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覚える力・暗記力・記憶力をバケツに喩えるとわかりやすい。覚える力が弱いというのは、穴が空いたバケツに水を注ぐようなものである。 対策として、1 水が漏れても良いので、気にせずどんどん水を注ぐ2 最初にバケツの穴を塞ぐ3 新しいバケツを買ってくるという3つが考えられるだろう。 3番目は人間の脳みそには応用できない。却下。 1番目も駄目だ。記憶力のない子に授業を行うことは、「1」の方法を選択しているのと同じことなのだが、これは2つの理由で意味がない。 1つめの理由は、長期戦に耐えられないからである。もし仮に、穴が空いているのを承知で、どんどんバケツに水を注いだらどうなるだろうか。もちろん、穴が小さければ、もしかしたらある程度はバケツ内に水が残るかもしれない。しかし、そのバケツを持って目的地まで歩いているうちに、水はドンドンなくなってしまうだろう。歩く距離が長ければ長いほど、バケツ内の水は少なくなるだろう。すなわち、学校の定期試験程度ならぎりぎり知識が残っているかもしれないが、入試会場までは知識を持っていけないということである。だから、記憶力がない状態の子に授業を行うことは遠回りなのである。 2つめの理由は混乱を招くからだ。「忘れる」という現象の厄介なところは、抜け落ちていく知識が1つの単元丸々きれいに抜け落ちるのではないということだ。たとえば、「1 不定詞はto+動詞の原形」「2 受動態はbe動詞+過去分詞」という2つの知識を教えたとする。しかし、ある生徒はすぐに忘れてしまう。問題はここからだ。仮に忘れるにしても、1の「不定詞はto+動詞の原形」だけ忘れてしまうのなら良い。なぜなら、その子の頭の中には、少なくとも「2 受動態はbe+過去分詞」は残っているのだから。 ところが、記憶力のない子は、一部分だけ中途半端に抜け落ちる。上の例で言えば、「動詞の原形」という言葉と「be動詞」という言葉が抜け落ちてしまう。そのため、「不定詞はto+過去分詞」という訳の分からないことを言い始めるのだ。これがいわゆる「混乱する」という現象。暗記力のない子に授業を行うと、それらが時間が無駄となってしまうだけでなく、単元が進むにつれ混乱度が大きくなるという事態に陥る。 したがって、上記のバケツの話で言えば、何よりも最初に行うべきは、「バケツの穴を塞ぐ」という2番目の方法になる。
2011/09/14
久しぶりにこちらのブログを更新します。昨日90万アクセスに到達したようです。どうもありがとうございました。 最近つくづく感じることは、勉強の基本は覚える力、すなわち暗記力・記憶力と言われるものであるということ。もちろん、論理的な思考力、読解力、計算力、スピード、情報処理力など、勉強が得意になるための要素は様々であるが、それらの前段階として「覚える力」がない状態で何を勉強しても、すべてが無駄となってしまうということである。 古代ローマには、「穴を掘っては埋め、埋めたらまた掘る」という刑罰があったそうだ。これは肉体的苦痛よりも、精神的苦痛を与えることが目的だったという。他にも、「重い石をA地点からB地点まで運び、それが終わったら再びA地点まで戻す」という刑罰もあったそうで、これも精神的苦痛を与えるためのもの。これらの刑罰が精神的に辛い理由は、人間の精神は、「無意味なことを繰り返す」ということに耐えられない仕組みになっているからだ。すなわち、相手に精神的な苦痛を与えるための最高の手段は、「その日行った作業を、その日のうちに元の状態に戻させる」ということのようである。 これは理解できる。たとえば、「掃除をやり終えたその瞬間に何かをこぼし汚してしまう」、「トランプでピラミッドタワーを作り終えた瞬間に崩れてしまう」、「テレビゲームでレベルアップをした瞬間に、電源が抜け、本日の最初の状態に戻ってしまう」など、その日行った作業が、水泡に帰することは精神的に相当堪える。 勉強も同じだろう。「その日行った作業がその日のうちに元の状態に戻る」というのは、記憶力のない子に頻繁に起こっている事態だ。これは冒頭に書いた拷問と、全く同じ効果がある。「昨日やったはずなのに全く覚えていない。」「あんなに復習したはずなのに、前回の内容を全く覚えていない。」という状態だ。本人に全く悪気はない。 ところで、私が浪人時代にバイブルとして読んでいた漫画に「冬物語」というものがある。浪人生である主人公が予備校に通い、無事?大学に合格するまでの話である。この「冬物語」で、2浪している主人公が、もう入試直前の寒い頃、単語帳を眺めながら絶望するシーンがある。「駄目だ、全然覚えていない」と頭を抱えるシーンだ。個人的に非常に印象的な場面である。 中学生の場合はそれほど意識も高くないので、冬物語の主人公ほどではないだろう。だが、記憶力のない子の絶望感たるや、もしかしたら私の想像以上なのかもしれない。覚える力のない子に勉強を強制することは、実は拷問と同じ効果があるのではなかろうか。最近つくづくそんなことを感じている。あれだけ一生懸命勉強した内容が、翌日にはきれいリセットされているのだから、その虚無感、むなしさと言ったらそれは、精神的苦痛以外の何ものでもないだろう。 学年1位や学年上位が大多数を占めているうちの塾においても、現在成績や偏差値が伸び悩んでいる子はいる。彼らに共通しているのは、覚える力の欠如、暗記力のなさである。(※ちなみにもう1つ。彼ら全員AK○のファンで、定規や下敷きや筆箱のキーホルダーが、A○Bグッズで埋め尽くされている。私の経験上、アイドルやバンドに夢中になる子は、成績が伸び悩むケースが非常に多いように感じている。)
2011/09/14
中1生と中2生の夏期講習を来週で締め切る。中1と中2の夏期講習は例年自由参加にしてある。むしろ、1学期しっかりがんばった人は参加しなくてもいいとまで言ってきた。これは、ある知り合いの塾長さんがそうした方針で運営されていたので、真似させていただいたのだが、今年に限っては、少々中1と中2に不安を感じていたので、なるべく多くの子に参加してもらいたいと考えていた。結果は、2名を除き全員が参加してくれることになった。(参加しない2名は学年1位レベルの子なので、こちらから「参加しなくていいよ」と伝えておいた)この夏で、基礎学力の再構築をしておきたい。土台がしっかりしていないところに家を建築しても、そろは砂上の楼閣。学年が上がるにしたがい、そのほころびは必ず目に見える形で現れてくる。逆に土台工事をきちんとしていれば、たとえば「増築」も「改築」もしやすい。新しい単元を無理なく消化することもできるし、すでに学習した単元を忘れてしまった場合でも復習・遡及が容易だ。学習における土台工事は、建築におけるそれと同じくらい重要。そうした意味で、この夏期講習で少しでもがっちりとした土台を作り上げたい。そもそも、夏期講習で土台作りをしないといけないということは、私自身が反省しないといけないことである。本来は通常授業のみでその土台を作り上げなければならないと思っているからだ。そうした意味で、この夏期講習は私にとっても土台作りのラストチャンスだと思って臨むつもりである。 と言っても時間が無限にあるわけではない。夏期講習と言っても、日数は他塾に比べ限られている。そのため、ある程度内容を絞り込んでいく必要があろう。具体的には、「作業的な基礎訓練」と「いろいろな単元につながる重要な考え方」という2つのテーマを二本柱として進めたいと考えている。問題は後者。非常に難しいテーマのため、何を素材にし、どういった形で身につけていくのか思案中。工夫が必要だろう。
2011/07/03
塾通信の作成が終了した。今回はB4両面2枚分。今回で塾通信は最終回にしようと思う。あまりにも時間と体力を使いすぎる。なお、今回の塾通信のテーマは自学力について。たとえば、定期試験前に生徒に手取り足取り型の指導をすることの弊害、定期試験過去問を塾で配付する弊害。そのあたりを重点的に書いた。 定期試験過去問をなぜ配るのか。それは、あくまでも「塾側の都合」で配付しているだけである。直近の定期試験で良い点数が取れれば、それが集客に繋がるからだ。塾を選択する際、そうした事情は理解しておくべきだと思う。 塾はビジネスなので、定期試験対策を行えば、手っ取り早く生徒を増やすことが可能だ。しかし、そうやってテストの点数を上げたところでどうなるのか。たとえば都立高校。こうした形で内申点をとっても、行ける高校はせいぜい3番手校まで。そして、その3番手校からの大学進学状況を見れば、「塾の力」で内申点を取ったとしても、その生徒の辿り着くゴール地点(←大学受験での)は明らかである。 手っ取り早く点数を取りたいと思っている生徒や保護者は、結局のところ学歴がほしいのだと思う(正確には学校歴)。(違ってたらごめんなさい。でもそうでなければ、なぜテストの点数を上げたいのか、理由がわからない。他に定期試験の点数を上げたい理由があるのでしたら、大変申し訳ありません。)だからこそ、言葉は悪いが、「焦って」直近の点数を取りに行っているのだろう。そこで、定期試験対策をばっちりやってくれる塾を選択する。そこに「将来的に伸びる学力を身につけたい」という考えは、あまりないように感じる。