する事は(特に電話では)個人のプライバシーを守る事に反しているので、家族でない事を確認した後で、「すみませんが家族でない方に説明はできないことになってますので。家族の方に確認してもらえますか?」と丁寧に伝えました。これが普通の対応だと思うのですが、、、。すると、そのご近所さん「じゃあ、今ココで私が○○さんの娘だと言えばあなたは私に彼女の状態を教えるのよね??まあ、そんなことはしないけど。」と逆切れ状態でした。私は、「(いや、そんな事言われても、、、。)、、、何と言っていいか分からないですけど、、。そうかも知れませんね。」と答えました。その方、すぐに引き下がってくれたので良かったですけどね。またあるとき家族からの電話がありました。「○○の娘ですが今日の朝の状態はどうですか?」と良くある電話です。私は簡単にその患者さんの状態を説明しました。すると彼女はこう言いました。「そうですか。じゃあ午後に面会に行きますから。Thank you!」って、じゃあ来てから状態聞いてくれないかな~。もし何か状態に変化あれば電話するのに、、、。ホスピスだし、状態がとても悪い患者さんなら朝起きて心配で電話してくるのも分かるんですけど、そうでもないし~。電話に出るのにやってる仕事中断しないといけないんだよ~。ブツブツ、、。と思ってしまうPhoebeでした。イギリスまたは日本の病院で働いてる方、こういう経験ありますか??
2006.02.10
さて8日にエージェンシーと大家さんに会ってデポジットと家賃を払い、鍵も貰ったので10日にホントに引越しです。フラットメイトのMの働く会社からバンを借り、Mの友達が運転してくれるという事でスムーズに事が運んでいます。でもはっきり行ってまだ私荷物ほとんど詰めてません。で、本、CD,DVD詰めてみました。3箱になって疲れてギブアップ。(軟弱者の私)他に服とか靴とか、キッチンものとか電化製品とか、、、。一体どのくらいの荷物になるんだろう??北西の町からここに引っ越してきた時レンタカーを借りて、友達に頼んで2人で交代で運転してきたけど大きなセダンがいっぱいになってしまったもんなー。今回絶対それより物増えてるし、、。________ところで、今日書きたいのは手付金を払うときにエージェントに会った時の事。住みたいフラットを決め、エージェントへ連絡し「じゃあ明日○○駅のとこで待ってるんで電話してね。」と言われ私たちが着いてすぐ電話。オフィスはちょっと遠くにあるのでもう一つの仮のオフィスで色々説明するから、とジョンに車でその場所まで連れて行ってもらった。コントラクトとリファレンス用紙を見せてもらい、フラットメイトのMと私、どちらも手付金を払う準備も万端でやって来たのに、Mが「じゃあ、コントラクトをもう一度読んでからリファレンスを書いて明日連絡するから。」と言い出した。私は「(何で今更そんなこと言ってんの?借りる気満々だったやん??)」と焦って、「え?でも今払わないでもし他の人か手付金払ったら借りれなくなるよ!?」と言ってみたけど(ちょっと半泣き:笑)、Mは黙っているのだった。ジョンは「今日は誰も見る人がいないし明日でも大丈夫だよ。」と気を使って言ってくれたのでしぶしぶ明日払うという事にしたのだけれど、どうもMの様子がおかしい、、。外に出てジョンがいなくなった間に、Mが話しだした。M:「フィービーごめん。でもチェックしてから契約した方がいいと思うんだよ。どうも彼は信用できない、、。」私:「は?信用できんってなにが??」Mが言うには、まず仮のオフィスと言ったって机にTV、コンピューター。がらんどうのような片付いてないフラットにクライアントを通して契約をしようとするなんて常識外れだ!そして車に乗ったときに匂った、タバコと違う種類の煙のにおい。(はい分かる人には分かりますね、、。)とにかくなんだか信用できない。もし彼が偽エージェントで客からお金を騙し取ってるなら1週間に何百ポンドも稼げていい仕事だと、、。セールスマネージメントをしているMは色々なお客に対応しているようで、「もしスタッフの誰かがその客に疑問を抱いた時には絶対に物は売らないで、その客の事を調べるんだ。」ということ、、、。確かに私もなんだか汚いフラットを仮オフィスに使ってるな~とは思ったけれど、そこまで深読みするなんて思ってもみなかった。どうも私だまされやすい性質なんだよね~なんて思いながら、、。まあMがうんと言わなければ私も動けないわけだし、彼が明日信用できる証拠を見つけて大丈夫なら契約しようという事になった。_________さて、次の日。ジョンから電話があり11時に大家さんと話さないといけないと言う。とりあえずMが電話するからと伝え、Mにテキストを送る。が、いつまで経っても返事なし、、。やっと11時過ぎに電話が来て、ジョンがきちんとしたエージェントだという証拠がつかめなかったので彼のオフィスの受付女性に(ビジネスをする際に持たなければならない?私も詳しい事は分からないんだけど、、。)レジスターナンバーはあるか聞いてみたらしい。でもその女性は、「そういうことは直接本人と話をしてください。」と、。ということでMくん直接ジョンに電話、、。M「(前省略)ところで会社のレジスターナンバーを教えてほしいんだけど。」ジョン「いや、僕はそれは持ってないけど。」M「ビジネスをやってる会社がなんで持ってないの!?それはおかしいんじゃない?」ジョン「は?何でって、今までそんなこと聞かれたことないんだけど!!」M「じゃあ、今日大家から鍵を借りてフラットで手続きができるならそれでもいいけど。」ジョン「そんなの急に言ったってIMPOSSIBLEだって!」とそうこうやるうちに、ジョンが「アーもう信用できないならいいよ!」と電話を一方的に切ったらしい。Mは「ごめん、僕もあのフラットに住みたいけど、あいつはただのJokerだよ、、。」と、、。私のほうは全くビジネスに関しては素人なので、駄目になったなら仕方ない次を探すか、と思っていたのだけれど、またすぐにMから電話が入った。ジョンが大家さんと話をつけて、その日、フラットでジョンと大家さんとも会うことになったらしい。まあ、この時点でもMはジョンをまだ信用してなかったんだけど、、。結局、その日の夕方までにMが同僚の知り合いの他のプロパティーエージェンシーの人からジョンの情報を得て、「ジョンはきちんとしたエージェンシーだ。」というお墨付きをもらい、大家さんとも会い、全て問題なしということだったんだけど(笑。疑われたジョンと、来なくてもいい手続きの時に来らされた大家さんもいい迷惑だったに違いない(笑。ということで、明日引越しです。インターネットを繋ぐまでメールも何も出来ないけど、次はブロードバンドにする予定なので少し快適になるはず。さて、明日までに荷物詰めなくては、、、。
2005.12.09
今月引越しすることにしました。今年の夏ごろから計画はしていたのだけれど、色々予定の変更があって12月10日になりました。私が引越ししたい主な理由は、やはり人数でしょうか。今大きな家に6人の人が住んでます。3人が主にキッチンを使うので食事時に使えなかったり、バスルームも待たないといけなかったり、、。ちょっと嫌気が差してきてたところでした。そして、別の国から(現在スリランカ2人、ハンガリー3人、日本1人)他人が集まって住んでいるので生活習慣が違って多少なりとも問題が出てくる。ちなみに次の場所でもフラットメイトになるハンガリー人の友達はスリランカ人カップルの大きな喋り声や音楽を聴く時の音量がどうもストレスになっていた様子。私は、ホスピスで働き出してお給料もきちんとした額をもらえるようになり、そろそろ家賃が高くても人数の少ないお家に引っ越したいと思っていたので、知ってる人からシェア仲間を見つけることが出来てラッキーでした。新聞、インターネット、店先の広告など見て探し始めてすぐ、インターネットでチェックしたエージェントが電話をくれました。物件を見てすぐにいいのではないかという物が見つかったのですが、その後の契約時にちょっとゴタゴタしたんですよね。まあ、結果はOKだったのですが、その話をまた後で書きたいと思います。
2005.12.05
