気晴らし 0
お詫び 0
亡き娘から託された夢 0
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昨日は久しぶりに朝5時半に起きて着替えとホテルを出る支度をしました。6時半前に車に荷物を全部運んで、6時半からの朝食をSさんと3人で食べに行きました。どんな時でもご飯だけはたくさん食べられる体質になっているので、朝食はたくさんいただきました。朝しっかり食べないと一日を乗り切る元気が出ませんから。朝食が終わると私たちはホテルをチェックアウトしました。Sさんは部屋へ荷物を取りに行き駐車場で待ち合わせしました。そして一緒に車に乗って亀岡の現場へ向かいました。(ホテルの朝食とチェックアウト) 昨日は哀しみの雨が降りしきるなか亀岡の交通事件現場で行われる法要にお邪魔しました。それは昨年福井市の生命のメッセージ展で行われた亀岡のご遺族小谷さんの講演を聞いていつか一度はお参りさせてもらいたいと思っていました。そんな中Sさんがこのご命日の前日にさえりんと瞳さんの現場にお花を供えて京都亀岡の現場にお参りに行く予定を聞いてせっかくの機会なので私とさえパパもSさんに同行させていただいたのです。Sさんはとっても行動的で思い立ったら自分で連絡を取って1人でもどんどん行動されるタイプです。私は勇気がなくてつい躊躇してしまうタイプなのでSさんを尊敬します。今回も誘って下さらなかったら行きたいと思っていても行動には移せなかったと思います、Sさんありがとうございます。ホテルから車で15分くらいで小学校近くの現場に着くと、ニュースでは見ましたが細い道に車がたくさん抜け道として走っているごく普通の民家の中の直線道路でした。どうしてこんな場所でこんなにも無残で悲惨な事件が起きなければならなかったのかとずっと考えていました。雨の中にも関わらず大勢の報道陣と大勢の方々がお参りに見えていました。ご遺族の小谷さんにご挨拶をし、中江さんにも声をかけていただきました。Sさんと一緒に遺影の横にお花を供えさせてもらうとたくさんのお花があり皆さんの想いも感じ、昨日は事件から12年のご命日で十三回忌法要でした。メッセージ展の参加ご家族の方もみえていました。雨がずっと降っている中現場の道路での法要が始まり、最後の方に私たちもお焼香させていただきました。法要が終わると持ってきたお花は各自持ち帰るそうなのでSさんは京都にもう1泊されるので「お花はさえちゃんにあげて」と言われいただいてきました。公民館の駐車場前にはこの事件のモニュメントがありました。そして駐車場では大勢の報道陣に囲まれて中江さん、小谷さん、幸姫さんのご主人様の記者会見が行われ、私たちは隅でそっと話を聞かせていただきました。(昨日亀岡の現場で行われた法要の様子とモニュメント)亀岡暴走事故から12年 遺族は「十三回忌と言われても…」12年前のきょう、京都府亀岡市で車が登校中の小学生の列に突っ込み、3人が亡くなりました。いま、遺族が思うことは。 京都府亀岡市の事故現場では雨が降る中、13回忌の法要が行われました。12年前の23日、無免許のうえ居眠り運転をしていた当時18歳の少年が、登校中の小学生の列に突っ込み、3人が亡くなり7人が重軽傷を負いました。お腹に子を宿していた妊婦の娘を亡くした男性はこの12年間について。 【妊娠していた娘を亡くした中江美則さん】「十三回忌と言われても僕の中では複雑すぎて、悲しすぎて。この瞬間がずっと続くと月日の流れが残酷になりすぎる。この世に存在している僕らは置き去りにされているような気もするし、あまりにもむごいなと思う」 加害少年は9年間服役し3年前に出所。無免許運転の厳罰化などを訴え続けています。 【妊娠していた娘を亡くした中江美則さん】「犠牲者は交通事故で済まされたくないんですよ。交通事件は犯罪やということを(メディアも)一緒に訴えてほしい。そういうことをこれから望んでいきたいしこれからもっともっと諦めんとやっていきたい」(テレビ大阪ヤフーニュースより引用) 報道陣の質問に対して3人のご遺族がお話しされる中で、一番印象に残ったのは中江さんの報道陣に対して「この事をただの交通事故として片付けてほしくない!!これは交通事故ではなく交通事件であり犯罪なんだ!!たった1人でも人が亡くなればそれは交通事故ではなくれっきとした交通事件で交通犯罪なんだ!!そのことをマスコミはしっかり正しく報道してほしい!!」という訴えでした。私たち遺族の想いを代弁して下さったようですごく心に深く響きました。そうなんです!!ただ車同士でぶつかって亡くなった人がいないのならただ交通事故かもしれませんが人が亡くなっている以上交通事故として警察も事故処理をして簡単に終わらせるのは遺族としてこれほど切なくやるせないことはありません!!私たちが大切に育ててきた子供たちは事故に巻き込まれた犠牲者ではなく、普通なら起きるはずもないような特殊な事件に遭い無残に命を奪われてしまったのです。さえりんだってついうっかり左を見ずに左折してきた10トンの大型トラックの下敷きにされたのですが、その後の佐々木さんの鑑定によればさえりんはトラックの下敷きにされた時は足をちょっと擦りむいただけの軽傷でまだ生きていたのです!!それなのに加害者の女トラック運転手がすぐに止まれる速度にもかかわらず止まらずそのままトラックを走らせたために頭を轢かれて殺されたのです!!私はその事実を知って女運転手に「なぜすぐ止まらなかったのか??止まってくれれば娘は生きていたのに!!!」とその理由を問いただしたら、加害者は「頭が真っ白で何も覚えていない」と言うだけでした!!たとえば人をナイフで刺し殺しても「頭が真っ白で何も覚えていない」と言えば無罪になるのでしょうか??これでもただの「交通事故」で片付けられてしまうんです。これはれっきとした「殺人」なのではないでしょうか??ニュースはたった一瞬のことで次々新しく更新されますが、何年何十年経とうが遺族のこの悔しさは一生消えません!!マスコミは大きな事件にはすぐに飛びつきますが無責任な報道をしてそれで終わりです。遺族の想いを汲んだ報道なんて殆どありませんし、たった1人の命が奪われてもただの交通事故のニュースで終わりです!!これが現実社会なんです!!そしてその無責任な報道のせいで被害者遺族は世間の誹謗中傷という二次被害三次被害を浴びせられるのです。被害者遺族が前に出て世間に訴えかければ必ず誹謗中傷し弱いものを叩いて楽しむ輩も現れるのです。それでもこのまま被害者遺族が泣かされ続け司法も世間も「ただの交通事故」で簡単に終わらせられるような社会ではいけないと使命感を持ったご遺族がこうしてマスコミ相手に大きな声で訴えて下さるのです。本当にたくさんのことをあらためて考えさせられた日でした。 そして昨日は午後から京都先端大学で東京池袋の被害者遺族松永さんの講演が行われました。小谷さんから誘っていただいてSさんは講演を聞きに行かれましたが、私とさえパパは行きませんでした。今は自分も講演ができず人のを聞くのも辛くメンタルが病む時期だからです。せっかくの機会だったのに残念ですが・・・まだ雨は降り続く中、私たちは車でSさんを駅まで送りお別れしました。Sさんは電車に乗り次に泊まるホテルに荷物を預けて講演が行われる大学へ向かわれました。私はコンビニのトイレで喪服から洋服に着替えて💦さあこれからどこへ行こうかと考えました。するとさえパパが思いついたように「京都と言えば○○さんだよね!!」と早速その方に突然電話をかけて会いに行くことに!?思いがけない出会いと京都観光ができました!?その様子は明日のブログで!!(さえりん3歳5カ月 雪が降ってお庭で遊ぶ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年04月24日
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昨日福島県のご遺族仲間SさんからLINEで「ヤフーニュースに娘の記事が公開されました」教えていただき、早速プレジデントオンラインの柳原三佳さんの記事を探して読みました。「スマホを触っていない」と言えば執行猶予に…21歳女子大生の遺族に検察官が放った“信じられない一言”(ヤフーニュースより引用)「スマホを触っていない」と言えば執行猶予に…21歳女子大生の遺族に検察官が放った"信じられない一言"2023年、スマホの「ながら運転」による死亡・重傷事故件数が122件となり、過去最多を更新した。なぜ「ながら運転」はなくならないのか。ジャーナリストの柳原三佳さんは「2019年に厳罰化されたが抑止力になっていない。交通事故の現場では警察や検察の捜査が不十分で、単なる『わき見』(前方不注意)と扱われることがあり、実際の数はもっと多いのではないか」という――。■車にはねられ脳死状態になった21歳の女子大生 「私どもは、交通事故により大切な娘を亡くした遺族です。先日、法務大臣宛てに要望書を送付しました。2019年、ながら運転は厳罰化されましたが、実際に事故が起こったとき、捜査する側の警察や検察が、必要な捜査をしていないケースが見受けられるからです」 そう語るのは、福島県いわき市の坂本勝さん(58)、喜美江さん(62)夫妻です。 滋賀大学3年生だった坂本さんの長女・瞳さん(当時21)が事故に遭ったのは、今から4年前、2020年3月8日でした。 母・喜美江さんは、その夜のことを振り返ります。 「22時頃だったでしょうか、瞳から『留学先はカナダに決めた』という報告のメールが届いたんです。前年のお盆に帰省したとき、大学を休学して語学留学したいと言っていたので、私たちは、ようやく行き先が決まったのだとうれしく思いながら床に就きました。警察署から突然の電話がかかってきたのは、その数時間後です。瞳が車にはねられ、病院に救急搬送されたという知らせでした」 しばらくして、今度は搬送先の彦根市立病院から電話がかかってきました。電話の向こうの担当医は、坂本さん夫妻にこう告げたと言います。 「お嬢さんは脳死状態です。助かる見込みは、ありません」 いったい、何が起こっているのか……。あまりに突然、絶望的な言葉を突き付けられた坂本さん夫妻は、現実を受け入れられず、一睡もできないまま、始発の常磐線特急に乗り込み福島の自宅から滋賀県の病院へと向かいました。 ■なぜ加害者は「ブレーキを踏んだが、間に合わなかった」と供述 本件を報じた読売新聞(2020年3月10日朝刊、車にはねられ重体=滋賀)によると、事故は8日午後11時20分ごろ、滋賀県彦根市本町の県道で発生。自宅近くの横断歩道を渡っていた瞳さんが乗用車にはねられ、頭などを強く打って意識不明の重体になりました。 彦根署は乗用車を運転していた男性会社員(43)を自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致傷)の疑いで現行犯逮捕しました。この会社員は「気づいてブレーキを踏んだが、間に合わなかった」などと話していると報じられていました。 現場は、信号機のない片側1車線の直線道路です。見通しはよく、しかも、歩行者が守られるはずの横断歩道上です。なぜこんなことが……。病院に到着した翌日、警察から事故の詳細を説明された父親の勝さんは、思わず怒りがこみ上げたと言います。 「警察によれば、加害者の車(トヨタ・エスティマ)は、瞳に衝突する直前、制限時速40キロの県道を約30キロオーバーして走行していたそうです。しかも、現場は見通しのよい直線道路。普通に前を向いていれば、渡ろうとしている歩行者がいることはわかるはずです。いったい加害者はどこを見ていたのか、どうしても納得できませんでした」 夜になるとライトアップされる彦根城を見ながら、堀端の歩道をウォーキングするのが好きだったという瞳さん。事故発生から4日後の3月12日、両親の懸命の祈りもむなしく、一度も目を開けることなく、息を引き取りました。21歳でした。 ■検察官の一言に遺族は耳を疑った 事故から半年後、加害者の男は「過失運転致死」の罪で起訴されました。起訴状には、以下のように記されていました。 『被告人は(中略)速度を調整せず、考え事にふけって、前方左右を注視することなく、同横断歩道を横断する歩行者の有無及びその安全確認不十分のまま漫然時速約70キロメートルで進行した過失により(中略)横断歩行中の坂本瞳を前方約23.1メートルの地点に初めて認め、急制動及び右転把の措置を講じたが間に合わず、同人に自車左前部を衝突させて路上に転倒させ、よって同人に急性硬膜下血腫の傷害を負わせ、(中略)死亡させたものである』 これを見た坂本さん夫妻は、ある疑問を抱いたといいます。 「事故直後の加害者の供述調書には、『決して居眠り運転はしておらず、左手は肘掛けに掛け、ハンドルは右手で片手で持ちながら運転をしていました』と書かれていました。つまり、自ら片手運転を認めているのです。起訴状には『考え事にふけって』と書かれていますが、ひょっとすると、『ながら運転』の可能性もあるのではないか? そう思ったのです」 そこで、坂本さん夫妻は念のため、大津地検彦根支部に「加害者は、ながらスマホなどではなかったのですか?」と質問しました。 すると、検察官は、 「加害者本人が、スマホは操作していないと言ったので、操作履歴等の捜査や確認はしていません」そう答えたというのです。 「思わず耳を疑いました。たしかに加害者の調書には、『スマホはコンソールボックスの上に置いており、触ったり、操作等は絶対にしていません』という供述が記載されていました。しかし、前方不注視で被害者死亡という重大事故を起こしているのです。加害者本人が、触っていないと言えば、なんの裏付け捜査もせずにそれを鵜呑みにしていいのでしょうか」(勝さん)■私と娘のスマホは中身を見られたのに… 喜美江さんも憤りを隠せません。 「実は事故から2カ月後、私は警察で、私と娘のスマホの中身を見られたんです。事故当日の夜、娘からメールが届いたという話をしたら、確認したいと言われて。死亡した被害者のスマホは調べておきながら、加害者のスマホの履歴は調べもしないなんて、いったいどういうことでしょうか」 坂本さんが依頼していた被害者支援代理人の弁護士も、検察に対して「スマホの操作履歴を捜査すべき」と申し入れました。しかし、「スマホの使用履歴は半年で消えるので、もう無理だ」という答えが返ってきたそうです。 そして2021年3月、加害者に下された判決は、禁錮3年執行猶予5年。検察の求刑は禁錮3年6月でした。 ■何のための厳罰化なのか 「ながらスマホ」か否かで刑の重さは大きく変わります。例えば、名古屋地裁は先月、スマートフォンのゲームをしながら乗用車を運転し、自転車の男性をはねて死亡させたとして、自動車運転処罰法違反(過失致死)の罪に問われた元県立高校教諭に、禁錮2年4月(求刑禁錮3年6月)の判決を言い渡しました。 また、2018年、関越自動車道でワゴン車が前方のバイクに追突し、バイクの女性が死亡した事故では、加害者の男性が自動車運転処罰法違反(過失致死)の罪で懲役3年の実刑判決を受けています。この加害者は時速100キロで走行中、スマホのLINEアプリで漫画を読んでいる様子が自車のドライブレコーダーに映り込んでいました。 筆者はこれまで、運転手の「ながらスマホ」が引き起こした交通事故の被害者・遺族を数多く取材してきました。裁判では「悪質さ」があると認定され、実刑判決が出されるケースが多く見られます。その一方で、警察が事故の性質や量刑に関わる重要なポイントである「スマホの中身」を調べなかったケースが全国各地で起きていることも取材する中で実感しています。 あのような見通しのいい直線道路で、しかも横断歩道を渡っている瞳さんに、加害者は気づけなかったのか。なぜ警察と検察は、加害者のスマホの中身を調べることもせず、加害者の言い分をそのまま採用したのか――。納得できなかった坂本さん夫妻は、2023年夏、警察庁、検察庁に宛てて、なぜ、スマホの履歴を確認しなかったのかなど、初動捜査に関する質問状を送りました。 しかし、検察からは形式的な電話での返答があったのみ。警察庁からは「捜査担当は滋賀県警である」と、たらいまわしでした。喜美江さんは言います。 「2023年12月、彦根警察の担当者に質問したところ、ながら運転の捜査に関しては明確な捜査規定がないので捜査していない、証拠保全も規定なしと言われました。では、実際に交通事故が発生した際、ながら運転についてはいったいどのように立件していくのでしょうか。ながら運転厳罰化と言いながら、加害者の供述だけを鵜呑みするのは言語道断です。あらゆる方向から捜査することが基本であり、捜査の鉄則ではないのでしょうか。私たちはそのことを法務省に要望したのです」■スマホ「ながら運転」死亡、重傷事故は過去最多に 最近、横断歩道上で歩行者が犠牲になるという、あってはならない事故の報道が目立ちます。警視庁資料「歩行者の交通人身事故発生状況(令和5年中)」によると、歩行者の事故は3年連続で増加し、横断歩道の横断中の事故は1758件(前年比191件増)となっています。 本来ならドライバーが最も緊張し、歩行者が守られるべき場所で、なぜこのような悲惨な出来事が相次いでいるのか。その理由のひとつとして、「ながら運転」が影響している恐れがあるのではないでしょうか。 警察庁のWebサイトによると、令和5年中(2023年1月~12月)の携帯電話・スマートフォンの使用による死亡事故は25件、全死亡事故の1.24%となっています。重傷事故件数は97件で、いずれも令和3年(2021年)以降、増加傾向にあり、携帯電話・スマホ使用なしと比較すると死亡事故率が3.8倍に増加しています。 スマホなどの「ながら運転」はどれほど危険なのでしょうか。それはブレーキを踏むわずかな遅れが、重大な事故を起こしてしまう危険性があるからです。 また、同サイトによると、運転者は2秒以上視線をそらすと、危険を感じるそうです。時速60キロで走行した場合、車は2秒間で約33.3メートル進みます。その間に、歩行者が道路を横断しようとしていたり、前の車が急に停止したりしたら、前方の危険に気づかず、大事故を起こしてしまう危険性があるのです。 ■厳罰化しても捜査をしなければ意味がない 国は「ながら運転」の危険性を重く見て、2019年12月から、道路交通法を改正してまで厳罰化を行いました。携帯電話での通話だけでなく、カーナビやテレビの操作、携帯でのゲーム、SNS、漫画を読むといった行為も罰則の対象です。 運転中に携帯電話やスマホで通話や画面を注視する違反「携帯電話使用等(保持)」は「6カ月以下の懲役又は10万円以下の罰金」に。携帯電話の使用により事故を起こすなど交通の危険を生じさせる違反「携帯電話使用等(交通の危険)」は、「1年以下の懲役又は30万円以下の罰金」が課されることになりました。警察庁資料によると、昨年は448万件の取り締まりが行われています。日々の取り締まりはもちろん重要ですが、「ながら運転」を厳罰化したのであれば、重大事故が起こったときこそ、その視点に立った捜査が不可欠ではないでしょうか。 先述した検察官の対応は、何のための厳罰化なのかと考えざるを得ません。被害者や遺族の声に寄り添わず、加害者の一方的な供述を鵜呑みにした不十分かつ不誠実な捜査を肯定する検察の姿勢は極めて問題だと言わざるを得ません。■「瞳の死が、尊い命を守るために少しでも役立ってほしい」 法務省は2024年2月、「自動車運転による死傷事犯に係る罰則に関する検討会」をスタートさせました。この検討会では、「ながら運転」を含め、危険運転のあり方について議論が予定されているとのこと。 しかし、捜査の現場では捜査すら十分にされていない現状があります。仮に危険運転になっても、現場が今まで通りでは更なる厳罰化の意味はなくなってしまいます。 坂本さん夫妻は、今回、法務大臣に送付した「要望書」が議論のたたき台になり、前方不注視の事故発生時、携帯電話やスマホの押収、通信履歴等の捜査が確実に実施されるよう願っているといいます。 「21歳と10カ月……、この先、叶えたい夢がまだまだたくさんあったはずなのに、これまでの努力、希望、未来、すべてが奪われてしまいました。でも、瞳は、人一倍責任感の強い人間でした。今、考えると、自らの死をもって、交通事故捜査の原点を考える機会を作ったのかもしれません。瞳の死が、これからの交通事故抑止につながり、尊い命を守るために少しでも役立ってほしいと願っています」 皆さんはこの記事を読んでどう思われましたか??皆さんの率直な感想をお聞かせください!!ボランティアメンバーさんとも話していたのですが私も娘さえりんが交通事故の被害者になるまでは、日本の法律や検察官、警察官がこんな理不尽がまかり通る様な現実社会だとは全く知りませんでした!!たとえついうっかり事故を起こして人を死なせてしまったとしても当然のように刑務所に入るものだと信じて疑いませんでした。でも実際には過失運転致死傷罪では殆どが不起訴で無罪、又は罰金だけの略式起訴、ほんの数パーセントが正式起訴されても殆どが執行猶予付き判決で数年間罪を犯さなければそのまま刑務所には入らずに済みます。それではあまりに刑が軽すぎるということで飲酒運転や信号無視など悪質で危険性が高い運転での事故に限り「危険運転致死傷罪」が制定されました。ところが実際にはせっかく危険運転致死傷罪が制定されても現実にはかなりハードルが高くなかなか適応されないのが実情なのです。この記事のように加害者が「スマホを触っていない」と言えば過失運転で執行猶予付きになり、信号無視しても「信号に気が付かなかった」と言えば危険運転ではなく過失運転で執行猶予付きになり、飲酒運転でも「アルコールが基準値に満たない」という理由で危険運転ではなく過失運転で執行猶予付きなんです。正直に供述したら刑務所に入り、嘘をついたら執行猶予付きになって刑務所にも入らず簡単に許されてしまうオカシナ世の中なんです!!そして危険運転致死傷罪が制定されてから起こった現象なのですが、飲酒がバレないためにそのまま轢き逃げして数時間たってアルコールが覚めた頃自首するという卑怯な加害者が増えてしまったのです。心配なのはこういう記事を読んで自分が事故を起こした時に「こう言えば罪が軽くなったり、許されるんだ」と悪知恵を付ける加害者が増えてしまうことなんです!!誰だって自分が犯した罪を認めたくはありませんし、刑務所に入りたくなんかありません。だからと言って嘘の供述をして罪が軽くなったり刑務所に入らずに済んだとしても決して幸せになんてなれないと私は思いたいです。何より一番は被害者浮かばれません!!まさに死人に口なしがまかり通る世の中で良いのでしょうか??さえりんの加害者もその1人です。最初は「自分が前を見ていなかったから娘さんを轢いてしまった全部自分が悪いんです」と素直に認めていたのに、法廷に立ったら「見たけど見えなかった!!」と平気で噓をつきました。そしてなぜ前を見ていなかったのかの原因は語らず私たちはスマホのながら運転を疑いましたが警察は調べてもくれず真実は永久に闇の中です!!瞳さんの時と同じなんです!!皆さんはご家族が被害者になってもこんな自分さえよければと平気で嘘をつく加害者と、正しく捜査もしてもらえず真実が闇に葬られる現状を赦せますか??1人でも多くの方にこんな理不尽な現実を知ってもらいもしも自分や大切な家族だったらと真剣に考えていただきたいのです!!これ以上この社会の理不尽に泣かされる悲惨な被害者と遺族を増やさないために!!(さえりん3歳4カ月 妹の1歳のお誕生日に東山動物園へpart10) 今日は一日中雨が降っていてまたかなりメンタルも下がり気味です。春は特に心の浮き沈みが激しくなる時期で、今から5月6月が私にとっては一番辛く過酷な季節なんです。一見元気そうで幸せそうに見えるときもありますが、心の底から晴れることはどんなに時間が経ってももうないのです。だってかけがえのない娘、さえりんとはもう二度と逢えなくなってしまったから・・・ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年04月09日
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今日、3月12日は坂本瞳さんの祥月命日です。今から4年前の2020年3月12日に当時、滋賀大学3年生だった坂本瞳さんは彦根城の目の前の横断歩道を歩いて横断中に30キロオーバーで70キロのスピードで片手運転していた男の車に跳ねられて死亡しました。瞳さんはさえりんと同い年で、この時21歳でした。本来なら守られるべきセーフティゾーンの横断歩道上でまたも尊い命と未来が奪われた現実に深い憤りを感じずにはいられません!!私がお母様の坂本さんに出会ったきっかけは、福島県に住まれる坂本さんが私のこのブログ「さえりんの部屋」を読んで連絡を下さったからです。坂本さんとはその後何度かさえりんの事故現場にも来て下さって今では大切な遺族友達です。よく私のブログに書いていたSさんが実は坂本さんです。今まではまだ民事裁判が終わるまでは弁護士の先生に裁判への影響を考えて止められていたので瞳さんの事故のことも公に出来なかったのです。坂本さんとはLINEや電話もしたり彦根の瞳さんの事故現場への献花に行く途中でよく三河安城駅で途中下車してさえりんの事故現場にお花を供えて下さったときに一緒にランチを食べてたくさんお話しもさせていただいて元気をもらっています。瞳さんとさえりんが同い年でお寿司が大好きだったり、横断歩道を通行中の事故で警察のずさんな操作や到底納得がいかない刑事裁判の状況など本当に共通点も多いのです。祥月命日の今朝、ジャーナリスト柳原三佳さんのヤフーニュースに坂本瞳さんの事故の記事が出ていましたので引用させていただきます。「なぜ警察と検察は『ながらスマホ』の捜査を怠ったのか…横断歩道上で未来奪われた娘の無念」柳原三佳ノンフィクション作家・ジャーナリスト3/12(火) 6:00成人式の晴れ着に身を包む坂本瞳さん。この翌年、交通事故で亡くなった(遺族提供)■『脳死状態です…』突然の連絡「娘が車にはねられ、病院に搬送されたという第一報が入ったのは、2020年3月9日、午前2時半頃、彦根警察署からかかってきた一本の電話でした。次にかかってきたのは、彦根市立病院からでした。受話器を取った妻が突然泣き崩れたので、私が替わると、担当医師は『脳死状態です。まず助かりません』と……。あのときの絶望、そして、奈落の底に突き落とされたような感覚は、言葉にできませ……」 福島県の坂本勝さん(58)は、4年前のあの日を、苦渋の表情で振り返ります。 長女の瞳さん瞳(当時21)は、滋賀大学に通う3年生。前年のお盆に帰省したとき、来年は大学を休学して語学留学したいと両親に告げていました。『留学先はカナダに決めた』というメールが母親の喜美江さん(62)に届いたのは、つい数時間前のこと。それだけに、いったい何が起こっているのか、にわかに信じられなかったといいます。 いわき市の自宅から滋賀県の彦根市までは約700キロ。どんなに急いでも移動には7時間以上かかります。一睡もできぬまま夜明け前に家を出た坂本さん夫妻は、JR湯本駅から始発の常磐線特急と東海道新幹線に乗り、病院に着いたときにはすでに正午を過ぎていました。 集中治療室でようやく面会できた瞳さんは、いくつもの管につながれ、意識不明のまま処置を受けていました。 喜美江さんは振り返ります。「そこには顔を大きく腫らした、別人のような瞳の姿がありました。私たちは必死で声をかけ続けました。『そんな顔では留学に行けないよ、頑張れ!』と」事故現場。瞳さんはこの横断歩道を横断中、速度オーバーの乗用車にはねられた。見通しのよい直線道路だった(遺族提供)■加害車は30キロオーバーで直進、そのときどこを見ていたのか… 父親の勝さんが事故の状況について警察から説明を受けたのは、翌10日のことでした。その内容を聞いた喜美江さんは、さらに怒りと悔しさがこみ上げたと言います。「瞳は彦根城近くの横断歩道を一人で渡っているとき、制限速度(時速40キロ)を30キロものスピード超過で走行してきた加害者の車(トヨタ・エスティマ)にはねられ、10メートルくらい飛ばされ、頭を強く打ったそうです。歩行者が守られるはずの横断歩道上で、なぜこんなことが……。いったい加害者はどこを見ていたのか。納得できませんでした」 以下は、本件事故を報じた『読売新聞』の記事です。【車にはねられ重体=滋賀】8日午後11時20分頃、彦根市本町の県道で、横断歩道を渡っていた近くに住む大学3年坂本瞳さん(21)が乗用車にはねられ、頭などを強く打って意識不明の重体。彦根署は乗用車を運転していた近江八幡市堀上町、会社員荒井真容疑者(43)を自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致傷)の疑いで現行犯逮捕した。発表によると、現場は信号機のない片側1車線の直線道路。荒井容疑者は「気づいてブレーキを踏んだが、間に合わなかった」などと話しているという。(『読売新聞』/2020.3.10) この日、坂本さん夫妻は、瞳さんがひとり暮らしをしていたアパートの部屋に初めて入りました。「机の上には勉強道具が置かれ、台所にはゆで卵が4つ、冷蔵庫には作り置きしたご飯、温野菜、手作りの豆腐ハンバーグ……。大学生としてのきちんとした生活ぶりが見えました。でも、瞳はこの部屋に二度と戻ることはできませんでした、事故から4日目の夜、一度も意識を回復することなく息を引き取ったのです。21歳と10か月、叶えたい夢がまだまだたくさんあったはずなのに、これまでの努力、希望、未来、すべてが奪われてしまったのです」(喜美江さん)瞳さんが大切にしていたぬいぐるみと、愛用のスーツケース。今も自宅に再現された部屋にそのままの状態で置かれている(筆者撮影)■遠くをぼんやりと見ながら、考え事をして片手運転 事故から半年後の9月25日、加害者は「過失運転致死」の罪で起訴されました。起訴状には、横断歩道を横断中の瞳さんに気づかなかった理由や衝突直前の状況について、以下のように記されていました。『被告人は(中略)速度を調整せず、考え事にふけって、前方左右を注視することなく、同横断歩道を横断する歩行者の有無及びその安全確認不十分のまま漫然時速約70キロメートルで進行した過失により(中略)横断歩行中の坂本瞳を前方約23.1メートルの地点に初めて認め、急制動及び右転把の措置を講じたが間に合わず、同人に自車左前部を衝突させて路上に転倒させ、よって同人に急性硬膜下血腫の傷害を負わせ、(中略)死亡させたものである』 刑事記録を閲覧した坂本さん夫妻によれば、加害者は事故直後の警察の取り調べで、次のように供述していたと言います。<加害者の供述調書より抜粋>●私は交通量も少なく閑散としていたことに油断して、進路の遠くの方をぼんやりと見ながら考え事をしていました。●決して居眠り運転はしておらず、左手は肘掛けに掛け、ハンドルは右手で片手で持ちながら運転をしていました。●カーナビのテレビは走行中でも表示されます。事故当時テレビはついていましたが、私は考え事をしていただけで、カーナビゲーションのほうに脇見はしていません。●スマホはコンソールボックスの上に置いており、触ったり、操作等は絶対にしていません。■加害者が「ながらスマホはしていない」と言ったので… 勝さんは語ります。「考え事にふけって、前方左右を注視せず、安全確認を十分しないまま横断歩道に突っ込んだ……、このような事故でまず疑うべきは『ながら運転』ではないでしょうか。実際に、加害者が警察で取られた供述調書には片手運転の記述もあったので、私たちは大津地検彦根支部に『加害者はながらスマホではなかったのですか?』と質問しました。ところが検察官は『加害者本人が、スマホは操作していないと言ったので、操作履歴等の捜査確認はしていない』と答えたのです。私たちが依頼していた弁護士が、検察に対して『スマホの操作履歴の捜査をするべきだ』と申し入れてくださったのですが、『スマホの使用履歴は半年で消えるので、もう無理だ』という返事が返ってきたのです」 喜美江さんも憤りを隠せない様子で語ります。「実は、私は事故から2ヶ月後、警察で私と瞳のスマホの中身を見られました。事故当日の夜、娘と交わしたメールと通話記録が残っていると話したら、確認したいと言われたのです。被害者の携帯を調べておきながら、死亡事故を起こした加害者の携帯の履歴を調べもしないとは、いったいどういうことなのか。また、加害者は大手自動車ディーラーの店長でしたが、走行中でもテレビを見られるよう自社でカーナビの改造をしていました。事故時もテレビ画面が映し出されていたようですが、なぜ見もしないテレビを運転中につけていたのでしょうか? 本人が見ていない、やってないと言えば、裏付けも取らずに鵜呑みにしていいのでしょうか」写真はイメージです(写真:アフロ)■「ながら運転」に捜査規定なし、証拠保全も規定なし? 2021年3月、加害者に下された判決は、禁錮3年執行猶予5年。検察の求刑は、禁錮3年6月でした。 納得できなかった坂本さん夫妻は、2023年の夏、警察庁、検察庁に宛てて「なぜ、スマホの履歴を確認しなかったのか?」など、初動捜査に関する質問状を送りました。しかし、検察からは形式的な電話での返答があったのみ。警察庁からは「捜査担当は滋賀県警である」という、たらいまわしのような回答が返ってくるだけでした。「そこで、今度は彦根警察署に出向いて話しをしたところ、『ながら運転には捜査規定なし、証拠保全も規定なし』という信じられないような答えが返ってきたのです。では、実際に交通事故が発生した際、『ながら運転』はどのように立件するのでしょうか。そもそも、『片手運転』が物語る行為とは何だったのか? たとえ本人がやってないと供述しても、あらゆる方向からその裏付けををとるのが捜査機関の鉄則ではないでしょうか。ありえない危険な行為で人の命が奪われているというのに、加害者の供述だけを鵜呑みするのは言語道断です」(喜美江さん)事故から4年間、滋賀の事故現場へ出向き、花を手向ける母の喜美江さん(遺族提供)■ながら運転の捜査徹底を求め、法務省に「要望書」提出 2024年2月、法務省は「自動車運転による死傷事犯に係る罰則に関する検討会」をスタートさせました。この会で、「ながら運転」の取り扱いについての議論も予定されていると聞いた坂本さん夫妻は、2月下旬、法務大臣宛に下記の内容を記した「要望書」を送ったといいます。 私どもは、交通死亡事故により大切な娘を亡くした遺族です。2019年12月、道路交通法の改正により、「ながら運転」が厳罰化されました。しかし、いくら厳罰化されても、捜査する側の警察、検察が「ながら運転」についての捜査をしていないケースが見受けられます。 私たちは、交通事故捜査において、「ながら運転」の捜査の明確化と裏付け捜査の実施を要望します。そして、飲酒運転のアルコール呼気検査同様に交通事故発生時は、携帯スマホを押収し、操作履歴及び通信履歴の確認を実施することを強く要望します。 国が改正道路交通法を施行し、「携帯電話使用等」に関する罰則を強化したのは2019年12月1日のこと。携帯電話での通話だけでなく、カーナビやテレビの操作、携帯でのゲーム、SNS、漫画を読むといった行為も対象です。これらを真剣に立証するためには、事故直後からのち密な捜査が不可欠ですが、施行から4年、具体的にどのような捜査が行われてきたのでしょうか。 坂本さんの被害者代理人を務める中隆志弁護士は、捜査機関の対応についてこう指摘します。「捜査機関は、加害者の供述のみで捜査をすることなく、客観的証拠があるのかどうか、客観的証拠があった場合、加害者の供述と矛盾しないかを常に精査していただきたいと考えている。被害者代理人として事件に関わる中で、加害者の供述と客観証拠が矛盾しており、私が指摘をして起訴状を修正することになったこともある。交通事故は多発しているが、犯罪であることには変わりがないので、より一層捜査には意を尽くしていただきたい」■亡き娘のアパートの部屋を再現 瞳さんを亡くした後、坂本さん夫妻は東日本大震災で大きな損傷を受けていた自宅を建て直しました。生前、瞳さんが「新しい家に住みたい」と言っていたからです。 新居の2階には、瞳さんの部屋も作りました。そこは、彼女がひとり暮らしをしていた彦根のアパートとほぼ同じ間取りで、ベッドも、机も、そして教科書や洋服、食器棚やごみ箱にいたるまで、ほぼ当時のままのレイアウトで再現されています。瞳さんの部屋で窓を眺める父親の勝さん(筆者撮影) 出窓の上には勝さんが作ったという彦根城の小さな模型が置かれていました。「瞳のアパートの部屋からも、ちょうどこんな風に彦根城が見えていたんです……」 勝さんはそう言って、寂しそうな笑みを浮かべます。 喜美江さんもこう言います。「私にとっては、消しゴムのカスひとつでも瞳の大切な形見なんです。捨てることなんてできませんね……」 警察庁によれば、運転中に携帯電話を使用した場合、死亡事故につながるリスクは約3.8倍に上るとのことです。 過去に私が取材した事故でも、「ながら運転」が立件され、刑事罰を問われたケースがいくつかありましたが、いずれもドライブレコーダーなどにその様子が記録されていたことで裏付けられました(以下の記事参照)。<「スマホ漫画」で追突死亡事故の男に懲役3年 遺族が法廷で訴えたこと(2019/8/22><迷い犬保護中の女性「ながらスマホ」の大型トラックにひき逃げされ死亡 被告に下された判決は(2022/12/19)><【速報】異例の控訴取り下げで判決確定 女子大生死亡の「ながらスマホ事故」 遺族のやりきれぬ思い(2023/5/8)> 喜美江さんは、語ります。「通話やメール、ゲームのほか、車の中でテレビやビデオも視聴できるようになった今、便利になればそれだけリスクが増えたということでもあります。前を見ずに起こった事故の真の原因は何だったのか? なぜ被害者の命は奪われたのか? 事故発生直後にきちんと捜査のメスを入れない限り、ながら運転の厳罰化は絵に描いた餅だと思います。この記事が発信された本日(3月12日)は、瞳の命日にあたります。私たちは大切な娘の死を無駄にしないためにも、引き続きこの問題についてしっかり訴え続けていきたいと思っています」東日本大震災で被災した自宅を再建した坂本さん夫妻は、新居に瞳さんの部屋を作り、生前のアパートをそのまま再現している(筆者撮影) 私はこの柳原さんが書かれたヤフーニュースの記事を読んで一番怒りを覚えたのが、警察は被害者とご遺族が通話していたことを調べるためにスマホを捜査したのに、どうして加害者のスマホは捜査しないんでしょうか???その理由は加害者が「スマホは触ったり操作等は絶対にしていません」と供述したからだそうです!?加害者は誰しも自分の身が可愛いので自分有利な供述をするものなんです!!罪が重くなると知っていてわざわざ正直に自分の罪を重くする人がどのくらいいるのでしょうか??さえりんの加害者も私たちは「スマホのながら運転だ」と最初から疑っていましたが警察は「通話履歴はなかった」と簡単なチェックしかしていませんでした!!スマホは通話だけではありません!!ネットもLINEもゲームも使う要素は他にもたくさんあるのに警察は加害者のスマホを押収して捜査はしてくれませんでした。しかも事故直後は「自分が見ていなかったから娘さんを轢いてしまった、全部自分が悪いんです」と泣いて認めていた加害者が、刑事裁判では豹変し「自分はちゃんと見ていました。見たけど見えなかったんです!!」と嘘の供述を平気でしました。これが加害者の本性なんです!!自分の不注意で殺した被害者のことなんてどうでもよくてただ自分の罪を軽くしたい我が身を守りたいだけなのです!!警察や検察はその道のプロでありながら、どうして加害者の本性を見抜けないのでしょうか??どうして加害者が嘘の供述をしているとわかるはずなのにそれでも加害者を擁護するのは何故なのでしょうか???実はさえりんや瞳さんの死亡事故以外にも被害者が泣き寝入りのケースは山ほどあるのです!!それでも遺族が勇気を振り絞って世間に公表しない限りは誰も知らないうちに闇に葬られるのです!!こうやって皆さんに知っていただくケースは氷山のたった一角だという真実を知っていただきたいのです!!私も坂本さんも警察と検察のやり方を到底赦せなかったから勇気を振り絞って世間に公表し闘う決意をしたのです。そして皆さんはこの記事を見てどう思われましたか??加害者の供述を鵜呑みにしてしっかり捜査もしてくれない警察や検察のやり方に対してどう思われますか???もしもご自分の大切なご家族が被害に遭ったとしても、それは仕方がないことだと簡単にあきらめたり赦すことが出来ますか???(さえりん3歳1カ月 海で海水浴part2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年03月12日