ところが、そうやって定期試験の点数を上げても、せいぜい都立3番手校にしか入れない。都立3番手校からは、良くて日東駒専。多くの子は短大や大東亜帝国。あるいは専門学校や就職。(別にそうした進路がいけないわけではありません。ただ、定期試験の点数を大幅に上げたい方は、私の経験則ではもっと高い目標を持っている場合が多いもので…)親が望んでいた「就職に近い大学」とは、少々離れた進学先が待っている。 「良い点数を取って良い高校に入りたい。だから定期試験対策をしっかりとやってくれる塾へ・・・」その気持ちは痛いほど理解できるが、実はその選択が、逆に就職に近いとされる難関大学からどんどん遠ざかってしまうことになる。学校の定期試験に左右されず、中学段階は暗記力と思考力をじっくり鍛えていく方がいい。たとえ成果がすぐに現れなくても。 もちろん、定期試験対策が悪いわけではない。定期試験という機会を利用しながら、暗記力をつけたり、長時間勉強のスタミナ・集中力を付けたり、思考力をつけたり、実力をつけたり、自学力を付けたり。それができるのであれば、定期試験は最高の機会。しかし、そうではなくて、定期試験過去問を暗記して、手っ取り早くテストの点数を上げるような定期試験対策は、むしろ弊害の方が大きい。(と私は思う) 繰り返すが、塾による定期試験過去問の配付は、(多くの場合)、生徒のためではなく塾側の経営上の理由から行っている。そうしたことも頭にいれた上でその塾を上手に利用するのであれば、それはすばらしい選択だと思う。しかし、そうした事情を一切考慮に入れず、「定期試験過去問の暗記→定期試験の得点アップ→内申アップ→少しでも偏差値の高い高校へ入学→偏差値の高い大学へ合格」という青写真を描いているとするならば、それは大きな勘違いであり、むしろ、そうならない可能性の方が高いということは、親として頭に入れておくべきだとは思う。 その上で「定期試験過去問暗記」という「この世に実在する暗記パン」を利用するかしないか、個別に判断するのがいいだろう。定期試験過去問の暗記は、ドラえもんの暗記パンと同じである。それにより、点数は伸びたけれども、性格がのび太になってしまっては元も子もない。あくまでも個人的意見ですが。追記:まあ、過去問と同じ問題を毎年出題する公務員が最もいけないのは言うまでもありません。
2011/07/02
6月末締め切りの課題を、塾生に与えていたのだが、終わっていない子が大変多い。こういう子は、学校の試験勉強でもノルマを消化せずに試験日を迎えているケースが目立つ。彼らに欠けているのは、「期限までに終わらせる」という観点である。普段の生活の中で、根本的に「優先順位の付け方」が間違っている。夕食を終え、リビングで音楽を聴いたりテレビを見たり…。しばらくすると、お母さんから「勉強しなくていいの?」という声がかかる。すると、本人の頭の中には、一応「試験勉強しなきゃ」という意識があったので、母親に注意されるとイラっとくる。そして「今、やろうと思っていたのに、やる気なくした!」という訳の分からない言いがかりを付けることになる。これなどは、一日の行動の中でも優先順位が間違っている典型。「ドラマを見てから勉強しよう。」「音楽を聴いてから勉強しよう」という発想が、そもそも間違いである。一般に成績の上がらない子の多くは、本来やるべきことを後回しにし、「○○が終わったら勉強しよう」という考え方になっている。逆である。「○○が終わったら勉強しよう」ではなく、「勉強が終わったら、そのご褒美として○○をしよう」と考えなければならない。計画を立て、今日のノルマをテキパキとこなしたら(かといって適当ではいけないが)、自分へのご褒美として「楽しいこと」を行えばいい。しかし、やるべきことが残っているのに、後から遊びの予定が入ると、そちらを優先してしまう子が多い。もちろん、仕事は別だろう。将来やることになる仕事においては、優先順位の高いものが後から割り込んでくることは頻繁にある。会社によっては、「朝令暮改」などは日常茶飯事であるし、ソフトバンクなどは、社長がツイッターで「やりましょう」と呟いたら、即その案件が実行に移されるようだ。しかし、中学・高校の6年間で、果たして勉強よりも優先順位の高いものが入ってくることがあるだろうか。重要でないことを優先し、肝心な試験勉強や宿題が、試験日や提出期限に間に合わないというのでは、明らかに優先順位の付け方が間違っている。 今日は彼らに優先順位について話そうと思っている。「○○が終わったら勉強をしよう」ではなく「勉強が終わったら○○しよう。終わらなかったら、その○○はなしだ。」という考え方を身につけないと、生涯ダラダラした精神を宿すことになってしまうからだ。
2011/07/01
塾講師として良いのか悪いのか、正直未だ結論は出ていないのだが、この5年間を振り返ってみると、指導上大きな変化が1つある。それは「これは覚えてください。」「これは暗記ね。」「ここはとにかく覚えるしかない。」「理屈抜きに覚えるべき項目。」と言った台詞が極端に減ってきたことである。 代わりに増えてきたセリフが「こうやって考えれば覚える必要ないでしょ?」「原理原則を理解しておけば、これ覚える必要ないよね?」「ここも理屈通りやれば、何も暗記する必要ないね。」といった類の言葉。理科は、本日で天体まで来たが、基本的にほぼ全ての単元で「理解しておけばできるでしょ」方針で来た。イオン、電気分解、電池、中和反応、運動とエネルギー、滑車など、全く暗記する必要ないところ。板書も2,3行だけして、その2,3行の知識を使って全ての問題を解いた。 果たしてこれがいいのか悪いのかは難しいところ。とくに中学生くらいの子にとっては、スパンと「これは覚える!」と言ってあげた方がすっきりする場合も多いからだ。 ただ、そのやり方だと、100の問題があったら、100の解法パターンを暗記しないといけない。なるべく少ない知識で多くの問題を解いた方が楽しいし、応用も利く。先々、いろいろな面で伸びるだろうとも思う。もちろん、これは知識量や暗記を否定しているわけではない。知識は多ければ多いほど、やはり有利であることは言うまでもないことだからだ。 なお、上記の指導上の変化にともない、もう1つだけ変化したことがある。それは「説明が長くなった」ということである。まあ、これは当然と言えば当然の結果。 さて、今後はどっち方面に進むか・・・成績上位層の特に女子は、比較的「理解」を大切にしている子が多いように思う。男子の場合は、仮に成績上位層であっても、あまり考えずに手で覚えたい子が多いように思う。成績中位以下の女子は、理解をすることは決して嫌いではないのだが、心とは裏腹に、結局頭に残らず、最終的には暗記で済ませてしまっているケースが多い。成績中位以下の男子は、そもそも勉強しないので、暗記とか理解とか関係ない。 結果的に、うちの塾に成績上位層の女子が多いのは、私の指導方針に合う合わないの問題なのかもしれない。 とにかく、難しい問題だ。
2011/04/17
現在の都内高校受験事情を一言で言えば、「都立大人気」ということ。都立を第一志望にし、私立を併願受験するのが一般的。併願については、お隣の埼玉県と異なり、都内では「併願確約」という言葉を使用することができない。そのため、「併願優遇」とか「加点措置」とか「お受けします」とか「大丈夫です。」という会話が、事前相談では交わされる。 そのため、都内の私立併願はほぼ「やらせ」の世界。アリバイ的に試験を受けに行き、よほどのことがなければ合格する仕組み。 そのため、併願の私立高校の過去問対策は、ほとんどしないという塾がほとんどだ。その理由の1つは、対策をしなくても受かるから。2つめの理由は、そもそも対策をしても難しくて解けないから。 ただ、個人的には、2つめの理由は好きではない。勉強のレベルというのは、あるとき急激に上がる。たとえば、教科書レベルから入試問題レベルになると、途端に難度が上がる。また、公立入試レベルから私立入試レベルになると、やはり難度は急激に上がる。 その難度に対応できるように生徒を鍛えていくというのが、うちの塾の方針。鍛えれば解けるようになる。中大付属も中杉も狭山ヶ丘も錦城も成蹊も日本女子も日大二も國學院久我山も西武文理もちゃんと鍛えてあげれば、生徒たちは解けるようになる。 これを予め放棄するのは、生徒がせっかく実力を伸ばすチャンスを塾側で潰してしまっていることになる。まして、塾の先生が指導するのが面倒、あるいは塾の先生が解けないからという理由で生徒に私立過去問をやらせないのは大変もったいない気がする。 2月に入って私立の難問もガンガン解いてもらったが、その結果、ある子は併願優遇が取れていない高校で見事特進科に合格。ある子は、単願でないと難しい(と中学校と高校側に脅された)大学付属高校に見事合格。ある子は、偏差値的には厳しいと言われた私立難関校に見事合格。 きちんと対策をし、その私立高校向けの得点力を上げることは、やはり必要であると感じる。そして、今日、生徒たちが「都立の問題が簡単に感じる」と感想を述べていた。私立対策を行う最大の効果は、実はここかもしれない。
2011/02/12
今回改めて実感したことは私立高校の合格最低点は「大本営発表」であるということ。 それにしても、よく受かったな~よかった!