ということで、もう一つやろうと思ってた事を書きます。くろすけさんがまわしてくれた夢バトンやってみたいと思います。くろすけさん遅くなってごめんなさいね~。Q1.小さい頃、何になりたかった?スターになってテレビに出てみたいと思った事もありましたが、、(笑。はっきりこれになりたいと意識したのは看護婦でした。小学生の頃に1ヶ月ほど入院した事があって、看護婦さんには優しくしてもらいました。そしてその小児科病棟には産婦人科にあるようなベビー室があって(たぶんちょっと小さいくらいの赤ちゃんたちが入院してたんでしょうね。)小さな頃から赤ちゃん大好きだった私は彼らを見に行ってました。そこで「看護婦になればこうやって赤ちゃんをいつも見てられる。」と思ったのが動機。(←子供ながらの動機の不純さ:笑) Q2.その夢は叶いましたか?ご覧の様に叶ってますね。占い師の方に「運命どうりになってますね。」と言われました。(笑Q3.現在の夢は?そうですね~。一つ目はありきたりですよ。一生一緒に生きていけると思う人を見つけることが出来ればその人と家庭を持って2人プラス子供も加えて幸せな家庭を築くこと。もう一つは夢というより目標なんですけどね~。サイキックの友達に言われたことなんですが、自分には強いヒーリング能力があるらしくてそれをもっと有効に発揮できるようにしたいな~と。ハウスメイトが足をくじいた時に習ったレイキをやらせてもらったんですけど、これが効いてしまって自分でもびっくりという事がありました。レイキを習った後時々不思議な体験があったりしましたが、はっきりいっていつもは自覚がないし、能力があるだけに人の持つ悪い気を受けやすいみたいで、職場の状況を考えると自分を守る方法や浄化方法とかも身につけなくてはと、、。あ、私怪しい事書きましたね、、、。でも頭の中はいたって正常。普通の人間ですよ(笑。イギリスにいるとサイキックとかヒーリングとかって日本よりもっと身近にあるものなので、職場でも周りでレイキなんかやってる人多いんです。私もヒーリングの方法として習ったのは今のところレイキだけです。どなたか、ロンドン近郊お住まいで私の練習のためにも無料でレイキ受けてみたい方いませんか?(あ、でもまだファーストなので、近々セカンドを受けようと思ってて、それからでも、、。ちょっと弱気:笑)Q4.宝くじ3億円当たったら?ダイビングが毎日できるお気に入りの島に家を買って生活する!Q5.あなたにとって夢の様な世界とは?世界中に戦争も飢餓もなくて、自分は素敵な南の島で毎日のんびり生活しているような世界。Q6.昨晩みた夢は?忘れました。(笑Q7.この人の夢の話をきいてみたいと思う5人は?どなたかやってみたい方はどうぞ~。
2005.10.18
こんにちは、ホリデー月間でイギリスにあまりいなかったフィービーです。基本的に好奇心で始めたホームページ。生活リズムしだいでホントに放置状態になってしまってます。そういう時は「あ~、またか。」とでも思ってください。(笑ところでこの長い長いブランクの間日本に帰り、イギリスへ戻った後夜勤をやり、その後単身エジプトは紅海へダイビングをやりに行きました。おかげでエジプトから帰った後気温の違いで風邪をひいてしまい、今日また病欠取らせていただきましたが。(苦笑前回エジプトに行った時に5年ぶりにダイビングをしました。やはりダイビングはステキです。海が大好きできれいな魚を見るのが好きで、日本にいる時は旅行といえば親友とのダイビング旅行でした。おかげで潜った本数は今回120本を超えたし、色んな国(というか島:笑)へ行き色々な国の人たちに出会いました。彼女も結婚し、私もイギリスへ来て貧乏生活を続けていたためダイビングなしの生活が続いていましたが、紅海ダイビングをきっかけに「そうだ私はダイバーだった。」と思い出しました。海に関わっているだけで自分の全てが癒されている感覚です。2度の紅海ダイビングですごく感動したことがありました。(実を言えば2回目のエジプト行きもこのために決めたと言っていい)それは念願の野生のイルカ達にダイビング中に会えたことです。それも前回、今回とも群れになって会いに来てくれました。今回は子供のイルカも合わせ8頭のバンドウイルカ達が私たちの周りを泳いでしばらく遊んでいきました。世界でもダイビング中にイルカと会えるスポットというのは珍しいんですよ。というのもイルカはダイバーの吐く泡が嫌いというのがあるらしく近づいてこないんですって。日本でもイルカと泳げるポイントはいくつかありますがそれは素潜りなんですよね。ダイビングで会えるほかのポイントはアメリカのカリブ海だったと思います。皆さんご存知のようにイルカ達って癒し系です。近くで彼らの表情のある顔と青っぽいグレーの流線型のボディが泳いでいるのを見れて、ホントに幸せでした。生きててよかったって感じですかね。(笑さあ、また頑張って働いて次はカリブ海にいこうかな。
2005.10.18
今日は以前一緒に働いていたイギリス生まれの中国人の友達P夫婦と旦那さんのご両親と弟と、ご両親のお友達夫婦という大人数で中華料理店で飲茶ランチをする事になった。最初は久しぶりに友達に連絡をして会おうという事になったのだが日曜日という事もあり色々な関係の人が集まったのだった。Pは今妊娠中で最近赤ちゃんが動き始めたらしい。お腹もそれらしくぽっこり出てきてかわいらしい妊婦さんだ。どんな子が出てくるか楽しみ。なんだか結婚してるカップルに会ったり、妊婦さんの友達に会ったりすると不思議と幸せな気分になる。お店はたくさんの中国人でいっぱいだった。Pとご両親とその友達は中国語(広東語)を話せるのだがPの旦那さん兄弟は話せないので、どうやって中国語をマスターするか、各地域によって発音が微妙に違うとかそういう話で盛り上がる。そして「日本では妻が財布を握っているという話は本当なの?」とか、「中国人と日本人の家族の関係はヨーロッパよりももっと目上の者を敬う点で似ているのではないか」なんていう話も出たり(家の家族はそうだったけど、今の日本ってどうなんだろう?)。そうこうしている間にも料理はどんどんと出され大きなテーブルはいっぱいになった。シュウマイやえび餃子や春巻き、チャーシュー饅、麺料理、腸粉というトロリとした皮で包まれたえびやチャーシュー、蓮の葉で包まれたご飯のちまきetc..。おいしい、、。すごく幸せである、、。中華料理は大体何処に行ってもあるしやはり日本食がなくても中華があればたいていしのげるし、中国移民バンザイ!といったところか?(笑私は9月に休みで日本に帰るのだけれど、日が近づいたせいか今は早く帰りたくて仕方ない。そして、こうも似た顔をした物同士が集まって、しかも「家族単位」で会うとさらに早く日本に帰りたくなるものでpre Homesickといった所かも知れない。(笑 ゆっくり食事と話を楽しんで今回は早めに解散。私も彼女も忙しいので次は彼女が産休に入ってから会えるかな。
2005.08.07
今日の朝9時前を初めとしてセントラルロンドンの7箇所(地下鉄の駅、バス内)で爆発事件がありました。(現在4:00PM前)爆発したバスの写真がテレビ、インターネットなどで公開されていますが天井が吹き飛んでひどい状況です。地下鉄も途中で止まり何人もの人が地下鉄から出て暗いトンネルを駅まで歩かなければいけなかったようです。スコットランドでG8が始まり、昨日は2012年のオリンピックがロンドンで開催される事に決まった矢先の大きな事件です。現在のニュースでの情報ではやはりテロリストグループによるものであろうということ。私はロンドンには住んでないのですが近い所に住んでいるので母親から電話がかかってきました。休みだったため起きてすぐで何も知らず、すぐにTVをつけましたがその時はニュースもやっておらず、母親が日本で聞いたニュースでは電車の機械系等の問題による事故となっていたようです。その後全てのチャンネルでニュース速報が始まり事件の大きさを知りました。怪我をされた方はもちろん、亡くなった方も少なくないようです。友人達に連絡しましたがやはり電話はつながりにくくメールで連絡しました。夜勤を終えた一人の友達が地下鉄が止まってしまったためセントラルから歩いて帰っている途中だったのですが、みんな無事のようでした。日本の友達からメールも貰いましたが、私も無事ですのでご安心を。しかしまたこのようなテロが起こったというのはとても悲しいこてです。亡くなった方達のご冥福をお祈りします。BBCのホームページは開きにくくなっていますがココでもニュースを見ることができます。BBCにもリンクしてます。
2005.07.07
日本から来た友達とロンドンの街中を歩いていた。前から3人の典型的「近づかない方が無難そう」なだらしないスポーツウェアを着た3人の13~15歳くらいのイギリス人女子がふざけながら歩いてきた。友達は私の後ろを少し遅れて歩いていたのだが、「キャー!」と小さな叫び声が聞こえたと思ったら友達が怒った顔でこちらに向かって歩いてきた。どうしたのかと聞くと、さっきの女子の1人が友達とすれ違った後に彼女のスカートを思い切り下に引っ張ろうとしたらしい。それを聞いて思い切り頭にきた私は、まだ近くにいたその子達をひっ捕まえて人をバカにするとどんな目に会うか目に物見せてやろうと近づいたのだが、追いかけられていることが分かってその子達はキャーキャー笑いながら逃げていった。(ホントに走っていって捕まえればよかった、、。)頭の悪いことをする人間、人種差別をする人間は何処の国にもいるものだが、ロンドンにはこんな間の抜けたいたずらをする IDIOTがいますので日本から来られる方達はロンドンの街を歩く時には十分注意をされることをお勧めします。 紳士淑女ばかりがいる国だと思ったら大間違いです!以上、大人気なかった今日のPhoebeでした。(笑それにしてもまだ思い出しただけで腹が立つ!!