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昨日は朝いつもより早めに家を出て知立市のアピタの花屋さんでさえりんの月命日の花を買いました。この頃いつもいたバイトのお姉さんは私の顔を見るとこの花は事故現場へお供えするお花だとわかって下さっていたのでとても安心して買いやすかったんですが、昨日は新しそうなバイトのお兄さんだったのでラッピングを頼むと「ご用途は??」と聞かれました。私は「事故現場へお供えなので長めにラッピングして下さい」と説明すると、お兄さんは「では包装紙は紫色にしますか??」と言われ、私は「ピンク色で可愛らしくしてください!!」とお願いしました。店員さんにとってはお供えなら紫で地味が常識で当たり前のように思われたんでしょうが、私は地味なのも菊の花も嫌いなんです。さえりんにはピンクで可愛らしい花が似合うから。こんなほんの些細な事でも遺族はとても敏感になるのです。暫くして出来上がった頃取りに行ったら、注文通り可愛らしくラッピングして下さったのでお兄さんに「ありがとう」とお礼を言って店を出ました。個人店の花屋さんだと常連になって覚えてもらえる利点はありますが、1本の花の値段も高いし馴れ合いになるのも嫌なんです。その点スーパーに隣接した花屋さんだとお手頃価格で注文通りのラッピングもしてくださるから良いのですが、店員さんが殆どバイトでコロコロ変わるので時々行き違いがあったり嫌な思いをするリスクもあります。それでも毎月4日に花を買いに来る変わったオバサンなので覚えてくれたらラクなのになあっと思います。些細な事でも毎月のいろんな感情になります。事故現場へ行くと年末に私がラッピングして供えた花がまだ元気に咲いていて、そこにもう1つ花が供えてありカードが付いていてさえパパの知人のミュージシャンNORIさんからだとわかりました。NORIさんはいつもライブがあると観客の方々にさえりんストラップを配って下さって時々現場へ足を運んでお花を供えて下さって本当にありがたいです。そして、加害者の形だけのパフォーマンスの花もありました。毎回どんどんしょぼくみすぼらしくなってきています。経費節約でしょうか??毎月嫌々アリバイ造りのように来ているのがよく分かる誠意のかけらも感じられない花です。でも来なければ私たちに文句を言われるから仕方なくやっているのがよくわかります。私も「誠意もなくそんなにイヤならもう来なくていい!!」と怒鳴ってやりたくなりますが、そんなことを言えば加害者の思うつぼで「ラッキー」と思われるだけなのでぐっと我慢しています。刑事裁判で自分から「一生償います」という形だけの反省の言葉で刑務所へ行かずに済んだのだから、せめて事故現場の花くらいはその言葉通り一生死ぬまで毎月命日には供えてもらいます!!加害者にはせめてそれくらいさせなければ、さえりんがあまりにも惨めで可哀そうすぎるから!!(1月4日、さえりんの月命日の日の現場のお花) 昨日1月4日警察庁より、2023年交通事故死者数が発表されました。2023年の交通事故死者数(事故発生から24時間以内)は8年ぶりに増加して、全国で2678人、前年より68人の多くなっています。そして全国のワーストランキングのワースト5位までは1位 大阪府 148人(前年より7人増)2位 愛知県 145人(前年より8人増)3位 東京都 136人(前年より4人増)4位 北海道 131人(前年より16人増)5位 千葉県 127人(前年より3人増)本当に愛知県は一体いつになったらこの不名誉なワーストランキングから外れることが出来るのでしょうか??これは人口当たりの数ではないからと言う方もいますが、それでもこれだけ多くの方々が交通事故で亡くなっている事実は変わりません!!しかもここには交通事故が原因であっても24時間を1分でも超えて亡くなった方はこの数字には入っていないんです。本当ならもっともっと多いはずです。地震や自然災害での死亡者ももちろんご遺族にとって突然のお辛いお気持ちは計り知れないと思います。決して比べようもない奈落のどん底と絶望に突き落とされるもの同じです。それでも、残念ながら相手は地震や自然災害で人間の力ではどうすることもできない天災です。しかし、交通死亡事故は天災ではありません。加害者の無謀な運転やついうっかりが原因で招いた明らかな人災なのです!!人災ならば人が意識さえすれば起きなかったことなのです。さえりんのような交通事故の悲惨な被害者は、加害者が交通ルールをしっかり守って確認さえ怠らなければ出さずに済んだはずなのです!!だからこそ、遺族は何年経っても何十年経っても決して納得もできず赦せないのです!!天災だから仕方がないなんてどうしても思えないんです!!私は毎年この季節特に心が憂鬱になります。この交通事故死者数の発表があるたびにこの数字はただの数ではなくたった一人のかけがえのない命の集合体だと思えてなりません!!人災ならば人間の知恵と力で無くすことはできないのでしょうか??自動運転、自動ブレーキの車に代われば交通死亡事故は無くなるのでしょうか??世の中の信号機がすべて歩車分離式信号機に変われば交通事故は無くなるのでしょうか??車が地上ではなく空を走れば交通事故は無くなるのでしょうか??私はそれだけでは無理だと思います。もっともっと人類すべての人たちが決して交通事故は他人事ではなく我がこととして真剣に考え、行動に移さなければ無くならないのではないかと思うんです。私たちがいくら草の根運動でストラップを作って配ってもそれだけではただの自己満足で終わってしまい何にも変わらないんです!!明日の交通事故被害者の1人は、もしかしたら自分かも知れないし、自分が愛するかけがえのない家族かもしれません!!私も実際にそうだったのですから。そうならないように交通事故を無くすためにはどうしたら良いのかをみんなで一緒に真剣に考えて欲しいと心から願います。それが一被害者遺族のささやかな願いなのです。(さえりん2歳2カ月 初めてのサンリオピューロランドpart4)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年01月05日
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早いものでもう11月になり、今年もあと2ヵ月を切りました。11月は次女の23歳の誕生日があり、同じ日がさえりんがメッセンジャーとして3年目の誕生した日でもあります。今年の11月はこれといった予定もなくのんびり過ごせそうです。10月31日の夜中にさえりんが久しぶりに夢に出てきてくれてから、2日間立つことも出来なかった右足の捻挫が、不思議なことに腫れと痛みが緩和されてゆっくり歩けるようになりました。あれから足の痛みは殆ど感じなくなり、変な風にひねると痛いですが、今ではなんとか普通に歩けるようになりました。まだ右足の外側の側面には線のような青あざができていますが(^-^; 本当に骨にひびが入っていなくて良かったです!!2日間動けない不自由を味わうと、こうして自由に身軽に動けることって本当にありがたくって元気に暮らせるだけで感謝なんだと実感しました!!そして自由に動けるとご飯もとっても美味しく感じるのです。美味しく食べれて、ちゃんと動けて、住む家がある、主人や次女も傍にいてくれる、さえりんにはもう逢えないけどいつも見守っていてピンチな時には夢で助けに来てくれるそう思えば今の私は充分すぎるほど恵まれていて幸せなんだと感じられるのですが・・・それでもまだまだ人間修業ができていない私は、時々怒りの感情が爆発したり、感謝と思えなかったり、加害者に対してはたぶん一生恨むでしょうし到底赦すことはできません。ここだけは譲れない変えられない私の感情です。もしかしたらこれを赦せるかどうかが私の人生修行の課題なのかもしれませんが、もしそうなら落第でいいです。地獄へ落ちても人間失格でも構いません。それくらいの出来事なんです。これもきっと自分がその立場になって体験してみないと分からない事なのでしょう。私もこうなる前はこの世の中は正義が勝つとか、綺麗ごとだけでうまくいく社会だと信じていたからすっかり心が荒んでしまったのかもしれません(>_<) 昨夜もこのブログを書いていたらある被害者ご遺族からLINEで質問がきました。その方は今年5月に公式LINEからご連絡をいただいた方です。ネットで被害者遺族を調べていた私を見つけて下さったそうです。時々様々な疑問や質問を送って下さるのでちょっと過酷かもしれませんが私が体験した真実をありのままお伝えしています。私も経験しましたが、中途半端な励ましや安易に楽観的な憶測を言っても結局すべてこの「加害者天国」な社会に裏切られて余計に辛い思いをされると思うので。その方の詳しい状況は控えさせていただきますが、数年前に当時高校生の息子さんをさえりんと同じような状況の交通事故で亡くされた被害者ご遺族です。私は自分がある日突然娘を亡くしてこの先どうやって生きて行けばよいのか分からず奈落のどん底に突き落とされました。その時一筋の光になったのがネットで探して辿り着いたmeronさんの楽天ブログでした。それで思ったのです「私もいつか誰かのほんの少しでも光りになれたらいいなあ」そんな思いから自分が被害者遺族として体験していくことをリアル中継のようにブログに書こうと。もちろんさえりんのことを無かったことにされたくなくて多くの方々にさえりんを知っていただきたいという思いも強かったです。それが「さえりんの部屋」でブログを書き始めたきっかけです。私はブログをはじめたこの4年の間に何人かの被害者ご遺族と知り合いました。昨日書いた沙紀さんもそのお1人です。そしてそれはこの社会の中ではほんの一握りの方々に過ぎません。この社会の中には多分想像を超えるほどの被害者ご遺族がいらっしゃるのです。それは我が子を亡くされた方だけでなく、兄弟姉妹や従姉や親せきや両親祖父母を亡くされた方、恋人や友人や同級生を亡くされた方、そうやって考えてみるとこの社会の中には交通事故によって大切な方を亡くされ悲嘆にくれる方々がいかに多いかと推測できるのです。もちろんご病気や不慮の事故の方もみえます。もちろん死別の悲しみは変わりません。だとしても交通事故被害者遺族が置かれた立場はこれほどまでに過酷で残酷だったんだと自分が体験して初めて知ったのです。できることなら警察や検察や裁判官なんて関わりたくなかったし、刑事裁判も民事裁判のことも一生知らないままの方がどんなに幸せだったかと思ってしまいます。この日本は表向きは平和な国ですが、その中には私のように一見普通に見えても水面下で苦しんでいる被害者遺族が山ほどみえるのです。ただ見えていないだけです。見えないように隠している方もいるし、見ようとしなければそれで生活できます、関わらなければ良いのですから。でも私もそうだったようにいつ誰がこの水面下の苦しみにある日突然突き落されるのか分からない社会でもあるのです。そんな現状を知っていただけるだけでも私は発信して良かったと思っています。だからまずはこの社会の闇を知っていただくことから、そしていつか多くの方々の誠実な声によってこの社会が本物の平和で住みやすい社会になることを願っているのです。(さえりん1歳1カ月 公園の滑り台に挑戦)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年11月02日
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昨日の朝、さえパパがこんなヤフーニュースの記事を見つけました!!「軽トラックにはねられ2人が死亡、運転手が不起訴になった事故 検察審査会が『不起訴不当』の判断 遺族「やっとスタートラインに」(RKK熊本放送ヤフーニュースより引用)2021年、熊本県天草市で起きた死亡事故について、検察審査会は「運転手の男性を不起訴処分とした検察の判断は不当」と議決しました。この事故は2021年2月、天草市の国道で、事故のため路上にいた平井直哉(ひらい なおや)さん(当時21)たち2人が軽トラックにはねられ死亡したものです。 警察は、軽トラックを運転していた50代の男性を現行犯逮捕し、過失運転致死の疑いで書類送検しましたが、熊本地方検察庁は男性を不起訴処分としました。 この判断を平井さんの母親、沙紀さんが不服として今年4月、検察審査会に申し立てていました。沙紀さんによりますと検察審査会は「夜間の多重事故で判断に困難を伴なう側面もあるものの、起訴・不起訴を判断するのに十分な捜査や検討を尽くしたか疑問が残る」と指摘しているということです。 沙紀さんはRKKの取材に「やっとスタートラインに立てた気持ちだ」とコメントしています。 ※不起訴不当とは…検察審査会が「検察官の不起訴処分には納得できない。もっと詳しく捜査した上で起訴・不起訴の処分をすべきだ」という判断をした場合の議決です。不起訴不当の議決がされると検察官は再度捜査を行い、改めて起訴・不起訴の判断をします。(裁判所HPより)※ジャーナリスト柳原三佳さんも記事を書かれていました上記のリンクからから飛んでお読みくださればありがたいです。 昨日このヤフーニュースの記事を読んですぐにご遺族の沙紀さんにLINEしました。すると「なんとかここまできました。皆さんの協力あってこそです。ありがとうございます」と返信がきました。きっとご遺族からしたらまだまだ手放しで喜べるはずもなく、やっとスタートラインに立ててここからが闘いの本番なのだとお察ししました。私は何も出来ませんが陰ながらずっとご遺族を応援していきたいと思うのです。このブログ「さえりんの部屋」でも昨年12月に「母たちの闘い!!署名にご協力を!!」にて皆様に沙紀さんの署名活動へのご協力をお願いし、たくさんのブロ友さん方やボランティアメンバーさん方にご署名いただいて本当にありがとうございました!!まだまだ途中経過ですが、ようやく検察審査会で「不起訴不当」の判断が出たことでご遺族にとって大きな一歩を踏み出すことが出来ました!!多くの皆様の応援のお蔭様です!!これからも何か情報がありましたらご報告しますので、あたたかく見守っていただけたらありがたいです。そして今回の申し立ての目的は、決して加害者を厳罰に処することではなく、あくまでも検察に対して適正な捜査を求めるのが目的です。闘いの相手は検察です。そこが沙紀さんの事件と、私の事件の大きな違いです。直哉さんの加害者は事件に対して協力的で誠実さと謝罪の意思を持っています。しかしさえりんの加害者は全く正反対で、心からの謝罪の意思もなく自分が有利になることしか考えていませんでした。(このタイプの加害者が多い気がします)私は警察や検察や裁判所にもたくさんの不信感や不当な判決に納得がいかない事ばかりでしたが一番赦せなかったのは加害者が正しい証言をしていない事!!未だにさえりんにぶつかるまで気付かなかった理由について「ついうっかりした」としか証言していません!!下敷きにしてすぐに止まれば軽いケガだけでまた大型トラックの下で生きていた紗愛理をゆっくり進んだことで頭を轢過して殺したことに対しても「頭が真っ白で何も覚えていない」としか言わずすべての真実を闇に葬り去られました!!この加害者の不誠実な態度が一番赦せないんです!!もちろんそんな不誠実な加害者に情状酌量し執行猶予を付けた裁判官の判決にも到底納得がいきませんが!!交通事故を起こしてかけがえのない命を奪ってしまった罪はどんな状況だとしても決して赦されるものではありません!!しかしその加害者の態度や誠意によってその後被害者遺族が受ける憎しみ苦しみ悲惨さは随分違ってくるのではないでしょうか??私はこの沙紀さんの事件を通してその事実を深く痛感するのです!!本当に今の私にはこのような悲惨な交通死亡事故という事件がこれ以上起きないようにと願うことしかできないのです・・・(さえりん1歳1カ月 初めて花火大会を見に行く)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年11月01日
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運転免許証の更新がこれほど憂鬱で恐怖で気が重いものだとは、娘を亡くす前の私には到底知る由もありませんでした。ただ警察へ行って更新の手続きをして講習を聞いて面倒くさいなあくらいにしか思っていませんでした。私は先回の免許証更新は2018年7月だったのでまださえりんが元気で生きていた時でした。その時はゴールド免許で地元の幹部交番で簡単な30分くらいのビデオを見て手続きは終わり後日免許証は郵送できました。そして次が今年の7月です。さえりんが交通事故で亡くなって4年。他の遺族の方からも「遺族にとって運転免許証の更新は辛いよ」中には交通事故のビデオを見て気分が悪くなる方も多いと聞いていました。私もずっとこの日がくることが憂鬱でした。そしてとうとう今年の6月にハガキが届いてしまいました💦我が愛知県は運転免許試験場(名古屋市)と東三河運転免許センター(豊川市)と尾張地区・三河地区の指定警察署と5ヵ所の幹部交番のいずれかで免許更新手続きができます。自分の都合に合わせて選べますが、即日講習と免許証がもらえるのは運転免許試験場(名古屋市)です。警察署や幹部交番では講習は後日、免許証も後日です。私は今回は青色で5年になってしまいました。というのも3年前の10月に一時停止違反で捕まっているからです。ホームセンターへ花を買いに行った帰り道T字路で真正面で警察に捕まっている車がいて何をしているんだろうか??交通事故かな??と気を取られていたら、停止したのが横断歩道の上だったんです!?それで警察官に捕まってしまいましたΣ( ̄ロ ̄lll)ガーンその頃すでにさえりんストラップを作り配布して交通安全の啓発活動をはじめていたので物凄く恥ずかしかったし大ショックでした(´;ω;`)ウッ…しかもストラップを置いてもらっている安城警察署に捕まったのです💦でもそれ以来一層気を引き締めて停止線手前で3秒数えて止まることや、横断歩道に人が待っていたら必ず止まること、黄色信号になったら止まる、運転中は携帯電話を触らないなど徹底するようになりました。だから今となってはあの時捕まったことも交通事故を起こさないための警告になったんだと思って感謝しています。まあこのくらい大丈夫だろうというついうっかりが人の命を奪うんだと痛いくらいわかるから。被害者遺族で交通安全啓発のボランティア活動をしているからこそ絶対に違反をしてはいけない、事故を起こしてはいけないとしっかり心に刻むのです。だから余計に今回の運転免許証更新は憂鬱だったのです。1カ月ぐらい見ないようにして避けていたんですがとうとうさえパパに「早く免許の更新しないと引っ越しのどさくさに紛れて期限が切れちゃうよ!!」と注意されて、ようやく重い腰をあげて昨日、名古屋市平針の運転免許試験場へ行ってきました。安城警察署には体裁が悪くていけないからです(^-^;午前11時過ぎに車で平針の運転免許試験場に着くと昔とは違い立体駐車場ができていました。私が免許を取った時より(35年前💦)建物も綺麗で新しくなっていました。中に入って看板に従って並ぶと流れ作業式で手続きをして視力検査と写真を撮って、流れるように部屋に案内されて講習が始まりました。私は一度違反をしているので違反講習なのかと思ったら1時間の「一般講習」でホッとしました。せっかくなので前から2番目の真ん中でしっかり学びました。講習は1時間なので話が駆け足で聞き取るのに必死でしたが、昨年愛知県の交通死亡事故は全国ワースト2位の137人。内訳は子供(15歳以下)1人、若者(16~24歳)20人、一般(25~64)52人、高齢者(65歳以上)64人で、一番多いのは交差点付近で特に横断歩道での右左折による事故が多いと言われました。「今年は7月11日までにもうすでに72人が被害者なっている」と聞いてまた深い憤りを感じました。愛知県の死亡事故が多い要因は「免許人口が多い、車の台数が多い、道路の走りやすさの問題だ」と言われましたが、私には警察の言い訳に聞こえました!!もっと県民全体の意識を高めて交通事故を起こさない社会をつくる努力をしてほしい、もっと真剣に考えてほしいと願うのです。人の意識次第でついうっかりの漫然運転はきっと減らせるはずだから!!最後の20分間くらいビデオを見ました。私も交通事故の動画が辛かったら外に出ようと思っていました。実際に被害者遺族の方(東京の高田さん)が動画に出てみえたり、交通事故のシーンを見るのは胸が痛みましたがなんとか耐えられました。それより5年前の私みたいに無関心だった人たちに決して他人事ではなくいつ我が身に降り掛かるか分からないという気持ちで真剣に見てほしいと、周りの方々を見ながらそう思いました。明日は我が身かもしれないんです!!1時間の講習が終わると、順番に名前を呼ばれて新しい免許証を受け取って終了でした。平日でも人が多くて流れ作業のようなスピード感もかえって良かったのかも。あれほど憂鬱で恐怖だった運転免許更新は思いの外すんなり終わってホッとしました(´▽`) ホッ今回は青色免許証ですが次こそはゴールド免許証に戻りたいです!!そしてさえりんの敵、交通死亡事故を絶対遺さないという決意と、誰もが被害者にも加害者にも遺族にもならない社会を真剣に実現したいとあらためて誓うのです!!(昨日名古屋市平針の運転免許試験場にて)(さえりん生後6カ月 初節句のお祝いに両方の両親とpart3)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年07月13日
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昨日は久しぶりに被害者遺族サポートセンターあいちの遺族の例会「絆」に参加しました。もう半年くらいずっとサボっていたような気がします💦毎月日程だけは支援員さんが連絡して下さるのですが忙しかったりメンタルの低迷などで参加できなかったのです。Oさんに会える楽しみがないことも気がない原因かも💦そんな中でしたが「昨日は則竹さんが初めてゲストとして例会に参加して下さる」と支援員さんから電話をもらったので参加することにしたのです。そして今年1月に則竹さんをお招きしてにじいろ会の特別講演会を開いたときに、則竹さんに会えるのを楽しみにしていたのに急に参加できなかった豊橋のご遺族Iさんにも声をかけて一緒に参加することが叶いました。もう例会を卒業された春日井支部のOさんも、もっと先輩のAさんとご一緒に参加されて、昨日はとっても嬉しい再会の場となりました。例会の中での内容はここには書けませんが、皆さん大切な子どもさんが交通事故によって命を奪われた方々ばかりで、その想いと哀しみはいつまで経っても何年経っても変わることはないんだと実感しました。例会が終わって駐車場で立ち話をしていた時、Iさんが「みなさんこの後お忙しいですか良かったらランチでも行ってお話ししませんか??」と声をかけて下さったので、OさんとAさんとIさんと私とさえパパの5人で一緒にランチを食べに行き、またたくさんお話しすることが出来て本当にありがたかったです!!私達は子どもを亡くした年齢も年数も全然違うのですが、共通点は亡き我が子がもしも今も生きていたら18歳~25歳の若者になっていたはずの親達です。だからこそ遺された姉妹たちの事や今現在の家族の状況などの話も出来るし共感しあえるのです。私も今の義両親との悶々とした関係も聞いてもらえて本当に良かったです。そしてAさんの体験からこの先孫が生まれて命が繋がっていく喜びもいつの日か来るのかもしれないという未来も感じられて、ほんの少しだけですがもしかしたら我が家にも・・・と希望が持てた気がしました。昨日はみなさんに再会できて本当にありがたかったです(^-^)また機会があったらお会いしたいです!!(例会後の楽しかったランチ) そういえば昨日は父の日でした。我が家にはもう父の日は来ないので関係ないのですが、みなさんのブログを見て思い出しました。我が家はもう何年も義両親への父の日や母の日やお誕生日などのプレゼントはしなくなりました。昔は娘たちが小さいころはたくさんお世話になっていたし日頃の感謝の気持ちを込めてプレゼントを買って渡していましたがもう7、8年くらい前からでしょうか義両親の方から「プレゼントなどはもう一切要らないから」と断られました。それも義両親はどういう気持ちでそう言われたのか私には未だに理解ができません。もしかしたら、私達に余分なお金を使わせないためなのか??要らないものをもらっても迷惑だからなのか??私達から物をもらいたくないのか??私達のことが可愛くないからなのか??その真意を義両親は話してくれることはありません。だから私達も「はいわかりました」ともうプレゼントは一切しなくなったのです。この状態は果たして良いことだったのでしょうか??贈り物をしなくなったことで選ぶ面倒くささも無くお金も使わずにラクなはずなのに、未だに記念日には寂しさは残ります。義両親はなんと思っているのかその真意は未だにわかりません??でも時折義母は次女に「パパとママは私たちの事なんてもうどうでもいいと思っている」というようなことを話しているようです。だからといって気を遣って母の日やお誕生日にお花やケーキなどプレゼントすると「もう要らないから、買ってこないで!!」と言うのです??だったらいったい何を求めているのでしょうか??義両親に心を許すとすぐにピシャっと叩かれるから近づけなくなるのです。多分私が義両親の気持ちを察することが出来ないからいけないのでしょうが、私には難しい試練です(-_-;)義両親からしてみたら形だけのものなんて要らないと思われているのかもしれませんがささやかな形だけでも受け取ってもらえないのはかなり寂しく感謝の気持ちまで無くなってしまう大きな原因なんです。もしかしたら「こんなもの!!」と思われるかもしれませんがもらってくれることも愛情なのではないのでしょうか??大切なのはモノではなく子の気持ちを受け取るかどうかなのではないですか??そしてさえパパにも義父にも屈託なく素直に心から感謝の気持ちでプレゼントをくれるさえりんはもうこの世にはいません。我が家の父の日は寂しい日なのです。(さえりん生後5カ月) 今日は今からちょっと遠くまで車で高速に乗ってお出かけです!!行き先は明日のブログで!!久しぶりに気晴らしになったらいいなあ(*´艸`*)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年06月19日
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最近の私はメンタルを保護するため様々な事件事故から目を背けて現実逃避していたように思います。いつまで経っても被害者遺族がどんなに声をあげて闘っても、加害者天国の日本の法律は変わらないんだとどこかで諦め絶望し目を背けていました。そうでもしないと心が保てないからやむなく自分を守るための救済措置だったように思います。最近は交通事故の講演活動もすっかり意気消沈し、実は怖いと感じています。大事な事なのは充分わかっているのに、今はこれ以上自分の痛みをさらして傷つきたくないという気持ちが強くなっているのです。きっとまたいつかはやれる日もくるとは思いますが、今は暫くそっと身を守りたい気持ちが大きくなっています。これも我が家の家庭環境の変化がメンタルに影響しているのだと思います。だから毎日さえパパとお散歩したり綺麗なお花を見たりしながら気を紛らせているのです(^-^;(昨日、お散歩で出会ったお花とランチ) そんな中、昨日こんなヤフーニュースが飛び込んできました!!沙紀さんは私とさえパパの大切な友達です!!沙紀さんは亡き息子さんの無念を晴らすため、検察の加害者不起訴処分を不服として昨年末から今年にかけて署名活動をされていました。このブログでもみなさんに署名のお願いをし、ご協力いただきました皆様には心より感謝申し上げます!!沙紀さんは全国から集まった7149筆の署名用紙を持って昨日弁護士と共に検察審査会へ不起訴不服の申し立てへ行かれました!!私たちには何も出来ませんが沙紀さんの闘いを心から応援したいと思っています!!皆様にもどうかあたたかく見守っていただけたらと、お願いいたします。(くまもと県民テレビヤフーニュースより引用)息子はねた車の運転手不起訴 苦悩する遺族【熊本】2021年、熊本県天草市で車にはねられ21歳の男性が亡くなった。しかし逮捕された車の運転手はその後、不起訴となった。なぜ加害者は罪に問われないのか。苦悩する遺族の思いを取材した。 福岡県内で暮らす平井沙紀さん。2021年まで天草市に住んでいた。 ■平井沙紀さん 「ここに朝座って、いつもおはようって声をかけて」 呼びかけるのは息子の直哉さん。車にはねられ21歳で亡くなった。短大を卒業後「アフリカでインフラ整備をしたい」という夢を叶えるためアルバイトに励んでいた直哉さん。2021年2月、アルバイトから帰宅中、横断歩道を渡っていたときに車にはねられた。運転手が介抱していたところ、さらに後ろから来た車が2人をはね、2人とも病院に搬送された。連絡を受け病院に駆け付けた平井さん。目にしたのは、出血が止まらぬまま人工呼吸器をつけた息子の姿だった。 ■平井沙紀さん 「呼吸する度に口の端とか鼻から血が噴き出てくる姿を見て、痛かっただろうなって。お医者さんに『もう人工呼吸器を止めれば、すぐに亡くなります。止めますか、どうしますか』と聞かれました。だからもうこのまま置いてても助からないのであればちょっとでも早く楽にしてあげたいだから、ごめんねって。『もう頑張ったからいいよな』って。『もう頑張ったからもう止めるよ、ごめんね』って言って『止めてください』ってお願いしました」 「私が彼の命に終止符を打ったんだなっていう思いは今から先、一生消えることはないと思います」 直哉さんを最初にはねた運転手も命を落とし、警察は後続車を運転していた男性を過失運転致死の疑いで逮捕した。裁判で事故の原因が究明されると待ち続けた平井さん。1年後、検察から一通の書類が届く。 「不起訴処分としたので通知します」 2行だけの文書。理由の説明もなかった。 ■平井沙紀さん 「こんな簡単に終わるんだなって本当に思いました。人一人の命ってこんな紙切れ1枚で決まっちゃうんだ、みたいな。何か少しでも声をあげることで少しずつ変わっていくようになればいいなって思っています」加害者はどうして罪に問われないのか――。不起訴を不服として署名活動を始めた平井さん。その思いは共感を呼び、全国から7149人分が集まった。 ■平井沙紀さん 「加害者が憎くないわけではないんです。ただ私は加害者に厳罰を求めたいと思っているわけでもない。検察がちゃんと聴取をしてちゃんと調べてくれて、その上で適正な処罰・処分をしてほしいっていう思いが一番強いですね」そして18日、平井さんは熊本地検の不起訴処分は不当として、検察審査会に不服を申し立てた。 代理人の弁護士と共に熊本地裁を訪れた平井さん。申立書や署名などを提出し、検察審査会に不服を申し立てた。 ■平井沙紀さん 「(直哉さんに)『行ってきます、やって来ます』と伝えて出てきました。まだスタートラインにも立ててないですけど、やっとここまで来たかなという思いです」 検察審査会は審議の上で、不起訴処分は間違いで起訴されるべきと判断される「起訴相当」、より詳しい捜査が必要と判断される「不起訴不当」、不起訴は相当とされる「不起訴相当」のいずれかを議決する。申し立てを受けて熊本地検は「検察審査会からまだ通知を受けていないため現時点ではコメントできない」としている。さえりんも直哉君も母たちの闘いをお空から見守ってくれていることでしょう。(さえりん生後2ヵ月 パパとお昼寝part2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年04月19日
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昨日こんな裁判のニュースが流れてきました。「裁判所は差別を認めた」両親が無念の思い 聴覚障害の11歳女児の逸失利益は“全労働者の85%” (ABCテレビ Yahoo!ニュースより引用)ABCテレビ5年前、聴覚障害のある女の子が事故で死亡し、両親らが運転手らに対し損害賠償を求めている裁判で、大阪地裁は将来得られるはずだった収入(逸失利益)を全労働者の85%と認定し、運転手らにあわせて約3800万円の賠償を命じました。 聴覚に障害がある井出安優香さん(当時11歳)は5年前、大阪市生野区で下校中に重機にはねられて死亡し、その後、両親ら遺族は運転手らに損害賠償を求めて訴えを起こしました。 これまでの裁判では、将来得られるはずだった収入(逸失利益)が、障害を理由に減額されるかが争点になっていて、両親側が全労働者の平均賃金から算出するよう求める一方、被告側は全労働者の約6割にあたる、聴覚障害者の平均賃金をベースにすべきだと主張していました。 大阪地裁は27日の判決で、「被害者には、将来さまざまな就労可能性があったといえる」としつつも、「聴力障害は労働力に影響がない程度のものであったということはできない」として、全労働者賃金の85%を基礎収入とするのが相当であると判断。 被告側に対し、約3800万円の支払いを命じ、判決の争点となっていた「逸失利益」については、健常者と同じ水準までは認めませんでした。判決後、両親は・・・。 (安優香さんの父親・井出努さん・50歳) 「何でそこまで娘のことを、努力を否定されなきゃいけないのか。悔しくてたまらないです」。 (安優香さんの母親・井出さつ美さん・51歳) 「どんなに努力しても、ただ聴覚に障害をもっているだけで、その子の人生を否定されないといけないんですか」。 【記者リポート】 父親の努さんは「被害者には将来さまざまな可能性があった」という部分に関しては評価しつつも、「全労働者の平均賃金の85%」という逸失利益に関しては、「納得することはできない」とコメントしました。 会見でも、努さんは「結局、裁判所は差別を認めた」とし、母親のさつ美さんも「娘は努力を重ねて11年間生きてきた、それって無駄だったのか」と、両親ともに悔しさと怒りをにじませていました。 安優香さんの担任2人もこれまでの裁判の中で、「聴力と学力のレベルは関係ない」と法廷で証言していましたが、健常者と同じ水準までは認められませんでした。 今回の判決を受けて、努さんらは「まだまだ障害者の方たちが生きにくい社会というのは変わらない」とし、弁護士らも「承認しかねる」としています。 (Qこれまでの「逸失利益」の裁判と比較すると?) これまで聴覚障害がある方の逸失利益を争った判例はほとんどありません。過去の判例では、視覚障害がある女子高校生(当時)が交通事故に遭い、脳機能障害などが残ったことに対して損害賠償を求めた裁判では、広島高裁は全労働者の平均賃金の8割に相当すると判断をしています。 広島高裁は「障害のない人と比べ、差があると言わざるを得ない」としながらも、今後の社会情勢や技術の革新などを踏まえての判断を下しました。ABCテレビ これは今の社会が抱える大きな問題ではないかと思います。社会では障害者の人権問題や賃金格差問題や雇用問題、差別など様々な課題が未だ解決はされていません。実はこの問題は私たち家族にとっても決して他人事ではなかったのです。かつて私も、障害を持っている娘がこの先社会の中でどういう扱いを受けて、どう生きていけばよいのか、社会の生きにくさをかなり懸念していました。というのもさえりんには「広汎性発達障害」という軽度発達障害(自閉症スペクトラム障害)と軽度知的障害があったからです。さえりんは療育手帳(知的障害者手帳)C判定を持っていました。C判定とは知能指数IQ51~75で、IQ75以上は正常範囲内ということです。さえりんは小さい頃からIQ70前後の判定を行ったり来たりしていました。たまにIQ75を超えて療育手帳の基準から外れたこともあり、知的障害としてはグレーゾーンでした。しかし、こだわりや潔癖症や独り言などの自閉症スペクトラム障害特有の症状も持っていました。それで小学校は地元小学校の通常学級で6年間過ごしましたが、紗愛理本人も友人関係が辛そうだったので、中学は地元中学校の特別支援学級で3年間のびのびと過ごしました。そこで初めてクラフトテープのカゴ作りを覚えたり、作ったカゴをバザーなどで販売したり、メープルけやきのパン屋さんへ納品したり、物作りとお客さんに喜んでもらうやりがいを見つけたのです。紗愛理自身も手先の器用さや後輩への面倒見の良さやが見つかり自分に自信がついた有意義で一番楽しかった中学校生活でした。そして、高校は安城特別支援学校へ進学し、クラス編成では1類型として一般就労を目指すクラスに入って、放課後デイサービスでの就労訓練も受けながら一般企業への就労を目指していました。紗愛理も将来のためにかなり努力していました。そして高校を卒業し就職したのが「ファッションセンターしまむら」でした。障害者雇用枠で就職し正社員ではなくパート社員のような雇用で給料は時給制でしたが、正社員の高卒女子の初任給に近い給料はもらっていました。それでも、これから親が先に死んだあと、さえりんはどうやって生きていったらよいのかとそれが私の悩みの種でした。さえりんは職場の人間関係に悩み仕事を辞めたいと言っていたのに、私が「もう少し頑張ってみたら」と将来のことを考えて引き留めた。そんな矢先に突然起きてしまった死亡事故だったのです。私はどうしてあの時すぐに辞めさせてあげなかったんだろうかと、後で物凄く後悔の念に苛まれました。もし辞めていたらあんな道を自転車で通らず事故には遭わなかったはずなのに・・・(>_<)さえりんが亡くなって刑事裁判で理不尽な加害者の執行猶予判決に納得がいかず署名を集めていた時、高校の同級生のお母様にこんなことを言われました。「もしかしたら、障害があり特別支援学校を卒業した私たちの子どもはたとえ働いていても社会的に差別されて逸失利益を低くされるかもしれないから、気を付けたほうがいいよ!」と。その頃はまだ刑事裁判が精一杯で民事で損害賠償請求をするなんて考えられませんでしたが、その言葉はずしっと私の胸に突き刺さりました。そして刑事裁判が不本意に終わってしまい、次は保険会社からきた賠償額を見た時、私たちの怒りはまたも爆発しました。それは何の過失も違反もしていないのにさえりんの過失を15%も取られていたからです!!そんな保険会社のやり方が許せなくて、さえりんの過失は何もなかったと無実を証明するために民事裁判を起こして闘ったのです!!しかし結果的に私たちの闘いの争点は過失割合だけでした。さえりんの場合は障害があったにもかかわらず一般就労していたからなのか、給料から算出されたのかわかりませんが逸失利益は高卒女子の平均収入で算出されていました。だから逸失利益は民事裁判での闘いの争点にはならずに終わってしまったのです。もしも、さえりんの交通事故が高校在学中だったら特別支援学校に通っているということで逸失利益は減額されたのでしょうか??もしも、さえりんがしまむらを辞めて無職だったり就労継続支援A型事業所で働いていたら逸失利益は減額されていたのでしょうか??さえりんの頑張りや努力は否定されていたのでしょうか??もしも、さえりんが障害を持っているという理由で逸失利益を減額されていたら、私達もこのご両親同様に世間に訴えて裁判で納得いくまで闘っていたと思います。だからこのニュースは決して他人事ではないのです!!私たち被害者遺族は何も悪くない子供の命を突然奪われて、その上に更に頑張って生きていた子どもの人権まで否定されなければならないのでしょうか??これは到底納得できることではありません!!この世はこんな理不尽が当たり前な社会で良いのでしょうか??たとえ障害があってもそれをバネにして立派に自立し働いて稼いでみえる方は世の中には大勢いらっしゃいます。その子の頑張りや努力、これから開花したかもしれない才能や生きる力は認めてはもらえないということでしょうか??障害があるというだけで差別されることは、親としてこれほどの屈辱はありません!!くれぐれも言いますが、私たちは決してお金が欲しくて闘っているわけではありません!!このご両親も同じ気持ちだと思います。ただ理不尽に命を奪われてしまった我が子の懸命に生きた人生の価値と人権を守ってやりたい、ただその想いだけなのです。それがなぜ法廷で認めてもらえないのか、私も自分のことのように深い憤りと怒りを感じずにはいられません(>_<)そもそも一体どこまでが障害者で、どこからが健常者なのかその境界線が私には全くわかりません!!この境界線を決める資格がある人が果たしているのでしょうか??(さえりん生後18日目part2 さえりん可愛い♡自分が若くてビックリ💦)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年02月28日