2011/02/11
○今日は全国のサッカー少年がボレーシュートの練習をしたことだろう。○中田英寿があと10年遅く生まれていれば、今の代表で輝いたに違いない。岡崎、香川、吉田、李、長友、本田。スピードのある周囲とヒデが絡むシーンを見てみたかった。一方で、ラモス、木村和志、名波、俊輔、遠藤らで構成する老人ホームのような中盤も見てみたい。 ○本日は35分で都立入試問題(英語)を解いた。まだ時間があまるようだ。次回は30分目標にしてみよう。うちの子たちの(都立向け)得点力はすごい。そうなるように指導しているのもあるが、この時期の中学生の吸収力には目を見張るものがある。 本題 ○褒められて伸びるタイプと自称する子で伸びた子はほとんどいない。今年の塾生でも、春先に「私、褒められて伸びるタイプなんです。」と言ってきた子がいて驚いたのだが、やはり成績は下降気味。褒められて伸びるということは、褒められること(ご褒美)自体が目標になっている。 子どもたちは、仮にご褒美や褒められることがなくても、やるべきことはきちんとやれる子に育てなければならない。 「何かもらえるから(褒められるから)、やる」のではない。「やったから、その結果として褒められる」のである。「褒められる云々」は付属品でしかない。大切なのは「やること」。 しかし、「褒められて伸びるタイプ」と自称する子、および「うちの子は褒めて伸ばします」と言う保護者のお子さんは、この原因と結果が逆になっているのだ。「褒めて伸ばす」のではない。正しくは「伸びたから褒められる」のだ。 だから、褒められて伸びると自称する子は、要求されるレベルが上がったとたんに伸びなくなっていく。 そもそも大人になると褒められることなどほとんどなくなる。私が最後に褒められたのは、もう10年くらい前の飲み会。 私が最初のオーダーで「ほっけ」を頼んだら、「お!いいね~赤虎くん」「赤虎君、良い選択だね!」と褒められたのが最後。 褒められて伸びると自称するタイプの子は、褒められることが目的だから一度褒められると飲み会のたびに「ほっけ!」「ほっけ!」「ほっけ!」とオーダーする。 問題はそうではない。メンバーを考慮し、お店のメニューや質を考え、季節を考え、タイミングを考えその上でほっけを頼む。それなのに褒められたいがために、「ほっけ!」と何も考えずにオーダーするのは勉強ができない子がやりがちな行動。ここを改めないといけない。 勉強が苦手で、でも褒められたい子は前回褒められた行動を、どんな場面でも反復する。しかし、教師側は、その生徒に成長を望んでいるわけだから、一度褒めたことや前回褒めたレベルのことでは、こんどは賞賛しなくなる。そこでワンランク上の自分に成長していく必要があるのだが、いつまでも「ほっけ」「ほっけ」状態の子は、そこに成長がない。結果的に成績が伸びなくなる。 「褒めて伸ばす」をポリシーにすると危険なのはここ。 褒めて伸ばすことは、もちろん大切なこと。しかし、それ自体を躾のメインにしてはいけない。「褒めて伸ばす」を実践したいのなら、そこに「成長」「レベルアップ」「ステップアップ」というキーワードがセットでなければならない。 そして、「褒めて伸ばす」の最も危険なことは、学年が上がるなどして、要求されるレベルが上がった場合めったに褒められることがなくなったその子が、すっかりやる気を失ってしまうことである。
2011/01/30
経営でも私生活でも勉強でも「余裕をもつこと」というのは大切である。余裕がないと、とにかく焦る。その結果、いざというところで本来の力を発揮することができない。 話は変わるが、嵐とAKBは個人的にすごいと思っている。なぜなら、テレビも音楽番組もほとんど見ない私が、彼らメンバーの名前を言えるからだ。嵐は、全メンバーの名前を言うことができる。彼らのドラマは見たことはなく、曲もほとんど知らない。しかし、そんな私でもメンバー6人全員の名前が言える。それだけ露出が多いということだろう。AKBについても同様。確か、今年の夏頃は、塾生に「誰が人気あるの?」と質問し、「前田敦子か大島じゃないですか?」と返答されたが、その両者の名前とも知らなかった。顔は当然知らない。ところが、テレビをつければ毎日AKBが出ているし、コンビニの雑誌コーナーに行けば、その表紙のほとんどがAKBである。パソコンを開けば、ヤフーのトップニュースにも、AKBの話題がよく出ている。ここまで来ると、さすがに名前を覚える。名前は分からなくても「主要メンバー」の顔くらいは覚えてしまう。 ところで、そのAKBであるが、何でもメンバーが相当数いるらしい。紅白は見ていないのだが、総勢130名で出場したそうだ。昨日昼食と洗濯のために、いったんお昼頃帰宅したのであるが、家族が見ていたテレビでちょうどAKBが歌っていた。やはりかなりの大人数であった。 しかし、ここで一つ気づくことがある。それは、前の方にいる「主要メンバー」と後ろや端のほうにいる「私が名前も顔も知らないメンバー」(ファンの方すいません)の動作の違いである。前者の主要メンバーには「余裕」がある。それに対し、後者のメンバーには「余裕」がないのだ。後者のメンバーは、いつカメラに抜かれるか分からないので、その瞬間を必死で待つ。そして、いざカメラが自分を映した僅か1秒程度の瞬間に、ここぞとばかりに笑顔でアピールする。ところが、残念なことに、その笑顔や動作に全く余裕がないのだ。見ていてぎこちない。 一方で主要メンバーには、ダンス中に見せる、笑顔や振る舞いに「余裕」がある。自分が必ずテレビカメラに写るということも、どのタイミングでカメラが来るかということも、ある程度分かっている(というか「確信」があるのだろう)ため、しぐさや笑顔が自然なのだ。 結果的に、「主要メンバー」はより美しく映り、「そうでないメンバー」はどうしても素人っぽく見えてしまう。 この両者の違いは、きっと「心の余裕」が生み出したものだと想像する。「必ずカメラが来る」と確信を持っている主要メンバーと、「いつ来るか分からない、もしかしたら一度も映らないかもしれない」と考えているその他のメンバーとの間には、当然であるが、仕草や動作にもその違いが現れてしまう。 思えば、恋愛もそうだ。学生時代などに「彼女ほしい!」「彼氏がほしい!」と必死になっている人は、どうも余裕がない。文字通り「必死」な感じが相手に伝わるのである。その結果、「がっつく」という状態になってしまい、相手は引いてしまう。いつまで経っても彼氏彼女ができない。それに対して、モテる人は違う。どこかに余裕があり、「自分はいつでも恋人ができる」という期待感や自信が心の中にあるので、いざ理想の異性を目の前にしたときも動作が自然であり、結果として恋愛もうまくいく。 経営だってそうだ。お店にお客さんがこない。どうしても必死になってしまう。たまに何かの拍子でお客さんがお店に紛れ込んだとする。ところが、店主に余裕がないので、どうしてもその必死さがお客さんに伝わり、逆に敬遠されてしまう。「買わされる」という不安感と「お店に誰もいない」という静寂さが、お客さんに居心地の悪さを与える。 勉強も同じだ。心に余裕がなく、点数を上げることや合格することにあまりにも必死すぎると、知識はどんどん抜け落ち、テスト本番でもとんでもないミスをやらかしてしまう。理解・理屈ということからかけ離れた勉強になっているため、単なる短期的記憶に終わってしまう。結果的にテスト当日、記憶装置から引き出すことができなくなる。 このように、心に余裕がないときは、芸能人でもスポーツでも経営でも勉強でも、その心の焦りが行動面に出てしまうものだと思う。 普通にやれば十分合格できるものを、つまらない焦りから大失敗する。精神的な余裕は、勝つためには大変重要である。そして、その精神的余裕は、先のAKBの話でも書いたように、「間違いなくカメラが私をうつしに来る」という確信・期待がもたらすもの。入試においても、「間違いなく合格する」という確信や期待をもつことは大変重要である。焦りを排除するために最も効果的な方法、それは自信をもつことだと考えている。
2011/01/02
うちの塾は忘れ物をした場合、自宅まで取りに帰らせている。仮にそれがシャープペンシル1本、消しゴム1本であろうと例外はない。本日はコンパスを持ってこずに帰宅した受験生が3名。さらにテキストまで忘れ、1人で2度も帰宅した子が1名。中1と中2は忘れ物がほとんどないのだが、今年の中3クラスはとにかく忘れ物がひどい学年だった。おそらく、たった1名を除き、全員が2,3度帰宅させられているのではなかろうか。多い子は、年間で10回近く帰宅している。これでは学力は伸びない。学力よりも、忘れ物が改善されないことが何より心配。働けないぞ、そんなんじゃ。 そこで、整理の仕方を春先から何度も何度も繰り返し説いているのだが、今度はそれを実行できない子が多い。多くの問題を解決できぬまま、彼らは入試最終盤に突入する。 ところで、この忘れ物の多い学年の子たちが通う中学。ある中学では、オール5が一人もいないという状況である。学年2位は、うちの塾生であるが、それでも5科目41。本当に珍しい学年であるが、ここに重大な問題が潜んでいる。 先日、生徒たちに聞いてみた。「○○中学で、トップ校(自校作成校)を受験する子はいるの?」すると、驚くことに何とトップ校受験をする子は学年でたったの3名だという。そのうちの2名は、うちの塾生なのだが、うちの塾生ではない他塾の子は、内申が3○しかないそうだ。その内申で、都立の雄N高校を受験するとのこと。学校全体で、深刻な学力低下を招いているのである。 なお、この中学であるが、中3生は比較的落ち着いているのだが、中1と中2がかなり荒れているという噂を聞く。授業は、ほぼ全科目崩壊中。立ち歩きや先生への暴言は日常茶飯事。そればかりではなく、今回のテストは集団で白紙答案を出した子が10名前後もいるという状況。中2に関しては、うちの子で5科目440点を取った子がいるが、何とこれで学年3位が取れてしまう。中1に関しては、もっとひどい。中1の学年1位は、うちの塾生。