ヨカッタ探し

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March 3, 2007
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カテゴリ: 読書ろぐ

 村上春樹  『スプートニクの恋人』 (講談社文庫、2001)



28日にブックオフで買った3冊の最後。
これだけ、再読です。
単行本で2回は読んでいて、そのうち1回は確か
このブログをはじめてからだったと思うので、
感想書いたつもりでした。
そしたら書いてなかったので、今、書いてます。φ(..)メモメモ


これは『海辺のカフカ』ほどではないけれど、割りと好きな作品。
なので、再々読だし、あんまり状態良くないけど買っちゃいました。
内容は頭に入っていたけど、読んでたらやっぱりひきこまれた。

やっぱりいろんなものが放り出されたまんまのような、
唐突に始まって、唐突な終わり。
そこで描かれているのは恋愛なのか、別のものなのか。
割りとはっきりと、こっちの世界とあっちの世界が描かれていて、
それは、リアルとヴァーチャルといってもいいし、
外的現実と内的現実、客観的世界と主観的世界とも言えるのかも。
一般的な小説(という言い方が妥当かどうかはともかく)では、
客観的世界だけが共有されていて、そこに生きる人々の

というのが前提。でも、そうなんだろうか?

すみれは携帯なんてこじゃれたもんは持ってなくて、
「ぼく」に電話ボックスから深夜の3時に電話してくる。
村上春樹作品で電話…というと 『ノルウェイの森』 を思い出す。

けれど、自分を見失ったままの僕に対して、
すみれからの電話を受けたぼくは、準備はできている、と思う。
ぼくはどこにでも行くことができる、と。

自分の今ここがわからないと、どこにも行けない。
それはとてもとても、苦しいこと。
現実として、ノルウェイの僕と、スプートニクのぼくに
おこったこととその結末は、大差ないのかもしれないけれど、
(変わった友人に振り回されたり、大切な誰かを失ったり、
素敵な女性と出会ったり、旅をしたり、SEXをしたり)
ラストの独白によって、こんなに作品の印象が違うものかと、
変な見方かもしれないけれど、思ってしまった。

ぼくが、物語の終盤である子どもに語りかける言葉の中に、
「…それでね、その友だちがいなくなってしまったら、ぼくには
もう誰も友だちがいないんだ。ただの一人もいない」
というのがあって、それは胸にぐっときました。
そういう孤独感って、ものすごい強い。
逆に言えば、生きる目的とは、完全な友だちを求めているのかも。
誰かとつながってこそ、本当に人は生きてるって言える。
同性でも異性でも、恋人でも親友でも…
そういう存在とめぐり合って、ともに生きていくこと。
それを求めているのかなぁ~と思う。
坂木司さんのひきこもり探偵シリーズを読んだ直後だけに、
孤絶が与える傷の深さを思いました。





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最終更新日  March 8, 2007 02:06:52 AM コメントを書く


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