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昨日は午後1時半から名古屋市駅前の大名古屋ビルヂングへさえパパと共に行きました。それはある方が私たちに交通事故被害者遺族として「エンバーミング」をしたときの話を聞きたいと連絡をもらったからです。始まりは昨年11月28日に山梨県立富士北稜高校で講演をさせていただいたとき、話の中で「さえりんがエンバーミングを受けた」という内容を聞いた、いのちのミュージアムスタッフのTさんが「実は交通事故被害者へのエンバーミングの必要性について研究している大学研究員の方がみえるので一度話を聞かせてほしい」と連絡をくださったのです。そしてその約束の日が昨日だったのです。実は一昨日我が家は義父との葛藤で私は何もかもやる気をなくしていました。それでさえりんが受けたエンバーミングについて少しでも資料を作ってお話に望もうと思っていたのに全くできなかったのです💦昨日朝になって慌ててブログを書いてその後少しでもと思ってエンバーミングの資料を作っていました。気が付けば午後1時半の約束なのに午後12時半をまわってしまいました(^-^;もう車では間に合わないので急いでさえパパと駅まで早歩きして名鉄電車に乗りました。電車なら我が家の近くの知立駅から名古屋駅まで特急なら20分で着きます。電車でちょっとしたハプニングのレアな体験をしたのですが最後に書きます。昨日は約束の時間ギリギリの午後1時半になんとか25階のオフィスに着きました。その方は関西の大学院の研究員のAさんといわれる女性でした。Aさんも20年前に弟さんを交通事故で亡くされた被害者ご遺族でした。ミュージアムスタッフTさんも東京からみえて同席して下さいました。私たちは実はさえりんが受けたものが本当の「エンバーミング」なのかどうかよくわかっていませんでした。【ここで「エンバーミング」について補足します】「エンバーミングとは『死体防腐処理』などと訳され、その名の通り遺体の腐敗を防ぎ衛生的に保存するための技術です。亡くなってからしばらくの間火葬が行えないなど、遺体を長期間保存する必要がある場合に施されます。日本では1995年の阪神・淡路大震災などで広く知られるようになりました。その結果、エンバーミングの処置件数は年々増加しており、1995年から2020年の25年ほどで約5倍になっています。日本での処置件数1995年8415件、2020年42760件。【一般社団法人 日本遺体衛生保全協会HP(2020年調査)より引用】昨日、私たちが作った資料とさえりんのその時の写真と葬儀会社の請求書を見たAさんは「紗愛理さんはちゃんとしたエンバーミングを受けていますよ」と教えてくださいました。私たちはエンバーミングの知識がなく、実はエンバーミングを勧めてくれたのは葬儀会社の方からでした。警察の遺体安置室へさえりんを迎えに来て運んで下さった葬儀会社の方から「娘さんは状態が酷くこのままお家へ帰すことは出来ません。申し訳ないですが一晩預からせて下さい。明日の朝エンバーミングを施してもらってから必ずご自宅へお送りします」とさえりんの状態を見てエンバーミングが必要だと判断して手配して下さったのです。私たちは何もわからずそれでも友人のTさんが働く職場であるこの葬儀会社の方の言うことなら信用できると直感して「どうかお願いします」とエンバーミングを依頼したのです。私たちは葬儀会社の方が少しでもさえりんが家に長くいられるようにと通夜は3日後・葬儀は4日後に配慮して下さったことに心から感謝しました。実はそれもエンバーミングを施工したからこそ叶ったことだったんだと、昨日Aさんの話を聞いて初めて知ったのです。エンバーミングのメリットは、遺体を冷やさず保全できる。元気な姿で見送れる。デメリットは費用が高額。葬儀代とは別におおよそ15万円~25万円程度費用がかかります。さえりんの場合は遺体の損壊が激しく修復と腐敗防止措置が行われて約17万円の費用でした。私たちはお金なんてどうでもよかった。たださえりんが綺麗な姿で少しでも長く一緒にいられただけでも心から感謝できて、とても良心的な費用だったと思いました。そしてもっと驚いたのは!?たとえ希望しても皆がこのエンバーミングを受けれるわけではないという事実でした!!私たちはどの葬儀会社でも希望すれば全員受けれるんだと思ったのですが、実はエンバーミング施工できる技術者はエンバーマーと呼ばれ日本には全国で学校が1ヵ所しかなく1年間に20人しか排出できず本当に技術者が少ないのだそうです。その中でもTさんが働く葬儀会社は、自社でエンバーマーを雇っている数少ない葬儀会社だったのですΣ(゚Д゚)私たちはそんなことは全く知らず、警察署からどうやってさえりんを連れて帰ったら良いか途方にくれて、たまたま友人Tさんを頼ってこの葬儀会社に頼んだのですが今思えば本当に感謝でなりません。Aさんは、悲惨な交通事故被害者でもエンバーミングを受けられる人は全国的にもまだまだ少なくて顔に包帯をぐるぐる巻きにして棺の蓋も開けられずに、腐敗防止のため亡くなった日に通夜、翌日には葬儀を行うしかない方も多いのだと教えてくださいました。私たちは本当に恵まれていたんだと、昨日初めて知る真実に驚きを隠せませんでしたΣ(゚Д゚)もしかしたらさえりんが望んでいたからだったのかもしれません。昨日最後にAさんは「このエンバーミングを受けて良かったことは何ですか??」と質問されました。私は「交通事故死は病気と違って大切な家族とのお別れを覚悟する時間がありません。ある日突然のことですから。でも私の場合はさえりんがエンバーミングを受けて大好きな家に帰ることができた2日間の間、ずーっとさえりんの傍にいることが出来てたくさんの想い出を話すことも出来て、ドライアイスは足元に入っていましたが、ふっくら柔らかい姿そのものでまるでアイマスクをして(眼だけは再生できなかったため)寝ているような可愛いさえりんと一緒にいられた時間が最後の宝物でした。そして通夜葬儀には大勢の参列者の方ほぼ全員にさえりんとの最後の対面が叶い、お別れの言葉を言ってもらえたことは一生の想い出となりました。そして最後は結婚式みたいにさえりんを送ってあげられた時間をもらえたことが、親としての私たちのほんのせめてもの救いであり慰めになったのです」と答えました。私たちが知り得ることのなかった真実が3年7ヵ月経って知ることができたのです。葬儀会社の皆さんには本当に真心と誠意を込めてさえりんを送っていただいた事への感謝が湧いてくるのです。今更ですが本当にありがとうございました!!そしてAさんは弟さんの時には受けられなかった、このエンバーミングの研究をして悲惨な突然の死を迎えた被害者遺族の誰もが希望すればエンバーミングを受けられる環境が整うようにと国へ働きかけるそうです。本当にそう実現しますように!!と、心から応援したい気持ちでいっぱいになりました!!(昨日、大名古屋ビルヂング内のオフィスでのお話の様子) 昨日の名鉄電車に乗っている時のハプニングとレアな体験とは、名鉄本線を名古屋へ向かって走っている途中、一ツ木駅と豊明駅の中間くらいの場所で急ブレーキで電車が止まったのです!?実は私たちは知立駅から電車に乗ってすぐの事でした。私は座れずに立ったままLINEを打っていてどこにも掴まっていなかったので、突然の急ブレーキで吹っ飛びそうになりましたΣ( ̄□ ̄|||)が、すぐ近くの座席の手すりにつかまって事なきを得ました。すると車内放送が入りました。「ただいま線路内に人がいたため急ブレーキをかけて申し訳ございません。ただいま安全確認のため暫く停車します」と。その3分後に「安全確認が出来ましたので出発します」と電車は動きました。しばらくして車掌さんがまわってきました。「今の急ブレーキでお怪我をされた方はみえませんか??」と。一体どういう状況で線路内に人がいたのかわかりませんでしたが、本当にぶつかる前に止まって良かったです!!もしかしたら人身事故だったかもしれないと思うと、ホッと胸を撫でおろしました。 実はこの一ツ木駅付近では最近、電車に飛び込み自殺が多く発生しているのです(>_<)昨年夏と秋にも2件人身事故があり、内1件は高校生の自殺だったそうです。どんな事情があるのかはわかりませんが、でもせっかく生きられる命なら、どうか大切にしてほしいと心から願うのです!!さえりんたちのように理不尽な交通事故に遭い生きたくても生きられなかった人も大勢いるのですから。(さえりん20歳の時 最後の家族旅行part7修善寺で足湯に浸かる)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2023年01月13日
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昨日はさえパパと四苦八苦しながらもなんとか1日で安城市補助金申請のプレゼン資料が出来上がりました!!朝までに作った資料に合わせて午前中にさえパパがパワーポイントで写真や文字や表が出るように作ってくれて、午後1時に安城ボランティアセンターへ行き職員さんに見てもらいました。すると、これでOKが出ました(≧▽≦)資料の文章の長さもちょうどいいし、パワーポイントがとってもわかりやすいと褒めていただきました!!安城市の図書館アンフォーレで朝から勉強していた次女を迎えに行って家に戻りました。そして早速、プレゼンの審査員と見学の方用の資料を50部印刷してにじいろ会のパンフレットとストラップと一緒に袋に入れて準備しました。これで今日安城市役所に提出すれば終了です!!何とか11日までの期限に間に合いました(*^^)v私たちにとって初めての事なので、あとは21日のプレゼン当日焦らないように頑張るだけです。やっぱりさえパパはなんだかんだ言っても、最後には頼りになる存在で物事をうまく進めてくれるんです!!いつもありがとうね!! 昨日の朝のことです。次女を安城市の図書館へ送る車中で、なぜか次女も不機嫌で私もプレゼン資料のことで頭がいっぱいでした💦そんな時ふと私はとっても寂しく感じてしまいました。それは次女とさえパパは冷静なタイプで、私はカッと燃え上がって熱くなるタイプで温度差を感じるのです。私みたいなタイプが一家に何人もいたら大変なことになるので、火消しのような役割で次女がこういうタイプになったのかなあとも思いますが(^-^;私は最近ずっと感じていた不満をつい次女に言ってしまいました。「この前にじいろ会で則竹さんというご遺族の方に講演してもらったんだよ。最近あなたくらいの年のメンバーの娘さんや息子さんが交通事故のことにとっても興味を示してくれて特に若い人の交通事故をなくす活動に意欲をもって参加してくれるんだよ」と。次女は冷めた顔をして低い声で「講演があった話はママから聞いたよ。それでママは私にどうしてほしいの??遠回しに『あなたも参加しなさい』って言いたいの??私はそれどころじゃないんだからね!!」と怒りました。私は決して次女にこの活動に参加してほしいと強要するつもりは毛頭ありません。ただちょっと寂しくなっただけなのです。他のメンバーさんの娘さん息子さんはにじいろ会の活動にとっても関心を持ってくださるのに、我が家の次女はいつも冷静で無関心だからです。でもよく考えたらわかることでした。他の子たちは当事者ではないからこそ素直な気持ちでそう思えるのです。次女は突然姉を亡くした被害者遺族の当事者で心に目には見えない深い傷を抱えているからあえて無関心でいることが自分の傷口がこれ以上開かないようにするための精一杯の防御だったのだと。次女の態度を見てあらためてそうだったと気付いたときにはもう遅く、次女は黙って窓の方を向いて泣いていました。私は次女に申し訳ないことをしてしまいました。次女は決して冷たい娘なんかではないんです。ただそういう態度をとることで自分自身を精一杯守っていただけなのに・・・(>_<)私は自分の寂しさや孤独感を、さえパパにも次女にも求めて相手を傷つけるばかりのダメな自分だったと深く反省しました。きっと何年経っても一生消えることも癒えることもない、被害者遺族の様々な葛藤をまたも強く感じたのです。(さえりん20歳の時 最後の家族旅行part4 沼津港にて) 昨日は、九州の被害者ご遺族Sさんに電話をかけました。Sさんは今週と来週の土日に熊本県で行う署名活動の準備が大変な様子でした。私たちはコロナパンデミックの真っ最中だったこともあり準備する時間もなく街頭での署名活動はしませんでした。だから道路の使用許可の申請をするとかのぼり旗やチラシを作り業者に発注するとか人の手配などが本当に大変なんだと感じました。本来ならお手伝いに駆け付けようと決めていたのですが、14日は浜松でくらさんと合同講演会、21日は安城市補助金のプレゼンテーションの日なので、応援に行くことは叶いません。Sさんごめんね!!代わりにこちらでも署名活動を頑張りますね。先日のにじいろ会活動始めの日にもメンバーさんが全員署名に協力して下さいました。美濃加茂支部はchiichanさんがもうすでに20名分の署名を集めて郵送して下さったそうです。ブロ友さん方もご協力本当にありがとうございました!!たった21歳で理不尽な交通事故で亡くなってしまった直哉さんのために、精一杯闘っている母親Sさんの署名活動にどうかご協力お願いいたします!! この署名活動は1月末まで行っています。今からでも間に合いますのでご協力いただけます方はこの署名用紙をダウンロードしご署名の上上記の住所に郵送していただけますようにお願い申し上げます!!最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2023年01月10日
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昨日はにじいろ会今年の活動はじめとして、凄い講師をお招きしての特別講演会と初めて全支部合同での親睦会を行いました。特別講演会の講師は則竹崇智さんです。則竹さんは高校の先生でもあり、2016年に当時小学4年生だった次男さんを、ポケモンGOをしながらトラックを運転していた運転手の前方不注意で横断歩道上で亡くされてみえます。今では全国各地で講演活動を精力的に行われ「ながら運転」の危険性や交通事故被害者遺族の想いを広く伝えてみえます。則竹さんとは昨年10月に春日井支部のOさんの紹介で出逢うことができてお忙しい中今回のにじいろ会メンバーに向けた特別講演会をご承諾いただいていました。驚いたのは出逢う前からにじいろ会の活動のことを知って下さっていたことです。講演会の前日はなぜかとっても緊張していた私は、夜寝る頃になってから急に会場を予約したかどうか心配になり、申請用紙を必死で探しましたが見つからず物凄く不安に襲われました。3ヵ月も前に予約しているので仕方ないんですが、前日昼間までに確認しておけばよかったと後悔しました。きっと知立リーダーのNちゃんが持っている会員証と申請書類が入っているファイルに入っているだろうとは思いましたが、もうすでに夜中で確認できません💦気になってもしも会場が借りれていなかったらどうしようと思うと夜中の3時半ごろまで眠れませんでした。朝7時ごろNちゃんにLINEして電話で確認したら申請書類の控えがあってホッとしました(≧▽≦)そんなバタバタでの1日のスタートでした💦当日は朝9時開館してすぐさえパパと会場へ入って準備を始めました。春日井支部の皆さんが早めに来て下さり設営を手伝って下さったのでスムーズに出来ました。それでも直前までマイクが見つからないという騒動で、またもバタバタしてしまいましたが💦昨日の参加者はにじいろ会のメンバーとその家族が中心で、知立本部、安城支部、刈谷支部、春日井支部、美濃加茂支部から25名の方々が講演会にご参加下さいました。講演会は則竹さんの熱弁で、私は一番後ろの席から全体を見ていたのですが殆どの方々が涙を拭いて真剣に聞き入ってみえました。私も則竹さんから学ばせていただくことばかりで、また被害者遺族としてとても共感できることばかりでした。則竹さんの講演が終わると5分間のトイレ休憩を挟んで、私が10分くらいご挨拶させていただき、そのあとさえパパがにじいろ会のご紹介動画を6分間流して、最後にみんなでにじいろTシャツを着て集合写真を撮りました!!みんなで会場を片付けて、次は隣のメープルけやきへ移動しました。(昨日の特別講演会の様子、則竹崇智講師に学ぶ) 次はお楽しみの親睦会です!!則竹さんにも参加していただいて、メンバーさんと合わせて19名で美味しいランチをいただきながらの初めての全支部合同での親睦会でした。みなさん同じにじいろ会に関わって下さいながらも初対面の方も多くあえて席をバラバラにして1人1分間の自己紹介をしたり雑談をしたりしながら親睦を深めました。各支部の昨年1年間の活動報告もして今年も頑張ろうと気持ちを新たにすることができました!!最後は安城支部Yちゃんを中心に楽しいビンゴゲームをしました。景品もたくさんでみなさんに盛り上がって頂けたことが何より嬉しかったです(*^^*)今まで距離が遠いからと思ってこういう企画はしてこなかったのですが、今回則竹さんが講演をしてくださる事がきっかけになり、こうした楽しい親睦会の時間が持てたことに心から感謝しました!!また次回もやりたいと希望が生まれました!!(昨日の親睦会、メープルけやきのランチもパンもとっても大好評でした♡) 昨日の特別講演会と親睦会を終えて皆さんから感想のLINEもたくさんもらいました。中にはとっても楽しみにいていたのに子どもさんが熱を出されて直前で来れなくなってしまわれてとても残念がってみえたメンバーさんもみえましたがその方のLINEでの質問にも、則竹さんは丁寧に答えて下さって本当に良い方だなと尊敬しました。感想を下さった中でも私が注目したのは、美濃加茂支部から母娘で参加して下さった方の感想です。娘さんは「交通事故をなくしという目的を念頭において、交通事故を起こしたことがない人にも共感していただけるように頑張っていきたいと思います」そしてお母さんは「こんなにも苦しい想いをしている方が立ち上がって目の前で話してくれているのだから泣かずに聞こうと思っていましたが、抑えられませんでした。この話をこれから免許を取る高校生から大学生の若い子にも聞いて欲しい!強くそう思いました。被害者も加害者も減らせる世の中へ。これからも頑張っていきます」本当にその通りだと思います。そして何より我が家の娘たちと同年代の娘さんが、しっかりと交通安全意識の普及へとこちら側に立って信念を持って活動して下さる事が本当に嬉しかったのです!!交通事故の当事者や被害者遺族であるかないかなんて関係ないと思います。こうした若い人たちが増えることが、これからの未来を担って誰もが安心して暮らせる安全で住みよい社会を作って行ってくれるのではないでしょうか!!そんな素晴らしい希望が見えた、昨日の特別講演会と親睦会でした!!昨日遠くから集まって下さったメンバーさん方も三河のメンバーさんも、本当にご参加くださり本当にありがとうございました!!みなさんと2023年の素晴らしいスタートがはじめられたことに心より感謝いたします!!今年も力を合わせて、頑張っていきましょうね(⋈◍>◡<◍)。✧♡どうかよろしくお願いいたします!!(さえりん20歳の時 最後の家族旅行part2沼津港にて)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2023年01月08日
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昨日は夕方さえパパと一緒にさえりんの事故現場へ行きました。というのはさえパパの知人のミュージシャンのりさんがさえりんのお花を供えて下さったとメールがあったからです。夕方5時ごろもう薄暗かったですが行ってみると、可愛らしいカゴに入ったシクラメンに、手書きのとっても素敵なメッセージが添えられていました。のりさん本当にありがとうございました!!そしてもう一つ可愛らしい淡いピンクの花束💐が隣に置いてあったのです。メッセージもなくどなたが供えてくれたのかわからなかったのですが、後でTwitterを見たらさえパパのTwitter友達のかなかなさんだったのです。かなかなさんは昨年も一度さえりんにお花を供えに来て下さっています。かなかなさん本当に嬉しかったです!!皆様がさえりんのことを想って下さるお気持ちが本当にありがたいです!!(昨日さえりんの事故現場、可愛いお花をありがとうございました!!) 今年1月4日付けで2022年交通死亡事故ランキングの結果が出ていました。(過去の出来事からリスクを予見 事件・事故・災害archiveより引用)・2022年の全国死者数は2,610人(1日あたり7.2人)で前年より26人減少。・死者数がもっとも多かったのは大阪府です。・前年よりもっとも増加したのは愛知県、もっとも減少したのは神奈川県です。 愛知県は一昨年2021年度不名誉なワースト1位2位争いから脱却して全国ワースト7位になってぬか喜びしたのも束の間、2022年にはまたもワースト2位になってしまいました。しかも全国的には死者数が減少する中、愛知県だけで+20人も増えてしまったのです!!本当に残念で仕方ありません!!!一体どうしたらよいのでしょうか??人によっては人口当たりの死者数ランキングではそれほど酷くないからとか、トヨタ系の工場が多くてトラックや車人口が多い県だから仕方がないんじゃないかという声もありますが、それでも愛知県内で137人もの人が昨年1年間で交通事故で命を奪われてしてしまったのは紛れもない事実なんです!!本当にこの現状を何とかしなければ明日は我が身かもしれないのです!!3年7ヵ月前まで交通死亡事故なんて他人事だと思っていた私のように(>_<) こちらは信号機のない横断歩道での一時停止率全国ランキングの結果です。全国平均では39.8%で過去に比べると一番良かったです。(JAF調べより引用)この表を見ると2021年に停止率がすごく低かった青森県が2022年には40%以上あげて全国トップ7位に入っています。これは県をあげて意識した結果ではないでしょうか。それでもたった1年で終わらずに意識の継続が一番大切だと思います。全国平均で39.8%ということは、10台車が通るうちの約4台が止まって、後の6台は止まらずに通り過ぎるということです。まだまだ全国的に意識が低いと言わざるおえません!!そして歩行中死者の7割は横断歩道を横断中に発生しているんです!!さえりんは自転車でしたが青信号の横断歩道を横断中に、大型トラック運転手の前方不注意による左折巻き込み事故でたった一瞬で殺されました。本来ならセーフティゾーンのはずの横断歩道は決して安全な場所なんかではないのです!!車を運転する全ての人が「横断歩道で人が待っていたら必ず止まる」という意識をしっかり高めてもらうことで、この横断中の死亡事故は絶対に減らせるはずなのです。どうか今年こそ、悲惨な交通事故の悲しい犠牲者が減りますようにと願わずにはいられないのです。 実は今日はにじいろ会の活動始めで、特別講演会と親睦会を行います!!メンバーの皆さんと共に今年も交通死亡事故を減らすためのボランティア活動を精一杯頑張って行きたいです!!その様子は明日のブログに書きますね。(さえりん20歳の時 最後の家族旅行part1 いざ出発!!)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2023年01月07日
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昨日、署名を集めている「結びの会」の代表であり、私の友人の千穂さんから「『さえママさんを通じての応援です』と署名が届いたよ!!」と喜びのLINEが入りました。その後電話して署名を集めるご苦労や戸惑いなどいろんな話をしました。さっそく署名を送って下さった方本当にありがとうございました!!心より感謝いたします!!千穂さんと話していたら、かつて私も刑事裁判の判決に到底納得できずに検察に控訴を求めて署名活動をしていた時の気持ちが蘇りました。 あの時は特に時間がなくて署名をやると決めた日からたった5日間しか日にちがありませんでした。控訴期限があるからです。だから本当に勢いのまま必死だったのです。それでも私は署名をやると決意して始めてすぐにとっても不安な気持ちになり世間を敵に回して闘っている様な恐怖感に襲われました。私こんな大それたことして本当に大丈夫かな(>_<)と思ったら怖くて立っていられないくらいの状態でした。ところがその時「やると決めたらやるしかないだろ!!」と背中を押してくれたのは、最初は署名活動をあまりやりたくないと言っていたさえパパでした。とにかく時間がなくて勢いだけで朝から夜中まで必死でした。私の弱気の虫もそんなこと言っていられないくらいの状態でした。さえパパは夏の一番忙しい時に仕事もしながらとにかくできる限り人にお願いして人から人へのご協力での私たちは本当に人の心のあたたかさに毎日感動連続での涙を流しながらの取りまとめでした。結局大変な思いをして大勢の方を巻き込んでの署名活動だったのですが控訴は却下されて最後の望みは絶たれてしまいました。私たちはかなり落胆しまた死にたくなったのですがそれでも署名にご協力くださった方々が添えて下さったお手紙やメッセージやお電話でのお話が本当に私たちをどれだけ励まし勇気をもらったかわかりません。この署名活動は決して無駄ではなかったのです!!みなさんから頂いた「人を想うあたたかい心」がその後私たちがボランティア活動をはじめる原点となったのです!! その後民事裁判でもさえりんの無実を証明するために必死で闘いました。結果は紗愛理にも自転車で横断歩道を渡っていたので軽車両扱いとなり5%の責任があるという判決で終結しました。とても納得できる判決とはいいがたいですが、それでも私たちはきっと何もせず最初からあきらめていたら「死人に口なし」で今よりもっともっと悔しさや哀しみは深く残り、ボランティア活動もおまけの人生を楽しむ境地にも絶対に至らなかったと思います。私たちなりにその時に出来ることは精一杯やったんだという思いが、悲しみを抱えながらも前に進む原動力になっているのです!!それは決して私たちの力なんかではなく、目には見えないたくさんの応援をいただいたからです!!たくさんの人を介して、またブログやネットで記事を見た人たちが大きな力となって後押しして下さったからなのです!!その原動力は決して加害者への恨みや憎しみだけではなく、その中心にあるのは娘への「愛」だから。そして娘から遺された私たち家族への「愛」があるからです。(さえりん20歳の時 成人式part5 式典が終わってから実家の母に会いに) そんな記憶が鮮明に蘇る時、私も平井さんのためにもっと出来ることはないんだろうかと頭を巡らせるのです。平井さんはあの頃の私と同じなのです。とにかく亡き息子さんのために少しでも出来ることはないか、このような理不尽な不起訴処分がこの先も続いて自分のような辛いめに遭う遺族がこれ以上増えてはいけないと思うからこそ、今回の署名活動に踏み切られたのです!!決して自分のためだけではなく、こんな理不尽な不起訴処分がこの社会から無くなるように、たとえ過失でもついうっかり人を2人も轢いて死なせてしまったらその罪を正しく裁いてもらえる社会を目指して!!それはこの社会で車を運転する人々に更なる注意を促し、交通事故そのものを減らしていくための礎になるようにと!! 皆様年末年始お忙しいとは思いますがこの署名活動は1月31日が1回目の締め切りだそうです。そこでまず集まった署名用紙を検察庁に提出し検察審査会への再検討を嘆願するそうです!!まだ時間はあります。どうかご家族や親せきや友人など多くの方にお会いするこの時にぜひご協力いただけたらとお願い申し上げます。 署名用紙の印刷方法や送付方法などわからない点は、このブログのメールフォーム「さえママへのメッセージはこちら」を押して、メッセージを書き込んでいただきましたらお返事いたします。どうか署名にご協力をお願いいたします!!最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年12月30日
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昨日の夜、思いがけないことがありました。それはなんと!?亡きさえりんからのメッセージが人を介して私たちに届きました\(◎o◎)/!実は数日前にちょっとしたことがきっかけになり私の深い後悔のスイッチが入ってしまいました。時々何かがきっかけになってこうなってしまうのか自分でもわかりませんが、これもフラッシュバックのようなもので私の悲嘆の症状だと思います。その時私はさえりんに対して「本当にごめんね!!ママのせいでさえりんを死なせてしまった」と深い深い後悔の念に苛まれました。でも、さえりんも私に対して「私のせいでママを悲しませてごめんね・・・」って、後悔の念でいっぱいだったのです。そのメッセージが昨夜、人を介して私たちの元へ届けられました!!さえりんは確かに今もいるんです!!亡くなっても決していなくならないのです!!私は今までもそうだと信じていましたが、より強く実感しました!!さえりんはちゃんと、この人なら自分の想いを感じてママたちに伝えくれるという人を見つけて、メッセージを送ってきたのです。本当にすごいです!!私はスピリチュアル系とか霊能者はあまり信じていませんが、ちゃんと信頼できる人の言葉なら素直に受け止められます。さえりんはそういう人を選んで伝えてきました。Mさん、くらさん、本当にありがとうございました!!私は本当はわかっているんです。私が悲しめばさえりんも悲しむことを・・・たとえあの世とこの世に離れ離れになったとしても親子の縁は絶対に切れることはないんです。だからこそ親として、時々どうしようもなく深く果てしない後悔の念に苛まれてしまうんです(>_<)これが親の悲しいサガなんです。私はさえりんにメッセージを伝える術は直接話しかけることとブログに書くことしか出来ませんので、伝わることを願ってここにさえりんへのお返事を書きます。さえりんへママは大丈夫だよ!!ママは泣き虫で弱虫で頼りないけど、こう見えて結構強いんだよ!!ママにはパパもいるし、さえりんがご縁を繋いでくれた心優しい仲間達もいるから、ママはさえりんのためなら何だってできるんだからね!!どんなに悲しくてもどんなに後悔して苦しくてもさえりんのためならあきらめないからね!!さえりんがこの世に生まれて20年11ヵ月の間一生懸命に生きていた事実を絶対になかったことになんてさせないから!!さえりんがこの世にいてくれた意味を無駄になんてしないからね!!それがママの使命でママが今も生きている理由だから。さえりんはずーっとママと一心同体だからね。だからママは大丈夫だよ♡さえりんがパパとママの娘で本当に良かった!!ずーっとずっと大好きだよ♡ママより(さえりん20歳の時成人式part3最高の娘さえりんと最高に幸せだった日☆) 私達よりずっと前から活動をされてみえる憧れの先輩のニュースです。昨日さえパパがヤフーニュースで見つけたので、載せさせていただきます。福井県でお会いしたこのご遺族は本当に魅力的で素敵な方でした!!(ヤフーニュースより引用)息子の死は無駄にしない 250回の講演活動で事故の悲惨さ訴える【福井】福井県内では、1月から25日までに27人の方が交通事故で亡くなっています。悲惨な事故を亡くそうと、20年前、当時12歳だった息子さんを亡くした福井市内の女性が交通事故の撲滅を訴え続けています。「自分たちのような辛い思いをしてほしくない」という女性の活動を取材しました。福井市に住む宮地美貴子さん。20年前、当時12歳だった息子の宮地貴弘くんを交通事故で亡くしました。 2002年9月18日、貴弘くんは、学校から家に帰ってすぐに算数のノートを買いに自転車で近所のスーパーに向かいました。その途中、家から約400mのところにある交差点で事故は起きました。宮地さん: 「あちらから自転車で走ってきて一旦この辺で止まって、渡ろうとした時に撥ねられてこの辺で倒れていた」 前方不注意の乗用車が、ブレーキもかけずに貴弘君を跳ね飛ばしました。 宮地さん:「意識がない状態で呼び掛けても反応がなかった」 貴弘君は脳死状態に、人工呼吸器を装着し回復を待ちましたが、宮地さんの願いは叶わず、5か月後に亡くなりました。12歳の誕生日の4日後でした。 事故から20年経ったいまも、宮地さんの自宅には、貴弘くんが当時使っていた机や荷物がそのまま残されています。 宮地さん: 「絵を描いたり折り紙したりゲームをしたりするのが好きだった。処分することなんかできない。私が生きている間は残っていると思う」 以前にも何度か事故が起きていたという交差点。 宮地さん:「ここの信号がなかったが、お願いして押しボタン式の信号をつけてもらった」 宮地さんは同じ事故が二度と起きないよう、信号機をつけてほしいと自治体や交通安全協会、地区の交番などに頼み込み、貴弘君の事故から2年後、ようやく設置されました。 宮地さん:「(信号を渡る自転車を見て)使ってもらえると良かったと思う」 息子を亡くした悲しみを抱えつつも、宮地さんは「事故撲滅」へ動き出します。事故から8年が経ったころ、ようやく気持ちの整理がつき始め、息子の事故のことを人に話せるようになりました。事故被害者と遺族の思いを知ってもらい、少しでも交通事故を減らしたいと、学校や交通安全大会などで講演活動を始めます。この12年間に行った講演は、県内外合わせて約250回、実体験を語っています。<宮地さんの講演> 「これ以上私たちのようなつらい思いをする人を増やしたくない。思いやりのある社会になることを心から願っている。これが、今を生きるはずだった亡き息子からのメッセージです」 また、全国の交通事故被害者の等身大のパネルなどを展示する「生命のメッセージ展」にも参加し、貴弘くんのパネルも設置しています。事故の状況、母親としての心境、車を運転することへの思いなどを綴っています。宮地さん:「息子は『交通事故で亡くなった可哀想な男の子』で終わらせたくないのが一番の思い。12年間だったが、たくさんの人に愛され大切にされて一生懸命生きてきた男の子がいたことを知ってもらい、心の中で生かせてもらえたら」 パネルの最後には、生前に貴弘君が残した標語が記されています。「世の中を明るくする第一歩は思いやり」 宮地さん: 「車は走る凶器になることを自覚して、常に最大限に注意し、優しさと思いやりを持って運転しなければといつも思っている」 息子の死を無駄にしないため、自分と同じような思いをする人を一人でも減らすために、宮地さんはこれからも活動を通して事故撲滅を訴え続けます。福井テレビこちらもまだ始まったばかりの母たちの闘いです!!どうか署名にご協力をお願いいたします!!署名にご協力いただけます方は、上記の署名用紙をコピーまたはダウンロードして印刷し、ご署名の上返送先住所にお送りください!!ご不明な点はこのブログの「さえママへのメッセージはこちら」のメールフォームから、私に聞いていただけたらと思います。どうかよろしくお願いいたします!!最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年12月28日
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昨日は久しぶりにさえパパと買物へ行きました。お花も買って私がクリスマスっぽくラッピングしてさえりんの事故現場へお花を供えに行きました。私にはさえりんにこんなことくらいしかしてあげられないけど、ほんの少しでもクリスマス🎄を感じてくれたら嬉しいなあっと思うのがせめてもの親心なんです。(昨日のさえりんの事故現場の花)そうなんです!!親は子供のためなら何でもどんなことでもしてあげたいんです。親ってきっとみんなそういう生き物だと思います。私はさえりんにもう美味しいものを食べさせてあげることも、楽しいことをさせてあげることも、一緒に笑うこともしてあげられません(>_<)そう思うと悲しくてやりきれない気持ちになります。だからせめて最後にさえりんの名誉だけは守ってあげたいと、紗愛理には何の過失もなかったんだと真実を証明するために、裁判では必死で闘ったのです。刑事裁判の時は誠意のない加害者の実刑を求めて必死で短期間に署名も集めました。民事裁判の時は加害者と証人尋問で直接対決して、身も心もズタボロになりました。それでも決して納得できる判決なんて出なくて、心も身体も疲弊するばかりでした。だけど今できる精一杯はやったんだという思いだけが、ほんのせめてもの私の救いになったのです。もし最初から無理だと諦めていたら、私はもっとずーっと後悔を引きずっていたと思います。そして無力な自分を責めて痛めつけて、物凄く精神状態も酷くなっていたことでしょう。きっと今よりもっとさえりんへの罪悪感に苛まれて旅行になんて今もこれから先もとても行ける状態ではなかったと思います。 実は今、あの時の私同様に、必死で亡き息子さんのために闘ってみえるご遺族がいます。その方は私の大切な友人のSさんです。先日福岡のNPO法人はぁとスペースでお会いした方です。毎月ZOONと時々電話やLINEで連絡は取っています。Sさんは、2021年2月、熊本県天草市小松原町の横断歩道上で、次男の平井直哉さん(当時21歳)が右折してきた車にはねられ、救護されている最中に別の車にはねられ、2人が死亡するという被害に遭いました。加害者は自分の進行している道路をよく見ていなかったため、直前まで被害者たちに気づかず、ノーブレーキで一人を数十メートルはねとばし、もう一人を轢過し、死亡させました。2人も死亡させておいて、何故この事件は不起訴なのでしょうか?不起訴から起訴相当への再調査を求めて署名活動をはじめたのです!! ご協力いただけます方は、この署名用紙を保存して印刷しご署名の上、記載の住所に送って下さい!!送り先の遺族とともに司法と行政を見直す「結びの会」代表の児玉千穂さんも当時高校生だった娘さんを交通事犯で亡くされた被害者ご遺族で私の大切な友人です。Sさんはあの頃の検察官や裁判官と必死で闘っていた私と同じ思いなんです!!夢半ばで突然命を奪われて夢も希望も未来を全て断ち切られた最愛の息子さんに、ほんのせめてものしてあげられることはもうこのくらいしかないんです!!これは母親として我が子のためにしてあげられる、最後の闘いなんです!!皆さまどうかご協力をお願いいたします!!(さえりん20歳の時 最後のお正月part6) 今日ニュースを見てビックリΣ( ̄□ ̄|||)昨日の朝、さえりんの事故現場上重原交差点の隣の連動するもう一つの交差点でなんと!?轢き逃げ事故が起きていました!!!国道23号線バイパスに上がろうとして左折したダンプカーが、22歳女性を巻き込んで大ケガをさせたうえで轢き逃げしたのです!!ここは歩車分離式信号機にはなっていません!!もしもさえりんの事故現場同様に歩車分離式信号機に変えていたら、この事故は起きなかったはずなのです!!警察は死人が出ないと動かないのでしょうか??死人が出ても遺族が議員や市に協力を仰いで働き掛けなければなければ動きませんでした!!警察は人の命より大切なものは何だと思っているんでしょうか??? 昨日、花を供えたその先にある交差点で事故が起きたのです。さえりんの事故現場の上重原交差点と連動しているもう一つの交差点です。私たちが歩車分離式信号機に変更を求めた時にどうして一緒に変えてしてくれなかったのでしょうか??しかも22歳の女性が被害者・・・我が家の次女と同い年です。大怪我を負いましたが亡くならなかったことは幸いでしたが、一歩間違えばさえりんと同じく死亡事故だったのです!!しかも今回は轢き逃げです!!あとで自分で通報したとしてもその場を離れて被害者の救護を怠った責任は重大です!!もし手遅れになっていたら殺人です。何故悲惨な交通事犯は後を絶たないのでしょうか??最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年12月22日