この子は5科目480点であり、他の中学に混ざっても遜色ない。ところが、この中学に通う他の塾生たちの点数が・・・5科目380しかないのである。私は危機感を持ち、「この点数だと志望校は難しい。これから学年末試験まで毎日来なさい。」と言い、それ以来毎日通塾中である。ところが、聞くところによると、何とこの子たちの点数(380点)でクラス2位だと言うのである。学年でもトップ10以内に入る。驚きである。 これは大変深刻な問題である。公立中学に通う怖さはここである。 現在の都内公立中学は、小6段階で勉強の出来る子、やる気のある子が、私立中や都立中高一貫校へ流れた状態でスタートする。つまり、勉強熱心な子がほとんどいないグループで、公立中学のメンバーが形成されているのである。ところが、その中にいると、その事実に気づかない。自分は学年上位・クラス上位にいるからと言って、安心してしまうのである。 しかし、実際には、将来の大学受験でライバルとなる生徒たちは、目の前からいったん消えているだけ。公立中学で学年上位にいるからと言って安心していると、高校3年になって模試などで私立中の生徒たちと対面したときに、自分の力不足に驚くことになる。そして、問題なのは高校3年になってから気づいても、すでに手遅れということである。(もちろん志望大学による) 塾生たちには常々話しかけている。「みんなの目の前にいないだけで、もっと出来る生徒は大勢いる。今、公立中学が上位にいるからと言って安心してはいけない。実際、公立中学で上位にいても、都立2番手校もギリギリというのが現在の状況。しかも都立2番手校に入っても、その中からMARCHレベルに行ける子は、半数程度。みんなは公立中学に進んだ段階で、既に勉強面では、後れを取っているという意識を持たないといけない。周りに流されてはダメ。将来、大学受験で志望校に合格したいのなら、私立中学のメンバーを常に意識して勉強をしていこう。」と。 この地域でやらねばならないことは、まだまだあると思っている。地元で塾をやる者として、危機感を持ちながら指導し、塾生を私立中学生に負けないように鍛えていきたい。
2010/12/12
都立入試対策と並行して、私立対策も少しずつ進めていかなければならない。といっても、うちの塾は都立受験メインなので、私立を第一志望にする子はまれ。昨年も國學院久我山、中大杉並、法政あたりを受験した子がいたが、基本は都立第一志望のため、私立は併願として受験する子がほとんど。 昨年は、各自受験する私立高校がバラバラであったため、全部の私立高校を授業内で扱うことが出来なかった。ところが・・・ いま、塾生の志望校を見ていたのであるが、なんとクラスの半分が錦○高校特進科というビックリの結果。(※ちなみに偏差値65~69程度の高校。この20年くらいで、おそらく都内で最も偏差値の上がった高校の1つではないだろうか。私が高校時代は滑り止めのの学校であったが、今やトップ進学校。)みな内申もオール5近く取っているので、特進科の併願優遇(加点措置)をとれている。(ちなみに埼玉県と異なり、都内では「確約」という言葉が使えない。) これは珍しい。今後の授業は、錦○高校対策と都立対策の2本立てで進めていこう。錦○高校の試験は、都立トップ校とそれほど変わらないレベル。英語と国語は、自校作成よりも難しいと私は思っている。このテストで7割得点させないといけないので、きっちり対策をしていきたい。 それにしても珍しい。クラスの半数が同じ私立高校を受験するとは・・・(もちろん、今後変更する子がいるかもしれないが) 私の予習の手間が3分の1にも4文の1にもなる
2010/12/08
(3)3番目のタイプは、何をやっていいのか分からずに、とりあえず「プリントください。」と要求してくるタイプ。たとえば、実技教科。学校によってはプリントは一切配らず、試験範囲にも「資料集のP○~○」と書かれているだけのところがある。そこで、その音楽なり体育なりの資料集を見るのだが、これがものの見事に単なる図鑑というかカタログ。全くどう勉強して良いのか分からない。(私もわからない)こんな時に、成績上位層は「いったん考える」←ここ重要「さ~て、どうやって勉強しようか・・・。」(料理人が魚を前にし、「さーて、どうやって料理しようか」と腕を組むのに似ている)と必死でアイデアを生み出そうとする。ノートをまとめてみたり、自分で問題を作ってみたり、友達に勉強法を聞いてみたり、対応はさまざまである。そして、自分なりの勉強法を編みだし、それこそ楽しみながらノートまとめや作業に入る。付箋をつかったり、マーカーを使ったり、各自が思い思いに試験勉強に入っていく。ところが、先ほどの下線部(←ここ重要と書いた部分)がすっ飛ばされて、「先生、プリントくださーい。」という最も手っ取り早い手段に走る子がいる。この子の問題点は、「なーんも考えていないこと」創意工夫とかイマジネーションとかアイデアとか、そうしたものが一切ない。今、手元にある道具(資料集と文具)だけを使い、あとは頭(知恵)を使って何か新しいモノを生み出す、いや生み出そうとするという意思がない。数学や英語の時も同様である。塾のワークも学校のワークも終わった。プリントもノートも覚えた。もう反復できるものは何もない。そうした状態で、「さ~て、次は何をやろうか。」と考えた上で(←ここ重要)「先生、プリントください。」となるのであれば、素晴らしい。でも、そうではなくて、「何をやっていいのか分からないから、とりあえずプリントでも貰いにいこっ!」となる子もいる。結果的には同じプリントをやることになるのだが、両者の間には実は天と地ほどの差がある。私は、将来最も困るのは、この3番目のタイプの子だと思う。彼らには、「自分で考える」という段階が欠けているからだ。それと「創意工夫をする」「アイデアを出す」という力も育ちきっていない。私が高校時代は、クラスのみんなでテストを作り、それをお互いに交換して勉強し合っていた。各自勉強法がバラバラであったが、お互いによく情報交換をした。日常会話に「勉強法」の話がよく出てきていた学校だった。(僕は加わってないけど)でも、今の公立中学では、そうした機会もない。おそらく学校で勉強の話なんてほとんど出てこないであろう。それに技術の発達もあり、簡単にプリントが作れるようになった。しかし、だからといって2番目と3番目のタイプの子をそのままにしておいてはいけない。指導者側で気を付けてあげないと、「工夫と始末の出来ない子」になってしまう。どんな仕事をする上でも「工夫と始末」は大切。これはケチということとは違う。先のブログで書いた2番目のタイプの子には「始末」が不足している。このブログで書いた3番目のタイプの子には「工夫」が不足している。この「工夫と始末」を身につけさせることも、塾の定期試験前の1つの目的になるだろう。もちろん、こうした子たちは社会では必要である。というより、実は会社の社長や管理職、あるいは国家の支配者層や官僚からすれば、こうした子がたくさん増えれば増えるほど楽になる。何しろ、自分からは何もアイデアは出てこないし、工夫することもしないし、何と言っても「問題意識」が希薄なのだから。言われたことはある程度してくれるし。でも、それでは国や会社は停滞するし、本人もつまらないだろう。定期試験前に、この3番目のタイプの子を見つけたら、早速話し合いの場が設けられる。塾における定期試験前の目的というのは、点数を上げることだけではない。生徒たちの勉強法をきちんと観察し、その子の持っている弱点を軌道修正していく場でもあるのだ。成績を上げる重要な要素、それは「問題意識」なのだと思う。
2010/11/16
3期制の2学期期末試験、2期制の2学期中間試験がちょうど重なるこの時期。塾でも、連日生徒たちが試験勉強に黙々と取り組んでいる。うちの塾では「私語」という概念が全くないので、生徒たちは平日の3時間、週末の8時間、一切声を出すことなくひたすら問題演習を重ねる。原則「毎日通塾」なのであるが、今年は塾生の約8割が5科目400点を超えており、450点超えも数名いる状況なので、その8割近くの生徒たちには自主性に任せている。(結果、今塾内には2人しかいない)これらの子は、計画も自分で立て、何か分からないことがあれば質問に来る程度。その質問も、先生を辞書扱いしているような失礼な質問はほとんどない。当塾の質問の95%は「自分で解説を読んだのですが、この5行目の部分がよく分かりません。」「模範解答集には、このように書いてあったのですが、自分の書いた答えでも良いか見てください。」という類の質問。「この問題分かりません。」「これどういう意味ですか。」というレベルの質問はなくなってきた。3月から随分と成長してきた証である。さて、そんなほぼ無言の教室から聞こえてくる音は、ページをめくる音と、隣から未だ漏れてくる(笑)カラオケ音および解体作業の音、そして「先生~、プリントくださ~い」の3つだけである。 その最後の「プリントください。」であるが、大きく3つのパターンに分かれている。(1)1つめのタイプは、学校のワーク・プリント・ノート、塾で配付したテキストなどを全て終えてしまった子でその上で、弱点部分だけを明確にし、「先生、こういうタイプのプリントください。」と言ってくる子あるいは、「一応全範囲勉強終えたので、総合テスト的な、テスト形式のまとめプリントをください。」と言ってくる子である。このタイプの子は、非常によい試験勉強が出来ている。良い結果を出すことも多い。やるべきことをしっかりやった上で、その上でプリントで補強をしたり、弱点がないか最終チェックしたりする。塾の使い方も非常に上手であるし、計画性もある。勉強に無駄・そつがない。 (2)2つめのタイプの子は、学校のワークや塾で配ってあるテキストをやってないにも関わらず(完璧になっていないにも関わらず)「せんせー、プリントくださーい。」と言ってくるタイプ。当然、このタイプの子は、成績が伸び悩む。結局、今持っている教材を反復し、完全にこなしていない状態で、新しいプリントをやっても、成果も出来も全く変わらない。