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旧暦5月4日今年は新暦6月12日小浜島ハーリー祭に行きます。前日よりお手伝いも。
2013年05月31日
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明けましておめでとうございます 有名な琉歌を 「粗玉(あらたま)ぬ年(とぅし)に 炭(たん)とぅ昆布(くぶ)飾てぃ 心(くくる)から姿(すぃがた)若くなゆさ」直訳すれば 「粗玉の年に、炭に昆布巻いて飾り祝えば、心も姿も若返るような気持になろう」 裏の意味 「年の始めはダイヤの原石のような心根を、炭と(たんと・たくさん)昆布(くぅぶ・くるむ)ように研き続けると、その歳の暮れには、光輝く心根になる事でしょう」
2012年01月01日
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悪の軍団マジムンのテーマシャーシャシャシャシャシャ我んねーメーナチドゥーカッティ (オレは毎日、自分勝手)いくちなてぃんヤナワラバーでー (いくつになっても悪ガキで)生まれも育ちもハゴー山 (生まれも育ちも汚い山)やぐとう口癖「ハゴー!」だばー (オレの口癖も「ハゴー」だぜ)我んに気安く近づくと(オレに気安く近づくと)手足のハブがチラ突くどー(手足のハブが顔を突くぞ)気ぃちきれ ヤナワラバー(気をつけろ、悪ガキども)我んもたまには噛まれるさー(オレもたまには噛まれるさー)ワラビん時分やかんなじチャーがんまりして(子供の頃は、いつもいたずらばかり)チブルにカンパチ!(頭には必ず10円ハゲ)チクティ、アンマーんかいチャーワジラリーアマクマ スグラリィ チャーアビラリー(母に怒られては、たくさん殴られた)ヌーがワッサミー?(なんでオレが悪いのか?)これが俺だ。毒がなければただの蛇さー?!悪の軍団マジムンの首領狙うは9個のマブイストーン※わったー島ぬ宝物(オレらの島の宝物...) ウチナーグチに石敢當、 テーゲー、エイサー、チャーガンジュー 忘してーならんど肝心(忘れてならんぞ本心(真心)を) いちゃりばチョーデー、トートーメー、 命どぅ宝にカチャーシー※※ゴー!ゴー!ハゴーハゴー! ゴーゴー!ハゴーハゴー! わったーマジムン最強軍団 チューバードー(いちゅんどー) ゴー!ゴー!ハゴーハゴー! ゴーゴー!ハゴーハゴー! わったーマジムン最強軍団 バンザイ!(うりひゃー)我んの名前はハブデービルヌーヤティン すぐゴーグチあびる(なんでも文句をたれる)生卵まし!《ゆで卵ならん》(生卵がいい!《ゆでたまごはだめ》)アタビーんまし!《味やわからん!》(蛙がいい!《味はわからん!》)チャーバチナイ アマハイクマハイ(あっちこっち這いずり回っていろんなものを食べたけど)むるぐわっちーびけ(全部、おいしいものばかり)ガチマイッ!(食いしん坊!)やしが一番ご馳走なのは(でも、一番のご馳走は)ドゥーぬアンマーぬティーアンダー!(母の手料理だ! )※わったー島ぬ宝物(オレらの島の宝物...) ウチナーグチに石敢當、 テーゲー、エイサー、チャーガンジュー 忘してーならんど肝心(忘れてならんぞ本心(真心)を.) いちゃりばチョーデー、トートーメー、 命どぅ宝にカチャーシー※※ゴー!ゴー!ハゴーハゴー! ゴーゴー!ハゴーハゴー! わったーマジムン最強軍団 チューバードー(いちゅんどー) ゴー!ゴー!ハゴーハゴー! ゴーゴー!ハゴーハゴー! わったーマジムン最強軍団 バンザイ!(うりひゃー)※※ゴー!ゴー!ハゴーハゴー! ゴーゴー!ハゴーハゴー! わったーマジムン最強軍団 チューバードー(いちゅんどー) ゴー!ゴー!ハゴーハゴー! ゴーゴー!ハゴーハゴー! わったーマジムン最強軍団 バンザイ!(うりひゃー)
2010年09月30日
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イマジン 訳:忌野清志郎 天国は無い、ただ空があるだけ国境も無い、ただ地球があるだけみんながそう思えば簡単なことさ社会主義も、資本主義も偉い人も貧しい人もみんなが同じならば簡単なことさ夢かもしれないでもその夢を見てるのは一人だけじゃない世界中にいるのさ誰かを憎んでも、派閥を作っても頭の上にはただ空があるだけみんながそう思うさ簡単なこと言う夢かもしれないでもその夢を見ているのはきみ一人じゃない仲間がいるのさ平和に生きているショックでした。完全復活するんじゃなかったの?安らかにブル-スしてください。
2009年05月03日
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「まつぃんがねーゆんた」 甲乙交互に謡い合い〔 〕は合いの手 三拍子甲、松金(まつぃんがねー)ぬ 〔ヒハーヒ〕舞富名(まいふなー)ぬ 〔ヒヤサー〕 家(やー)建てぃや 〔ヤラムツィムツァイ〕〈松金と言う マイフナー(偉く賢い者・男性。現在では「お利口さん」と解釈されています)が居て、家を新築した。(ヤラムツィムツァイとは、大器晩成の意)〉乙、いみしゃから 〔ヒハーヒ〕 穴掘(アナフ)るぃ家(ヤー)どぅ 〔ヒヤサー〕 やだそぅぬ〔ヤラムツィムツァイ〕〈幼少の時から(穴堀るぃ家)掘建て小屋で生活していたが〉甲、くゆさから 〔ヒハーヒ〕 掘(フ)るぃ建てどぅ 〔ヒヤサー〕だそぅぬ 〔ヤラムツィムツァイ〕〈小さい時から掘建て小屋で生活していたが〉乙、内家戸(ウツィヤドゥ)や 〔ヒハーヒ〕つぃにふ家戸(ヤドゥ)〔ヒヤサー〕 やだそぅぬ 〔ヤラムツィムツァイ〕〈内側の戸は、葦(アシ)の戸であったそうな〉甲、外家戸(フカヤドゥ)や 〔ヒハーヒ〕るぃくびどぅ 〔ヒヤサー〕 やだそぅぬ 〔ヤラムツィムツァイ〕〈外側の戸は、茅(カヤ)の戸であったそうな〉乙、身形(ならふどぅ)ぬ 〔ヒハーヒ〕丈きふどぅぬ 〔ヒヤサー〕 いくだら 〔ヤラムツィムツァイ〕〈身形(みなり)や背丈が伸びて、成長していった〉甲、於茂登山(ウムトゥヤマ) 〔ヒハーヒ〕 照(ティ)らすぃ頂 (ツィズィ) 