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毎年同じことを思うのですが、この1年もホントに、あっという間に過ぎてしまいました。思い返せば、今年はこれまでに比べて、仕事以外の空いた時間での行動が、すごく減っていました。なんていうか、半分は自分の体力的な問題で、半分は気持ち的に「もういいや」と思うことが多いのです。その理由もあります。今年の春過ぎぐらいから、今我が家にいる3ニャンのうち、18歳と16歳が急にボケるようになりました。特に18歳の茶トラ兄弟の片割れの小太郎は、人間でいうなら認知症みたいなものです。食欲はあるけど足腰はすっかり弱り、そして若い頃ならガマンしてくれたことも全然ガマンできなくなって鳴くようになって、まあイロイロ大変なのです。だから、例えば今年は大河ドラマ『どうする家康』で、ドラマ関連がこの地方に由来することが多くて、以前の私なら「せっかくの地元開催!」とばかりに、ゆかりの地をあちこち廻ったと思います。でも今年は動く気力が減って、岡崎の大河ドラマ館では3回は行くだろうと年間パスポートを作っても、行ったのは2回だけでした。ただ、他の面でやる気になったものもありました。これ以上デブになったらそのうち病気になって入院だ!と危機感を感じて、去年の夏からフィットネスクラブに入り、私らしくすぐに行く回数は減ったけどちゃんと継続して、食事の調整も含めて、おかげでこの1年半で約10kg体重を落としました。振り返ると今までは、何も考えずに、間食だらけでした。スーパーに行って菓子類をあれこれ買って食べてみたり、仕事が終わった夜に軽く何か食べたりとか。今は間食はほぼ無しで、甘い物も食後に量を気を付けて、といった感じです。ああ、でもそういえば、油断して事故をやらかしましたわ。出かけた先で駐車場から出すとき、道路がよく見えなくて車のフロント部を脱輪しました。その時は近くにいた男性4人に車を出してもらえて無事に帰ることができました。でも車を調べたら内部の破損でかなり大掛かりな修理が必要で、保険が3等級下がりました(涙)いや、これは自分がやらかしたことだし、あの時に快く助けてもらえたことを感謝すべきですね。保険料10万UPは正直痛いです。でもまず、ひと様の“情”を大事にいたします。あの時、助けてくださった方々のお名前を忘れてしまいましたが、1か月遅れで受付に届けた令状と感謝の花は返品されてないから、どうやらご本人に届いたようですね。さて、明日の朝からまた新しい年のスタートです。年々、歳のせいで、記憶が悪くなっています(悲)。だからその分、頭がボケないよう日々こつこつと勉強を重ねて頑張らなくちゃ、です。今、家の近くを救急車が走っています。24時間365日、交代勤務で多くの人の暮らしや生命を守ってくださる皆さま、本当にありがとうございます。来年もどうか、日々を無事に過ごせますように。康太郎とふたり、茶トラ兄弟として我が家に迎えた小太郎は、春が来ると満19歳になります。(康太郎は2019年12月に虹の橋に行きました)すっかり歳とって、足腰はよぼよぼで半分ボケてます。ゴハンとトイレ以外は一日中、私の寝る場所の枕元の位置で、ずっと寝ています。若い頃はこんなにも毛が柔らかくてツヤツヤ・フカフカだったけど、今ではバサバサ・ゴワゴワになっています。人間も動物も、歳とると変わっていくのですね。
December 31, 2023
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。松本 潤さん演じる、徳川家康を1年かけて描いた物語が、いよいよ最終回を迎えました。この1年、松潤の顔立ちの良さを随所で実感しました。月代になっても想像以上に似合い、晩年の家康もゾクゾクするほどカッコ良くて、アップになっても全然かまわない。つまり土台(顔立ち)がいいと、何やっても似合うということを実感しました。『青天を衝け』の主演:吉沢亮さんが国宝級イケメンで私はよく見惚れましたが、松潤も同じでした。でもこのドラマが良かったのは、松潤一人が全ての回の中心だったわけではなく、メインキャストの誰かがその回その回で話の中心になっていたことでした。脚本の古沢良太さんの解釈もなかなか面白くて、時々は受け入れたくないストーリーもありましたが、それでも1年を通して、良いドラマだったと思います。