I love Salzburg

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2010.03.02
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鎖橋を渡り終え、ぶらぶらっと聖イシュトヴァーン大聖堂まで訪ねてみるものの、「午後3時まではプライベートの式典の為、入場禁止」の貼り紙が…。
聞けば、内部では結婚式が行われているらしい。

綺麗な花嫁さんを見たい気持ちもありましたが、なにせ私は時間が極度に限られた身。(^^;

そこで、先にシナゴーグまで足を運んだというわけですが、
遅めのランチで活力も復活(笑)、再度 大聖堂を目指しました。



ブダペストで最も威厳に満ちた巨大な建造物、『聖イシュトヴァーン大聖堂』。
それは大きなドーム型の屋根を持つ、ブダペスト随一の大聖堂です。

建設は1851年から始まったものの、壁のひび割れや、嵐でドームが崩れ落ちるといったアクシデントの連続で、完成までに54年もの歳月を要しました。



彼こそがハンガリーにおいてキリスト教を国教とし、アジア系騎馬遊牧民族であるマジャールの国をヨーロッパの一国として位置づけた、ハンガリー建国の父なのです。

後にイシュトヴァーン1世は列聖され、8月20日を゛聖イシュトヴァーンの日"とし、今も国民の祝日になっているのだそう。
毎年その日になると、この大聖堂に安置されているイシュトヴァーンの『聖なる右手』を掲げ、行列が行われているというのですから、やはり彼は国民的聖人なのでしょう。


その『聖なる右手』が、ここの一番の見所???
それは、大聖堂の最も奥、゛聖なる右手礼拝堂"に恭しく祀られております。

お忘れなく、、、彼が亡くなったのは1038年のこと、聖なる右手とは、墨のように黒くなった゛ミイラ"のことです。

2010-03-06 04:04:53

それはガラスケースに入れて保管展示され、100Ft(単純に50円)硬貨を入れると2分間ライトアップしてくれます。

何もわざわざミイラを照らすこともないかな~、と思いつつ、
きっと誰かがコインを投入するだろうとしばし待っていたところ、やはり現れてくれました~!!(^^)

それは、幼い子供連れのお父さん。
すぐに飽きてしまったお子さんに代わり、この私がまじまじとミイラ観賞をさせて戴きました。(笑)        


「遺体から失われていた右手がトランシルヴァニアで発見されてから各地を転々とし、1771年マリア・テレジアによってブダに戻されたものである」とあります。

*

はて、何故に右手だけ???と思いつつ、、、。

一部の欧米人は、右手が聖なる天を、左手が地獄を象徴するというのだそうです。
例えば食事の時、左手でパンを取ろうとすると、右手で取るように諌められるといいます。


少し意味が違うかもしれませんが、ご存知 イスラム教、ヒンドゥー教でも右手は清浄、左手は不浄。

仏教国タイにあっても、左手で物をやりとりすることはタブーです。
(実際、バンコクで つい左手を差し出した私は、チャオプラヤ川に振り落とされそうになりました。・笑)

それは、トイレの際に使うのが左手だからというのだけれど、もともとトイレで左手を使うようになったことにも意味がある?

いや仏教においても、右手が仏、左手は衆生を表わすもの。
(余談ですが、左右二つを合わせて仏と衆生が合体した姿(合掌)が、成仏の相を表わすものと考えられているのだそうです。
いやはや、これは日本における二つで一つという考え方、「対の文化」にまで繋がっていくのだろうか???)


な~んて、ついつい浅はかに意味もなく考えを膨らませてしまいましたが、
イシュトヴァーンの遺体から右手だけが失われていたのは、その意味するところは 天でも仏でもなく、単なる偶然なのかもしれません。(^_^)


それにしても、これは黄金のガラスケースに入っているから眩しく映るのであって、
初代国王の『聖なる右手』と称されるから見たのであって、
拳を握ったその黒ずんだ右手は、少し薄気味悪くもありました。

「これを見たあなたは億万長者に!!!」
そんな嬉しいことでもあればいいのですが、、、、、そのようなことはどこにも書かれておりません…。(爆)



2010-03-06 04:04:06

  ~ イシュトヴァーン王は、1038年8月15日に逝去された。
    1083年8月15日、シュケシュフェルヴァールにて聖人に列せられた。
    生前のままの状態で発見された右手は、以後国民に非常に尊敬されている。~


* * * * * * *

生前、そのイシュトヴァーンの右手が指し示した先にあったものは…。


彼らの祖先が東方から現在のハンガリーの地に移住してきたのは9世紀末。
10世紀前半のハンガリー人は、おのおのの部族ごとに自由に行動していました。

そして、なお西へ南へと掠奪遠征を繰り返していたものの、955年に大敗を喫しことにより西方への掠奪は終焉せざるをえなくなります。

すると、今度は逆に国力を高めたドイツからの圧力を受けることになる。
ドイツの軍勢が攻め入ってくる、その最も都合のいい大義名分こそが「異教徒ハンガリー人の討伐」だったのです。

そこで、イシュトヴァーンの父・ゲーザはカトリックを受容し、ドイツとの友好関係を築こうとしました。

それを引き継いだのがイシュトヴァーン1世。
はじめは抵抗する者を容赦なく武力で制圧していたものの、力だけでは支配は永続しないことを悟り、
権威を必要とするため、ローマ教皇から王冠を授かり、紀元1000年クリスマスの日に戴冠して国王となりました。

ここにカトリック王国ハンガリーが誕生したというわけです。



なんだ~、じゃぁ、イシュトヴァーンよりもお父さんこそが建国の父に相応しいじゃな~い!
というのは、私の勝手な独り言。(笑)

民族と歴史と宗教の複雑な絡まりは、島国である日本で生まれ育ち、まして信仰心のかけらさえもない私には到底理解の及ぶところではありません。(^^;





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Last updated  2010.03.06 18:56:29
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