学校のワークで間違えた問題は、新しいプリントでも再度間違うことになるだろうし、その次のプリントでも同じ間違いが繰り返されるだろう。一つひとつの教材やプリントの「復習や反復作業」が出来ていない段階で、プリントを何枚こなそうと、決して結果は付いてこない。根本的に勉強法が間違っている。他塾から転塾してきた子にこのタイプは多い。もちろん、それも1つの方法なのであるが、新しいプリントに行く前に「間違えた問題を解き直す」という段階を作らないと、次の新しいプリントでも結果は同じ。そこを理解してもらいながら、試験勉強を続けていく。 実は、この2番目のタイプの子の問題点はもう1つある。塾で渡したテキスト、学校でもらったワークやプリントをやっていないにも関わらず、新しいプリントを要求してくるということは、つまり、このタイプの子には「もったいない」という考えがないのである。今まで多くの中学生を指導してきたが、成績上位層の子は、物を大切に扱い、無駄遣いをしない。そして、「倹約・節約」という概念が中学生段階でしっかり頭の中に染みこんでいる。それは計算用紙(裏紙)や文房具の使い方を見てもよく分かる。 また、こうした「もったいない」という考えは、勉強面にも結びつく。勉強の出来る子は、親に買ってもらった教材、進研ゼミなどのやっていない教材、塾でもらった教材、学校でもらった教材・・・こうした既に手元にある教材をきちんと利用し、何度も反復する。また、時間に対しても「もったいない」という考えがきちんと持てているので、無駄にする時間が少ない。逆に、自分の持っている教材が不完全な状態なのに新しいプリントを要求してしまう子は、やはり成績にもそれが現れてしまっている。仮に新しいプリント渡しても、そのプリントも大切にされずに捨てられていく。 プリントで○が付いた数だけに満足し、×がついた問題を復習しようとしない。○が付いた問題は、そのプリントをやる前から正解できたはずの問題で、極端な話を言えば、やる必要すらなかった問題。その子にとって勉強すべきは、×がついた問題の方。しかし、それが何の処置をなされぬまま捨てられていく。これでは意味がない。 今手元にあるものをきちんとモノにする。これが成績を上げる秘訣の1つであろう。 校正もせずダラダラ書いていたら長くなったので、続く。
2010/11/16
(私は喫煙者ではない。10年ほど前にタバコはやめた。)さて、表題のことば。タバコを吸っている人同士の会話で、「すいません。ライター持ってますか。」「ライター持ってる?」というセリフはよく出てくる。 そして、「はい、持ってますよ。」「持ってるよ。」とだけ答え、その後ライターを貸してくれない人が、実は少なからずいる。 この事例には非常に多くの問題が含まれており、上記のタイプの方は、かなりの確率で国語(とりわけ小説問題)を解くことができない。 中学生がタバコを吸ったり、ライターの貸し借りをすることはないので、別の質問に置き換えると、たとえば「テスト返却された?」という質問に対して「はい、されました。」とだけ答えてどこかへ行ってしまう子には注意が必要である。 他にも、私が個別的に指導している途中で「何色でもいいけど蛍光ペン持ってる?(←色分けするから筆箱から出してくれない?が省略されている)」 という問いかけに対して、「はい、持ってます。」とだけ答え、何もしてくれない場合もある。 彼らの指導には細心の注意を払う必要がある。受験指導よりもむしろ、対話をたくさん行い、「実は先生は、こういう意味で言ったんだよ。」と教えてあげることも大切。多くの場合、周りにいる大人(親や学校の先生)が、そうした本人の特徴に気づいていないので、塾側で出来る限りの対応を進めていく。
2010/10/12
生徒側にメリットは果たしてあるのだろうか。今は見つかっていない。ちなみに、塾側にはメリットはいっぱいある。(授業準備が楽、テスト対策が楽、収入が安定する。) 一方、同じ塾に通うデメリットはある。○一番遅い子に合わせて行くので、みんなで遅刻する。○夜、みんなでコンビニに寄り道する。 この辺りは、デメリットとしてよく挙げられる。 しかし、それらのことよりも友達と同じ塾に行く意味がないと思われる理由がある。それは順位に変化が起こらないことである。 友達と同じ塾に行って、同じ授業を受けて、同じ宿題をもらって自宅でやって、同じ確認テストのために勉強する。これって、どう考えても、今の成績(順位)から結局変動しないのではないだろうか。 元々の順位というものがある。学力差がある。その順位や学力差は、塾に入る以前に学校及び自宅学習でついた差。ポテンシャルもあるかもしれない。 その両者が(別に2人でなくて、5人でも10人でもいいのだが)、同じ集団塾に通って同じことをやっていたら、結局順位変動は起こらないような気がしてきた。 いや、さらに差が付いてしまうような気がしてきた。 あくまでも私の経験則だが。たとえば、AくんとBくんがいる。成績はAの方が良いとする。そこでBは塾に入る。→Bの成績が上がる。→Bの成績が上がった噂を聞いて、Aが入塾する。→結局、AがBを抜く。 つまり(1) 友達と同じ塾に入ると、今の順位はそのまま(もちろん、みんなで「偏差値」が上がることはあります。あくまでも「学校の成績」は変動がないということ) (2) 友達を紹介するときに、元々自分よりも成績の良かった子を紹介すると、その子に抜かれてしまう。 あくまでも私の個人的感覚です。 結論:学校成績を上げたいのなら、友達と違う塾へ通え。(偏差値を上げたいのなら、その限りにあらず)(1つの塾から学年上位を独占することもある。ただし、その塾生の中だけを見た場合、順位に大きな変動は起こらない。) 来年以降、各中学校毎の定員も決めるかもしれない。
2010/10/06
強い薬ほど副作用も強くなる。これは何も、薬に限ったことではない。ある一定の効果を出したかったら、一方で副作用も覚悟しなくてはならない。 これは経済でも政治でも勉強でも、すべてに当てはまる。小泉首相が言っていた「痛みを伴う改革」にしても、痛みの部分が副作用である。改革を断行しないとならない時は、同時に痛みも覚悟しなければならない。 勉強も同様。劇的に成績や偏差値を上げたければ、どうしても副作用も生じてしまう。時には、習い事や部活をやめねばならぬ必要性も出てくるだろう。娯楽の時間も減らさなければならないだろう。 副作用の伴わない薬は、弱めの薬である。安全ではあるが、効き目の方も穏やかだ。仮に塾に入ったとしても、部活や習い事やテレビの時間が今までと大して変化していないとするならば、それは副作用が全くないということになる。生活パターンに変化がなく、「単に1週間の予定に塾が週2回だけ加わったのみ」という子の成績は、まず伸びることはない。 一方をどうにかしたいなら、もう一方は諦めないとならないこともある。まさにトレードオフの関係である。 部活をやりながら、同時に塾に通っている。これを「両立」という人もいるが、両立ができているのはごく一部の子のみ。通塾効果も大してなく、部活も惰性的に参加しているだけの場合、それは両立とは言えない。弱めの薬を飲んでいるに過ぎないのだ。 本当にどちらか一方に力を入れたとするならば、必ず副作用が出てくる。その副作用がでないで「どうにかこなしている」うちは、なかなか成績が上がらない。
2010/10/04
先日のハイレベル講座では、八王子東の現代文を解説した。自校作成高校であるが、基本は同じ。傍線部の「理由問題」と「言い換え問題」の2つを中心に、都立高校向けの「頭の働かせ方」を指導した。ところで、話は変わるが、「I love you 」という言葉を二葉亭四迷は「私は死んでもいい。」と訳し、夏目漱石は「月が綺麗だね。」と訳したと言われている。たとえば、その二葉亭四迷が書いた文章が入試で出題され、その「死んでもいい」という部分に傍線が引かれてあったとする。次に選択肢を見るとア 自殺願望がある。イ 自分が国を代表してシーナに行ってきます。ウ 私は彼女を愛している。エ 今日は満月です。とある。ここで「ウ」以外にどの選択肢を取ることができようか。(いや、とれるはずもない)先日のハイレベル講座では、八王子東の入試問題と使用し、そうした入試問題の作られ方を説明。きちんと「読む」ことができれば、まるで正答が3D立体映像にように浮かび上がってくるという感覚を覚えたことだろう。数学も英語もここからが楽しいところ。英語については、今年度は長文に入る前に、複雑な英文解釈をワンクッション入れた。「この文さえ訳せれば、まず何が出ても大丈夫」という高校受験レベルでは最高峰の構文を集め、丁寧に解釈した。実際、都立自校作成レベルの問題を見ても、それ以上難しい文が出てくることはない。あとは、それらを速読できるように訓練を重ねていく。ここがなかなか難しいところではあるのだけれど。数学は、次回は新宿高校、その次は国立高校を扱う予定。ほぼオール5の子が受験する両校であるが、受験者平均点がものすごく低い。たしかに複雑な問題もあるが、高校への数学レベルの問題は1つも出題されていない。新中問やウイニングレベルがきちんと出来ていれば、満点とまではいかなくとも、8割は十分に取れる。あえて言えば、塾用教材の標準編は、整数に関する問題が若干弱い。整数問題だけは別途対応していく。今日も「粛々と」入試問題を解いていく。
2010/09/26