〔ヒヤサー〕 登(ヌブ)りょうり 〔ヤラムツィムツァイ〕〈於茂登山(石垣にある沖縄県下一の高山標高525m)に登り〉乙、キャン木ば 〔ヒハーヒ〕 白身(シルミ)じょう木ば 〔ヒヤサー〕 出(イ)だしょうり 〔ヤラムツィムツァイ〕〈キャン木の白い部分の木を切り出し〉甲、時(トゥクィ)いらな 〔ヒハーヒ〕 暇(ピマ)いらな 〔ヒヤサー〕 家持(ヤーム)ちき 〔ヤラムツィムツァイ〕〈無駄な時間を掛けず、休憩もせず、家に持ち帰り〉乙、島々(スィマズィマ)ぬ 〔ヒハーヒ〕 村々ぬ 〔ヒヤサー〕 内(ウツィ)から 〔ヤラムツィムツァイ〕〈島々・村々の中から選ばれた〉甲、大工主(ダイクシュ)ば 〔ヒハーヒ〕 手勝(ティマサ)りゃーば 〔ヒヤサー〕 見立(ミタティ)よぅり 〔ヤラムツィムツァイ〕〈大工達は、腕が冴え、見立ても良く〉乙、大工主(ダイクシュ)ぬ 〔ヒハーヒ〕 手勝(ティマサ)りゃーぬ 〔ヒヤサー〕 考(カンガ)いぬ 〔ヤラムツィムツァイ〕〈大工達の腕利きの創意工夫によって〉甲、五(イツィ)ぬ貫(ヌクィ) 〔ヒハーヒ〕 七(ナナ)ぬ貫(ヌクィ)ぬ 〔ヒヤサー〕 くい建てぃよぅり 〔ヤラムツィムツァイ〕〈五つの貫木を入れ、七つの貫木をいれ、建てた家は〉乙、内家戸(ウチヤードゥ)や 〔ヒハーヒ〕 キャンぎ木し 〔ヒヤサー〕 はい建て 〔ヤラムツィムツァイ〕〈内側の戸は、キャン木の上質材で造り(いぬ槙・マキ)〉甲、外家戸(フカヤードゥ)や (ヒハーヒ〕 白身上質(シルミジョウシ) 〔ヒヤサー〕 はい建て 〔ヤラムツィムツァイ〕〈外側の戸は、イーク材の上質材で造り〉乙、うんから 〔ヒハーヒ〕 まつぃんがねーや 〔ヒヤサー〕 名通(ナトゥ)らり 〔ヤラムツィムツァイ〕〈それから、松金の名前は、世間に轟いた。(広まった)〉この唄は、八重山の新築祝いの席で唄われています。【唄の背景】石垣島の大川村に、「松金」と言う若者が居た。16歳で両親と死に別れ、75歳の祖母と弟二人、妹二人の六人家族で、大変貧しい暮らしをしていた。「ムイアッコン」と言う、畑主が掘り残した芋を捜す、そんな生活(当時の風習)だった。 ある日、「松金」は「嘉手川松・筑登之」の畑に入って居る所を見つかり捕えられる。有らぬ疑い(麦・粟等も盗む)をかけられ、決め付けられムチ打ちに遭う。血だらけになりながら、家に帰り、祖母に話した。すると祖母は、「その嘉手川が生きてる間に、勉強して出世して、頭職になれ」の言葉に従い、教練所(役人になる為の学校)の下人(雑用係)として働きながら、そこで教本を譲り受け、作業の合間に聞こえる授業に聞き耳をたてて、読み書きから計算を必死に覚えていき、下級役人に合格。その後も昇格試験を片っ端から受けて、とうとう最高官の頭職になった。その松金は、家族のために家を新築する。家も完成し、新築の祝いと頭職昇進の祝賀会を開く事になり、その席上で、「嘉手川松・筑登之」は存命かを確認させた。嘉手川は生きていた。祝賀会に招き入れ、会場まで案内し、上座に座らせて、感謝し御礼を述べた。 「頭職まで昇進できたのは、貴方様のおかげ」 「ムイアッコンのおかげ」と、公衆面前で、その経緯を話した。 会の献立は全て芋料理。「嘉手川松・筑登之」は、即興歌を唄わせて欲しいと、願い出て「松金」の生い立ちを唄い「松金ゆんた」として後、新築祝いの席で、必ず謡われる様になった。「1791年」作 この時代、仕官役人に成る事は大変難しく、新築出きる様になるまでは、どの人も苦労を重ねた。その労をねぎらい唄われた。三拍子であることも、唄いやすい理由の一つかもしれませんね。【時代背景】 この時代、士族・平民の差が、かなりあった。男性士族は、黄色の鉢巻。着物は黒朝衣、カンザシは銀製もしくは べっ甲製。帯は赤・黄の緞子。白足袋に草履下駄・竹皮の草履。 男性平民は、鉢巻なし。着物は黒木綿・黒苧麻無地・丈が短い。カンザシは真鍮製。帯はミンサー。下駄・草履・雨の日でも傘は許されず、褌は黒。特別の時のみ、アダン葉の草履。ふだんは裸足。 見るだけで、身分が判る様になっていました。
2009年03月30日
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懐かしき故郷 作詞作曲 普久原朝喜1、夢(イミ)に見る沖縄(ウチナー) 元姿(ムトゥシガタ)やしが 音(ウトゥ)に聞(チ)く 沖縄(ウチナー)変わてぃねーらん 〈夢にも見る沖縄は、変わらないけれど 噂話の沖縄は変わってしまったと聞く〉 行ちぶさや 生まり島(ジマ) 〈行って確かめたい 生まれ故郷の島へ〉2、此処(クマ))や彼処(アマ)ぬ心配(シワ) 彼処(アマ)や此処(クマ)ぬ心配(シワ) 心配(シワ)ぬ果てねさみ 彼処(アマ)ん此処(クマ)ん 〈ここではあちらの心配をし、あちらではこちらの心配をする。果てしない心配の繰り返し あちらでもこちらでも〉 行ちぶさや 故郷(ふるさと)に 〈故郷に行って確かめたい〉3、平和なてぃ居むぬ 元(ムトゥ)ぬ如(グトゥ)自由(ジユー)に 沖縄(ウチナー)行く船(フニ)に乗してぃたぼり 〈平和になって、元と同じ自由に行く事ができるならば 沖縄行の船に乗せてください〉 行ちぶさや 生まり島(ジマ) 〈行って確かめたい 生まれ故郷の島に〉4、何時(イチ)が自由(ジユー)なやぃ 親兄弟(ウヤチョーデー)ん 揃(スル)てぃ 打ち笑い 笑い暮らすくとぅや 〈いつになれば自由になり、親兄弟も揃って笑いの渦中、笑い暮らす事ができるのだろ うか〉 行ちゃびらや沖縄(うちなー)かい[この「行ちゃびらや沖縄(うちなー)かい」のくくりが胸熱く想います。]
2008年06月22日
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かいされー(沖縄民謡)(嘉手苅林昌)風や北吹ちゃ小 歌小流ちゃしがなまで来んむぬやちゃーさがやー 来んどあがや歌声聞ち分ち 出ぢて来らやしが情ねん 無蔵やジントヨー あてんねらん淋しさぬあまり たばく取てちきて煙まで 無蔵がジントヨー 姿なとて思事ど寝言 他所知らち呉いるな他所ぬくとすんでジントヨー 我胴やちゃすが昔語らたる 夢やちょん見りはぬゆで淋び人ジントヨー 一人泣ちゅが誰と語らてん くぬないどやしがぬがし我が肝やジントヨー 落てんちかんなかなか無い歌詞ですよね。ジントヨーとは、「本当だよ」という意味です。
