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実家の片付け中に子供時代の写真が出てきた。USBに保存ついでにブログにもアップしておこう。まずコレは小学校の入学式早々ランドセル忘れました写真。男の子は黒、女の子は赤のランドセルなんだがランドセルを持ってない僕を不憫に思った同級生のお母さんが「うちの娘のランドセルを使って」と貸してくれたのだが正直甚だ迷惑だったが断ることもできずに撮った写真。次は祖父母宅で撮ったスナップ写真。僕は集合写真よりもスナップ写真の方が好きだ。これは確か奥三河の鳳来寺に行った時だな。五平餅食べてる。自宅の玄関先での記念写真。昭和49年の晩秋に妹その3が生まれてすぐの時だな。赤ちゃんの髪の毛の伸び具合からすると昭和50年の春先、僕が10歳になってすぐの頃かな。最後は祖父母宅の玄関前で撮った写真。親父が35~36歳、母が29~30歳の時だな。子供嫌いだった親父だったが結構写真を残しててくれたんだ。
2021年01月05日
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パタンは職人の村でもある。裏通りには仏像の工房が多くあって見学もできる。見学できるっていうと大袈裟だな、軒先で作ってるので歩いてれば普通に見れる。お土産屋でいっぱい売ってる仏像も仕上げは手作業なのでよく見れば全てが微妙に違う。こちらはちょっと高級な仏像。こちらは中級の仏像。真ん中でポーズとってる仏像はなんかタイの神様みたい。コレは売れんだろ。100円ライターぐらいのサイズの豆仏像から人間よりも大きいサイズまで色々売っている。アジアで買い物をする時は値段交渉となるのだが仏像も交渉すればかなり安くなる。アジアでの値段交渉の会話の流れを説明しよう。大抵は買い物客が冷やかし半分で薄暗い店に入ることから始まる。すると店主が店内の電気を順番につけながら寄って来る。インドであったならば「ノー高いネ」と言いながらぼったくって来るのがお約束であるがネパール人はシャイなので買い物を強要してくることはない。値段もインドのように適正価格の10倍を言ってくることはない。ただ気を付けなければならない点がある。こちらが「How much?」と訊いた後に店側は「〇〇ルピー」と言って来ることもあれば逆に「How much you want?」と逆質問してくることがあるがここで「〇〇ルピーなら買う」と言ってはならない。それが妥当な金額だったとしても店側はわざと鼻で笑いながら「Oh! can not! This is very good quality」と言うからである。「How much you want?」と言われたら逆に「How much you sell?」と言おう。多くの場合、先に値段を提示した方が「負け」なのである。店側がこちらの質問に対して「〇〇ルピー」と答えたらこちらが鼻で笑って「Oh! can not pay」と言えばまたそこからがお互いの腹の探り合いとなるのだ。たとえば店側が1万ルピーと言ったとする。こちらが7000ルピーにまけて、と言った時点で「あ、コイツは適正相場を知らねえな」と知られたらもう7000ルピーにはならないのである。「Good for each ether」と言われて8000ルピーになるか「OK, it's special price」だとか何とか言われて7000ルピーに”してくれる”ことで決着となる。つまりこちらが値段を提示したらそれ以上は安くならない。相手が先に値段提示したら”帰るフリ作戦”もある。「そうか、予算オーバーだ。他の店を回ってみるよ」と言えば「ジャスト・ア・モルメント、ブラザル(Just a moment, brother)」と交渉テーブルに優位につけるのである。まあ安く買うことが全てではないし後で他の店の方が安く売ってたとしてもさっき自分が納得して買ったではないか、だしとにかく気持ち良く買い物をするのが一番だわな。
2024年03月26日
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今日は同じフロアーの店員同士でこんな心理テストをしました。「あなたが牧場を運営するとしたら馬、羊を100頭中 各何頭飼う?」馬99頭と羊1匹って子や、馬3頭と羊97匹って子、僕は馬30頭と羊70匹と答えました。これは征服欲や心の広さ、S系かM系を表すそうです。馬が征服欲とか力の象徴、つまりS系で羊は心の広さとか協調性、穏やかさ、M系を表すそう。確かに心理テストって「そう言われてみれば当たってるかも」って思いますよね。でもさ、じゃあハイジのおじいさんってM系なのか?いやいや、ハイジのおじいさんは羊飼ってるんじゃねえって。あれはヤギ。
2006年05月30日
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今日の東海地方は朝からずっと強めの雨だった。カッパも役に立たなくて昼前にはTシャツまでズブ濡れ。それでも3時頃から雨はやみ、夕方には晴れてきた。6時に仕事が終わったので岡崎中央総合公園の丘の上に寄り道。ところが電車の架線事故のため踏切が通行止めで迂回してたら夕焼けの時間が迫って来た。仕方なく山道をカッ飛ばして丘の上に着いたものの残念、夕焼けのピークには5分遅れだった。しかしこの場所はいつ来ても風が気持ち良い。雨の後なので森の湿った匂いがする。東の空までピンク色に染まっている。結局すごい夕焼けにはならなかったが澄んだ空気が気持ち良かった。もう6月後半に突入かあ。もう少ししたら日の出も遅くなるし日没も早くなるのか。人生が過ぎ去って行くのが早過ぎるぞ。
2024年06月18日
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カタバミ科のオキザリスには色んな品種があるが我が家のものはピンク色で葉の形も少し変わっている。この時期になると円筒形の蕾が陽の光を浴びて開き、陽が傾く時間になるとまた円筒形に戻っていく。居間の南側の外に置いてあるので陽に良く当たる。サッシを開けて中庭に出る通路はこういった花だらけだ。今日は休みだったのでyoutubeでヒマラヤの動画ばかり観ていた。日本語で「カラパタール youtube」で検索するとツアー案内が多く「kala pathar youtube」で検索すると個人トレッカーの動画が多い。大抵は春か秋のハイシーズンの動画なので今夜は厳冬期の動画を検索してみるか。
2023年12月10日
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ネパールに出発まで1週間を切った。デジカメのバッテリーを充電しておこうと思ったら予備のバッテリーがない。どこに行っちゃったんだろ?ということでAMAZONで購入、翌日には届いた。バッテリー1個なのにこんな大きな箱に。商品代金は約1000円、送料無料。これで儲かるんでしょうか?ヒマラヤ極寒期のマイナス20度では電池の消耗早いだろうな。いつもポケットで温めておかないとな。さて、他に現地で困るものといえばシャワーだ。1リットルの水のペットボトルが500円らしい。そんな水が貴重な場所ではシャワーなんてない。てことでウェットティッシュを買ったんだがそんな寒さで身体を拭くなんてことも気合が要るだろうなあ。あと準備するモノって何だろう?日焼け止めも持ったしサングラスも持ったし。目薬って凍っちゃうのかなあ?