この最終回は、前半は大坂夏の陣での豊臣家の滅亡を、そして後半では、この1年の間に何度か話に出てはきたけど、その内容が結局誰の口からも語られることなく次の場面に進んでいった「鯉」エピソードでした。鯉を食べたことが単なる忠義や説教めいた話になるのではなく、主君と家臣が互いの存在を感謝に思う流れになっていき、それが家康の幸福な往生になっていったという、これまた今までの家康ドラマにない展開でした。そしてグランドフィナーレが「えびすくい」。まさかこの「えびすくい」がはじめから終わりまでくるネタとは思っていなくて、ふと気が付けば多くの視聴者からも愛されていたのだと感じました。この1年、『どうする家康』関連で、他の歴史番組でも戦国関連のものをたくさん見ました。研究が進んで、数年前とは違った解釈が出ているものもあって、なかなか面白かったです。来年は『光る君へ』で平安時代になりますね。またイロイロと新たな歴史の勉強ができそうです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 慶長20年(1615)5月、徳川家康は京の二条城で出陣の身支度を整えて出立し、茶臼山にに陣取って馬印の金扇を敵からよく見える位置に掲げさせました。一方、豊臣方の軍議では後藤又兵衛が討ち死になど苦戦が報告され、総大将の豊臣秀頼(作間龍斗さん)も大野治長(玉山鉄二さん)も、この戦に勝つには家康ただ一人の首をとることと考えていました。「戦では、ひっくり返せるときが必ずくる。」ーー父・昌幸の教えを思い出した真田信繁(日向 亘さん)は真田勢が家康のいる茶臼山に向かうことを志願、戦支度をした茶々(北川景子さん)や千(原菜乃華さん)も皆々を鼓舞しました。徳川家康(松本 潤さん)の馬印は遠くからでもよく見え、それを確認した豊臣方は真田勢を先頭に猛然と突撃していきました。決死の攻撃で防護柵を突破してくる真田勢に家康はあえて呼びかけて己の位置を知らせて挑発しました。家康のお側衆が本陣に乗り込んできた敵と戦って家康の側を離れ、家康が一人になったときに家康の眼前に信繁が迫りました。「乱世の亡霊たちよ、わしを連れていってくれ。」ーー家康は心の中でつぶやきましたが、結局は信繁が討たれました。家康は本多正信と共に、年老いた自分たちが再び生き残ったことを実感しました。(でも家康が思い浮かべた亡霊たちは、信長、信玄、秀吉といずれも戦乱の世をなくすという大志があったから、家康は連れていってもらえなかったと思います。)内堀もない大坂城は防御の力もなく、城全体が炎に包まれていました。秀頼・茶々・千たちは山里曲輪に逃げ込んでいて、大野修理から千を徳川に返すと申し入れがあり、千は秀頼と一緒にいたいと激しく拒否しましたが、結局は初(茶々の妹、千の伯母)に伴われて大坂城を出てきました。千は祖父・家康の顔を見るなり土下座して、茶々と秀頼の助命を嘆願しました。千は家康に、豊臣には戦う力はないし秀頼は素晴らしい人だから若き才を救ってほしいと一生懸命に訴えます。家康は千の訴えを、優しい言葉で拒否します。しかし娘の千が強く訴える内容は、現将軍である徳川秀忠(森崎ウィンさん)にとって聞き捨てならぬことであり、秀忠が進み出てきました。秀忠は毅然と「私が将軍として命を下す。秀頼には死を申しつける。」と言い、この戦の指揮を自分に執らせなかった父・家康の真意を理解して「最後くらい、私に背負わせてくだされ。」と家康のほうを向いて言いました。必死の願いが聞き入れられなかった千は父と祖父を鬼と罵って暴れ、侍女たちに力づくで連れられて戦場を後にしました。炎に包まれた山里曲輪で、秀頼たちは死を覚悟しました。まず秀頼が切腹し、絶え絶えの息で母の茶々に自分の首を持って生きてほしいと伝え、そして大野治長に介錯され絶命しました。秀頼の死を見届けた家臣や豊臣方の武将たちも後を追って次々と自害していき、大野治長の介錯は茶々がしました。最後に一人残った茶々は業火の中で「己の夢と野心のために、なりふり構わず力のみを信じて戦い抜く!かつて、この国の荒野を駆け巡った者たちは、もう現れまい。」と最期の思いを吐き出し、そしてあの世にいる父母を思ったのか、天を仰いで「茶々は、ようやりました。」と自分を認め、そして自害して果てました。茶臼山から燃え尽きた大坂城を見て、家康はそっと手を合わせました。かくして天下泰平の世が訪れ、徳川家では家康の偉業を正しく後世に伝えるために、南光坊天海(小栗 旬さん)が家康の歴史書を編纂していました。