2008年06月15日
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中央の白い三角形は雪山を表し、「雪山に囲まれた地」として知られるチベットの国を象徴しています。 6つの赤い光の線は、チベット民族の起源となった6つの氏族を象徴しています。 赤と濃い青の光の線が並んでいるのは、チベットの2つの守護神の堅い決意により、国の精神的、ならびに世俗的な伝統が護られていることを象徴しています。 ネチュン守護神は赤 シュリ・デビ守護神は黒で表されています。 太陽は、チベットの民が自由を平等に享受し、精神的、世俗的な繁栄を手にすることを象徴しています。 1対のスノー・ライオンの勇ましい姿は、チベットの精神的、および世俗的な方策が完全な勝利をおさめることを象徴しています。 ライオンが支えている3つの輝く宝石は、 チベットの民にとって精神的な拠り所となる3つの源に対する尊敬の念を象徴しています。 この3つの源とは、「仏・法・僧」を表し具体的にはブッダ、その教えである法(ダルマ)、そして僧侶たちを意味します。 ライオンが持つ、円形で2つの色が塗られているものは、十善業法と十六浄人法による自律を象徴しています。 黄色の縁取りは、仏教がすべての場所で永遠に栄えることを象徴しています。
2008年05月16日
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チベット語の直訳です。チベット国歌輪廻・涅槃における平和と幸福へのあらゆる願いの宝蔵にして願いを意のままに叶えることができる宝石の如き仏陀の教えの光明を輝かせようそして,仏教と衆生の持宝たる大地を育み守護する御法神よ汝の徳の高い偉業の大海が広がり金剛のように固く慈悲をもって全てのものをお守りください百の歓喜を備えた天授の法が我々の頭上に留まり四徳の力が増大しチベットの三区全土が幸福で円満な時代で満たされ,政教が盛行しますように仏陀の教えが十方に広がることによって世界中の全ての人々が平安を享受できますようにそして,チベットの仏教と衆生の吉兆なる陽光と十万に広がる吉兆なる光明の輝きが邪悪な暗闇との戦いに勝利しますように
2008年05月15日
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43、「宮古根(ナーク二―)」 44、沖縄民謡 「時代の流れ」(本調子) 45、小浜島 細崎(くばさき)風 唐船どーい 46、「蛍の光」の歌詞に沖縄が出ていました 47、沖縄民謡「唐船どーい」 48、宮古古典民謡「なりやまあやぐ」 49、「小禄豊見城」本島童歌 50、八重山古典民謡「鷲ぬ鳥(バスィヌトゥルィ)節」 51、「スーリ東(あがり)」 52、「インターナショナル(ウチナグチバージョン)」 53、「我達(バンタ)が生(ン)まり島(ズマ)」 作詞作曲 下地勇 54、八重山古典民謡の中の大和口唄「六調」の流れ 55、調律きほんりろん 56、もう一つの調律法 57、絃共鳴式調律法 続き 58、「芭蕉ナガレ」 59、でんさー節大会 60、「月ぬかいしゃー節」(二揚) 61、「とぅばらーま」 62、『「小浜節」 63、てぃんさぐぬ 花や・ 64、とぅばらーま節 65、「伊野波節」 66、「でんさ節」 67、八重山古典民謡 「あやかり節」(本調子 68、八重山古典民謡 「とぅばらーま」(二揚) 69、盆の起源「仲順流り」の仲順大主は、釈尊ですよ 70、「戦後の嘆き」(作詞・作曲 登川誠仁) 71、八重山のわらべうた 「雨」 72、八重山のわらべうた 「じんじんぱーれー」 73、八重山のわらべうた 「牛(ウス)ぬ 足(パン)ぞーれ ぞーれ」 74、八重山のわらべうた 「山ミダグ(トンボ)」 75、沖縄の童謡 「えんどうの花」 76、沖縄民謡 「海やからー」 77、八重山のわらべうた 「おーせーばんのカニマーチャ」 78、八重山古典民謡 「鶴亀(ツィルカミ)節」(本調子) 79、八重山古典民謡 「舟越(フナクヤ)節」(本調子) 80、八重山古典民謡 「越城(クイグスィク)節」(本調子) 81、八重山古典民謡 「月夜浜(ツィクィヤパマ)節」(本調子) 82、八重山古典民謡 「夜雨(ユルアミ)節」(二揚) 83、八重山古典民謡 「海上(カイショウ)節」(本調子) 84、八重山古典民謡 「まるまぶんさん節」(二揚) 85、八重山民謡 基礎知識 86、沖縄民謡 「だんじゅかりゆし」 87、沖縄民謡 「肝(チム)がなさ節」 88、沖縄民謡 「国頭大福(クンジャンデェフク)」 89、沖縄民謡「十九の春」の原曲「与論ラッパ節」考 90、沖縄民謡 「なんた浜」 91、沖縄民謡「沖縄育ち」 92、「涙 そうそう」(ウチナーグチ・バージョン) 93、沖縄民謡「黄金の花」 94、沖縄民謡 「童神」(ウチナーグチ・バージョン) 95、「島の女(ひと)」 96、「八重山(やいま)」 97、沖縄民謡 「女工節」 98、「島の人よ」作詞・作曲 池田卓 99、八重山古典民謡 「桃里(トザトゥ)節」(本調子) 100、八重山古典民謡 「めでたい節」(本調子)
2008年05月04日