2023年12月20日
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2023年12月24日、セントレアから仁川経由でカトマンズへ。セントレアの喫煙室は日本らしくて綺麗だった。こんな喫煙室初めてだわ。仁川(インチョン)空港の管制塔トラブルのため出発は2時間遅れた。どうやら積雪のため離発着が遅れてるらしい。仁川に到着。仁川で約2時間トランジットしてカトマンズへ。大韓航空利用で往復13万円ちょい。定刻より2時間遅れて20時頃カトマンズに到着。飛行機から見下ろすカトマンズの町並みは電気やネオンサインが煌々と輝いていて「これがあのカトマンズ?」と驚くほどだった。到着後に早速アライバルビザ取得のため機械に並ぶ。え?スマホがないと申請できないの?空港の係員にデータを打ち込んでもらって完了。30日有効のビザ代50ドルを日本円で支払う。日本で撮った証明顔写真は無駄になったじゃん。カトマンズ旅行を考えてる人、ビザのことは考えないで何にも準備せずに行ってもOKだからね。空港の外にいた客引きに促されるままタメル地区へのタクシーに乗る。(約900円)連れて行かれたホテルは1泊1500円と少々お高い。部屋でipadを充電。B3変換アダプター持って来て良かったわ。でもホテルによっては日本のコンセントプラグのままでOK。チェトラパティの食堂で晩ご飯。フライドライス120円かあ、高くなったなあ。紙パックジュース30円。高山病の薬ダイアモックスを10錠100円で購入。クリスマスイヴの夜、カトマンズをブラブラ歩く。明日はジープの手配をしよう。
2024年01月10日
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昨日は午前中に岡崎城の横にある図書館に行った。整備されたプロムナードを歩いて店から3分。「PLANET EARTH」のDVDは貸し出し中だったので太宰治の文庫本を借りて来た。彼の作品がごちゃごちゃに混じったのを1冊借りた。音楽でいえばベスト盤みたいな感じの本だ。ほとんどが読んだことのある作品が並んでいるが2つ3つ初めて読む作品もあった。その中でもこいつは気に入った。数ページの短編なのだがとても太宰らしい。おヒマな人はここで読んで欲しい。⇒【太宰治 黄金風景】(3分程度で読めます)太宰といえば教科書に採用された「走れメロス」が有名だ。しかし、あれは太宰作品の中でも異色の作品であって僕はどちらかというと嫌いな部類に入る。太宰独特の切なさが全く含まれていないからだ。メロスが教科書に採用されたことによって太宰の評価が全く誤解されているような気がしてならない。最近は生田斗真が主演で「人間失格」が映画化されたがあんなふうに太宰作品を汚して欲しくなかった。(生田斗真は演技力も素晴らしく大好きなのだが)あの映画を観た人が太宰治に興味を持ち別の作品も読んでくれればいいなと思っている。借りてきた【ちくま日本文学 太宰治】
2010年04月20日
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ヒマラヤピクニックまであと1週間。そろそろ旅の準備をしようとしたらリュックがない。いつも使っている小さめのリュックならあるのだが寝袋、ダウンジャケ、セーターなどの防寒具が必要な今回はせめて60~70リットルの大きめの物が必要なのだ。登山グッズを入れてある押し入れを探しても自分の部屋や息子の部屋、他の押入れ等どこを探してもない。捨てるなんてことはないはずなのに。まあ、その大きめのリュックが見つかったとしても今回の厳冬期ヒマラヤの防寒装備が入るか微妙だったので近くのスポーツ用品店で買うことにした。店に入ってリュックコーナーを見てみると大抵は30~40リットルの普通サイズしか売ってなく50リットルになると28000円、70リットルは39000円。ひえ~、むちゃ高え!有名メーカーなんだが僕はブランド名なんてどうでもいいのだ。近くの部活用品を入れるバッグのコーナーを見たら中高生の野球部員やテニス部員が持ってそうなヤツを発見。アディダスとかナイキとかアンダーアーマーとかいかにも運動部員が食い付きそうなメーカーばかりだ。ほとんどはショルダータイプだがリュックタイプが見つかった。75リットル容量で8690円。まあコレでええわ。置いた時はいかにも運動部員が持ってそうなヤツ。僕は中学1年の初夏から運動部には関わってないので(ボール拾いの時に先輩に”オマエが拾えや”と言ってクビになった)こういった運動部っぽいメーカーは嫌いなのである。タグには3泊4日程度の滞在旅行にオススメのサイズとある。オレ、17泊だけどいいでしょうか?中は至ってシンプル。そのへんはどうでもいいわけよ。アディダスのロゴが自分には恐ろしく不似合いだがピクニックにはそんなことは関係ないのでヨシとしよう。
2023年12月17日
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厳冬期のヒマラヤでは川も凍る。デボチェという村は標高3820mでディンボチェより600m低い。この辺りの標高が森林限界かな。大体この辺りから水が凍り始める。村の近くを流れる川。もはや流れてません。カチンカチンのツルツルです。対岸のアマダブラム側を見ると全ての滝は凍っている。これはズームで撮ったんだけど間近で見たら凄いだろうな。アイスクライミングやる人はこれらの無名の滝ですら「何じゃこりゃあ!」と思うだろう。タンボチェ僧院の近くにある森。苔だらけの岩が多くて神秘的。この辺りの集落の家はこんな感じ。この日も午後からは雲が広がった。朝までいたディンボチェ方面は雲の中だろう。雲一つない晴天だったら下山してきたことが悔やまれるがこうやって雲が広がってるのを見ると「下山は正解だったな」と負け惜しみを正当化できる。
2024年02月27日