2005.06.28

お腹こわしてしまいました、、、。(久しぶりに書いてるのにこういう内容で失礼)向こうにいる間は3日目のルクソール(ハルガダから移動時間往復10時間!)観光後疲れのためか1度調子悪くなりましたがその後は大丈夫だったのに、、。やはりカイロでも怪しいかなーと思っていたのでそれから後を引いてしまったようです。昔タイに行って友達はお腹こわして、私はなんともなかったということもあって大丈夫だと高をくくっていたのに帰ってくるなりこれでございまして、早速早朝ホスピスへ病欠の電話させていただきました。昼過ぎてもあまりよくならず2度目の電話で明日も休ませていただきます。幸い腹部の痛みは昨夜1度だけで止まりましたが、バスルームに住んでしまうほどではないのですがやはり普通ではありません。生まれてきて思い出す限りではこんなことは今までなかったのですがエジプト手ごわいです、、。(笑でも、こうやって日記書いてるのだからその時間座ってる余裕はあるので明日には良くなるのではないかと思いますが。今後エジプト旅行される予定の方お気をつけください。普通の下痢止めは効かないようですので持って行っても無駄です。向こうでは街中に沢山薬局があるのでそちらで購入してくださいね。電解質補充するためのスポーツドリンクの粉なんかは必ず持って行ったほうがいいでしょう。今までイギリスに来てからも日本での癖が抜けず、体調悪くてもタイミングを逃し病欠を取れなかった私ですが、今回初めて取りました。やはり体調が悪い時に気を使わず休みが取れるというのはいい事です。(カバーしてくれるスタッフを探してもらわないといけないのでそれは申し訳ないのですが、、)日本にもバンクナースやエージェンシナース制度作ってほしいものです。と言う事でもう少し安静にしときます。旅行の話も追々書きたいと思います。(業務連絡?:笑)アニーさんエジプトで小さな石の象の置物見つけたから思わず買ってしまったよ。9月に休みで日本帰るからその時にあげるねー。
2005.06.14

今日は昨日に続きオプショナルツアーでルクソールに行く事になっていた。5:30にお迎えが来てルクソールまで片道5時間の旅である。(汗;車に乗り込み1時間弱走ると、どこかの高速のサービスエリアのような所に入る。休憩かなー?と不思議に思っていると次から次へと観光バスが駐車場に入ってきた。1時間ほどそこで待ってから、結局全てのバス、車が皆一緒にルクソールまで走るという事が分かった。それも護衛車の誘導付で、、、。どうもテロ対策そして(エジプト人ツアーガイドの話によると)速度規制のためという事だがそれにしても仰々しい車の列だなーと思う。ルクソールに入り、ルクソールのガイドさんが車に乗り込み「Hello!僕の名前はモハメド・アリです!(英語で)」とご挨拶。イスラム系の国にはホントにモハメドという名前の人が多いので、こちらの人は名前を呼ぶとき混乱しないのかと余計な心配をしてみる。(笑その後まずは王家の谷へ行く。ココには新王国時代に造られた60以上の墓があるということ。その中の3つに入ってみたがどれにもたくさんのレリーフや壁画が残っていて昔にタイムスリップしてしまったような感覚だった。次にハトシェプスト女王葬祭殿へ。ここは覚えている方も多いと思うのだが1997年に観光客を狙ったテロが起こり日本人観光客も犠牲になってしまった所だ。私の友人はこの年に新婚旅行でエジプトに行こうと思っていたのだが、この事件のため予定を変更したということがあったため良く憶えている。今回エジプトを旅行してみて思ったのは有名な観光エリアは何処へいっても警備をしていて(まあ、システムはさておき、、)警戒はしてるんだなーということ。たぶんテロが起こる前のロンドンよりも警戒態勢はしっかりしていただろう(7月23日現在。今日エジプトのリゾート地でまたテロが起こったというニュースを聞いたが最近こういうニュースばかりで悲しい)。ここはエジプト初の女王ハトシェプストのものだが、岩山を背にした葬祭殿は広大できれいだった。内部の壁面には妊娠した女王の壁画があったり、息子トトメス3世が王になった後、ハトシェプストを描いた壁画の顔の部分を削り取ったものが残っていたりと興味深い物がたくさん残っている。その後昼食を取りカルナック神殿とルクソール神殿へと向かう。昨日の例に漏れず、この日もすごく暑かったのだがカルナック神殿へ入る前に外でガイドのモハメドが神殿について説明をしてくれた。説明の途中、彼の顔をふとみると鼻血が、、、。「鼻血出てるよ。」とティッシュペーパーをあげたのだが、モハメド君ちょっと恥ずかしそうだった。そこは私も友達も看護師なのでさらっと流したのだが(笑)、エジプト人が鼻血を出してしまうほどエジプトの夏の気温は高いのである(ちょっと納得??)。どこに行ってもそうだったが全ての建造物が巨大でいつも上を向いて物を見ていた。大きな物を造る事で古代エジプトのファラオ達は権力を誇示していたんだなーと改めて思った。これらの主要観光地を見て周りまた5時間バス車が列を成してハルガダまで帰ったのは夜11時だった。いろんな物が見れて楽しかったが、次は移動時間の短いツアーにしようと思ったのだった。(笑
2005.06.07

この日の夕方、ツアーに参加して砂漠で夕日を見てラクダに乗るということになっていた。かなり暑いだろうし別にラクダなんて乗らなくても、、、。ブラックプールの砂浜でロバに乗るようなものだろうと思っていた(笑)のだが、友達2人が「ぜひラクダに乗りたい!!」ということだったので、それでは、、と行く事にした。あまり乗り気ではなかったツアーだが結構面白かった。まず、ツアー会社の人が車で迎えに来て途中でジープに乗り換える。それからすごい速さで道路を走りそこから砂漠へ入った。ジープが2台だったのだが別のジープの運転手がものすごいスピードで私たちの横に並んできたり、悪ふざけをしていたので「あっちの車じゃなくてよかったね、、。」とささやきあう。(それはそれで向こうに乗ってたロシア人グループの人たちは楽しんでたようだけど。)途中でジープから降り砂漠の説明を聞く。でも暑くて暑くて、ガイドのエジプト人のおにいさんの英語もかなり訛ってて聞き取りにくいし、もう説明なんかいいから、、、という感じだった。砂漠というと砂がすごくさらさらしていると思っていたのだけれど、このあたりは10年ほど前に砂漠ができたばかりで風化の途中らしい。たぶんこれからどこかでラクダに乗って終わりなんだろうと思っていたら、ガイドさんは「これからあの山のふもとのベドウィンの集落に行くよ。」と言い、遠くにある赤い山肌むき出しの山を指差した。山が大きいのでそこまで遠くに見えないが、たぶんとても遠いんだろうと思いながらジープに乗り込み、またすごいスピードで走っていく。思ったよりも集落へは早く着いた。ココでガイドさんのベドウィンについての説明が始まったのだが、これがまた長~~~くて何言ってるか分かりにくくて参った、、、。かいつまんでベドウィンについて書くと、・砂漠で移動しながら暮らしているアラブ系遊牧民・イスラム教信者・羊やラクダなどを飼育している・母親が嫁候補と会い、何か課題を出して(例えば家の掃除とか料理とかをしても らって)気に入った娘を息子の結婚相手に決める・結納品はラクダ・権力者(ラクダ持ち?)ほど結納品のラクダの数が多くなるので持っていない人 はなかなか結婚できなかったりする。・ベドウィン同士の結婚で血が濃くなりろう者が生まれる確立が多い などなど、、。子供たちがわーっと寄ってきたが、皆ニコニコして目がきらきらしていてかわいかった。そこで、彼らの生活の様子やお家の中など見せてもらい、ラクダにも乗ったのだが、ベドウィンの人たちがラクダを引いて200mくらい歩いて戻ってくるという簡単なものだった。(笑それから少し高い所に上がり夕日を見て(あいにく曇っていてはっきりとは見えなかったが)、食事、ベドウィンの人たちの歌を聴き、帰路に着いた。霊感の強い友達はベドウィンの集落を囲むその赤い山々からすごいエネルギーを感じたようで(ちなみにピラミッドではなにも感じなかったよう)この山でこれだけすごいならシナイ山(モーゼが十戒を授かった山)はもっとすごいんだろうと言っていた。あんなに何もないところでたくましく生きているベドウィンを見て、この人たちは見えない何かに守られて生きているんだろうなーとちょっと思った。
2005.06.06
