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平成20年5月3日(土) 晴れ先の記事に書いた池亀徳和氏の話は、「あいよかけよの生活運動を進める 父の信心を頂く」という講題でした。その中で、言ってくださったことです。近所に末期ガンの男の人がいる。その人に、御神米をもっていってあげたかった。その人の奥さんに言うと、奥さんは仏教の信心を進めている人で、御神米のことは受け入れてくださる感じがなかった。ある時、自宅の御神前で毎日の御祈念をし、御祈念が終わってふと前を見ると、三つ折りにした印刷物が目に入った。5年前、札幌南教会の50年記念祭でお直会として頂いた御神米入れに入っていた天地書附の説明だった(このプリントは、わたしが書いたものです。御神米入れに教祖様による天地書附を入れていたので、天地書附の説明を書きました)。なぜこの印刷物が目の前にあったのか、分からない。神様が見せて下さったとしか言いようがない。この印刷物を見て、天地書附の大切さを改めて感じた。この印刷物を見たあと、夢を見た。胃癌の人と抱き合っている夢だった。「これは御神米を受け取って下さるかも知れない」と思った。御結界にお届けし、御神米と御神米で作った重湯をその人の所にもっていった。喜んで受けてくださった。御神米は10日ごと、重湯は3日ごとに持っていった。ある日、その人は車のタイヤ交換をしていた。末期ガンで大変な状態であるはずなのに、どうしたのかと思って尋ねると、きわめて体調がよいとのことだった。天地書附の説明のプリントを読まなければ、この働きは起こってこなかった。こんな話をしてくださいました。わたしの書いたものがきっかけになったかも知れませんが、それはもちろん、池亀さんが日頃から、御神米をもって難儀な人を救い助けようとしておられるからであることは、言うまでもありません。わたしの書いたものがそのお役立たせて頂けたとしたら、これにすぐる喜びはありません。
2008.05.03
平成20年5月3日(土) 晴れ今日は、御大祭でした。4月23日から昨日まで、「大祭奉迎信行期間」を設定し、「行願」に取り組みました。* 「神も助かり氏子も立ち行く」大祭をお仕えさせてください。* お天気のご都合お繰り合わせをお願いします。「お茶断ち」をして、この二つを願いました。すなわち、水・お湯を頂くたびに、心中でこの二つを御祈念しました。そして、定時の御祈念でもお願いをしました。お茶の中には、お酒、ジュース、コーヒー、紅茶も入れました。ただ、期間中に関係教会に大祭にお参りさせて頂き、御用する時に出されるお茶は頂く、と決めていました。そして、もうひとつ、決めていたことがあります。それは、2日の夜に、教話講師と食事を頂く際のビールです。これも、飲むことに決めていました。○教話講師は、釧路教会在籍の輔教、池亀徳和(いけがめ・のりかず)氏にお願いしました。池亀氏は、2日、釧路から出てきて夕方6時前に、当教会に参拝されました。その時は、すっかり大祭準備ができておりました。一緒に池亀氏の宿泊するホテル(第一ホテル)に向かい、そのホテルで食事を頂きました。池亀氏との語らいは、楽しいものでした。聞かせてもらいたいこと、聞いてもらいたいことが泉のように湧き出して、時間の経つのを忘れました。ビールも実においしかったです。グラスビールを3杯頂きました。ほんとは、もっと飲みたかったです。ちょうど気持ちよくなりかけたところでした。でも、そこでやめました。翌日のことを考えてのことです。自制しました。○8時20分頃に教会に帰りました。教会に帰ると、下足箱の設置の工事をして下さっていました。このたびの大祭から、大祭だけの下足箱を作ることにしたのです。組み立て式の下足箱です。設置が終わって、わたしは、台所でおにぎりを一つ頂きました。おにぎりは、昨日の昼ごはんの残りです。飲んだあとのおにぎりは、おいしかったです。そして、寝ました。寝たのは10時半頃だったと思います。○夜中の2時前、胃の痛さで目がさめました。強烈でした。痛くて痛くて、体を横にしていることができません。立ったり座ったり、横になったりを繰り返しました。1分と寝ていることができませんでした。こんな痛みは生まれて初めてです。声が出てしまいます。「この痛さでは、お祭りがお仕えできない。どうしよう」と思いました。「いや、きっと神様がお仕えさせて下さるはずだ。大丈夫だ。・・・。でも、この痛さでは、お仕えできない」そんなことを繰り返し繰り返し思いました。家内が起きてきて、背中をさすってくれました。背中をさすってもらうと、少しは楽です。御神米を頂きました。そして、太田胃散を頂きました。「金光様、金光様」と念じながら、おなかをさすりました。○結局、朝まで眠ることはできませんでした。明け方に、強い風が吹き始めました。恐ろしいぐらいの強風でした。お天気のご都合お繰り合わせも頂けないのか、と思いました。しばらくすると、風は治まりました。「お天気のご都合お繰り合わせは頂いた」と思いました。朝6時の御祈念は家内に先唱を頼み、わたしは、後ろから拝みました。途中で退席しました。そして、横になりました。やはり横になっていることができませんでした。家内と当日の準備をぼつぼつ進めました。7時頃に、御用の方が1人来られました。その方と準備を進めました。でも、辛抱たまらず、横になりました。今度は横になれました。御用の方が、家内と朝ごはんを頂いておられる20分か30分、トロリとしたでしょうか、目がさめると、痛みは治まっていました。「これなら、お祭りができそうだ」と思いました。○こんな時は、パニック障害の兆候が出やすいです。事実、兆候が出始めていました。胃にも違和感があって、いつなんどき、痛みが始まってもおかしくないという状態でした。お祭りは、黒衣でお仕えしました。祭詞の奏上が終わった頃から、少しずつ少しずつ、体が元気になり始めているのが分かりました。○教話は、すばらしいものでした。その内容については、項を改めて書きます。教話のあとの教会長あいさつで、行願に取り組んだこと、そして、胃が痛かったという顛末を話しました。お天気は、すばらしいお天気を頂きました。当教会のお祭り(当教会だけに限りませんが)の時は、いつもいいお天気を頂きますが、行願に取り組んで頂くいいお天気は、格別のものでした。そのことを話したあと、ビールの話をしました。「お茶断ちで例外を作りました。やはり、例外を作ってはいかん、と神様が教えてくださったと思います」と言いました。
2008.05.03
平成20年4月29日(火) 曇り今日は、夕張教会の御大祭でした。8時20分に車で教会を出発して、夕張に向かいました。お参りされる御信者さんと一緒です。御大祭は11時から。夕張までは1時間半ですから、ゆうゆう間に合う計算です。274号線を走っていた時、なぜかしら赤信号にひっかかりました。赤信号で止まる → 青になって進む → 次の赤信号でひっかかる・・。これを繰り返してしまうのです。「どうしてかな?」と思っていたら、気づきました。信号を通るたびに「ありがとうございます」とお礼を言うことにしていたのに、それを忘れていました。神様がお礼の催促をされていると思いました。お礼を言い始めたら、ひっかかることがなくなりました。○夕張教会には、10時頃に着きました。予定通りです。御祈念をさせて頂いて、お届けをさせて頂きました。「御大祭おめでとうございます。お引き寄せを頂きまして、ありがとうございます。本日は、参列の御用、また、教話の御用をお仕えさせて頂きます。なにとぞ、御用がつとまりますよう、お願い申し上げます」そして、自分のパニック障害のこともお届けしました。「パニック障害には、広場恐怖という特徴があります。広いところが恐ろしいのではなく、拘束された状態がいけなくなります。快速の満員電車に乗って自由降りられないとか、飛行機とかがそうです。器質的な問題はないのですが、動悸・息切れ・めまい・冷たい汗・ふるえがきます。とても苦しいです。祭員の御用をしている時には、一種の拘束された状態になりますので、そのような症状が出やすいです。どうかそうなりませんよう、お願いします。万が一、そうなりました時は、退席させてください。しかし、退席は、神様とお参りされている方に御無礼ですので、そうなりませんようお願い申し上げます」ずいぶん自分中心のお願いですが、そのように申し上げました。そして、下げて頂いた御神米を半分頂き、改めて御祈念しました。また、薬(メンビット)も頂きました。祭員の先生方にも自分の状態をカミングアウトし、御祈念をお願いしました。私のお役は、先唱役でした。症状が出始めると、声も出なくなります。お祭りの始まった当初は、若干のめまいを感じましたが、そのうちにどんどん体調がよくなっていき、何ということもなくお祭りをお仕えすることができました。ありがたいことでした。○教話は、最初に、3月の終わりから東京で働き始めた絢のことから話に入りました。とてもおかげを頂いているという話です。講題は「神の願いに生きる」ということにしました。このブログで三宅美智雄先生に教えて頂いている「行願」が教話のヒントになりました。お話の最中は、体のことはすっかり忘れて、話に集中することができました。教話が終わって控室に帰ったら、参列をされた先生が「今日の話をうちでもしてもらいたい」とおっしゃってくださいました。ありがたくお受けしました。うれしかったです。○教会に帰ったのは、4時前でした。お礼の御祈念をして、ふと顔を上げると、御神前と御霊前に花がお供えになっていました。家内が「絢から花が届いた。メッセージが付いているから、読んでください」言いました。お父さん、お母さんへ実は4月10日に少しだけお給料を頂いたのです。本当に少しだったので、ほんの気持ち分のものしか買えないけど、私の給料で、お父さんお母さんにプレゼントだよ。北海道のラベンダーを東京で買って、また北海道に送ります。元気で楽しく、友だちもいて、順調にやってるよー!!父ちゃん母ちゃんも元気でねー!太っちゃだめだよ。おばあちゃんによろしく。あやより読んでいたら、胸が詰まってきて、涙がこぼれそうになりました。ありがたいです。「私の給料」が赤字になって、強調されていました。御霊前にお供えしてある花は、チューリップでした。今日お参りされた方が、お供えされたとのことです。御自分家の庭で育てておられるものです。つぼみなので、これから花が開くと思います。尊い尊い真心の結晶です。霊様がどんなにお喜びでしょうか。○・・というように、今日はUTAが次々とありました。なんとも言えません。ありがとうございます、ありがとうございます、とお礼ばかりです。
2008.04.29
平成20年4月25日「朝日新聞」(5月25日)の投書欄に「年寄り虐めず安楽死認めよ」という投書がありました。その要約です。後期高齢者医療制度は年寄りの懐に手を突っ込んで、はぎとる質(たち)の悪いものだ。私はここまで年寄りを邪魔にしてい虐めるなら、いっそ、もっと苦しめればいいと思う。ただ一つ条件がある。安楽死を法制化してもらいたい。高齢者を邪魔にし、早く死んでくれとの風潮の中に寂しく生きていくより、楽に死ぬ自由を与えられ、自らの意志で生死を選択できるなら、こんな喜びはない。ねんかん3万人余りになる自殺者にも同じ事が言えると思う。かくして、世の中には医療費を嵩張(かさば)らせる高齢者や世をはかなむ人々がいなくなり、元気な人々で満ちて国力も充実し、楽しい世の中が生まれる。なんと悲しい意見か、と思います。でも、このように考える人は例外ではないはずです。そのことは、山形市で、後期高齢者医療で悩んだことが原因と見られる無理心中事件が発生したことからも推測されます。この事件は、4月20日、58歳の男性が87歳の母親と無理心中したものです。○長生きできることが、当人にとっても周りの人にとっても喜びであるような社会になっていきたい、と切に思います。○長い間、ブログをお休みしておりました。三宅先生をはじめ何人かの方に、「どうしたんだ!」とご心配を頂いておりました。すみません。ぼちぼち復活します。
2008.04.25
平成20年4月9日(水) 晴れ6日のブログに八百蔵さんことを書いて、求めさせられていることがあります。それは、「八百蔵さんとは自分自身の姿である」ということです。八百蔵さんは、教祖様42歳の大患の時、当時の人としてはきわめて常識的な対応をしました。当時は神様の指摘に対しては強く抗弁しなければならないとされていましたから、当時の常識通りにしたのです。それに、八百蔵さんは娘婿がやることを逐一見ていたに違いありません。ですから、教祖様が丁寧すぎるほどに方位家の指示に従ったことを目の当たりに見ていたはずです。八百蔵さんの抗弁は、きっと自信をもってのものだったに違いありません。常識的であり、当時の理屈に合っており、正しいと信じたことはまっしぐらに実行する。八百蔵さんの行動様式は、このようなものではなかったでしょうか。そう考えてみると、まっしぐらに実行できるかどうかは別として、わたしの中にも「八百蔵さん」はいます。常識的で論理的、そして、正しいと思ったことを大切にする、という行動様式です。○教祖様は違いました。「心実正神仏に身任せ」「凡夫であい分からず」これが教祖様の御態度です。「凡夫であい分からず」をわたしなりの理解で表現してみると、こうなります。建築というものは、神様のおかげを頂いて始めてできるものである。天地の恵み、天地のお徳、天地のご都合を頂いてできるものである。それにもかかわらず、37歳の時の母屋建築は、自分の都合を中心にしたものであった。日柄方角を厳密に守るということは、神様のご都合にあわせているようでもあるが、その底には、自分の都合(死にたくない、家族が不幸な目にあいたくない)が厳然としてあったのだ。そのことが無礼になっていたのであり、自分が無礼を犯しているということが分からなかった。凡夫としか言いようがない。○常識・論理・正義の世界(八百蔵さんの世界)から凡夫の世界(教祖様の信心の世界)への転換が信心であろうと思います。わたしの中には、厳然として八百蔵さんがいます。わが心の八百蔵さんです。わが心に八百蔵さんがいるからこそ、わが心の神の働きの大切さがありがたく思えてきます。
2008.04.09