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昨日の朝さえパパと一緒に車で出かけ家のすぐそばの保健センター前の信号を通りかかったときのことです。私たちは自宅側から細い道を青信号に従って駅の方向へ右折しようとしていました。すると国道1号線方面から軽自動車が信号を全く無視してノーブレーキで直進で走ってきました。さえパパがすぐにクラクションを鳴らしましたが、全く気付かなかったのか減速することもブレーキを踏むこともなく知らん顔でおばさんが乗った軽自動車は走り去っていきました!!完全なる信号無視です!!!この交差点のすぐ先にはさえりん達も通った小学校があり、この交差点は小学校と中学校の通学道路にもなっています。すぐ隣の保険センターから駐車場への通り道なので小さなお子さん連れのお母さんもよく渡っている交差点です。この軽自動車のおばさんは全く止まる気配もなくてもしかしたら信号に気付かなかったかもしれませんが、これがもしも登下校の時間帯だったり、保健センターで検診などがある日だったらと思うとゾッと背筋が凍りました!!もしも人を轢いてしまったら気が付かなかった、ついうっかりしたでは絶対に許されないのです!!!決して見通しが悪いわけでもない交差点の赤信号が見えなかった理由は、2人乗っていたおばさん同士が話に夢中になっていた可能性も考えられます。これだってれっきとした、ながら運転ではないでしょうか??誰でもついうっかり悪気なく違反してしまうことはあります。私もそうです。でもそのついうっかりのせいで、さえりんは轢き殺されてしまいました。この人をつるし上げるためではなく、みなさん誰しも起こし得る危険性があるのだと心に刻んで見ていただけたらと思います。さえパパが作ったドライブレコーダーの画像です。 昨夜、一宮市の則竹さんがメーテレのニュースを送って下さいました。実は昨日10月26日は則竹さんの次男さん則竹敬太くん(当時9歳)のご命日だったのです。今から6年前、愛知県一宮市の自宅近くの信号機のない横断歩道で起きたトラック運転手がポケモンGOのゲームをしながら運転での交通事故でした。(メーテレHPより引用)愛知県一宮市で「ながら運転」のトラックにはねられ1人の男の子がこの世を去り、26日で6年が経ちます。父親は交通事故を無くそうと全国で講演活動を続け、その数は200回を超えました。 愛知県一宮市。ながら運転による交通事故から6年がたった現場には信号機ができたほか、事故現場を知らせる看板が立てられています。 6年前、小学4年生だった則竹敬太くん(当時9歳)は、下校中に横断歩道を渡っていたところ、スマートフォンでゲームをしながら運転していた男性のトラックにはねられ亡くなりました。 父親の則竹崇智さんは、全国の学校や物流関係の企業などで「ながら運転を無くそう」と訴え続けています。今年8月、講演の回数は200回を超えました。 「皆様の会社というのは、車を生業にしておられるところでもありますし、毎日そういった(事故などの)危険と隣り合わせにあります」(則竹崇智さん) 今月13日、東京の物流会社で行った講演活動では、癒えることのない家族の苦しみが語られました。 「なぜだろう、どうしてだろう、どうしたら彼を救えたんだろう。いろんな思いが私たち、家族…妻、そして、一番思いがあるのが長男だと思います」(則竹さん) 則竹さんの長男で、敬太くんのお兄さんは、当時、敬太くんと一緒に下校していて、後ろを歩いていました。事故の瞬間を目撃していたのです。 「長男はですね、こんなことを言うんですね。『父ちゃん、父ちゃん、敬太はさ、敬太は何でも一番乗りするの好きだったでしょう。だからね、だから、敬太は天国まで、1人で一番乗りしちゃったね』。ポロポロポロポロ、ポロポロポロポロ、涙を流しながら語ったときの長男の顔と声をですね、私はいまだに忘れることができません。彼(長男)の胸の内を考えると、本当に私は今でも、彼(長男)に何がしてあげられたんだろう…何ができるんだろう…それを思うこの6年間ですね」(則竹さん) 講演の参加者からは、「ながら運転は絶対にしない」「車という凶器を毎日動かしているということをあらためて自覚しなくてはいけない」といった声が相次ぎました。全国的に社会問題となった「ながら運転」。3年前、違反点数が3倍になるなど厳罰化されたものの、いまだ無くなっていません。5月には名古屋市西区で、自転車の男性(当時55歳)が、スマートフォンの「ながら運転」をしていた運転手の車にはねられ死亡しました。 そんな中、技術でながら運転を無くそうと挑戦している会社が、愛知県にあります。大府市の「3Gサポート」です。スマートフォンが発信機の電波を感知して、発信機との距離を把握します。 走行中にスマートフォンを発信機から離すと異常を検知し、外部にメールで「走行中に端末が操作された可能性がある」と知らせます。 たとえば物流会社では、「運転手がながら運転をしている可能性がある」と、勤務先に通知がいくことを想定しています。 「ITの力を使って、より安全を担保するという使い方をしてほしいと思っています」(3Gサポート 田中史和代表) 現在、愛知県内の複数の物流会社で、この技術の実証実験が始まっているということです。ながら運転の危険を体験ながら運転にはどのような危険性があるのか、蒲郡市にある愛知工科大学のドライビングシミュレータで実験しました。スマートフォンでゲームをしながら運転してみると、手もとと車の前方を目線が行き来し、交差点で減速せず、子どもと接触しそうになる場面がありました。同じコースを走った結果、通常の運転は1分30秒かかったのに比べ、ながら運転では1分8秒で走り終えていて、「停止や減速をせず、より加速していた」こともわかりました。「人間の脳は同時に2つのことを認識したり処理はできません。絶対に運転中にスマホを操作したり、ゲームをしたり、そういうことはしないでほしい」(愛知工科大学 小塚一宏名誉教授) イヤホンで音楽を聴きながら運転する場合も、目の前の事への注意力が散漫になり運転に支障をきたすということです。悲劇を繰り返さないように…講演続ける父親則竹さんはこの6年間について、こう語っています。 「私の中では本当に時が止まっているんですけれども、あっという間に6年の年月が流れているんだな。敬太だったら今頃こんなふうにしてるよね。こんなことやってるよねっていうふうにして(家族の)話題が途切れないっていうのが、この6年かなと思います」(則竹さん) 事故にあわなければ、高校1年生になっていたはずの敬太くん。 「高校生になった敬太、どんな姿になっているんだろうなって想像はするんですけれど、あの時のままのクリクリっとした小学生の顔しか出てこないのが本当に悔しい、悲しい、寂しい思いはしますよね」(則竹さん) 1回1回が敬太への供養。則竹さんは、交通事故を無くすための講演を続けていきます。(10月26日 15:40~放送 メ~テレ『アップ!』より引用)昨日中京テレビでも放送されました。愛知・一宮市 小学生が亡くなった事故から6年 遺族らが「ながらスマホ」撲滅を訴える愛知県一宮市で当時9歳の男の子が下校中にトラックにはねられ死亡した事故から6年となるきょう、遺族らが現場周辺で「ながらスマホ」の撲滅をドライバーに呼びかけました。 当時9歳だった則竹敬太くんは、6年前のきょう一宮市で下校中に横断歩道をわたっていたところ「ポケモンGO」をしながら運転していトラックにはねられ亡くなりました。 きょうは、敬太くんの父・崇智さんや警察などが事故が起きた現場の近くで、ドライバーに対して、運転中は「ながらスマホ」をしないよう注意を呼びかけました。 父・崇智さんは、「ハンドルを握るということは命の重さを握るんだということを今一度考えて、ハンドルを握っていただきたい」と訴えました。 愛知県では先月末時点で、運転中に携帯電話を使用する交通違反の摘発が、およそ1万8000件と全国最多となっていて警察は今後、重点的に取り締まっていきたいとしています。(中京テレビニュースより引用)(さえりん18歳の時 高校の文化祭あんJOYフェスタpart3)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年10月27日
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愛知県でまたもさえりんと同じ横断歩道上での交通殺人が起きてしまいました。「歩行者が車の下にいる」と運転手から通報…26歳女性が大型トラックにはねられ死亡交差点歩いていて下敷きに9日夜、名古屋市瑞穂区で交差点を歩いていた26歳の女性が、大型トラックにはねられ死亡しました。9日午後10時すぎ、名古屋市瑞穂区牛巻町の信号交差点で、近くに住む公務員の女性(26)が歩いて横断中、右折しようとした大型トラックにはねられました。女性は大型トラックの下敷きになり、救急隊によって救助され病院に運ばれましたが、全身を強く打っていておよそ2時間後に死亡しました。 愛知県の交通事故死者数は今年になって100人に、前年比+20名なってしまいました!?全国ランキングはワースト2ですが前年比は全国で一番多いのです!!なぜ横断歩道上での殺戮は繰り返されるのでしょうか?? 昨日は午後1時前に一宮市の駐車場で春日井支部のOさんにある方を紹介していただくためにさえパパと一緒に車で行きOさんと待ち合わせをしました。ある方とは交通事故被害者ご遺族で講演活動をされてみえる則竹崇智さんです。則竹さんの次男さんは、2016年に愛知県一宮市で小学4年生の則竹敬太君(当時9)がスマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」を操作していた男のトラックにはねられ死亡しました。事故は16年10月26日午後4時10分ごろ、一宮市内の市道交差点で発生した。トラックを運転していた男が、助手席に置いたスマホでポケモンGOを操作し、集団下校で横断歩道を渡っていた敬太君をはねた。男は自動車運転処罰法違反(過失致死)罰に問われ、禁錮3年とした名古屋地裁一宮支部で判決が確定している。崇智さんは事故後、県内の高校や大学などで講演を重ね、ながらスマホの危険性や命の大切さを訴えてきた。「スマホを使いながらの運転はやめてほしい。ながら運転は殺人行為だ」と強調した。 私たちは、愛知県在中で交通事故撲滅のため全国各地で講演活動をされてみえる則竹さんといつかは繋がりたいとかねてからずっと願っていました。その理由は、この交通事故万年ワーストの愛知県から発信されてみえること、横断歩道上での交通事故の被害者ご遺族だからです。でもまだ無名の私には繋がる術がありませんでした。それがなんと、春日井支部のOさんがトラック協会さんに紹介していただいて、昨日私たちと引き合わせて下さったのです。駐車場まで迎えに来て下さった則竹さんと歩いてご自宅へ向かいました。玄関を入るとデジタルフォトフレームに可愛らしい敬太君の写真が目に飛び込んできました。私たちはお仏壇にお線香をあげさせてもらい、お話ししました。則竹さんは特別支援学校の先生をしてみえてその関係から高校生や大学生、企業やトラック関係の会社などで交通事故撲滅を呼びかける講演活動をされてみえるそうです。そして驚いたことはなんと、にじいろ会のことを知ってみえたこと、このブログも読んで下さっていたことです!?私はとっても恥ずかしくなりました💦💦則竹さんは「横断歩道上で交通ルールを守っている多くの子どもや若者やお年寄りがルールを守らない大人に無残に殺されていくことが許せない!!いつか自分が亡くなったら息子に『お父さんよく頑張ったね』と褒めてもらえるように出来ることを頑張りたい」とおっしゃられました。私も則竹さんと全く同じ気持ちでした!!さえパパも涙で目が潤んでいました。則竹さんは私にとっては雲の上のような凄い方ですが、とっても気さくに話して下さりありがたかったです。そして「僕に出来ることは何でも協力しますよ。一緒に交通死亡事故を減らすため頑張りましょう!!」と心強いお言葉もいただき感激ました。則竹さんの家を出て帰る前に、敬太君の事故現場を案内してもらいました。そこは大通りから外れた民家の中の静かな交差点でした。「こんな車通りも少ないところでどうして??」と思わず言葉に出ました。事故があって数か月後に横断歩道の位置が少しずれて押しボタン式の信号機とガードレールが付いたそうです。今は注意看板も旗も立っています。私は深い憤りと怒りを感じずにはいられませんでした。どうして行政はいつも誰かが犠牲にならなければ何もしないのでしょうか??どうして経済より人の命が優先の社会には、いつまで経っても変われないのでしょうか??本来当たり前のはずの人の命が正しく守られる社会になるまでには、あと何人、あと何百人、あと何十万人の人が死ななければ実現しないのでしょうか??交通事故死者数が年々少しずつ減っても、どうして本来は安全なはずの横断歩道上での殺戮は少しも減っていかないのでしょうか??「ついうっかり」した大人に殺されてしまった、敬太君の命も、卓巳君の命も、睦規君の命も、紗愛理の命も、多くの命がそんなに簡単で軽いものなのでしょうか???「交通事故は殺人と違って故意ではないから仕方がない」なんて、もしもみなさんの大切なご家族が被害に遭われても、そんなに簡単に許せるものなのでしょうか???私は、敬太君の事故現場を見せていただいてそんな思いが頭の中をぐるぐる巡って胸が苦しくなりました。(昨日、則竹さんとOさんと一緒に敬太君の事故現場へ) 実は先日、にじいろ会メンバーさんの豊橋市のIさんからこんな記事をご紹介いただきました。「東三河と平針の免許センターに、交通事故防止の関係で睦規のことが紹介してもらえたようです。日刊警察に載ったのでお知らせしますね」と。愛知県警東三河運免センターで死亡事故遺族のメッセージを掲示愛知県警本部東三河運転免許センターは9月6日から、交通事故で当時中学生だった息子を亡くした母親のメッセージと息子の生前の写真をセンター内に掲示している。免許更新などで訪れる来場者に「交通事故の悲惨さを伝え、1件でも事故を減らしたい」との遺族の思いを形にした。母親はメッセージで「(息子が)生きていれば、運転免許を取得する年齢になってきている。これから免許を取ろうとする同年代の人たちは悲惨な事故を起こさないように安全運転を心掛けてほしい」などと訴えている。この事故は、2018年7月5日に豊橋市内の信号交差点で起き、自転車で通学途中の中学1年生(当時13歳)が、大型貨物自動車に撥ねられて亡くなった。センターによると今年、県内の交通事故死者数は8月末までで87人と、昨年同期より19人多い。適正な運転免許管理に務める同センターの西村卓所長は「ご遺族の思いを来場者に伝え、交通事故の減少につながることを期待したい」と話している。 世の中には様々な方がおみえになると思いますが、私たちは子どもを交通事故で奪われてしまいただ泣き寝入りしてばかりはいられない親なのです!!法律や社会はなかなか変えることは出来ません。しかし、こんな殺戮が当たり前に繰り返される社会はおかしいとそう思う親たちが団結し共に声をあげていけば、いつかはきっと人々の意識が変わり、交通死亡事故が起きない社会へと変わっていくことを切に願うのです!!それは理不尽に未来と命を奪われてしまった、多くの子どもや若者たちの無念を晴らすために!!もうこんな悲しい被害者と遺族を増やさないために!!(さえりん18歳の時 富山県へ家族旅行part4)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年10月11日
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今日はさえりんの写真からです。(さえりん17歳の時 知立まつりにて) 昨日の早朝さえパパに起こされて「沙紀さんの息子さんの事故の柳原さんの記事がヤフーニュースに載っているよ」とスマホを見せられました!!私も慌てて眠い目をこすりながら読みました。沙紀さんは、もう1年半前からこのブログを通して知り合った交通事故被害者遺族仲間です。にじいろ会のストラップ作りをたくさん手伝ってくれたり、今では毎月恒例のじゅんさんのグリーフZOOM女子会のメンバーさんで、とても大切なお友達です。みなさんにもぜひ知っていただきたくて柳原三佳さんの記事を載せさせて頂きます。もしも自分の大切な家族だったらと思ったら納得の出来ない事ばかりです!!救護中、他車にひかれて2人死亡 後続車に危険知らせる大切さと母の無念(柳原三佳さんヤフーニュースより引用)9月10日未明、茨城県龍ケ崎市で28歳の男性が複数の車にひかれて死亡する事故が発生しました。その後、警察は現場を走行していた会社員(43)と、タクシー運転手(55)、そして飲食店店長(40)の3人を過失運転致死の疑いなどで逮捕しました。<茨城の死亡ひき逃げ、タクシー運転手ら逮捕 「人ではないと思った」(2022年9月12日/朝日新聞デジタル)> 上記記事によれば、3人のうち2人の容疑者はいずれも「何かにぶつかったが、人ではないと思った」と容疑を否認しているそうです。しかし、衝突の衝撃を感じたのであれば、「人かもしれない」のですから、必ず停止して、現場を確認すべきでしょう。■救護中の事故で息子を失った母「龍ヶ崎市で起こったひき逃げ死亡事故の報道を目にし、思わず息子の事故のことを思い出してとても辛くなりました。もし、1台目の車がすぐに停止して後続車に危険を知らせていれば、被害者の男性は2台目、3台目の車にひかれることなく、もしかすると命が助かったかもしれない……、そう思うといたたまれません」 そう語るのは、福岡県の平井沙紀さん(45)です。 沙紀さんは昨年、息子の直哉さん(当時21)を事故で失いました。「ひき逃げ」ではありませんでしたが、1台目の車に衝突された直後、現場交差点に進入してきた2台目の車にひかれて致命傷を負い、命を奪われたのです。息子を二重の交通事故で亡くした母親の平井沙紀さん(筆者撮影) 事故は、2021年2月11日、午後8時15分頃、熊本県天草市本渡町の小松原交差点で発生しました。 この日、現場交差点の前にある牛丼チェーン店でアルバイトを終えた直哉さんは、自宅に帰るため青信号に従って横断歩道を渡っていました。そのとき、右折してきた軽乗用車が、直哉さんを見落として衝突したのです。 軽乗用車を運転していたA氏(当時60)は、事故後、すぐにハザードランプをつけて自車を店の前に停め、交差点の中央に倒れていた直哉さんに駆け寄りました。 ところが、A氏が直哉さんを救護しようとしたそのとき、今度は青信号で交差点に進入してきた軽ワゴン車が、ノーブレーキで2人をはねたのです。■第1事故から1分23秒後に起こった第2事故 A氏はその衝撃ではね飛ばされ、直哉さんは軽ワゴン車の下に巻き込まれるかたちで数メートル引きずられました。 2人はすぐに救急病院へ搬送されましたが、間もなく死亡。軽ワゴン車を運転していたB氏(当時54)は、自動車運転処罰法違反の疑いで現行犯逮捕されました。 2人が死亡した「第2の事故」が発生したのは、第1の事故から1分23秒後のことでした。*動画(死亡事故の現場で状況を説明する母の沙紀さん)A氏の車のドライブレコーダーに残っていた映像を確認したという沙紀さんは、こう振り返ります。「そこには、青信号に従って横断歩道を歩く直哉の最後の姿が映っていました。右折車に衝突された直哉はそのはずみで道路に転倒しましたが、おそらくあの時点では命に別状はなかったと思います。それだけに、悔しいんです。なぜB氏は交差点の真ん中にいる2人の姿に気がつかなかったのか。青信号だったとはいえ、前方さえしっかり見てくれていれば……」 沙紀さんは刑事裁判で真実が明らかにされることを望んでいましたが、事故から1年余りたった今年2月末、熊本地検天草支部は遺族に説明を尽くすことなく、B氏を不起訴処分にすることを決定しました。■後続車に危険を知らせることの大切さ 一方で沙紀さんは、最初に事故を起こしたA氏が、発炎筒などでいち早く後続車に危険を知らせていれば、今回のような重大な二次事故は防ぐことができたかもしれない……、そう思うこともあるといいます。 発炎筒(自動車用緊急保安炎筒)は法令によって、「運転手から目視できる場所」に搭載が義務づけられています。発炎筒が搭載されていなければ車検を通すことはできません。 大抵は車のドアポケットや助手席の足元などに固定されているはずですが、あなたは「発炎筒が車内のどの場所にあるか認識していますか?」と聞かれて、即答できるでしょうか。 また、事故やトラブルを起こしてパニックになっているとき、わずか数十秒で滅多に使用しない発炎筒をうまく発火させることができるでしょうか。発炎筒はマッチのように擦って発火させ、使用するものです。平成以降の若い世代の中には、そもそも「マッチ」というものを擦った経験がない人も多いかもしれませんが、発炎筒のキャップを外し、本体の盛り上がった部分をキャップの裏にある擦り板でこするだけでOKです。 火が点いたら、事故車から50メートルほど離し、後続車からよく見える場所に置いてください。 使い方がわからず不安な人は、この機会に一度予行演習をしておくとよいかもしれません。カー用品店などに行けば、1000円前後で購入できます。 また、発炎筒以外にもLEDの非常信号灯や三角停止板など、さまざまな種類の用具が販売されていますので、万一のときすぐに使えるよう、日ごろから準備しておくことが大切です。「ひき逃げ」は論外ですが、被害者の救護中にもこうした重大な二次事故が発生しています。 特に夜間は見通しが悪くなりがちですが、発炎筒の赤い煙は、暗闇の中で2キロ手前から確認できるそうです。持続時間は5分程度ですが、車の流れの速い道路や高速道路では、事故直後の秒単位の判断が危険の回避につながるといえるでしょう。沙紀さんは語ります。「息子は将来、アフリカでインフラ整備に携わりたいという夢を抱き、アルバイトに精を出していました。それなのに、まさかこのようなかたちで人生を終えることになるなんて想像もできませんでした。懸命に歩もうとしていた彼の死が無駄にならないよう、ぜひ多くの方にこうした事故の危険性を知っていただき、二次事故の回避方法について考えていただきたいと思います」この記事を読んで、みなさんはどう思われましたか??どうして何も悪くない、ただ青信号の横断歩道を歩いて渡っていただけの息子さんがこんな目に遭わなければならないのでしょうか??どうして2度も車に轢かれて命を奪われなければならなかったのでしょうか??第一加害者が適切な回避方法を取らなかったことも悔しいですが、一体だれが悪いのでしょうか??第二加害者はなぜ前方不注意で2人を轢いたのでしょうか??前さえちゃんと見ていたら止まることは出来たのではないでしょうか??理不尽で到底納得の出来ないことばかりなのですが、私が一番納得が出来ないのは、なぜこんな酷い死亡事故を遺族にろくな説明もなく「不起訴の処分にすることを決定した」検察の横暴なやり方です!!過失運転の不起訴率は85.3%です!!一般事件の不起訴率の52.8%に比べても交通事故は、あまりにも理不尽な扱いだとは思いませんか??人が亡くなっているのに交通事故というだけで8割以上の加害者が刑事裁判にかけられることもなく、罰金刑すらなく、無罪になってしまうんです!!これがもし自分の大切な子どもや家族だったらあなたなら許せるでしょうか??これからも沙紀さんはずっと戦っていかなければなりません。私も同じく子どもを亡くした遺族として、ずっと応援し見守っていきたいと思うのです。ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年09月23日
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昨日の中日新聞にこんな記事が載っていました!!そこには、豊橋市のIさんのことが書かれていました。 今年も7月5日は雨降りでした。そして、Iさんの息子さんが交通事故に遭った、4年前の7月5日も雨でした。この新聞の写真の中学生のように合羽を着て自転車で中学校へ登校途中に起きた惨劇でした。私はIさんのご家族がどんな気持ちで、この日この時間に交通安全を呼びかけて活動されたのかと思ったら自分のことのように胸がぎゅっと締め付けられるのです。私も3年前にさえりんが交通事故で亡くなるまでは、きっと交通事故や事件などで子供さんや若者が亡くなるニュースや新聞を見ても「可哀そうに」と思うだけでした。さえりんが犠牲者になって初めて「交通事故は決して他人事ではなかったんだ」と、気付いたのです。でもその時は、もう遅かったのです・・・あの時もっとこうしておけばと後で思ってももう二度と亡くなった子どもは帰って来ないのだと深い深い後悔の念に苛まれ死ぬほど苦しみました。実は今でもです。そして、その苦しみ、悲しみを一生背負って私たち遺族は生きていかなければならないのです。せめて、たとえ寝たきりになっても、障害を負ってしまっても生きてさえいてくれれば、我が子のお世話をさせてもらえたのなら・・・と何度も思ってしまうのはない物ねだりなのかもしれません。もしも、さえりんが交通事故で寝たきりになったり障害を追ってしまったら健常者の方が羨ましくなってしまうのだと思います。一番の願いは、誰もが交通事故の被害に遭うことなく、元気に成長しあるべき未来が続くことなのです。明日も1ヵ月後も1年後も10年後も、ずっーと当たり前に元気に生てゆけることなんです。そんな当たり前のことが、当たり前に叶う社会になってほしいと心から願わずにはいられないのです!! これから夏休みに入ります。いつもニュースを見ては心が痛むのは、夏休みや冬休みなど長いお休みの間に、自ら命を絶ってしまう若い方が多いことです。きっとご本人は死ぬほど辛いことがあったり、未来に夢も希望も持てなくなってしまったのかもしれません。こんな風に生きていても何も良いことがないから死んだ方がマシだと思われるのかもしれません。その気持ちは物凄くよくわかります!!私も娘が亡くなって後、何度後追いしようと思ったことでしょうか・・・さえりんに会いたい、さえりんがいない人生を生きていく意味がわからない、こんなに辛い人生をどうして私は生きていかなければならないのか、これが私の運命だとしたら神をも恨みました。それでも、また生きています。何度も絶望して、何度も挫折して、何度も生きる意味を失って、死にたくて生きてゆくのが辛くて苦しくて仕方がないのに、まだ生きているんです。はっきり言って今の私は死にぞこないです。そんな中でも一筋の希望はこんな死にぞこないの私でも、まだできることがあるかもしれないと思ったからです。私まで死んだら、家族はもう今の私以上に身を切られるほど辛い人生を送ってしまうんだと、家族や周りの人のことを想いやれることが出来たからです。さえりんと同様にもう一人愛する次女に、姉を亡くして、母親まで亡くす辛すぎる人生を送らせたくはないと思ったからです。私がそう思って生きていけるようになれたことも、きっと天国のさえりんからの導きなのだと、今ではそう実感しています。「ママはまだ生きていくんだよ!!私の代わりに交通事故が少しでも減るように活動する使命があるんだから」と、さえりんがお空から不思議なご縁をたくさん繋げてくれるのです。だから、私はまだ途中で死ぬわけにはいかないんです。さえりんからの宿題に真剣に向かわなければ、きっとさえりんが迎えには来てくれないからです。だから、どうかお願いです!!世界でたったひとつしかない、かけがえのないその命を大切にしてください!!交通事故の被害者にも加害者にもならないでください!!そして、どんなに辛く苦しくても生きる希望が見つからなくても、自ら命を絶つようなことはしないでください!!生きてさえいればその先のことはどう変わっていくのかわからないのだから。生きている今命があることが、ただそれだけでどれだけ素晴らしい事なのかと実感しています。どうか私達や、Iさんご家族、Oさんご家族のようなご遺族がこれ以上増えませんようにと、心から願うのです!!(さえりん15歳の時 高校での様子) 豊橋市立南稜中学校で講演させてもらってから、生徒さんや保護者の方からにじいろ会の公式LINEへたくさんのメッセージを頂いています。皆様本当にありがとうございます!!私は皆様からのメッセージを読んで、今回Iさんのお蔭でご縁をいただき南稜中学校でお話しさせて頂けたことに、心より感謝しています。そしてお一人でも多くの生徒さんや保護者の方が交通事故のことを決して他人事ではないと、深く胸に刻んでいただけたらきっと交通事故は少しづつでも減っていくのではないかと、新たな希望も湧いています。どうか誰もが安心して暮らせる安全な社会が実現しますように!!それはさえりん、A君、卓巳君、他にも理不尽に命を奪われてしまった多くのお空の仲間達からの、命をかけた最後の祈りだからです!!最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年07月07日
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昨日も相変わらずあまりやる気のない日でしたが、それでも食品がないのでさえパパと買物へ行きました。そこでお花を買っていつものように車で私がラッピングしてさえりんの事故現場のお花を取り換えに行きました。つい先週の木曜日に現場へ行ったときはまだ加害者側のお花も枯れかけたまま供えてありましたが、昨日には片付けられていました。土日の内に片付けに来たのか。新しいお花を供えて、N子ちゃんのお花はまだもう少し持ちそうだったので、そのままにしてきました。(昨日のさえりんの事故現場) 遺族仲間の沙紀さんから新聞に掲載されたとLINEで記事を送って頂きました。熊本日日新聞の「不起訴の陰影」という連載記事の5回目に、息子さんの事故の加害者が不起訴になった記事が載ったそうです。この連載記事は様々な事件事故などの処分が、本来なら正しく裁かれるはずなのに、検察で不起訴にされてしまう不可解さを取り上げた連載記事のようです。「交通死亡遺族」として、沙紀さんを取り上げて頂いたのです。(熊本日日新聞 令和4年6月9日記事より引用) この事故は私も物凄く不可解な事ばかりで、沙紀さんの「納得できない、検察に不信感が募る」、というお気持ちは痛いほど伝わるのです!!検察からは何の説明もなくいきなり「不起訴の通知が届いた」と。しかもその後、検察に問い合わせても不起訴処分の理由は一切明かされないまま、「納得できなければ検察審査会に申し立てて下さい」と副検事は事務的な対応だったそうです。私はこの事故(事件)のことを、専門家の方に尋ねてみました。すると「このケースは微妙で起訴・不起訴を決めるのは検察官の力量次第だと思う。多分この副検事では刑事裁判で闘っても勝てないと考えたのではないか」と言われました。前にも先輩方に言われた「検察は勝てる見込みが少ない喧嘩はしない!!」ということでしょうか!!!本当に日本は加害者天国なのだと、言わざる終えません!!しかも、熊本県天草には検察に正検事はいなくて、副検事一人で様々な事件事故の処理をしているのだと聞きました。この地域格差も問題なのではないでしょうか??今回、熊本日日新聞で取り上げて下さったのはせめてもの幸いだと思います。もっともっと、こうした遺族の声に耳を傾けて世に発信していただき、少しでもこの理不尽な日本の司法の現状を変えていかなければと、切に願うのです!!そうでなければ突然理不尽に奪われてしまった、直哉君やさえりんやお空の仲間たちの命は、あまりにも残酷すぎて、あまりにも浮かばれないのではないでしょうか??(さえりん15歳の時 中学校卒業式part2)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年06月14日
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桜も満開、春らしい季節になりました🌸今日はちょっとお天気が良くないですが、我が家の次女は早朝から、モリコロパークで行われる野外フェスに大好きなバンドが出るからとチケットを予約して、喜んで出かけていきました(*^^*)次女は21歳、この春大学4年生です。実習や就活や卒論や来年行われる国家試験も不安だし、人間関係など悩みもあり、また友達や彼氏のことなど楽しいこともあり、私から見たら青春真っただ中で微笑ましく愛おしく思えるのです。そんな次女を傍で見ては、一緒に悩みを聞いたり喜んだり、一喜一憂しながら、それでもふと思うのは、やっぱりさえりんのことです。さえりんが経験せずに終わってしまったことを今もこれからも次女はたくさん経験していくんだと思ったら、嬉しいのだけれど一緒に喜んでも、とっても複雑な気持ちにもなるのです(;'∀')さえりんだってもっともっと楽しく遊びに行きたかったのに、さえりんだって恋もしたかったし青春も送りたかったのに、夢も未来も全部一瞬で無残に壊されたのです。母親として、さえりんがとっても不憫に思えてしまうんです(´;ω;`)ウッ…もっともっとさえりんにも、楽しい思いをさせてやりたかった!!もっともっとさえりんにも、美味しいものを食べさせてあげたかった!!もっともっとさえにんとも、楽しい思い出を増やしてあげたかった!!もっともっとさえりんとも、泣いたり笑ったり一緒に時間を過ごしたかった!!今さらどうしようもない叶わぬ願いだと分かっていても、ない物ねだりだと分かっていてもそう思わずにいられないのが母親なんです(>_<)さえりんごめんね・・・(さえりん14歳の時 家族全員で沖縄旅行part7) そして、明日はさえりんの月命日です。先月、思いがけず突然「紗愛理さんにお線香をあげたい」と自らそう言い、旦那と一緒にやってきた加害者の女が果たして、宣言どおり今月もまたやってくるのでしょうか??そして、私が出した宿題として遺族の手記を読んでの感想文は本当に書いてくるのでしょうか??私はさらに重く苦しい気持ちになるのです。それでも、この加害者の女と向き合っていかなければ、自分の起こした事故も、紗愛理を殺したことも忘れて、のうのうと何もなかったかのようにその後の人生を普通に送っていくことがどうしても許せないんです!!さえりんの事故を無かったことになんてされたくないんです!!!さえりんがこの世から、加害者のうっかり運転のせいで一瞬であの世へ送られてしまった事実を、もみ消されたくなんかないんです!!!それが私がどんなに辛く苦しくても、加害者を向き合っていく理由なんです!!!そしてそれが私が被害者遺族として社会へ発信していく理由でもあるのです!!!私は決して、不幸自慢をしたいわけでも、世間に同情されたいわけでもありません。かつての私も知らなかったように、こういう事実があったこと、被害者遺族は一生消えない深い悲しみと苦しみを背負って生きていかなければならないということを、誰も何も発信しなかったら、誰にも気づかれず知られないままなんです!!そして、知らない人はこう思うのです。子どもを交通事故で亡くされた人は不幸だけれど、後で多額の保険金がもらえるからそれで満足しているのではないかと!!私が被害者遺族になって分かったことはそんなことは絶対にないということです!!どれだけお金をもらっても(私たちはまだもらっていませんが)そんなことで満足なんて絶対に出来ません!!娘を元通りにして戻してもらわない限り納得も満足も許すことさえ絶対に出来ないんです!!遺族が黙っていたら誤解されてしまうのです。そしていつまでたっても遺族は置き去りで、加害者有利な裁判や司法は変わっていかないのです。今はネットの普及により目立つと誹謗中傷や二次被害も激しくなり、だからそれが怖くて遺族が声をあげられないのも事実です。本当に嫌な世の中です。被害者遺族が声をあげていくということはとっても勇気がいることなんです!!それでも、だからこそ私はこれからも、社会へ向かって被害者遺族として正々堂々と声をあげていこうと思うのです!!だって私たちもさえりんも、何も悪いことなんてしていないんだから!!もうこんな一方的で理不尽な死亡事故も、無残に殺される被害者も、途方に暮れる被害者遺族も増えないような、社会に変わっていかなければならないからです!! 実は岐阜県のラジオ局、FMららというラジオ番組に4月5日(火)の朝8:40~8:59のきまさんというパーソナリティーさんのコーナーになんと!?さえママがゲストとして出させていただくことになりました\(◎o◎)/!岐阜県美濃加茂市のボランティアメンバーGさんのご紹介です。ありがとうございます。本当に緊張いっぱいですがこれも良い機会なのでしっかり発信できるように頑張ります!!被害者遺族の一人として社会へ訴えていきたいことを話せますように!!ちょうど4月6日~15日は春の全国交通安全運動が始まります!!「横断歩道は横断者優先」「交通死亡事故が起きない社会へ」「さえりんからのお願いです」このにじいろ会のスローガンがラジオで伝えられますように!!みなさんも、もしもお時間のある方は「FMプラプラ」をダウンロードして、その中で「FMらら」を探して、4月5日(火)午前8:40~59までの約20分間ご視聴、応援していただけたらありがたいです(≧▽≦)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年04月03日
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今日はさえりんの写真からです。(さえりん14歳の時 伊勢戦国時代村へ行ったよpart4)(さえりんはこの頃からお城と忍者が大好きになりました(^-^)) 昨日は、東京葛飾父娘死傷事件の裁判員裁判の判決が出ました!!殊更信号無視による加害者に下された判決は、危険運転致死傷罪で求刑7年6月に対して、危険運転致死傷罪で懲役6年6月でした。小5女児死亡事故 被告の危険運転認め懲役6年6か月 東京地裁 父「軽いのでは」 (TBSNEWS ヤフーニュースより引用)おととし、東京・葛飾区の交差点で信号を無視して小学5年生の女子児童をはね死亡させたなどの罪に問われた元配送業の男に対し、東京地裁は、「危険運転致死傷罪は成立する」 として懲役6年6か月の判決を言い渡しました。 おととし3月に起きたこの事故では、小学5年生だった波多野耀子さん(当時11)と父親の暁生さん(44)が、青信号で横断歩道を横断していたところ、赤信号で交差点に進入してきた軽ワゴン車にはねられ、耀子さんが死亡、暁生さんが重傷を負いました。警視庁は、当初、車を運転していた元配送業の高久浩二被告(69)を「過失運転」の疑いで逮捕していましたが、父・暁生さんは、法定刑がより重い「危険運転致死傷罪」での起訴を求め検察に働きかけていました。 東京地検は、事故からおよそ1年後、高久被告を「赤信号を殊更(ことさら)無視し、時速57キロで交差点に進入した」として「危険運転致死傷罪」で在宅起訴し、裁判では、赤信号で交差点に進入した運転行為が「過失運転」ではなく「危険運転」にあたるかどうかが審理されていました。 裁判員裁判で検察側は「高久被告が停止線の手前、およそ28メートルで赤信号に気づいた」として「危険運転」を主張。懲役7年6か月を求刑しました。「安全に交差点を通過できると思い込んでしまった」一方、高久被告側は「信号が赤に変わったばかりだと誤った認識をもって安全に交差点を通過できると思い込んでしまった」と説明。「危険運転致死傷罪」の成立そのものについては争わない姿勢でしたが、赤信号に気づいた位置は停止線からおよそ12メートル手前だったとして、検察側と争っていました。 暁生さんは裁判で、「耀子は6年生に進級することを楽しみに、中学受験に向けて本腰を入れようとしている最中でした」「私たち夫婦にとってただ一人の子供であり、そんな大事な娘がこのように理不尽な形で大切な命を奪われました」と語り、厳しい刑を求めていました。危険運転認める「理不尽な事件というほかない」東京地裁は、きょうの判決で高久被告が赤信号を認識したのは、検察側が主張していたおよそ28メートル手前と認定した上で、「赤信号を認識した時点で急ブレーキの措置を取れば、停止させることが可能で、被告人もそのことを認識していた」と指摘。「殊更に無視して、交差点に進入した」と危険運転致死傷罪が成立するとしました。 その上で、「理不尽な事件というほかない」として懲役6年6か月を言い渡しました。 亡くなった耀子さんの父・暁生さん 「判決で危険運転が認められたことはほっとした」 「懲役が6年6か月ということに関しては、結果に対して軽いんじゃないかというのが率直な感想」この判決結果をどう見るのかは、きっとそれぞれの立場によって変わるのかもしれません。まずは求刑通りの「危険運転致死傷罪」が認められたことは良かったと思います。しかし懲役6年6月というのは到底納得ができるものなんかではありません!!自分勝手な理由で故意に信号無視をして、何の罪もない父と娘を一方的に轢いて父に重傷を負わせ、娘を轢き殺した罪は、たったの懲役6年6月が相応しい刑罰と言えるのでしょうか??これがもしも殺人罪なら死刑もしくは無期懲役でもおかしくないのではないでしょうか?少なくとももっと長く刑務所に入るのではないでしょうか??それなのに交通事故だからという理由でこれだけの罪にしか問われないのです!!これは日本の車社会が生み出した悪法だとしか思えません!!それほどまでに車で犯した殺人や殺人未遂や傷害罪の刑罰を軽くして、一体得をするのは誰なのでしょうか??政治家でしょうか??車業界なのでしょうか??それとも行政なのでしょうか??誰にメリットがあり、誰が得をして良い思いをするために、作られた悪法なのでしょうか???その悪法によって一体どれだけの善良な市民が泣かされ続けなければならないのでしょうか??? 今回、葛飾の死亡事件は「過失運転」ではなく、「危険運転」として起訴され、求刑通りの「危険運転」で判決が下ったことは交通事故裁判としては画期的な事例だったように感じます。そこまでに至る被害者ご遺族の苦悩や粘り強いご努力の賜物だったと思います。新聞やテレビやヤフーニュースなどマスコミも取り上げて世の人々が注目しました。それだけ社会問題として広く世間を巻き込んでようやく叶ったことのように感じるのです。もしもそこまでしなかったら、検察は起訴の段階から「過失運転」として軽く簡単に済ませたかったのではないでしょうか?? 世の中にはそうした量刑処罰の軽さに、泣かされるご遺族が殆どで、どれほど悔し涙を流したことでしょうか??私はまたあらためて考えるのです!!加害者有利の法律の壁の上で、人の命が軽んじられるこの社会の闇を!!どうして罪もない人が一方的に殺されたのに、この量刑の違いの理不尽さを!!前にも書きましたが、過失運転の場合、公判請求(正式起訴=刑事裁判)は1.3%。略式命令請求(略式起訴=100万円以下の罰金刑)は10.8%。不起訴処分(無罪)は85.3%。簡単に言うと、人を轢き殺した加害者が100人いたら、正式起訴されて刑事裁判が行われるのはたった1人。略式起訴で100万円以下の罰金刑が約11人。一切の罪に問われない無罪が85人ということになります。その中で正式起訴された1人も殆どが執行猶予が付いて実質は無罪と変わりません!!過失運転では、本当に禁錮刑で刑務所に入るのは、1000人か2000人に1人というかなり低い確率です。一方危険運転の場合は、公判請求(正式起訴=刑事裁判)は70.1%。略式命令請求(略式起訴=100万円以下の罰金刑)はなし。不起訴処分(無罪)は22.6%。簡単に言うと、危険運転の加害者が100人いたら、正式起訴されて刑事裁判が行われるのは70人。略式起訴は0人。不起訴で無罪が約23人ということになります。そして危険運転では執行猶予の確率も低く大抵は懲役刑がつき刑務所に入ります。「過失運転」と「危険運転」には、これ程の大きな量刑の開きがあるのです。だからこそ、ご遺族の処罰感情として危険運転になることを望むのですが、実際はこの危険運転で起訴される事にもかなり高い壁に阻まれるのです。そして、私が最近強く憤ることは、不起訴があまりに多いことなのです!!被害者が横断歩道ではないところを渡っていた。被害者が信号無視をした。被害者の飛び出しなど危険な行動で事故が起こった。これだと被害者にも非があるので一概に車が悪いと言い切れません。その場合は残念ながら、文句を言うことはできません。しかし、そうではなくさえりんのように、青信号をきちんと守って横断歩道をきちんとルールを守って渡っていたのに、一方的に轢かれた事故に対しては、不起訴や無罪なんて有り得ないのではないでしょうか????たとえ、加害者がお酒を飲んでいようがいまいが、信号無視をしようが、右・左折のうっかり見落としだろうが、スマホを見ていようが見ていまいが、命を理不尽に奪われたことに何ら変わりのないことだと思うのです!!!何も悪くない被害者が一方的に轢き殺されたことに対してこの量刑の違いは一体何なのでしょうか???「法律で人の命は正しく平等に扱われなければならない」と昔学校で習ったことは嘘だったのでしょうか?????果たして、1人の人の命の重さに違いがあってもいいのでしょうか???私は紗愛理が亡くなってから、もう法律も政治も社会の仕組みさえも、信用できない気持ちでいっぱいになってしまいました。これも一生消えることの無い、悲嘆(グリーフ)の一つなのです。 もしかしたら、誤解を受けるかもしれませんので付け加えますが、私は恨みつらみを書いて誰かを蹴落とそうとか復讐しようとしているわけではありません!!個人的な妬みで、人を羨ましがっているわけでも決してありません。そんなちっぽけな私利私欲ではなく、多くの被害者ご遺族が勇気を出して世間へ声をあげていくことは、とっても大事なことだと思っているんです!!そして、一人でも多くの被害者遺族の声が世間の大勢の良識ある方々に届き広がれば、いつかは世論を動かし、この理不尽極まりない交通被害者の絶望も、少しは明るい兆しが見えるかもしれないと微かな希望を抱くからです。最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年03月23日