6月5日ヒースロー空港からフランス経由でエジプトへ。6日の夜中近くにハルガダという紅海沿岸のリゾート地へ着く。ダイビングショップのスタッフが迎えに来てくれ、途中でエジプトのファーストフード「コシャリ」の店に寄って夜食を確保、30分ほどでイッ・ダハールという地区に着いた。夜になって気温は下がっているはずだがそれでもまだ暑かった。シャワーを浴びようとするがお湯が出ず水も出が悪い、、。後で分かったのだが水はナイル川から浄水されやってくるのだが、ハルガダは砂漠なので夏はたくさんの人が水を使う事もあり1日に2回しか給水がないという事だった。(水は大切に使わないとね。)疲れていたので1時ごろベッドに入って熟睡していた時、、、。なにかいやに大きなうめき声のようなものを聞き目が覚めた。それもまだ真っ暗な外から「みんな起きろー!!」といわんばかりの音量で男の人が何か訳の分からない言葉を唸っているのだった。ボーっとした頭で「一体なんなんだ、、、、。」と考えてみるが寝ぼけているので考えがまとまらない。そのうちこれが呪文のように聞こえてきて不思議な感覚になってきた。(もしかしたら私はこの呪いで死んでしまうのかしら、、:笑)結局これは何だったのかというと、、、。エジプト人のほとんどがイスラム教を信仰しており1日5回のお祈りがある。この早朝も例に漏れず、朝日が昇る前その1回目の礼拝を呼びかけるアザーンが町にあるモスクからスピーカーを使って突然響きわたったのだった、、、。(呪いだなんて失礼な私:笑)こんなんでこの先何日も眠れるのかと心配になったのだが慣れると気にならなくなってその後日は早朝に起きることなく過ごす事ができた。さて、今日はダイビングの予定はなく午前中に町の中心に行ってみることにした。それも女3人。そう、イスラムの国では女性を外で見ることがほとんどない。その日も、町の中心に行けば行くほど人が多くなり、どちらを向いても男・男・男、、、。そして皆濃い顔でひげを生やし、私たちを見ると四方八方から「ハローハロー!」「コンニチハー!」「ニーハオー!」または英語で「見て行ってよー!」「安いよー!」とひっきりなしに男達が声をかけてくるのである。おまけにミニバンの運転手までもが客を取ろうとしてクラクションを鳴らし、次々に私たちの近くで止まり「何処行くのー?」と止めてもないのに近寄ってくる。面白かったけどこのときばかりは人の気にあてられてグッタリしてしまった。しかしラッキーだったのはエジプトの方々があまりしつこくなかったこと。「タクシー?」などとよってきても「No Thank you!」と言えば簡単に諦めてくれたし、この旅で「バクシーシ」と言ってお金をせびられたのもたった1回だったし、皆全体的にフレンドリーだった。インドに行った友達いわく「インド人はもっとしつこかった。」らしい。そして聞いている限りではインド人の方が『ずるがしこい』感じがした。町を見て周りビーチサンダルなんかを買い、道に迷いながらも宿泊場所までたどり着いた。それにしても暑い、、。かなり乾燥しているので汗をかかないのだけれど昼間に外にでるのはなかなか大変。いつも水分補給していないとひからびそう。だから皆昼間は建物の中に居て夜になると出てくる。子供たちでさえ日が暮れてから外で遊んでいるのである。それも夜中まで、、、。安全な地域だからできるのだろうが、すごいところだ。
2005.06.06

ロンドン北部は昨日今日ととてもいいお天気でした。天気の悪い日が多いイギリス。天気が人の気持ちにも影響すると言う事を身をもって経験する日々です。休みだった私がお昼ちかくに起きると、ハウスメイトが庭でバーベキューの準備をしていました。一緒にお昼を食べようという事になって色々話をしながらゆっくりと食事。彼女たちは日本に住んでいた事があるブラジル人で、しかもおじいさんやおばあさんの一部が日本人。そういわれてみれば日本人が混じっている顔をしている。私も簡単な日本食を作ったのでエプロンをつけていました。スリランカ人のハウスメイトが帰ってきて、「フィービーエプロンしてるのねー。」と言うと、そのブラジル人の彼女は、「You know、日本人の女の人は朝から晩までエプロンつけて生活してるわよ。そこら辺に買い物行く時もはずさないんだからー。」と言っていた。そういえばそうだな、日本のお母さんって1日中エプロンつけてる印象がある。うちのお母さんも主婦だけどほとんどエプロンをつけて生活してるなー、とちょっとした習慣の違いを思った午後でした。
2005.05.02
今日は多分忙しくなるだろうと予測していた。入院患者さんは5人。ターミナルの患者さんがいるとは言っても昨日までは落ち着いていた。それではナゼ忙しくなると思ったのかは、、忙しい勤務によく出くわす同僚Cとの勤務だったから。看護師の方ならよく聞く表現が「ついてる」と言う言葉。私はひそかにCはそうだと思っているのである。(まあ、これは余談だけれど、、。)今日、2週間ほど前ターミナルケアの目的で入院してきた患者さん(Aさん)が亡くなったのだが、入院時はターミナルではないような様子だった。その後Strokeを起こし、Confusionがひどいこともあったのだが、私たちが勤務を始めてから急速に状態が悪化し私たちの勤務中の2時間ほどで亡くなったのだ。不幸中の幸いだったのは家族が面会に来ていた事だった。Cは私と違って緩和ケアでの経験が長く、患者さん・家族への対応もとても優しく丁寧で私はよく彼女の対応を横から聞きながら学んでいるのである。この時もCは患者さんの呼吸パターンが変わった時点で即座に家族を枕元に呼び状況を説明。患者さんが亡くなり家族が落ち着くまで寄り添った。しかしAさんの奥さんは、Aさんがすでに積極的な治療を受ける時期ではないと医師から判断されホスピスに入院になった後も、病状がそういう段階であるという事が受け入れられずに面会ごとに泣かれ、ナゼこの治療がされないのか?という同じ質問をいつも繰り返していた。そしてこの家族はユダヤ人家族であり、この前受けた講義では確か病気がどういう状況であれユダヤ人はできる限りの治療を施してほしいと願っている事が多いと聞いた。(と思うのだが、間違ってたら言って下さい、、。)そういうバックグラウンドを持った家族にとって、今回の患者さんの死はあまりにも急速な展開だったので家族の死の受け入れを促すのがかなり難しいだろうと思っていた。この一連の出来事の間中Cは家族に付きっきりだった。私は他の患者の事をやっていたのでこの間どういうやり取りがCと家族の間で行われたのかわからないのだが、家族が死後のことをRabbi(辞書によるとユダヤ教の宗教的指導者)と電話で相談し部屋から出てきたときには、驚くほど受け入れができていて、「夫の世話をしてくれて本当にありがとう!あなたたちもこんなに病気の人たちをいつも見てるなんて大変ね。」と笑顔で話せるようになっていた。確かにAさんが亡くなるまでの過程ですべてのスタッフが行ったケアがよかったからこうやって家族が私たちを信用してくれて、感謝の気持ちを示してくれているのだけれど、私はとても驚いたのと同時に、やはりCの対応がすばらしかったんだろうな~と思ったのだった。ああ、私がこの国でこんな風にすばらしい精神的サポートができるようになるのはいつの事だろう?でも、少しでもそれに近づけるように頑張らないとな~。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・追記:ユダヤ教信者さん(かなりオーソドックスな方)の死後は体に触ってはいけないことになっている。そしてその体はベッドなどに横たえずシーツなどですっぽりと覆い地面に横たえなければいけない。今日は(多分)日曜日だったのが理由で明日までご遺体はホスピスに保管になっているが、普段は日没までに埋葬となっている(と思う、、)。ユダヤ教の方は色々決まりごとが多く難しい、、。沢山の人種の集まるロンドン。色んな宗教があって死生観、死後の対処なども様々でこれだけでも憶えるのがなかなか大変です。
2005.04.17
休みだった今日、ショッピングセンターをうろうろしていると携帯が鳴った。電話番号は出ているが誰からだか分からない。とりあえず「Hello??」と電話に出てみる。男の人の声で「○○・・×☆□BT××☆☆・・△△」(BTって言ったけどセールスかなんか??でも、周りの音でよく聞こえない:汗)(以下実際は英語)私:「スイマセン、もう一回言ってもらえますか?」BTの人:「こちらBTのカスタマーサービスなんですが、M.M.さん(←私の友達)から契約の手続きの電話がありまして、しかしながら彼女は英語があまりできないようで、彼女からあなたが手助けできるのではないかという事を聞き電話差し上げたのです。どうするかと言うとですね、Mさんとの電話もまだつながっているので今から3人で話せるようにします。それで私がMさんに説明したい事を言いますのでそれをあなたたちの言葉で彼女に説明していただければいいんですが。お手伝いしていただけますか?」私:「(な~んだ、そういうことか、、)あ~、いいですよ。(私にできることなら、、、)」と3人での会話を始めたものの、周りの音で聞き取りにくかった、、。プラスそんなに込み合った話ではないだろうと思っていたのが、明日にはラインを開通してくれると言う事(イギリスにしては早い対応だと思った:笑)、どういうところに電話をかけるのか?それならこの料金形態でどうか?非通知にしたいか?留守電機能はいるか?etc....これでもかというほど確認事項があって30分以上電話していた。(汗終わった頃にはいつになく集中していたせいで暑くて汗、、、。自慢じゃないがイギリス+スコットランドをあわせると4年近く海外生活をしているのに未だに英語での電話は本当に苦手な私なのである、、、。でも、「なんだ、私の英語も通訳もどきできるぐらいは進歩してるじゃん。」と思えたのは今日の収穫だった。(笑それにしても私の友達Mちゃんは旦那の仕事の関係で0歳2歳の子供を連れイギリスへ4月8日に来たばかり。英語も初心者である。今日のことも話を聞いてみると、彼女に対応した人たちはすごく話すスピードが速かったり、イライラしてたり、お互い言ってる事が理解できなかったり、話の途中で電話が待ちうけにされて切れるというのを3回繰り返し、私のところにたどり着くまでかなり苦労したにもかかわらず諦めずに4回目をトライしたらしい。もしそれがイギリスに来て最初の頃の私なら1回でギブアップしていただろう。今だってできるだけ電話は避けてるんだから。それを考えるとMちゃんは度胸がある。やはり母は強し(?)。その後、友達の4回目の電話で対応してくれたこの彼に当たったのはラッキーだった。彼は落ち着いて親切に対応してくれたし、すごくきれいな英語を喋る人だった(声も私の好みだった:笑)ので私も電話にもかかわらず分かりやすかった。(発音は絶対にイギリス人だったし、多分育ちのイイ人なんだろうと勝手に想像する私)こちらにいるとこういう電話サービスで仕事をしているのは結構ノンネイティブの人が多い。結構相手が黒人系、アジア系(こちらではインド、パキスタン、スリランカなどの国をアジアという)かくらいは分かるものである。そして向こうもそう思ってるに違いないがノンネイティブの発音は分かりづらい。そしてこういう電話サービスというのは不親切なのが基本。いいとこなしである。その中で4回目の彼のような人に当たると彼は神様じゃないかと思えるくらいで、BTに彼の名前を挙げてぜひ表彰してあげてほしいと感謝の手紙を出したい気持ちになったのだった。