平成20年4月6日(日)古川八百蔵さんは、教祖様の奥様のおとうさんです。すなわち、教祖様の義父です。四月二十五日ばんに気分悪し。二十六日病気増し。医師服薬、祈念、神仏願い、病気のどけ(のどの病気)に相成り。もの言われず、手まねいたし、湯水通らず。九死一生と申し。私は心実正、神仏へ身任せ。家内に、外へ出て仕事いたせと手まねいたし。身内みな来て、小麦打ち、てご(手伝い)してくだされ。小麦打ちやめて心配、とてもいけんと、もの案じ。宇之丞を育てにゃよかったにのう。死なれてはつらいものじゃと、みな思案いたし。仕事どころかと申し。それでも、なんでも早うにかたづけて、神様願うよりしかたなし。親類寄って、神々、石鎚様、祈念願い申しあげ。新家治郎子の年へおさがりあり。普請わたましにつき、豹尾、金神へ無礼いたし、お知らせ。妻の父が、当家において金神様おさわりはないと申し、方角を見て建てたと申し。そんなら、方角見て建てたら、この家は滅亡になりても、亭主は死んでも大事ないか、と仰せられ。私びっくり仕り、なんたこと(なんということ)言われるじゃろうかも思い。私がもの言われだし、寝座にてお断り申しあげ。ただいま氏子の申したは、なんにも知らず申し。私戌の年、年回り悪し、ならんところを方角見てもらい、何月何日と申して建てましたから、狭い家を大家に仕り、どの方角へご無礼仕り候、凡夫で相わからず。方角見てすんだとは私は思いません。以後無礼のところ、お断り申しあげ。戌の年はよい。よし。ここへ這い這いも出て来い、と。今言うた氏子の心得ちがい、其方は行き届き。正月朔日に、氏神広前まいり来て、どのように手を合わせて頼んだら(頼んだか)。氏神はじめ神々は、みなここへ来とるぞ。○金光教教典 金光大神御覚書これは、安政2年4月、教祖様42歳の時の大患の御事績です。ここに八百蔵さんが出てきます。治郎さん(奥様の弟)が先達となって、石鎚の神様に病気平癒をお願いしている時、神様のお知らせがありました。「普請わたましにつき、豹尾、金神へ無礼いたし」と、37歳の時の母屋建築につき、厳しい神様からのご指摘でした。当時、そのように神様から言われた時には、その指摘に負けず、抗弁しなければならないとされていました。ですから、八百蔵さんは、「当家において金神様おさわりはないと申し、方角を見て建てた」と言ったのです。八百蔵さんにしてみれば当然のことでした。婿のしていることは、八百蔵さんから見ると丁寧すぎるぐらい丁寧で、方位家の言われる指示には、きちんとその通りに守ってきたからです。それを見ているのですから、抗弁も自信をもってのものだったと思われます。その抗弁、そして、その抗弁に対するさらなる神様からのご指摘「そんなら、方角見て建てたら、この家は滅亡になりても、亭主は死んでも大事ないか」を聞いて、教祖様はびっくりされました。そして、心からのお詫びをされたのです。そのお詫びの内容が「私戌の年、年回り悪し、ならんところを方角見てもらい、何月何日と申して建てましたから、狭い家を大家に仕り、どの方角へご無礼仕り候、凡夫で相わからず。方角見てすんだとは私は思いません。以後無礼のところ、お断り申しあげ」というものでした。ここに「凡夫」という言葉が出てきます。「方角見てすんだとは私は思いません」という言葉も出てきます。神様のご都合、神様のお恵み、神様のお徳の中で建築ができているにもかかわらず、そのことに思いを致すことなく、方角日柄を見ると言うことは、結局は自分の都合を通すための方便であった、ということに気づかれたのです。そういう自分のありようを「凡夫」と言われたのだと思います。この自覚とお断りが神様への道を開いて行かれたということになりました。この教祖様のあり方に対して、八百蔵さんのあり方は対照的です。○今日は、ライフ・アップ・セミナーでした。今日のライフ・アップ・セミナーは、この部分を読ませて頂きました。読みながらわたしは、八百蔵さんは、われわれの姿だと思いました。教祖様が信心の道を開いてくださって、こうすればいい、ということを教えて下さっているのに、それができません。ともすれば、自分の都合、自分の側の都合を言い立て、主張しています。神様に対しても、人に対しても。八百蔵さんは、当時の人としては、当然言うべき事を言ったのでした。当然のことを言って下さったから、教祖様の自覚とお断りが生まれたのです。ですから、八百蔵さんもまた信心の恩人です。人間(自分)の都合を言い立てる姿をも現しておられますから、鏡となって下さっています。そんなことを思って、今日は42歳のところを読ませて頂きました。
2008.04.09
平成20年3月9日(日) 昨日は土曜信行会でした。神前拝詞10巻を奉唱して、そのあと、お話をさせて頂きました。教誨師会30周年の記念事業として開催された公開講演会での話を自分なりにまとめて話しました。土曜信行会が終わってお参りされた方が帰り、2階に上がると子どもがビールを飲んでいました。わたしも頂きました。そのうち、子どもが質問しました。「おとうさん、神前拝詞を書いたのは誰?」「なんで、そんなことを聞く?」「神前拝詞て、同じ事を何度も何度も繰り返している感じがするから、書いたのは誰かなぁと思って・・」わたしは、いい質問だと思いました。○そうそう、それや。さっき言うたやつ。本多先生が講演の中で言うてた、一冊の週刊誌で1ヵ月遊べるというやつや。それ、やったらええんや。神前拝詞。思いきり突っ込みを入れるんや。同じことを何遍も繰り返しているような気がするというのもそれや。ようけあるはずや。それは、自分との闘いなんや。自分が浅いしょうもない人間やったら、ちょっとしか突っ込み、入れられへん。それがすんだら今度は、思いきりほめ倒すんや。これも自分との闘いや。自分が浅いしょうもない人間やったら、ちょっとしかほめることができひん。この二つをやってみ。そしたら、神前拝詞について自分なりの、ほんまの疑問が出てくる。そして、それが、おとうさんがいつも言っている「感じる自分作り」でもあるんや。○この通りのことを言えたわけではありませんが、こんなことを言いながら、本多先生てええこと言うて下さったんや、と改めて思いました。
2008.03.09
3月6日10時から教誨師会創立30周年の記念行事として、公開講演会があった。本部教庁1階ホール。講師は、漫才作家で吉本総合芸能学院(NSC=New Star Creation)の本多正識(ほんだまさとし)氏。この講演「他人(ひと)も自分もみな人」が実におもしろかった。本多氏は金光学園の出身。学園在学中に心臓発作で倒れ、その後数年間自宅療養。その間にラジオ番組の漫才コーナーに投稿し、11本連続で採用。それが出発点になって現在に至る。ナインティナイン、次長課長、ブラックマヨネーズ、レギュラーなど活躍中のお笑い芸人をNSCで指導。オール阪神巨人、ハイヒールなど多数の台本を執筆。氏の話の中で、覚えておこうと思ってメモをした言葉。話の中ではリアリティがあっても、言葉だけにしてしまうと色あせてしまうが、それは仕方ないとして・・。* (お笑い芸人に)向いている人と向いていない人とがいる。才能のある人は勝手に出ていく。向いてない人とは普通の人。向いている人とは、一日中、おもろいことを考えている人。* 自分は、「明日できることは今日やるな」と思うほうだが、今日にしかできないことは、今日やる。点滴を打ってでもやる。* 自分のことを好きになれ。そうすると、人に対してやさしくなる。感謝できるようになる。* おもろい漫才が書けた時は、このようにできること、ここにいられることは親・先祖のおかげだと思う。おもろいものが書けた時ほどそう思う。感謝を忘れてはいけない。* あいさつをしよう。* 愚痴を言わない。(人生の中で、生活の中で)やろうと思ったことはやる。反省はあとでなんぼでもできる。自分の好きな言葉「ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない」* 「なんや、大きいふたやな」ペットボトルをひっくり返して持って、本体の方を指して。「これがお笑いです」 * 壁の向こうに行く方法はなんぼでもある。乗り越えてもいい。右から回ってもいい。左から回ってもいい。 * 一冊の週刊誌があったら、1ヵ月遊べる。最初のページ。思いきり突っ込み倒す。次のページ。ほめ倒す* 自分は心臓発作を起こした。それがなかったら今の自分はない。辻本茂雄。あごがしゃくれてなかったら、今はない。コンプレックスはひっくり返すと武器になる。○本多氏は結局、YES WE CAN の世界を語っているのだ、とわたしは思った。話の最後に「質問は?」と言われた。とっさに手をあげる人がいなかったので、本多氏が話し続けた。実はわたしは聞きたいことがあった。とっさに手をあげることを臆してしまった。「反省はあとでなんぼでもできる」を地でいってしまった。わたしの聞きたいことは、「今、なんで おかま がはやるのか?」だった。残念。○11時半に講演会が終わり、教務総長室へ。30分ほど教務総長と話。午後、大阪へ。ある教会に参拝。夕食は、先生が焼肉屋さんに連れて行って下さった。おいしいおいしい焼き肉。久々に堪能。西中島南方のサニーストンホテルに投宿。大阪では、いつもここに泊まる。ロケーション、値段、スタッフ、部屋・・。申し分がない。○3月7日JRで京都へ。光り輝く道さんの教会へ。10時頃着く。12時まで話。話したいことがいっぱいあって、あっという間に時間が経つ。タクシーで京都駅へ。タクシーは堀川通りを南下。堀川高校の前を通る。運転手さんと新市長(=門川大作氏)の話。「今度の市長は、堀川高校ですね。高校生の頃、市長が住んでたのもこのあたりです。高校の時、ちょっとだけ友だちやったんです。今はわたしのこと忘れてると思いますが・・」「大作、いうたら、この前、岩倉で殺された大学生も大作といわはりました。わたし、あの辺、よう走りますねん」「そうですか。あの学生さん、精華大学でしたね。犯人、まだつかまってませんね」話はどこでどうとぶか分からない。京都では、関空特急「はるか」に乗った。12:45発。「はるか」は30番乗り場から出る。昔の山陰線乗り場。階段を上がったり降りたりしなくていいから楽。ホームの売店で、ミックスサンドとお茶を購入。景色を見ながら、ゆっくりと昼ごはん。これを楽しみにしていた。関空に着いたのは2時ちょっと過ぎ。「そや、切符、買うとこ」と思いついて、みどりの窓口へ。新千歳空港から札幌までの切符を購入。飛行機を降りてからばたばた切符を買わなくてすむ♪と、大満足。ところが、ここで大失敗。せっかく指定席のUシートを買ったのに、何をどう思ったか、時間を1時間読み間違って、飛行機に乗っている時に発車する切符を買ってしまった。飛行機の中では楽しく落語を聞いた。JR、地下鉄、タクシーと乗り継いで、教会に帰ったら6時。真史が大学を卒業して帰っていた。6日の晩に帰ったとのこと。「食べる食べる、飲む飲む」と家内があきれていた。
2008.03.09
3月5日ベネフィットホテルの朝。いつ寝たか覚えていないが、眼がさめたのはいつもの時間だった。朝の御祈念をした。チェックアウトの時、アンケート用紙を出した。「協力のお礼です」と言って、リポビタンD1本サービス。ありがたく頂いた。フロントで、山陽新聞購入。110 出かけたらわたしは、地元の新聞を読むことにしている。いつもは全国紙なので。駅前の高島屋の所から地下に潜って、地下通路を通り、改札口へ。切符 岡山 → 金光購入。5705番ホームから徳山行きに乗車。8:198:50 金光着。電車の中。新聞を夢中で。会堂地下のコインロッカーに荷物とコート。100お広前に上がって、御祈念。モデルを使って、参拝の様子を撮影をしていた。心ゆくまで御祈念をして、奥城に。教祖様奥城で御祈念して、三代金光様四代金光様奥城にいくべく歩き始めたら、O(オー)先生に出会う。「神さまがあわせてくださった」と喜んでくださった。しばし立ち話。三代金光様四代金光様で、再び御祈念。会堂にもどる。O先生も御祈念中。再び撮影中。金光様にお届けをするところを撮影するとのこと。係の先生が親しい先生だったので「なんの撮影?」と聞くと、ウェブ用とのこと。「ぼくをモデルに使ってよ」と言うと、笑われてしまった。なぜ?その撮影が終わって、金光様にお届け。教誨師会の会合に出席させて頂くということと、もうひとつ、大切なこと。お届けのあと、地階でお茶を飲みながら、O先生と話の続き。○その後、本部教庁へ。少年少女会連合本部、教会部、育成部へ。局長、部長、課長にあう。教務総長にも会いに行ったら、所用でおでかけとのだった。昼前に4階会議室へ。お昼の弁当は、ここで食べてくださいという案内だったので。行ったら用意されていた弁当は3ヶだった。弁当を食べていると、松江先生が来られた。松江先生は、三重県・日永教会の先生。懐かしい懐かしい三重県の話を聞きながら、一緒に弁当を頂いた。○13:20 お広前集合。13:30 会長先唱御祈念、お届け。そのあと、会堂北の間で記念撮影。教主金光様が一緒に入ってくださった。教庁4階会議室に移動して、総会。新たに教誨師になった先生が数人いた。その中の2人は、学院同期生。さらにそのうちの1人は、一年間同室で布団を並べて眠った仲。このたびは、役員の新たな選出があり、会長が交代することとなった。○総会のあと、宿舎の土佐家に移動。わたしの部屋は、2階の端っこだった。早藤先生、石塚先生、福田先生、わたし。夕刻6時から会食。内局の先生方と機関長(研究所長・学院長・図書館長・学園長)も同席。教誨師の先生方との会食は楽しい。いろんな先生と話をすることができた。小林亙先生(わたしが学院職員の時の学院長)が「神一心」「真一心」について教えて下さった。「ふりかえり またふりかえり かえりみよ おのが姿を映しては見よ」 → これが真一心。「心に任する神の世の中に われをはなれて いのち助かれ」 → これが神一心。このように教えて下さった。学園長、研究所長、寺本先生・・。たくさんの先生と話をして、時を忘れた。たくさん飲んだ。
2008.03.09
3月4日(火)11:30、教会を出発。中島中学校の前、信号のところでタクシーを拾う。地下鉄中島公園駅へ。65011:40 地下鉄乗車11:44 札幌駅札幌駅西口みどりの窓口でJR切符購入札幌 → 新千歳空港 Uシート 1,340金光 → 京都 4,310岡山 → 新大阪 新幹線 2,410京都 → 関西空港 乗車券+指定券 4,310計 11,500改札口を入り、ストーブのところで時間が来るまで待つ。ストーブががんがん燃えていて、暖か。12:25 快速エアポート乗車 4号車7A13:01 新千歳空港着土産物売場でお土産購入白い恋人 2箱 2,520本屋で文庫本購入今野敏「朱夏」 579これが「あたり!」だった。家族の問題、世代の問題、コミュニケーションの問題がよく捉えられていた。時間を忘れて読んだ。岡山便は 14:35 に動き出した。席は8C。この頃は、インターネットで切符購入の時、席の指定ができる。できる限り前、通路側、というのがわたしのコンセプト。機内の飲物サービスは、スープを頂いた。ずっと本を読んでいた。16:35 岡山空港ゲートに到着。ちょうど2時間。空港リムジンバスで岡山駅へ16:55発 17:25到着680駅前のベネフィットホテルに投宿。4,700ここはウエルカム・ドリンクがあった。・・と言うか、楽天で予約する時、そう書いてあった。フロントで宿泊のカードに記入したり、料金を払ったりしている時、それが出そうになかったので、言ってみた。すぐに出してくれた。缶ビール・モルツ350mlと、おつまみ「十勝美豆」(「とかちびーんず」と読む。缶詰)。フロントの対応は、とてもよかった。それに、美人。部屋で、飲んだ。ちょっと残念なことは、「十勝美豆」が、<これから味付けをして食べて下さい>という感じの食材だったこと。おつまみとは言い難かった。7時40分に、兄が来てくれることになっていた。「待たしてはいけない」と思って、7時10分過ぎにロビーに降りた。チェックインの時、コーヒーのサービス券をもらっていたので、それでコーヒーを飲んだ。ロビーは暖かくて、温かいコーヒーを飲みながら文庫本の続きを読んだ。幸せ。時間を忘れた。ふと、時計を見ると7時50分になっていた。電話した。「いまどこ?」「おまえこそ、どこや?」「ロビー」「おれは、目の前におる」外に出ると、兄が車の中で待っていてくれた。8時過ぎに兄の家に着いた。絵美ちゃん(兄の子ども)が晩ごはんを作って待っていてくれた。鱈のホイル焼きとかアサリの吸物とかいろいろ。おいしかった。ただし、ごはんは180g。兄はこの頃糖尿病食。「ま、おれの食べているものにつきあえ」ということだった。絵美ちゃんに送ってもらってホテルへ。絵美ちゃんにお礼のハガキを書いた。そのあと、ワンカップを飲みながら、続きを読んだ。