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ヒマラヤ街道は物資を運ぶロバやゾッキョが多い。厳冬期はキャラバンの数も少ないので問題はないがハイシーズンは「ドンキー・トラフィック」と呼ばれるロバによる渋滞も頻繁に起こるようだ。実際に長い吊り橋でキャラバンと出くわしたら僕達人間はせっかくもう少しで渡り終える吊り橋なのにUターンして引き返さねばならない。ロバくん達はバックしないのである。ロバがいっぱい歩いているということは当然彼らの落とし物もいっぱいあるのだ。この写真はロバくんのじゃなくてゾッキョのモノかな。乾燥させれば貴重な燃料となるので糞を拾って集めるのを仕事にしている人達もいる。ディンボチェからナムチェに戻る途中でこの旅で初めて日本人に会った。12日振りに日本語を話した。今回僕は何度も、いや何十回もネパール人に間違われた。「え?日本の方ですか!」といつも驚かれた。夕方前にナムチェに到着。カイラスロッジに戻って来た。
2024年02月29日
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パクディン村に向かって歩いているとある集落の入り口に山門のようなものがあった。中を通ると天井にはマンダラが描かれていた。ひざまずいて見上げる格好になる。また分岐点があった。どちらに行けばナムチェなんだ?よく見たら画像中央右寄りの岩にNAMCHEの文字。いやいや、こりゃ分からんだろ。迷子になるわい。だんだんと宗教色の強い道となる。オムマニペメフムと彫られた石が積み重ねられている。こういう場合はその左側を歩くのが礼儀だ。大きな岩には必ず経文が彫ってある。この労力がすなわち信仰心である。こういう場所も必ず経文を右側にして通り過ぎる。夕暮れ迫る山道を学校帰りの子供が歩いている。こんな大変な山道も彼らにとっては生活路だ。子供の頃から山道を通学路にしているのだからしかも学校までの距離も相当長いのでそりゃ大人になったら立派なシェルパになるはずだ。日暮れまでにパクディン村に辿り着けるのだろうか?
2024年01月23日
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パクディン村を朝の7時半出発。街道に出るとゾッキョのキャラバンが首の鈴を鳴らしながら重い荷物をぶら下げて通り過ぎて行く。今日から僕の荷物はリンジ・シェルパが担いでくれる。長い吊り橋を渡るリンジの後ろ姿。吊り橋の両サイドには無事を祈る五色のタルチョーがはためく。パクディン村を出発して数時間歩くとモンジョ(モンゾ)という場所にチェックポストがある。ここで3000ルピーでトレッキング許可証を発行してもらう。僕は麓の別の場所で2000ルピーの許可証を作らなかったのでここで一括して発行してもらった。つまり5000ルピー。許可証の発行には顔写真が必要だと聞いていたので日本でわざわざ1000円出して撮ったのに不要だった。これからの連絡先としてモバイルの電話番号を訊かれるが「モバイルは持っていない」と言うと驚かれた。でも書類に入力しないといけないのでリンジのモバイルを連絡先として登録。(まあ1度も電話来なかったけど)許可証発行後にサガルマータ国立公園のゲートをくぐる。SAGARMATHA NATIONAL PARKと書かれた派手なゲートだ。サガルマータとはネパール語でエヴェレストのこと、ちなみにチベット語ではチョモランマと呼ぶ。ここからは石段のアップダウンが続く。ナムチェバザールまでの道で最もキツい区間だ。川沿いを歩く。ああ、水って本当に水色なんだな。この辺りでロンドンから来た同年代のメリーと出会う。メリーはロンドン警察で働いていて初めてのネパール旅行。カルマ・シェルパと同行していた。僕とリンジのペアの方が歩くペースが速いのだが峠のティーハウスではいつも一緒に休憩をした。そしてやっとナムチェバザールに到着。大きな集落だ。川で洗濯をしている女性達が多い。ほとんどのトレッカー達は高度順応のためここで2泊する。 ⇒ 【ナムチェバザール入り口のマニ車】13秒動画 ⇒ 【ナムチェバザールを歩く】 19秒動画昨日までローカルな場所にいたのでナムチェバザールの色彩が何だか俗っぽく感じてしまう。
2024年01月25日
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パタンの家々はレンガと木材で出来ておりこんな古い建物に人々は普通に暮らしている。緻密に装飾された窓枠とカーテンがミスマッチだ。しかも僕がゲストハウスの屋上でipadを開くとwifiを使っているネットワークがいっぱい表示される。倒壊しそうな家。1階部分の水色の木戸は商店をやっていたようだ。しかしこんなつっかえ棒で大丈夫なの?街角の祠のガネーシャ。商売の神と崇められている。ネパールというかインドっぽい色彩だ。2015年のネパール大地震の爪痕。屋根瓦が崩れたようだ。世界遺産のすぐ横にこんな民家が建っている。パタンは屋上にカフェがあることが多い。屋上からパタンの街並みを眺める。パタン博物館は現在外装修理中。中の展示物は正常に公開展示されている。ルーフトップカフェでチャイとフライドライスを注文した。ネパール人のボーイは流暢な英語で「ようこそルーフトップカフェへ。世界遺産の展望をお楽しみ下さい」とまるで高級ホテルの屋上のカフェで使うようなキザなセリフを言う。例のタバコで味覚が異常に敏感になっているのでこのフライドライスがめちゃくちゃ美味く感じられ飲み込んでしまうのが惜しいほどに噛みしめて食べる。これだけ食べるのに1時間かかりました。チャイとフライドライス合わせて350円ぐらい。
2024年03月16日
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仏壇の引っ越しをされる方の料金目安になれば。距離25kmの場所まで仏壇を引っ越すことになった。今回依頼したのは仏壇のある家の地区の仏壇屋さん。依頼をしに行ったら引っ越しや処分の日程が立て込んでいて本日、日曜日の午前中ということになった。最近は仏壇の処分がすごく多いらしい。料金は仏壇の幅と移動距離によって変わるそうで平日と土日の料金区分は無し。仏壇の幅は72cm(20号って言ったかな?)で区別されていて移動距離も片道30kmで区分されていた。仏壇の高さや重さでの区分は無し。今回の作業者数は4人。作業者数が3人でも4人でも料金変わらず。今回の支払いは55,000円だった。任意だが、作業者さん達へのチップということで今回は2000円ずつ4人に、計8000円を渡した。