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昨日はまたも体調がよくありませんでした。最近春は特にこういう日が多く、体調も心境もドロンと重たいものをいつも抱えている様な感じです。それはさえりんが亡くなったときから、ずっと心がスッキリと晴れたことなんて一度もありませんでした。いつもいつも重たい鉛を抱えている様な感じです。これは多分、死ぬまで一生続くのだと思います。たとえ、楽しいことがあっても、嬉しいことがあっても、美味しいものを食べても、心の底から笑ったり楽しむことなんて、もう二度とないんです!!ご遺族ってこんな心境だったんだと自分がそうなって初めて知った事実です。そしてもう二度と当たり前に普通に幸せだったあの頃に戻ることはできないんです!!たぶん、遺族でない方にはわからない辛さと、生きていきにくさで、想像もつかない虚しい現実なのです。出来ることなら私もこんな過酷な現実なんて、一生知らないまま、他人事のままの方がどんなに良かったかと何度も思ってしまうのです。当たり前に紗愛理がいてくれた、あの頃に戻りたいです・・・(>_<)(さえりん14歳の時 伊勢戦国時代村へ行ったよpart3) 昨日「命と安全を守る歩車分離信号普及全国連絡会」会長、長谷さんがFacebookにこんな投稿をしてくださいました。「いよいよ、今週、3月27日は、自転車スイスイ主催の歩車分離信号講演。なんと知立市の大規模交差点が歩車分離信号に改善された。改善方法は横断者の安全の為、あの巨大な交差点を押しボタン式で車を止める方式。この交差点の改善に尽力されたご遺族に敬意を表し、愛知県警の英断もお話ししなければ。」 長谷さんの講演で使って頂けるということ、本当にありがとうございます。これは皆様のご尽力と熱意で叶った奇跡だと思っています。誰もが願う安心で安全な社会へ。もう二度とさえりんのような痛ましい犠牲者が出ませんように!!昨日長谷さんからお電話をもらって話す中「ここはさえりんが守り神になった交差点です」とおっしゃられ私は嬉しい気持ちと、紗愛理は人柱になったんだと虚しく複雑な気持ちになりました。それは、ずっとずっと心に渦巻いていた感情です。出来ることなら紗愛理が犠牲になる前に交差点の改善をしてほしかった!!ここは人身事故が多い交差点だと警察も行政もわかっていたならもっと早く手を打ってほしかった!!私たちの大切な娘を人柱にも守り神にもしてほしくはなかった!!これが私の素直な心の中の本音です(>_<) そして、私たちと同じくあの頃に戻りたい、亡き我が子にもう一度会いたいと心から思ってみえるご遺族は全国にどれだけ多くみえることでしょうか。そのお一人、波多野さんの裁判員裁判が、今日3月22日、判決です!!父親「実際に見合った判断を」 “信号無視”の車で女児死亡 あす判決・危険運転の認定は(3月21日 FNNプライムオンラインより引用)東京・葛飾区で2020年、車を運転中に赤信号を無視して親子をはね、小学5年生の女の子を死亡させた罪に問われた男に、22日、判決が言い渡される。 危険運転での立件を求め、奔走した父親が心境を語った。 当時、小学5年生だった波多野耀子さん(当時11)。 2020年3月、葛飾区の交差点で、父・暁生さん(44)とともに横断歩道を歩いていた際、赤信号を無視した軽ワゴン車にはねられ、死亡した。 明るくのんびりとした性格だったという耀子さん。 父・暁生さん「人形は全部、ひつぎに入れてしまったので今はもうないですけど、こういったおうちセットで遊ぶのが好きでした」 「将来はテレビ関係の仕事をしてみたい」と話し、中学の受験勉強に励んでいた矢先、未来は一瞬で奪われた。 自身も事故で重傷を負った父・暁生さんは、「赤信号を無視した危険な運転だ」と訴え続け、高久浩二被告(69)は、過失運転より重い、危険運転致死傷の罪で起訴された。 裁判で高久被告は、赤信号を認識した地点は「直前だった」と主張したが、検察は、認識したのが「停止線のおよそ28メートル手前だった」のに、ことさらに無視して、危険な速度で交差点に進入したと指摘し、懲役7年6カ月を求刑した。 暁生さん「まず危険運転が、きちんと判決で認定されて、実際に見合った判断をしてくれることを望んでいます」 「危険運転」の成立について、どう判断されるのか、判決は22日に言い渡される。 今、耀子さんのご両親の心の内は如何ばかりかとお察しするのです。もちろん危険運転の判決が出て欲しい、加害者には1日でも長く刑務所に入って心からの反省と贖罪の人生を歩んで欲しいと望んでみえるはずです。でも、どんな判決が出ても、加害者にどんな処罰が下っても、もう二度とあの愛おしい耀子さんは帰ってきません。ご遺族が満足できる判決なんて有り得ないんです。だからどうか裁判員の皆様、社会の皆様にはそんなやり切れないほどの虚しさを一生抱えなくてはならなくなってしまった両親の想いを、少しでも汲んでいただけたらと願わずにはいられないのです。最愛の娘を亡くした同じ親として・・・最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年03月22日
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昨日はまたも朝から頭痛が酷く一日何も出来ずにうなだれていました。春だからなのか??花粉症になってきたからなのか??お彼岸が近いからなのか??自分でもよくわかりません・・・(;'∀')でもこんな自分も嫌になるのです。あるご遺族がこんな言葉をかけて下さいました。「栄子さん大丈夫ですよ!遺族で元気はつらつな人なんていませんから。みんなそうですよ」と。私は確かにそうだなと納得しました。大切なかけがえのない家族を喪った悲しみはどんなに時間が経ってもどんなに良いことがあっても一生消えるはずはありません。遺族はその辛さ苦しさを一生背負っていくしかないのですから。(さえりん14歳の時 中学校の校外学習電車でお出かけpart6) 先日こんな新聞記事をご遺族の方のFacebook投稿で見つけました。(2022年3月9日河北新報朝刊より引用) この新聞記事を見て、一般的には受刑者を更生への道へ進ませる素晴らしい法案だと思われるかもしれませんが、遺族の方から見たらいったいどう思われるでしょうか??確かに「罪を憎んで人を憎まず」の精神からしてみたら素晴らしい取り組みだと思われます。でも遺族の感情はどこかへ置き去りにされていないでしょうか??この記事を投稿して下さった、日本交通事故調査機構の佐々木さんはこんなコメントを書いてみえました。「あくまでも私見です。私の感覚的間違いかも知れません。平成になって初めて刑法を授業として学んだ時、『刑罰は被害者の報復感情に報いる懲罰的側面がある』と習った。『私人は報復できないから、国にその思いを託している』と習った。もちろん教育の場でもあることも習った。令和になりすっかり概念が転換していることを今頃になって知った。」と。私はつくづくこう思ってしまうんです!!この世の中は「弱肉強食の社会」なのだと!!人の命を奪ったものは強者で、優遇されて刑務所という名の学校に無料で入れて更生という授業と衣食住の提供を受けられて社会復帰が求められる。または不起訴、起訴されて正式裁判も形だけで執行猶予が付いて実質無罪。罪に問われない???一方命を奪われたものは弱者で、たいていが泣き寝入り??遺族は被害者ではないと蚊帳の外!!!では、殺されたもの損なのでしょうか???「死人に口なし」「死人に人権なし」がこの世の常識。生きている加害者の人権は守られるのに、理不尽に殺された者のこの先あるべき人生や命は、保険金というわずかばかりのお金に換算されてそれで終わり???遺族は2次被害を受けたり社会からも阻害される??この「加害者天国日本」を続けていたら、犯罪なんて減るはずがありません!!だって、犯罪者、加害者になった方が断然お得ですから!!なんと言っても日本は「弱肉強食の社会」なのですから!!!食われた者(殺された者)の負けで、食った者(殺した者)が勝ちな、無法地帯な動物社会ジャングルと同じルールなんだから!!!法案を作る政治家の方々や、この法案を良しと認める方々にお聞きしたいです!!「あなたはご自分の大切な家族が被害者になり理不尽に命を奪われたとしても、同じことが出来ますか??それでも、加害者有利な法律を作ることが出来ますか??被害者遺族の思いを置き去りにした社会は、真に公平な社会だと言えますか??」と。遺族だけが「大切な家族が殺された」という重く苦しい十字架を一生背負って生きてゆくのに対して、加害者は「更生」という名のもとに法に守られ、重く苦しい十字架を背負わずに「第2の人生」を明るく生きてゆけるなんて、こんなオカシナ社会のシステムを皆さんはどう思われますか???私も加害者が更生することは、決して悪いことだとは思いません!!でもその前に、それと同時に、すべきことをさせて欲しいのです!!せめて、自分が殺してしまった命に対する贖罪を一生片時も忘れずに背負ってほしいと願うのです!!最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館安城市民活動センターオンライン団体交流会2021応援のコメントたくさんありがとうございました!!結果は来週だそうです(^-^;ごめんなさい💦会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年03月18日
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昨日3月14日は、東京葛飾区の波多野耀子さんの2年目の祥月命日でした。何も出来ませんが昨年、耀子さんと紗愛理を想って植えた沈丁花を眺めて優しい香りに包まれながら、刑事裁判が行われ闘ってみえるご両親に思いを馳せました。(昨日、咲いた我が家の桜と沈丁花 耀子さんと紗愛理へ祈りを込めて) 昨日夜、毎日新聞ネット記事でご両親それぞれの意見陳述が載っているのを見つけ読んでいたら涙が止まらなくなりました。どうしても皆様にも読んでいただきたくて誠に勝手ながら私のブログにも引用させていただきました。(毎日新聞ネット記事より引用)「無差別殺人と変わりない」小5死亡事故、母が命日に意見陳述東京都葛飾区四つ木5の国道6号(水戸街道)で2020年3月14日、近くに住む小学5年の波多野耀子(ようこ)さん(当時11歳)が軽ワゴン車にはねられて死亡した事故で、赤信号を無視したとして自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)に問われた元配送業、高久浩二被告(69)=埼玉県三郷市=の裁判員裁判が14日、東京地裁(西野吾一裁判長)であり、検察側が懲役7年6月を求刑して結審した。判決は22日。 14日の公判では両親が意見陳述した。母親の主な発言内容は以下の通り。 ◇娘も気に入った名前 私は、この事故で亡くなった耀子の母です。夫は重傷を負い、私の人生はあの日から全く違うものになりました。今日は皆さんに、耀子がどれほど私にとって大事な娘だったのか、知っていただきたいと思います。 耀子がおなかにいる間、私はつわりがひどく、切迫早産もありました。子宮を縛る手術をして、何カ月も安静にしてやっと生まれた赤ちゃんでした。小柄でしたが、髪はふさふさして肌がとてもきれいな赤ちゃんでした。 夫婦ともに、「子」の付く名前を考えていました。主人の母がいろいろと案を出してくれて、その中から「耀子」という名前に決めました。私の母の名前の「光」も入っていますし、奇麗な字だと思いました。耀子本人もとても気に入っていました。 ◇毎朝作ったお弁当 夫婦共働きで、耀子が生後8カ月の時から私の母に預けて働き、1歳4カ月で保育園に入りました。小学校に入るまでは、よく熱を出して耳鼻科に毎日通いながらも、会社員と同じような時間帯で月曜から金曜まで頑張って保育園で過ごしてくれました。スイミングスクールにも入り、ピアノを習い始め、夏のお泊まりキャンプにもお友達と参加したり、幼いうちからたくさんの経験をしました。 小学校に入ると、英語や町内会のおはやしも始めました。学童保育は3年生までしか利用できないため、その代わりに3年生の終わりから、中学受験向けの塾に通わせました。できるだけ、1人でのお留守番を少なくしたかったからです。本人が嫌がらなければ、そのまま受験を目指してもいいと、柔軟に考えてのことでした。 塾へはとても楽しく通っていました。お弁当もみんなで楽しく食べていたようですが、私はお弁当のリクエストに応えるのが大変でした。「おかずをたくさん何種類も入れてほしい」「きちんと2段弁当にして」とのことでした。 朝の出勤前の忙しい時間帯ではありましたが、「耀ちゃんが喜ぶなら」と、私は頑張って作りました。冷凍食品は1種類だけ入れていい約束でした。耀子は私の手作りを好みました。5年生からは、週に3回お弁当を持って塾に行き、頑張りました。 ◇目標達成を伝えたい 勉強は、算数が苦手だったので、ストップウオッチを片手にたくさん勉強しました。私はイライラして怒ったことも数多くあり、今では可哀そうなことをしたと悔いています。自ら、個別タイプの塾も併用したいと言い、理科も頑張っていました。 先生とのやり取りが楽しかったようで、亡くなった後にうちに来てくださった学生の先生から、塾での耀子の話をたくさん伺いました。休憩時間に目が合うとにこっと先生に笑いかけて、ドラマの話なども楽しく話していたようです。 先生ご自身も同じ塾のOBだったので、昔のノートをコピーさせていただき、耀子ちゃんの理科の成績を上げるぞ!と頑張ってくださいました。最後のテストは人体の分野で、目標点を掲げて頑張っていました。亡くなった2日後に楽しみにしていた成績が発表されました。目標を達成することができました。耀子に知らせてあげたい気持ちでいっぱいでした。 ◇とにかく優しい子 また、耀子は、リカちゃん人形が大好きでした。ジオラマのような小物も大好きで、それらを使ってリカちゃん人形で遊んでいました。それは5年生になっても変わることはなく、リカちゃんやその他のお人形と一緒によく湯船につかっていました。七五三は、みこさんの格好をした非売品のリカちゃんがもらえることを目当てに、赤坂の日枝神社で2度ともご祈とうしました。東京オリンピックとパラリンピックのリカちゃんも購入し大切にしていました。それらのお人形は全て棺に入れました。 私の作る料理は、ハンバーグやミートソース、ショウガ焼きなどなんでもよく食べてくれました。セロリスープなど香味野菜も好きでした。外食はなんといってもウナギが好きで、祖父母の家にお泊まりに行くたびにウナギ屋さんに出掛けていたようです。 耀子はとにかく優しい子でした。そして明るく前向きです。親である私たちが一番感心していたのは、何事もあきらめずコツコツと続けるすごさです。そんなに負けず嫌いでもなくてひょうひょうとしていましたが、練習を続け、スロースターターでありますが、いつの間にか上達していました。人に気を使わせないところもあり、保護者の方からは「耀子ならいつ遊びに来てもいいよ。どんなに部屋が汚くても耀子なら見せてもいいわ」とよく言ってもらいました。 1年生の頃から親友もできて、今でも親友です。その子はお骨あげもしてくれて、私のことを現在も助けてくれます。耀子は、男女年齢問わず、みんなと仲良くしていたと思います。不器用なところもあり、図工や家庭科などの専科の先生には特にお世話になりました。学校も大好きで、行きたくないと言ったことは一度もありません。そして、どの習い事もやめたがらないので、忙しくなり過ぎてしまい、整理するのが大変でした。 ◇娘がいない世界 耀子がいる時は、全て耀子を中心に、朝から寝る前まで、毎日バタバタと生活をしていました。朝のNHKの連ドラを見ながらご飯を食べて、急いで出かけます。私はベランダから水戸街道へ曲がる道まで、毎朝赤いランドセル姿の耀子を見送っていました。 学校から帰宅したら、私が作り置きをしたお弁当を自分で温めて、それを持ち塾へ行きます。夜は駅までお迎えに行き、小腹をすかせた耀子に、軽食やスープを食べさせて寝かせる毎日でした。 塾の無い日は、いつもお友達と遊ぶ約束をしていました。私は仕事中もキッズケータイのメールでやり取りをして、場所を把握していました。そんな毎日が明日もあさっても当たり前に続くと信じていました。 事故の後、まず目が覚めたら、毎朝耀子がいない世界を感じます。夢を見て、自分の泣き声で目覚めることもあります。子供がいない生活になりました。作る料理も洗濯物の数も、何もかもが変わってしまい毎日が苦しくなります。朝早いお弁当作りも、ベランダからの見送りも、塾のお迎えも、夜の軽食作りも、耀子とのメールのやり取りも、全て無くなってしまいました。 ◇生きていたら…… 小学校を卒業した後は、本人が望む学校へ進ませてあげたかったです。11歳の時点で、スキーやスイミングなど、親の私たちよりもできることが多く、成長がとても楽しみでした。いろいろな困難にぶつかっても、耀子ならあきらめずに乗り越えてくれるだろうと頼もしく思っていました。 子供は4人欲しいと言っていて、保育園に預けてママのように働くのだと話していました。私は、なるべく近くに住んでサポートができればいいな、など漠然と考えていました。毎年の主人の両親との年越し旅行や、夏休みや大型連休の家族旅行をとても楽しみにしていて、これからは外国にも連れていきたいと思っていました。 もし、今耀子が生きていたら、もっと話をたくさん聞いてあげたいです。時間をせかすこともなく、耀子の話をたくさん聞いて、いろいろな希望をかなえてあげたいです。そして以前のように、暖かいベッドで一緒に寝てほおをなで、抱きしめたいです。 耀子の部屋はあの日のままです。今も以前と同じように掃除をしています。耀子の誕生日は、命日よりもきついです。小さなケーキを用意して耀子が喜ぶであろう料理を用意し、私たちが食べます。歌などは歌いません。ただ静かに過ごします。 私は、不十分な母親だったと思います。もっともっと穏やかにおおらかに構えて育てるべきでした。ただ、こんなママですが、耀子はとても素直でいい子に育ってくれていました。いつも家族3人で一緒でした。 耀子との最後のメールのやり取りは「今日はどうしても3人でご飯を食べたいの」だったと思います。遅いからパパと2人で食べてきたら?との私の問いかけへの答えでした。耀子が欠けた今も、私たちは耀子の気持ちを想像して、耀子が嫌がることはしないようになんとか頑張って過ごしています。 ◇「14日」がつらい日に 今日は耀子の命日です。2年前の3月14日から耀子に会えていません。あんなにも毎日一緒だったのに突然の別れとなりました。私は2月14日が誕生日で、主人の誕生日は10月14日です。それなのに、14日という日がとてもつらい日となりました。 耀子は「正義の子」だからと言われたことがあります。悪いことは悪いと言える子、それは違うとはっきり言える子だと言われました。ルールを破ることに抵抗があり、いじめや陰口を最も嫌っていたと思います。事故当日のニュースに、歩行者が青信号で渡っていたとはっきり書かれていたと聞き、耀子の正義が証明されたと、そこだけはほっとしました。 いつも慎重に道路を渡る子でした。踏切も音が鳴り始めたら、絶対に渡りません。前日も事故と同じ横断歩道をピアノのレッスンへ向かうために通りました。心配性の私は、帰りも水戸街道まで耀子を迎えに行きました。自転車に乗り信号待ちをしていた耀子は、青になると首を大きくふり左右を確認し、ニコニコ顔で私のもとに駆け寄りました。 このように大変慎重な子でも、命を奪われました。たまたま耀子たちがひかれてしまいましたが、誰がひかれてもおかしくありません。無差別殺人と何ら変わりないと思っています。 耀子は身長152センチ、体重35キロのきゃしゃな体でした。なぜ少しでもブレーキを踏んでくれなかったのか。大けがで済んだかもしれないのに。毎日そう思い、悔しいです。耀子は、私たち夫婦のたった一人の娘で両祖父母にとってもたった一人の孫でした。最愛の宝物です。耀子を身勝手な運転でひき殺し、私たちの人生も心も殺しました。「娘は理不尽に命を奪われた」父が意見陳述 小5死亡事故東京都葛飾区四つ木5の国道6号(水戸街道)で2020年3月14日、近くに住む小学5年の波多野耀子(ようこ)さん(当時11歳)が軽ワゴン車にはねられて死亡した事故で、赤信号を無視したとして自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)に問われた元配送業、高久浩二被告(69)=埼玉県三郷市=の裁判員裁判が14日、東京地裁(西野吾一裁判長)であり、検察側が懲役7年6月を求刑して結審した。判決は22日。 14日の公判では両親が意見陳述した。父暁生さん(44)の主な発言内容は以下の通り。 ◇受験勉強を楽しみに 私たち夫婦にとって、この世で最も大切に思い、愛していたのが、一人娘の耀子でした。耀子も私たち両親のことをとても愛してくれていたと思います。 耀子は幼い頃から、のんびり屋でマイペースな子でしたが、「継続は力なり」を地でいく子で、何事にも根気強く取り組む子でした。 水泳、ピアノ、お囃子(はやし)、英語といろいろな習い事をしました。どれもできるようになるまでには時間がかかりましたが、出来る様になるまで、諦めることを嫌う子でした。 その、ひたむきな姿と、持ち前のマイペース屋さんからくるほんわかした様子が相まってか、習い事の先生方にもとても可愛がっていただきました。親の欲目かもしれませんが、多くの人から愛されるキャラクターを持った子でした。 小学3年生から中学受験のための塾に通い始め、夜の8時または9時まで塾で勉強をしていました。当初は慣れるまでに少し時間がかかりましたが、習い事で培ってきた継続する力を発揮して、徐々に学力を付けていきました。 そのかいあって塾でも最上位のクラスに所属していました。私に似て国語が得意だったので、やっぱり親子なのだなとうれしく思ったことをよく覚えています。小学5年生になってからは受験勉強を楽しみにするまでに成長し、志望校を決めるためにいろいろな学校の見学会にも行きました。 見学の際は在校生から声をかけられると照れくさそうにしていましたが、後でこっそり、「この学校は気に入った」とか「この学校はイマイチだった」などと感想を教えてくれて、志望校を真剣に考えている姿に大きな成長を感じ、ほほ笑ましく思いました。 耀子の部屋には、勉強のメモや私たち両親が作った勉強のスケジュール表などが至る所に張ってありました。正にこれから6年生になって、いよいよ受験勉強本番となる矢先に、今回の事件に遭いました。 ◇ホワイトデーのお返しできず 事件当日は19時から私の美容室の予約が入っていました。当初は耀子を連れて行く予定はありませんでしたが、ちょうど、妻が外出しており、耀子を一人で留守番にさせておくのも可哀そうに思い、「美容室についてくるか?」と聞くと、彼女は「ついてくる」と言いました。 私は、耀子と2人で近所のスーパーに出かけたり、ちょっとした散歩がてらの外出をするのが、プチデートのようで楽しみでした。ですから、その日の美容室もそんな気持ちで一緒に出掛けることにしました。 この時に、一緒に連れて行かずにおけば、耀子は事件に巻き込まれなかったのだと、今は悔やんでも悔やみきれない思いです。 美容室に着くと耀子は持ってきたゲーム機でゲームをしながら、私を待っていました。私の前の予約のお客さんの立ち話が長引いて、19時からの予約でしたが、私が髪を切り始めたのは19時15分くらいでした。それでも、耀子はおとなしく待ちながら、時々妻とメールで状況報告のやり取りをしているようでした。 美容室の鏡越しに耀子の様子を見ていましたが、お店の方に話しかけられて世間話をする様子などは、もはや幼児ではなく、しっかりとした少女になっていました。なじみがない大人ともにこやかに話せるようになり、随分と成長したものだなと、思ったのを覚えています。 美容室は予定より遅くに終わり、20時30分ごろに店を出発しました。どこかで妻も合流して外食でもしようかという話にもなりましたが、耀子と妻は携帯電話のメールで連絡を取り合っており、妻が家で夕食を用意して待っているとのことだったので、家に帰ることにしました。 その日はホワイトデーだったので、まだお返しを渡していなかった私は、帰りにコンビニで何でも好きなものを買ってあげようかなどと、のんきに考えながら、耀子とたわいもない会話をし、歩いて家に向かいました。雨は降っていなかったと思います。 あともう少しで家に着く場所にある、事件現場の四つ木5丁目交差点に差し掛かりました。歩行者の信号は赤だったので、青に変わるのを2人で待ちました。 水戸街道は車が結構な速度を出して走っていました。金町方面から向島方面への上り車線を走る車が、信号待ちをしている私たちからみて右から左へと走り抜けるので、私はあえて、私の体が盾になるように耀子の右側に立って信号が青になるのを待ちました。後でこのことが耀子を左側からの車の衝突から守る上であだになるとは、この時は思いもしませんでした。 程なくして、信号は青に変わりました。しかし私は耀子に「まだ渡るな」と言いました。向島方面から金町方面への下り車線を暴走族風のバイクが信号を無視してわざとエンジン音をうならせながら低速で横断歩道を横切って行ったのです。私たちはそのバイクが走り去るのを待ち、横断歩道から離れて行ったのを確認して、耀子に「どうしようもないやつらだな、渡ろう」と一言言ってから、青になった横断歩道を渡り始めました。それが、耀子と私との最後の会話になりました。 耀子は私と並んで、私の左側を歩いていました。横断歩道中ほどの中央分離帯を越えたあたりで、私は我々の右側を走り抜けて、同じく横断歩道を渡る自転車を目視しました。 そこで、私の記憶はぷつりと飛んでいます。気が付いた時は、救急車に乗せられているらしいことが分かりました。車にひかれた衝撃で気を失ったようで、ひかれた瞬間のことは全く覚えていません。 訳が分からなかった私は、何か言葉を発しようとしたと思いますが、会話をする力がありませんでした。救急隊員が大声で「車にひかれたんだ」と叫ぶようにして教えてくれました。私は状況がよくのみ込めませんでしたが、何とか力を振り絞って、「娘は?」と救急隊員に尋ねました。 救急隊員は「別の救急車で運ばれている。それ以上の状況は分からない」と言いました。そして、サイレンを鳴らしながら激しく揺れる救急車の中で、私は酸素マスクをつけられ、自力では全く体を動かすことができず、左足に激痛を感じながら意識が途切れ途切れになっていきました。 次に覚えているのは、病院らしきところで、強いライトの下でたくさんの医者に囲まれている光景でした。私は「娘は?」と聞きました。医者は、「娘さんの状況は分からない。手術することを了解してほしい」と言いました。 意識がもうろうとするなか、耀子はきっと別の病院で処置を受けているのだ、多分軽傷だろうと思い、医者に手術を了解する旨を伝えました。この時私は、なぜ車にひかれたのか全く見当もつきませんでした。このまま自分は死ぬのかもしれないと思いました。麻酔をされて、また記憶はそこでぷつりと飛びました。 ◇「ごめんな耀子」 次に気が付いた時には、私は集中治療室にいました。恐らく事件当日の2日後だったと思います。体は相変わらずほとんど動かず、意識ももうろうとしていました。左足には手術した形跡がありましたが、足の感覚はありませんでした。 徐々に意識がはっきりとしてくる中、病院の看護師や医者に耀子のことを聞いても、みな一様に、娘さんは別の病院に運ばれていて状況は分からないと言いました。 病室には妻と私の両親も来ていました。妻に耀子の様子を聞きましたが、妻は苦しそうに口ごもるだけで何も言いませんでした。私は何か皆が隠していると思い、父に「耀子はどうした」と聞きました。すると、父から「耀ちゃんはダメだったよ」と伝えられました。 にわかには信じられませんでした。あの耀子が死んでしまった? なんで? 状況が理解できず混乱した私は、妻を呼びました。妻も当然取り乱していて「一緒に私たちも耀子の後を追おう」と涙ながらに言いました。何をばかなことを言っているんだと思いましたが、憔悴(しょうすい)しきっている妻にかける言葉は見つかりませんでした。 その瞬間を境に、私の人生は終わったも同然になりました。 耀子の死を伝えられても、私は依然としてそのことが信じられませんでした。なぜこんなことになってしまったのか? そのことばかりを頭の中でグルグルと考えていました。 その後、病院の計らいで耀子の遺体を、墨東病院から私が入院している日本医科大学付属病院に移送してもらい、私が耀子と対面する機会を作ってもらいました。 耀子の遺体が安置されている場所に車いすで行きました。そして、横たわる耀子を見た瞬間私は、「ごめんな耀子」と声をあげてしまいました。あまりのショックに号泣することもできませんでした。耀子の体は信じられないほど冷たく、硬くなっていました。大事な大事な一人娘がこんなことになるなんて、私は冷たい耀子の体をなでながら、二度と元気な耀子に会うことができなくなってしまったことに、底知れぬ絶望を感じました。 耀子との対面を終え病室に戻ると、医師から今後のことについて説明がありました。できる限りのことはするが、今の容体では通夜と葬儀に参列するのは難しいという説明でした。私は、参列しないことはあり得ないと伝え、何とか葬儀だけは参列することを許してもらいました。 葬儀の前日、病室で喪主のあいさつを考え、メモにしたためました。 車椅子で介護タクシーに乗って、葬儀場に着くと、耀子は棺の中にいました。私は改めて耀子の冷たく硬い体に触れ、号泣しました。棺の中で花に埋もれる我が子の姿を見て、一体これは何なのだ、なぜこんな光景を目にしなくてはいけないのかと、悲しみと怒りと絶望が入り交じった気持ちになりました。 葬儀には300人を超す方々が参列してくださいました。 ◇地獄のような日々 葬儀を終えた翌週に、病室に警察の方が来ました。私は、明らかに青信号を横断していたのに、こんなことになるのは全く意味が分からないと話しました。警察の方は、車が赤信号を無視していて、我々に全く落ち度はない、極めて悪質な事件だと言っていました。後々聞いた話では、耀子は車と私の体に挟まれる形になってしまったため、ダメージが大きかったそうです。私はそれを聞いて、なぜ耀子を救うことができなかったのか、私と耀子が左右逆に並んでいれば耀子は助かったかもしれないと思いました。今でもそれが苦しくて仕方がありません。 令和2(2020)年4月10日に退院しました。自宅に戻り、耀子の部屋で、彼女がもうこの世にいないことを改めて突き付けられ号泣しました。 それからは、地獄のような日々でした。なぜこんなことに巻き込まれてしまったのか、なぜ耀子は死んでしまったのか、毎日、毎日、考えても考えても、救いは無く、また今日も耀子がいない一日が始まるのかと苦しくなるばかりでした。 当時、唯一の外出はリハビリでした。松葉づえでの歩行訓練のために自宅近くの整形外科に通いました。病院では、耀子と同じ年ごろの女の子がリハビリに励む姿を目にする機会がありました。耀子も骨折程度で済めばせめてもの救いだったのに、なぜ死んでしまうほどの事件に巻き込まれたのかと、ここでも苦しくてたまらなくなりました。 リハビリを続け、松葉づえからつえ1本で歩けるようになったので、6月から仕事に復帰しました。復帰後は、事件で暗転してしまった自分の人生と、今まで通り何も変わることなく回っていく職場との落差に大変苦しみました。同僚の変わらぬ日常の話題や、お子さんのイベントの話が耳に入ってくる度に涙があふれ、トイレなどでこっそり泣きました。それでも、顧客の前では何事もなかったかのように笑顔で話さなくてはなりませんでした。 そんな毎日を過ごす中で、明らかに精神的に異常をきたしていると感じたので、被害者支援都民センターのカウンセリングの際に相談すると、重い抑うつ状態にあると思われるので直ちに精神科へ行くように勧められ、紹介状を書いてもらいました。心療内科での診断は抑うつとPTSD(心的外傷後ストレス障害)でした。私は、睡眠導入剤や抗うつ剤を服用しながら何とか仕事を続けましたが、その年の年末ごろから限界を感じ、令和3(2021)年4月末で会社を退職しました。本当に人生がめちゃくちゃになりました。 ◇初公判前日に娘のビデオ 私たち親子は慎重に青信号を横断していただけで何の落ち度もありません。 娘の耀子は、6年生に進級することを楽しみに、中学受験に向けて正に本腰を入れようとしている真っ最中でした。 「大学生になったらピアスをしてもいい?」 「テレビが大好きだから将来はテレビ関係の仕事をしてみたいな」 「なるべく早く結婚して、子供は4人ぐらい産みたいな」 そんなことをよく話していました。さまざまな可能性を持った未来がたくさんある娘でした。私たち夫婦にとって、ただ一人の子供であり、両祖父母にとってもただ一人の孫でした。そんな大事な娘が、このように理不尽な形で大切な命を奪われました。 初公判の前日、妻が検察官との打ち合わせで不在の時に、私一人で過去に撮った耀子のビデオを見ました。 事件以来、耀子が映ったビデオをきちんと見るのは初めてでした。それまでは、つらすぎて映像を見ることが難しかったのです。しかし、裁判に臨むにあたって、きちんと耀子の動く姿と声を目と耳に焼き付けなくてはいけないと思い、意を決して見ました。動く耀子の姿を目にし、声を耳にして、ただただ、失ったものの大きさに、一人で震えながら大声で泣きました。 当たり前ですが、耀子は生きたかったと思います。本当に悔しがっていると思います。一番怖かったのは耀子です。青信号を守っていたのに、赤信号無視の大きな車に時速57キロで衝突され、どれほど怖かったか、痛かったか。 愚かな運転により、命を奪われた娘の無念さ、苦しさ、そして我々遺族の悲しみと絶望をご想像いただき、今後、このような事件を再発させてはならない、という予防的な意味も込めて、過去の判例や量刑相場にとらわれることなく、現行法上の最大限の刑罰、すなわち懲役20年に処していただきますようにお願いいたします。波多野耀子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。(さえりん14歳の時 中学校の校外学習電車でお出かけpart8)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館安城市民活動センターオンライン団体交流会2021応援のコメント終了しました!!皆様たくさんのコメントありがとうございました!!会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年03月15日
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今日はまず、さえりんの写真からです。(さえりん14歳の時キッザニア甲子園part5 さえりん消防士になりました!)そして、昨日もAmazon「みんなで応援」プログラムを見て応援してくださった方々からたくさんのご支援をいただきました!!皆様ありがとうございました!!本当に心から感謝でいっぱいです(⋈◍>◡<◍)。✧♡くらランドの皆様、ブロ友さん方、本当にお優しいです!! 昨日、とっても悔しくて到底納得できない許せないことがありました!!私はまるで自分のことのように憤り落ち込みました・・・(>_<)絶対にこういう結果にだけはなってほしくないという最悪の事態が現実になりそうな状態です!!まだ決定ではありませんが。詳しいことは今はまだここで書くことはできません。本当に日本の司法には憤りしか感じません!!加害者天国日本です!!「真実はいつも一つ」「正義は勝つ」「正しいものは救われる」なんて嘘幻の話です!!私はまたもこの社会の法律の理不尽さに落胆し絶望するしかありません!!どうしていつもいつも、泣かされるのは被害者と遺族で、罪を犯し人を殺した加害者は何もなかったように普通に暮らせることが許されるのでしょうか???死人に口なし、死んだ者には人権がない、一方で生きている加害者の人権は司法にしっかり守られる??罪を憎んで人を憎まずの精神は尊いかも知れないけれど、何の罪もないのに突然殺されてしまった被害者の人権は誰が守ってくれるのでしょうか??私はニュースを見て怒りが込み上げることがよくあります。それは窃盗や詐欺は捕まると起訴されて裁判が行われて実刑が下され刑務所に入ることが多いのに人の命を奪った過失運転致死罪では危険運転ではない限り殆どが不起訴または正式起訴されても執行猶予が付いて刑務所に入ることは稀です!!この違いは何でしょうか??故意か不注意かの違いでしょうか??それにしても、お金を奪ったら刑務所、人の命を奪っても不起訴っておかしくないですか????ネットで「過失運転の起訴率」を調べたら驚くべき結果がΣ( ̄□ ̄|||)公判請求とは正式起訴で刑事裁判が行われること。略式命令請求とは略式起訴で100万円以下の罰金刑が課せられること。不起訴処分とは無罪のこと。これは令和元年度の結果です。ということは、さえりんが亡くなった年です。過失運転致死傷罪での正式起訴(公判請求)はたったの1.3%その中に紗愛理の事故は入ったということです。それでも刑事裁判の判決は「禁錮3年・執行猶予5年」結局加害者は刑事裁判で裁かれたものの、執行猶予が付いて5年間おとなしくしていたら刑務所に入らずに済んでしまうんです!!実際に刑務所に入るのは、刑事裁判で裁かれた1.3%の中のさらにほんの一握りで、殆どが執行猶予付きなのです。そして、問題なのは不起訴が85.3%もあるということなんです!!ということは例えば過失運転によって人を轢き殺した加害者が100人いたとして、そのうち85人は不起訴(無罪)だということです。略式起訴(罰金刑)が約11人、正式起訴(刑事裁判)が1人だということです。私達はテレビの影響でしょうか?ずっと間違った認識を植え付けられていたんです。人を轢き殺したら例えついうっかりの過失運転だったとしても、必ず刑務所に入るんだというのは真っ赤な嘘です!!実際には8割以上の殆どが無罪、1割が罰金、0.1割が刑事裁判は行われても殆どが執行猶予が付いて刑務所に入る人はまずいないというのが現実に行われている本当の法律上の処分です。そして被害者は「死人に口なし」にされて、被害者遺族はなすすべもなく泣き寝入りというのが、日本の司法では当たり前の常識なんです。昨日は大切な友人の憤りを聞いて、私もまた改めてこの日本の法律が如何に加害者に有利であるのかという憤りが込み上げてきたのです。これも自分が過失運転の死亡事故の被害者遺族になって初めて直面した絶望です。この世の中にこれほど理不尽で納得が出来ない事ってあるでしょうか??それともこれはほんの一例にしかすぎずもっともっと理不尽に溢れた弱肉強食の世界が本当に日本なのでしょうか??私はさえりんの加害者の刑事裁判で執行猶予付き判決に納得がいかず署名活動をしていた時も思ったのですが、昨日も同じことを感じていました。人はこんなにも優しくて良い方ばかりで困っている私に手を差し伸べて下さるのに、司法はどうしてこんなにも非道で血も涙もない人の心なんて持たない冷血人間なのかもしも、自分の子どもが同じ目に遭っても平気でこういう理不尽な判決と処分を下して、それで本当に納得できるのだろうかと!! 私はたくさんのあたたかい人たちに支えられてようやく恨みと復讐だけではなく、感謝の気持ちで前を向き進み始めたのに、この司法のあり方だけは永遠に納得が出来ることなんてないんだと、深い憤りとため息が出るばかりです。ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年02月18日