2008.03.09
平成20年3月1日(土) いつも見ているテレビのことですが、スイッチを入れてしばらく、上の方に横線が数本出ます。「テレビもようがんばって、映してくれているんや。横線が出るくらいなんともない。しばらくしたら消えるんやし」そんなことを言っていたら、桑田を思い出しました。「おかあさん、桑田や。桑田をやろう。横線はマイナスや。このマイナスに縦棒を入れたらええんや。何が縦棒になるやろ?」「そら、あれと違う? テレビさん、ありがとうてお礼を言う・・」「そうそう、それや」
2008.03.01
平成20年2月29日(金)晴れわたしは、野球は阪神ファンです。桑田真澄投手は、ジャイアンツの選手でした。今、大リーグに挑戦しています。ジャイアンツの選手でなくなったからというのではないのですが、桑田ていいなぁ、いいことを教えてくれるなぁ、と思うことが多いです。愛読紙「みやざき中央新聞」の2月25日号に、桑田の講演記録が載っています。その中で、言っていることです。マイナスなことは人生に何一つない。マイナス(-)に縦の棒が1本はいるとプラス(+)になる。プラスになるためには、そこにまずマイナスがなくてはならない。今はマイナスと思えることでも、あとになって縦の棒が入ればプラスになる。だから、今つらいことや失敗したと思うことがあっても、それは本当の失敗じゃない。だるまさんのように起きあがってくれば、必ずプラスになる。「そこにまずマイナスがなくてはならない」というのがいいです。助かる感じがします。○棒を一つ加えてプラスにするか、マイナスがマイナスのままでプラスになるか、それは神さまの思し召しのままでしょうが、棒を一つ加えるというのも、響き合いの工夫だと思いました。
2008.02.29
桂さん、妻を連れて帰れば、お茶を沸かす者ができて結構じゃ。長い年月の間には、塩の辛いこともあれば、甘いこともあるが、甘い辛いを言うなよ。甘い時はたくさん食べよ。辛い時は少し食べよ。そうするうちには、妻が気づいて、ちょうどよい味のものを食べさすようになる。私がある時、妻に、「同じいただくご飯なら、もう少し柔らかく炊いたら食べよかろうにのう」と言うたら、妻は謹んで、「さようでございます。何とも申しわけございません。ちょうどご飯のできます時、子供が手をとりましたので」と詫びた。それからご神前に出ようとすると、普段なら当たるはずのない八足の角で、いやというほど頭を打った。そのとき、神さまからお声があり、「頭の痛いのが苦しいか、ご飯の硬いのが苦しいか」とご意見を受けたことがあるからのう。金光四神様の御教え伊予柑(か グレープフルーツ)を頂いて、「うー、すっぱ」「酸っぱいのは苦手です」と言って、急におなかの調子がいけなくなりました。自分と四神様を比べるのは恐れ多いことですが、四神様にはこのように御教えがあります。なぜ、神さまは四神様の頭を八足にぶつけたのでしょうか?いろいろ思うことはあります。しかし、この頃思うのは、そんな理屈を紡ぎ出すより、神様からのおあてがいをありがたく素直に頂くけいこをしていると、そのことが分かってくる、ということです。
2008.02.29
平成20年2月28日(木)雪・曇りある教会の若先生から、メールを頂きました。そこには、次のように書かれていました。タイトルの「取次者は病気をしてはいかん」を見て、父からしかられたことを思い出しました。しばしば月例祭の教話の前講のなかで、「私は鼻が弱いので、よく鼻風邪をひいて鼻水が出ます」と、親のめぐりも匂わせて話をしたのですが、父から、とうとう堪忍できんというように、「教師が風邪を引いたと軽々しく言うな、信心ができちょらんからじゃ。」と一喝されました。以後、自分の風邪の話はしていません。信心が進んだわけではありませんが、十分注意するようになりおかげさまで風邪もひいておりません。三宅先生にご指摘を頂いた信心が本教の中に脈々と流れていることを知りました。同時に、自分がうかつであったことも知りました。
2008.02.28
平成20年2月26日(火)曇り24日、当教会の月例霊祭の日は大変な日であったことが、さらに分かりました。北海道新聞のサイトの記事では、23日から24日にかけて、長沼町の国道274号では、車両約百台が雪に埋まった、とあります。「その100台の中に私もいました」と教えて下さった方がありました。「20時間、閉じ込められました。食べるものを持っていませんでした。10時間ほどしてヒーターが切れました」とその方は言われました。さらに「御神米を持っていたので、それを頂きました。そうしたら、空腹感を感じなくなりました。寒さもなんということなくしのげました」と言われました。そして「最初は、自分が早くうちに帰れるようにと祈っていたのですが、自分だけではない。ここにいる人みながそれぞれの所に行くことができるよう祈らないといけないと思い、そのように祈りました」と続けておっしゃいました。「尊い祈りです。神さまにお礼申し上げます」とお伝えして、御祈念させて頂きました。○24日、月例霊祭当日、教会のまわりはとてもよいお天気だったので、「大荒れは昨日までだったんだ。お祭りだからおかげを頂いた」と思っていたのは間違いでした。ここがおかげを頂いても、そうでないところもあるのでした。もっと全体を見て、祈りを込めていくことが要ることを学ばせてもらいました。まだまだ、祈りが足りません。
2008.02.27
平成20年2月26日(月) 曇り真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり金光教教典 金光大神御理解集第三類 神訓 信心の心得物心ついてこの御理解に接した時(20歳前後)、抱いた感想をはっきり覚えています。「それは、無理やろ。辛いことがなくなってありがたいという気持ちになることはあるだろう。だから順番が反対と違うか」現代の問題との関わりで言うと、次のようになります。御結界にはいろんな問題が持ち込まれます。心の病気、不登校、ガン、借金・・。みなのっぴきならない問題ばかりです。その問題を乗り越えたくて、御結界にお届けされます。若い時のわたしの感想は、その問題が解決されたら「ありがたい」ということになるだろうが、解決される前に「ありがたい」という気持ちになるのは無理だろう、というものです。○最近、このブログに書いております記事のキーワードを並べてみます。* 響き合い* YES WE CAN* 取次者は病気をしてはいかんこんなことを思っている間に、「ああ、なるほど」と思ったことがあります。神さまとの響き合いの関係、神さまとのあいよかけよの関係が生まれたら、「ありがたし」という心が生まれる。その「ありがたし」という心を持って、YES WE CAN と、問題に向き合い、問題と響き合っていくのだ。問題は、神さまとの響き合いの関係、あいよかけよの関係をいよいよしっかりしたものに鍛えてくださるステージなのだこれを「真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり」と教えて下さったのだ、と思いました。○昨夜も、親子でお取次を願われた方がありました。このことをしっかり心に持って、話を聞かせて頂き、お話をさせて頂きました。1時間ほどお取次をさせて頂いたでしょうか、帰る時は、明るい顔で帰って行かれました。今朝、その親子の家族の方がお参りされました。「昨日は、暗い顔で帰ってくるのかと思っていたら、2人とも明るい顔で帰ってきました」と教えて下さいました。わたしの方が一層「真にありがたしと思う心」づくりのけいこです。「酸っぱいのは苦手です」「うー、すっぱ」などと言っていてはいけません。
2008.02.26

平成20年2月26日(月) 曇り2月21日の記事「UTAの輪の広がり」に書いたことが、さらに広がりました。宮崎市に大淀教会という教会があります。ここの若先生・M先生とは、御本部で数年間、一緒に御用しました。このM先生にも「みやざき中央新聞」の購読を勧めたら、読んで下さるようになりました。「おもしろい」と言って下さるので、地元ですから「一辺、みやざき中央新聞に行ってみてほしい」とお願いしていました。昨日、行ったそうです。そのあと、電話がかかってきました。神露を持って、行ったそうです。「アット・ホームないいところです」と教えてくれました。今日、メールで写真を送ってくれました。神露が写っている写真を載せます。UTAの輪がまた広がりました。○M先生の名前は、タキローと言います。わたしの学生時代の友人で、タツローというのがいます。タツローくんとは、下宿が同じでした。京都の松ヶ崎荘という下宿にすんでいました。今はありません。学生時代来の付き合いがあると言いたいところですが、そうではなくて、去年、その奥さんという人から電話がありました。「タツローの家内です。今、みやざき中央新聞にいます」「え~~~」というようなことでした。タツローくんが「みやざき中央新聞」を見て、読者からの手紙欄にわたしの名前を見たそうです。そこからのことでした。奥さんが「みやざき中央新聞」に行った時、編集長がつながりをつけて下さったのです。「みやざき中央新聞」を通して、学生時代の友人と再会できました。「みやざき中央新聞」を通して学生時代の友人(タキロー)と現在の友人(タツロー)がわたしの中で響き合っています。タツローとタキロー。なんとなく響きが似ています。タキローくんが持っていった神露が応接室に
2008.02.26
平成20年2月25日(月) 晴れ昨日24日は、当教会の月例霊祭でした。風は強かったですが、いいお天気でした。ですから、「昨日はあんなに雪が降ったけれど、今日は神さまが天気にして下さったんだ」とわたしは思っていました。ところが、手稲(札幌と小樽の中間ぐらい)からお参りされた方が、「むこうは猛吹雪です」とおっしゃいました。「バスで来たのですが、2時間半かかりました」ということでした。「え~~! こんなにいい天気なのに」という感じでした。いい天気は、どうも教会のまわりばかりだったようです。ニュースでは、日本海側を中心に大荒れということでした。共同通信は、「日本列島は24日、関東で「春一番」が観測された前日から引き続き、日本海側を中心に、暴風や大雪の大荒れの天候となった」と伝えています。そして、この記事では被害の状況を、「富山県射水市沖で漁船乗組員1人が転落死。北海道豊浦町では車内で男性が死亡。鳥取県智頭町で除雪作業中の男性が死亡した。富山県入善町では海岸の様子を見に行った男性1人が行方不明に。新潟県佐渡市で高波で9人がけがをするなど、負傷者は11都道県で計35人」と報じています。豊浦町は、函館教会に、JRでなく車でお参りする時、通ります。人ごとではないと思い、地元の新聞のサイトを見ました。車が雪に埋もれて排ガスが車内に充満したことによる一酸化炭素中毒死だったと記されていました。この人は、24日夜、車の中で亡くなっているのが発見されたそうです。気象が激しくなっているなかで、このことも、大きな問いかけだと思い、記しておくことにしました。
2008.02.25
平成20年2月25日(月) 晴れ標題の御教えを、このブログに時々コメントを下さる三宅美智雄先生から頂きました。(コメントは、本ブログをご覧ください。)自らに言い聞かせるために、体験談を書いておきます。23日、函館教会にお参りしました。その前に、函館市内の亀田教会にお参りしました。教会長先生は前北海道教師会の会長でした。その先生に聞いて頂きたいことやご教示をいただきたいことがあったからです。お昼前に教会について、わたしは持参した弁当を頂くつもりで、前もって先生にそのことをお断りしていました。でも、お腹がすいた感じがしなくて、食べないことにしました。「それなら」と言って、お菓子を出して下さり、グレープフルーツか伊予柑かをご丁寧に御自分で剥いて、5切れほど出して下さいました。わたしは酸っぱいのがとても苦手です。口に入れると、鼻の頭に冷たい汗をかきます。心安さが高じて、つい、「わたし、酸っぱいの、苦手です」と言いながら、出して下さったものを頂きました。わたしにしてみれば、実に酸っぱかったです。「うー、すっぱ」言ってしまいました。でも、食べてみれば食べられるもので、出して下さったものを見ないただきました。話をしている途中、しばらくして、猛烈におなかの調子がいけなくなってきました。「先生、すみません」と言って、トイレに行かせてもらいました。それで、おさまりました。「わたし、酸っぱいの、苦手です」「うー、すっぱ」神さまのお下がりを出して下さっているのに、これはいけません。神さまへの御無礼になったと思います。正直なのも、それを表現していい時といけない時があります。心底、そう思いました。酸っぱいのは、それを出して下さった時が、YES WE CAN のけいこをする時だったのです。みごと、試験に落ちました。病気は自分が呼び寄せます。教えて頂いた御教えに取り組んで、自分のものにしたいです。
2008.02.25