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1、十九の春(与論小唄) 2、「下千鳥(さぎちじゃー)」(二揚) 3、ウチナ-グチ「涙そうそう」 4、 「島唄~南の四季~」5、 「愛のチカラ」6、「西武門(ニシンジョウ)節」 元歌/ヨーテー節 7、「強い日本人」(本調子)1941年作 8、琉球古典舞踊曲「こてい(クティ)節」 9、「でんさー節」(本調子) 10、「秋の踊り」 11、「月(ツィクィ)ぬまぴろーま節」(二揚) 12、 「平安名(へんな)京太郎の唄」13、 「島造い(スィマチュクイ)14、「宮古根(ナークニー)」 15、 沖縄流行歌「裸足禁令の唄」16、「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー 」〔艦隊砲撃の喰い残し〕 17、「運玉義留」(うんたまぎるー) 18、「惣慶漢那(スーキカンナー)」〔物売り同士の囃し歌〕 19、「下千鳥」(サグぃチジュヤー) 20、 「ダイサナジャー」〔垂れ褌(フンドシ)〕21、「久高万寿主」(本調子) 22、「道具ぬ美(ちゅ)らさ」 23、「スーリ東(アガリ)節」(本調子) 24、「稲摺り節(インニ・シリぶし)」(本調子) 25、「テーゲー」(本調子) 26、「世宝節(ユタカラふし)」(三下げ) 27、「前田節(メーンターぶし)」(本調子) 28、「二合小(ニングゥグヮ)節」(通称ピーラルラー) 29、宮古島民謡「子守唄」(二揚) 30、「懐かしき故郷(なつかしきふるさと)」(一二揚・三下げ) 31、「下千鳥(サギチヂュヤー)」(二揚) 32、「だんじゅかりゆし」(本調子) 33、「紺地小(クンジグヮー)」(一二揚・三下げ) 34、「浜千鳥節(はまちどぅい・ちじゅやー)」二揚 35、「白雲節(シラクムぶし)」(三下げ) 36、宮古民謡「漲水(ピャルミズ)ぬクイチャー」(三下り・一二揚げ) 37、「豊節(ユタカブシ)」(本調子) 38、宮古民謡 「正月ぬあやぐ」(二揚) 39、「八重山育ち」壱・弐 「八重山育ち」(参・四) 「八重山育ち」五・六 「八重山育ち」(七・八) 「八重山育ち」(九・十) 40、宮古民謡「トーガニーあやぐ」(二揚) 41、宮古民謡「新可愛者小よ(しんかぬしゃがまよ)」(本調子) 42、 「くば笠小(クバガサグヮ)」(本調子)
2008年04月19日
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旧暦三月三日本年は四月八日です。昔々、ある御殿に姫が生まれました。それはそれは美しい姫君で、蝶よ花よと育てられました。年頃の17歳になり、御殿では警備のために、二重の番人を置きました。姫君の部屋は、御殿の奥、七つ、八つも部屋を抜けたその奥にありました。が、しかし毎日、夜になると騒がしくなります。異様に感じた両親は、姫を呼んで話を聞くことにした。まず最初に、母親が姫に尋ねました。母親「姫よ、病気ではないかと思うがどこか悪いのか?」姫君「別に、、」母親「・・・」姫君「ただ、毎晩のように、きれいな男の人がやってくるの。楽しくて・・・二人の世界を作っているのよ」と、顔を赤らめた。母親「きれいな男性、誰だろうね?」姫君にも分からないらしいので、母親はサンジンソウ(沖縄の呪術師)の所に行って、知恵を借りることにしました。サンジンソウのおばぁは、すぐに答えてくれました。おばぁ「大変ですよ奥方様。姫さまは魔物に取りつかれていらっしゃる。今夜、襖(ふすま)から覗いてみるとわかりますよ。」夜になり、父親である殿様と母親は、姫君の隣室から、様子をうかがいました。おばぁの言葉どおり、美しい青年がそーっと忍んで部屋に入ってきました。殿様と奥方二人は、顔を見合わせて「ああ、これは何たることか!」と、息を呑みつぶやきました。母親は、又、サンジンソウに伺いを立てに行きました。母親「やはり、美しい青年がやって来たよ。その上、二人は褥(しとね)で世界を作っているんです。」サンジンソウ「その男は魔物ですよ。奥方様が紡いでいる麻糸を、できるだけ長く紡ぎ、針を通して、男の髪「結髪(かたかしら)琉球時代の武士の髪形」に挿すと、男の正体が分かるはずです」母親は、すぐに御殿に戻って姫に命じました。母親「いいかい、姫。よくお聞き。今夜、あの青年が来たら、結髪に、この針を挿しなさい」姫君「はい、そのように致します」と答えました。母親「翌朝、青年の髪に挿した糸を辿って、二人で跡をつけて行きますよ」と考えを言いました。翌朝、母親と姫君は、その一本の麻糸を辿っていきました。糸はどんどん延びて行き、住んでいる御殿からは、遠く離れた山麓にたどり着きました。糸の先端は、暗い洞窟に吸い込まれていました。姫君「きゃっ! こ、これは」中を覗くと、暗い洞穴の中に光る目玉が二つ輝やいていました。母親「大きなハブだ! これは大変だ」二人は腰を抜すほど、ビックリしました。驚き、慌てふためきながらも御殿に戻ってきました。が、じっとしてはいられない状況です。あれほど警備も万全であっても、入り込んできた魔物。正体が、大きなハブだったのですから。もう一度、知恵を借りようと、サンジンソウの家に駆け込みました。サンジンソウ「奥方様、姫君を連れて海においでなさい。誰も踏んでいない浜の砂を踏みしめて、海水で下半身を綺麗に洗うようになさいませ」翌朝早く、母親は姫君を連れて、海に出かけました。サンジンソウの言った通りに誰も踏んでいない白砂を踏みしめながら通り抜け、海の水で姫の身体をきれいに洗いました。すると、恐ろしい光景が現れました。姫君の下半身から、小さなハブの子が、ズルズルーと何匹も海面に流れおちていきました。姫君は、もう一度海に入り、潮できれいに禊(みそぎ)をしました。このようにして、元の身体に戻ることができました。これが3月3日の事柄だった。完
2008年04月06日
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「黒島節」(本調子)1、我(バ)が 島(スィマ)ぬ 上(ウイ)なか 此(ク)ぬ 島(スィマ)ぬ 上(ウイ)なか ウヤキ ユバナヲレ スリ ユバナヲレ 「サースリ ユバナヲレ」 〔我が黒島の上には常に、この島の上にはいつも〕2、弥勒世(ミルクユ)ば 給(タボ)られ 神(カン)ぬ 世(ユ)ば 給(タボ)られ ウヤキ ユバナヲレ スリ ユバナヲレ 「サースリ ユバナヲレ」 〔神話時代からの泰平の世、豊作の世を給われ、神話時代の五穀豊穣の世を給われ〕3、今年世(クトゥスィユ)ば なをらし 来夏世(クナツィユ)ば みきらし ウヤキ ユバナヲレ スリ ユバナヲレ 「サースリ ユバナヲレ」 〔今年は豊作でしたが、来る年の夏も実り豊かな年であります様に〕4、願(ニゴ)うだ むてぃ 給(タボ)られ 手(ティ)ずるむてぃ 給(タボ)られ ウヤキ ユバナヲレ スリ ユバナヲレ 「サースリ ユバナヲレ」 〔願った甲斐あって豊作に給われ、手を合せてお願いした甲斐あって豊作に給われた〕5、今年世(クトゥスィユ)や 勝(マサ)らし 来年(エン)ぬ 世(ユ)や ゆくだら ウヤキ ユバナヲレ スリ ユバナヲレ 「サースリ ユバナヲレ」 〔今年の世は豊作であった、来る年も より以上に豊かな年でありますように〕この謡の原曲は、「正月ユンタ」本年もゆたしく うにげー さびら