作業の前に「今日はよろしくお願いします」というタイミングで渡すのがいいんじゃないかなあ。作業後に渡すのもアリだけど、作業前の方が気持ちいいんじゃない?ちなみに普通の引っ越し業者さんに依頼するのもアリだけどそちらは平日と土日の料金区分もあるし梱包の丁寧さ加減ではやっぱり仏壇屋さんの方が良いと思う。作業前にやっておくことは、仏壇の引き出しの中の整理。タンス預金の隠し場所で多いのは仏壇の引き出しの中なので整理時に思わぬ発見をすることも多いそうだ。あと、作業者さんが楽になるように香炉の灰を捨てておくとか仏壇自体の小物をあらかじめ片付けておくのがいいと思う。できればやっておきたいのは仏壇の上を雑巾がけ。仏壇の上ってほとんど掃除しないからホコリがいっぱいなんだよね。僕達はこれらをやっておいたので作業自体がスムーズだった。あとは仏壇を移動させる動線の確保。玄関先のドア周りとか移動元、移動先の室内の動線確保を仏壇の幅に広げたメジャーを持って歩いてみれば分かりやすい。異常、参考になれば幸いです。
2024年06月16日
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オフシーズンのナムチェバザールはトレッカーが少なく商店やロッジの半数以上(8割ぐらい?)が閉まっている。厳冬期のヒマラヤに行くバカなんてそんなにいないからね。ハイシーズンのロッジは満室ばかりで、高い宿泊代を出してもダイニングルームで雑魚寝をする客も溢れるらしい。まるで富士山の山小屋のようだ。オフシーズンはどのロッジも1泊500ルピー(約500円強)になる。しかも毛布や布団は別の部屋の物を無償で使わせてくれるので冬期に行く人は寝袋を持って行かなくてもいいと思う。昼になってから昨夜は高山病で苦しんでいた韓国人女性とナムチェバザールの西側の山道へ散歩しに行った。石の階段を下りてナムチェを出て民家の集落を抜ける。韓国人女性は英語がほとんど出来ないが何となくのニュアンスで意思疎通は出来るので右へ曲がったり左の道を選んだりと彷徨いながら歩いた。ナムチェの集落が一望できる場所まで戻ってきた。風雪に耐える造りなのでしょうがないけど同じような四角い建物ばかりで見た目がつまらんな。2時間ほど散歩してカイラス・ロッジに戻ってからは日当たりの良い空き部屋でイギリス人のメリーを交えて3人でお菓子を食べながら話をした。カトマンズでは1リットル20ルピーだったミネラルウォーターがナムチェでは10倍の200ルピーになっていた。これから高度が上がる奥地では更に高くなる。ロバやゾッキョによる運搬費が加算されるから仕方がない。日本の山でも飲料水や食事代は高いから同じことだ。ナムチェ郊外の丘の上で寛ぐゾッキョさん。郊外に立ってた看板。ネパール人と外国人では値段が違う。スカイダイビングやパラグライダー、バンジージャンプなどお馴染みのアトラクションをやるなら分かるけどサッカーやバレーボールを7ドルも払ってやるアホおるか?酸欠ですぐ倒れるぞ。その夜のカイラスロッジは国際色豊かだった。バングラデシュ人、シンガポール人、韓国人、日本人、イギリス人、中国人、ネパール人。各国からは1人ずつ、ネパール人はシェルパ達とロッジスタッフ。みんなで薪ストーブを囲んで盛り上がった。中国人は英語が話せなかったがスマホの翻訳アプリが凄かった。みんなの会話が瞬時に中国語の文字に同時翻訳されてその文字を読みながら会話に加わるのだ。音声翻訳ではない。喋った言葉が瞬時に文字になるのだ。誰かが「こりゃ中国の悪口は言えないな」と笑う。中国人が「中国では天安門事件と検索しても何も出ないんです」とか「アプリは凄いけど情報規制が激しい」と愚痴を言う。でも日本では日本人が閲覧できないサイトもあるだろうし日本寄りや現政権寄りに湾曲された報道が流されてるしそれはどの国でも同じだと思うよ、と皆が言う。イギリス警察官のメリーが「まさにその通り」と言う。「母国の真実を知らないのは自国民のみ」「それはイギリスでもアメリカでもどの国でも同じこと」「例を挙げればロシアとウクライナの自国有利の報道だよね」「そういえば上のロッジでロシア人とウクライナ人が同宿してたよ」「やりあってた?」「いや、仲良くやってたよ」「結局国民同士は問題ないんだよね」「国家間の国益のために我々国民は情報洗脳されるんだ」そんな小難しい会話などをしながら過ごしたのだった。しかもアルコールもガンジャも無しで。1つだけのストーブっていいね。お互いが「もっとこっちにおいでよ」と寄り添えるんだから。
2024年02月07日
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パタン博物館には実に多くの作品が展示されている。レイアウトがオシャレな木彫りコーナー。四角い枠を使って彫ってある神様像はバリ島のマス村の木彫り作品と驚くほど似ている。これは新しい作品っぽいので多分レプリカだと思う。この彫刻は多分オリジナル。相当古くて土着的だ。これもオリジナルか。よく見ると彩色の名残りあり。インドの影響を受けていると思う。下の写真は昔の井戸。石で彫られた彫刻が素晴らしい。30年以上前に初めてパタンに来てこれを見た時はまだパタン博物館はこんなに充実していなかった。この井戸を見るには普通に軒先を潜ればそのまま見れた。僕の大好きな日本のロックバンド「ストリート・スライダーズ」の「スクリュー・ドライバー」ってアルバムの内ジャケットにメンバー達がこの井戸と一緒に写っててまあ僕の方が先にパタンに行っていたんだけど「おお!スライダーズもパタンに行ったのか!」と思った。スライダーズのファンの皆さん、パタンは聖地ですぞ。この井戸は芸術性も素晴らしいが、そういうことも含めて僕はこれで4度目の井戸見学となった。まあ関係ないけどスライダーズの1stと2ndアルバムは日本のロック史上最高のアルバムだな。オープンGの5弦テレキャスター+アンペグってのはストーンズのキース・リチャーズと同じで.....(以下略)あかん、このへんの解説したら完全に文字オーバー、徹夜になるわ。30年前にはこの井戸の彫刻は盗難のため歯抜けが多かったのでこれらのほとんどはリメイクされたものだ。下の写真の左下部分みたいに彫刻が無くなってる箇所が多かった。パタン博物館の3階の窓から見たお向かいのクリシュナ寺院。クリシュナ寺院は赤い民族衣装をまとった人達が朝早くから夜遅くまでバジャンを歌っている。 ⇒ 【パタン博物館の中庭~動画26秒】この中庭の中央にこの石の井戸がある。