平成20年2月24日(日)晴れ○車内で「払い戻しをします」というアナウンスがありました。列車を降りて改札口に行くと、係員が何人もいて口々に「おつかれさまでした」と労って下さいました。窓口で払い戻してもらいました。1,980円もどってきました。わたしの買っている切符は得割切符なので、そういう値段なのでしょう。「タクシー代ができた」と思いました。JRは大変です。必死で列車を運行して、払い戻しをしていたら、利益が生まれません。タクシー乗場にいくと、みごと、1台もタクシーがいませんでした。いつもならそれこそタクシーであふれかえっているのにです。もちろん、3時過ぎという時間だから、ということは分かるのですが、乗客がどっと列車から降りて、タクシーしか交通機関がないのですから、列をなして待っていると思っていました。駅前広場を通って通りに出て、タクシーを拾いました。風がビュンビュン吹いていました。寒さが差し込んでくる感じです。タクシーはたくさん走っていました。運転手さんとその話になりました。「JRに電話しても、教えてくれないのです。電話すると案内のテープが回るだけです」ということでした。JRはこんな時、タクシー会社に「何時何分頃、函館からの列車が到着します」という情報を流せば、タクシー会社は確実に商売になるし、乗客は助かります。なんで、それをせんのだろう? という感じです。それがすぐにでもできるほんまのサービスではないか、と思った次第です。しかし、それが「不平・不足・愚痴・不満・批判」になると、いけません。昼間、おなかの痛みを通して教えて頂いたばかりです。教会に着いたのが3時半ちょっと過ぎでした。たくさんのことを学ばせて頂いた参拝でした。気持ちがいいことがありました。車内の人誰一人、車掌さんに「どうなっているんだ」と詰め寄るような人はありませんでした。みなおとなしく淡々と待っていました。「これが普通なんだ」という感じでした。
2008.02.25
平成20年2月24日(日) 晴れ22日の記事に書きましたように、昨日、函館親教会に参拝させていただきました。2月23日は、函館教会初代教会長・矢代幸次郎先生が亡くなられた日です。大正13年(1924年)に68歳で帰幽されました。今年は84年になります。実は、このことが頭にありませんでした。申し訳けないことです。そして、お参りさせていただいてさらに分かったことがありました。函館教会では、この2月23日を大切な日にしていて、二代教会長・矢代代次先生の霊様はじめ教会で生活し教会で亡くなった方の霊様はみなこの日に会わせて霊祭をお仕えするのだということでした。こちらに来て13年。はじめて知りました。申し訳けないことばかりですが、13日にお参りできなかったのがおかげだと思いました。足を痛くしてまで13日をストップし、23日にお参りさせて、分からせてやろうという神様のおぼしめし、霊様のお導きだと頂きました。お祭りのあとで、親先生がお話しされました。90歳を越しておられるのに、新しい事を学ばれ、信心を更新していこうとされます。「日々がさら」とはこういうことだと思わせていただき、感動しました。そのお話しの中で、ある女性の小説家の言葉だといって紹介されたのが「生きるとは奇跡の自覚に他ならない」という言葉でした。親先生には最近曾孫がお生まれになりましたが、そのことを取り上げて「かわいい赤ん坊に生まれて、今日まで生きていることは奇跡だ」と言われました。まことにその通りだと、改めて思いました。○帰りは、いつものように、函館発16時43分の特急スーパー北斗17号に乗りました。5号車2Bの席でした。2Bは先頭方向から数えて2列目、通路側。1Bの席はありませんでした。1Aだけの1人がけの構造で、足が存分に伸ばせるのです。存分に伸ばしてもそう伸びないのですが・・。列車は定刻に発車し、順調に走っていました。5時半頃、お弁当を食べました。実は、お昼ご飯を頂く気がしなくて、家内が作ってくれた弁当を持ち歩いていました。お腹が空いてきたので頂きました。おいしかったです。この特急は、函館を出ると東室蘭まで止まりません。約1時間40分ほど走りっぱなしです。ゴンゴン走ります。時速130キロくらい出していると思います。いつもはそうなのですが、昨日は、スピードにもう一つノリがないという感じでした。そんなことを思っていたら、長万部(おしゃまんべ)の手前で、10分ほど止まりました。18時前だったと思います。「停止信号です。今15分ほど遅れています」という説明でした。ここからがドラマの始まりだったのですが、その時は、「そんなこともあるわな」ぐらいに思っていました。東室蘭を過ぎたことは、覚えていません。寝ていました。19時37分苫小牧(とまこまい)の手前で停車しました。「?」と思って、メモをとることにしました。「前を走っている特急、普通が駅に入っていない。雪のために線路の切り返しができない」という説明でした。「線路の切り返し」というのがよく分かりませんが、要するにポイントの切り替えができないのだろうと思いました。この列車は、定刻ならば19時43分に札幌に着くことになっていますから、完全に大幅な遅れです。「もう土曜信行会がはじまっているな」と思いました。土曜信行会は19時30分開始です。20時20分ぐらいに御祈念が終わります。その御祈念が終わるまでに帰り着いて、お話をさせて頂くという心づもりにしていました。定刻通りに札幌に着いてくれたら、それができます。でもそれは、完全にできないことになりました。20時35分(苫小牧に入る直前、停車中)停車したままです。アナウンスがありました。停車の時と同じ説明でした。いつ動くかなどの今後の見通しについては、説明がありませんでした。20時51分動き出しました。ゆっくりです。20時55分止まりました。駅です。駅名が分かりませんでしたが、苫小牧の一つ函館寄りの駅だったと思います。21時08分アナウンスがありました。「苫小牧の駅では雪による吹きだまりができて、進入できない。排雪車両による排雪作業を行っている」という説明でした。21時10分車内販売のワゴンサービスが通りました。定刻通りならとっくに仕事の終わっている時間でしょうに、ご苦労様です。お茶を買いました。これは、お医者さんから水分補給を怠るなと言われてるためです。手元に、半分くらい飲んだペットボトルがあったのですが、いつ札幌に着くか分かりませので、買いました。350mlが150円でした。21時47分動き始めました。「とりあえず、苫小牧まで運転します。苫小牧から向こうの各駅に列車が止まっています」というアナウンスがありました。「とりあえず」というのがくせものだ、と思いました。しかし、苫小牧の駅に入る前に止まりました。22時04分 動きましたが、すぐに止まりました。22時05分動きました。22時10分苫小牧に着きました。苫小牧の駅では、5号車までしかホームにかからない、5号車までのドアをあける、ということでした。ドアが開いて、何人かの人が降りました。ドアから、雪が吹き込んでくるのが見えました。けっこうな吹雪です。車内とデッキの間にドアがありますが、そのドアはガラスがはまっているので、デッキの様子が見えるのです。降りる人が降りてからも、たくさんの人が車内のトイレに行ったり、車内の自動販売機に行ったり、携帯電話をかけにデッキに出たりして、出入りします。デッキとの間のドアは自動ドアです。開いたり閉まったりします。開くたびに寒風が入ってきます。外とのドアは開いたままなのでした。そのうち、その自動ドアがおかしくなりました。人が通らないのに開いたり閉まったりするのです。それを繰り返すようになりました。開くたびに寒風が入ります。「車掌さんに言いに行かないといけないかな」と思っているところに、車内販売の人が通りました。その人に言ったら、ドアの上にある何か(車内からは見えません)を操作して、手動に切り替えて下さいました。あいかわらず人の出入りがあります。最初はみんな、自動ドアだと思ってドアの前に立ちます。ドアが開かないと分かると手であけます。たいがいの人は、開けたら閉めていきます。ところが、10人に一人くらいは、開けても閉めない人がいるということが分かりました。持ち前の探求心(?)が湧いてきて、どんな人が閉めないのか観察してみようという気持ちになりました。だいたいの傾向は、つかめたと思います。・・が、その話はまたの機会にします。閉めない人がいるということは、「ドアの近くにいるおまえが自動ドアの御用をせよ」ということだなと思って、自分が自動ドアになることにしました。その時、「自分が自動ドアになる」のは、2月18日に書いた YES WE CAN のけいこだということが分かっていませんでした。「この事態に響き合うけいこだ」ということは心に思っていました。YES WE CANのけいだったんだ、ということは、あとになって分かったことです。23時27分(苫小牧停車中)アナウンスがありました。「排雪作業をしているので、お待ち下さい」ということでした。このアナウンスを聞いた頃から、「JRの人も大変だ」という気持ちが湧いてきました。列車を通すために必死の作業をしているに違いありません。そのことを思うようになりました。23時36分(苫小牧停車中)男の人が台車にペットボトルのお茶を積んで回ってきました。「ご迷惑をかけて申し訳ありません」とお茶を下さいました。ありがたく頂きました。この頃から、子供(上の子は東京にいます、下の子は教会にいます)と携帯電話でメールのやりとりをし始めました。これが楽しかったです。上の子にメールしました。「今なにしてる? おとうさんはJRの中だ。雪がすごくて列車が止まっている」「バイトから帰って、一杯飲んでる。今 どこ?」「とまこまい」「それは大変じゃ。ホテルに泊まったら?」「ばかたれ。そんなこと言うてるから・・」「おとうさんの体のこと、心配してるんじゃ」0時13分 動きました。0時14分 ・・と思ったら止まりました。0時22分動きました。「1時過ぎには、札幌に到着できると思います」とアナウンスがありました。たしかに、普通の状態ならば、それくらいの時間で札幌に着きます。でも、「ほんまかどうかは分からんぞ」とわたしは思いました。0時54分止まりました。「やっぱりな」という感じです。「美々」(びび)という駅でした。南千歳の一つ苫小牧よりの駅です。向かい側のホームに函館行きの特急列車がとまっていました。けっこう満員で、わたしから見える車両には10人ぐらいの人が立っていました。いつ動くとも知れない列車の中で立っているのは、大変だろうと思いました。わたしは・・と言うと、いつでも自分の思う時にトイレに行けます。満員だと「すみません、すみません」と言いながら行かねばなりません。ですから、少しくらいはと思って我慢することになります。それをしなくてもいいというのは、恵まれているのだ、と思いました。足も自由に伸ばせます。エコノミー症候群にならないように、体も自由に動かせます。列車は動きませんが、おかげを頂いているのだということが、向かい側の列車を見てよく分かりました。外は猛吹雪でした。線路に雪が積もって、その雪がホームの高さにまで達しようかという状態でした。これでは、なんぼなんでも走れません。1時11分(美々 停車中)アナウンスがありました。南千歳駅が雪のためポイントの切り替えができない、除雪作業を行っている、ということでした。2時09分 動きました。2時15分 南千歳に着きました。2時18分 南千歳を発車しました。それからは順調に走って、2時44分北広島通過、2時56分新札幌着・発(青森行き急行「はまなす」がとまっていました。「はまなす」は確か22時頃に札幌を出る列車だと思っていました)、そして、3時11分に札幌に着きました。定刻通りに走っていれば、19時43分に着く列車ですから、7時間28分遅れたことになります。(続く)
2008.02.25
平成20年2月21日(木) 雪 → 晴れ昨日、FAXが届きました。「宮崎日々新聞」2月6日号の記事の切り抜きでした。その記事は、歌人・若山牧水が神露を愛飲していたというものです。神露酒造の社長さんが書かれたものも掲載されています。「神露」とは、浅口市金光の造り酒屋・神露酒造で作っているお酒です。お神酒(おみき)には、このお酒を使う教会が多いです。当教会もそうしています。日本酒として飲んでも、神露はとてもおいしいです。○北海道・札幌に住むわたしになぜその記事が届いたか?そこにUTAの輪の広がりがあります。わたしは、「みやざき中央新聞」という週刊新聞を愛読しています。北海道の読者第1号です。宮崎県内で開催された講演会の講演内容を伝えるということがこの新聞のコンセプトの一つなのですが、いいお話ばかり紹介して下さって、毎号々々手元に届くのが楽しみです。編集長が書く社説も、身近なところから課題をつかまえて、時には広く、時には深く、そして読者に分かりやすい論を展開し、これまた読むのが楽しみです。ですから、時々、感想をメールで送っております。すぐに返事が来て、それも「すごいな!」と思うことの一つです。そういう新聞ですから、周りの人に購読を勧めています。もう何人かの人に勧めました。その一人が、本部職員のY先生です。昨日届いたFAXというのは、そのY先生からでした。社長の松田くるみさんが、「みやざき中央新聞」と一緒に「宮崎日々新聞」のその記事を送って下さったということでした。すごい心配りです。たくさん発送しているに違いありません。その一つ一つに心を込めていて、「あ、Y先生にはこの記事♪」と思われたに違いありません。そして、それをすぐに実行された・・。なかなかできることではありません。その記事をY先生が見て、わたしにFAXして下さいました。UTAの輪の広がりです。○白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり口にしてうまきこの酒こころにはさびしさおもひゆふべゆふべ飲む飽かずしも酌めるものかなみじか夜を眠ることすらなほ惜みつついつしかに涙ながしてをどりたれ命みじかしと泣きて踊りたれ足音を忍ばせて行けば台所にわが酒のびんは立ちて待ちをる (「びん」は漢字)この記事の本文で紹介されていた若山牧水の歌です。知っていたのは第一首目だけでしたが、わたしも飲むことが大好きなので、響いてくるものを感じます。
2008.02.21
平成20年2月19日(火)曇り金光大阪高等学校女子バレーボール部第39回全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー)への出場が決まりました。初出場です。3月20日 ~ 26日。国立代々木競技場第一体育館おめでとうございます\(-o-)/
2008.02.19
平成20年2月18日(月) 曇り教えてもろうたことが、ようやくでもできるのは結構じゃが、自分からも少しは練り出さねば、教えてもろうたお礼が立つまいが。金光教教典 金光大神御理解集第三類 尋求教語録 25今日頂いた御理解がこの御理解です。「この教えを実践したい。そのためにこのブログを開いています」と言っても過言ではありません。○「UTAについて」に次のように書かせて頂いております。「うれしく・たのしく・ありがたく」、「うれしい・たのしい・ありがたい」をローマ字で書いて、その最初の文字を連ねるとUTAになります。「うた」と読めます。 * UTAを見つける* UTAをわたす* UTAをつくる* こういったUTAが生まれる元を探す、感じるこれがわたしの目指す「練り出す信心」の内容です。なかなかできません。○アメリカで、大統領選挙の予備選が闘われています。民主党は、バラク・オバマ氏とヒラリー・クリントン氏との闘いになっています。オバマ氏の合い言葉の一つが YES WE CAN です。「われわれはできる」です。これ、いただき!と思っています。何ができるか? それは、どんな事柄・難儀に出会っても UTAになることができる です。* 寒いYES WE CAN* 雪がたくさん積もるYES WE CAN* 灯油代が高くなったYES WE CAN* 脳梗塞以来体調不調YES WE CAN* 足が短いYES WE CANどんな事柄・難儀にも響き合って、YES WE CAN です。WE とは、神さまと私のことです。信心とは、神さまと2人3脚して YES WE CAN と言う稽古です。これも練り出す信心ではないでしょうか?(お詫び)文章の途中が、必要以上にたくさんあいてしまい、申し訳けありません。htmlのテーブル・タグを使って書いたらこうなりました。「どんな事柄・難儀に出会っても YES WE CAN と響き合って、UTAをつくっていく」この姿勢でがんばったのですが、今のところ、どうしたらいいのか分かりません。
