ペット喜怒哀楽

トマシーナ

トマシーナ
書名 : トマシーナ
著者 : ポール・ギャリコ
出版社: 創元推理文庫 2005.7.8 5版 382ページ \903
感想 : 2006.3.12日記に記載

著者のジプシーのとらえかた:

警察の目を意識して行いを慎んでいるらしく、少なくとも、いまのところ苦情は出ていなかった。女たちは手あかでべとべとしたタロット・カードで運勢を占い、男達はブリキや鍋の料理危惧を売って収入を得ている。古来から鋳掛けやうぃ生業としてきたジプシーの末裔として、この仕事には精通しているのだ。町の住民たちは疑い深い視線を向け、ジプシーとは距離を置いていたが、夏の観光客たちは、綱領としたハイランドを背景にした、野営地の華やかな彩りに目を奪われて、その背後の不潔さや野蛮な残酷さ、けものじみたどん欲さには気付かないまま、そのロマンティックな雰囲気にうっとりしていた。(...) この集団をまとめているのは熊の調教師、酒好きで祖母yな大男だ。熊使いとして知られるバルカン半島のジプシーの子孫らしく、動物に対して残酷な祖先の血を受けついでいる。町から遠く、警察の目が行き届かないのをいいことに、どうやらこれから見せ物興行を打って、夏の観光客相手にひと設けしようとたくらんでいるらしい。(...)警察がもっと真剣に職務に取り組んでいたなら、こんな小悪党どものねぐらはとうにきれいさっぱりなくなっていただろう。そもそも、ここに野営する許可など出さずに、どこかよその町へやっかい払いしてしまっていただろうに。(p177~188)  
(獣医は)法と理性が司る自分達の世界を後にして、一瞬のうちに六、七世紀をさかのぼり、迷信の支配する危険なジプシーどもの中世の王国へ、許し無く踏み込んだ侵入者となってしまった。(p304)
欧米文化から見たジプシーへの視点、とらえ方。でも、事故を侵入者にたとえるあたり、やや文化人類的視点?


その他 :
どうも、ベディ(牧師)は窮地に追い込まれるとあっさり神学の壁の後ろに引っ込み、神のみわざは謎に満ちていて、その遠大な計画や意図は人間が目の前の出来事からおしはかることはできないし、そもそも神は人間に対して直接に答えを返しはしないものだと、それだけで片づけてしまう気がしてならない。何百万人の中国人が飢えに苦しもうと、ロシア人が近隣諸国の愛国者を虐殺しようと、森に住む一匹のけものをなぶり苦しめようと、それは後に明らかになる遠大な目的のためにすぎないというわけだ。いや、神はどこまでも神であり、ついにその目的を明らかにせずに終わろうと不思議はない。偶然という腕を長く伸ばし、往々にして人間を苦しめる神と、生け贄を求める古代神モレクの間には、どこか不愉快な類似点があるのではないかと~。(p216)  ここで中国とロシアが出てくるのがね、彼がアメリカ人、でも部隊はイギリス、でもクリスチャンとは思えない?神に対する妙な感覚...


かつてあんなにも誇り高く、自信に満ちていた男が、いまはみじめに身体を振るわせる抜け殻でしかない。大人の男としての体面という殻を破って流れ出した涙は、(if he could feel like this...)

ローリの家、庭にある木、ベル
中へ招き入れる前に、実ぬんと用向きを確かめなければならない。だからこそコヴンの木陰のベンチで、見知らぬ訪問者と、旅人と、探求者と言葉を交わし、目的や素姓を聞き出した後、屋敷の扉を開いたのだ。(この風景、parece ao patio da resid. doJA)日本の縁側...

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