天海が「いい話を集めよ。」と皆に指示するので、秀忠は父・家康のことなれど立派な話ばかり残すのはいかがなものかと意見しました。しかし天海は「世間では悪評が立っているが、かの源頼朝公だって実のところはどんなやつかわからない。周りがしかとたたえて語り継いできたからこそ、今日全ての武家の憧れになっているわけで。」と、そして「(家康は)人ではない。大権現!」と強調して進言しました。元和2年(1616)家康は駿府城で重い病の床に臥していて、若い者たちは畏れ多くて誰も近寄れないため、側室の阿茶が家康の世話をしていました。家康の見舞いに訪れた本多正信(松山ケンイチさん)は、もう身体を起こせない家康の枕元まで行き、これまで自分を信用して傍においてくれたことへの深い感謝の意を伝えました。そして自分もだけど皺だらけになった家康の手を取り、乱世を生き抜いて長きにわたって泰平の世をつくってきたことへの労いを伝えました。見舞いの後で正信は阿茶と二人で、家康の人生を思いました。家康は果たして幸せだったのか、戦無き世をなしこの世の全てを手にいれた、が、本当に欲しかったものは…(手に入ったのか)、と。そして元和2年4月17日。これは家康の夢の中なのか現なのか。気分が良いのか身体を起こし、力の入らない手で木彫りの人形を作っていました。そこへ37年前にこの世を去った正妻の瀬名(有村架純さん)と長男の徳川信康(細田佳央太さん)が、あの当時の姿のまま現れました。二人は家康のこれまでの働きをねぎらいましたが、家康はそう言われて嬉しくもなく、望まぬことばかりしてきたという思いでした。するとそこへ孫の竹千代(後の家光)が、絵が上手に描けたと言って持ってきて、御簾の下から紙を差し出して去っていきました。その絵には白兎が描かれていて、瀬名は「あの子はあなたが狸でも神でもないとわかっている。あの子が戦場に出ない世の中をあなたが生涯をかけてつくった。ご立派。」と家康を再びねぎらい、家康は少し心が軽くなりました。家康の意識は、今度は永禄10年(1567)の、嫡男・信康と織田信長の娘・五徳との祝言の日の岡崎城に飛んでいました。目が覚めると家臣たちが何やら大騒ぎしていて、話によれば信長が「両家の絆と繁栄の証に」と言って贈ってきた鯉3匹がいない、とのことでした。そして見つかったのは鯉の骨で、もしこのことが信長に知られたらと家老の石川数正(松重 豊さん)や酒井忠次(大森南朋さん)も頭を抱えていました。家康が重臣一同を集めて問いただすと、長老の鳥居忠吉(イッセー尾形さん)が自分が食べたと言いだし、家康は忠吉を手討ちにしようと構えました。そして忠吉も、誰かが責めを負わねばならぬなら、この老いぼれが責めを負うと言って家康の前に座りました。しかし家康は、結局は忠吉に刀を振り下ろすことはできませんでした。「大事な家臣を、鯉と引き換えにできぬ。」ーー刀を置いて、そう言って家康も座りこんでしまいました。忠次と数正が信長にどう対応するのか尋ねたら家康は「正直に言う。もし逆鱗に触れたら、そんな相手はこっちから縁組は願い下げだ。」と言い切りました。そして「鯉はしょせん鯉。食うて何が悪い。」と言い、その言葉に安堵した皆はすでに“お造り”となった鯉を運んできて、皆で笑っていました。呆然とする家康と、「信長の鯉にまでへつらっていられるか!」と口々に本音を言い、早く鯉を食べようと笑っている家臣たち。主君・家康を担いで戯れたことを夏目広次(甲本雅裕さん)は詫びて許しを乞い、信長は多忙で岡崎には来ないとわかったら家康は急にホッとして力が抜け、その姿を見て家臣たちはまた大笑いしました。「主君を一同でからかうとは、なんという家臣どもじゃ!」ーー家康がそう怒ると、「それが殿と家中のよいところ。」「殿は手討ちにしないと信じておりました。」「皆ようわかっている。殿というお人を。そのお心を。」と口々に言いました。そして忠次が膝をついて座り、姿勢を正してあらためて「殿、まことにありがとうございました。」と礼を言うと、皆も次々と家康の前に進み出て座って姿勢を正し、「ありがとうございました。」と礼を言いました。「何もかも殿のおかげ。」「いつまでもお支えします。」「わしらはずっと殿と一緒じゃ。」「どこまでもついていきますぞ。」自分を囲んで皆が次々と言ってくれる心からの言葉に家康の目からは涙があふれ、「こちらこそじゃ。」と言って家康もゆっくりと座り、そして「心より感謝申し上げる。」