2008.02.18
平成20年2月17日(日) 曇りこのところ、北海道の日本海側と内陸部は大雪でした。14日夕方、テレビを見ていたら、夕張は降り始めから(たしか)65センチ積もったと言っていました。夕張教会の先生のことが気になりました。夕張教会の先生は、女性です。娘さんが3人おられましたが、それぞれにおかげを頂かれて、教会を出ておられます。ですから先生は、お一人で教会の御用をしておられます。気になって、電話しました。「テレビで65センチと言っていました」「65センチより、もっと降ったと思います。歩道が雪に埋まっています。まだ、除雪が入っていません」「大丈夫ですか?」「ありがとうございます。なんとかやっています。電話を頂いて、元気が出ました」そう言って下さいました。そして昨日16日、先生からハガキが届きました。電話がうれしかったということと、歩道に除雪が入って通れるようになったということが書かれてありました。何でもない電話を大きく喜んで下さって、それをハガキに書いて下さる、ということに感動しました。○このハガキは、坂田道信氏が伝道者となっている「複写ハガキ」で書いて下さっていました。わたしも、折々に複写ハガキを書くようにしていますが、「複写ハガキとは、なんとうれしいのだろう」と、ハガキを頂いて感動したようなことでした。複写ハガキは、自分が書いてもおかげを頂きます。自分がもらってもおかげを頂きます。そのことがよく分かりました。
2008.02.17
平成20年2月17日(日) 曇り今日は、東京マラソンでした。ニュースのサイトを見ると、32,000人以上の人が参加したとありました。優勝はビクトル・ロスリン(スイス)で、タイムは2時間07分23秒。2位で日本人1位は、藤原新(あらた、JR東日本)で、タイムは2時間08分40秒でした。ふと、「世界記録はどうなっているのかな?」と思い、調べてみました。ネットはありがたいです。すぐ分かりました。ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)という選手が、2007年9月30日にベルリン・マラソンで出した2時間04分26秒が世界記録でした。計算してみると、1キロを2分57秒弱で走っていることになります。すごいです。この大会は、北京オリンピックの男子代表選考会を兼ねていたそうですが、誰が代表になるのでしょうか。女子は、土佐礼子・野口みずきの両選手が決まっているようです。今度3月9日の名古屋国際女子マラソンには高橋尚子選手が出場して北京オリンピック出場を目指すそうですから、この大会も楽しみです。○わたしは、マラソンを見るのが好きです。ただ走っているだけなのに、そこにいろんなものを感じることができます。残念ながら、今日は見る事ができませんでした。
2008.02.17
平成20年2月15日(金) 雪明日、金光教北海道教務センター主催の会合「運動推進協議会」が開催されます。わたしは、その会合に出席することになっています。「運動推進協議会」の「運動」とは、「あいよかけよの生活運動」のことです。一人ひとりが信心を進めていくことができるように、北海道教区・道央地区・当教会、それぞれの持ち場立場においてこの運動に取り組んでいます。今年は、「共に助かる世界を生みだそう ― 祈りあおう 声をかけよう お役立とう」との目標を掲げております。表現は少しずつ変わってきておりますが、近年はこのことがずっと掲げられております。先日、センター所長から「運動推進協議会で研修するから、<共に助かる>ということについて、手がかりとなるようなことを話してもらいたい」との依頼がありました。十分な手がかりになるかどうか分かりませんが、明日、話をするためのレジメを作りました。そのレジメを、以下にコピーします。○ 課題 「共に助かる」とはどういうことか ― 「反応」から「響き合い」へ○ 共に助かる * 神と共に助かる * 霊と共に助かる * 人と共に助かる 今回の話の中心 * 物と共に助かる○ 御教え * やれ痛やという心で、ありがたし、今みかげをという心にな れよ。 * 真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり。 * 我情我欲を放れて真の道を知れよ。○ 「反応」の例 * 2月5日 長野新幹線 10:26長野発 東京行き あさま520号 男性乗客が車掌に暴行 サンドイッチ 投げつけ お茶 投げつけ 殴る 車掌が空席になっているはずの席に座っていた乗客に特急券 の提示を求めると、暴力行為を受けた。 * 2月13日午前0時頃 大阪市平野区 吉崎敬逸(けいいつ 90)が妻貞子(87)を殺害 自宅1階の寝室で、首をガウンの帯で絞めた。 「妻をずっと介護していたのに、夜中に水を持ってこいと命令 口調で言われ、かっとなった」 「一生懸命介護しているのに、なぜここまで言われるのかと思 い、かっとなった」 貞子は骨粗鬆症 3年ほど前からほぼ寝たきりの状態 吉崎がヘルパーの援助を受けながら介護していた。○ 「響き合い」の例 * 2007年(平成19年)2月6日午後7時半頃 東京の東武東上線 ときわ台駅 自殺を企図した女性(39)が踏切から線路内に侵入 宮本邦彦巡査部長(53 のち警部 2階級特進 同駅前の常 盤台交番勤務)が女性をホーム下の待機場所に連れ込んで助 けようとしたが間に合 わず、女性とともに電車に接触して頭 を強く打った。 12日死亡 女性も腰の骨を折る重傷を負ったが、生命に別条はない。 * 朝日新聞の投稿欄「声」 秋田県横手市・八木橋さんの投稿 雪の降り続く横手では、高齢者の日常生活にタクシーは欠かせ ない。雪道での転倒が怖いので私は近距離でもタクシーに乗 る。 「運転手さん、いつも近距離で面目ない(申し訳ない)すなぁー」 「なんも、なんも」 家の者がスーパーマーケットで一週間分の買い物をする。食料 品、日用雑貨など運転手さんは玄関まで運んでくれる。 「あいゃー、ご難儀かけます」 「なんも、なんも」 冬の秋田は天気がよく変わる。タクシーを呼ぶとき吹雪けば部 屋で待つ。運転手さんは声をかけてくれる。気象条件に合わせ た安全運転で 「今夜は大雪になるでしょう」 「だんすなぁー」 今日も、バックをしながら雪に足を取られない位置に止めてく れた。顔見知りで頼りになる地元の運転手さん。年をとると、 その心くばりがうれしい。夫婦二人の私たちには本当に心強 い。 * 妙好人 榎本栄一さん 明治36年~平成9年(94歳) 淡路島・大阪在住 夫婦で小さな化粧品小間物店を営む。 「修行」 なんでもないことだが 私のぐるりを ただ あたたかく みるだけ ひとつこの修行を してみよう 「ひとの世」 いわぬが花ともうしますが 人さまの 短所には眼をとめず ただ温かくみるだけの 修行をつづけたい○ 反応=我情我欲に引きずり回される * 暑い * 寒い * お腹すいた * 飲みたい * 痛い * 辛い * おれは正しい * 多くの場合、自分が我情我欲に引きずり回されているとは思 っていない。 「腹が減った時に腹が減ったと言って何が悪い?」 「おれは間違っていない。あいつが偉そうに言うからだ」 * 現代の特徴? すぐに切れる人が多いと言われるようになっている、○ 響き合い=暖かく見る * 祈りあおう 声をかけよう お役に立とう この根本にあるものが 響き合い=暖かく見る ということ * 3つの心行(責めない・恩をかけない・言い訳けしない)に 取り組んでいると、少しずつ響き合いができていく。○ 目先のおかげ・3年先のおかげ いま強くなる稽古と、3年先に強くなるための稽古と、両方を しなくちゃならない。(千代の富士貢 第58代横綱) 今の響き合い・3年先の響き合い どちらも大切 3年先のことも考えて信心の稽古
2008.02.15
平成20年2月13日(水) 雪・曇り車に乗っていて、追突された方があります。信号が黄色なので止まりました。後続の車が追突しました。こういう事故は、時々耳にします。とくにケガはないということです。一緒に乗っていた人が「屋根から雪が落ちてきたのかと思った」と言われたそうです。「交差点では屋根から雪が落ちない」ということで、笑ったそうです。それくらいの事故でした。○11日、交通安全祈願祭をお仕えしたばかりでした。申し訳けないと思いました。その方は、「交通安全祈願祭をしていただいたから、これくらいですみました」とおっしゃいました。○わたしは、この頃、考え、求めていることがあります。それは、「響き合い」ということです。七墓つくという苦難に出会った教祖様は、その過程では「残念至極と始終思い暮らし」ていたと言っておられます。これは、その出来事に「反応」していたのです。誰でもそうだと思います。42歳で自分が助けられ、そこから一層の信心生活が始まって、神様に出会い、家族・飼牛の死という出来事と「響き合う」ことができました。それが、安政5年12月24日のお知らせだと思います。この「響き合い」があって、教祖様は神様がわかり、苦難の意味がわかり、助かることができられ、われわれにも助かる道がついていくことになったと思われます。このお知らせ、この御事績については、自分なりにもっともっと求めていきたいです。○車に乗っていて後ろから追突されたら、人はどう言い、どうするでしょうか?いろいろ考えられます。* ばかやろう、どこ見て、運転しているんだ。* 警察に連絡だ。* 壊れたところは、なおしてくれよ。* ケガしたかも知れない。きっちり補償してもらうからな。* このやろう、急いでいるのに、なんだ。* 仕事に遅れる。急がないと・・。* それでもケガがなくて、よかったわ。* 交渉は保険屋にしてもらおう。こういうのをわたしは「反応」と名付けたいと思います。人である限り、必ずなんらかの「反応」をします。そして、その「反応」にはある程度の原則があるように思います。* 痛い目に会いたくない。 自分に殴りかかってくるげんこつが目に入ったら、とっさに避け るなど。* 痛い目にあわせたくない。 車を運転していて、目の前に子供が飛び出してきたら、とっさに ブレーキを踏むなど。* 楽な方に流れる。* 気持ちのよいほうに流れる。* 満足のいく方に流れる* 損をしたくない。* 得をしたい。* プライドを守る。こういったことが考えられますが、その人の癖や日頃の考え方と深く関わっていると思います。教祖様が「我情我欲にまどう」とおっしゃったことの内容は、こんなところにあるのではないでしょうか。○「交通安全祈願祭をしていただいたから、これくらいですみました」というのは、響き合っておられます。相手も自分も助かる道がそこから開かれていきます。「響き合い」とは、神・人・自分が助かる反応のことだと言ってもいいと思います。どんなことにも、響き合っていく自分を作る。これを願いとしたいと思います。「身の上・身の回りに起こることは、すべて神様のおさしむけ。どのようなことが起ころうとも、『ありがとうございます』からはじめよう」というのがまさにそれです。このことを改めて思わせて頂きました。
2008.02.13
平成20年2月8日 晴れこのサイトはすごい!「お道と臨床と~心づくりのたね~」というブログで教えてもらいました。http://acting-agent-service.com/price/index.htmlこの会社頼めば、代行サービスを受けることができます。その一部を書き写します。* 結婚式の代理出席* 葬儀の代理出席* 合コンの出席者代行* 彼氏・彼女代行 * 同伴者代行* 論文代筆代行 もちろん、それぞれに値段がついていて、論文執筆の場合は1文字8円だそうです。○そのうち、「お腹の空いた人、代わってごはん食べてあげます」とか、「今日は会社に出たくない人、代わって出てあげます」とか、そういうサービスも生まれるのではないでしょうか。「結婚式の代理出席」のサービスのさらに進んだ形として「新郎・新婦の代行します」というのも出てくるかもしれません。その結婚式の披露宴出席者も、みな代行サービスの人たちだったら、ちょっとしたブラックユーモアです。「生きるとは、どういうこと?」と尋ねたくなります。
2008.02.08
平成20年2月7日(木) 曇り昨日(6日・水曜日)夕刻6時前に、家内と雪祭り見物に出かけました。雪祭り会場の中に身を置いて自分が何を感じるか、それを楽しみにしていました。5日(火曜日)は、アメリカではスーパー・チューズデイ、すなわち、大統領予備選の山場です。オバマ氏とクリントン氏の争いがどうなるか、とても感心があります。日本では6日の夕方のニュースでそのことを報道するでしょうから、それを見たかったのですが、ま、帰ってからゆっくり見ようと思いました。わたしの出で立ちは、長そで下着を一枚余分に着込み、首にタオルをまき(もちろんマフラーも持っているのですが、タオルスタイルが暖かいものですから)、靴下を1枚余分に履き、鎖ですべり止めをした長靴、というものでした。工事現場のおっさんスタイルです。途中で家内が「首にタオル巻いてきたん? かっこわるい。離れて歩く」と言いました。何年も前、友人を案内したことがあります。その時は車で行きました。会場近くになんぼでもPがあります。ちょっとの間だから大丈夫と思ったのが間違いで、ふるえあがりました。そのことを思い出して、厚着をしました。電停「中島公園通」から路面電車に乗りました。満員でした。珍しいです。資生館小学校前(ススキノの一つ手前)で下車。大通りまで歩きました。すぐです。大通り6丁目の会場に着きました。大通公園は東西に長く、公園の北側の通りを北大通り、南側の通りを南大通りと言います。雪祭りの会場は、歩くのが一方通行になっていて、北大通りの側が西方向でした。まずは西方向に向かって歩きました。温度は氷点下のはずですが、短いスカートをはいて、ストッキング一枚(多分)という人もたくさん見かけました。人ごとながら、大丈夫かなぁという気になります。エジプト広場・国宝犬山城・市民雪像を見ました。雪祭りの様子は、これをどうぞ。歩いているうちに ぜーぜー・はーはー・どきどき が出始めました。エジプト広場の所で歌謡ショーをやっていて、その大音量がこたえました。足湯があって何人かの人が入っていました。気持ちよさそうでしたがパスして、そこから引き返しました。南大通りの側を東に歩いていると、自販機があって暖かいお茶があったので求めました。120円でした。小さな方のペットボトルでした。高いと思いました。さらに少し行くと、いろんな売店がありました。どれもこれも高いです。フランクフルト350円とか、いか焼き500円とかの値段がついていました。家内がココアを求めました。200円でした。ホットワインがあって、「飲もうかな?」と思いましたが、500円になっているのでやめました。無料の休憩所があって、ストーブががんがん焚かれていました。家内はそこでココアを飲みました。休憩所の中は暑いくらいで、気分が悪くなりかけました。寒いところから暑いくらいの所に入ると気持ちがいいはずなのですが、やっぱり変でした。外に出て「もう帰ろう」と家内に言いました。大通り7丁目のコンビニで、夕食になるものを買って、タクシーに乗りました。帰ったのは7時ちょっと過ぎでした。これが今年の雪祭り見物でした。自分が何を感じるかということよりも、しんどいことが先に立ってしまいました。