2005.04.13
今日の朝、日本の友達からメールが来ていた。私たちは中学・高校と一緒で実家も近い。その友達からのメールに私たちの同級生が癌のために亡くなったとあった。彼は、私の母親の友達の息子で同じ高校の同級生だった。といっても話した事があるのは1度だけ。すごく背の高くがっしりした好青年という感じの人だった。お互い、母親が友人と言う事で顔だけは知っていたのだった。友達は彼のことをもっと小さな頃から知っていた。母親から彼のことを聞いたときに彼の母親の病気のことも聞いた。そして、私たちが高校に通っている時に彼の母親は癌で亡くなった。私は母親が亡くなるなんて大変だなあと思いながらも彼に何も言えずにいた。その彼がこんなに若くして亡くなるなんて、驚いたのと同時になんだか不公平な気がしてならなかった。彼のお父さんは奥さんを亡くして、息子まで先に亡くなってしまった。彼の奥さんは小さな子供たちをかかえて大変だろう。友達はメールに、地元に残った友達はずっとそこにいてこっちが会いに行けばいいだけだと思っていたけどこんな急に会えなくなるんだと思ったと書いていた。ホントにそうだ。人生何が起こるか分からない。うれしい事も悲しい事も。
2005.04.07
今日South African Guyのハウスメイトと話をしている時に私が日本人だと言うと、尖閣諸島の領土問題、靖国神社への内閣総理大臣の参拝についての問題について聞いた事があるという話になった。私が「日本ではそういう問題に対して子供の頃にきちんと教えてもらわないし、そういうことを話し合うのも苦手なんだよねー。」と言うとそういうことも知っていた。(ちょっと驚き)人の話を聞いていると、海外に住んでいるとこういう事に意見を求められる事もあると言う事が分かっていたが、「ついに私にもそういう状況がやってきたかー。」と思ったのだった。結局は私にきちんとした知識がなく、あいまいに話が終わってしまった。私は本当にこういう問題に疎いのだけれど、これを期に少しでも日本の時事問題に対してもう少し敏感にならないといけないなあと思ったのだった。
2005.04.03

PORCUPINE TREEというバンドを知ってますか?今日このバンドのコンサートに行ってきました。私の知人の家族のコリンはこのバンドのメンバーで、この前遊びに行った時に誘ってもらったので、せっかくだから観に行く事にしました。コンサートなんて10年くらいは行ってないような気がします。会場はロンドンのトテナムコートロードの地下鉄の駅のすぐ近くにあるASTORIAという劇場でした。このバンド、ハードロックバンドなんですがコリンはいつもニコニコしててなんだかハードロックと言う感じではないのです。といっても、イギリスやその他のヨーロッパの国では結構メジャーだということで会場はいっぱい。アーほんとに有名人なのねーと言う感じでした。(笑)私たちは VIP扱いだったのでスタンディングで見ているお客さんを下に見ながらテーブル席に座らせてもらいました。ふっふっふっ、、、。そして彼らの曲はハードなものもあれば、落ち着いたものもあり、ボーカルの彼は地味な見た目ですが声はよかったです。私はロック系の音楽も聴くので結構楽しみました。よかったら彼らの曲、一度試してみませんか?(って宣伝してるわけではないんです。)
2005.04.02
スイマセン、職場で考える事があって今日の記事は非公開になってますー。
2005.04.01
私の実家は福岡県の北九州市にある。私はずっとそこで育ったが、地震なんてほとんど経験がなかったし、あってもほんとに小さな揺れだった。私はこの日、朝から仕事で、平日なら荷物はロッカー室へ置いておくはずなのだが今日はたまたまオフィスに全ての荷物を持ってきていた。たまたま鞄の中を覗くと携帯電話に知人からのテキストメッセージが届いているのに気がついた。「なんだろうこんなに朝早く、、、?」と思いながら読むと「福岡での地震」「震度6」という情報が書いてあった。最初は「え?」という感じだけだったのが、よく読み返したことで一気に頭の中が真っ白になってどうしていいか分からずボーゼンとしてしまった。一緒に働いていた同僚に「今、友達からテキストがきてて、私の家族が住んでるところで地震があったんだって、、、、。」と言ったところで彼女が、「Oh,god!とりあえず電話する??何か私ができることは?」と言われて「そうだ、電話しなくちゃ、、。」と思いながら電話をとった。「もしだれか怪我をしてたら?誰か死んでしまったなんて事ないよね?」と色々考えていた。手が震えてどうやって電話したらいいかさえ分からないくらい動揺していた。同僚のSisiter-in-lowが日本人で彼女に電話の仕方を聞いてくれると電話をしてくれたがつながらず、「どうしよう、、。」と思っていたら、ふと国際電話会社の広告切り抜きをスケジュール帳にはさんでいたのを思い出した。それを使い電話をしたらすぐに母親が電話に出た。すでに日本は夕方の6時ごろだったと思う。母親はその朝、家の近くにある親戚の法事に行っていた。すごい揺れを感じて家の中から走り出て、落ち着いたところで自宅を確認しに戻った。私は知らなかったのだが少し前に家を耐震用に直していたらしく家に被害はなかった。友達にもメールを送ったがわかる限りでは特に大きな被害はなさそうだった。ただ友達の一人は揺れの激しかった天神の地下にいたようで、天井がうねって落ちてくるんじゃないかと思ったほどだったらしい。こちらのテレビでわずかに出ていた映像を見たのだが、思いっきり揺れていてそれを見ただけで恐くなった。友達の近くを歩いていたおばさんはパニックになって彼女にしがみついてきたようだ。でも、ほんと天井が落ちてこなくてよかった、、。その後の北九州での余震は思ったほど大きくなかったらしい。遠くに離れて暮らしていることで何もできないのがもどかしいのだけれど、余震が落ち着いて早く福岡・佐賀に住む方達がいつもの生活に戻ることができるように願っています。
2005.03.20

住んでいた時期は違うのだけれどロンドンでのホストマザーが一緒だったつながりで仲良くなったTさんが旅行でロンドンにやってきたので一緒に遊びに行く事にした。今回、まだ2人とも行った事のないRyeへ行くことにした。チャリングクロスの駅で待ち合わせをして、1度乗り換え2時間弱でライに着く。久しぶりに電車に乗って遠くに行く途中思い出した。私はどちらかと言うとロンドンは日本の物を手に入れるのに便利と言うだけで雰囲気自体は嫌いなのである。でも、こういう田舎の景色を眺めることや、イギリスの小さな町や村を見てまわるのは好きなんだよね。景色を見てるだけで肩の力が抜けるようなリラックスした気持ちになれる気がする。そうこうしてるうちにライに着いたので町の中心へ行ってみる。それほど長くないメインロードに色々なお店が並んでいるのだけれど、特に目に付くのはアンティークのお店だった。とりあえずじっくりと中を見ていく前に、お昼になっていたのでランチにする事にする。といってもお上品な物ではなくて、今回の渡英でフィッシュ&チップスをまだ食べていないTさんに合わせて(というか私も食べてないけど、、)フィッシュ&チップスのお店へ行くことにした。コッドを食べたが肉厚なフライがおいしかった。そのあとアンティークのお店を見てまわった。わたしはカップがほしいなーと思っていたのだけれどめぼしい物がなく何も買わなかった。Tさんはティースプーンを探していて、金属の物が沢山置いてある一人のおじいさんがやっているお店で何個か銀製の物を見つけて買った。おじいさんは張り切って計算をして、「これは○ポンドだけどおまけしておくからね。これもおまけするよ。」と全て少しずつおまけしてくれていた。それでもまずまず払ったから、2人で「あの料金でおじいさん何日か暮らしていけるねー。」と話した。(笑)ちょっと歩きつかれたので、お茶でも飲むことにして、道の奥まった所にあったティールームに入ることにした。その小さなティールームはイギリスの古いお家によく見られる天井の低い、暖かい感じのお店だった。そして、出されたティーセットの陶器もいい感じ。なんだかもうこれだけでイギリスのいいところを全て見たような気持ちになる。しかし、これを見てると私たち食べてばっかりいるみたい。(笑)4時間ぐらいの滞在で大体見てまわったので5時前に帰る事にする。といっても大体何処も5時には閉まってしまうからちょうどいい時間だったのだけれど。
2005.03.14