と言い、家臣の皆に両手をついて、頭を下げて礼を述べました。家康は床から起き上がり、両手をついて頭を下げて礼を言う姿でいました。夢の中か幻か、若き日の家康は家臣の皆に「わしは幸せ者じゃな。ハッハッハッハッ・・。」と言って泣き笑いしていました。そして温かい気持ちになり、和らいだ表情で深くうなだれ、座ったまま永眠していきました。(享年73)天に昇る家康の魂が真っ先に思い浮かべたのは、信康の祝言の日に家臣の皆で祝って踊った「えびすくい」だったのでしょうか。世はまだ乱世で平らかじゃないけど、若殿の祝言のこの日だけはと、岡崎城では楽しそうに歌って踊る皆の声がこだまします。その光景を妻の瀬名と共に幸せそうに眺め、そしていつか、戦無き泰平の世が来ると信じる若き家康がそこにいました。秀吉の命で江戸に入り、そこで徳川の皆が一丸となって開拓して、家康が将軍となって幕府を開いた江戸は、やがて現代の東京の姿になっていくのでした。(完)
December 28, 2023
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。時間は豊臣家が滅亡へと向かう1615年の大坂夏の陣へと流れていきました。松本 潤さん演じる徳川家康をはじめ、ドラマに登場する人物の描き方は、本当にいろいろとあるのだなと感じます。このドラマでは、徳川と戦うことを決めたのはほかならぬ豊臣秀頼(作間龍斗さん)で、 “乱世が生み出した最後の化物” と位置付けられ、それは秀頼が幼い頃から母の茶々(北川景子さん)が自分の理想を思い描きながら繰り返しつぶやいてきたであろう言葉によって植え付けられていた意識が作り出したもの、と描かれました。そして秀頼の決意は、真田信繁(日向 亘さん)をはじめとした戦に再び己の夢をかける乱世の生き残りの武将たちの心に火をつけ、大坂夏の陣へと向かっていきます。自分の老い先が長くないと感じている家康が、「この戦で乱世の亡霊たちを根こそぎ連れていく」という解釈は、私にとって初めて出会った考えかもしれません。徳川家康の生涯の中で最後のメインとなる場面を、脚本の古沢良太さんはとても興味深い描き方をしてくれていると感じています。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら慶長19年(1614)12月、大坂冬の陣において徳川と豊臣は和議を結ぶこととなり、徳川家康(松本 潤さん)は側室の阿茶(松本若菜さん)を徳川方の全権代表にして、「二度と大坂を戦えなくするように。」と和睦交渉を命じました。一方、豊臣秀頼は和睦の全権代表を母・茶々の妹で叔母の初(常高院)に頼みました。秀頼の側近の大野治長は「豊臣の所領安堵、秀頼と茶々は江戸に出さぬ、牢人たちに所領を与える。」この3つを豊臣方の条件として徳川に約束させるよう伝えました。難題と言ってもよい3つの条件を頼まれた初(鈴木 杏さん)は、茶々の乳母である大蔵卿局(大竹しのぶさん)とともに和睦交渉の場に臨みました。阿茶は徳川としては、所領安堵と秀頼と茶々は江戸に出さぬことは認められるけど、牢人たちに所領を与えるのは到底無理、罪に問わず召し放ちを認めるのが精一杯で、それは堀をすべて埋め立てて本丸以外を破却するならば、と伝えました。そう聞いた初は、ならば堀の埋め立てと建物の破却は豊臣が行うと返し、のんびりそうに見える初の交渉のしたたかさに、阿茶も敵ながらあっぱれと感じていました。阿茶の報告を聞いた本多正信は、大坂城の防御機能(堀、櫓、真田丸など)がなくなれば、もう豊臣方は戦えないだろうと考えていました。年が明けて慶長20年(1615)、本多正純(井上祐貴さん)の指揮のもと大坂城の堀の埋め立てが始まり、正純は外堀だけでなく内堀も埋めさせていました。それを見て、内堀を埋めるのは豊臣方の約束のはずと明石全登(小島久人さん)が刀を抜き、あわや斬り合いという事態に。それを大野治長(玉山鉄二さん)が止め、堀は後で掘り返せばよい、徳川が卑怯なことをすれば豊臣方の味方が増える、諸国の同志が集まってくる!と強気に仲間を鼓舞し、正純は治長の言葉に警戒心を抱きました。徳川と豊臣の間で緊張状態が続く中で、寧々(和久井映見さん)はこの先のことをどう考えているのか、茶々(北川景子さん)と話し合いました。