2008.02.07
平成20年2月6日(水) 晴れ今日は、赤ちゃんのお参りがありました。去年秋に生まれて、この2月の始めに100日になりましたので、百日(ももか)の初参りをされたのです。「赤ちゃんは、かわいいなぁ」と家内と何度も言いました。お祭りが終わって、お話をさせて頂きました。○ぜひ、人間として自立していくおかげを頂いていってください。そのおかげを頂くように、一緒に神様に祈っていきましょう。自立には、三つの内容があります。 身辺的自立 経済的自立 人間的自立身辺的自立とは、身の回りのことが自分でできるということです。ごはんを食べるために献立を考えたり、食材を買いに行ったり、調理したり、後片付けをしたり、・・ということから始まって、いろいろあります。そういったことのためには、心と体が健康でなければなりませんから、身辺的自立のおかげの中には、心と体の健康が大切な中身として含まれます。経済的自立とは、自分で自分を養うことができることは言うに及ばず、家族を養う、国民年金、健康保険、税金を納めるということまで含みます。人間的自立とは、世の変化に響き合って前向きに生きられるということ、人様が助かるお役立つことができるということ、人様から信頼して頂くということです。○この三つの自立は、「身代・人間・達者がそろうて三代続いたら、それが神の気感にかなう」という教祖様の御教えに基づいているつもりであり、その現代版のつもりです。
2008.02.06
平成20年2月5日(火) 曇り今朝6時の御祈念前、お広前の温度は2度、玄関は0度でした。寒い方です。気象庁発表の資料見たら、札幌朝6時現在の記録は最低温度がマイナス11.2度になっていました。それでもお参りされる方があり、一緒に御祈念を頂くことができました。おかげです。冬の寒いのがおかげ、その中でお参りできるのがおかげ、ストーブで暖かくしてもらえるのがおかげ、・・。おかげがいっぱいあります。神様は、氏子を救い助けてやろうとこそ思うてござれ、このほかには何もないのじゃから、氏子の身の上にけっして無駄事はなされはせぬぞ。ご信心しておるがよい。みな末のおかげになるぞ。金光教教典 金光大神御理解集第三類 尋求教語録 12これが今日頂いた御理解でした。「ご信心しておるがよい。みな末のおかげになる」というところが特に心に響きました。人は目の前のおかげを頂かねばなりません。目がさめる、息の差し引きができる、体が動く、顔を洗う、歯を磨く、・・・こういったことができることがおかげです。また、この中にいっぱい目に見えないおかげを頂いています。目先目先のおかげです。同時に人は、「末のおかげ」も頂かねばなりません。わたしは、お話の中で「末のおかげとは3年先のおかげ」と思ったらよろしい、と言わせて頂きました。そして、3年先のおかげを頂くためには、 を頂くことを目標にしたらいいとも申し上げました。目の前のおかげ・3年先のおかげ。どちらも大切です。
2008.02.05
平成20年2月4日(曜) 晴れ昨日3日は節分、今日4日は立春。こちら(札幌)に来てから13年になります。こちらに来る以前は、金光教本部(岡山県金光町=現・岡山県浅口市金光町)におりました。その当時は、節分・立春といっても、そんなに心にとどまることがなかったというのが実際のところです。こちらに来てから、節分・立春の声を聞くことが楽しみになりました。北海道の冬は厳しいです。たとえば。雪が降って積もります。降ってすぐなら歩きやすいのですが、それが次第に氷ります。道路がスケートリンク状態になります。一冬に何人の人がすべってころび、救急車や病院のお世話になるでしょうか。老人は、すべってころばないということに必死です。「必死」という表現は大げさではありません。わたしは幸いなことに、この冬はすべってころんでおりませんが、一冬に1回や2回はすべってころびます。年と共にダメージがきつくなる感じがします。若い人は、ブーツがハイヒールのようになったのを履いています。そして走っています。感心します。厳しいだけに、春の声を聞くことが楽しみになりました。去年の冬至は12月22日でした。冬至は一年で一番日が短くなりますが、冬至になると「これからは日が長くなるばかりだ」と思うことができます。それがうれしい♪です。節分・立春はもっとうれしいです。これからは暖かくなるぞ♪という感じです。今日のお昼、玄関に出てみますと、暖かいのです。玄関は南向きですから、お日様が差し込みます。玄関が温室のようになっていました。16度ありました。お広前の方が寒いです。「おかあさん、玄関が暖かいよ」と言いました。家内も玄関出て温かさを楽しんでいました。○天地の運行には、1日1分1秒の狂いもありません。まことに実意丁寧です。「天地日月の心になること肝要なり」と教えて頂いております。「天地日月の心」については、これをご覧ください。「今年もこのように、実意丁寧に節分・立春と時を刻んでくださってありがとうございます。このように時を刻んでくださるおかげで、わたしどもはいのちを営ませて頂くことができます。わたしどもは、天地日月の心を現す生活を進めさせて頂き、わたしも人みな、和賀心にならせて頂きますようお願いします」このような気持ちにならせて頂きました。○三重県に住む弟がメールを送ってくれました。弟はスーパーに勤めています。こんなことが書いてありました。> 今日は節分です。> 朝起きたら、一面雪景色で驚きました。今日は店舗に応援に> 出て太巻寿司を作らねばなりません。> 10年ぐらい前から、節分には異常に太巻寿司が売れるよ> うになりました。> 私が応援に行った店舗では、今日一日の販売目標数が400> 0本とのことで、10人ぐらいで作っていましたので、一人> 平均400本となるのですが、なかなか作れるものではあり> ません。> 昼休み以外はトイレ休憩もなくひたすら作って、もうへとへ> とです。へとへと とは、かわいそうですが、スーパーから見る節分風景もまたおもしろいと思いました。どこで読んだか忘れましたが、太巻寿司には7種類の具を入れるそうです。7種類とは七福神を意味しているとか・・。へとへとになって作る太巻寿司の具は、何種類になっているのでしょうか。
2008.02.04
平成20年2月2日(土) 曇り今日2月2日は、嘉永4年(1851年)に島津斉彬(なりあきら)が薩摩藩主に就任した日だそうです。安政5年に亡くなるまで、藩主でした。教祖様の時代と重なります。NHKの大河ドラマ「篤姫」を見ているので、島津斉彬公のことを書きたくなりました。○島津斉彬公のことを少し書いてみます。ウィキペディアなどを参照しました。藩主に就任するや、藩の富国強兵に努めた。洋式造船、反射炉・溶鉱炉の建設、地雷・水雷・ガラス・ガス灯の製造などの集成館事業を興した。 土佐藩の漂流民でアメリカから帰国した中浜万次郎(ジョン万次 郎)を保護 安政元年(1854年)、西洋式帆船・伊呂波丸を完成させた。同年、西洋式 軍艦・昇平丸を建造し徳川幕府に献上。日の丸を日本船章にすべきだと献策し、同じく同年、幕府に正規に採用された。以後、日の丸は日本の国旗となってゆく。帆船用帆布を自製するために木綿紡績事業を興した。 下士階級出身の西郷隆盛や大久保利通を登用して朝廷での政局に関わる。○明治維新・近代化が、すでに斉彬公の薩摩藩から始まっていることが窺えます。斉彬公が藩主に就任した嘉永4年は、教祖様にあっては、実母の志も様を亡くされた年でありましたが、信心展開の上では重要な出来事があった年でした。すなわち、2頭目の飼牛が死に、くらさんが生まれた年でありました。2頭目の飼牛の死は、7つ目のお墓ができたことを意味します。「残念至極と始終思い暮らし」と言われる中身です。くらさんは、安政5年5月に病気回復のおかげを頂きます。そのことが覚書に詳しく書かれています。その詳しさは尋常ではないほどです。安政2年に神様に出会って九死一生の大患から回復し、その神様におかげを受け続けに受けて、このくらさんの病気回復の体験は、その集大成のような趣があります。そのくらさんが生まれたのが、この嘉永4年でした。○2頭目の飼牛が死んだということは、教祖様が難儀のいよいよのところに立たされたということだろうと思います。くらさんが生まれたというのは、助かりの芽がそこに用意されたということだろうと思います。日本の近代化を推し進める藩主が薩摩に誕生して明治維新の内実の一つが生まれ、教祖様にあっては、いよいよ難儀の底にあって神様との出会いが準備されていく。嘉永4年とはそんな年に見えてきます。
2008.02.02
平成20年1月30日(水) 曇りall about の記事「『センス・オブ・ワンダー』が退屈を吹き飛ばす」を読んで、いいことを教えてもらったと思いました。この記事には、岡本太郎のことばが引用されて、センス オブ ワンダーというものが、こういうものだと語られています。> 誰でも、もう一度、無心に空をあおいで見るといい。その色は、> かつて見た「青」ではないのだ。生まれてきて、いまはじめて> 発見する輝き、ひろさ。はじめてぶつかる、一回限りの。する> と、ああ空が青かった、ということに驚く。 書名 眼 美しく怒れ 著 岡本太郎 編 岡本敏子 出版 チクマ秀版社センス オブ ワンダー とは sense of wonder でしょうから、不思議なものを感じ取ること でしょう。不思議さを感じる感覚と言ってもいいと思います。確かに、誰でも、「ああ、空って、青かったんだ」と思った経験を持っていると思います。all about の記事は、 毎朝の一杯のコーヒー 家族の顔 お気に入りの音楽など、こういった「身近なものに、少し立ち止まって感覚の回路をひらいてみましょう」と勧めています。これがわたしの言っている UTAの発見 のことです。センス オブ UTA です。毎朝の一杯のコーヒーの中に、たくさんのUTA(うれしいこと・たのしいこと・ありがたいこと)があるのではないでしょうか。そして、それは、当たり前のことだけれど、きっと当たり前でないこと wonder なのだと思います。
2008.01.30
平成20年1月30日(水) 曇りご信心しておりますと言う者は多いが、本当にご信心な者というのは少ないようじゃ。本当にご信心であったかなかったかは、代でもかわってみねば、世間の者には確かなことはわからぬわい。金光教教典 金光大神御理解集第三類 尋求教語録 6今日頂いた御理解は、この御理解でした。「代でもかわってみねば、世間の者には確かなことはわからぬわい」というところで考えさせられました。「信心とは、わが心が神に向かうのを信心という」(理3 金光教祖御理解 21)とありますから、信心はどこまでも自分の問題であると思います。それは、自分がお腹が空いた時、誰か別の人に代わって食事をしてもらうわけにいかない、ということと似ているものがあります。しかし、信心は自分一人でしているものでもありません。わたしの場合で言えば、祖父・父母の信心あって、今、神様に向かうことができていると言えます。信心とは一代の事柄ではなく、代を重ねての事柄であると言えばいいでしょうか。代を重ねて祈られているからこそ、祈ることができる、と言えばいいでしょうか。若い時に、こんなことは分かりませんでした。○現代は、いのちを個別化して見ることが基本になっています。「信教自由」という考え方も、一人ひとりのいのちという考え方が根本にあってのことだろうと思います。同時に、いのちは受け継がれ継承されてこそいのちであるということも、いのちの大切な中身として押さえておきたいと思います。
2008.01.30
平成20年1月28日(月) 晴れ昨日は、町内会の新年会でした。近所の仕出し屋さんの2階でありました。こちらに来たのが13年前。地域に溶け込みたくて、一生懸命、新年会に出ました。知らない人たちばかりで緊張しました。昨日は、ビンゴゲームがありました。景品は、数日前に、家内が世話役の人たちと買いに行きました。わたしは、ビンゴの数字を出す係をしました。あとで副会長さんが「今日の新年会は楽しかった」と何度も言っておられました。皆さんと楽しい新年会を過ごすことができて、UTAでした。
2008.01.28
平成20年1月27日(日) 曇り 御結界では、お取次を頂くと、御神米(ごしんまい)を下げてくださいます。御神米は、「確かにお取次させて頂きました」という印です。わたしもそのつもりで、御神米に祈りを込めて、お下げさせて頂きます。その御神米を1000体(御神米は、1体、2体と数えます。体は、「たい」と読みます)拝受されて、今日、「御神米拝受千体祭」をされた方がありました。これまでに1000回お取次を頂かれたわけですが、お取次で頂かれたことをもとにして生活を進め、家族のこと、健康のことなどたくさんのおかげを頂いてこられました。そのことを、1000を区切りとして、1000体の御神米をお供えして、神様にお礼を申し上げたのです。ありがたいお祭りをお仕えさせて頂くことができました。このかたは、わたしがこの教会に来てから、この千体祭は2回目です。以前は平成14年にお仕えしました。おかげを頂かれるはずだ、と思います。
2008.01.27