2024年03月21日
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三重県の宮妻峡と水沢もみじ谷の紅葉を見に行って来た。高速道路を使って1時間半弱で宮妻峡に到着。最奥部の駐車場にs660を停める。駐車場近くの林道から。近くの宮妻キャンプ場に下りて行く小道。後ろ姿のシルエットを妻に撮ってもらう。宮妻キャンプ場は来年2024年3月末で閉鎖となるそうだ。まあアクセスが悪いし林道も車が擦れ違えないほど狭いし特にこれといった特徴もないので閉鎖も仕方ないかな。昭和のままの風景が残っている。ただ、宮妻キャンプ場の横を流れる川は清らかで広い河原で星を眺めるには絶好の場所だ。山に囲まれてるので四日市市の光害の影響を受けないな。でもここで夜を過ごすのはさすがに怖過ぎるなあ。次に三重県の紅葉見どころランキング1位と紹介されている水沢(すいざわ)もみじ谷に寄ってきた。確かに紅葉はきれいだ。しかし規模が小さ過ぎる。え?ここだけで終わり?って感じでガッカリ。これで三重県紅葉ランキング1位?もみじ谷という名前に全然伴っていない。愛知県の香嵐渓や小原の紅葉、タカドヤ湿地には遠く及ばないし僕の家から徒歩5分の岡崎東公園のもみじの方が多いし綺麗だ。水沢もみじ谷はせっかく行ったのに残念な紅葉スポットだった。
2023年11月29日
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ナムチェバザールの入り口には山門のようなものがありその中の壁面や天井には極彩色の神様が描かれていた。ナムチェバザールの上部にあるカイラスロッジにチェックイン。リンジがシェルパの仕事の時によく泊まる宿らしい。カイラスロッジからはタムセルク(6623m)がよく見える。2階の部屋に荷物を置いてダイニングルームに行きチャイを飲んでから部屋に戻ったら聞き慣れた声が。ロンドン警察のメリーもこのロッジにチェックインしたのだった。その後、メリーとはずっと一緒にトレッキングすることになる。
2024年01月26日
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2024年の元旦は夜明けに目が覚めた。高山病の予防薬ダイアモックスを半錠飲んだせいか夜中に2回おしっこに行ってウトウトしていた。窓は凍っているが外が何だか色づいている。ロッジの外に出てみるとヒマラヤが赤く染まっていた。室内気温はマイナス2度。この温度計は日本を出る前に100均で買った物。ブログネタの小道具ってワケですわ。窓ガラスは氷の結晶アート。今日のみんなとの朝の挨拶は「Happy new year」だ。ダイニングルームでみんなで食事。窓辺には経典が置いてあった。食後に薪ストーブを囲んでマサラチャイ。今日は標高4400mの村、ディンボチェまで。横にはヒマラヤの雪を源流とする川が流れている。画像右下に見える吊り橋を渡るとガレ場になっておりアマ・ダブラムのベースキャンプに続いている。こんな丘でテント張ってのんびりしたいなあ。
2024年02月12日
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昨夜は星を何度も見にロッジの外に出たりしていたしベッドに入って温まると咳が止まらなかったので明らかな寝不足だったが体調不良というわけではなかった。軒先に置いておいた100均の温度計はマイナス9度。想定していたよりもずいぶんと暖かい。明け方は室内のペットボトルも凍っていて振るとシャーベットのように飲めるようになった。朝食の後にディンボチェの集落を散歩した。西の空に月が沈んで行く。何だか地球以外の別の惑星にいるように思えた。本当ならカラパタールに向かうための高所順応としてこのディンボチェに連泊するつもりだった。でも諸事情でこの先の奥にはもう行かない。ここディンボチェで引き返すのだ。名残惜しいので予定通りここで連泊する。その代わり明日からは猛スピードで下山する。壮大な風景。ずっと見ていても飽きない。明日で見納めか...。
2024年02月18日
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ディンボチェからナムチェバザールまで1日で戻るのだがよくもまあこんな山肌を削る道を作ったものだ。それにしてもヘリコプターがたくさん飛んでいる。最初は「高山病などの救助搬送ヘリか」と思っていたがヘリに乗ってエヴェレスト・ベースキャンプやカラパタールまで一気に行く”ヘリツアー”が多いそうだ。そこで記念写真を撮ってすぐ帰りのヘリに乗るというものでインスタやSNSにアップする旅行客が利用するんじゃないかな。5万円程度で簡単に5000m以上の山に行けるのである。そして高山病にならないうちにさっさと麓に戻る。金の使い方でそういうツアーも可能なのだ。シェルパやガイドを雇って10数日かけて登ると宿泊代や食事代やガイド代も結構かかるわけでヘリで半日を割いて行ってきた方が安く済むらしい。一般ツアー客ならば特に抵抗はないだろう。お金を払って見晴らしの良い場所に行く、それは当たり前のことなのだから。しかし山登りが好きな人達からは物凄く邪道に感じる。歩いて登ってこそ山だ、ヒマラヤを観光名所と一緒にするな、そんな楽で卑怯なことするな、など色んなことを感じるだろう。でもヘリ遊覧なんだから卑怯でも何でもない。別にそこまで苦しい思いして山に行きたくねえし。インスタやSNSにアップするのが目的なだけだし。だからどちらが正解だなんてことはない、どちらでも良いのだ。乗鞍の雪の壁見学バスツアーは邪道なの?麓から苦しんで何日もかけて登らなきゃいけないの?恋愛のプロセスを経てエッチをする、風俗店で金を払ってエッチをする、どちらも行為自体は同じだ。トレッキングとソレとを混同するのも極端だけど僕にはヘリを使って5000mに行く選択肢は有り得なかった。登山道を歩いた後に辿り着くという行程を楽しみたいからだ。標高5000mまでの苦労をカットするのがNGなの?じゃあ4000mまでは? 3000mまでは?2800mまでのルクラまでなら飛行機OKなの?