寧々は、和議が相成ったのだから豊臣はあらがう意思がないことを徳川に示すべき、牢人たちは召し放ったほうがいいと茶々に意見しつつも、豊臣の跡を継ぐ秀頼を 見事な将に育ててくれたと礼を言いました。しかし、今の豊臣は徳川に代わって天下を治めることはできない、また乱世に戻ると寧々は茶々に説き、そして「野心を捨てれば豊臣は生き残れる、秀頼を、豊臣を守ってほしい。」と茶々に手をついて懇願しました。しかし茶々は、自分は野心ではなく世のため、この国の行く末のためにやっていると考えを変えませんでした。徳川と豊臣は一触即発状態が続き、初は双方の間を取り持とうと家康のいる駿府城を訪れましたが、はじめに対応したのは阿茶でした。しばらくすると家康が江戸から呼び寄せた江(2代将軍・徳川秀忠の正室、初の妹;マイコさん)が駿府に到着し、姉妹は再開をともに喜んでいました。一方、家康のもとには大坂の動静が続々と伝えられていて、牢人たちは以前よりもさらに増え兵糧も集められているとのことでした。「戦を飯の糧ではなく、ただひたすら戦うことを求める者がやっかい。乱世が生み出した化け物が滅ばぬ限り戦はなくならない。」ーー家康がそう語っていると都より急ぎの報が入り、牢人たちが都で放火して多数の死者が出たとのことでした。家康は初に会い、これは和議を反故にしたとみなす、我が軍勢で豊臣を攻め滅ぼす、それを避けたいなら、直ちに牢人どもを召し放ち、秀頼は大坂を出て一大名となり我が配下になるように、これが最後の通達、と伝えました。慶長20年(1615)4月、家康は大軍勢を率いて京に入りました。家康は二条城で寧々と会い、戦を避けるためにと力添えを頼みました。寧々は、茶々に伝えるべきことは伝えた、茶々は再び戦うことが何を意味するかわかっている、自分はともかく秀頼は死なせたくないはず、でも茶々の中の何かがそれを許さなくて天下を取り返すことをあきらめようとしない、と語りました。そして寧々は「自分は茶々の気持ちには考えが及ばない。自分の役目は終わった。秀吉と二人で何もない所から作り上げた豊臣家は夢のような楽しい日々だった。」ーーそう語って、家康に深く頭を下げて退室していきました。駿府まで来ていた江は、姉の茶々を説得するために、初とともに家康に同行して京まで来ていました。寧々が退室した後で江は、話すべきかどうかずっと迷っていたと前置きして、姉・茶々のこれまでの出来事を家康に語りました。茶々は伯父・織田信長が討たれたときは家康の無事を一心に祈っていたけど、越前北ノ庄城の戦いに家康が助けに来なかったことで落城して母・市は自害し、それを逆恨みしていると。でも母がよく言っていた憧れの君のことが茶々の頭にあり、我が子の秀頼を自分の理想像の憧れの君に育て上げたと、初も言葉を添えました。思いが暴走していく茶々を止めるべく家康は筆をとり、思いのたけをこめて茶々に文をしたため、それを江に託しました。初と江は大坂城に入り、まず最後通牒となる徳川からの条件を伝えました。秀頼は承知し、熟慮のうえ追って返答すると答えました。そして江が家康から預かってきた文を茶々に渡し、茶々はその場では文は読まずに懐に入れ、江には娘の千(原菜乃華さん)と話すことを許しました。江は千に、自分が選んだ櫛と、家康からの格別なる贈り物のぺんすうを渡しました。しかし千は、自分は豊臣の妻だと言ってそれを受け取ることなく母に返し、家康にぺんすうを返すよう伝えました。「お達者で。」ーー千は母・江に別れを告げて、義母の茶々の傍に座を変えました。一人になった茶々は家康からの文を読んでいました。「あなた(茶々)を乱世に引きずり込んだのは私(家康)。でも乱世を生きるのは我らの代だけで十分。私とあなたで全てを終わらせましょう。私は命尽きる前に、乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて滅ぶ覚悟。されど秀頼はこれからの世に残すべき人。いかなる形であろうと生き延びさせることこそが母の役目。かつて母君(市)があなたにしたように。」家康からの文を読んだ後、茶々は秀頼の成長を記した柱を見に行き、柱の傷を見て再び心が揺れ動くのでした。茶々は徳川とどう向き合うのか、秀頼にきめさせることにしました。秀頼の決定には、母・茶々はもちろんのこと、正室・千も家臣一同も秀頼に従うと覚悟を示しました。そして秀頼自身は徳川と戦うことを決意。中庭に出て豊臣方の武将たちを前にして「自分は戦場でこの命を燃やし尽くしたい。皆の者、天下人はこの秀頼であることこそが世の為、この国の行く末の為。