学力上位層とそうでない層の行動を比べてみると、あることに気がつく。 概して、学力上位層の子はものを大切に扱う。これはシャープペンシルなどの文具類はもちろんなのだが、塾の備品、その他自転車など日常使うさまざまなものの扱いが丁寧である。ちょっとした作法、行動に気配りができる。紳士的、淑女的な行動をする。 また、学力上位層は、「節約」という考え方も、きちんと出来上がっている。これは「ものを大切にする」という考え方と通ずるものがある。 逆に、勉強の苦手な子は、とにかくモノを無駄にする。消しゴムをボロボロにしてしまうのはよくあることであるが、計算用紙(裏紙)やルーズリーフの使い方1つ取っても非常にもったいない使い方をする。塾に置いてある計算用紙(A4)も、たった1行~2行しか書いてないのに、「使用済み用紙入れ」に捨てて帰る子が大勢いる。見ていると、「あと一歩で400点」というような成績の伸び悩んでいる子ばかりだ。 親から買ってもらったルーズリーフも同様で、まだオモテ面しか使っていないルーズリーフを平気でゴミ箱に捨てて帰る。ウラは全くの白紙。それでもゴミ箱行きである。 一方、学力上位層は、計算用紙の使い方1つを見ても丁寧。無駄にならないようにきっちり使っている。 私は普段、「ノートは大きく、余白をとって、贅沢に使いなさい。」と言っているが、そのことと「まだ使える物を無駄にする」ということは、全く別のことである。 とにかく、学力上位の子たちは、ものを大切に扱う。無駄遣いをしない。こうした考え方は ・問題集を無駄にしない。・1題1題を無駄にしない。・時間を無駄にしない。・宿題を無駄にしない。・通信添削の課題を無駄にしない。 など、さまざまな場面に自然と繋がっていく。 「けち」というのとは違う。「使えるものは最後まで使う。」「無駄にしない。」ということだ。だから、学力上位層は1冊の問題集を何度も丁寧に使い込む。 勉強の苦手な子に限って、まだ学校のワークや塾のワークが完璧でないにもかかわらず、「先生、プリントくださーい。」と言ってくるのはこのことが原因である。勉強の苦手な子に欠けているのは、「もったいない」の精神である。 自分の身の回りのもの(人も含め)を大切にする。これが学力を上げる要素の2つめである。
2010/09/16
うちの塾には学年1位をとっている子が各学年にいる。彼らの共通する特長は、丁寧に問題や作業に取り組めているということである。1つ1つの問題、ページ、問題集を丁寧に丁寧にこなしていく。塾の宿題をやるときも、1題1題丁寧に取り組む。これが学年上位層の特徴である。 そこで指導者は、他の生徒たちにも「丁寧にやりなさい」と指導することになるのだが、生徒たちの95%は勘違いをする。「丁寧にやる」とは文字を丁寧に書き、ペースを遅めることだと思い込んでしまうのだ。 そうではない。「丁寧にやる」とは、きれいな文字で書くことでも遅くやることでもなく、「頭の働かせ方を丁寧にする」ということである。ここを勘違いしている子が非常に多い。1つ1つの設問を丁寧に読み、頭の中で問題文で問われている内容を咀嚼し、そしてノートに考え方を記していく。「こうだからこう、そして、ここがこうなるから結果的にこう・・・」と頭の中で、順を追って、丁寧に丁寧に筋道立てて考えていく。それが「丁寧にやる」ということ。結果的に、文字まで丁寧になるのである。 それを、結果である「文字の丁寧さ」だけを見て、「文字を丁寧に書くことが丁寧にやることだ」と考えてしまう子の学力はなかなか伸びない。勘所はそこではないからだ。文字を丁寧に書くことは、中学生段階の勉強ではとても大切なことではあるが、それよりも「頭の使い方」を丁寧にしなければならない。 問題集を3回、4回と繰り返す際、「確か、この問題の答えは、上から順に(エ)(イ)(ア)(ウ)(オ)だったな。」と何も考えずに、時には問題文さえ読まずに、解いてしまう子がいる。そして、先生に「丁寧にやりなさい」と指示されたことを思い出し、ノートにきれいな文字で(エ)(イ)(ア)(ウ)(オ)と清書する。先生も、そのノートを見て、「お、しっかりやってあるな。」と勘違いする。 ところが、その子の頭の中は「丁寧」になっていない。結果である「文字」が丁寧になっているだけであり、その文字を書く前段階(頭の使い方)がめちゃくちゃなのである。これは料理にたとえれば、見た目はカレーライスになっているのだが、味はウンコ味であるのと、何ら変わりない。 学年上位層は丁寧に勉強している。1題1題きちんと頭を使いながら解いている。だから成績も上がる。きちんと理解した上で暗記しているので、忘れることも少なく、応用問題にも対応できる。 反対に、丁寧にやっているつもりなのに成績の伸びない子は、頭の使い方が丁寧になっていない。もう少し端的にいうと、「常に焦って」勉強しているのだ。とりあえず、理解せず、急いでサッと暗記する。定期試験の結果は、そのやり方でも飛躍的に伸びることもあるが、概して偏差値は上がらない。また、定期試験も教科書内容以外の初見の問題には対応できない。 問題集を5周やっても10周やっても学力の伸びない子の弱点はここである。「丁寧にやる」とは、頭の中を丁寧に働かせることであって、決して文字を丁寧に書くということではない。頭の使い方が丁寧になっていない反復作業は、仮に定期試験の点数を上げることはあっても、学力を上げることにはなっていないのである。 丁寧に頭を使う。これが学力を上げるための1つ目の要素である。
2010/09/16
中3のハイレベル数学は、二次関数の超良問&難問に挑戦。入試前日、「二次関数の問題をどれか1題だけ解くならどれを解くか」と言われたら、「文句なしにくこれ」と言える最上級の1品。 生徒たちに予習をさせてきて、授業ではゆっくり解説した。新しいハイレベル公式も2つ指導。そして、その2つを上手にミックスしながら、解法していく。 線分比の軸への平行移動もぜひマスターしておきたいので、その辺りの問題演習を今後重ねていく必要があるだろう。 中3通常英語では、今回返却された前期期末テストで失敗してしまった子がいる。そのため、今日は午前中から作戦会議(一人で)とりあえず、次回のテストに向け、作戦を練った。「Bプラン」と呼ぶことにした…
2010/09/14
明日からハイレボーゼミを開始する。定期試験中だが、関係なく進めていく。 昨年、「ハイレボープリント」を配ったら、生徒から「先生、なんでハイレベルでなくて、ハイレボーなんですか。」と聞かれた。 まあ、英語の「L」は、単語の途中や後ろに来ると、アメリカ人は「オ」って発音するからなのだが、そんなことは言わず、H先生直伝ということとノリで乗り切った。 ちなみに、不思議なことにLは後ろに来ると、なぜか「オ」に変化する。people(ピーポー) careful(ケアフォー) beautiful(ビューティフォー) little(リロー) level(レボー) フォー! そういえば、レイザーラモン消えたな・・・ 明日授業で扱う問題を3題ほど解いてみたが、すべて却下。探すところからやりなおし。限られた時間で、自宅学習とも絡めて、最大限の効果が出るようにするにはちょっと適切ではない。3校分候補にして解いてみたが、長文が難しすぎる。 問題選択は大変難しい。何題も何題も実際に解いてみた中から、授業で使うものを1つ選ぶ作業。授業回数も授業時間も無限ではないので、最小限で最高の効果が上がるように問題を選ばなければ。また、眠れない日々が2月まで続く。
2010/09/02
ピンチの時に、ドラえもんの道具が頭の中に思い浮かぶ子
2010/08/25
中学生の指導は、ある意味根比べという側面を持つ。「丸付けはこまめにしなさい。」「新しい単元に入った場合の丸付けは、1題ごと丸付けをしなさい。」と言っても、少し目を離すと、2~4ページくらい全く丸付けをしないで、どんどん進めていく子がいる。結果、その2~4ページ全てにバツが付くなんて子もいる。 そして、このようなタイプの子は、往々にして偏差値が上がらない(学校成績は上がるケースはあるが、偏差値が上がらない)。 偏差値は、初見の問題に対応できなければならない。複雑な図形問題を見て、「あ、これは等積変形を使うな!」「この問題は、相似ではなく三平方だな。」「この問題は、中点があるので、中点連結定理か重心を疑ってみよう。」「この一次関数の傾きは、4分の3ということは、この部分に直角三角形ができるな。」などと判別する力が必要。そして、そうした判断力を鍛えるためには「先生が例題を説明して、生徒がその下の類題をパターン練習して・・・」という方式では、いつか限界が来る。このやり方で応用力や判断力が付くのなら、全国の学習塾の生徒、公文式に通っている生徒の全員に応用力が付いてしまう。もちろん、このやり方で応用力が付く子もいるが、それは単なる偶然。その生徒の能力がたまたま高かっただけで、それが塾の指導力や教材システムのおかげであると、あまり単純化しない方が良いと思う。 パターン練習は非常に大切なことであるが、パターン練習の弱点は、生徒がそれこそ「機械作業」に特化してしまうことに他ならない。つまりは頭を使っていないのである。類題演習は必要であり、有効である。しかし、類題演習を応用力へ昇華させるには、「1問1問大切に扱いながら」類題演習をすることが必須の条件。ところが、1題1題解いていく際、いちいち「これはここに補助線を引いて、ここに相似を見つけて・・・」と考えながら練習できる子は少ない。そうだとすると、その類題演習は、単に計算練習をしているに過ぎない。あるいはシャーペンの芯を消耗しているに過ぎない。あるいは、時間を浪費しているに過ぎない。 丸付けがこまめでない子は、面倒くさがり屋さんの場合が多い。1題ずつ理解して勉強することを嫌う。多量の練習量でカバーする暗記型タイプが多い。学校成績で400点前後の子に多いタイプで、模試を受けると、学校成績に比べ偏差値が低く出るためがっくりくる。いわゆる「得点力がない子」と言われる子たちだ。普段から、考えながら勉強する習慣がないので、初見の問題に巡り会った際に、応用が利かない。 類題演習も必要なのだが、その練習をしながら、「今自分は全体の中で、どういった部分の何をやっているか。」をきちんと意識しながら練習させることが必要である。三平方の定理の基礎訓練を繰り返す際、「ここは60度、ここは30度なので、直角三角形の特別角が使えるな」と、それこそ1題1題丁寧に「頭で独り言を言いながら」解かないと、模試や入試で特別角に巡り会った際に、気づかないまま通り過ぎてしまう。 ところで、丸付けがこまめでない子の勉強上の弱点は、やり直しが出来ないということに尽きると思う。冒頭の例で言えば、新しい単元に入ったにもかかわらず、2ページも3ページも自己流で演習するものだから、答え合わせをしたら全問間違えているという悲惨な状況になることさえある。 