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昨日から2月になりました。我が家のベランダにはたくさんのダンボール箱がたたんで置いてあります。屋根がついているので雨はかかりません。本当には年末の大掃除で片付けようと思っていたんですが、年末はごみ処理場も大渋滞で嫌なので、年が明けたら片付けようと思いながら1ヵ月が過ぎてしまいました(^-^;それで昨日は、実習が終わりこたつでゴロゴロしていた次女に頼んで一緒にごみ処理場へ、ダンボール箱4縛りとプラゴミ2袋と瓶や缶類などを捨てに行きました。重い腰をあげて思い切って行ってしまえば、たった30分くらいで綺麗に片付きベランダがとっても広くてスッキリしました(^-^)普段はあまり家では働かない次女ですが、最近は頼めば時々お手伝いもしてくれるようになりました。これも、少しずつ成長してきたからでしょうか(^.^)ごみ処理場のオジサンに、ダンボール箱を運んでいる次女を見て「あんたの娘さん?偉いなあ」と褒められて、照れくさそうな次女を見ながら、ちょっと嬉しい気持ちになりました。今は真冬でコロナの蔓延も凄くて、決して平和なばかりの世の中ではないですが、こうして次女が傍にいてくれる事、一緒に過ごせる時間に心から感謝していきたいと思えるのです。と同時に、ささいなことでも心がちくっと痛むことも日々たくさんあるのです。一昨日もパパが録画してあるバラエティー番組を見ていました。芸能人たちが山奥の降りたバス停から歩いて飲食店を探す番組です。昔、さえりんもよく見ていた番組です。今はテレビを見ても悲しくならないように心に蓋をしています。それでも、「ゴールは富士山の絶景を眺められる露天風呂と天空のブランコ」って聞こえた時、重く閉じていた蓋が外れて、涙がこぼれました・・・もしも、紗愛理が見ていたら絶対に行きたかっただろうな(>_<)と思ったらもうダメです・・・実はもうすぐ2年8ヵ月経つ今でも日々こんなことの連続なんです。もう21歳になった次女との楽しい時間を過ごせて幸せな反面、紗愛理とは過ごすことが出来なかった20歳11ヵ月以降の日々を想うと、切なくて胸が痛むのです(>_<)2月は私の遺族仲間の息子さんがお二人、命日を迎えます。きっとものすごく気が重くざわざわ心が痛んでみえることとお察しいたします。この穏やかな空の下、どうして交通死亡事故が無くならないのか?どうして尊い命が一瞬にして無残に奪われてしまうのか?どうして加害者ばかりが守られるのか?どうして奪われた命は忘れられてしまうのか?この世は理不尽にまみれて遺族が声をあげなければ、おかしいという事実まで闇に葬られてしまうのか?一体何を信じて何を頼りに生きていけばいいのか?そんな想いがぐるぐると頭を巡るのです。この方も4年前の2月1日に11歳の娘さんを交通事故で亡くされた方でした。【聴覚障害女児死亡事故】から4年「逸失利益裁判」にかける父の決意(柳原三佳さんヤフーニュースより引用)事故から4年経った今も、民事裁判で逸失利益について争ってみえるのです。「保険会社は、被害者が生まれ付の難聴だったことから、将来得られたはずの収入である逸失利益について、『一般女性の40%で計算すべきだ』と主張してきました。これはまさに障害者差別です。」お父様はたくさんの全国からのあたたかい声や10万筆を超える署名や弁護団に支えられながら、今も諦めず闘い続けてみえるのです。記事の最後にお父様の決意が載っていました。「4回目の命日を目前に、娘のお墓に花を供えてきました。そして、手を合わせながら『安優香の受けた屈辱は必ず晴らすから、パパに力を貸してね……』そう話してきました。賠償金がおりても、娘は帰ってきません。民事裁判は遺族にとって苦しいものです。でも、この裁判を通して、障害による不条理な賃金格差や差別が少しでもなくなるよう、私たちはもう少し頑張りたいと思います」 私はこの安優香さんのお父様から、少し前にFacebookでご連絡を頂きました。柳原さんがご紹介くださったそうなんです。私は今まで他の方のFacebookでの投稿などでこのニュースやテレビ番組で取り上げられていることを知っていましたが、見ることが出来ませんでした。どうしても、どうしても、紗愛理と重なり悔しい想いや哀しみが倍増してしまうからです(>_<)それでも今回柳原さんの記事を読んで、亡き娘さんの無念を晴らすために必死で保険会社の不平等や世間の非常識と闘ってみえる、お父様のお姿は私たちと一緒なんだと思うことが出来ました。今まで、見たくないものには目を背けていた自分勝手な自分、辛いことから避けようとしていた弱い自分を反省して、また心がちくっと痛みました。真実と向き合うことは、本当に本当に凄く勇気がいることなんです!!私はまだまだちっぽけな人間で決して強くはありませんが、それでも今置かれた現実から目を背けず、これからもさえりんと共に精一杯闘っていきたいと思います。そして、出来る限り紗愛理と同じように理不尽に命を奪われたお子さんとご遺族にも心が寄り添えるような人になりたいと思うのです!!明日2月3日(木)は、さえりんの民事裁判9回目です。私達の場合は、未だ過失割合で争っています。紗愛理に15%の過失があると言いがかりをつける保険会社に、紗愛理に過失なんてなかったと無実を証明するために!!どんなに心がちくっと痛んでも、もう後悔だけは絶対にしたくないんです!!しっかり地に足を付けて出来る限りのことをしたいと心に誓うのです!!さえりんに「パパとママは正々堂々と頑張ったんだよ!!」と、いつか笑顔で報告できる日まで・・・(さえりん13歳の時 ナガシマスパーランドpart11)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年02月02日
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昨日の朝、にじいろ会のメンバーさんからLINEが来ました。「さえパパのブログに載っていた国道23号線西尾東インターで起きた事故で亡くなった方は、息子の友達関係の男性だった」と・・・『乗用車や大型トレーラーなど3台が絡む追突事故男性1人死亡 愛知・西尾市』またも、未来ある尊い若い命が無残に奪われてしまいました・・・(>_<)そしてまたも国道23号線バイパスです。男性は23歳だそうです・・・この、西尾東インターは私が実家へ行くときよく使うインターなんです。あの場所でと思ったら余計に悲しみが込み上げてきます。追突事故は本当に怖いです!!いきなり後ろから追突されたら逃げ場なんてありません。今回は理由は不明ですが、追い越し車線に止まっていたから仕方がなかったのかもしれませんが、追突は殆どが漫然運転が原因です!!車を運転していたら危険予知や状況判断は必須です!! この国道23号線バイパスとその側道は、本当に事故が多くて危険だと思います。紗愛理の事故もこの国道23号線バイパス上重原インター出口交差点です。紗愛理の1年後に国道23号線バイパス安城市高棚インター出口交差点でも地元の男子中学生が、側道のガソリンスタンドへ入ろうとした大型トラックに巻き込まれて亡くなっています。紗愛理の1年前にも豊橋市の国道23号線バイパス野依インター出口交差点で、にじいろ会メンバーIさんの息子さん当時中学1年生のA君が同じく大型トラックの左折巻き込み事故で亡くなっています。そして数年前、安城市の国道23号線のバイパス上でも、あおり運転の車に停めさせられて因縁を付けられている最中に、後ろから大型車に追突されて運転手の奥様が亡くなるという事故も起きています。すべての事故はバイパス上か、バイパスへ乗ろうとしたり下りてきた車に轢かれています。決して道路が悪いんではありません!そこを車で走る人間が起こす事故ばかりなのです!!本当に悲しい事故ばかりです!!もうこれ以上増えないで欲しいです!!もうこれ以上絶望し悲嘆にくれるご遺族や友達が増えて欲しくないんです!!本当に明日、命の保証があるなんてどこにもないんだと実感するのです(>_<)(さえりん13歳の時 ナガシマスパーランドpart9) 昨日は、その国道23号線バイパスを名古屋方面へ向かって走り、名古屋高速にのって、被害者サポートセンターあいちの遺族の例会に行ってきました。実は春日市のOさんと娘さんのAちゃんがもう遺族会を卒業される日でした。今、遺族会には数名の新しい方も増えてきました。それでも、Oさんは今月で遺族会に参加してからちょうど12年、たくさんの過渡期を迎えながら、支え、支えられて乗り越えて来られた歳月の重さを感じました。「本当にお疲れ様でした!!」と心から労いたい気持ちでした。でも私はOさんとAちゃんとは、これからもにじいろ会でお付き合いしていくので寂しくはありません。これからもOさんとは共に、にじいろ会を運営する相棒ですから!!またすぐに会えます(*^^*)Oさんは亡き息子さん卓巳君が20歳になる年になったら、遺族会を卒業しようと決めていたそうです。そして、成人式ではOさんの悲願である、参加できなくなった卓巳君の代わりにストラップをみんなに配布することが叶いました!!これも、Oさんの中で一区切りつけた要因だったのではないかと思います。被害者サポートセンターで支援される側から、今度は世の中へ事故の起きない社会を実現するために発信して支援する側へと変わっていかれようとされているんです。私はまだ遺族会に入って2年。みなさんにお世話になることも、奉仕させて頂くこともまだまだこれからです。でもいつかはOさんのように、ここを卒業する日も来るのかなっと漠然と思いました。昨日の遺族会の中でも私が感じたことは「明日、命がある保証なんてどこにもない。だから今を大切に、家族を大切に生きていかなければならないんだ」ということです。私もそうですが、もしも大切な家族がある日突然亡くなってしまったとしたら、あの時こうしておけば良かった、もっとやりたいことをさせてあげておけば良かった、もっと美味しいものを好きなだけ食べさせてあげたら良かったと、後悔しても、もう後の祭りなのです(>_<)どんなに泣き叫んでも、あの時にはもう二度と戻れないんです!!とかく人は、やれやれもう大丈夫だと安心した時にこそ、思っても見ない大惨事が起こりやすいのです。そのことに気づいたときはもう遅いのです。悲劇は起きています。紗愛理の時もそうだったから・・・(>_<)だから、私は思うのです!!せめて、大事な家族には「あなたは私にとって大事な人だよ♡」と。大好きな子どもには「あなたのことが世界で一番大好きだよ♡」と。言葉にしていつも伝えようと心に誓うのです!!言わなくてもわかるなんて思っていたら、もう二度と会えなくなった時、必ず深い後悔をします。もう二度と伝えることができない想いは永遠に闇に消えてしまうのですから。そうならないために、いつも大切な家族を「大切だよ♡大好きだよ♡」と素直に抱きしめられる私でいたいと思うのです。そして、どうかお空の娘にこの想いが届きますように!!さえりんにママの愛が届きますように!!「さえちゃんずっとずーっと大好きだよ♡ママが逝くまでお空で待っていてね!」それが、ある日突然大切な娘の命を奪われて「誰しも明日命がある保証なんてどこにもないんだ」と身をもって知ってしまった悲しい母親のせめてもの願いなのです。ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年01月31日
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紗愛理が亡くなりもうすぐ2年8ヵ月。その後も相変わらず横断歩道や交差点での理不尽な交通死亡事故が後を絶ちません!!私が知っているだけでも数えきれないほどの尊い命が青信号の横断歩道で、または信号のない横断歩道で、無残に奪われています!!そして諦めきれないのは、これから未来ある子どもや若者たちが犠牲になってしまうやり切れない死亡事故が後を絶ちません!!何故なのでしょうか??さえパパのブログにも出していましたが、今月24日(月)早朝にも、愛知県江南市の交差点で24歳の保育士の女性が轢き逃げされて亡くなりました。私は深い憤りと共に加害者が許せません!!何故??どうして轢いて逃げたの??早朝で誰も見ていなかったから??怖くなったの??それとも飲酒運転??もしもすぐに救急車を呼んでいたら助かったかもしれない命なのに??これほど残酷な仕打ちがあるのでしょうか??完全に人殺しです!!逃げ切れると思ってはいけませんよ!!この女性の両親のお気持ちを想ったら、あの時の自分がフラッシュバックしそうになるのです。私がもしこの女性の母親だったら、今頃当たり所のない娘を轢いて見殺しにして逃げた加害者への憎悪と怒りで半狂乱になっていたと思います(>_<)せめて、犯人が早く捕まりしっかりと刑事罰を受けることを願うばかりです。 昨年12月末にある交通事故の仕事をされてみえる方に娘の事故の話をしたら、こんなことを言われました。「よくある横断歩道での過失運転の事故ですね。それだけではインパクトが足りないんですよ。もっと世間が注目を引くようなものがないと」と。私は腹が立ってこう言い返しました!!「娘の事故は、世間的に注目度が高い飲酒運転でもスマホのながら運転でもあおり運転でも危険運転でもありません!!でも、私は思うんです!!そんな数少ない凶悪な事故ではありませんが、逆によくある青信号の横断歩道上の死亡事故だからこそ減らさねければいけないんではないでしょうか??誰にでもいつでも起こり得るついうっかりで起きてしまう死亡事故だからこそ、人の意識次第で減らすことが出来るのではないでしょうか??この一番多い『横断歩行者等妨害違反』をいかに広めて多くの運転手に知ってもらい意識を高めてもらうことで、救える命が必ずあるのではないでしょうか??このよくある、ありきたりな死亡事故を減らすことこそが、全体の交通死者数を減らすカギになるのではないですか??」とムキになって言い返しました!!私は負けません、泣き寝入りだけはしたくないんです!!そして、よくいろんな方に「車が全自動運転になったら死亡事故は起きなくなる。すべての信号機が歩車分離信号機に変われば青信号の横断歩道での右左折事故は無くなる。」と言われます。そんなことは私だってよくわかっています!!でもそうなるのを何もせず黙って待っていたら、この先、何万人何十万人の尊い命が奪われなければならないのでしょうか??その中には、あなたの大切な家族や友人もいつどこで犠牲になるのかわからないんですよ!!と、逆に言いたい気持ちになるのです。 さえりんの事故現場、知立市上重原交差点は議員さんのお力をお借りして、もう1年も前に愛知県警から来年度予算に組み込んでありますと言われながら未だに歩車分離信号に変わる気配はありません。あれは議員さんへのただの建前だったのでしょうか??私たちの要望を納めるための方便だったのでしょうか??本当に信号機を変える気があるのでしょうか??全くやる気を感じません!!警察は本当に交通事故を減らしたいと思っているのかさえ疑問に思えてしまいます。約束の今年の3月末になっても変わらないようだったら、もう一度愛知県警に掛け合いに行くつもりです。それは、紗愛理のような犠牲者を、もう出したくないからです!!私たちがここで諦めて泣き寝入りしたら、次の犠牲者が出るかもしれないんです!!たった一つの信号機を変えるだけでもこれほど大変な事なんです!!全国すべての信号機が歩車分離信号機に変わるなんて私が生きている間には、死んでからでも実現は不可能だと思います。(さえりん13歳の時 ナガシマスパーランドpart5) 昨日はにじいろ会の刈谷市での普及拡大のために、メンバーの市議会議員Nさんにお願いして、そしてリーゼントのCさんのお友達の、2名の市議会議員さんをご紹介していただきました。私が議員さんにお会いしたた理由は、刈谷市役所にストラップを置いて頂きたいという望みと、出来れば春の交通安全週間の中で警察や試薬の方々とにじいろ会のTシャツを着たメンバーが一緒にストラップを配りたいからです。そのために刈谷市長さんに繋いでいただきたいと思ったのです。昨日は刈谷市民ボランティア活動センターの1つのブースをお借りして、さえパパとリーゼントのCさんと市議会議員Nさんと、刈谷市のお2人の市議会議員さんと30分ほどお話を聞いて頂きました。市議会議員さん方はよくご理解はしてくださいましたが、「すぐに市長へは難しい、段階を踏んで市役所の担当部署から少しずつですので時間がかかります」とおっしゃられました。まあそうだろうなあっと思いながら、少しもどかしく大きな事故が起きなければすぐには動かない行政への憤りも感じました。私たちももっともっと力を付けなければただの一市民ボランティア団体の声はなかなか行政には届かないんだと思います。それでもここでも諦めていたら、何も始めらず前に進めないので、お2人の議員さんにはよくお願いして、私たちは自分に出来ることを精一杯やっていくしかないんだと思いました。だって、私はもう泣き寝入りなんてしないと決めたんだから!!さえりんの敵、横断歩道での交通死亡事故を減らすために!! コロナ感染拡大でのまん延の為、やむなくボランティア活動も今週と来週は休止することになりました。それでもみなさんと個別にお会いして材料をお渡しし、ご自宅で作って下さる事に心から感謝いたします!!メンバーさん本当にありがたいです(⋈◍>◡<◍)。✧♡ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年01月27日
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昨日は成人の日でした。コロナ、オミクロン株が蔓延する中で何とか成人式を行えた自治体と、やむ終えず延期にした自治体があったと思います。どちらも究極の選択だったと思います。我が家の次女は、昨年の成人式を知立市は3部制に短縮して行うことが出来ました。親としては子育ての節目として、子どもから大人への第一歩である成人式を無事に迎えられたことで、ひと段落ほっと肩をなでおろすのではないでしょうか。私もそうでした。昨年の次女の時は最後までコロナの蔓延で中止にならないかと心配していた成人式が無事に開催されたことで、親として娘の晴れ姿にほろっと涙するくらいの喜びを感じるのです。それが長女紗愛理の時には、もっともっとひとしおの喜びに浸っていました!!今まで大変なことも多かった子育てを振り返り、それでもたくさんの方々にの暖かい手に支えられ、優しい気持ちに励まされてここまで大きくなり無事に成人式が迎えられたことへの感謝と感動が人一倍大きかったのです!! 3年前2019年の紗愛理の成人式の様子は今も鮮明に記憶されて頭から離れません。成人式会場へ紗愛理を送り、主人と一緒にホールの入り口までついて行くと、役員さんが「保護者の方は2階席からご覧になれますよ」と声をかけて下さり(まだコロナが流行する前の年)紗愛理はお友達と1階の会場へ、私たちは思いがけずお友達のお母さんも一緒に、ホールの3階から1階の成人式を眺めながら最高の喜びを感じていました。今思えばあの頃が私の人生の中でも、紗愛理の人生の中でも、幸せの絶頂期だったのです!!まさかこの5ヵ月後に、紗愛理がこの世からいなくなるなんて思いもしないで・・・(>_<)(さえりん13歳の時 掛川花鳥園part3) それでも、私たちはまだ紗愛理を成人式まで迎えさせてあげることが出来ました。ご遺族の中には子どもさんを成人式を迎える前に亡くされたご両親も大勢みえるのです。私の周りにも亡きお子さんが今年成人式の方と来年成人式の方がたくさんおみえになります。きっと振り袖姿の娘さんたちや、ぎこちないスーツ姿の息子さんたちを、ご自分のお子さんたちと重ねて、どれだけお辛い心境で成人式を遠くからそっと見守って来られたことでしょうか・・・何事もなく元気に平穏に暮らしてみえる人にとっては、成人式なんて大したことないし、行っても行かなくてもどっちでもいいと思われると思いますが、行きたくても行けなくなってしまった我が子の不憫さを想うと、どうしようもないやり切れない無念さと取り残されたような寂しさをつい感じてしまうのが親心なんです!! 昨日は1月とは思えないくらいの温かさと晴天に恵まれての成人式でした。春日井市の成人式へ参加することが叶わなかった8歳で交通事故で亡くなった卓巳君のために母親のOさんは、にじいろ会のストラップを卓巳君の代わりに成人式に参加させてあげたい同級生の新成人たちに「どうか交通事故の被害者にも加害者にもならないで!」と伝えるために成人式でのストラップ配布という念願を達成されました。しかし、この日を迎えるまでに様々なしがらみや、前例がないことを嫌う市役所と何度も何度も交渉しお一人で闘ってこられました。それはひとえに大人になることが出来なかった卓巳君をみんなと一緒に成人式に出してあげたかったという、母としての愛情が強かったからこそ、周りの方々の協力も経て叶った夢だったのです。その成人式の様子が今朝の毎日新聞に掲載されましたのでご紹介します「事故が奪った成人式『皆と一緒に』」 母、交通安全グッズを配る「成人の日」の10日、華やかな晴れ着やスーツ姿の新成人を迎える会場入り口に、交通安全を訴えるストラップ約600個が置かれた。2009年10月、愛知県春日井市の県道で車にはねられ命を落とした岡田卓巳さん(当時8歳)の母、結加里さん(47)らが手作りした品々。卓巳さんは今年、成人式を迎えるはずだった。「皆と一緒に成人式を迎えたかった。今日、僕は花となって皆に思いを届けにきました」。同市総合体育館の受付に置かれたメッセージボードのそばに多彩な花のモチーフのストラップが並び、新成人たちは好みの色のものを見つけては、手に取っていく。成人式実行委員長の神戸涼佑さん(20)は「自分も昨年、祖父を亡くした。息子さんを事故で亡くした悲しみとは違うけれど、大切な家族がいなくなるつらい気持ちは想像できる。車の運転を含め、責任を持って気をつけて行動したい」と話した。卓巳さんは野球の練習をしに自宅前の公園へ向かう途中、乗用車にはねられて44日目に息を引き取った。事故から10年、結加里さんは同じく交通事故で娘を亡くした夫婦と出会う。ボランティア団体「あいち交通死をなくすボランティア にじいろ会」を設立し、交通安全の願いを込めてストラップを作っているという夫婦の話に共感し、自身も作り始めた。その後、会の春日井支部を作り、約15人のボランティアと共に、自動車学校やトラック協会などで配布してきた。 息子を失ってからも、結加里さんは誕生日やクリスマス、卒業式などを祝い続けてきた。「生きていればきっと、張り切っていろんなことをしていたと思う。姿はないけれど経験するはずだったことはお祝いしてあげたい」。成人式に出るはずだった今年、会場でストラップを配ろうと決意した。昨夏から市に働きかけ、ようやく思いがかなった。新成人に少しでも関心を寄せてもらえるよう、メッセージボードやストラップを入れる籠を飾り付けた。 この日は赤飯と卓巳さんの好物だった唐揚げやケーキを用意して自宅で過ごした結加里さん。「大切な人を悲しませることがないよう、気をつけて運転してほしい」。新たな門出を迎えた新成人たちの幸せな未来を祈った。【高井瞳】(毎日新聞ネットニュースより引用) 昨日Oさんは、春日井市役所の方より600個のストラップは全て新成人の方々に、もらって頂けたと連絡があったそうです。その成人式の様子は中に入れないOさんの代わりに毎日新聞の記者高井さんが会場で見届けて下さったそうです。私はOさんの念願が叶ったことが自分のことのように嬉しくなりました!!これもにじいろ会のメンバーさんたちや、卓巳君の同級生のお母様方が共に想いを寄せてくれたことも、きっと追い風になったのではないかと思うのです!!Oさんを応援して下さった皆様、本当にありがとうございました♡ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年01月11日
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横断歩道は優しい気持ちで止って下さい♡さえりんとお空の仲間たちからのお願いです♡ これはこの年末年始のお休みの間にメープルけやきの店長さんが書いて下さったイラストです!車のナンバー「24-16」は「にじいろ」だそうです(≧▽≦)昨日、出来上がったと連絡を頂いたので、もらいに行ってきました。実はこのイラストはポスターやシールにしたいなあと思って店長さんにお願いしたのです!!店長さんは思った通りにとっても可愛らしいイラストを書いて下さいました!!本当に嬉しいです。ありがとうございました(⋈◍>◡<◍)。✧♡というのは、先日の運送会社での「交通安全講話」や、その前の学童保育事業所での「命の授業」や、これからイベントや交通安全キャンペーンなどに参加させてもらう機会があったら、このイラストをポスターにしてもらい大きく掲げたらいいなあと思ったからです!!刈谷市民ボランティア活動センターで印刷出来たらいいなあ(^.^)私が何故こんなポスターを作りたいのかというとにじいろ会の活動のスローガンは「横断歩道は横断者優先」「交通死亡事故が起きない社会へ」「さえりんからのお願いです!」が原点だからです。交通死亡事故が起きない社会を真剣に目指すなら一番死亡事故が多い「横断歩道」で車は必ず止ってもらいことを強く訴えなければ実現は出来ないからです。私はいつかの交通安全キャンペーンのスローガンではないですが「横断歩道は車が止まれ!!」なんて横暴で野蛮なことは言いたくありません。「横断歩道は優しい気持ちで止って下さい♡」とお願いしているんです。それはあくまでも強制的に車を止まらせるのではなく、運転手も横断者もみんなが優しい気持ちで道を譲り会ったら、きっと交通死亡事故なんて起きない、誰もが楽しく優しく安全で安心して暮らせる地域社会になるはずだと思うからです!!私はそれこそがさえりんとお空の仲間たちの尊い命をかけて、心から願い訴えたいと思っていることではないかと思うのです!!近いうちのこの可愛いポスターを掲げて、にじいろ会🌈のメンバーさんたちとカラフルなTシャツを着て、イベントや交通安全のキャンペーンを警察や市などと連携して実現したいなあと思うのが私の今年の目標の1つです°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°(さえりん13歳の時 ひなまつり&祖父母の結婚記念日のお祝い) 私は娘を喪いブログをはじめて、今年からはボランティア活動も始めて様々な出逢いがたくさんありました。7月からはさえパパが公式LINEもはじめてストラップの裏にQRコードを付けて読み込んでもらいと私たちとLINEで繋がることが出来るので、さらにたくさんの方々と知り合うことが出来ました。そんな中、実は昨年中に息子さん娘さんを交通事故で亡くされた方々ともたくさん繋がったのです。そのほとんどの方は10代後半から20代前半のまさにさえりんと同世代で、しかもほぼ全員が横断歩道上の交通事故なのですΣ(゚Д゚)そして被害者となった息子さん娘さん方は歩行者と自転車ばかりなのです。全国的に交通死亡事故は減ったとデータ上ではそういうことになっていますが、現実には交通事故が原因で24時間を超えて亡くなった方々も含めたら、物凄く大勢の尊い命が無残に奪われているのか真実なのです。しかも、私と繋がった方だけ見てもほぼ横断歩道とその周辺の交差点内での交通事故なのです。私は子どもを亡くした親が増えることに物凄く心が痛むのです。しかし、たったお一人で孤独に苦しんでみえる方と繋がれることで、私自身も生きるための勇気を頂くのです。かつて私もそうだったように「あなたは独りじゃないよ」と仲間ができたことで、どれだけ救われたかと想いが広がるのです。こんな母たちを見て、お空の息子、娘たちはきっと良かったとホッと胸をなでおろしていることでしょう。そして、仲間の存在に励まされ少しずつ元気を取り戻した母たちに、自分たちが生きられなかった願いを託すのではないでしょうか。「ゆっくりでもいいから少しずつ前に進んでね。もう僕たち、私たちみたいな交通事故で理不尽に突然、命を奪われる被害者が出ない社会にように!」と。さえりんとお空の仲間達へママたちは泣きながらでも前に進んでいくからね。お空から応援してね!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年01月07日
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子供の節目ってたくさんあると思います。お誕生日、七五三、入学式、卒業式、成人式、就職、結婚・・・などなど。それがこの先もずっと続く一通過点であったなら、もしかしたらそれほどの強い思い入れはなかったのかもしれません。しかし、我が子の人生をその通過点の途中で突然分断されてしまった私たちにとっては、その節目への想いも人一倍大きく、祝ってやれなかった悔しさ悲しさ申し訳なさと共に強く心にのしかかるのです。さえりんはたくさんの節目を家族で喜び祝いながら成人式までは迎えることができました。これから先もずっと続くであろう人生の一通過点として、それでもあの紗愛理がよくここまで大きくなったと感慨深く感謝と感動いっぱいで、夢も希望もいっぱいで人生で一番幸せな時だったと思います。その数か月後に紗愛理の人生が突然分断されてしまうなんて思いもしなかったから・・・(>_<)それでも、振り返ってみたら私は紗愛理からたくさんたくさんの幸せと感動と感謝の人生をもらっていたんだと思えるのです。欲を言えば、結婚してほしかった、紗愛理の赤ちゃん見たかった、私より長く生きて最後に看取ってもらいたかったと、言い出せばキリはありません。きっと子を持つ親ならば、子どもが自分より先にいつどの段階で何歳の時に亡くなったとしても、深い後悔と自責の念と悔しさ悲しさは変わることはないんだと思います。それは逆縁を体験してしまった者にしかわからない感情かも知れません。 昨日の午後、にじいろ会春日井支部のOさんから電話が入りました。「栄子さん聞いて、市役所に一度は断られた成人式でストラップを配ってもらう件だけど、市議会議員さんらに市に掛け合ってもらってコロナの関係で配るのは無理だけど、会場内にご自由にもらって頂くように置いてもらえることになりそう!」だと。私はOさんと一緒に喜びました!!それはOさんが、8歳で交通事故で命を奪われた卓巳君のために出来る、母親として最後の悲願だったからです!!親として、最愛の息子にやってあげられなかったことへの12年間の苦しみ悲しみ後悔の中で、最後に見えた希望だったからです。卓巳君は同級生や友人と共に成人式を迎えることは出来ませんでしたが、せめて卓巳君の名前がついたストラップを成人式の会場に置いてもらうことで、卓巳君も一緒に参加しているんだと、みんなに卓巳君のことを忘れないで欲しいという、せめてもの母の切なる望みだったんです!!そして、新成人の同級生たちが、これからも交通事故の被害者にも加害者にもならないで!!という願いでもあるのです。私はこれはにじいろ会をあげて、必ず叶えさせてあげたいと思いました!!春日井市の新成人は約2000名だそうです\(◎o◎)/!春日井支部、知立、安城で総力を挙げて作成に取り掛からないと間に合いません!!昨日早速、ボランティアメンバーLINEにそのことを流すと、みんなすぐに反応してくれました!!殆どの方が遺族ではありませんが、誰も他人事なんて思う人なんていません。みんなOさんのために少しでも協力したいと熱い気持ちで思ってくれる方々ばかりです。私は皆さん方のお気持ちが心から嬉しく頼もしく感謝でいっぱいになるのです!!今日から師走、さあこれからこの1ヵ月が勝負です!!今までのストラップの補充分は確保しながら、2000個を余分に作らなくてはいけないからです!!でも、Oさんにも私にも今はたくさんの味方がいます!!心強いボランティアメンバーさん方がいてくれるんです!!亡き我が子の節目の成人式に、母の最後の望みが叶えられますように✨✨昨日はにじいろ会🌈のストラップを入れて置いて頂くカゴをたくさん作りました。これからは卓巳君の成人式ストラップを作らなくっちゃ(^-^;(さえりん13歳の時 岡崎市でぶどう狩りpart2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2021年12月01日
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昨日は毎月恒例となったズーム女子会の日でした。このズーム女子会は今年の夏ごろから始まった、交通事故被害者遺族の私たちが、遺族でありグリーフケアの講師でもありボランティア代表もされてみえるじゅんさんにズームでお話を聞いてもらう、いわば分かち合いの会みたいなものなんです。福井、埼玉、熊本、岡山、和歌山、愛知と住んでいる県も様々な私たちがズーム機能を使って繋がった癒しの場でもあります。昨日はホストのじゅんさんのIDとパスコードが変わったということで最初は入るのに手こずりましたが何とか6人中5人は入ることができ、近況報告など出来て良かったです。昨日はこのズーム女子会に少し前から参加された千穂さんが、SさんとRさんのお子さんの事故の状況を知りたいと言われ、お2人はそれぞれ息子さんの事故の状況を話して下さいました。まずはSさんが話されて、その後Rさんが話してくれました。私は内心ドキドキしていたのです。Sさんはとても気丈な方なので安心ですが、Rさんは今、事件的にとってもお辛い状態だと知っていたからです。それでもRさんは涙を堪えきちんと話して下さいました。その時思い出しました。グリーフ(悲嘆)な状況の判断基準の1つは「人前で泣かずに亡き家族のことを話せるかどうか?」なのだと、以前じゅんさんに教わったことを。人前といっても同じ状況で同じ体験をしている仲間なので、ここで話せたからといってグリーフ、悲嘆の状態がもう終わったなんてことは決してありません。私たちはまだまだたったの数ヵ月、2年、4年という浅い年月の人ばかりです。SさんとRさんはまだ最初のショック期だと思います。私も千穂さんもまだグリーフの真っ最中です。それでもじゅんさんから教わるグリーフケアの考え方に随分救われているのです。そして、生命のメッセージ展の話になりました。この中ではメッセンジャーは、今のところさえりんだけです。私はさえりんを何故、生命の大切さを伝えるメッセンジャーにさせたのか、これから何を目指してどうなっていきたいのかを、ただ漠然とした夢だけでなく声に出してみんなに伝えました。到底叶わない大きな夢かも知れませんが、それでも声に出して言葉にしなければ誰にも知られない。そして、人に伝わらなければ実現することなんて絶対できないからです。だから私は恥ずかしがらず、素直に言葉に出していこうと思うのです!!それが「さえママの目標」なんです(≧▽≦) 娘を亡くし辛くて苦しくて悲しいからこそ、さえりんが確かに生きていたことをみなさんに忘れられないように!!今の私はこの目標があるから、さえりんのことをみなさんにお話しできるのです。その目標の内容は、まだここでは書きませんが、近い将来必ず実現していきたいと思うのです!!そしていつか、みんなにも、お空のさえりんにも笑顔で会えますように♡(さえりん13歳の時 自宅で花火part1) 一昨日のボランティア活動に市議会議員の那須さんが参加して下さいました。那須さんもにじいろ会のメンバーさんなのです。その時こんなことを言われました。「今、私は市役所に死亡の手続きが一カ所でスムーズにできる『お悔やみコーナー』を作ろうと思っているのよ。実は隣の市ではもう前から取り組まれていて、大切な家族を亡くされて一番お辛いときに、死亡届や様々な手続きをしなくてはいけない現状。いくつも窓口を回ってそのたびに、何度も何度もご家族が亡くなったことを話さなくてはいけないなんてあまりに過酷なことだと思うのよ。坂田さんの意見を聞かせてほしい」と。私はその案はすごくいいと思いました!!たかがそんなことと思われるかもしれませんが、2年5ヵ月前の私はこの手続きでどれほど泣かされ、しかも警察の書類ミスのせいで一度行った手続きをはじめからやり直しになり、警察からは謝罪もなく、散々な目に遭わされたことを全て話しました。市役所の窓口へ行く度に「娘が亡くなりましたので、○○の手続きをしたいんです」と言わなければならないことが、どれほど苦痛なことだったでしょうか!!しかも、一般の窓口には大勢の人がいてジロジロ見られることも泣きたいくらい辛かったんです。「もしもこの『お悔やみコーナー』があって一カ所で全部の手続きが済むのならどれほど気がラクかと思います。ぜひ実現してください!」と言いました。 私たちは何の前触れも何の覚悟もなく、ある日突然に元気だった我が子を亡くし遺族になってしまいました。そのショックは測り知れないほど大きく、絶望も悲嘆も、当事者でなければ想像できないくらい大きいのです。私たちにとって人前で亡き我が子のことを話すということは、身を切られるほどに辛いことなんです!!ましてや亡くなってすぐの手続きはかなり過酷なものなんです。だからこそ、市や県や警察の配慮は是非とも実現していただきたいのです!!そしてみなさんも決して他人事だと思わずに、あたたかく優しい目で見守って頂けたらと願います。誰もが必ず直面する家族の死。その中でも図らずも逆縁になってしまった私たちの絶望を地獄の苦しみと、普段なら当たり前で簡単なことでもすごく大変なんだと、知って頂くだけでもありがたいと思うのです。私たちも、いつかグリーフ・悲嘆の状態がやわらぎ、少しでも心穏やかに過ごせる日が来ますように・・・ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2021年11月28日
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ある日突然、大切な我が子を亡くした家族にとって、心をコントロールすることはとっても難しいことです。いきなり地獄のどん底へ突き落されて平常心でいられる人なんていないと思います。ましてや、その心を立て直すことも至難の業だと思います。よく世間では「時が経てば解決する」なんて言いますが、実際にはそんなに生易しく簡単なことではありません!!個人差はあると思いますが何年、何十年経っても心の闇と深く負った傷は一生癒えることなんてないんです!!もしかしたらそれは被害者だけでなく、加害者もそうなのかもしれません。多くの加害者が謝罪にも来ず知らん顔する理由もそこにあるのかもしれません。自分の犯してしまった罪を認めたら、自分が誰かの大切な家族を殺してしまった事実を認めたら、どんな人でも良心に苛まれ自分の心をコントロールすることができなくなってしまうから、身を守るために切り離すのではないでしょうか??それが被害者遺族にとっては、一番残酷で卑怯なやり方だと知っているのか、それすら気付こうともしないのか、考えないようにしてるのかわかりませんが!!そんな加害者が社会に守られ、私たち被害者遺族ばかりがどこまでいっても、冷静さや我慢を強いられ、悔し涙を飲まされることに変わりはありません!!そんな社会の不平等さが、更に遺族を苦しめ続けるのです。 昨日は祝日で実習がお休みの次女とゆっくり遅めの朝食を食べながら話していると次女はこんなことを言いました。「今週は小児の実習で月曜日は入院患者さんの小学生の男の子とオセロをやったよ。どうやったら負けるか考えながらのオセロは初めてだったけど楽しかったよ。先週は産婦人科実習で初日に出産に立ち会うことができて最終日に退院のお見送りもして、つくづく考えさせられたよ。命の重みを!!お姉ちゃんが亡くなったとき、当然ショックだったけど私以上に泣いているママを見ながら、私がお姉ちゃんの代わりにママを支えたいって思ったんだよ。それは義務とか強制とかじゃなく自然にそんな気持ちになったんだよ。今思えば、それはお姉ちゃんからの頼みだったかもしれない。私は小さい頃から死ぬのが怖かった、生と死をずっと考えていた。だけど、お姉ちゃんが亡くなったときこう思ったんだ。『明日のことは誰にもわからない。だったら今を憂いて何もしないより、今できることを精一杯に命が尽きるその瞬間までやっていこう』ってこれはお姉ちゃんが私に教えてくれたことなんだと思っているんだ」と。私はいつの間にか次女が大人になったような不思議な感じがしました。次女は18歳の大学1年生の時に、突然2歳年上の20歳の姉を事故で亡くして当然ですが心に深い傷はあるはずです。それでも自分で心をうまくコントロールして、姉に感謝しながら逞しく一歩一歩成長している様子が、すごく健気で本当に嬉しかったのです。私はそんな次女の重荷にならないように、しっかり自分の足で立って、この2人の娘たちの自慢の母親でいられるように頑張ろうと、また力が湧いてくるのです!!私自身は決して心のコントロールが上手ではありませんので浮き沈みもあり、どっと落ち込んだり、時どき体調を壊したりするのですがそれでも私には主人や次女がいてくれるから!!全国に大勢の仲間や味方や応援者がいて下さるから!!そしてさえりんがいつもお空から見守ってくれると信じているから、前を向いて進んでいこうと、勇気をもらえるのです🌈(さえりん12歳の時 家族で掛川花鳥園part1) 実は今日は遠出です。今、さえパパと車で滋賀県に向かっています!!目的地は彦根市と長浜市です。彦根への用事はまた後日。その後、お昼前にくらさんたちとある場所で待ち合わせをしてランチを食べてから、なんと!?出張ボランティア活動第2弾!!ストラップ作り体験IN長浜をしてきます(≧▽≦)そして、今回は初めてモバイルさえりんも一緒なんです✨✨何人来て下さるのか、新しい出会いがあるのか、ドキドキしています💦💦くらさんとちーさんは、こんな素敵なご案内ボードを作って下さいました(^-^)魔法のストラップ!? さえりんいつの間に魔法を使えるようになったの??でも、このストラップを作ったり携わって下さった方々が、交通安全への意識を高めてくださったら、それは・・・さえりんからの魔法なのかな(⌒▽⌒)アハハ!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2021年11月24日