2008年01月01日
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貴方が私に惚れたのは丁度十八 花盛り今更 離縁と言うなればもとの十八 返してよ私しゃ十八 主二十歳(ぬしはたち)明くれば 厄年 検査年私の十九の厄よりも貴方の検査が気にかかる貴方 貴方と焦がれても貴方にゃ 立派な妻があるなんぼ 私が焦がれても磯の鮑(アワビ)の片思い磯の浜辺の波静か二人 手に手を取り合って死んでも 貴方の妻ですよ哀れ(あわれ)十九の縁結び朝に咲く花 朝顔(アサガヲ)で昼に咲く花 向日葵(ヒマワリ)で夜に咲く花 何の花貴方と二人の愛の花月は無情と言うけれど貴方は月より なを無情月は晩(ばん)来て 朝帰る貴方は 今来て すぐ帰る奥山住まいの鶯(うぐいす)は梅の小枝で 昼寝して花の散るよな 夢を見てホケキョウ ホケキョと 啼(な)いて居る与論小唄(十九の春) 仲宗根長一氏工工四より故リンショウさんが間違えても無理ないですね。
2007年12月23日
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大集会をしなければならないの? おじぃ おばぁ の話は嘘だとでも言いたいのか? 政府は、歴史を風化させようとしてるのか。
2007年10月02日
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涼しく 過ごしてきました。
2007年09月10日
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害鳥で排除されたのではなく、農薬による食物連鎖を断ち切られ、絶滅の危機にいます。 鸛(コウノトリ)は、完全な肉食動物です。 泥鰌(ドジョウ)なら、日に数百匹は食べるとか。 その他に、カエル・バッタ等を捕食します。 もうこの世に、日本固有種は存在せず、大陸の種と交配させ 十数羽現存。掛け軸によくある「松に鶴」 松ノ木に止まる鶴の姿が「吉」とされていますが、鶴は木の枝につかまる事はできません。 モデルは、鸛(コウノトリ)でした。 以前(昭和40年前半まで)は、どこででも観ることができたそうです。 「鶴の一声」と言うように、鶴は鳴きます。しかし、コウノトリは鳴く器官がなく、音を発するには、嘴をカタカタ、カスタネットのようにして鳴らします。
2007年08月19日
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昨日記載した ペルセウス流星群 今夜夜中過ぎから、 観測できるようですよ~。 北西の天空から 降り注ぐ流星。 一分間に一つ 一時間に五十個 降り注ぐすそ野程、明るく輝くとか、。
2007年08月12日
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2007年のぺルセウス座流星群は、8月13日の午後2時ごろにピークを迎えると予測されています(日本流星研究会による)。観察できる時間帯としては、8月13日の未明「深夜から日の出にかけて」の時間帯がピークです。今年は、新月(太陽と同じ方向にある、つまり夜に昇ってこない)と重なり、月明かりのない絶好の条件で、1時間あたり約50個の流星が期待できるようです。ただ、ピーク付近での流星の出現数が極端に変わることはないようですから、8月12日~14日の間、とりわけ13日の未明は観察のチャンスです。流星群の始点(放射点)は、北東の空にあります。しかし、放射点から離れる向きに流れるだけで、全天のどこからでもまんべんなく流れます。また、放射点から遠い流星ほど長く見えます。そのため、流星はなるべく空の広い範囲が見渡せる場所で見るのが観察の基本らしいですよ。ゴザやマットに寝そべり、観察したいですね。
2007年08月11日
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今日8月6日広島平和記念公園で平和記念(祈念)式典午前8時~8時45分原爆投下から62年目昨今では、戦争での被ばく以外に、核燃料を使った発電施設から、危険を感じていながら、稼働を続けていますね。本当の平和宣言は、戦争を行わない「だけじゃないはず」
2007年08月06日
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「彌長久 世怡彌成 安楽楽 是者伊勢 善所伊勢」(やーとこせー よーいやなー あらら これはいせー よーいとこいせー)その昔より、伊勢信仰は、全国に布教されていました。江戸の時代に入り、布教活動の御師達や全国から伊勢参宮(お伊勢参り)をした人々によって、この伊勢地方で唄われていた木遣唄祝儀唄道中唄盆踊り唄座敷唄等が各地に持ち込まれ、各地で唄い継がれていきました。各地の人々は、この「お伊勢参りの土産物的存在の唄」を、「一生に一度でもいいから、参りたい」と、憧れていた伊勢の地名をつけて、「伊勢音頭」と呼ぶようになりました。先に記載した「彌長久 世怡彌成 安楽楽 是者伊勢 善所伊勢」(やーとこせー よーいやなー あらら これはいせー よーいとこいせー)は、「伊勢木遣」の掛け声ですが、この伊勢木遣が唄い広がったのは、戦国時代各地で土木工事や築城が盛んになり、土木職人や専任労働者が、その労働唄として石引き唄や木曳き唄と共に、伊勢木遣も多く唄われたと考えられます。 戦乱の世で、長らく中断していた御遷宮の復活。「御遷宮」とは、(20年に一度、神宮の神殿などを引越しし、神宝その他すべてを新しく整える神宮最大の祭典を「式年遷宮(しきねんせんぐう)」といいます。神宮神殿は、東と西に同じ広さの敷地があり、20年ごとに同じ形の社殿に交互に建て替えられ引っ越しをします。2007年7月21日のニュ-スでもありました御遷宮が再興された永禄六年(西暦1564年)この頃より次第に伊勢木遣が盛んに唄われ広がっていきました。伊勢音頭のル-ツは、永禄の時代以降に伊勢木遣より派生したとも考えられています。この音頭は、伊勢参宮の行進唄として唄われると共に祝儀唄として棟上げ式井戸掘りの完成時結婚の披露宴等の慶事の際に唄い継がれてきた。これほど身近に存在した唱(愛唄)は、いつしか酒席である座敷唄として、津々浦々まで拡がっていきます。地域により、秋祭りには欠かせない唄となりました。