平成20年1月25日(金) 曇り今日1月25日は、「日本最低気温の日」だそうです。明治35年に旭川でマイナス41度を記録し、これが公式記録としては日本の最低温度ということになっているとのことでした。そして今日は、「中華まんの日」「ホットケーキの日」でもあるそうです。そういう寒い日に、中華まんを食べて暖まってもらいたい、ホットケーキを食べて暖まってもらいたい、ということで、こういう日ができているそうです。「中華まんの日」「ホットケーキの日」は、業界の人が考えたのでしょうが、「そうか、今日はそういう日なんか」と思っていると、ふと心にうかびました。「これが和賀心だ。これを和賀心と言っていいのだ」。和賀心をそのまま読み下すと、「賀を和する心」となります。つまり、自分にあるいは周りの人に、賀=喜び を 和する=加える 心です。日本の最低気温を記録するような寒い日に中華饅頭(ブタマンとか肉まんのことだろうと思います)を食べて暖かくなってもらいたい、ホットケーキを食べて暖かくなってもらいたい。 ――― これは、(その背後には商売のことがあるにしても)和賀心そのものです。日本マクドナルトの創業者・藤田田氏は、「小売業で成幸したかったら、<満塁ホームランを狙う!>というやつは失敗する。小さな改善を毎日積み重ねるしか手はないんだ」と言ったそうです。神様に気づかせてもらって、小さくても和賀心を積み重ねていく。大切なことのように思います。
2008.01.25
平成20年1月24日(木) 雪 → 曇り「ふと思いつくは神心」と教えられています。こんなことを思いつきました。教祖様のいらっしゃった時代は、文化11年=1814年から明治16年=1883年です。今日は1月24日です。文化11年から明治16年までのあいだの1月24日に、世の中では何があったでしょうか。1月24日だったら文化11年から明治16年までのあいだのどの年でもいいです。それをできる限り毎日調べてみようと思いました。そうすると今日1月24日は、1871年=明治4年に、東京・京都・大阪間で郵便業務が開始された日であるということが分かりました。それ故に、1月24日は「郵便制度施行記念日」になっているのだそうです。○今日、郵便事業はめざましい進歩を遂げて、札幌市内とその近郊だったら、その日夕方までにポストに投函したものが翌日には配達されます。道外でも翌々日には配達されます。教祖様の時代には、そういうことはありませんでした。教祖様は33歳(弘化3年=1846年)の時に四国巡りをしておられます。郵便がない時代ですから「今日はどこそこに着きました。安心して下さい」と手紙を書いて送るわけにいきません。留守の奥様は毎日神仏に無事安全を祈願されたでしょうし、33歳の教祖様は思いを奥様や子どもたちのことをお参りする寺々で祈ったに違いありません。郵便がないだけに、かえって深く思いが募ったのではないでしょうか?○日頃考えることもない、そんなことに思いを馳せることができるようになりました。数日前からやっております。そして、思いついたことを、毎日の教話の中に織り込んでおります。
2008.01.24
平成20年1月24日(木) 雪すっかりブログが滞って、今日で20日ぶりのブログになります。何人かの方から「どうしたんだ?」と言って頂いて、恐縮しています。「これを書こう」ということが、一日に一つぐらいは思いつくのですが、このところ体が時々、ぜーぜー・はーはー・どきどき しておりました。それに、御用の方に心が向いていて、1度にあれもこれもできない性格で、ブログに手が回りませんでした。ご心配をおかけして、すみません。でも、昨日は元気に、函館親教会に参拝してきました。そのことを書きます。○朝のご祈念後、お参りされた方の車に乗せてもらって、地下鉄・中島公園駅に送ってもらいました。札幌駅の みどりの窓口 で、函館往復の得割切符を買い増した。冬場は11,000円です。夏より1,000円高くなります。切符を買って、キオスクで新聞とサンドイッチを求め、それから、北口のお手洗いに行きました。「そうそう」と思いだして、またキオスクに戻り、80円切手を一枚買って、ホームにあがりました。ホームにあがると、列車が入ってきました。車内はほぼ満員。列車が新札幌を過ぎたあたりで、サンドイッチを頂きました。そのあと、御伝記を読みました。明治期の教祖様について、あれこれ思いをめぐらせようとおもっていたからです。1時間くらい、そんなことをしていたと思います。そうしている内に眠くなって寝てしまいました。○函館に着いて、親教会に参拝する前に、亀田教会に行きました。お尋ねしたいこともあったし、持参したお昼の弁当を頂かせてもらいたかったのです。亀田教会に行くには、函館駅前からバスに乗ります。そして、バス停・ガス会社前 で降ります。バスに乗っている時間は数分です。この前も、そのようにして亀田教会に行きました。慣れているつもりです。ところがガス会社前で降りて、道路を横断して教会の方に歩き始めたのですが、何か違います。? です。教会はこの近くのはずで、雪が積もっているからでしょうか風景も変わっていますし、教会が分からなくなりました。うろうろ探し回って、ぜーぜー・はーはー・どきどき が出ると辛いので、目の前の交番に入りました。男性と女性のおまわりさんがいて、地図を出して教会を確認してくださり、実に親切に教えて下さいました。女性のお巡りさんは、外に出て「あの通りを右に行って下さい。そうするとすぐです」と教えて下さいました。すぐに教会は分かりました。○帰り、函館発16時43分の特急に乗りました。いつも乗る列車です。切符を見ると、42分発になっています。時間が変わったんだろうか、そんなこともあるわな、と思って、なんの疑いもなく、席に座りました。1号車10Dです。すぐに車掌さんが検札に来て、なんの問題もありませんでした。東室蘭で男の人が乗ってきました。わたしの所に来て、「ここは私の席です」と言います。その人の切符を見ると、1号車10Dとあります。わたしも切符を見せました。「ダブルブッキングちゅうやつやな」と思いました。その人は、空いている席に座りました。しばらくして、車掌さんが来て切符を確認されました。それで、はっきりしました。今乗っているこの列車は、スーパー北斗17号。わたしの切符は、21号でした。それで、42分発になっていたのです。函館発19時42分です。間違っていたのはわたしです。車掌さんも「わたしもきちんと確認できませんでした」と恐縮していました。東室蘭から乗ってきた人。立派だと思います。騒ぎ立てることも文句言うこともなく、空いている席に黙って座っていました。これも親切の一つだと思いました。あとでお礼とお詫びを言おうと思いましたが、札幌駅につくと、急いでおられたのか一番に降りて行かれました。切符を買う時、きちんと確認しないといけません。反省しました。○札幌駅に着いたのは、3分遅れの19時46分でした。25日夕刻に札幌に来られる方があります。札幌駅の東側にあるホテルに泊まられます。わたしはその人を迎えに行くことになっていますが、お泊まりになるホテルの場所をはっきりと知りません。わたしは、札幌駅の東側の方面にうといです。それで、東口からそのホテルまでどう行くのが一番近いか、歩いてみることにしました。今日は親切にして頂いたので、迎えに行く人の案内がきちんとできるのも親切の一つに違いないと思って、道順を確認したのです。札幌駅東側方面にうといのが詳しくなるチャンスでもあります。簡単に分かりました。
2008.01.24
平成20年1月4日(金) 晴れ子供(女の子)が携帯のメールを見ていました。そして言いました。「○○ちゃんが、就職、決まった、って」「よかったなぁ。○○ちゃんて、うち、来たことある?」「一回、来たよ」「ふーん」「◇◇なぁ(子供は、自分のことを自分の名前で言います)、まだ就職できてない子のこと思い出して、神様に祈ってるンよ」「そうか、◇◇は偉いなぁ。たいしたもんや」子供が、友だちの就職のことを祈っていると聞いて、わたしは何か、涙が出そうになりました。うれしかったです。
2008.01.04
1月1日、朝6時の御祈念から天地書附を御神前の正面に掲げて、御祈念することとなりました。天地書附の正面へのお出ましです。当教会の天地書附は、御神前向かって左側に掲げてありました。初代教会長西村道雄先生がそのようにしておられたからです。わたしは平成7年にこちらの教会に来させて頂きました。同年7月9日に西村道雄先生が亡くなりました。亡くなったからと言って、道雄先生が大切にしておられた奉斎様式を変えていいとも思われず、そのままにしてきました。御神前に向かうことが、道雄先生をそのまま頂くことになっておりました。しかし、わたしもこちらに来させて頂いて、今年で13年になります。役員の皆様と相談して、本部広前と同じように、そして、全教の各教会の多くと同じように、天地書附を正面に掲げさせて頂くこととしました。正面に掲げるととてもいい感じです。家内も「落ち着く」と言いました。何人かの御信者さんも「いいです」と言ってくださいました。○このお道は「三願成就の信心」と言われております。すなわち、神様の願い・生神金光大神様の願い・氏子の願い が成就していく道です。神様の願いとは「氏子、助かってくれい」です。生神金光大神様の願いとは「信心を進めて神様に出会ってくれ、神様に出会って信心を進めてくれ」です。氏子の願いとは「助かりたい」です。天地書附には、この3つの願いが記されています。そして、その3つの願いが「一つになる」というのが「一心に願」です。この3つの願いが一つになるところ、それは、自分自身です。自分自身のいのちと言ってもよい、生活と言ってもよい、心と言ってもよい、魂と言ってもよいが、自分自身です。自分自身において3つの願いが一つになることを「天地書附を体する」と言います。天地書附を正面に掲げさせて頂きましたので、今年からは天地書附を体する信心をさらに進めさせて頂きましょう。元日祭では、そのようにご挨拶をさせて頂きました。
2008.01.02
平成19年12月15日(土)十二月四日に、岩見沢教会に行く用事がありました。札幌東教会の大代先生と一緒に行くことになっていました。わたしは午前中に他の用事がありましたので、それをすませて、昼過ぎに札幌東教会に行きました。その前におそば屋さんに行きました。行ったのは、札幌東教会の近く、36号線沿いにある「更科」というおそば屋さんです。その日は、なぜか、無性におそばが食べたくなっておりました。きつねそばを頂きました。さすがプロの味。とてもおいしかったです。つゆもそばもきつねも、申し分ありませんでした。すっかり食べ終わって、わたしは、いつの間にか無意識のうちにネギをすくって食べておりました。これは、どうしてもそうなります。そのあと何日かして、甘木教会の教会誌「しんあい」を読ませていただいておりましたら、教会長先生が大祭で、ネギをすくって頂いたというお話をしておられました。「同じだなぁ」と思いました。 ○たったそれだけのことですが、「信心とはそういうもんだ」と思います。「そういうもんだ」とは、どういうもんだ? ということになります。言葉にすると、「食物を粗末にしない」「天地のいのちを大切にする」ということになりますが、言葉にしてしまうと、消えてしまうものがあります。つゆのなんとも言えぬ甘辛さ、出汁の風味、ネギの苦(にが)辛さ、そばに込められてある祈り(このお店の奥様は当教会にお参りされます)そんなものがとんでしまうような気がします。そんなふうな言葉にできがたいものも含めての「ネギすくい」です。そこに信心があるのではないでしょうか。そして、それを九州の先生も自ずからしておられる。「ネギすくいをしましょう」と言葉を交わしたわけではありませんが、天地を通して響き合っているものを感じます。それがなんともいい感じなのです。
2007.12.15
平成19年12月2日(日)ここのホテルは、朝食代が込みになっていました。1日の朝、ホテルのレストランに行きました。バイキングです。数人の人が朝食を食べていました。近くの席で高齢のおじさん二人が向かい合って食事をしていました。二人とも、1本の足はあぐらをかくように椅子の上で折り曲げ、もう1本は下にたらしていました。背中を丸くかがめて食べていました。そして、大声で話をしていました。「行儀、悪いなぁ」と思いました。なんの仕事をしてこれらた人か分かりませんが、きっと何十年も働いてきて、この国を支えてきた人達に違いありません。その人たちの行き着く先がここか・・という感じです。若い人や子どもたちが見て、「美しい」と感じ、お手本にできるごはんの食べ方、大切だと思いました。○カバンの中には、ハガキを2枚入れていました。そのハガキには、教会長先生と若奥様の名前を書いて、住所も書いておきました。帯広駅には暖かい待合室がありました。そこでカバンからハガキを出して、お礼状を書きました。駅の近くにはポストがあるものです。見つからねば誰かに聞こうと思いましたが、聞くまでもなくすぐにポストを見つけて、投函することができました。○帰りの列車の中で「半落ち」の続きを読みました。間もなく読み終わりました。どんどんどんどん、読ませてくれる小説でした。「半落ち」ですから、落ちてない方の半分があるのです。それは何かということが、ぐいぐいとひっぱってくれます。その内容について感想を書きたいのですが、それを書くと小説の種明かしをしてしまうことになるので、やめておきます。警察官、検察官、新聞記者、弁護士、刑務官など、犯人をめぐっていろんな人が出てきます。その人たちの目から犯人が描かれていきます。この手法は、とても斬新でおもしろかったです。この人達の内面について十分にリアリティも感じることができました。それがこの小説の魅力になっています。
2007.12.02