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昨日はにじいろ会🌈春日井支部のOさんとAちゃんとさえパパと私で、お昼前に知立市のメープルけやきで待ち合わせして4人でランチを食べました(^-^)その理由は、Aちゃんが被害者サポートセンターあいちからの依頼で、安城市の運送会社、カリツー株式会社で午後から講演会をするからでした。メープルけやきから三河安城駅近くのカリツー本社ビルまで車で10分くらいの距離なのです。11時半に駐車場で待ち合わせをすると、Oさんは「これはさえりんに♡お供えしてね」と可愛いピンク色のお花をいただきました。私達もAちゃんに♡店長さんが取っておいてくれた予約席に座り、さえパパとOさんはナンカレーランチを、Aちゃんと私はパスタランチを食べました。ナンカレーランチは大きなナンが1枚付いていますがもう1枚お代わりも出来るのでさえパパとOさんはお代わりをしました(^.^)私はホットコーヒーをお代わりできたので美味しく頂きました。 食事を終えて、OさんとAちゃんはカリツー株式会社へ講演会後にプレゼントする、ストラップをカゴ盛りにラッピングしたものを持って颯爽と向かいました!!Oさんはまるでステージママのようで、Aちゃんは堂々としていて物おじしない姿が清々しくて頼もしかったです!!さえパパと私は道案内をしてOさんとAちゃんに声援を送りお別れしました。夕方、OさんからLINEが来ました!!「2021年11月17日、安城市カリツー株式会社様より被害者サポートセンターあいちを通して講演派遣の依頼を受けました。娘が自ら引き受け、亡き弟への思いを皆様の前で60分話してくれました。私は涙を堪えるのに必死でした。娘の成長にも大変驚きました!!私は娘にまた肩を押された日となりました。愛する家族の為、家族の絆を積み重ねてまいります♡🌈今日のこの日にたくさんの方に協力いただいた事にも感謝いたします(^-^)」と。(昨日、カリツー株式会社でのAちゃんの講演会の様子)Oさん提供 私はOさんとAちゃんの母娘の姿から学ぶことがたくさんあります。8歳で愛する卓巳君を交通事故で亡くして12年間。本当に様々な試練に真摯に向き合ってきたからこそ、今こうして家族の絆を強くして揺るぎない気持ちをもって来られたのだと、尊敬するのです!!そして、Aちゃんも「堂々とこの活動と自分の立場に向き合っていく。卓巳の姉だから」と決意されるのです。本当に私にはAちゃんがとっても眩しく輝いて見えました✨それは、ここまで必死でAちゃんに向き合って後ろ姿を見せてこられたご両親、特にOさんの母親としての深い愛情あってのことなのだと思うのです。我が家の次女はAちゃんみたいにはとてもなれませんし、私は次女は自分のやりたいようにしたらいいと思っています。それでもその時々で次女と真剣に向き合って、揺るぎない母と娘の信頼関係をしっかりと築いていきたいと思うのです!! そして昨日もう一つ強く感じたことは、Oさんと出逢えて本当に良かったと心から感謝しました!!私たちは今、こうして共ににじいろ会🌈の活動を運営させて頂けることにも感謝でなりません!!私はOさんの「卓巳君のために20歳の節目に最後にしてあげたいと願う」想いを、何とか実現させてあげたいと心から応援したい気持ちでいっぱいです!!これからもOさんAちゃんと共に、にじいろ会🌈を支えて下さるメンバーさん達と共に、お空のさえりん・卓巳君・アツキ君たち共に、今できることを精一杯頑張っていきたいと、新たな決意が湧いてくるのです!! 昨日Oさんが、みんなで意見を出し合って案を考えて依頼したにじいろ会🌈の公式パンフレットの印刷が出来たと、持って来て下さいました!!Oさん的には色の出方に納得がいかなかったようですがにじいろ会🌈の初めてのパンフレットをこんなに素敵に作って頂けたことに感動し感謝でいっぱいになりました(⋈◍>◡<◍)。✧♡プロのデザイナーさんにもデザインしていただき、全面的にご協力いただきました印刷会社様に心より感謝申し上げます!!Oさんのお蔭です、本当にありがとう♡ 昨日はNちゃんが、4人目のモバイルさえりんを入れて持ち運びも出来るメッセンジャーの寝袋を作ってくれました!!Nちゃんは裁縫もとっても上手なんです!!本当に嬉しいです(≧▽≦)Nちゃんいつもありがとうね♡(さえりん12歳の時 私の着付け練習のモデルになってくれました♡)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2021年11月18日
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昨日のネットニュースの耀子ちゃんのお父さんの言葉を読んでいて思いました。私たちはある日、突然大切な家族の命を奪われて、生きてゆくのも辛いくらいの絶望のどん底に突き落とされてしまったのです。でも、この世に遺された私たちには生きていかなければならない使命がきっとあるんです!!それは、大切な家族との死別という体験や、こんな理不尽な死亡事故が二度と起きてはならないと社会へ訴えていくことだと思うのです!! 今日はにじいろ会🌈春日井支部Oさんの、娘さんAちゃんが講演を行う日です。それはにじいろ会の行事ではなく、被害者サポートセンターあいちからの依頼で私たちが活動をはじめる前から決まっていたことなんです。だから残念ですが、私たちは聞けません(^-^; お母様のOさんと支援員さん方で行かれるそうなんです。講演会の依頼者は安城市にある地元大手運送会社の○○通運です。関連企業にも150社にこの講演会のDVDを配るという大きな講演会になると思います。Aちゃんは現在社会人1年目。生きていたらさえりんと同い年です。Aちゃんは12年前自分が10歳の時、当時8歳の弟、卓巳君が家のすぐそばで轢かれて交通事故で亡くしています。実は、講演活動をするようになってもう4年以上のベテランです。きっかけは、ご両親がされていた講演をずっと見ていて、ある時お母様のOさんが仕事の休みが取れず依頼された講演会に穴をあけるわけにもいかず困っていた時、母の頼みを聞いてやってみたことから始まったのだそうです。ちょうどその頃に自分も運転免許を取って、被害者遺族であっても、いつ被害者になるのか、加害者になるのか、わからないと思っていたことも影響したのだそうです。Aちゃんが幼い頃に弟を亡くした姉として、被害者家族の切実な苦悩や、ご両親の葛藤、学校に行くのも怖いほどの恐怖感、たった一人の可愛い弟を亡くした喪失感、加害者は裁かれないという絶望感、両親への想いなどを赤裸々に話して下さる事は、本当に凄いことだと思うのです!!まだ20代前半で10代後半から、大勢の大人たちの前で講演会活動をされていることにも、Aちゃんの強い想いを感じるのです!!決して誰にだってできることではありません!!でも、Aちゃんは自分が人前で話すことで、弟のような突然未来を断ち切られる被害者を無くしたい、自分も含めみなさんが「被害者にも加害者にもならないで欲しい!!それは愛する家族のために」とお母様と誓い合って、講演をされるのです。私はまだAちゃんみたいには全然出来ません・・・(;'∀') すごいなあ尊敬しながらそれでも先日、遺族の例会の帰りにOさんとAちゃんと私の3人でランチと打ち合わせをしたとき、Aちゃんはこんなことを話してくれました。「この前職場の新入社員研修で、交通安全の講習会があって保険会社の方が講師として講演してくれたんだけど、期待外れで何も伝わってこなかった。事故現場の写真も肝心なところがボカシてあって、お話もただ漠然と『交通安全に気を付けましょう』と言われても、全く伝わってこなかった。同期は寝ている人も多かった。やっぱり相手に配慮し過ぎてやんわりオブラートに包んだ話なんて誰の心にも響いて来ないと思う。遺族の赤裸々でリアルな言葉の方が、その時はショックを受けるかもしれないけど、よっぽど相手の心に響いて、これから気持ちを引き締めて車やバイクを運転しようと思えるんじゃないかな!」と。私は本当にそうだと思いました。綺麗ごとだけなら誰でも言えるし、綺麗ごとばかり見ていても一向に交通死亡事故が減らない今の困った現状ではないのかと??もちろん自分が被害者遺族や関係者で気分を悪くされる方も、とてもではないが辛すぎてそんなこと人前で話したり公表できないという方が多いのだと思うのです。もしかしたら、私たちのような遺族の方が少数派なのかも知れません。人それぞれ悲しみの段階も、考え方も違って当然ですし、もちろんそれで良いと思うのです。だからみんなにそうしろなんて望んでいません!!ですが悲しみの段階を経て、亡き子のために、亡き家族のために、何かできることはないだろうかと心で模索する時が来たら、その方なりにできる方法でいいんです!!話すことでも、書くことでも、啓発活動でも、物を作って配ったり、チラシを作って配ったり、花の種を配ったり、遺族の会を立ち上げても、ボランティア活動やNPO法人を立ち上げても、本を出版しても、テレビやラジオに出ても、ネットニュースに書いてもらっても、FBやインスタやTwitterで発信しても、生命のメッセンジャーにしても、その方法はどんな小さなことからでも何でも構わないんです!!遺族の声を世間に発信してゆくことが、とても大事なんだと思うのです!!赤裸々な嘘偽りのない現実を、ありのまま知ってもらうのです!!そんな遺族がたくさん増えることで、判例に倣った世の中の悪法や、理不尽な決め事や、時代にそぐわないオカシナ法律や、そのことを変だとも思わない社会の風潮を、少しでも変えていけれたらと強く願わずにはいられません!!それは私たち遺族にも出来る事であり、私たち遺族が立ち上がらなければ出来ない、遺された遺族たちの使命だと思うからです!!(さえりん中学1年生 中学校の入学式) 昨日、安城自動車学校コアラドライブ🐨の校長先生から「ストラップの在庫が少なくなりました」とご連絡を頂きました。ノートを見たら今までは1ヵ月で約200個のペースだったのが、今回は2週間で200個出たことになっています。秋になり高校生などで自動車学校は賑わっているからでしょうか。とにかく多くの方々に広まることはありがたいです♡早速昨日、休みの主人と一緒にストラップ200個をお届けに行きました。すると、校長先生がおっしゃられた高齢者講習の置き場が変わったところを見に行くと、凄くストラップが綺麗に並び見やすく取りやすく改良されていました。コアラドライブ🐨の職員の方々の「交通安全を願う」意気込みがすごく伝わりました!!(昨日ストラップをお届けした、安城自動車学校コアラドライブ🐨)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2021年11月17日
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昨日、柳原三佳さんのヤフーニュースにこんな記事が載っていました。「青信号で横断した娘がなぜ」愛娘の遺体と撮った最後の家族写真(柳原三佳さんJBpressより引用)柳原さんの了承を得て書いています。これは、以前私のブログにもよく書かせて頂いた東京の波多野耀子さんの死亡事故の記事です。「横断歩道を横断中の歩行者が、車にはねられる事故が相次いでいる。」11月4日には岡山県で、幼稚園に向かう2組の母子4人が信号無視の車にはねられ、2人が重体という事故が起こった。信号無視をした運転手は「居眠りをしていた」と供述。青信号を守って横断している歩行者にとってはどうすることもできない一方的な被害。11月7日には、愛知県安城市で飲酒運転の車が横断歩道に突っ込み、ベビーカーを押していた母親がけがをした。幸い、2歳の息子と4歳の娘にけがはなかった。しかし、1秒ずれていたら・・・と思うと、やりきれない。■横断歩道上で奪われた愛娘の命安全なはずの横断歩道で、突然、大切な家族の命を奪われる・・・、加害者による極めて危険な運転によって平穏な暮らしを断ち切られた人々は、事故後、その理不尽な出来事にどう向き合い、また赤信号無視という危険運転はどう裁かれていつのだろうか。2020年3月14日、葛飾区四つ木五丁目の交差点を横断中、赤信号無視の軽ワンボックス車に波多野暁生さんは語る。「もし、私と位置が左右逆だったら、娘は助かっていたかもしれない・・・警察からそう説明され、娘を守ってやれなかったことが悔やまれてなりません。なにより、私たち夫婦は大切な娘の命を奪われたことで、自分たちの未来さえ失ってしまった気がするのです」■赤信号を確認して交差点に進入、危険運転で起訴された加害者なぜ、赤信号なのに停止しなかったのか?その理由については、「交差点の先の左の路肩に駐車車両がみえた。自車線をそのまま進めばその車を避けなければならない。日ごろから右へ車線変更するのが苦手だったので、他の車が赤信号で止まっているうちに先へ進み、車線変更してしまおうと思った」という内容のにわかに信じられないものだった。■初公判直前、異例の期日取り消しに疑問ところが、11月19日に東京地裁で予定されていた初公判の期日が、11月に入って突然取り消しとなり、来年に延期されることになったのです。「こんなことが許されるのでしょうか。この1年8ヵ月、被告から直接の謝罪は一切なく、本人が自ら事件と向き合い真摯に反省している様子は全く伝わってきません。挙句の果てに、予定されていた初公判の期日も、被告側の身勝手な主張によって公判前整理手続きに不調をきたしたようで、結局、大幅に延期となりました。我々被害者遺族は何も文句が言えず、ただ振り回され、耐え続けなければならないのです」「起訴されるまで事件から1年、起訴されてから初公判までまた1年・・・結局2年もの月日が経ってから裁判が開かれるなど、あまりに時間がかかり過ぎではないでしょうか」■家族3人で撮った最後の家族写真『せめて一目でいいから、耀子とパパを会わせてあげたい・・・』母親の切実な思いに応えた警察は、葬儀社、病院と連携をはかり、耀子さんの遺体を暁生さんの入院先まで運んだ。そして、なんとか最後の対面の時間を取ることができた。「実は、事故から1年後、一度この写真を公開したことがあるのですが、今回、再度見ていただきたいと思ったのは、赤信号無視による悲惨な事件が相次ぐ中、一人でも多くの方に、横断歩道上の事故がいかに危険であるか、そして無防備な歩行者がどれほどひどい被害に遭うかを知っていただきたかったからです。耀子はもう帰ってきません。あの笑顔にはもう二度と会えませんが、とても正義感にあふれていた娘ですから、きっと同じことを思っていると信じています。あまりに理不尽なかたちで命を奪われてしまった娘のためにも、我々は生きて、いつか報告できるよう、引き続き訴えていきたいと思います」私はこの記事を読んで言葉が出ませんでした・・・(>_<)深い深いため息と憤りしかありませんでした。しばらく時間が経ってから我に返って、柳原さんに記事を引用させてもらう了解はとりましたが、どうしても波多野さんにはLINEが出来ませんでした(>_<)私は耀子ちゃんのママに、なんて声をかけて良いのかわかりませんでした。この世の中でこれ以上に、酷い怒りを覚える出来事ってあるのでしょうか??さえりんの刑事裁判前後、私は深い憤りと怒りに震えオカシクなりそうでした。波多野さんも今きっとそうなんだと思うとただただ察することしか出来ません。でも波多野さんご夫婦は、私たちが納得いかない加害者の執行猶予判決後、控訴を求めて署名を集めると決めた夜一番最初に署名を送ってくれたこと一生忘れません!!だから私に何が出来るかわかりませんがせめて一緒に世間に訴える事しか出来ません!私にはこのブログしかありませんが、声を大にして言いたいのです!!どうして、青信号の横断歩道で娘たちは何も悪くないのに、身勝手な加害者に殺されなければならなかったの???どうして、この日本の法律は加害者ばかりが優遇されて、被害者遺族はいつもいつも泣かされなければならないの???この加害者に甘い法律のせいで、考えられないような酷い加害者も何の反省もなくのうのうと暮らし、だからこそこんな理不尽に殺される被害者はいつまで経っても増え続けてしまうのではないでしょうか???もういい加減にこんな不公平な社会は変えていかなくてはいけないのではないですか???政治家も法律に携わる人も、裁判官も検察・警察も、社会の人々も「もしも自分の家族がこんな目に遭ったら!!」と想像力を膨らませて、だったらどうしたらいいのか!!どうしたら理不尽な死亡事故が減るのかを真剣に考え、法改正をお願いしたいのです!!そうでなければ、私はさえりんになんて謝ったらいいのかわかりません!!!「青信号の横断歩道は安全だからちゃんと信号を守って渡るんだよ」と幼い頃から何度も教えたことを死ぬほど後悔しているんです!!私がさえりんを殺したのだと。きっとあの世でさえりんと理不尽に命を奪われた仲間たちもこう言うでしょう。「私たちはちゃんと交通ルールを守ったのになぜ殺されたの??こんな酷い交通事故がどうしていつまでも繰り返されるの??正しいことをしてる人が守られない世の中なんておかしいよ!!誰かおかしい世の中を変えてよ!!もう私たちみたいに青信号の横断歩道で理不尽に轢き殺される交通殺人が繰り返されないように!!」(さえりん12歳の時 キッザニア甲子園に行ったよ!part5)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2021年11月16日
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昨日は、被害者サポートセンターあいちの遺族の例会がありました。私はいつものように名古屋高速を走り参加しました。センターに入ると下駄箱の上に置いてあるストラップが少ないことに気が付き、支援員さんに聞くともう在庫がないとのことで私は車に戻ってストラップ80個取りに行きました。駐車場でちょうど春日井支部のOさんと娘さんのAちゃんに会って一緒にセンターに入りました。昨日の例会参加者は私たち3人と男性ご遺族の方の4名でした。いつものメンバーでほっとします(´▽`) ホッ そしていつもの包み込んでくださるような支援員さん方、私はこのあったかい場所が好きなんだなあっと、また思いました。昨日は来週行われる大手運送会社でAちゃんがされる講演会の件、そこでにじいろ会🌈のストラップもご紹介いただき配って頂くことの打ち合わせや、間もなく発行されるセンターの新しい冊子の件などを話し合いました。その後の近況報告では、Oさんがまもなく今月には息子さん、卓巳君の十三回忌を迎えられる想いを話されていました。母親Oさんと、卓巳君のお姉ちゃんのAちゃんのお気持ちを感じながら、私もいつかそんな日も来るのかなっと思いました。十三回忌まであと10年。Oさんは私より10年も早く遺族になってしまわれご家族で、ここまで歩んでこられた道のりを考えたら、想像を絶するほどの想いがあられるんだと察するのです。 お昼過ぎに例会が終わった後、私たちは打ち合わせのため一緒にお昼ご飯を食べに行きました。これからのにじいろ会のことや今困っていることなど話し合いました。2ヵ所の代表者の私とOさんがしっかり想いや方向性を同じくしていかなければ、にじいろ会の未来はないんだと、知立本部・安城支部も春日井支部もきっと空中分解してしまい、どちらも消滅の道へ進んでしまうのだと思うのです。だからこそ私たちは頻繁に打ち合わせと相談をし合い、お互いの想いに沿うような、ボランティア活動の運営をしていきたいと強く願うからです!!昨日の打ち合わせの中でOさんは言いました。「8歳で亡くなった息子は12年経って、今年は十三回忌で生きていたら20歳。来年1月には成人式を迎えるはずだった。息子は同級生たちと一緒に成人式にも出席できず、とても寂しく悔しい想いをしていたんです。それが一緒に、このにじいろ会🌈を春日井支部として立ち上げてからは、今まで宙に浮いていた気持ちが、地に足が付いたような気がするんです。だからせめて息子が出席できなかった成人式でストラップをと願ってしまうんです」と。実際は市役所からは良い返事はもらえていません。それでも母親として20歳の節目にせめて最後に、息子のために何かしてやりたい。息子のことをみんなにずっと忘れないでいてほしい!!という気持ちは切実にひしひしと伝わるのです!!これは母から息子への最後の贈り物ではないでしょうか。私は「わかった!!その時は私たちも最大限協力するからね!!」と言いました。 そのとき、つい先日公式LINEで「ストラップを自分で作って地元の免許センターで交通安全の啓発のために置きたい」と言ってこられた県外のご遺族の方のことが頭を過ぎりました。私は今までその方が、なぜ警察署ではなく免許センターに置きたいのかよくわからなかったのです。私は免許更新の時に気を引き締めてもらうために警察署に置いてもらうことを目指してきたからです。それでも、その方は免許を取るために行く免許センターにと言われたのです。(免許センターでも更新も出来るかもしれませんが)しかしOさんの話を聞いて、この方もOさんと同じ気持ちだったのでは思ったのです。亡くなったお子さんがいずれ免許を取る年頃になったとき、同級生やお友達に「どうか車の運転に気を付けて!!被害者にも加害者にもならないで!!」と伝えたかったのではないかと思ったのです。それはもちろん相手のためですが、母親として亡くなったお子さんのためにできる、最後のせめてもの切なる願いだったのではと気付いたのです!!しかし現実的にはとても悩みましたが、まだまだ私たちのボランティア活動は規模も小さく様々な面で限界があり、遠い地で継続してストラップを大量に普及するところまで至らず、ご期待にそえない結果になってしまったこと、本当に申し訳なかったと思いました。それでも昨日Oさんとお話してOさんの母親として想いと切実な願いをひしひしと感じて、いつかはこのご遺族のような方の想いも、大切にご希望に応えられるような私たちになれるように、この先頑張っていきたいと思ったのです!! にじいろ会🌈のボランティア活動は、まだ活動をはじめて4ヵ月です。しかし、たったこの短期間でここまでたくさんの方々に知って頂き、お手伝いやご協力、応援していただけるようになれたことに、私は驚きと感謝の気持ちでいっぱいになるのです!!ボランティアメンバーさんも、ストラップを置いて頂く公共施設も着々と増えて、少しずつ身近な社会から広がっていければと願うのです!!まだまだこれからですが少しずつにじいろ会🌈の成長と共に、私も母親として成長していきたいと思うのです。お空のさえりんの自慢のママになれますように!!(さえりん12歳の時 キッザニア甲子園に行ったよ!part4) 昨日のお昼、公式LINEにこんなご報告を頂きました!!それは、今年の夏に福岡県のNPO法人はぁとスペースさんで、ストラップをもらって下さったプロレス関係者のIさんにご依頼を受けて、交通事故のチャリティープロレスの時にお配りいただく分のストラップを100個お送りしました。最初はコロナで延期になりましたが、昨日無事にチャリティープロレスが開催されたそうです。その時、お客様1人ずつに手渡しでストラップを配って頂いたそうです。その様子をお写真と共にご報告頂いたのです!!「1人でも多くの方に想いが伝えられればありがたいです!」とメッセージを頂きました(*^^*)Iさん、チャリティープロレスのレスラーの皆さん、関係者の皆さんありがとうございました!!私たちの活動はまだまだ規模が小さいので、継続して県外へ進出し普及拡大することは難しいのですが、こうして単発的なチャリティーイベントなどで、こちらで作ったストラップをお送りし、配布して頂けることは有りがたく思うのです!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2021年11月15日
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今朝、主人が私にこう言いました。「ママ、柳原三佳さんがさえりんの記事を出してくれているよ!!」と\(◎o◎)/!私はよくわからなかったのですが、一昨日柳原さんから主人はいつ記事を出すのかメールで聞いていたようです。遺体安置所で立ちすくみ、血のついた遺品に絶句… 交通犯罪で娘奪われた両親が願う「被害者支援」(2021年10月29日 ヤフーニュース 柳原三佳さん引用)リンクはこちらhttps://news.yahoo.co.jp/byline/yanagiharamika/20211029-00265372私は起きたばかりの寝ぼけた頭でこの記事を読みました。柳原さんは私たちのブログもよく読んでくださっていて、私たちの想いをしっかりと書いて下さいました。そもそも、今回柳原さんがこの記事を書いて下さるきっかけになったのは、東京の波多野さんのヤフーニュースの記事(柳原三佳さん記事)を私のブログの中で取り上げさせて頂いたことから始まったのです。何度かFacebookでのメッセージのやり取りをした後、柳原さんが連絡をくださったのです。ちょうど主人も休みの日だったので、スピーカーフォンにして3人でお話ししました。その中で、柳原さんは私が「さえりんの部屋」の中で書いたさえりんの遺品の血の付いた服の返還の仕方に途方にくれた内容を読んでとても共感して下さいました。柳原さんは「全国の遺族の方々の声を社会へ届けたい」とおっしゃられ今回の記事を書いて頂くことになったのです!!私たちは決して警察に苦情や文句を言いたいわけではありません!!ましてや警察と喧嘩をするつもりなんて微塵もありません!!ただありのままの被害者遺族の実態と事故直後の警察の対応を素直にそのまま書いただけなのです。では私たちが警察に望むことは何かというと、柳原さんもヤフーニュースの記事の中に書いて下さいましたが「決して事故死に慣れないでください。遺族にとっては初めての、一番辛い経験だということを忘れないでください」という、ある日突然娘の命を無残に奪われてしまった私たちの心からのお願いなんです!!こんな私たちのような被害者遺族がさらに泣かされ絶望に落とされるような対応ではなく、もっと被害者と遺族の気持ちに寄り添った心ある対応をして頂けないかという、切なるお願いなのです!!私たちはもう終わってしまったことですが、これから先私たちのような遺族が出ませんように!!そしてさえりんのように何の罪も過失もないのにただ交通ルールをしっかり守って青信号の横断歩道を渡っていただけなのに突然理不尽に命を奪われてしまう被害者が出ませんように!!それを心から願うのです!!私たちが、あいち交通死をなくすボランティアにじいろ会で、作って配布するストラップにはそんな強い願いが込められているのです!!それは警察にとっても、行政や社会にとっても誰もが願うことなのだと思います!!だからこそ、私は警察や市役所と協力して、ストラップを置かせて頂いて、コツコツと地道な草の根運動を続けてゆきたいのです!(さえりん12歳の時 祖父母と妹と4人で初めての北海道旅行part1)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2021年10月29日
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今日もさえりんの写真からです。(さえりん12歳の時 キッザニア甲子園へ初めて行ったよpart5) 昨日の波多野さんの交通事故の後編です。この柳原三佳さんの記事を読んで、私は2つの問題点があると感じたので2回に分けました。(このブログは柳原三佳さんと波多野さんのご了解を得ています)「耀子ちゃん、お帰り…」事故から1年7ヵ月 両親に返された思い出のダウンコート【葛飾・父娘死傷事件】 (Yahoo!ニュースより引用) ■お気に入りだったダウンコート波多野さんの自宅に戻ってきたダウンコートは、前身頃が少し破れ、羽毛が出ていました。 つい最近、消防署に情報を開示してもらってわかったそうですが、このダウンコートを着てはねられた耀子さんは、事故直後、軽トラックの下敷きになっており、救急隊が到着する前に現場周辺にいた何人かのひとたちが、車体を持ち上げて引き出してくれたそうです。 ■耀子さんの写真まで「不同意」にしてきた被告側耀子さんのお父さんは、語ります。「これから始まる刑事裁判で、被告側は私たちの遺族調書だけでなく、娘の写真まで不同意としてきました。つまり、証拠として採用しないということです。遺族調書には、たった一人の大切な娘を失ったときの苦しさと、我々に何の落ち度もなかったこと、そして、ことさらに赤信号無視をした加害者に厳罰を求めたいということ以外は書かれていません。なぜこれらを不同意にしてきたのか理解に苦しみ、はらわたが煮えくり返る思いです」運転手からの直接の謝罪やお参りは、未だに一度もありません。 遺族調書を不同意とされたことで、波多野さん夫婦は検察からの証人尋問を受けることになります。さらに、被告側弁護人から、反対尋問を受けなければならないそうです。「裁判員裁判なのに、裁判員の方々に娘の生前の写真や最期の家族写真すら見ていただけないとなると、市民感情を司法判断に取り入れる趣旨の裁判員裁判が全く無機質なものになってしまいます。被告側がどのような主張を展開してくるのか、そして、どのような裁判になるのか…。危険運転致死傷罪裁判の今後のためにも、娘の命を奪われたこの事件を世の中に知られないまま終わらせることは出来ないと考えています」 初公判は11月19日午前10時より、東京地裁で開かれる予定です。 私は一昨日の朝、柳原さんのこの事故の記事を読んで深いため息が出ました。またしても、こんな理不尽なことがあってもいいのでしょうか???そしてすぐに、お母様にLINEしました。すると、裁判員裁判のデメリットにも悩んでいる。裁判員裁判に限界がある。裁判員にとにかく配慮して進められているみたいと。私は自分のことのように悔しくてやり切れない気持ちでいっぱいになりました!! 私もさえりんが事故に遭い亡くなるまで知らなかったのですが、一般的に過失運転致傷罪で起訴されると、裁判官、被告側・原告側だけの裁判になります。その中でも私たち夫婦は被害者参加制度を使ったので裁判の原告側として検察官弁護士と一緒に法廷の中に入ることができたのです。そうでなければたとえ親でも被害者遺族は蚊帳の外なんです。そして、危険運転致死傷罪で起訴されると、裁判員裁判になります。これによって裁判官・裁判員、被告側・原告側になるのです。ご夫妻も被害者参加制度を使って法廷の中へと入られるのだと思います。私は裁判員裁判の経験がないのでよくわかりませんが、被告側が証拠資料や証拠写真などを不同意とすることで、その証拠が証拠として立証できなくなるのだと思います。それによって起こり得ることは、裁判員裁判の本来のメリットである市民感情を起こさせにくくするという戦略なのではないでしょうか??そうすることで少しでも罪を軽く済ませたいという加害者側の魂胆ではないかと推測できるのです!!!柳原さんの記事の中でこんなことが書いてありました。赤信号なのに停止しなかった理由は、「交差点の先に駐車車両が見えた。自車線を進めばその車を避けなければならない。日ごろから右への車線変更するのが苦手だったので、他の車が赤信号で止まっているうちに先へ進み、車線変更をしてしまおうと思った」という内容の極めて身勝手なものでした。これが68歳男性、職業運転手の供述です!?右への車線変更が苦手だったから赤信号無視をした??こんな人がどうして運送業をして毎日車に乗って仕事をしているのでしょうか??そしてどうして何の罪もない、わずか11歳の耀子ちゃんを轢かなければいけなかったのでしょうか???私には到底理解が出来ず、怒りを通り越して復讐したいぐらいの気持ちになりました!!そして更に一度も謝罪にも来ず、自分の罪も認めず、裁判員裁判でのデメリットを巧みに使って自分の罪を軽くしようなんて、絶対に許すことは出来ません!!私は声を大にして言いたいです!!こんな理不尽な交通死亡事故の裁判の現状をもっともっと多くの世の方々に知って頂きたいのです!!多くの方々に、もし自分の家族がこんな目に遭ったらと考えて頂くことで、市民の声は大きく上がるのではないかと思います。そうでなければ、この日本の明治時代から変わらない時代錯誤な、交通に関する法律や考え方はこの先も永遠に断ち切ることは出来ません。そして私たちや波多野さんや多くの遺族が流した悔し涙も、さえりんや耀子ちゃんやお空の大勢の仲間たちの尊い命も決して報われないのです!!私はまたしても大きな課題に立ちはだかれるような絶望的な気持ちになるのです。でも、私はもう昔の私ではありません!!どんな断崖絶壁の崖も、どんな険しく困難に見える棘の道も、勇気を出して一歩を踏み出せば、必ず道は開けてくるんだと心から信じているからです!!それは、くらさんが私に教えてくれたから。そして、私も実際にやってみて経験したからなんです。だから願いを持って今やるべきこと、目の前の課題を一つずつクリアしていけばいいんだと、今ではそう確信できるのです。その繰り返しの中で、きっといつかは何かが変わる日が来るのです。そう信じて小さなストラップを世に送り続けるのです!!そうだよね!!さえりん(⋈◍>◡<◍)。✧♡ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2021年10月20日
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今日はさえりんの写真からです。(さえりん12歳の時 キッザニア甲子園へ初めて行ったよpart4)昨日の朝、さえパパが言いました。「柳原三佳さんが書いた、波多野さんの記事がヤフーニュースに出ているよ!!」と。(このブログは柳原三佳さんと波多野さんの了承を得て書いています。)「耀子ちゃん、お帰り…」事故から1年7ヵ月 両親に返された思い出のダウンコート【葛飾・父娘死傷事件】(2021年10月18日6時3分配信 ヤフーニュースより引用)赤信号無視の危険運転に奪われた家族の未来「先日、警察の方が、事故の時の耀子(ようこ)が身に着けていた衣類などを届けて下さいました。それを手に取ったとき、一瞬、あの日に引き戻され、ああ、一緒に出かけなければこんなことにならなかったのに…、という悔しさと、耀子が帰ってきてくれた、という嬉しさが交差しました。私は思わず『耀子を抱きしめたい』と思いました」 メッセージを寄せてくださったのは、1年7ヵ月前、娘の波多野耀子さん(当時11・小5)横断歩道を横断中、赤信号無視の車にはねられ、自らも重傷を負ったお父さんです。この事故については、今年3月に取り上げました。『亡くなった娘と撮った家族写真 赤信号無視の車に断ち切られた未来‐個人‐Yahoo!ニュース』耀子さんのお母さんは語ります。「実は、耀子の荷物が届くまで、私はとても怖かったんです。でも、耀子が家に戻れて本当に良かったと思っています。救命措置を受けるため、洋服はビリビリに破かれていましたが、とてもきれいにしていただきました。耀子のお気に入りだったバスケットシューズも、警察の方がこんなにピカピカに洗って下さったんです。葛飾警察署の皆さんに助けていただき、救われました。私は戻ってきた耀子の服を自分の手でもう一度洗濯し、1年7ヵ月ぶりに耀子の洗濯物を干すことができました」「危険運転致死傷罪」で起訴された加害者 事故は2020年3月14日、午後8時45分頃、葛飾区四つ木の国道6号で発生しました。ホワイトデーのこの日、波多野さん父娘は、青信号の横断歩道を二人で渡っていました。そのとき、赤信号を無視して、軽トラックが交差点に進入してきたのです。衝突の衝撃を受けた耀子さんは多発外傷でまもなく死亡。お父さんは右足の開放骨折、脾臓損傷、顔面骨折などの重傷を負いました。現行犯逮捕された運転手(68)は、前方の信号が赤と認識していたにもかかわらず意図的に無視し、時速57キロで交差点に進入。横断歩道を歩いてくる波多野さん親子に気づかず衝突したとのことでした。警視庁は、容疑者を「危険運転致死傷」で在宅起訴。現在、公判前整理手続きが行われています。ばらつきがある交通事故遺品の取り扱い 波多野さん夫妻から遺品返却のお話を伺い、遺族に寄り添った葛飾署の対応に感銘を受けました。いろんなケースを取材でも何度か聞いていただけに、今回の葛飾署の気配りには、本当に心が温かくなりました。 ここまで読んで私も葛飾警察署の被害者支援の対応は素晴らしいと思いました。柳原さんも言われていましたが、確かに警察署によって対応が物凄く違うように思います。それは波多野さんとの会話からも、前々から気付いていたことです。実は私もさえりんの事故の数日後、遺品を愛知県警安城警察署まで取りに来るように言われました。訳も分からず主人と一緒に安城警察署に行くと、グレーのビニール袋に入った重たい洋服(血をたくさん吸っているので)リュックサックと靴などをそのまま返されました。自転車も持って行くように言われましたが、潰れた自転車を見ることができませんので、自転車だけはもう少し預かってほしいと頼みました。服は持ってきたもののあまりの悪臭とショックで吐き気がきました。車庫の隣の物置に入れたのですが外まで匂って倒れそうになりました(>_<)捨てるわけにもいかず困り途方に暮れてしまいました。そういえば最初に連絡を受け警察署へ行ったとき、50代くらいの警察官の男性に「何か困ったことがあったら電話して」と名刺を渡されていたことを思い出し、その方に電話をかけました。すると「洗濯をして血を洗い流してから返すから持って来てください」と言われ主人と一緒にもう一度安城警察署へ服も靴もリュックサックも持って行きました。数日して、洗濯ができたからとその警察官が我が家へ届けてくれました。そして自転車は約2ヵ月経った初盆の時、連絡するとその警察官が車で運んできてくれました。そのまま主人にブルーシートに包んでもらい今でも自転車置き場に置いてあります。実は私は今でもさえりんが最後に来ていた服やリックサックを見ることができません(>_<)潰れた自転車もフラッシュバックしそうで怖くて見れません。私は事故から1年半経ったとき、改めて被害者支援のことを安城警察署に質問に行って、その時の50代警察官が私たちの被害者支援担当だったと初めて知ったのです。私たちはその方から「自分が被害者支援の担当です」とは一度も名乗られていなくて、ただ少し気のいい警察官だと思っていました。私たちが連絡し頼まなければ何一つ支援も配慮も心遣いもなく知らん顔だったのです!!あの頃に一番必要だったメンタル的なケアは何一つありませんでした。それでも被害者支援室の課長は、私たちへの被害者支援はうまくいっていたと把握していたそうなんです???本当に東京葛飾警察署と比べたら、愛知県の被害者支援はかなり遅れていると実感しました。県によって警察署によってどうしてこんなにも格差があるのか不思議です。さえりんは20歳を超えていたから警察官の対応が違うのでしょうか??それとも地域格差なのでしょうか??それともたまたま出会った警察官の被害者支援への意識の違いなのでしょうか??それでも、これが警察や行政の真実なんです!!そして、私たちはまだ頼めばやってはくれましたが、全く無視や、逆に叱られたり、もっと酷い目に遭っている被害者遺族も全国各地には少なくないのです!!明日につづく・・・ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2021年10月19日
