May 22, 2006
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テーマ: 徒然日記(22803)



安祥城址
安城市歴史博物館 の写真集です。
3月に安城市界隈を史跡めぐりし、
そのときに立ち寄った場所です。




安祥城 について(1440頃~1562)

参考:安城市中央図書館・郷土資料


1440頃、この地の地頭の和田氏が
築いたと伝えられる。京都で11年間
続いた 応仁の乱 (1467~1477)
を境に室町幕府は衰退。各大名たちは
己の勢力拡大のために全国各地で
戦闘を繰り広げ、世は戦国時代となる。


三河では松平信光が、現在の岡崎市の
北部からだんだん領地を広げ、西三河の
平野部へ進出。平山城ながらも周りを
沼に囲まれた自然の要塞である
安祥城を手に入れるべく計略をする。


1471年のある晩、信光は安祥城の
近くで盆踊りを行う。若者たちに綺麗な
着物を着せ、ドンチャンと賑やかに躍ら
せる。それを城から見ていた安祥城の
武士たちは、たまらずに皆で祭り見物に
出かけてしまう。城に残ったのは少数の
者のみ。信光はこの隙に城を占領。
異変に気づいて武士たちが城に戻ると、
城はすでに信光に占領されていた。


安祥城が松平氏のものになり、その後
徳川家康の祖父である清康が松平氏の
本拠地を岡崎に移すまでの50年間、
この城が松平の本拠地となる。しかし
広忠(家康の父)の代での松平氏は
勢力が弱く、強国の織田氏と今川氏に
挟まれた松平は今川氏と同盟を結ぶ。


織田氏との境界に近いこの城では
5回にわたる織田氏との攻防があった。
徳川家康の重臣で徳川四天王の一人
である本多忠勝の、祖父・本多忠豊と
父の本多忠高は、この織田氏との攻防
(安城合戦)によって戦死する。




物語が、切り絵のスライドで紹介されてます。
私としては1540年以降の織田・松平の間で
あった攻防の話を見たかったけど、それに関する
紹介はありませんでした。うーん、残念だわ。



3月に私が安城に行ったときは、ちょうど
雛祭りの時期でした。博物館では雛祭りに
関する展示がありました。紹介の写真は
『幼子たちの昔の雛祭りの風景』です。


安祥城址と安城市歴史博物館~愛知県


写真をクリックしてご覧くださいね。




kai-ken.gif









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Last updated  May 23, 2006 09:28:18 PM
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