新しい単元でバツが連発されるデメリットは挙げればキリがない。まず、本人がその単元に苦手意識を持つ。次に、あまりのバツの多さに「解き直し」への意欲を失う。さらに、間違った方法で何度も何度も類題演習してきたので、それを修正するのに時間を取られる。スポーツで言えば、初心者がめちゃくちゃなフォームで練習をしてしまったようなものだ。矯正するのに多大な時間を要する。そして、何より時間がもったいない。今、2~4ページ解いてきた時間が全く意味のない時間になってしまったのだから。 人間の中には、「初めのインプット」が強いタイプの人がいる。これは大人でも子どもでいる。このタイプの人は、仕事などを一緒にしていても緊急の用件に対応できなかったり、途中で会社の方針が変わったりすることを極度に嫌う。朝令暮改なんてことは、動きの早い会社では頻繁にあることなのだが、「最初のインプットの強い人間」は、「え~、もう仕事やり出しているのに!」とイライラしながら、変更に対応していく。その結果、よい仕事が出来ないばかりでなく、上司からの印象も悪くなる。 勉強も同じで、こうした「初回のインプットが強い子」が、新しい単元で間違ったやり方で延々と練習すると、とんでもない悲惨な状態になる。何しろ、いま勉強してきたこと全てやり直しなのだから。そして、それを修正するのにも、普通の子よりも時間がかかる。「正しい習慣」はなかなか身に付かないが、「変な癖」は容易に身に付く。 これを防ぐためには、やはり冒頭の「丸付けはこまめに」の徹底である。とりわけ、新しい単元に入ったばかりの時は、たとえば大問の(1)の段階で丸付けをさせても良い。うちでは、とにかく丸付けは1題1題丁寧にやるように指導している。(もちろん、2周目、3周目は、まとめて丸付けをさせているが)
2010/08/25
勉強できる環境にありながら、勉強をしようとしない子がいる。じゃあ、やらなくてもよい。私は、そういう子にたいしては徹底的に勉強をさせない。勉強したくてもさせない。授業を聞きたくても聞かせない。 意識が上がってこない中3クラスは、この夏期講習で国語の授業を中止した。予習をきちんとやってこない。分からない言葉があっても辞書もひかない。毎回毎回何度も何度も予習の仕方と重要性と国語の偏差値の上げ方を指導してきたが、届かなかった。春には、授業を1回つぶし、オリエンテーションをしたが、全くその通りの勉強法が出来ていない。要約を提出してくる子も、ほぼ皆無。何度も何度も、いくら言っても勉強姿勢が改善されなかった。そのため、この8月で国語の授業を打ち切った。今の姿勢で続けても時間のむだ。彼らの勉強姿勢でやっても偏差値が上がらないのは目に見えているので、だったらその国語の時間がもったいないと判断した。あとはカンやセンスで入試を乗り切ってくれればいい。国語は、公式なんてしらなくても何となく読んで何となく解けば何となく答えが出てくるから、そんな感じで何となく入試の日を迎えて、何となく入試問題を解いてくればいい。 次に昨日、ついに英語の再テストを中止にした。というより2名を除き、テスト自体中止にした。たった10問程度の単語テストで、満点合格できない。中には3,4問間違っている子もいる。 難しい単語など1つもない。全て中1レベルの単語。「中間期末テストの時は、こんな暗記の仕方で臨むの?」と聞いたら、みんな首を振った。つまり、塾の小テストはどうでもいいということかな。ということで、英語のテストも中止した。印刷代と作る手間がもったいない。それに授業内でテストに費やす時間ももったいない。そこまでテストが嫌なら、もう塾ではやらない。たった10題のテストで満点を取れないなら、トップ校など難しいだろう。 宿題は、昨年の3分の1~4分の1に減らしているにもかかわらず、それでも勉強してこない。これは時間の無駄だと判断した。 というわけで、彼らがいくら勉強したくても、テストをやりたくても、今後当分は国語の勉強と単語のテストは、塾ではやらさせない。本当に国語の勉強がしたい、本当に単語テストがやりたい。そんな気持ちになるまで彼らには一切勉強させない。 そんないい加減な気持ちならやらない方がましである。 目の前にやるべき課題がある。覚えるべき小テストがある。勉強できる環境にある。塾に行く費用がある。税金で通える公立校がある。その幸せを全く理解していない。それが分かるまで、もう勉強しなくてもいい。 まあ、自主性を育てる良い機会なのかもしれないが。
2010/08/22
残念ながらあると思う。頭が良い、悪いなんて区別すると、保護者の方から叱られそうだが、現実問題として「限界」はある、と私は思っている。その限界が早く来る子と遅く来る子がいるというだけである。 ある少年は小学校の割合や速さで限界。中には九九で限界の子もいるだろう。中1内容が限界の子もいれば、中3内容が限界の子もいる。私だって、大学受験レベルが限界。司法試験や国家1種試験レベルは私には到底無理。この中1レベルが限界である子と大学受験レベルが限界である私とを比べて、前者は頭が悪い、後者は頭が良いなんて果たして言えるのだろうか。勉強の出来る出来ないなんてことを言えば、一部の天才を除いて、全員「できない」わけだ。各自「限界」が来る段階がバラバラなだけ。私だって、高校受験や大学受験レベルの業界で働いているから、生徒から見れば「出来る」ように見えるが、私がハーバードやシカゴ大にいけば、授業に全く付いていけない単なる落ちこぼれ。そこが私の限界点。 大学教授という人たちは、勉強の限界点が来るのが遅く、小学校から大学受験レベルの勉強はクリアできた人たち。さらに大学の勉強や院試レベルの試験もクリアできた。その人たちも、国家レベルの研究内容になって初めて限界にぶつかってくる。「1番じゃないとダメなんですか。2番じゃダメなんですか」という世界1位、2位のレベルで限界が来るだけ。天文学者だって、せいぜい太陽系の調査が限界なわけだ。 このように、中1で限界が来る子もいれば、その限界が大学教授になるまで来ない人もいる。それを「なんで中1の方程式すら分からないの?」なんて言ってもそれは酷な話。自分が世界経済や宇宙について全く分からないのと同様、その子には中1の方程式が全くわからないのだから。 「勉強ができる・できない」なんて言うのは、つまり、「今その学年の勉強内容」がその子にとって限界なのか余裕があるのかということを論じているいるに過ぎない。 つまり、残念ながら中1段階で既に限界点に達してしまう子は少なからずいるわけだ。(中には努力不足の子もいるが)もちろん無理矢理暗記させたり、試験前に詰め込んだりすれば、今回のテストは切り抜けられるかもしれない。しかし、本人が「一応暗記したから点数は取れたけど、結局いま私は何をやってるの?ここはどこ?私はだれ?」なんて思っていた場合は、それが真の理解に繋がっていない証拠。ある意味、限界ではある。私も正直、国家レベルの経済学なんて全く分からない。国家2種のマクロ経済とミクロ経済が限界だ。日本の景気がどうすれば回復するかなんて全然分からないし、消費税を何%にすれば良いのかもわからない。 このように一般に「頭が良い・悪い」と言われる区別は、頭の良さや悪さではなく、限界が来るのが早かったか遅かったかということを論じているに過ぎない。 しかし、勉強でこうしたこと言うと、いろんな方面からお叱りを受けるケースがあるから、誰も言い出せない。 ところが、同じ主旨のことをスポーツの世界で言うと、今度は許されるから不思議だ。たとえば野球。ある少年は小学校レベルの野球で限界。中学ではレギュラーになれない。ある少年は中学レベルで限界。中学の部活では活躍したが、高校野球では通用しない。ある少年は高校野球では凄かったが、大学野球では限界(例:仙台育英→早稲田の大越)ある少年は大学野球では凄かったが、プロでは限界(例:カツノリ、猪俣)ある少年はプロの2軍では大活躍したが、1軍では全くだめ(例:阪神→広島の喜田剛)ある少年はプロの1軍には上がれたが、控えレベル(例:田中秀太)ある少年はプロでは活躍したが、メジャーでは全くだめ(例:松井稼頭央) 勉強も同じ。限界点が早く来る子もいる。そうした子には別の道を探してあげたい気もする。 だが、それができない理由は3つ。(1)日本が学歴社会であるから。野球やその他スポーツは出来なくても大して問題ない。しかし、勉強を捨ててしまうと、将来背負うリスクが大きい。そして、その「学歴」とは、大学の出身名で語られることが多い。つまり、日本で「頭が良い、悪い」という場合は、高校3年生までに勉強の限界点が来たか来なかったかで判断されるケースが多い。一般に「頭が良い」と言われる人でも、それはたまたま大学受験までに限界が来なかった人たちであり、単なる幸運な時代に生まれただけ。もし日本の学歴が「大学院」で語られる時代に生まれていたら、今「頭が良い」と言われている人たちも、逆の立場になっていたかもしれない。「おれ、ただの大卒だから・・・。学はないし・・・」のように。 (2)「やれば出来る」という科学的根拠のない思想が最も蔓延しているのが、教育業界だから。つまり、野球の道は「これが僕の限界」と比較的簡単に自ら諦める人が多いが、勉強の道に関しては結構諦めの悪い人種だったりする、日本人は。その証拠に「偏差値○○から大学受験」とか「元不良が大学受験」とか「○○式勉強法」なんていう本がよく売れる。こうした本が売れるということは、そのタイトルを信じる人が多いということ。(心の底で、「もしかして僕にもできるかも」と思っている)逆に、「大リーグ養成ギブス」なんて売っても多分売れない。それは直感的に誰もが「それは無理やろう」って分かっているから。 (3)「運動神経が悪い」「歌が下手」「料理が下手」「手が不器用」という言葉は、言っても許されることが多いが(=笑い話になるケースが多いが)「勉強が苦手」「頭が悪い」というのは、絶対に許されないある種タブーな言葉だから(=「笑い」ではなく、その場が「苦笑い」になってしまう)。 そんなことを考えながら、朝から事務仕事を片づけ中。