日本からカトマンズまでの飛行機はOKなの?本人の自由なのだ。どんな手段を使って山に行ったっていいのだ。自分のやりたい方を選べばいいのだ。僕は歩いて行きたいから歩いただけだ。個人的な考えでヘリツアーを選ばないだけだ。ヘリで簡単に目的地の絶景を見るよりも色んな集落に泊まって色んな人に会って色んな体験をしたいから歩いて往復するのだ。こんな無意味な思いを堂々巡りしている間もヘリコプターは僕達の頭上を通り過ぎて行った。こちらは多分緊急搬送ヘリな。ちなみに日本の山の保険では救助ヘリ保険というのがあって掛け捨てで5000円だったかな?を払えば万一の遭難の時に1時間70万円もする民間救助ヘリの費用に保険が適用されて無料になるというものがあるらしいが(県警ヘリなら無料だとかも聞くがそのへんはよく分からん)海外旅行保険のヒマラヤでのヘリ保険は認められないと聞いた。下山時に仮病を使ってヘリ遊覧飛行を楽しむヤツがいるそうで...。まあ僕は海外に行く時も保険に入らないのでどうでもいいけど。妻からは「墜落して死んだら慰謝料が多く入る飛行機に乗れや」「中国東方航空に乗った時は墜落して死ぬんじゃねえぞ」とごもっともな恫喝を受けていることはココでは割愛しておく。
2024年02月25日
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パタンの中心部であるダルバール広場から南に向かうと日用雑貨店の商店が立ち並んでいる。更に南に向かうとバスターミナルがあるのだが観光客にとっては大した見どころもなく面白みに欠ける。折り返して戻って来て今度は東に向かって歩く。こちらも一般住宅が多いが所々に小さな寺院や祠がある。こんなカラフルな寺院の門を発見。一般住宅の迷路をくねくね曲がりながら迷子になる。地面に置かれたお供え物。ガネーシャが祀られた小さな祠。赤い朱印が信仰の深さを感じさせる。こんなレストランの看板を発見。いやあ、これはよく考えたなあ。BEATLESってやっぱ世界的に有名なんだな。わざと迷って色々歩き回ったけれども結局ダルバール広場の近くまで戻って来てしまった。釈迦の掌からは抜け出せない。
2024年03月24日
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最近は夕焼け時間に程良い時間に仕事が終わる。夕方6時まで仕事をして山道を走って丘の上に着くのが大体6時40分ぐらいなので日没まで30分近く余裕がある。この時間はセントレア空港に着陸する飛行機が多く幾筋もの飛行機雲が西の空を横切っている。画像中央の飛行機雲の上の方に月が見えるけど分かるかな?水蒸気の多い日は飛行機雲は消えずにどんどん増えていき幅も太くなって西の空は帯状の雲が多くなる。今日の夕焼けは凄くはないがまあまあだった。それよりもウグイスの鳴く森の近くで吹かれる風が良かった。
2024年06月11日
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親父はよくもこんな紙クズを保管しておいたものだ。消印の押された使用済み切手が小箱にいっぱいなのである。呆れるやら感心するやら、何よ?五厘とか一銭って。五厘って何枚集めたら一円になるのかすら計算するの面倒だ。五厘x2で一銭か?一銭x100で一円か?こんな使用済み切手は「一銭の価値」すらないんじゃない?ところがネットを見るとこれがまたコレクターがいるらしく消印の場所ごとに集めてる古切手の収集家もいるようで出品してみたらことごとく全て完売してしまうのである。しかも隅の部分が破れていたり切れていたりするんで「難あり 破れあり 非常に状態が悪い」と明記しておまけに「当方素人ですので詳しいことは分かりません」と説明文を丸投げしているのである。しかも送料¥84は落札者さん側が負担するのだがそれでも売れてしまうのだから恐ろしい時代である。そんで僕も出品する時に「小樽消印」だとか「相模消印」だとか潰れて読みにくい消印をルーペなんぞでフムフムと覗いたりしてこちらまでコレクターのような感じになっちゃってるんだが先日「おお!これは!」なんて消印を見つけた。一銭五厘という中途半端な額面で、郵便局の消印の代わりに「ぜひ標札を掲げませう」なんて押されている。これは珍しい!売らずに取っておくべきなのか?いや、イカンイカン、俺は切手マニアではない。さっきまで「こんな紙クズ」と言っていたではないか。ミイラ取りがミイラになっちゃイカンのである。ということで泣く泣くじゃないけど出品したら早速入札がありました。いくらまで値上がるんだろ?こんな風に密封して発送します。
2020年07月02日
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先日の三重県宮妻峡へはs660で行ったのだが岡崎ICから四日市までは高速道路を往復使用、高速を出てからは山道を走ったのだがカッ飛ばすでもなくエコ運転でもなく一般的な走り方で往復180kmぐらいだった。(高速道路使用が3分の2の割合程度)それで燃費は驚きのリッターあたり26.0km強だった。s660はハイブリッド車ではない、普通のガソリン車だ。6速マニュアルにより回転数を低く抑えれるということもあるが大人2人で乗ってこの燃費というのは嬉しい。しかも軽自動車なので高速料金安いし。ちなみに自分のアルトワークスで同じ道で同じ走り方したら5速マニュアルなのでリッター20~22kmぐらいだろうなあ。(独りで乗ったら絶対20kmまで伸びないな、運転荒くなるから)下の画像が二重にボヤけて見えてしまう中高年の方、安心して下さい、シャッターブレですからね。
2023年12月03日