今日は旅行最終日。車で空港まで行くのだけれど夕方まで時間があるし首都のVallettaまで行く事にした。やはり首都だけあって街がかなり大きくて色んなお店もあったし若い人たちもいっぱいいた(笑)。お昼を食べる事にして小さなカフェに入る。コーヒー、紅茶、ペストリーなどを置いているなんだかかわいい所だった。おじいさんと息子さんとやっているようで息子さんは体を動かして働き、おじいさんはパイプをくわえて、来たお客さんと話をする係りのようだった。私たちが行った時もカフェの前の方にある小さな螺旋階段に腰掛けて「○○のペストリーと△△のペストリーがあるよ。どっちもおいしいよ。」「何処からきたんだね?ほう、日本人なのかい?マルタは好きかね?」などなど良く喋っていた。息子さんは私たちとおじさんのやり取りを聞きながらニコニコ笑っていた。その後また街をうろうろして回っていると大きなバスターミナルを見つけた。今回有名な乗り心地の悪いマルタのバスに乗る機会はなかったが、次に来た時には乗ってみようと思う。この小さな島に6泊してもやる事がないんじゃないかと思っていたけど、結構楽しめたし久しぶりにのんびりできた。次はダイビングしに来ないとなあ。
2005.03.05

今日は日帰りツアーを使ってマルタ内にある遺跡見学とBlue GrottoとMarsaxlokkという漁村へ行く。ミニバスの運転手さんはゴゾ島観光の時にフェリー乗り場までの送り迎えをしてくれたおじさんだった。この人マルタ人なんだけどなんだか俳優の阿藤快さんに似ていたため私たちから陰で『かいさん』と呼ばれることになる。ゴゾ島ツアーの時は交通渋滞のため結構遅れて皆を迎えに来たかいさんだった。フェリーに間に合うか、間に合わないかで彼は焦っていたらしく朝から思いっきりミニバスをとばしてくれた。しかし、今日はそういうこともなく、途中バスの中でガイド役もやりながら、お客さんも結構年配の人が多かったのでとても親切に対応してくれていた。かいさんはルックスも田舎の気のいいおじさんなのだけれど中身もそんな感じのようだった。3つほど遺跡を見たのだけれど何処もあまり大きくなくてすぐに見終わってしまった。まあ、1回ぐらいは見ておくのもいいかもしれない。Blue Grottoのある町ではまだ天気は良かったのだけれど海は荒れていてそこまで行く船は残念ながら出ていなかった。ということでシーフードの昼食を摂った後町をうろうろしてまわる。そこで「君達は日本人かい?」と英語で話しかけてくるおじさんがいた。昔お隣さんに日本人がいておじさんの両親が親切にしてもらったらしく、日本人が好きらしい(日本人女性と結婚したいとか言ってた。でもおじさんすでに60代超えてるし、、:笑)。もうすぐ日本人の友達を訪ねて日本に遊びに行くとのこと。「次にマルタに来る時は早めに僕に連絡しなさい。貸しフラットを持っててそこをタダで貸してあげるから。」と住所と名前を書き留めるよう言われる(名前忘れたけど、、)。「はいはい、、」ととりあえず話を聞いておいた。(まあ、おじさんが日本で楽しい時間を過ごせるように願ってるよ。)マルタの漁船には目がついている。(デジカメで写真を撮るのを忘れた、、)どうも魔よけとかの意味があるようだ。Marsaxlokkの港には沢山の色鮮やかな漁船が止まっていてきれいだった。もうちょっと晴れていればもっときれいだっただろうけど、昼を過ぎる頃から曇ってきていた。ここではマーケットが開かれていてそこで少し買い物ができた。友達はとても安かった『ホームメードワイン』を買ってみたのだけれど夕方飲んでみたがすごーく薄いワインだった、、、。
2005.03.04

昨日はGozo島への日帰りツアーに参加した。フェリーは運航していたのだけれど、天気が悪くてしかもかなりの強風がふいていたため寒くて写真もそこそこに撮ったぐらいだった。観光メインのAzure Windowでは20分くらい時間があったものの「わーっ」と穴の開いた石の近くに行って写真を撮り「わーっ」とバスに戻って「さむいー、さむいー。」と出発時間を待っていた。(笑 しかし今日はとってもいい天気だった。それならと西側にあるビーチを目指してドライブする事にした。Malta島4日目ともなれば大分道も分かってきてなかなかいい感じでドライブできた。友達は毎日見えていた赤い塔が気になっていたらしく(というか「ラブホテル」というよくない名前までつけていたんだけど、、:笑)、そこに行くことになった。結局それはRed Towerという見張りのための塔だった。マルタ島には海辺に何個もその塔が立っていて、昔は海から敵の船がやってくると塔の間で合図をし合って敵に立ち向かっていたと言う事だ。それから名前に惹かれてGolden Bayに行き、更にGhajn Tuffieha Bay→Gnejna Bayを周った。 水が透明でスキューバダイビングをするにはすごくよさそう。今度は夏に来たいなあ。その後、友達がインターネットで見つけた村へ行ってみる。友達は建物がすごくかわいいと言っていたのだけれどそのコピーが白黒でなんだか全く分からない。Sちゃんは「こんな瓦礫みたいな村行かない!」とか言ってたのだけれど時間もあるということでよってみることにした。その村の名前は『Popeye Village』。ポパイなんてマンガの主人公の名前だけかと思ったら村の名前にもあるんだー、と思っていたのだけれど、着いてみると「Popeye~!!」というOliveの声が聞こえてきた??実はホントの村だと思っていたのは昔ポパイの実写版の映画で使われたセットだった。(笑でも崖っぷちに作られた建物は青い空と青い海に映えてほんとにかわいかった。 この夜、皆が気になっていた近くにあるカジノへ行ってみる。スロットなんかをやってみるが誰一人として賭け事にはついてなくて全てすって帰ってきたのでした。(笑)
2005.03.03
今日はMdina&Rabatへのドライブ。この街周辺は着いた日に迷ってうろうろしたので皆なんとなく覚えていた。(笑Mdinaは高台にあって周辺を壁に囲まれた小さな街でお店なんかはあるんだけど、まだ本当に人が住んでいるのか?それとも観光のための街になっているのかは???その中に1つ大聖堂があって天井画がとてもきれいだった。マルタ島の道は県道ぐらいの道が一番広いのだけれど、それ以外はアスファルトでもがたがたで車が思いっきりゆれる。ガイドブックに載っている場所を回って帰る途中、そんな道を穴ぼこをよけながら走っていたのだけど思いっきりガックン!!と上下した後しばらくして友達が、「なんか変、、。やったかも。」と言った。はい、そうです パンクしてました。(爆ここで一般の女性ならどうやってタイヤを替えたらいいのか戸惑うことだろう。まあ、私も替えたことがなかったので1人だったら途方にくれていただろうけど、私の友達は違った。なぜかと言うと彼女は£500の車を持っているから。(←安すぎ!!:笑) その車はランドアバウト内で止まってそのまま動けなくなったり、パンクした事もあって、そのおかげで彼女はそういう状況に強かった。と言う事で15分で手を真っ黒にしながらもささっとタイヤを交換しホテルに着いたのだった。いや~Cちゃん女にしとくのもったいないね。(笑
2005.03.01
友達3人で27日夕方6時半ごろヒースローからマルタ航空でマルタへ。しかしここで飛行機が遅れたのでマルタ到着が夜中の12時近くとなる。マルタは雨。まるで日本の梅雨の時期のような降りようだった。レンタカーを予約していたので窓口へ行くと、マルタ人のお兄ちゃんが「あ~、ココとココとココにサインしてね~。鍵はこれだから、空港から出たら少し離れた所にレンタカーの駐車場あるからそこから乗って行ってね~。」と言われる。荷物を引っ張ってしばらく歩いてやっとたどり着きエンジンをかけ、ワイパーを動かしたが、、、?? ワイパーが動かない、、、。 なんだか色々いじってみても動きそうにないので窓口へ戻るとお兄ちゃんは帰宅途中。すでに28日になっていたのだから私たちが最後のお客だったに違いなし。急いで彼を捕まえて説明すると、他の車の鍵をくれて「前の車は戻しといてね。キーは窓口の所に返却口あるから車動かしたら戻しといて。」とさらっというので「駐車場まで一緒に来てくれない?万が一ってことがあるから。」と駐車場まで出てきてもらって一緒に車を確認。キーもお兄ちゃんに渡して出発した。後で考えたら、あの時タイミングがずれて彼がすでに帰ってしまってたら更に時間がかかって大変なことになってただろうなーと。捕まえる事ができてよかった、、。しかしこの後が大変だった。小さな島だと思っていたのでホテルにもすぐ着くだろうと思っていたが、夜だったし予想以上に雨がひどく、『○号線』とかいうサインが極端に少なくておもいっっっっっっっっきり道に迷った。しかもなんだか『今道路作ってます』という道も多く、「こっちだ!」と行きたい方向が工事途中で行けなかったりMostaを経由してBugibbaという海辺のリゾートのような所に行くのになんと 5時間かかった。その内2時間はBuggiba周辺をグルグルグルグル、、、。「ココ来たよね、、、。」とか言いながら、開いていたバーの人に道を聞いたり、交番に行って聞いたりしたけどそれでも見つけられなくて、最終的にはそのホテルが何度も通過した道にあったのを見つけたのだった。朝の5時、ホテルでチェックインをしているときにホテルのおじさんに迷った事を話すと 「君たちマルタは初めて?それなのにこんな時間に自分たちで車を運転してくるなんて勇気があるね~。ははは~。」と笑われてしまった。それにしてもちゃんと着いてよかった。Cちゃんしかマニュアルカーの運転ができないので彼女は5時間運転してかなり疲れただろう。とりあえず3人とも疲れていたので昼くらいまで眠る事にした。