2007年07月21日
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日本国憲法第25条すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。同第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。公的年金とは、この憲法に沿った法律に基づいて、国が管理運営する年金制度であり、加入が義務付けられている制度ですよね。歳をとり、健康的な労働が困難になるか、企業には定年制度があり、一定の年齢が来ると、強制的にも退職を余儀なくされる。また、心身において社会生活に支障をきたす状態、不幸にして家族を支えるべき者を失い、家族の生活が困難になる事態を「国が守る事を目的とした社会保障」種類として、国民年金・厚生年金・共済年金等があります。当り前の国自体が制定した制度を、根本から捻じ曲げ、それを「お題目」のように選挙公約に唱えていますね。「当たり前の事」が、「一大事とした事柄を、棚に上げて」選挙戦略にするの?島の公民館放送で「国民~年金を~収めましょう~」と放送しながら、、、、。
2007年07月16日
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防衛庁(現在、防衛省)戦史室にある文書資料中の沖縄守備隊(第32軍)に関する項目。1945年6月23日沖縄での組織的な戦闘が、九十日間続き、圧倒的な戦闘不能になり、日本の沖縄守備隊(第32軍)司令部が壊滅した。事実上の戦闘は、一旦終了となる。しかし、壊滅眼前の沖縄守備隊(第32軍)司令部は、残存する兵士・部隊に対し「最後の一兵になるまで米軍に抵抗せよ」との、命令を下していた。その結果、沖縄守備隊の残存兵(ゲリラ化した日本兵)は、米軍の占領支配下で、辛くも生き延びていた沖縄に住む人々に対して、襲撃し、利敵行為として尋問から虐殺へ。又は、「戦闘継続」の名目による貴重な食糧を強奪。このような悲惨な事態が多発した。本土決戦を避ける為の防衛網である沖縄の前線を死守する目的であり、沖縄自体(島民)を守るためとは、一部違って解釈されていたのかもしれないですね。当初、沖縄に住む人々に対して、沖縄防衛の作戦上は、あくまでも島民の献身的な協力を強制する。しかし、現地日本軍自体は、沖縄の人々に対して、〔疑心暗鬼〕は払拭されないでいたのかもしれないですね。例えば、住民の方言(沖縄語)は、内地出身者には理解できないものがあるかと感じます。メンソーレハイサイニフェーデ-ビルガンジューヤイビーン等々文化や風習に至っても、今でこそ情報や人の行き来が頻繁な時代と違い、全くの未開の地と思えば、方言言葉を使おうものなら、スパイ活動とみなされるご時世。方言の使用の禁止米軍の島内上陸作戦のさなか、もし沖縄の言葉で会話した場合は、軍の方針では「スパイ」であり処刑も含む罰則を加えるという指示が下されていた。現に沖縄の記録には、「方言」を使用し、処刑された人もいた。ユタ(沖縄の民衆の中で生きてきた巫女)が、方言で祈っていた。そこを通りかかる内地の兵隊が、この光景と言葉を聞きつける。兵隊は、ユタをスパイ容疑として逮捕。首里に拠点を置く軍司令部に連行し、竹槍で突き殺して処刑した。という記録がります。そのユタは、琉球の神々に通じるように、沖縄の言葉で、こう祈っていたそうです。「このかつては豊かだった島を、破壊し略奪しようとしている〔米軍〕を、討ち滅ぼしてください」と、日本国の軍隊が、同じ日本人である沖縄に住む人々を、昔からの風習や言語の「不理解と無知」による故の虐殺。沖縄戦を戦った日本軍の中心部隊が、中国大陸から転用された師団だったこと。日本軍隊の基本的性格性から起こった事かもしれないですね。これから終戦(敗戦宣言)をする日まで続く。ただし、この内容についての討論は行いませんので、ご理解の程。
2007年07月08日
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沖縄民謡「下千鳥(さぎちじゃー)」(二揚) 花(はな)に山嵐(あらし)月(チチ)ぬ夜(ユー)に霞(カシミ)かかる攣(チ)りなさどぅ浮世(ウチユ)さらみ 攣(チ)りなさや浮世(ウチユ)我(ワ)自由(ジユ)なら〔花に山嵐(結果の消失)月の夜に霞み(期待の消失)このような情けなさこそ現実なのか。情けなさこそ現実なのか。私の自由は何処にあるのか〕無情(ムジョー)ぬゆむ嵐(あらし)誰(タル)に引(フィ)かさりてぃ我(ワ)肝(チム)あまがすが朝夕(アサンユサン)攣(チ)りなさや我身(ワミ)ぬせる仕業(シワザ) 〔無情の嫌な嵐は、なぜ誰に誘惑されて私の心を動揺させるのか。朝な夕なも情けなく感じるのは、全て私自身のした仕業なのか〕
2007年06月24日