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昨日は我が家にとっては事件が起こりました!?朝私が洗濯機をまわしていると、父(舅)が来て突然話しかけました。私はいつも父に見えないバリアを張って声をかけられないようにしているのでびっくりしましたΣ( ̄□ ̄|||)そんな私にお構いなく父は威圧的に言いました。「お母さんがもうこんな壊れた家族が嫌になったから、この家を売って施設に入りたいと言っている!!」と。私は父が何を言いたいのかさっぱりわかりません????私はモヤモヤしたまま2階へ上がり主人にそのことを話し、父と母と主人の3人で話をしてほしいと頼みました。私は所詮嫁の立場なので、この際両親と長男でこの家の今後についてしっかり相談してほしいと思ったんです。主人は無言のまま仕事へ行きました。少しして起きてきた次女に今の話をしました。「あーちゃん(姑)がこの家を売って施設に入りたいんだって??」と。次女は「えーー??もうこの家に住めないの??私たちは追い出されるってこと??」と一瞬驚きましたが、切り替えの早い次女は「だったらアパート探そうよ!私は駅が近い場所ならどこでもいいよ。隣の安城市にでも住む??」とすぐに次のことを考えていました。私は「もし追い出されるなら犬はどうする??施設に犬は入れないしアパートもペットOKのところは高いんじゃないの?」というと、次女も考えて「じゃあ西尾のお祖母ちゃん(私の実家の母)の空き家に住もうよ。あそこは1軒やだから犬飼えるでしょ」と。私は「そうだね…」と言いました。実家の空き家とは、約30年前に実家の母が、当時20歳で結婚した妹夫婦のために実家近くの土地に建てた2LDKのプレハブの家です。今は誰も住んでいなくて倉庫状態です。実際に家を追い出されると決まったわけではありません。母の戯言です。今までも何度も数年に一度はこんなことがあったからです。母なりに寂しさで感情のコントロールが出来なくなるのです。そんな会話をしながら、次女は午前中友達と通話をする約束があるんだと部屋へいきました。私は一人心の中がざわざわしてばかりでした( ;∀;)お昼前次女が通話が終わり出ていました。「今からラーメン食べに行こうよ」と。実は前々から行きたいねと話をしていたので、2人で出かけました。本当は「岐阜タンメン」を食べたかったのですが一番近くの東海市のお店は満員で外まで10人くらい並んでいたのでやめて、近くの「長浜ラーメン屋」へ入りました。私は長浜白とんこつラーメン、次女は長浜辛みそラーメンと2人で餃子1人前を半分こで食べました。帰る車中で、次女が言いました。「今から西尾のお祖母ちゃん家へ、空き家が住めるか下見に行こうよ!万が一の時のため下見は大事だよ」と。私たちは突然私の実家へ行きました。母はお昼寝をしていましたが「よく来たね」と快く迎え入れてくれました。母と少し話していると私はつい母に今朝の出来事を言ってしまいました。本当は心配かけるから黙っておこうと思ったのに・・・(;'∀')母は驚く様子もなく「じゃあ空き家が使えるかどうか今から見に行く?」と一緒に実家から車で2、3分の空き家へ行きました。中はきれいさっぱり荷物もなくて閉め切っているせいか埃っぽかったです。でも綺麗に掃除とメンテナンスしたら住める程度でした。次女も下見をして満足したのか、母を実家へ送って畑で採れたピーマンをたくさんもらって、そのまま私たちは自宅へ帰りました。自宅へ帰ると夕方5時過ぎなのに、主人がもう家に帰っていました。朝の父との一件が気になって仕事を早退してきたようです。そして、主人は先に母に話をして私たちが帰ってきたら家族会議をしようという事になっていたんです。家族会議が始まりました!!参加者は父(舅)、母(姑)、主人、義弟、私、次女の6人です。犬のマロンは足元でウロウロしていました。議題は「我が家の家族関係はこのままで良いのか??」という事です。最初に父が「今はみんな何でも遠慮なく思っていることを言おう」と言いました。そして父は私に対する不満や態度がいけないところを指摘しました。「俺はこの家の家長として立ってきた。しかし嫁の栄子さんは俺の言うことを聞かない。勝手なことばかりする。今まで部下は言うことを聞いていたのに、嫁は俺の言うことを聞かず今では挨拶もしない」と。母も「お父さんと栄子ちゃんが口を聞かないのは辛い。こんな不仲が続くには耐えられない。だから私はこの家を売って施設に入ろうと真剣に思ったんだよ」と。私は黙って聞いていました。私にだって言い分はあるのにと思いながら涙が溢れました。一通り2人が言いたいことを言ってから私の番になりました。私は今まで思っていた不満を順番にたくさん話しました。紗愛理亡き後、今まで紗愛理を中心に回っていたこの家が、中心を失くし壊れていくことを感じていました。主人も今まで言えなかった父に対する気持ちを初めて言いました。でもまだ根は深く解決は難しそうです。父も自分がカッとなったら衝動的に怒りを人にぶつけることと、認知症の兆しは自覚していました。でもみんなが「病院で認知症の検査をして」と言う声はサラッと流されました。父はそのことで家族がどれだけ深く傷ついているかという事までは自覚していませんでした・・・(;'∀')最後に父が次女に聞きました。「お前はこの家の跡を取るつもりがあるのか?それとも出ていくのか?」と。次女はまだ大学生です。「まだそんなこと言われてもわからないよ」と言いました。そして父が最後のまとめをしました。「じゃあみんなの気持ちを聞いたからこのまま現状維持でいこう」と約2時間の家族会議を閉めました??私は心の中で「ただ言いたいことを話しただけでは何の解決にもなっていない!!」とモヤモヤした不完全燃焼で複雑な気持ちだけが残りました(>_<)両親は一体何がしたかったの???私の心のモヤモヤは大きくなるばかりです( ;∀;)なんだか振り回されたような気持ちでいっぱいになりました。両親は話し終わったら雲が晴れたようにスッキリした顔と声になっていましたが、私は反対にどんより重たい気持ちが押し寄せるのです。まるで「もらい事故」に遭ったような不快で嫌な気持ちです。きっと両親も私のこの半年間の(春のお彼岸から秋のお彼岸を過ぎた今まで)父に隙を見せないようにバリアを張った態度を見かねて起こった我が家の事件です(>_<)私は一番強く思ったのは、家族の誰もが悪いんじゃない事は痛いほどわかっているのです!!かけがえのない我が家の中心でアイドルだった紗愛理を殺されたことが一番のこの家族問題の原因なんですから!!一番悪いのは紗愛理を無残に轢き殺した加害者なんです!!そして我が家がこんな家庭不和で酷いことになっていることすら気にもかけない、知ろうともしない無責任で非道な加害者が一番の憎き罪人なんですから!!たった一人の娘の命を奪うことがこの先遺こされた家族がどれほど地獄へ突き落されるかという事を、加害者に言いたいのです!!あなたのせいですよ!!と。よく「加害者だって轢きたくて轢いたわけじゃない」と一般論で庇う人もいますが、私は声を大にして言いたいのです!!「さえりんだって轢かれたくて轢き殺されたわけではありません!!私たちだってなりたくて遺族になんてなったわけではありません!!加害者を庇う人はもしも、自分の大切な子どもが轢き殺されてもその加害者に同じことが言えますか???」と!! 昨日は家族会議で泣きすぎたせいか、何の解決にもなってないからなのか、またも頭痛がしてきました。主人も、両親と私の間に板挟みになり、心がキツかったせいか微熱が出ていました。一昨日は安城で楽しくボランティア活動ができたのに昨日は一転して天国と地獄です。私の人生はどうしてこんなにも落差が激しいのでしょうか??それでも次女は「ママの気持ちを、じ-ちゃんたちに話すことができただけでも良かったと思うよ!!ママには強い見方もいるんだからね!!」と言いました。私は、半年間の想いを話せる家族会議の場を作ってくれた主人に感謝しました。(さえりん12歳の時 サンリオピューロランドpart5) ただ一つ私の支えになったのは、実家へ行ったときの母の言葉です。「もしもの時はいつでも帰っておいで!!この空き家に住めばいいからね!」と。もしも追い出されたとしても行くところがあるという安心感こそ私の支えです。「お母さんありがとう♡私もお母さんみたいな母親になるからね!!もう少しだけこの嫁ぎ先で頑張るからね。紗愛理のために!!次女のために!!」ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lin.ee/aThfM2Z
2021年10月11日
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昨日の毎日新聞朝刊(愛知県版)に、にじいろ会🌈春日井支部のOさんの記事が掲載されました。「交通事故死『かぞく』愛した息子へ」「加害者にもならない」大きな見出しで、とっても大きな紙面の記事になっていました。「春日井市で起きた交通事故」2009年10月13日午後5時15分ごろ、春日井市大手町の県道で、近くに住む小学2年生の岡田卓巳さん(当時8歳)が女性が運転する普通乗用車にはねられた。卓巳さんは頭を強く打ち、意識不明の重体。11月25日に頭部外傷脳挫傷で亡くなった。 この記事にはOさんの12年間の悔しい気持ちや、卓巳君が生きていれば20歳、8歳で交通事故で亡くなった息子のことを忘れないで!!と願う母の想い。成人式を迎える節目に、自分が一番伝えたいことは何か、このままで良いのかと焦りが募っていた時に、私と出逢い一緒ににじいろ会🌈の活動をしようと決意されたことなどが鮮明に書かれていました。Oさんと娘さんのAさんがにじいろ会のボードとストラップが入ったカゴを持って大きく映っていました。私はこの記事を読んで、この12年間のOさんの想いを考えたら本当に途方もなく長く辛い日々を悶々と送られてみえて、私など想像もつかない強さを秘めてみえるOさんがとっても尊い方だなとあらためてそう思いました。私はOさんとこうして一緒ににじいろ会🌈の活動が一緒にできることに心から感謝しました!!記事の中で卓巳君の性格が「負けず嫌いで、努力家な子だった」と書かれていましたが、それは母親のOさんそっくりだったんだと。だから、卓巳君は事故から44日間意識不明の重体でも生きようとして必死で闘っていたのではないかと思うのです。それは、きっと卓巳君の一番の宝物「愛する家族」のために!!Oさんはそんな卓巳君の想いを形にできる場を長年ずっとずっと探して頑張ってみえたのだと思います。そしてOさんと私が出会ったのもきっとただの偶然ではなく、お空で卓巳君とさえりんが私たちを引き合わせてくれたに違いないと実感するのです!!Oさんの想いをしっかりと書いて下さった毎日新聞の記者Tさん、本当にありがとうございました。Oさんの12年間の悔しい想いが晴れることなんて絶対にありませんが、それでも卓巳君20歳の節目の年にこうして大きく記事にして頂き、同級生やお友達の心の中にも卓巳君の存在が鮮やかに蘇るのではないかと思います。本当に良い機会だったと思います。このご縁に心から感謝いたします。(10月4日付 毎日新聞 愛知県版) 昨日は夕方コロナワクチン2回目の予約の日でした。そして、さえりんの月命日。当然現場に花を供えに行く日です。それなのに、私は朝から酷い頭痛と吐き気と下痢で、物凄く体調がよくありません。なんとか這ってでも行こうと試みるのですが、どうしても体が動きません。月命日の為休みを取ってくれた主人が言いました。「紗愛理はあんな現場になんかいないんだから今日行かなくても大丈夫だよ。こんな体調ならコロナワクチンも延期した方がいい、これ以上酷くなったら困るから俺がキャンセルしとくよ」と。私は当日キャンセルしたらワクチンが余ってしまって無駄になり本当に申し訳なくなりました。それでも昨日の私ではどうしてもワクチン接種したら耐えられるか自信がありませんでした。本当に皆さんにご迷惑をおかけしました。私はほぼ一日中ベッドで横になって、時には汗をいっぱいかいて寝ていました。熱は測ったけど微熱でした。頭痛は夜までずっと続きました。吐き気と下痢は日中は少し治まりましたが、夜またぶり返しました。自分でもどうしてこうなるのかさっぱりわかりません。風邪をひいたのか??それともいろんなことがあり精神的にキャパオーバーなのか??それとも何かの病気の予兆なのか??現実逃避なのか??時々こんな症状になってしまうんです。昨日は主人がいてくれたから凄く助かりました!!お昼ご飯は私はコンビニのサンドイッチを主人と次女はマックでハンバーガーを、晩ご飯はかつやのロースカツ弁当と豚汁を買ってきてくれました。さえりんにもお供えすることができました。こんなダメダメな私で本当に申し訳なさでいっぱいになりました(>_<)さえりんごめんね、こんな弱いママで。次女にもごめんね、こんな放ったらかしの母で。家族にごめんね、こんな怠慢な主婦で。ボランティアのみなさんごめんね、こんな弱気な代表で。そんな想いがぐるぐると頭を回っていました。昨日は本当にダメダメな1日だったのです(´;ω;`)ウッ…(さえりん12歳の時 お家で花火) 昨夜、さえりんが久しぶりに夢に出てきてくれました!!夢の中のさえりんは12歳くらい。交通事故で亡くなったのに、泣きながら私が一緒に添い寝していたら身体があったかくなって心臓が動いて生き返ったのです。潰された頭も元通りになっていて、「ママただいま♡」ってニコッと笑うさえりんを私は「良かった!!還って来てくれたんだね!!本当に良かった!!」って泣きながらいつまでも抱きしめていました。目が覚めた時、私の体調を心配してさえりんが逢いに来てくれたんだと思いました。「さえりん心配かけたね。逢いに来てくれてありがとう♡ママは大丈夫だから!」今日からまた気持ちを切り替えて、元気に頑張ります!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lin.ee/aThfM2Z
2021年10月05日
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昨夜、1階で洗い物をしていたら母(姑)が泣きながらやってきました。「この前お父さん(舅)に叱られた。原因は小さなお皿が1枚無くなったと、どうでもいいことで怒鳴ってきた。耐えられなくてあれから口もきいてないの・・・」と。それは2日ぐらい前の事、朝1階で2人が喧嘩していました。そのお皿というのは私が以前買って2階で使っていたものです。たまたま1階で洗ったとき置き忘れたのを父が見つけて使っていたものでした。私は自分の物だから2階へ持って行ったら、父がお皿が無くなったと母に八つ当たりして大騒ぎしていたのです。私は「そんなに必要なら差し上げましょうか??」と母に言いましたが父は「もういらん!!」と怒っていました。父は1階の仏壇にお供え物をするとき使おうと思っていたようです。その後も母に八つ当たりをしたようです。私はたったお皿1枚のことで、なんでここまで腹が立つのかまたも父のことが理解できません??でも私はもう父と距離をとって結界を張っているので、こちらに直接八つ当たりはあまりきません。代わりに母に、八つ当たりがいくようになったのです。母は耐えられず、最近は毎晩泣いているみたいです。私は今、主人の両親と少し距離を取ることでしか、この家に一緒に住むことができないくらいの精神状態なのです。なんて冷たい嫁だと思われるかもしれませんが、今の我が家は家族全員が壊れる寸前の状態なんです。それは家族にとって一番の癒しの存在だった、紗愛理があんな形で突然亡くなってしまったからです。誰もが深い悲しみとぶつけどころのない怒りや悔しさを抱えて、どうしようもない状態になっているんです。これも春や秋に強く表れるのです。母はさらに言います。「みんな紗愛理がいなくなった辛さに耐えられないの。お父さんが悪いわけじゃないけど、お父さんだって悔しくて悲しくて叫びたいくらいの思いのやりどころがないから仕方ないんだよ。でも、私だって悔しくて逢いたくてどうしようもないのよ。だって紗愛理は一番かわいい私の大事な初孫なんだよ!!」と肩を震わせ号泣しました。私は「そんなこと言うなら、私だって紗愛理は自分の命より大切な、初めての娘なんですけど!!」って言いたい気持ちをぐっと堪えました。母は「あの時私が代わに病気で死ねばよかった!!そうしたら紗愛理は死なずに済んだのに!!」と大泣きしました。私は「そんなこと言われたって、私だって紗愛理の代わりに交通事故で死にたかったんですよ!!」もう我慢できず思わず言いました。母は「栄子ちゃんごめんね・・・あなたが一番悲しいのに・・・それなのにあなたたちは前を向いて頑張っているのに、私とお父さんはずっと一歩も進めず、あの時の悲しみのまま止まっていてもう耐えられないのよ(>_<)」母は号泣するのです。私は泣いている母を見て何とかしてあげたいですが何も言えず聞くことしか出来ません。そして母と話していると私の気持ちもどんどん落ちていくのがわかるのです。私だってわかっているのです。あれだけかわいがっていた初孫があんな無残な形で殺されたら、誰だって平常心でいられるかけがありません。そんなこと痛いくらいわかるのですが、その思いを私にぶつけてこられても、今の私にはどうすることも出来ないんです!!だって私だってあなたたち以上に苦しく悔しく辛いんですから!!私たち家族はごく普通に仲良く暮らしていたのに、家族間で八つ当たりや喧嘩が絶えず、今や家族が壊れる寸前です。どうしてこんなことで揉めなければならないんでしょうか??いったい誰のせいでこんな目に遭わなければならないのでしょうか??本当は母にもっと優しくしてあげたいのに、これ以上関わったら私のメンタルがもたないんです。これ以上落ちたら、自分を保てなくて前を向けなくなってボランティア活動すら出来なくなりそうなので、2階へ逃げ込みました。「お母さん本当にごめんなさい・・・」心の中で謝りました。父(舅)と母(姑)はあの日からずっと止まったままです。でも私と主人はどんなに悲しくても、今でも決して立ち直ったわけではないですが、それでもいつまでもそこに止まったまま、留まることは出来ないんです!!だってさえりんやお空の仲間と一緒に乗り込んだ「にじいろ会🌈」という名の、未来列車🚃はもう出発したのだから!!子どもを亡くした遺族がその後家庭崩壊する理由が今では痛いほどわかるのです。誰もが悲しみに耐えられず、お互いを傷つけあってしまうからです。本当は、誰一人悪くないのに・・・こんな理不尽な現実があるなんて、自分が遺族になるまで知らなかったんです。今、我が家は「家庭崩壊したら一番悲しむのは、家族を誰より愛していた紗愛理なんだ!!」その想いだけが家族みんなを踏みとどまらせる、唯一の命綱のような状態なんです。「私だって死にたくて殺されたわけじゃないよ!!もっともっと家族と一緒に仲良く生きて居たかったんだよ!!」って紗愛理の声なき叫びを肌で感じるから、余計に辛いのです(>_<)(さえりん12歳の時 私の友人Hちゃん親子と一緒に日帰りバス旅行で桃狩り)「犯罪被害者の声 第15集」を送ってくださいました。私は初めて投稿させていただきました。それは、残された家族のこんな悲惨な現状を多くの方々に知っていただき、理不尽な交通死亡事故や犯罪被害が起きないような社会になってほしいからです!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lin.ee/aThfM2Z
2021年10月03日
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昨日は、午前中にストラップの材料を取りに来て下さる方がみえたので、お昼12時から買い物に行き、お花も買ってラッピングして現場のお花を交換に行きました。昨日はお昼からの大雨予報通りに、現場に着くことには雨が降っていました☂雨のたびに思うんです、「これはさえりんの涙」なんだと・・・(>_<)私たちがお花の水を替えて古いお花を片付けているうちに、雨は小雨になってきました。さえりんは見てるのかな??パパとママが毎週お花を替えに来ることも、ママが今でも毎日紗愛理に会いたいって思っていることも・・・みんな知ってるのかな??だったら、どうしてママに話しかけてくれないのかな??「ママずっと大好きだよ♡」って大きな体でギュッと抱き着いてくれないのかな??「ママ疲れてない??マッサージしてあげようか??」って優しく私を気遣ってくれないのかな??私は紗愛理が側にいてくれるだけで幸せだったんだよ。ただ生きていてくれるだけでそれで良かったのに・・・どうして、こんなことになってしまったの???なんで、私は雨の中こんなところでお花を供えてるんだろうって思ったら急に泣きたい気持ちでいっぱいになりました(>_<)(昨日お昼過ぎのさえりん事故現場)私はこの現場に来るたびに思うことがあります。私たちはこれから先も、来年も再来年も5年後も10年後も20年後も、死ぬまでずっとここへお花を供えに来てずっと紗愛理のことを思い続けて生きていくんだと。でも、加害者はどうなのだろうか??いったい何を思い、何を考えているんだろうか??自分の過失を認めているのでしょうか??自分が奪ってしまった命の重さを考えたことがあるのでしょうか??紗愛理に申し訳ないことをしたと、今でも思っているのでしょうか??見えなかったから仕方がなかった??過失だから殺人をするつもりではなかった仕方ない??だからといって、加害者のことを簡単に刑務所にも入らずに許されるなんて、納得できる親がこの世のどこにいるのでしょうか??テレビやネットのニュースでは、盗みをして懲役何年、危険運転だから懲役何年、人を複数轢き殺したから禁錮何年・・・私はボーっと漠然と見ながらこう思うのです。たとえば、お金や物を盗んだからと刑務所に入るのにどうして人を殺しても刑務所に入らず済んでしまう人がいるの??飲酒をして信号無視をしてスピードを出し過ぎて危険運転になり刑務所に入るのに、どうしてただの過失運転だと執行猶予がついて簡単に許されるの??何人亡くなろうとたったひとりだろうと大切な子供が亡くなったことに何の変りもないのに、どうして実刑にならないの??私のこの世の常識と、法律への疑問は募るばかりです!!飲酒運転、無免許、信号無視、スマホながら運転、あおり運転、スピード違反などの罪が重なると人は、酷い事故だから実刑になるべきだと言います。だけど、ただのついうっかり過失運転の場合は罪が少ないから執行猶予がついても仕方ないと人々は言います。でも私は言いたいのです!!たとえただの過失運転だって、なんの罪もない娘が一方的に轢き殺された事実は変わらないのに、どうしてこんなにも罪の重さに違いがが出るのでしょうか???理不尽に奪われた命の重さは何ら変わりはないというのに!!私は世間の常識に異を唱えたくなるのです!!私の言っていることはオカシイのでしょうか???現場に行くとあの時の悔しさが蘇り、今も一生忘れることが出来ません!!加害者も運送会社も、パフォーマンスで毎月4日より1日前の3日の夜に形だけのお花を現場に供えに来ても、なんの慰みになっていないんだという事に、気付いて欲しい!!自分が犯した罪を認めて謝罪する気持ちがあるのなら、どうして我が家に謝罪に来ないのでしょうか??紗愛理の遺影に向かって「ごめんなさい」と言えないのでしょうか??人の物を壊したり盗んだりするよりもっと酷いこと、人の命を奪っておきながらどうして謝らない??どうして刑務所に入らない??どうして誠意を見せない??私には加害者の女の図太い神経も、加害者を庇って人としての正しい道を歩ませない運送会社の神経もわかりません!!何もかもオカシイとしか思えません!!事故直後に加害者が言った「一生かけて償います」っていったい何???運送会社も一度加害者を連れて我が家に来たらそれで謝罪は完了したとでも思っているのですか??物を壊したなら保険で弁償すれば済むかも知れませんが、人を殺したらいくらお金を支払ってももう取り返しが付かないことを、この人たちはわからないのでしょうか???紗愛理の命の重さってお金に代えられるほど、そんな簡単で安いものだったのでしょうか???せめて、自分も子を持つ親ならば・・・自分の子どもが同じ目に遭ったときこんな態度で許せるのでしょうか???自分の子どもだったらと考えたら、どうやって誠意を見せたら良いのかは、自ずとわかるはずではないんでしょうか????(さえりん11歳の時 半田市亀崎海岸で遊ぶ) 昨日は大雨の中さえりんの事故現場へお花を供えにいったら、本当に虚しくて悔しくて、許せない気持ちでいっぱいになってしまいました(>_<)普段はボランティア活動をすることで紛れていた、深い悲しみ憎しみ身を切られるほどの痛みが、どっと押し寄せてきたのです。やっぱり娘を喪ってたったの2年、まだまだグリーフの悲嘆の真っ最中だったのだと、あらためて気付かされるのです・・・いつまでも人を恨んでいる、こんな醜い心のママでごめんね・・・さえりん・・・(>_<)最近、心が病んでいます・・・秋の空気と雨せいでしょうか??お彼岸だからでしょうか??ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lin.ee/aThfM2Z
2021年09月23日
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一昨日の民事裁判の帰りの車中でN弁護士に尋ねました。「これから尋問が始まったらこちらは私が受けようと思いますが、相手側は加害者が出てくるのでしょうか??もし加害者が来るなら直接質問をする機会は頂けるのでしょうか??」と。N弁護士は「それはまだわかりませんが、裁判官にはそのようにこちらの意向は伝えます」と言われました。私にはもし実現したら、きっとこれが加害者と直接対話できる最後のチャンスのように思えるのです。さえりんを殺した加害者は事故2日後に運送会社の社長たちに連れられて我が家へ一度謝罪に来て「一生罪を償います」と言い涙を流したにもかかわらず、その後2年3ヵ月経っても一向に知らん顔です!!何をどのように一生償うのだろうか??私はずーっと疑問でなりませんでした!!あれはただのパフォーマンスだったのでしょうか??その場しのぎで自分の罪を軽くしたいだけの、真っ赤な嘘だったのでしょうか??私はこの歳月ずっとずっと加害者にそのことを聞きたかったのです!!「あなたの紗愛理に対する謝罪って何ですか??あなたは子どもの命を無残に奪われた母親の気持ちがわかりますか??私のブログを読んで感想を送って下さい」いつか私が加害者に伝えたかったことです!!もしも、加害者に尋問の機会を頂けるならきっとこれが最初で最後のチャンスなんです。この先民事裁判が終われば加害者はもうこの事故のことは過去の汚点だと記憶からも消し去るような気がするから。私たちがどれだけ向き合おうとしても、加害者は会社を隠れ蓑にしてうまく逃げることは今もこれからもわかりきっているから!!だけど、私は諦めませんから!!私にとって、加害者にしてもらいたい償いは、会社のお金で会社のお膳立てで形ばかりの月命日の現場への献花なんかではありません!!加害者が自分の意思で、紗愛理の遺骨の前で跪き心からの謝罪と反省をすることです!!そうでなければ、紗愛理は浮かばれず、突然理不尽に愛娘の命を奪われた私たち家族の、憎しみ恨みは一生消えないでしょう!!民事裁判を起こしたのもお金の為ではなく、そのためなんです!!それが実現するまで私は、この加害者と戦い続けなければならないのです!! 一昨日ネットニュースで「池袋暴走・飯塚被告控訴しない意向固める 禁錮5年確定へ」と出ていました。「遺族に対して本当に申し訳ない」「裁判所の決定に従い、監修を受け入れ、罪を償いたい」と飯塚被告は話したと、書いてありました。ここまで世間を騒がせなければ自分の犯した罪を認められないこの被告の依怙地さには呆れますが、それでもようやくご遺族の想いが叶ったのだと思います。たとえこの被告が刑務所に入っても大切なお2人の命は還ってきませんがそれでもご遺族の「罪を素直に認めて償ってほしい」という最後の願いは届いたのだと思います。私には果たして、このような日は訪れるのでしょうか??それはこれから私たち遺族と、さえりんの加害者の女トラック運転手が、どのような形で決着をつけられるかにかかっているのだと思います!! 一昨日はちょっとビックリ(゚д゚)!嬉しいことがありました!!ブロ友さんからのLINEでこんなことを教えて下さいました。お子さんを交通事故で亡くされたブロ友さんが、久しぶりに古くからのご友人に会ったとき話の流れでさえりんのストラップを見せたら、そのご友人が「さえりん、知ってるよ」と言われたのだそうです。なんと!?そのご友人はお子さんを亡くされた友達の気持ちをわかってあげたいと、ネットでこのブログを見つけて読んでくださっていたそうなんです!!ブロ友さんもとてもビックリされて、私にLINEをくださったのです。私もとってもビックリしたのと、とっても嬉しくなりました!!こんなお恥ずかしいような感情剥き出しの拙いブログですが(^-^; 私がこのブログをはじめたきっかけの「子供をある日突然亡くした親はこの先どうやって生きていくの?」という疑問をmeronさんが道しるべだったように、私の実体験を赤裸々に発信することで、もしかしたら私と同じように悩んでいる方に少しでも「あなたは決して独りではないんですよ!」とお伝え出来たらという想いが、ほんの少しでもお役に立てたような気がしたのです。改めてさえりんのお空のネットワークの凄さを感じました!!見知らぬ遠い地でこのブログを、大切なお友達の為に見つけて下さった方は、とってもお優しい方だと思います。お友達をご心配されるそのお気持ちがさえりんのお空のネットワークと繋がったのだと心から感謝いたします。「何も言わなくてもいいんです。どうかそのお友達に『いつでも傍にいるよ』とそっと寄り添ってあげて下さいね」ただそれだけで、あなたの優しさは必ず伝わりそのあたたかい気持ちは、いつの日かきっと彼女が前を向く勇気に繋がると思うから。だからその時がくるまで、いつまでもいつまでも、そっと傍にいてあげてね♡私もブロ友さんのLINEから、これからも前に進む勇気を頂きました!!本当にありがとうございました(⋈◍>◡<◍)。✧♡(さえりん11歳の時 家族でお出かけ) 今日でこのブログ「さえりんの部屋」を開設して、2年になりました!!「子どもを亡くした親はこの先どうやって生きてゆけばいいの?」そんな疑問を抱えてのブログスタートでしたが、その答えは自分で見つけてゆくのだと、気付かせていただいたのも、このブログの皆様との関わりのお蔭様なのです!!この2年間本当にお世話になりました!!ありがとうございました!!これからもまだまだ続けていきますので、どうかよろしくお願いいたします♡ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lin.ee/aThfM2Z
2021年09月17日
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先日、ボランティアメンバーさんがLINEを送ってくださいました。そのメンバーさんの職場の個人病院の受付に「ストラップを置いて頂きました」と写真を添えて。院長先生のご厚意で置いて頂き病院のホームページでもご紹介下さったそうです。本当にありがとうございます(*^^*)そしてご自分で作ったストラップをお届けして下さるYさん本当に助かります!!(知立市 高野ウエルネス内科医院にストラップを置いていただきました)N弁護士から頼まれた家族の想いを伝える陳述書。最後は妹からの想いです。陳述書紗愛理と妹との関係 長女紗愛理と2歳4ヵ月違いの妹は産まれた時から紗愛理と一緒に共に成長し笑ったり泣いたり喧嘩をしたり一緒に遊んだり毎日毎日共に過ごしました。未熟児で生まれた妹にとって姉紗愛理は目標とする憧れの存在でした。物心がついたときから紗愛理の真似をして後をついて回りました。お姉ちゃんみたいになりたくて高いところへ登ったり、ブランコをビュンビュン漕いだり、いつも紗愛理の後を追いかけて、お姉ちゃんが大好きな妹でした。2人がまだ幼稚園の頃こんなことがありました。私が用事で出掛けた時、当時5歳くらいだった紗愛理に妹の世話を頼んで2人で留守番させたことがありました。すぐに用事を済ませて帰るはずだったのが遅くなってしまいお昼をとうに過ぎてしまいました。慌てて帰ると、紗愛理が台所の椅子にのってご飯をよそっておにぎりを作って3歳の妹に食べさせていました。紗愛理は全身ご飯だらけになりながら「妹がお腹が空いたって泣きそうだったからおにぎり作ってあげたんだ」と得意げに言いました。私はそんな紗愛理が愛おしくて抱きしめました。妹もお姉ちゃんがいてくれたから泣かずに2人でいい子にしていられて、姉には絶対的な信頼を持っていました。「お姉ちゃんがいてくれたら大丈夫なんだ」妹の心の中にはいつも姉が大きく存在しているんです。紗愛理が社会人になると必ずお給料で妹にお小遣いやお年玉をあげていました。それ以外にも妹の高校や大学の定期代なども、紗愛理が支援してくれました。妹が「お菓子が食べたい」と言うと袋いっぱいのお菓子を買ってきたり、出かけた時は必ずお土産を買ってきてくれていました。妹は私に言いました。「お姉ちゃんにいつも貰ってばかりなんだけどいいかな?」と。私は「いつかあなたが社会人になってお給料をもらったらお姉ちゃんにたくさんお返しできる日が必ず来るよ。その時まで甘えたらいいんだよ」と。妹は嬉しそうに頷きました。しかし、とうとう永遠にお返しできる日は来なくなってしまいました。妹は自分の想いをあまり口に出すのが苦手な子ですので、面と向かって姉を亡くした悲しい想いを言いませんが、時どき一人で姉を想って泣く日もあるのです。たまに「こんな時、お姉ちゃんがいたらなあ」と不意に言うときもあります。「友人の姉妹の話や将来のことを考えた時、自分は親が亡くなったら独りぼっちになるんだと思い不安になる」と言います。妹は「生まれた時からずっと当たり前のように一緒だった大きな存在の姉が、亡くなって初めて本当の意味で姉の偉大さに気付いた」とも言います。私も将来のことを考えると妹がこの先、心から頼れる存在がいなくなってしまったこと、この世でたった独りのかけがえのない大好きな姉を亡くした喪失感の大きさを考えると、親としていたたまれない気持ちになるのです。祖父母のこと、私たち両親の老後、家や土地、墓を守る事、全ては妹独りの肩にかかってしまいました。せめて、紗愛理が生きていたら相談できる相手や悩みを打ち明けられてどれほど救われたのだろうかと妹が可哀そうな気がしてなりません。妹は姉が突然、理不尽な交通事故で亡くなった現実をこれから一生背負って生きてゆかなければならず、思春期に傷ついた心の影響はこの先も一生癒えることはありません。「大好きだった優しい姉を返して欲しい!」永遠に叶うことのない、妹の心からの願いです。(さえりん11歳の時 おじいちゃんのお誕生日にケーキ🎂作ったよ) 昨日は実は、また新たな展開が・・・\(◎o◎)/!私は午前中と午後人と会い、私が何故ストラップを作り無料配布しているのか何故ボランティアにじいろ会を立ち上げたのか、これからどうなっていきたいのかを力説しました。これからの道は自分で考え主人や春日井支部のOさんや知立のメンバーさん達と相談しながら、切り開いていかなければならないと強く感じた一日でした。気が付けばもう一日が終わるころには、クタクタでした・・・(;'∀')みなさまのブログにまたお邪魔できずに、本当にごめんなさい。ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lin.ee/aThfM2Z
2021年09月02日
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昨日は午前10時に安城市社会福祉協議会でボランティアメンバーTさんと待ち合わせました。昨日は安城市のボランティアセンターにもにじいろ会の登録をするためです。8月中旬に一度伺っていますので書類をそろえてきたのですぐに提出できました。その時私は安城市にはもう一つ安城市ボランティア連絡協議会があると聞いていたので、そちらも申し込みたいとお願いしました。すると、係りの方が「安城市民活動センターへ登録へ行って下さい」と言われ、場所を聞いてそちらへもTさんと行きました。そこは初めてにもかかわらず丁寧にセンター長さんが対応して下さり、その場で登録させて頂きました。すると、センター長さんが「そういう活動ならぜひ協力したいです。一度市役所の市民安全課へも行かれたらどうですか?」と連絡してくださいました。手続きを終えた私たちは早速、安城市役所へ向かいました。すると市民安全課では突然の訪問にも関わらず課長さんはじめ4名の職員の方々が対応して下さいました。私がストラップを持参すると、市民安全課のお二人の方はもうすでに持っていらっしゃいました。にじいろ通信も一緒に。「いったいどこでいただかれたのですか?」と聞くと、安城🐨コアラドライブへ生命のミニメッセージ展を見に行ったときに、校長先生から頂いたそうです。そして「メッセンジャー紗愛理さんにも会ってきました」と言われましたΣ(゚Д゚)市民安全課の方々はこの、にじいろ会の活動に興味を示して下さり、今はコロナですがもしまたイベントや交通安全運動などあったときは声をかけて下さる事に。私はこうして偶然な繋がりで、ストラップが目には見えないところでいつの間にか広まっていく不思議さを実感しました!!やっぱりすべては、さえりんのお空のネットワークで広まっているんだと!! 昨日に続き、今日は義母と紗愛理との関係について書いた陳述書を載せようと思います。母は今でも毎日のように紗愛理を想い泣いて過ごしています。そして、私にこう言います。「栄子ちゃん、私はもう年だし持病もあるからさえちゃんの為に何もしてあげられない。ただ泣いてあげることしか。でも栄子ちゃんたちは紗愛理のために交通死亡事故を無くすために頑張って活動しているのを陰から、いつでも応援しているからね・・・(>_<)」と。陳述書紗愛理と祖母との関係 義母は男の子2人しか授かりませんでした。本当はもう一人女の子の子供が欲しかったのですが家庭の事情で叶いませんでした。そのため、同居生活の中で生まれた初孫紗愛理のことをそれはそれは自分が欲しくても産めなかった娘同然の可愛がり様でした。産院で初めて紗愛理と対面した時、涙を流し私に「元気な女の子を産んでくれてありがとう」と心底喜びました。家に戻ってからも紗愛理をまるで我が娘のように添い寝したり、オムツを替えたり、お風呂に入れてくれたり、まるで第2の母のようでした。義母は紗愛理のことをいつも「さえちゃん」と呼びどこへ行くも何をするもご飯を食べるのも、夜寝るとき以外はずっと一緒に過ごしました。毎日夕方になると紗愛理を近くの公園や小学校へお散歩に連れて行きました。小さい頃はベビーカーを押して、少し大きくなると三輪車や、手を繋いで歩いてお散歩をするのが毎日の日課となりました。いつも公園で長い時間ずっと喜んでブランコに乗り続ける紗愛理をいつまでも温かい優しい眼差しで見ていてくれました。私は義母が紗愛理を連れて出ている間に食事の支度や家事をしていました。義母は義父と共に紗愛理を毎週のように遊びに連れて行きました。幼稚園や小学校の行事はもちろん、私と主人抜きで、義父と義母と紗愛理と妹の次女と4人で北海道や九州に旅行へ行ったこともありました。義母は紗愛理が小さいころから編み物で帽子やベストやカーディガンやセーターやひざ掛けなどたくさん編んでくれました。紗愛理が2,3歳の頃、よく庭の大きな石の上に登って「あーちゃん!」と言って祖母の胸に飛び込んで遊ぶのが楽しみで、祖母は紗愛理を抱きとめてはぎっくり腰をしていました。私は義母に「紗愛理はケガをすることなく飛び降りることも出来るので受け止めずに逃げて下さい」と言うのですが、義母は「こんなこと可哀そうで出来ない」と言いぎっくり腰になることを承知で紗愛理を受け止めていました。それほどまでに紗愛理は自分の身を犠牲にしてでも守ってあげたい最愛の孫だったのです。「紗愛理の為なら私は命を投げ出せる」とまで言っていました。それは母親である私と同じ気持ちです。紗愛理もそんな祖母に甘えて時にはわがままを言ったり、喧嘩をしたり言いたいことを言っても、この人は絶対に自分のことを大事に思ってくれるんだと絶対的な信頼を寄せていました。それはただの祖母と孫の関係だけではありません。もはや母娘のような深い信頼関係と強い絆で結ばれた関係だったのです。 紗愛理が事故で亡くなったと連絡を受けた時、私と義母は抱き合って悲しみにくれました。その日の朝、先に出かけた私に代わって最後に紗愛理を仕事へ見送ったのが義母でした。「さえちゃん車に気を付けていってらっしゃい。お仕事頑張ってね。」と手を振り玄関から見送ったのが紗愛理の最後の姿でした。義母は、どうして交通ルールをしっかり守る紗愛理が青信号の横断歩道上で何も悪くないのに、こんな事故に巻き込まれて死ななければならなかったのか、最後に見送った自分にも責任があるのではと深い後悔と自責の念に駆られ、持病の心臓の疾患が悪化して寝込みました。通夜にも参列できず、葬儀には式だけ参加しましたが悲しみのあまり耐えきれず持病も悪化したため途中で家に送り、出棺も火葬場へもその後の法要にも参加できませんでした。我が娘以上に可愛がっていた最愛の初孫娘の死は義母にとってあまりに過酷で「どうして自分が代わりに死んであげられなかったのか!」と2年以上たった今でも、あの時の深い後悔の念に苛まれ持病に加え心まで病んで今でも毎日泣いて暮らしています。一生、紗愛理を亡くしたのは自分のせいだと自分を責め続ける義母を私は側で見ているのもこれ程辛いことはありません。(さえりん11歳の時 お正月)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lin.ee/aThfM2Z
2021年09月01日
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