自分は信長と秀吉の血を引く者。正々堂々、皆々と共に戦い徳川を倒してみせる。決して皆を見捨てぬ。共に乱世の夢を見ようぞ!」と鼓舞しました。秀頼の力強い宣言に誰もが歓喜して奮いたち、秀頼のために戦うことを誓いました。茶々は揺るぎない決断をした息子・秀頼を褒めて支持し、家康からの文を燃やし、徳川と豊臣の間を取り持っていた初は、もう戦いは避けられないことを悟りました。徳川との決戦に舵を切った豊臣は、大野修理らがまず大和郡山の城を攻めて落とし、その報はすぐに家康に届けられました。徳川秀忠(森崎ウィンさん)は「これが秀頼の返答か。」ととらえ、本多正信(松山ケンイチさん)は「どうやら豊臣秀頼こそ、乱世が生み出した最後の化物」とつぶやきました。「乱世の亡霊よ、さらば。」ーー写経していた家康も決戦の覚悟を決めました、
December 24, 2023
昨日までは12月とは思えないほど暖かい日だったのに、今日から急に寒くなりました❄️私のパソコンは修理を甥っ子に任せてあるのですが、なかなか難しいようです。ん~~そろそろ戻ってこないかなぁ😅この2ヶ月半、仕事と休日ほとんど全ていろんな用事で出かけていて、忙しい日々でした。今日やっと何もない日…の予定でゆっくりしようと思っていたけど、またお出かけでした。私の姉が、この「気温が下がる&強風」という体感温度が恐ろしく下がる日に、外で一日仕事と言っていて、高齢の姉がマジ心配になりました。そこで様子を見に行こうと思い、差し入れで何か温かい物をと考え、おしるこを作って持っていくことにしました。朝スーパーに行って小豆餡になったのを買い(さすがに豆から煮る気はない)、水で薄めて煮て用意しました。さて、作ったはいいけど、温かいままどうやって運ぶか。現地はまだ建物がなくて電源がないから加温はできないし、カセットコンロとか余分な荷物は持って行きたくないです。我が家に何か蓋の閉まる容器はないかと探したら、梅酒とかを作るプラスチックの容器がありました。耐熱温度は60度でちょっと低いけど、まぁいいかと思い、沸騰から少し冷ましたおしるこを入れてみました。容器が少し変形しました💦でも現地に着くまで形がもてばいいか。容器をバスタオルと毛布でくるんで、家を出ました。現地まで我が家から40km。高速使って、途中ちょっと買い足しして、2時間後に現地に着きました。あいにく姉は用事でいなかったけど、義兄と一緒に働いていた男性2人がいたので、おしるこを飲んでもらいました。完全な保温容器ではないから、また少し冷めてました。でも胃袋に多少の温かさは感じでもらえたでしょうか🙂その後はいろいろ用事をしながら夕方に帰宅。残ったおしるこを鍋に移そうとバスタオルを外してみたら、あらら……こんなになっていました😳途中で壊れて車の中に汁が広がるなんてことにならずに済んだから、よしとしました。温かいまま運ぶ実験。やはり「蓋がかっちり閉まる、耐熱の容器がいる」ということになりました。この容器、何かに使えないかと思案中です😅
December 17, 2023
いつもこのブログを覗いてくださる皆さま、ありがとうございます🙂私もいい歳をしてますが、励みになっております。さて、先週の日曜日ですが、パソコンの outlook が使えなくなりました。他の機能はほぼ大丈夫なので、先週のブログはアップできました👍なので、あと2週間、大河ドラマが終わってから修理に出せばいいか、とも思いました。しかし、毎日200通くらいくるメールを、修理の 期間も含めて1ヶ月止めると、後で恐ろしいことになりそうだと思い、今日、修理に出しました。大河ドラマ『どうする家康』の感想は、2週間ほど遅れてアップすることになります。それまでの間は、スマホから小さいネタでの更新となる予定です。スマホでの書き込みは、パソコンよりはできることが減りますが、それでも「ゼロ」にはならないから、嬉しいというか助かってます😊2005年に我が家に迎えた小太郎。茶トラ兄弟の片方の康太郎は一足先に虹の橋に行ってしまいました。小太郎、18歳半になっても、まだ元気です。ただ頭は半分ボケて認知症のようです😢
December 10, 2023