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沖縄の方言で「魂」を〔マブイ〕もしくは〔マブヤー〕と言います。ただし、「魂」であるはずの「マブイ」を落とす事が、〔命を落とす〕事として死と位置づけることではありません。古来の琉球思想には、人の魂「マブイ」は、八個あるとされていました。ちょうど、太陽の周りにある惑星を連想させるように、身体の中心核に、その人の本体である大きな魂が一つ。それを取り巻く七つの小さな魂。配置として、上半身の胸元周囲に、七つの小さな魂「マブイ」。その中心に大きな魂「マブイ」があり、心臓のあたりにあるといわれています。大きな魂「マブイ」が失われると、死ですね。では、小さな魂「マブイ」を〔一つ〕落ちた場合これは、ちょっと転びそうになる瞬間に落とす程度で、小さな不安や些細な落ち込みを経験する程度で、時間と共に回復します。(マブイも戻ります)小さなマブイが〔二つ〕落ちた場合何気ない呼びかけに対して反応が鈍い。始終ぼんやりしている。小さなマブイが〔三つ〕落ちた場合突然、物忘れが激しくなりだします。小さなマブイが〔四つ〕落ちた場合精神的な障害をきたします。突然の叫びや意味不明な言葉を発します。明らかにおかしいと思える動き(跳ねまわる・叩く・徘徊する)をします。ただし、この症状は、精神学的検査を受けても原因・病因不明と判断され、しかも、外的・物理的衝撃を頭部に受けたり、アルコール依存や薬物中毒が引き金になることはありません。マブイを落とす要因として、不意な驚き極度の精神ショック時などが原因とされています。ごく稀に出産時に力む時にも落ちる事もあるようです。対処法力のあるユタの方に「魂込め(マブイグミィ)」をお願いしましょうね。日頃から、神仏に供える方法やまじない、お守り法等の相談ができる神人(かみんちゅ)やおばぁの言葉を聞く事から、落とさない術や対処法を学んでおきましょうね。
2007年05月11日
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沖縄民謡の典型的な歌詞の流れを感じました。季節と時間の流れが特に、、、。愛情溢れる歌詞ですね。「千の風になって」私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 眠ってなんかいません千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています秋には光になって 畑にふりそそぐ冬はダイヤのように きらめく雪になる朝は鳥になって あなたを目覚めさせる夜は星になって あなたを見守る 私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 死んでなんかいません千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています 千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています あの大きな空を吹きわたっています 「千の風になって ちひろの空」(講談社)より
2007年05月08日
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竜舟競漕(ハーリー船競争)は、この連休に行われていますが、本来、旧暦九月九日の「重陽の宴」の余興として、首里城下にある竜潭池(人工池)で、競争されていたようですね。「重陽の宴」とは、首里城の北殿にある舞台での歌舞と組踊が中心に行われていた。この舞台の「幕開け」として最初に老人と老女が登場します。老人が冊封使達を寿ぐ為の「祝詞」をあげました。祝詞『老人申上候意趣』ああ 尊うとぅ〔ウ-ト-ト-〕 御御御宣けやべらに(あなとうと 申しあげます)首里天加那志〔スィティンカナシ〕ぬ 御願〔ウガン〕召しょうちゃる如に(国王の御願いされたとおり)唐〔ト-〕ぬ按司加那志〔アジカナシ〕御両所 渡〔ワトゥ〕り召しようちゃれば(中国の冊封正副使が御来訪されたので)首里天加那志ぬ 御祝事〔ウシュクゥグゥトゥ〕ぱかり (国王の御祝事をば)戴願〔テイグヮン〕ひしち 居やいりてあらば(御願しておりましたので)何うがな勤〔チトゥメ〕かんで 願〔グヮン〕てをやべる (何かで仕えるものと考えております)くぬ大翁と大媼や 果報〔カフウ)なものだやべる(この老爺と老婆は幸せなものでございます)歳〔トスィ〕や六十一〔リクジュウイチュイ〕 繰り戻し戻し〔クリムドゥシムドゥシ〕(年は六十一をくりかえしかえすこと)二帰り見やべこと 百二十〔ヒャクハタチ〕になやべむ (二回にもなりますので百二十歳にもなりましょう)子孫 また孫 やち孫 ひき孫揃て〔スルティ〕 (子孫、曾孫、玄孫、玄々孫そろって)三百三十人をやべむ (三百三十人になりましょう)唐ぬ按司加那志ぬ 御目さまち勤めかち(中国からの冊封使のお目さましつかまつり)御御目かけらんで (お目にかけようと)手揃〔ティスルィ〕足揃〔アスィスルィ〕 よしろてをやべもの(手揃い足揃って参上しておりますので)くぬ大翁大媼 御祝始めて(この老爺老婆がまずお祝始めて)子孫に能羽しめて 御目かけやべら(子や孫たちに芸をさせてお目にかけましょう)尊うと〔ウ-ト-ト-〕 (あなかしこ)
2007年05月04日
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PCが壊れて、 モバイル(携帯)で書き込んでおり、掲示板等々の閲覧ができないでいますm(..)m 買い替えに時間がかかってます(ノ_・。)
2007年04月17日
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昨晩の荘厳な大鳥居の風景から、 潮干狩り 引き潮の砂地をカキカキ。 大鳥居は、地に埋めることなく、自重で建ってました。 本柱の円周 9.9m デカい! の一言。
2007年04月15日
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楽しく 愉しく 明日は、参拝(^人^)
2007年04月14日
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そごう半地下で かふぇ
2007年04月14日
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およそ 休眠打破の蕾から見守ってきてるこの木。 散り始めました。 根元には、ドット模様。