2005.02.28
今日まで6日間働きづめだった。毎日家に帰ると速攻バスタブに浸かり食事を取ったら眠くなっていた。そんな中で4日間はコーディネーターとしてのトレーニング。病院によって呼び方が違うんだろうけど、日本で働いてた時はリーダー業務と呼んでいた。1人同僚がサポートとしてついててくれて私がやっているのを見てくれる事になっていたが、なぜか彼女が先にミーティングでの発言、医師への申し送りをし、次は何をするかを決めている。「あー、待てないタイプなんだなー。」とか考えながらちょっと手持ち無沙汰だった。それはそれで他の人がどうやってこの業務をやってるか見れて良かったんだけど。でも後の2日間は病欠がでてサポートの彼女は患者を受け持ち、私がリードしてコーディネートする事になった。日本ではリーダー業務なんて日常茶飯事だったしできないことではないんだけど、ほんとにこれを日本語でできたらどれだけ楽だろうと思う。今回やってみて自己評価50点と言うところだろうか。それでもこっちの人は教育する時には他人を(少なくとも表では)悪く評価しないなあと思った。「Well done!!]と何度言われたことか、、、。一応教育係のスタッフとサポートの彼女と私でのミーティングもあったがこうした方がいい、とかこれが駄目だったとか言う注意みたいなのが全くないのである。また日本での話になるが、私たち日本人看護師は学生時代から実践の場での教育でどれだけ叩かれ強くなるようにトレーニングされただろうか。(笑)私的にはどちらかと言うとおだてられて成長する「豚もおだてりゃ木に登る」タイプなので、そういう環境で生きていくのはきつかった。それにしてもイギリスでの思い切り褒める環境もちょっと私には反対の意味で居心地が悪い。なんていったら贅沢だろうか。
2005.02.24
下の文章は私がこのホスピスに就職した時にもらったパンフレットにあったStaff Supportに関するものである。(興味がある人は読んでみてください。)Participating in the management of patients who have palliative and terminal care needs and their families / carers is a very fulfilling and challenging aspect of health care. However, it can also bring with it experiences for staff and volunteers which can render them feeling vulnerable and under stress. Even those staff with many years experience can feel pressured and emotionally drained, voicing feelings is never seen as a sign of not being able to cope but, on the contrary, an accepted norm. The most valuable support is that which staff and volunteers can offer each other in an informal manner. Staff and volunteers should feel free to talk about their feelings and aim to be mutually supportive. Staff and volunteer value each other very highly and want to offer continuing support. Please never feel isolated with your feelings, do talk to someone with whom you have a good relationship and who can help with these issues. The Human Resources Manager will also happily see any staff or volunteers who have concerns and wish to share them.Secondly, we appreciate that you are practicing in a new work environment therefore please allow yourself time to adapt and view your learning as an ongoing experience. Your own knowledge, experiences and skills will make a vital and invaluable contribution to the growth and development of the Hospice, so please share them with us.With everyone’s help the aim is to create an effective and dynamic team. This requires mutual respect, an appreciation of each other’s abilities and nurturing of personal growth and development. Finally, everyone here wishes you luck and hopes your time here with us will be an enjoyable experience.Don’t forget:“No-one is perfect but a team can be”ここはホスピスであるがゆえに看護師にとって精神的負担が大きい事も起こってくる。他のホスピスにはスタッフのためのカウンセラーがいるところもあるようだが私のところはスタッフ同士のサポートが主になってくる。これは日本で働いていた時でも日々スタッフ同士の会話の中で自然にやっていた事だし、ホスピスではそれだけスタッフの精神的サポートが重要であると言う事だろうが施設自体できちんとサポートをやっていこうとする事を表記するというのはめずらしいなと就職当初思ったものだ。サポートの一部として、プライベートでの家族の不幸事でその後仕事に戻るのが精神的に難しく感じる場合、マネージャーとの話し合いの上、数ヶ月休みを取る事も可能である。私もその休みを取ったが、そういう制度があることにとても感謝している。復帰した後も思ったよりも精神的に大変なことがあるがそれを皆が理解してくれているし、サポートしてくれるというのが分かっているだけでも心の負担が軽くなる。状況は少し変わってきているのかもしれないが、私が日本で働いていたときは病気で休むという当たり前のことが難しい状況だった。確かにヘルスケアのプロとして自己管理はしなければならないが、それでも看護師も人間である限り病気もする。そのような時に休みがなかなか取れないというのはどうなんだろうと思う。しかしあの頃はそれが普通と思っていたのだから慣れとは恐ろしいものだ。例えば風邪で熱もあってゲホゲホいっていても薬を飲んで(私はやったことはないが時には座薬の解熱剤まで使うこともある)仕事していたのだから。イギリスではそういう状況のためにもバンクナース、エージェンシーナースの制度がしっかりしているので休んだとしても代わりの人が比較的見つかりやすい。看護師の仕事は体力を使う。時には腰を悪くしたりすることもある。その予防にイギリスの病院、ナーシングホームなどではホイストという患者さん用のリフトのような物やスライディングシートのようなmanual handlingを楽にするための道具も常備してある。これらのない状況の労働下でスタッフが体を壊せば施設が訴えられ賠償金を取られる事だってある。余談だが、こちらに来て「へーっ」と思ったのは、イギリスで病院に行ったり公共の交通機関を使ったりするときによく目にするポスターである。それには(たしか)”We do not take any assault:私たちは言葉による攻撃、暴力などは受け付けません”というような文章が書いてある。これも労働者を守る一つの方法でこういう問題がおこれば患者さんやお客さんが訴えられることだってあるのだ。イギリスではこれらのサポートがあり守られていることが当然だし、日本だって労働者の権利を守るための決まりはあるがそれを主張することをあまりしないように思う。まあ、こちらでは労働者の権利を利用して「ほんとうに病気なの?」という病欠を取る人が多くて、日本とは逆にこんないい加減でいいのか?と思う事もあるし、「また?」というほどストなんかも多い。言ってみれば日本とイギリス両極端である。それでも日本はもう少しだけ労働者に優しくなってもいいんじゃないかなーと思うのだが、どうだろう?