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。松本 潤さん演じる徳川家康の生涯を描いた最終章。大坂の陣(1614-15)が始まりました。この回の33分30秒あたりから真田丸への攻撃が始まり、その次は大筒による大坂城への絶え間ない砲撃が続いて、迫力のある描写で私は画面から目が離せませんでした。真田丸での攻防は、2016年の『真田丸』を視聴していた方には、あのときのことを思い出しつつより興味深いものだったと想像しています。特に2年前のNHKの『歴史探偵』の11月17日放送の「大坂の陣 幻の大洪水」を見ていた方は、今回の真田丸全景のCGで、大坂城の周辺が水浸しになっていたことに気がついたかもしれませんね。ちなみに今日の夜10時から、この『歴史探偵』の番組で真田丸について放送されます。この番組はたいてい次週、夕方前に再放送もあります。見逃した方はお住まいの地域の番組表をチェックしてはいかがでしょう。そしてこの回、なにより感動だったのが家康の言葉ーー「信長や秀吉と同じ地獄を背負い、あの世へ行く。それが最後の役目。」ーーでした。若い頃は全く頼りない弱小国・徳川家の殿だった家康が、幾たびの戦乱を経て、乱世を終わらせるためという信長や秀吉の信念を理解し、自分が業を背負ってあの世へ行く覚悟をして非情な決断を下せるまでの人物になりました。その一方で「南無阿弥陀仏」の文字を繰り返し繰り返し写経する家康の胸中はどのようなものだったのか。このドラマでの家康の人物像がわかるまで、最終回までかかりそうです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 慶長19年(1614)夏、大坂の豊臣秀頼が寄進をして再建された京の方広寺にある梵鐘に刻まれた銘文の内容が徳川にとって忌々しきものであると本多正純から報告を受けた徳川家康(松本 潤さん)は、金地院崇伝(田山涼成さん)と林羅山(笑い飯哲夫さん)に意見を求めました。羅山は、この銘文は明らかに徳川を呪詛して豊臣の世を望むものだと考え、崇伝は、それは言いがかりで銘文に他意はないと豊臣は言うであろうと考えていました。本多正信(松山ケンイチさん)は、他意あるなしのどちらにしてもこれを見逃せば徳川の権威が失墜して豊臣が力を増し、かといって処罰すれば徳川が言いがかりをつけたと世を敵に回す、と考えていました。正信は家康に、もう腹をくくるしかないと進言し、家康も同じ考えでした。一方、大坂では大野治長(玉山鉄二さん)が、梵鐘のことで徳川方が騒ぎ始める頃だと考えていて、戦を想定していました。豊臣秀頼(作間龍斗さん)の元には徳川に恨みを持ち、戦で手柄を立ててもう一度世に出たいと願う牢人たちが集結していました。今や徳川と豊臣をつなぐ唯一の存在の片桐且元は、梵鐘の件で徳川方から出された「秀頼の国替え、秀頼の江戸への参勤、茶々を人質として江戸へ」の3つの条件のどれかを受け入れるよう伝えるも、戦力が集まって強気の茶々(北川景子さん)は激怒して全て拒否して、着々と戦の準備を進めていました。豊臣の中では戦で家康を倒し徳川を潰すことですっかり盛り上がっていて、秀頼の妻・千姫(原菜乃華さん)は実家の徳川の祖父・家康や父・秀忠を思うと、とてもその場にはいられず、一人廊下に出て涙していました。千姫の様子が気になった織田常真(亡き織田信長の次男、信雄;浜野謙太さん)は、厠に行くと言って廊下に出て、その場を去ろうとする千姫に小声で語りました。「戦は避けましょう。あなたのおじい様には世話になった。わしの最も得意とする兵法は・・・和睦。」と笑いながら言い「大丈夫。わしと片桐でなんとかする。」と千姫を励まし、常真は去ろうとしました。ところが片桐の名を聞いた千姫は慌てて常真をつかまえ、涙ながらに訴えました。「明日、片桐が大野治長に・・。」千姫の話を聞いた常真は急ぎ片桐に話を伝え、片桐は寸でのところでだまし討ちから逃れ、亡き信康(家康の長男)の妻で今は京で暮らす五徳の手助けもあって、片桐は大坂を出奔して常真とともに伏見に逃げました。本多正純(井上祐貴さん)と阿茶(松本若菜さん)からその報告を聞いた家康は、これでもう徳川と話し合いができる者が豊臣にはいなくなったと考えました。さらに豊臣の兵が10万に膨れ上がったことを聞き、家康はいよいよ大戦をするしかないと覚悟を決めたました。家康は、諸国の大名に大坂攻めの触れを出すよう、そしてウイリアム・アダムス改め三浦按針に用意させていた西洋式の大筒も用意するよう、正純に命じました。家康は「この戦は徳川が汚名を着る戦となる。」とも覚悟していました。