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4月13日の夜(日本時間)はスリランカの新年だった。明けた14日、名古屋市港区の公園で新年パーティーがあった。集まったスリランカ人は数百人で僕も呼ばれて参加した。ちなみに皆さん知らないかもしれないが僕はスリランカ人ではない。白状すると日本人である。僕は覚えてないけど、僕のことを覚えてるスリランカ人達から「あけましておめでとう。サイトーさん久し振りねえ」と次から次へと声を掛けられるが、正直「アナタ誰?」である。でも僕の名前を知ってるってことは会ったことあるんだろうなあ。みんなで持ち寄ったスリランカ料理を食べてワイワイ過ごす。公園の中でタバコ吸っちゃいかんと思って用水路脇で吸った。水面には遅咲きの八重桜が映り込んで揺れている。桜の花びらが下流に向かって流れて行く。流れて行く花びらを見ていたら自分がすごく小さくなって花びらという舟に乗って流されて行くイメージが湧いてきた。これは用水路ではなく大河なのだ。水面を覗き見れば岸に咲く花が映っていて舟はどんどん海に向かって進んでいる。きれいな景色は一期一会で通り過ぎてゆく。舟は幾つも浮いていて、どの舟も最終目的地の海まで自分の意思とは関係なく、運命という名の風によって運ばれて行く。途中で小さな魚が浮き出て来て波紋を作るだけで舟の進路は変わって速い流れに乗ったり停滞したりする。海まで辿り着けずに岸辺で朽ちていく舟もある。桜の花びらも人間も同じなんだなあ。「ああ、サイトーさん、ここにいましたか」とスリランカ人が橋の上から声を掛けて来て我に返った。僕のことを大好きだというスリランカ人の女の子がいて(好きといっても恋愛感情ではなく)スリランカ政府内の事務所で働いていた聡明な女性で日本で働いているスリランカ人のご主人さんと1年以上前に結婚して来日したんだが言葉や文化など全然分からない。最初に会った時に妊娠中だと分かったので気遣ってたんだけど(説明するまでもないけど僕の子供を妊娠中ではナイ)「サイトーさんは知ってる日本人の中で一番優しい」とそれ以来いつも僕の横にくっついてるんだけどあんまり仲良いとご主人さんが嫉妬するといけないので着かず離れずの距離を取っているのである。昨日は2ヵ月前に生まれた赤ちゃんを連れて来てくれた。「サイトーさんに見せたかった」と言ってたけど繰り返すが決して僕との子供ではない。「あ、頭のグリグリが2つあるじゃん、天才になるよ」(グリグリって”つむじ”のことね)「オレもグリグリ2つだからさ」と言ったら笑っていた。僕は彼女のことを「ナンギ」と呼んでいる。難儀ではない、スリランカのシンハラ語で”妹”の意味だ。”妹”と言っても本当の妹という意味ではなく日本語で言ったら”ヘイ彼女~”みたいなっていうかつまり血縁の妹ではない、年下の親愛なる女性(恋愛感情のない)そんなニュアンスのシンハラ語がこれまた使えるのである。昨日の公園青空パーティーでも初めて会った女性達に「ハイ、ナンギ、アケマシテ オメデトウ、Happy new year」と軽く挨拶するだけで仲良くなれるのだ。そうやってスリランカ人の友達はどんどん増えていくけどなんで日本人女性とはさっぱり仲良くなれないんでしょうかねえ?ちなみに今週末はインドネシア・フェスティバルに誘われているよ。
2024年04月15日
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神も仏も幽霊も信じないし見たこともないし霊感なんてこれっぽっちも持っていない。今まで夜中の山道を歩いたり避難小屋に泊まっても霊的な怖さを感じたことはなかった。しかし今回の空木平(うつぎだいら)避難小屋では恐怖の一夜を過ごすことになってしまった。 【今回の山行詳細はこちら】夜8時前、独りぼっちだし暗いので寝ることにした。寝袋に入り持参したランプの火を吹き消す。シーン・・・と静まり返った小屋内。外には全く風がなく、草のそよぐ音もない。ランプを消してほんの5分後、床がミシリときしむ。それを合図にしたかのように壁もドン!と鳴る。真っ暗闇の中で目をこらし、「何だ?」と思う。音はどんどん大きくなり、パキン!ミシッ!と響く。ラップ音?まさか。幽霊なんて迷信だ、と科学的に音の原因を解明しようと考えた。木で出来た床や壁が空気の乾燥や気温差によってきしんでいるだけだと自分に言い聞かせる。しかし尋常ではない音の大きさである。そして遂に枕元をドン、ドン、と歩くような音。たまらずに靴も履かずに小屋の外へ逃げ出した。外は相変わらず無風で満天の星空だ。「どうするよ、ヤベえわ、これ」と外で立ちすくんだ。とりあえず頭を冷静に、と考えて5分後に小屋に戻った。きしみ音は止まっている。ランプのロウソクの火を点けて再び寝袋に入る。しかしもう眠れない。心臓が高鳴っている。ランプに照らされた薄暗い小屋内を見回すがもちろん誰もいないし異常はない。静寂の中、さっきのは何だったんだ?と考える。眠れないままずっと目を開けていた。2時間後ぐらいか、ロウソクの火が尽きた。すると、何とまたしても始まったのである。ミシリ、ギシ、ドンドン、パキン!パキン!足音は屋根のトタンの上も歩き回りトタンのずれる音までするほどだ。とっさにレッド球の懐中電灯を点ける。すると音は止まるのだ。腕や背中に鳥肌が立ち、情けないことなのだが涙が出そうになるほど怖くて小屋から出た。またしても靴下のままである。あり得ない!こんなの嘘だ、と自分を落ち着かせる。しかし、いつまでも外にいるわけにもいかない。寒さと恐怖でガタガタ震えているが小屋に戻るしか選択肢はないのだ。またランプを点けるがランプ用ロウソクは短いために2時間しか持たないのだ。明かりのある2時間はまたしても無音だ。まだ深夜0時である。気が高ぶっていたが疲れのためうとうと眠った。パキンッ!という大音響で飛び起きた。ロウソクの火が消えている。ズルズル、ミシリ、パキン、ドンドン・・・またしても声にならない悲鳴をあげて外に飛び出す。慌てていて入口の戸が開かない。閉じ込められた、と思ったがそれは勘違いで転がり出るように寒空の中に出た。星が静かに光っているだけである。一晩中これの繰り返しだった。霊の姿を見たわけではないが「明かりを点ければ静まり返る」というのが木の乾燥、気温差うんぬんが問題ではないのが分かる。一体なんだったのだ?明るくなったら荷物を置いていっても構わない、とっととこの小屋から逃げて山を降りなければ、と思った。(結局、夜明けと共に山頂を目指したのだが)山には独りで何十回も入っているが過去にこんな体験をしたことはなかったし霊の存在を認めるのはシャクにさわる。以上、ありのままの体験を書いたのだが酒も飲んでないし規制物質も摂取していない(笑)全く冷静でシラフの状態であった。帰宅しても信じられずに、というか真実を知りたいと思ってネットで調べてみたら【こんなサイト】を見つけたことも付け加えておく。悔しいがしばらく山に行けないかもしれない。