平成19年12月2日(日)11月30日、12月1日、帯広教会へ行きました。帯広教会の教会長先生は、北海道教師会の元会長です。北海道教師会は今年創立100年を迎えており、その100年の記念事業として元会長へのインタビューをすすめております。そのインタビューを30日にさせて頂きました。○8時45分に教会を出ました。地下鉄・幌平橋から9時3分に乗って札幌駅へ。みどりの窓口で切符を買いました。インターネットで得割切符を予約していました。乗る列車は指定されますが往復10,000円です。函館往復と同じ値段です。切符を手に入れて、西口改札口の前にあるベンチに座ったのが9時15分。列車は10時丁度発の「とかち3号」です。列車が発車するまでずいぶん時間がありました。みどりの窓口が混んでいることを怖れて8時45分に教会を出たのですが、早すぎました。カバンから「みやざき中央新聞」を出して、読みました。第一面の下に「読者からの手紙」欄があって、そこにわたしの「手紙」が掲載されています。その新聞を読みました。すぐに読んでしまいました。みどりの窓口の隣にけっこう大きな本屋さんがあります。そこに行くことにしました。本屋さんにいくと「半落ち」というタイトルの文庫本が目に入りました。以前、好意的な書評を読んだことを覚えておりました。それに、年末だか年始だかのテレビドラマになるという話も新聞で読んだばかりでした。「これこれ♪」と思って、「半落ち」を買いました。○ホームにあがると、とかち3号はすでに入線していました。1号車11Aというのが私の席です。先頭車両で進行方向右の窓側でした。すぐに「半落ち」を読み始めました。ありがたいことに、どんどん、その小説の世界に入っていくことができました。新得(しんとく)についたのが12時15分頃でした。その頃には半分以上読み終えていました。カバンから弁当を出しました。お昼ご飯です。札幌から帯広に行く列車にのると、南千歳 ― 新得間はほとんど山の中で、景色の変化を楽しむということは、まあ、ありません。新得を過ぎると帯広までのあいだは、人家もあったりします。その景色を見ながら、弁当を頂きました。家内が作ってくれた弁当、おいしかったです。○帯広には定刻どおり、12時51分につきました。駅には若先生が迎えに来てくださるということになっていたので、待たせないようにと1番に降りて、すぐに改札口にいきました。改札口で若先生が待っていてくださり、車で教会に送ってくださいました。10分ほどです。お広前にあがり、拝礼をさせて頂き、お結界にお届けさせていただきました。教会長先生は、羽織袴をつけて待っていてくださり、お取次してくださいました。○インタビューは2階の部屋で受けてくださいました。前もってストーブが焚かれていて、部屋を暖かくしていてくださいました。北海道では暖かいのがもてなしの大切な中身です。教務は「理解の世界」、信心は「腹入りの世界」。教師会は「腹入りの世界」に軸足を置いて活動をすすめてきたし、これからもそうでありたい。そんなところから話が始まりました。午後1時半頃から話を聞かせて頂きました。途中何回も若奥様がお茶を入れ替えてくださり、5時頃になって「そろそろいかがですか」と声をかけて下さいました。○だいたい話も終わりましたので、若奥様の手料理でごちそうを頂きました。教会長先生と若先生と若奥様とで頂きました。なんとかんとも、おいしかったです。最初は、朝青龍の記者会見を少し見ましたが、「記者の質問がぬるいですね」ということになり、見るのをやめて、現在の教師会のことで、いろいろと教えて頂きました。テレビは今どき珍しい、チャンネル変換がロータリー式のガチャガチャまわすものでした。教会は、どこまでも もののいのち を大切にするところです。御教えがテレビに現れていました。ふっと時計を見ると、9時を過ぎていました。「帰ります」と言って、タクシーを呼んでもらい、帰りました。駅前の「ルートイン帯広」に泊まりました。泊まりやすい、いいホテルでした。
2007.12.02
平成19年11月27日(火) 曇りNHKの朝ドラ「ちりとてちん」がいよいよおもしろくなってきました。主人公・和田喜代美(貫地谷しほり)が落語家・徒然亭草若(渡瀬恒彦)に入門し、内弟子になりました。毎日、させられるのは炊事・掃除・洗濯の家事だけです。喜代美はドジな性格という設定なので、失敗ばかりします。兄弟子の小草若についてテレビ局に行ったら、幼なじみで同姓同名の和田清海が颯爽として仕事をしているところにぶつかります。小さい頃から清海に劣等感を感じてきた喜代美は、掃除・洗濯・炊事ばかりさせてられていることに我慢できなくなります。そこで師匠に「落語のけいこをつけてつけてください」とお願いするのですが、「けいこはつけている」と取り合ってくれません。そこに兄弟子・草原が来て、「おまえは落語をしたいのか、落語家になりたいのか」と尋ねます。「趣味で落語がしたいのなら、おれがなんぼでも教えてやる。落語家になりたいのなら、掃除・洗濯・炊事をせなあかん。なんでせなあかんのか、それが分かるまでは、師匠はけいこをつけてくれはらへん」これからどうなっていくのか。育つ方も大変ですし、育てる方も大変です。どういう展開になっているのか、どう演じていくのか。貫地谷しほり も 渡瀬恒彦も実によく演じていると思います。○信心もまったく同じだと思います。○一つだけ、残念なことがあります。同じ内弟子で兄弟子の草原の頭です。何というヘアスタイルの名前か知りませんが、長髪にパーマをかけてもじゃもじゃの頭が盛り上がっていました。よく似合っていて、とてもいい感じだったと思います。それがこの頃は、短く切ってしまって、おとなしいごく普通のヘアスタイルになってしまいました。なんで、そうすんの? という感じです。
2007.11.27
平成19年11月23日(金) 雪 → 曇り朝起きると、家内が「大雪だ」と言いました。外を見ると、なるほど雪が降っています。「おとうさん、雪かきしたらあかんよ。ぜーぜーはーはーが来るんやから」と家内に言われました。「分かった。ちょっとだけにする」と言って、外に出ました。玄関をあけると、そんなに大したことはありません。箒で掃いて、あと少しだけスコップを使って、それで終いでした。雪かきをしていると新聞配達の人が来てくれました。わたし 「おはようございます。ありがとうございます」配達の人「いよいよ来ましたね」わたし 「きましたね」なんか自分も北海道の人になったような気がしました。○雪が降ると寒さがゆるみます。そして、静かになります。これが雪のありがたいところです。雪の中を勇んでお参りすると、おかげになります。今朝も御祈念にお参りされた方がありました。神様がおよろこびだと思いました。TVが大雪のニュースをしています。札幌はそれほどでもありません。
2007.11.23
平成19年11月22日(水) 寒い流通業界屈指のヤマト運輸は、「安全第一 営業第二」を基本理念にしていると聞きました。http://www.a-b-c.jp/ogura1.htm「安全第一」を掲げ実践することによって、利益が伴ってくるということであるし、何が大切なのかがはっきりするということでもあるということだそうです。○信心も教会も同じだと思いました。「神一心」「神様一筋」と言いますが、それは何のためかというと「おかげを頂くため」であったりします。おかげを頂かないでは生きていけないわたしどもですから、おかげのための「神一心」「神様一筋」になってしまうところがあるのではないでしょうか。例えばこんなことがあります。毎月の月例祭。お参りする人の数はだいたい決まっています。それでも、お祭りが始まり参向すると、心を神様の方に向けるのではなく、お広前に向けて「何人のお参りがあるか」ということに心が行ってしまっている自分があります。たくさんのお参りがあれば張り切る。少なければ凹む。そうであってはいけないと思いつつ、そうなりがちな自分です。参拝者数を増やすためにお祭りをしているのか、お祭りにお参りされるからおかげを頂くということがあるのか、わけが分からなくなっている自分でした。ところが、ヤマト運輸の理念「安全第一、営業第二」に出会い、そこから「神様第一 おかげは第二」という言葉を得て、はっきりしてきたものがあります。○先日、子どもが学校に遅れそうになりました。家内が「車で送っていってやったら?」と言いました。車で送っていくのはなんの雑作もないことです。子どもの学校まで10分もあれば行くでしょう。でもわたしは、送っていきませんでした。遅れてもいい、遅刻してもいい、という「腹」です。遅れて遅刻して、そこでかっこわるい思いをする、先生に叱られるというのが経験です。そういう経験をして、「遅れてはいけない」という気持ちが育つし、遅れないためにはどうしたらいいかということを学んでいきます。わたしは、そうでした。中学・高校と汽車通学をしていました。1時間に1本というダイヤですから、一つ遅れると大幅に遅刻してしまいます。教室が6つぐらい並んでいて、私の教室は東の端っこ、靴箱は西の端っこ。遅れると、授業の始まっている廊下を歩いていかねばなりませんでした。遅刻して廊下を歩くと、教室で勉強している生徒がいちいち私をチラッと見ることになります。いやでした。その「いやさ」が遅刻しない心を育ててくれた気がします。子どものことを思うとつい体が動いてしまうというのが親ですが、子どもを育てているのは神様です。親はそのお手伝いです。子育ては神様の御用です。車で送っていっては、神様の出番がなくなります。そう思いました。「神様第一 子どもは第二」、すなわち、「神様第一、おかげは第二」です。○「氏子あっての神 神あっての氏子 あいよかけよで立ち行く」ということは、「神様第一 おかげは第二」を現しているのではないでしょうか?氏子が「神様第一 おかげは第二」で神に立ち向かえば、神様は氏子のおかげ第一で向かってきてくださるということだと思われます。氏子と神様のそういう姿を「あいよかけよで立ち行く」と表現されているのではないでしょうか?
2007.11.22
平成19年11月15日(水) 曇り12日、朝6時の御祈念にお参りされた方の車に乗せてもらって、地下鉄・中島公園へ。その時、雨が降っていました。「先生、傘は?」「大丈夫。持って行かなくていいです」と言って、持っていきませんでした。中島公園 06:43。札幌駅に7時前に着き、みどりの窓口に行きました。この度は、切符をインターネットで予約・購入していました。7時30分発の函館行き北斗4号です。予約の画面を印刷して持ってきて下さいと書いてあったので、それを持っていきましたら、実にスムースに切符を手に入れることができました。7時15分頃まで西口改札口の所のベンチに座りました。ベンチには、カップ麺を食べた人が、カップを傍らに置いて眠りこけていました。その隣に座って、新聞を読みました。○7時20分にホームにあがりました。20分頃、入線してくるからです。乗り込んだら、空いていました。座席に座って、教会から持ってきたお下がりのペットボトルを出しました。キオスクで買ったおにぎり1ヶ、サンド1ヶも出しました。ゆっくりそれを頂きました。頂いたら眠くなりました。新聞の続きを読むどころではなくなりました。函館までのほとんどの時間を寝ていました。11時過ぎに着きました。「東北地方、大雨のため、函館から青森方面に向かう列車はほとんどが運休しています」と車内の案内がありました。○函館駅前に、函館バスの待合所・案内所があります。まっすぐここに行って、カードを買いました。市電と函館バス共通で使えます。1000円で買うカードを買うと、1080円分乗ることができます。カードを買って、市電に乗りました。教会にはお昼前に着きました。雨は上がっていました。御信者さんがたくさん御用しておられました。若い先生が一人、わたしより先に来ていて、調饌の御用をしていました。着いたらすぐにお昼ご飯でした。皆さんと一緒に頂きました。山形の芋煮でした。なんとも言えずおいしかったです。教会長先生の奥様の故郷の味です。でも体調の方は、ごはんを頂きながら、不調を感じました。「せめて1台だけでも、調饌をさせて頂こう」と思って、たまごを盛りました。神様と霊様の分です。あとは、乾物・野菜・果物です。先に来ている先生1人とあとから来る先生3人にまかせることにして、わたしは引き揚げることにしました。○ホテルも予約していました。駅前のスマイルホテルです。以前は、ホテル・第2オーシャンと言いました。リニューアルオープン価格ということで、ずいぶん値段が下がっていました。3900円です。通常のチェックインより早い時間なので、電話しました。「準備ができております。どうぞ来てください」と気持ちよく対応してくださいました。ホテルまでは、教会長の妹さんが車で送ってくださいました。その頃は、雨が降っていました。ホテルに入って、休みました。よく寝ます。寝てばかりです。このホテルのいいところは、すぐ近くにコンビニがあることです。夕方、コンビニに行って晩ごはんを仕入れました。わたしは、コンビニの弁当とか、大好きです。でも、あぶらっこいものはやめて、ちらし寿司とか漬物にしておきました。ワンカップも♪○13日、朝はカバンの中からお椀と箸を出しました。粉末のコーンスープとクラッカーも出しました。朝、食べようと思ってカバンの中に入れておいたのです。ホテルで朝食を食べに行くと1000円ほどします。それを始末するためです。「おとうさん、お椀のことをブログに書いたらいかんよ」と家内に言われておりましたが、そうはいきません。8時過ぎにホテルを出ました。いいお天気になっていました。雨で空気が洗われて、澄み切っていました。午前中は、亀田教会に行くことにしていました。教会長先生にインタビューをするのです。北海道教師会の100年記念事業として、歴代教師会長にインタビューすることにしています。それを午前中に予定していました。また、バスの案内所に行きました。「ガス会社前に行くためにはどのバスに乗ったらいいですか」と聞くと、「2番の乗り場から8時15分発」に乗ってください、という案内でした。亀田教会は、バス停・ガス会社前のすぐ近くです。バスはすぐに来ました。空いていました。函館駅から5分ほどで着きました。教会には8時半に着きました。2階の部屋に通して頂いて、すぐにお話を聞かせてもらうことができました。北海道教師会は研修中心の在り方をしていきたいというお話をしてくださいました。心に残る、とてもいいお話でした。「わたしは、どこに出たいということもありません。何を食べたいということもありません。ただただ信者さんが助かればいいという思いだけになりました」そんな話がありました。お話はテープに採らせて頂きました。○インタビューを終わって帰ろうとしたら、お参りの方がありました。函館教会の大祭にお参りに来られた地方の方でした。教会長先生が「車に乗って行きなさい」と車を呼んでくださり、その方と函館教会に向かいました。午後1時からのお祭りは、8人でお仕えになられました。お供えのたまごは大丈夫かな? と目をこらして見てみましたが、大丈夫なようでした。崩れないように、わたしとしては細心の注意をして盛ったつもりです。お話は、親先生(教会長先生の父上)が「天地と人間(その三)」と題してお話しされました。「一人ひとりの人間は宇宙と同じなのだ」というお話でした。3時頃からお直会が始まりました。わたしは、当教会からお参りされた方、亀田教会で一緒になった方と同じ席に座りました。3〇分ほど、いろいろ話ができました。函館教会の方も次々とあいさつ来てくださり、その一人の方が「わたしは、先生のお話が楽しみです」と言うてくださいました。2ヶ月ごとにお話の御用を頂いているのですが、ほんとにうれしかったです。「がんばります」と言いました。あいさつを受けてばかりではいけませんので、後半の3〇分ほどは、注いでまわりました。○お祭りの前に、JRで帰る人を確認しました。そして、4時10分に来てくださいと、タクシーを2台呼んでおきました。「あなたとあなたはこの車」と配車もしておきました。それをしておくと、お直会中に、タクシーを呼びますとか、誰と誰が乗りますとかいう話をしなくてすみます。お直会の最中にそんなことをしてはいけません。4時になったら帰る準備をして、ちょうど4時10分に乗り込みました。道東方面に帰る先生と2人とわたしと、南千歳まで3時間ほど、さらに続きをやりました。
2007.11.15
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