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寛永年間( 1627 年)創業。この年、日本では後水尾天皇と徳川家光が「紫衣事件」を起こしている。この宿がいかに激動の年月を旅籠として生き抜いてきたか感慨深いものがある。
今上天皇をはじめ、多くの皇室の方々の常宿の栄を受け、漱石や子規、虚子などが遊んだ道後一の由緒と格式を持つ宿である。
自然の小川(御手洗川)を取り込む1500坪の日本庭園「詠風庭」。
子規が
~亭ところところ渓に橋ある紅葉哉~
と呼んだ「亭」とは今眼前にある、川席料理も味わえる「ちん」のことだろうか、「橋」は今は2つの建物を結ぶ通路のことだろうか。
この連絡通路をいまは「もみじ橋」と呼んでいるが、から庭園を見下ろす趣向もまた気分が良い。
部屋は一人一部屋でとってある。鉄平石の三和土(たたき)、次の間、檜の部屋風呂もそなえ、実に広々としているうえに華美でもなく、老舗の落ち着きがある。
私の部屋からは真正面ではないが、部屋のテラスから庭園を眺めるのは日本旅館に泊まるときのおおきな楽しみである。
大浴場の空間は、宿の規模からすると標準的ではあるが、入れ替えで翌朝入った方は、床材まで古代檜を使用したもので、道後本館から引いているぬるつるした湯との相性がとても良い。
この宿は、風呂場の前にバスタオルとフェイスタオルのセットを山積みしてあるので、手ぶらで何べんも通えるのも魅力。そうそう、庭園には
~朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし~
という山頭火の句碑もありましたっけ。「まんなかのわたくし」とは凄みのある言葉です。
今上天皇が泊まられた部屋を新館に移築した展示スペースや、絵手紙の創始者「小池邦夫」の作品を集めたギャラリーが設置されており、この宿には効率だけを求めない、品のよい贅沢さが感じられる。
さらにいうと、松山という街がそうだ。街並みにゆったりした風趣があり、古いものが残っているだけでなく、古さを再現するにもほどよいデザイン性が認められるのである。夜の道後温泉駅付近を散策していて、たまたま路面電車が停車したのだが、その駅舎と電車の重なり合いが非常に美的であった。
夕食は専門家の方々と会合だったので、朝食のみいただいたが、これも味付けが丁寧で豊かさを感じる。少しづつ違いを味わえるちりめんや佃煮が食欲を駆動するのでつい食べ方が下品になってしまう。
チェックアウトの後は品格あふれるロビーでサービスのコーヒーを。私はコーヒー味音痴であるが、同行の人は「すごく美味いコーヒーですね」と言っていた。私はこの雰囲気の良さをより味わっていた。
私は昔からコスパという言葉がサモシイ感じがして大嫌いなのだが、この宿は時期によってはそう無理なく泊まることができるので、とにかく手放しでお薦めできる。
道後温泉 ふなや
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