2007年04月10日
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明日土曜 午後二時より エイサー演舞と和太鼓衆の演奏がありま~す
2007年04月06日
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この季節に寒波。 みぞれ から ぼたん雪 西日本の北部
2007年04月04日
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今週末辺りが、 満開かな~。 桜は、 人の気持ちを ウキウキさせる フェロモンが 出ているらしい。 酒の勢いじゃないのかな~?
2007年04月03日
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やっと 咲きました~♪
2007年03月28日
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風雨に曝されても、日差しに中てられても、 ガンバル土壁 赤土とスサ フノリかな?
2007年03月26日
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咲きそうですよ~。
2007年03月23日
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経過観察のソメイヨシノさんです。 東京や各所で開花宣言ですが、 この子は、 まだですね~。 ゆっくり咲いて じっくり鑑賞したいですね~。
2007年03月20日
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3月4日の三線の日から4日経ち 3月8日は、さんばの日 三板と書いて「さんば」ですね。 三板とは、 大陸伝来のリズム楽器。 伝来当時は、 単行本や文庫本サイズの板を三枚綴じて ばらん・ばらん と、鳴らしたそうです。 沖縄民謡に、常時使われるようになったのは、喜納昌永(昌吉の父)が、三枚揃えても、手の中に収まるサイズを考案。 これにより、 手・踊り を可能になりました。 愉しい楽器です。
2007年03月08日
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足元は、電気アンカ 対流型ストーブは、全開。 いちまでぃ 寒がるか~? 「寒くて、 ゴメンだけど 温かいカリカリください。」 を、言ってるだはず。
2007年03月01日
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只今、帰りま~す。
2007年02月26日
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う~ん かなりの強風でのフライトでした~。 揺れが激しいながらも、安定したタッチダウンでした。 なかなかいね。 o(^▽^)o 座席も快適。 混雑時の詰め込み(特に某社沖縄直行便)より、がたい大きな者にとっては、快適且つ格安だね~。
2007年02月24日
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今日のズームインスーパーに出てました。 美味しく頂きましたよ~。
2007年02月22日
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許容量を超えた猫籠。 四六時中ミシミシしてます。 カゴの底には、電気アンカを敷き、達磨石油ストーブの側。 あなた達は、低温火傷おこさないの?
2007年02月21日
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旧暦正月二日ですね~。 若水は、採られましたか? 鷲が巣立つ。 新年早々の寿を観たいものですね~。
2007年02月19日
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観てきますね~。 これとも違いますが、 「不都合な真実」も観たいな。 考える映像が最近少ないかな~。 ドキュメンタリー映画は、ポツリと出ては話題にはなるが、スピ系(スピリチュアル)やエコ系(エコロジカリスト)が介入すると、ややこしいかな~。 この見に行く上映会は、午前の部と午後の部(二時台)のみで、夕方もしくは夜間がない。 「少しでも多くの方に鑑賞していただきたい」と、ふれこむ上映会側だが、土曜も仕事の方も多いはず。 夕方頃は、監督を御食事に御招待してる旨、上映予定は無しとの事。 ??? 主催者側は、その程度か。
2007年02月17日
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元は、 鉄筋コンクリートのみの橋になる予定だった。 いくら安全対策だからと、景観無視も甚だしいと反対して、計画変更。 土台は鉄筋コンクリートだが、外観は石垣風。 欄干は、白木造りの烏帽子は銅製。 天守閣を望む大手門前に、アーチ型の新橋が構図よろしく、鎮座するようです。 観光地の性か、 納得し難い。
2007年02月13日
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こんなモノ見つけました。 各種打鐘信号と サイレンの種類。 昨今では、村内有線放送も少なくなりました。 これはもっと知らないモノですね。 適当なリズムかと思いきや、意味のある物だったことに感心してしまいました。
2007年02月01日
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も~ 春だべか?
2007年01月31日
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