一方、大坂では、関ケ原の戦い以降に牢人となって家康に恨みを持つ者たちが我こそが家康を討ち取ると意気込んで集まり、秀頼はその者たちの苦労に思いを馳せ、ここに集ったことに礼を言いました。そして茶々は皆に「我が豊臣の子らよ」と呼びかけ、家康を卑しき盗人で非道の絶対悪であると言い、正しき天下の主は秀頼と皆の胸に刻み、今こそ家康を討ち取って天下を取り戻そうと強く呼びかけました。その後で茶々は千姫にも、豊臣の家妻として皆を鼓舞せよと命じ、従うしかない千姫は「豊臣のために励んでおくれ。」と言うのがやっとでした。慶長19年(1614)冬、徳川方は総勢30万の大軍勢でもって大坂城を包囲し、家康は大坂城の南1里ほどにある茶臼山に本陣を構えました。そして豊臣を出奔した片桐且元(川島潤哉さん)を徳川方に迎え、大坂の内部を知らせるよう求めていました。先の大戦の関ヶ原から14年の月日が流れ、家康と共に乱世をくぐり抜けてきた歴戦の武将たちはほとんどこの世にいなくて、渡辺守綱(木村 昴さん)は戦を知らない今の若い兵たちに心得を聞かせようとしていました。家康は守綱の若い頃の失態を話しつつも、盛綱のような兵が自分の宝だったから、その全てを若い兵に伝えてやれと命じて笑っていました。その後での軍議では現将軍の秀忠が主導しようとしていましたが、家康は指図は全て自分が出すからそれに従えと命じ、秀忠は仕方なく引き下がりました。家康は、この戦の責めは全て自分が負う覚悟でした。そして開戦となり、大坂城の周辺では徳川と豊臣の局地戦が繰り広げられ、その全てで数に勝る徳川方が勝利していました。しかし豊臣方はそれでも話し合いに応じることはなく、難攻不落の大坂城で籠城すれば心配ない、手柄をあげたい者の士気も高いと強気でした。さらに大坂城の南に真田信繁が築いた真田丸では、徳川方の兵をことごとく倒す目覚ましい戦果を上げ、大坂方はますます強気になっていました。今回使われた真田丸の全景です。2016年大河ドラマの『真田丸』を視聴していた方は、当時のCGを思い出しながら、つい見比べていたと想像します。あれから7年たち、豊臣方が防御のために淀川の堤を決壊させて大坂城の周辺を水浸しにしたことや、徳川方が真田丸に近づくために塹壕を掘り築山をつくっていたことなどが考慮されたCGです。豊臣方が話し合いにすら応じないのを見て、家康は戦を早く終わらせるためにも備前島(大坂城天守の北)に設置してある大筒を使うことを決めました。大筒で天守にいる秀頼を狙うーーその言葉に秀忠は、それでは傍にいる千姫に害が及ぶと反対しますが、家康は「戦が長引けば、より多くの者が死ぬ。これが僅かな犠牲で終わらせるすべ。」と、そして「主君たる者、身内を守るために多くの者を死なせてはならぬ。」と秀忠に言い聞かせました。家康の命令が下り、現場で指揮を執る本多正純が大坂城本丸に狙いを定めるように言い、砲台から一斉に砲弾が放たれました。大筒の攻撃を知った秀頼は女たちを天守へ逃がすよう命じました。弾が壁を突き破って飛んでくる中を茶々や千姫の他、女たちは悲鳴をあげながら逃げ、恐怖で動けなる者を茶々は叱咤して天守の上に向かいました。片桐且元も大坂城の中では恐らく天守に向かって皆が逃げているだろうと考えて正純に進言し、正純は天守への更なる砲撃を命じました。大坂城天守への容赦のない大筒の砲撃を見ていた徳川秀忠(森崎ウィンさん)は、父・家康に砲撃をやめるよう懇願、しかし家康は全く動じることなくその様子を見ているので、たまらず父に掴みかかって砲撃をやめるよう叫びました。あの城の中に娘の千姫がいると思い涙する秀忠に、乱世を生き抜いてきた家康は無表情まま「これが戦じゃ。この世で最も愚かで醜い、人の所業じゃ。」と。しかし、そう言いながら家康もまた涙を流していました。茶々と千姫と女たちは大坂城の天守の上階を目指して逃げていましたが、砲弾の攻撃が続く天守は次々と破壊されていきました。茶々がふと頭上から土が落ちてくるのに気がついて上を見ると、天井が崩れる寸前になっていて、その下には恐怖で身動きできなくなった千姫がいました。千姫は秀頼の嫁ではあるけど、初も含めた3姉妹で一緒に乱世を生き抜いてきた妹のお江の子であり、茶々には血のつながった姪でもあるからでしょうか。とっさに千姫をかばって崩れ落ちる天井の下敷きになってしまいました。
December 6, 2023
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