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四月二十五日ばんに気分悪し。二十六日病気増し。医師服薬、祈念、神仏願い、病気のどけ(のどの病気)に相成り。もの言われず、手まねいたし、湯水通らず。九死一生と申し。私は心実正、神仏へ身任せ。家内に、外へ出て仕事いたせと手まねいたし。
身内みな来て、小麦打ち、てご(手伝い)してくだされ。小麦打ちやめて心配、とてもいけんと、もの案じ。宇之丞を育てにゃよかったにのう。死なれてはつらいものじゃと、みな思案いたし。仕事どころかと申し。それでも、なんでも早うにかたづけて、神様願うよりしかたなし。親類寄って、神々、石鎚様、祈念願い申しあげ。
新家治郎子の年へおさがりあり。普請わたましにつき、豹尾、金神へ無礼いたし、お知らせ。妻の父が、当家において金神様おさわりはないと申し、方角を見て建てたと申し。そんなら、方角見て建てたら、この家は滅亡になりても、亭主は死んでも大事ないか、と仰せられ。
私びっくり仕り、なんたこと(なんということ)言われるじゃろうかも思い。私がもの言われだし、寝座にてお断り申しあげ。ただいま氏子の申したは、なんにも知らず申し。私戌の年、年回り悪し、ならんところを方角見てもらい、何月何日と申して建てましたから、狭い家を大家に仕り、どの方角へご無礼仕り候、凡夫で相わからず。方角見てすんだとは私は思いません。以後無礼のところ、お断り申しあげ。
戌の年はよい。よし。ここへ這い這いも出て来い、と。今言うた氏子の心得ちがい、其方は行き届き。正月朔日に、氏神広前まいり来て、どのように手を合わせて頼んだら(頼んだか)。氏神はじめ神々は、みなここへ来とるぞ。
○
治郎さん(奥様の弟)が先達となって、石鎚の神様に病気平癒をお願いしている時、神様のお知らせがありました。
「普請わたましにつき、豹尾、金神へ無礼いたし」と、37歳の時の母屋建築につき、厳しい神様からのご指摘でした。
当時、そのように神様から言われた時には、その指摘に負けず、抗弁しなければならないとされていました。ですから、八百蔵さんは、
「当家において金神様おさわりはないと申し、方角を見て建てた」と言ったのです。
八百蔵さんにしてみれば当然のことでした。婿のしていることは、八百蔵さんから見ると丁寧すぎるぐらい丁寧で、方位家の言われる指示には、きちんとその通りに守ってきたからです。それを見ているのですから、抗弁も自信をもってのものだったと思われます。
その抗弁、そして、その抗弁に対するさらなる神様からのご指摘「そんなら、方角見て建てたら、この家は滅亡になりても、亭主は死んでも大事ないか」を聞いて、教祖様はびっくりされました。
そして、心からのお詫びをされたのです。
そのお詫びの内容が「私戌の年、年回り悪し、ならんところを方角見てもらい、何月何日と申して建てましたから、狭い家を大家に仕り、どの方角へご無礼仕り候、凡夫で相わからず。方角見てすんだとは私は思いません。以後無礼のところ、お断り申しあげ」というものでした。
ここに「凡夫」という言葉が出てきます。
「方角見てすんだとは私は思いません」という言葉も出てきます。
神様のご都合、神様のお恵み、神様のお徳の中で建築ができているにもかかわらず、そのことに思いを致すことなく、方角日柄を見ると言うことは、結局は自分の都合を通すための方便であった、ということに気づかれたのです。
そういう自分のありようを「凡夫」と言われたのだと思います。
この自覚とお断りが神様への道を開いて行かれたということになりました。
この教祖様のあり方に対して、八百蔵さんのあり方は対照的です。
○
今日は、ライフ・アップ・セミナーでした。
今日のライフ・アップ・セミナーは、この部分を読ませて頂きました。
読みながらわたしは、八百蔵さんは、われわれの姿だと思いました。
教祖様が信心の道を開いてくださって、こうすればいい、ということを教えて下さっているのに、それができません。ともすれば、自分の都合、自分の側の都合を言い立て、主張しています。神様に対しても、人に対しても。
八百蔵さんは、当時の人としては、当然言うべき事を言ったのでした。当然のことを言って下さったから、教祖様の自覚とお断りが生まれたのです。
ですから、八百蔵さんもまた信心の恩人です。
人間(自分)の都合を言い立てる姿をも現しておられますから、鏡となって下さっています。
そんなことを思って、今日は42歳のところを読ませて頂きました。
八百蔵さん と わたし 2008.04.09
残念至極としじゅう思い暮らし 2007.02.06