2009年08月22日
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今日も万引きがあり犯人を捕まえた。通りすがりにリングを速攻で盗って行かれたのだが追いかけて警備員室に連れて行った。なんと70歳をゆうに越えるおじいさん。リングのサイズも全く合わないブカブカのもの。警備員室で「住所は忘れた」とかほざくのでついカッとなり「この泥棒クソ野郎!」と思いっきりデコピンを食らわせてやった。「今、万引きの罰金は20万円になっている」とか「1ヶ月は寒い牢屋に入れられるぞ」と思い切りビビらせてやった。しばらくして警察登場。それからは住所や名前を思い出したらしく(笑)取り調べは難なく進んだ。被害届けは忍びないので出さなかった。署に連行して行き、息子に引き取ってもらう。引き取りにみえる息子さんが不憫に思う。
2008年11月08日
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昭和の旧車の改造検証 第2弾。スカイライン、フェアレディ、ローレルなどなど昭和の車をシャコタンなどのヤン車仕様にするのはニッサンの車がほとんどだった気がする。当時の日産自動車はアンチTOYOTAの気概があった。トヨタと日産、まあロックでいえばビートルズとストーンズ、お行儀よくしてんじゃねえよ、みたいな感じかどうか知らないがヤンキーはなぜかニッサンの車に乗っていたような記憶がある。ていうか、ニッサンの車の方がいじりやすかったんだろうな。昭和から平成に移り変わっても”日産=品のない車”という図式がありシーマ、グロリア、セドリックはシャコタンでスモークガラス、パンチパーマにサングラスというチンピラみたいな奴が乗っていた。中にはレパードみたいなほんの少~しオサレな車も登場したが基本的に日産車は赤黒ツートンの鉄仮面スカイラインとか、硬派なイメージが常に付きまとっていた。7thスカイラインからかな、軟派な大衆向けスカイラインになったのは。そんな中で先月、トヨタ車でありながらヤン車仕様にした車を発見。お約束の出っ歯にシャコタンでバーフェンを装着。バーフェンというのはオーバーフェンダーの略、もしくは当時のヤンキー言葉である。オバフェンと言う人もいる。当時はフェンダーミラーだったがヤン車は必ずドアミラーに交換。しかも角度をつり上げておくのがヤン車の鉄則である。しかもこの車、自作マフラーで運転席下からのサイド出し。(笑)これまたお約束の汎用リアウイング。右リアガラスには”弥生”のステッカーだ。(笑)当時流行ったのがリア置き型スピーカー。この車はBOSE付けてるからちょっとオサレやね。普通はカーオーディオはパイオニアのロンサムカーボーイ、リア置き型スピーカーはTS-7だったかTX-7だったか忘れたがその部分が水色に光って浮かび上がるやつが主流だったからな。かくいうワタクシもフルエアロの赤いファミリアにそのスピーカーを付けていた過去は恥ずかしいので内緒である。横から見たオーバーフェンダー。しかもホイールはスピードスターのマークスリー!これはタイヤ幅245(24.5cm)(”ニーヨンゴと読む”)ぐらいに深リムの9Jか10Jあたりのホイールをつけてパツパツにしてる。パツパツというのも改造車用語だがニュアンス伝わるだろうか?ちなみにノーマルのチェイサーのタイヤ幅は185(18.5cm)だ。もうひとつ余談になるがワタクシもサバンナRX7に乗ってた時にスピードスターのマークワン(通称1円玉)ホイールを履いていた。本当はメッキカラーなんだが、ボディーカラーと同じ黒色に塗ってガラスもスモーク貼って真っ黒にしてたんだがマークワンは富士スピードウェイなんかで走ったりした時はブレーキの放熱効果が悪くすぐフェードしてしまう。ということで古い写真見つけたのでアップ。で、もう1度、横から見たチェイサーの写真に戻ってみよう。バーフェンもマ―クスリーのホイールもヤン車テイスト炸裂だがそれよりも衝撃なのが”三原順子”のステッカー!!!(笑)「SEXY NIGHT」という曲で当時のヤンキーや暴走族に圧倒的に支持を受けたヤンキーアイドルである。コンサートでは親衛隊が順子ぉ~!と叫びまくったもんである。その三原順子のステッカーが貼ってあるということはこの車はワンオーナーでずっと乗っていたことを意味する。なぜなら一度この車が手放されて次のオーナーになった場合、この”三原順子”のステッカーはその時に剥がされたであろうからだ。三原順子は落ち目になった時にヘアぬードを出して当時騒がれたが今では”三原じゅん子”として国会議員になっているということはある程度の人は知っているんではないだろうか?と思いつつ彼女が現国会議員とはなあ、と失笑すらしてしまうのであるが人は変わるからね、成長するからね、若い頃の過ちってあるからね。以上、昭和の旧車の改造検証という内容のはずだったが恐ろしく主観的になってしまったようなのでそろそろ終わりとする。
2018年09月16日
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妻の実家の家屋解体が今月末から始まるので慌てて室内の片付けを夫婦2人でやっている。現在は亡義父母の住んでいた1階の片付けはほとんど終わり妻の亡兄家族が同居していた2階の片付けをしている。そんな中、押し入れの中から新品未開封のクッキー発見。賞味期限の印刷には96年6月1日と書かれている。これって1996年?それとも2096年?さて開封してみる。あれれ?普通じゃん。試しに食べてみろと妻に言ったら却下されたので僕が1つつまんで食べてみようとした。まさか新品未開封のクッキーが腐ってはいまい。賞味期限切れからまだ28年しか経っていないのである。手に取って顔の近くまで持って来たら、く、臭い!チーズの腐ったような匂いだ。そっか、クッキーにはバター使ってるもんな。それが発酵してこの匂いになっているんだな。ということで試食はやめておいた。皆さんも押し入れの奥に眠っているクッキーはなるべく早めに食べちゃうことにしましょう。
2024年06月13日
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