2005.02.12
solonさんの日記を読ませてもらって、前の日記では患者さんサイドに偏った書き方をしたのに気づいた。(Solonさんどうもありがとうございました。)私事になるが、少し前に私も家族を亡くした。Rさんと同じ性別、同年代、痛みのひどい癌患者だった。痛いのを何とかできないかと頭を悩ませたことなど色々あって、看護師としてでなく同じような家族を亡くした一人の人間としてRさんの状態に集中しすぎてしまったのかなあ、と今更ながら思った。Rさんの話に戻るが、私たちはプロとして働いている限り、家族ケアをおろそかにしてはいない。(私のように英語に限界があると突っ込んだ話をすることはここではなかなか難しいが、、、:汗)むしろホスピスという場所は患者・家族への精神的サポート無しでは何の意味もないのである。ターミナル期にある方が入院してきた時は、患者さん、そしてその家族、時には友人が精神的・身体的に穏やかにその時を迎えられるようにサポートする場所である。Rさんの家族の場合も、日々の会話、医師・看護スタッフと患者・家族との話し合い、Patient& Carer Support Services ManagerであるSocial Workerとの面接、Spiritual Care Co-ordinator(神職者)との面会、Multi Disciplinary Teamミーティングなどを通して、彼女の「夫の死」という人生の「危機」に対しての思いを「受容」の方向へ持っていけないものかと働きかけていた。しかし、そうやっていくうちに、この妻は日々の生活の中、ずっと「否定」「怒り」をもって危機を乗り越えていたと言う事が分かってくる。そして彼女はこの家族の中で一番強いポジションにいて、最終的な決定をするのは家族の中での彼女の重要な役割であった。その長年の考え方や生き方の「癖」を変えるのは彼女だけではなく誰にとっても難しいものである。そこで、前にも少し書いたがスタッフの話し合いで、投薬時には事前の話し合いで決めた使用する薬を家族に確認し同意した上で投薬、(当たり前だが、家族はスタッフが部屋に入ってくることを拒んでいる節があったので)他の患者さんと同じように患者の確認、家族は大丈夫か確認、話をすることで信頼関係を保つ、日々患者さんの状態をアセスメントし治療の変更が必要な時は患者・家族との話し合いをすることを確認。ただ、Rさんをケアしていく上でこれだけは譲らないようにするポイントを決めた。Rさんの苦しみがあまりにもひどいときには、スタッフ側から家族に「私たちはRさんのケアをしているのです。苦しんでいるのを見逃すわけにはいきません。」とこちらの判断を通すというものだった。私はその後Rさんが亡くなるまで休みだったため、このような場面があったのかは分からない。Rさんの肝機能もかなり悪かったので自然と昏睡状態に陥ったかもしれない。この決め事はRさんへの緩和ケアという視点から考えて必要になってくるものだったが、もし家族がRさんの生死に全責任を負おうと心の中でもがき苦しんでいたとしたなら、このように医療者側が責任を負う役目になることも精神的負担を少しでも軽くする上で必要だったのではないだろうか。結局Rさんの時間は彼女が受容の段階に進むまでは待ってくれず、私たちのサポートも彼女の気持ちを変えるほどのパワーはなかったのだろう。この後はホスピスのBereavement Support Teamが家族のサポートをしていくことになる。彼女がこのサポートを受け入れるかは分からないが、はやく悲しみを乗り越えてほしいと願っている。“The death of a loved one is not only a loss,it is a turning point; the world will never be the same again.Each bereaved person faces a long period of adjustmentto a life which is seldom wanted or planned.''(Parkes, Relf and Couldrick, 1996)
2005.02.01
去年の8月に診断をされた60代後半の大腸癌患者、Rさん。ホスピスに来た時点ですでにBed Boundの状態だった。その妻は入院前の電話での問い合わせからすごい剣幕で、夫の診断が遅れたため治療ができなかったこと、いかにNHS(イギリスの国立病院)で夫が受けたケアがひどかったか、医師も看護師も何もしてくれなかったかということをこちらのシスターに延々と話した。入院後も患者の状態は悪化していき、背部・腹部痛、かなり頻回の下痢による肛門周囲のびらん→疼痛、とにかく痛く、末期の不穏も見られた。その初期の頃はMidazolam、Oxynormを適宜皮下注射で使用しコントロールを図っていた。ある夜、Rさんは痛みと不穏で眠れず、それらの薬を何度か使用して症状緩和を図った。やっと朝方に落ち着いたのだが、意識レベルは低くなりコミュニケーションできなくなった。これは疾患に由来する全身状態の悪化、肝機能の低下による昏睡状態だと考えられたが、そのエピソードが夜間に始まったため、妻は面会に来た時点で、昏々と眠るRさんを見て、こんなに状態が悪くなったのをなぜ連絡しなかったのか!?と怒りをあらわにしてスタッフに詰め寄った。Rさんの状態を説明し使った薬を説明するが、彼女の頭の中では患者は薬のせいでおかしくなったという考えしかなく、目覚めて痛みを訴えるRさんに同意を得て投薬をしようとすると、妻が薬を確認し「妻が」その薬の投薬に同意しなければRさんへの投薬ができなくなった。もちろんシリンジドライバーを使うなんてもってのほかという感じだった。コンサルタントが家族と患者と話をしたが家族は全く聞く耳を持たなかった。その後から妻と娘はホスピスに泊まりこむことにしたようで、Rさんに投薬が必要なら知らせるからと予防線を張ってしまった。また、ある夜間スタッフとの会話で「私はこの人の妻だから(夫が意思決定できないときは)私が決定する権利がある。」と看護師の判断に同意せず、患者さんの意識がはっきりするまでは投薬する事を拒否した。その夜Rさんはずっと大きな声でうめいていたということだった。再度、コンサルタントと初日から関わっているシスターと家族でのミーティングを行った。まだ意識のあったRさんにどう痛みをコントロールして欲しいか確認し、Rさんは今のところは眠り続けるのはイヤなので少し痛みがある程度でのコントロールを希望。Rさんの状態をもう一度説明し、各症状に対して使っていく薬を説明して妻もその計画に同意したかに見えた。しかしその後、Rさんの状態悪化から、少ない量では症状が落ち着かなくなり投薬回数が増えるとやはり意識混濁がでた。そうすると妻は、副作用でおかしくなった、コミュニケーションが取れなくなったと薬を拒否した。妻はRさんが亡くなるという現実を受け止められないでいたのではないだろうか。患者さんの症状緩和のために行う投薬は妻にとってスタッフへの不信感を増強する種でしかなかった。私たちはこの妻に振り回され、堂々巡りをしているような感覚だった。この一連のエピソードは、症状コントロールができている末期患者さんのたどるPeaceful(状態悪化プラス薬での意識レベルの低下後に静かに息を引取る)な経過が許されないことを意味していた。「Help...Help...」とうめく患者さんの横にずっといるのに薬は必要ないと言い張る妻は、動揺しているようにも見えず、、、あるスタッフは、彼女が悲劇のヒロインになりきって不治の病の夫を看病する妻の役を楽しんでいるようだと呟いた。ホスピスで働いているからと言っても、それに慣れているわけではなく、十分に症状をコントロールできないこのような患者さんの様子を見るのはかなり辛いものがある。***************************結局は、妻の第一のこだわりは「コミュニケーションが取れる状態で症状を緩和する」であり「夫の苦痛を無くし、安楽を第一に考える」ではなかったのだと思う。夫中心ではなく自分の感情中心だったのではないだろうか。そして、患者の状態悪化を受け入れず、病院、ホスピス関係者に怒りをぶつけ、夫の状態悪化を他人のせいにする事がこの妻の精神的危機を乗り切る方法だったのではないかと思う。結局この患者さんは妻に看取られ亡くなった。しかし妻は、Rさんが息を引取ってもスタッフを呼ぶこともなく、同僚が様子を見に行った時には亡くなって30分以上経っていたということだった。この後、妻はスタッフへの態度を謝罪していたということだったが、スタッフにとってはなんとも後味の悪い、納得のいかないRさんへのケアの終りだった。Rさんの亡くなってしまった今、誰もRさんが自分自身に行われたケアに満足していたのか確かめる事はできない。
2005.01.26
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