2010/08/19
ビジネス書コーナーに行くと、その種類に圧倒される。私も20代の頃は、ビジネス書を読みあさったが、最近はどれも似たり寄ったりの内容なので読まなくなった。そもそも「背表紙のタイトル」だけ見れば、それで十分なビジネス書が多すぎる。・大事なことはすべて記録しなさい・整理しないで捨てなさい・仕事は2割増しでやれ・情報は一冊のノートにまとめなさい・人と違うことをやれ・1週間は金曜日から始めなさい・3分以内に話はまとめなさい・「すぐやる人」になれば仕事はぜんぶうまくいく これらのビジネス書は、タイトルだけ見ればもうそれだけで内容は十分予想がつく。実際読み始めても、ほとんど目新しいことが書かれてない。タイトルに言いたいことが凝縮されているからだ。 というわけで、上記の本の通りに行動するなら大事なことは全て記録して、不要なものは捨てて、仕事は2割増しでやって、情報は1冊にまとめて、人と違うことをやって、金曜日退社前に来週のスケジュールを考えて、話は3分以内でまとめて、「すぐやる人」になればいいわけだ。うん。完璧。ただ、これってごくごく普通のことなどではないだろうか。もし仮にだが・・・大事なことを記録しない、整理できずゴミをためる、言われた仕事しかやらない、情報がいろんな箇所にバラバラに散在している、人と同じことしかやらない、月曜日になって慌ててその週の稼働計画を考える、話が長くてまとまらない、すぐに仕事に取りかからない・・・こ、これってダメ社員ではないかっ!こんな社員ばかりになったら、その会社、そしてこの国は間違いなく滅びていくだろう。このようにビジネス書が大量に出版されている国は危険だと思う。受験業界で言えば、「勉強法」「参考書の選び方」「予備校の選び方」に関する本が大量に売れているのと同じこと。そんな本ばかり読んでいる受験生は合格できない。 ビジネス書コーナーが書店で幅を利かせているこの国には、政治や財政問題だけでなく、国民レベルでも問題点が多いと思う。要約すると問題点は2点、1 そもそもビジネス書でこうしたことを学ばないと分からないという社会人(成人)が多いということ2 また、そうした社会人を育成するOJTが整っていないことである。このような状態では、今後中国企業や韓国企業に日本企業が支配される日もそう遠くはないと見ている。ビジネス書で書かれているようなことは、できるなら中学生段階で身につけさせたい。
2010/08/14
中3の夏期講習では、「講義」の時間を多めに取っている。演習時間と講義の時間が5:5、時には3:7程度の比率になる。(国語などは完全に講義形式。自宅での予習が必須)一般に中学生の指導に置いては、私は演習時間を多めに取る方が良いと思っている。単元にもよるが、演習:解説の比率が3:7、場合によっては2:8や1:9程度でも良いかもしれない。解説は最小限に抑え、生徒が自分で理解し、演習を重ねる中で出てきた疑問に関しては、その都度解説を補足していく方が、中学生には向いている。とりわけ、学力中位から下位の層に対しては、その手法が良いと個人的には感じている。 しかし、中3生で自校作成を受験するのであれば、話は変わってくる。自校作成の問題を解くためには、1つの問題を使い、多角的に解法分析を行う必要がある。別解を示したり、私自身の思考過程を板書で再現することも時に必要になる。自校作成は、数学にせよ、国語にせよ、1題解くのに多くの時間を取られる問題ばかりなので、「量での勝負」がしづらい面があるのだ。既成の塾用教材や市販教材を使って、何百もの問題パターンを繰り返しても、入試本番では全く見たことのない問題に出くわす可能性がある。 そうした問題に立ち向かうには、やはりある一定の「頭のやわらかさ」が不可欠。そして、そうした能力を養うには、1つの問題を使って、別の問題にも応用できるような形の思考訓練をしていくことが大切である。 ただ、こうした授業形態にすると、やはり付いてこられない子は出てくる。扱っている問題も、最近は標準から応用問題を中心になっているため、成績上位層以外には厳しい授業形態になっていることも事実である。 来年からは選抜テストを設けることにする。現在ご予約頂いている方にもテストを受けてもらおうと思っている。 今まで私の過ごしてきた塾講師人生を振り返っても、偏差値40の子を50に上げることよりも偏差値55~60の子を75に上げる方が得意であった。 そのようなことも踏まえ、「うちの塾に出来ることと出来ないこと」をはっきり打ち出し、来年度以降の経営方針を決めていきたい。
2010/07/29
明日から(正確には本日から)夏期講習が始まる。まだまだ準備が終わらないので、急ピッチで作業中。 夏期講習に臨むにあたり、中3生に初めに言っておくことは、「細かい計画を立てたり、あれもやろうこれもやろうと欲張ったりしない」ということである。というより、計画は立てないでいい。 とにかく、塾で与えられた教材と毎回の確認テスト・宿題をきちんとこなすこと。まずはそれだけでいい。 他塾のことは分からないが、うちの塾に関しては、塾以外の余計なことをする必要はない。都立受験から逆算し、夏休みにやっておくべきことはきちんと提示するので授業に欠席せず、宿題と確認テストの勉強を行い、時間のある限り反復する。それだけでいい。 夏期講習用テキストは一切使用しない。全て通年用テキスト。ボリューム、質ともに最高に近いものだと考えていてくれていいと思う。 最高の教材に、十分な授業時間、そして授業にリンクする形で自宅学習を上手に絡めて最高の学習効果が上がるように指導していくつもり。さて、準備に戻ります。
2010/07/20
塾は1学期が終了した。同時に、3学期制の1学期中間および1学期期末、ならびに2学期制の前期中間の塾生平均も出そろった。1学期ということで、ほとんどの子は5科目400点を超えているが、中には300点台であった子もいる。両者の差はかなりある。また、400点台前半の子と400点台後半の子の差も大きい。300点台を取ってしまった子、とくに中1生と中2生で300点台であった子は、やはり国語の力に弱さを感じる。それが普段の会話にも出てしまっている。中1と中2の子たちは、塾にやって来ると、私に対して「最近学校であったこと」を説明したがる子が多い。そこで私は注意深く聞いてあげるのであるが、どう頑張っても全く理解できないことがある。そのほぼ全員が300点台の子である。300点台の子が一生懸命、「今日ね、こうでね、こうでね、そしたらタケシって人がね・・・」と説明しているのだが、全く意味が分からない。国語力の弱さが会話にも出てしまっているのだ。私は、家庭内の会話が、こうした子どもたちの国語力に影響を与えていると考えている。家庭内で簡単な言葉しか出てこない場合、どうしてもその子の国語力、そして会話力は低い位置でとどまってしまう。子どもたちが「うん」「ううん」「食べる」「食べない」「いる」「いらない」と答えれば済むような発問しか親からなされない場合、子どもたちの国語力は当然のように伸びていかない。これは当たり前のことで、上記のことを英語に置き換えてみると大変分かりやすい。たとえば日本人の少年Aくんが、アメリカでホームステイしているとする。アメリカ人「How are you doing?」Aくん「イエース、イエース」アメリカ人「Let's hang out!」Aくん「オー、イエース!」アメリカ人「Give me a hand, please.」Aくん「イエース」アメリカ人「What do you like?」Aくん「ノーノー」このAくん、果たして英語力があると言えるだろうか。いや、どう考えても片言の英語しか話せないのがバレバレである。(テンションが高いだけ救いがあるが・・・)おそらく、Aくんの英語力は、どう見てもTOEICスコア8点くらいだろう。河合塾の記述模試を受ければ「偏差値3」くらいになるだろう。(仮面ライダーの変身のポーズで、「偏・・・差値、3!」とやってもいいくらいの英語力だ。)つまり、全く英語力がないわけである。日本語でも同じである。中学生くらいになると、家庭内において「うん」「ううん」「食べる」「食べない」「いる」「いらない」くらいしか喋らなくなる子がいるが、これでは当然国語力など育つわけがない。中学生にもなって、片言の日本語しか喋っていないのだ。それは幼児が使う日本語力と全く変わりがない。よく「英語は語学だから毎日触れなさい」と言われる。多くの英語の先生が言っているだろうし、多くの日本人が中学時代に言われてきた台詞であろう。日本語だって語学である。家庭内の会話において、「うん」「ううん」「食べる」「食べない」「いる」「いらない」しか普段喋っていない子は、当然だが、日々「日本語力」が退化していっているのである。学力を上げたいのなら、まずは家庭内の会話を増やすことが重要である。模試の偏差値や学校の成績を上げる前段階として、子どもたちが「うん」「ううん」「食べる」「食べない」「いる」「いらない」と言えば済むだけの質問をなるべく避けることが必要だろう。普段片言の日本語しか喋っていない中学生が、いきなり国語の評論文を読めるわけがない。それは、まだ「イエスとノーとBe動詞」しか知らない中1生が、大学受験の英語長文を読むようなものだ。まず不可能である。核家族化、共働きの増加など多くの問題を抱えている日本であるが、出来る限り家庭内における会話の機会を増やし、そして自分の意思をきちんと説明できるようにすること。これが学力増進の第一歩である。 極論だが、特定の「発言力のある子」だけが活躍する小学校の総合学習の時間など削って、地域のお年寄りに協力を願い、お年寄りの方と喋っていた方が、よっぽど学力が付くと思っている。
2010/07/18
最近事務作業が多い。よく考えたらやらなくてもいいような事務作業がいくつかあったので、それらは片っ端から捨てていったが、それにしても多い。今さっきまで、ハイレベル演習ゼミの教材を考えていた。なるべく料金を低く抑えたいので、何パターンかシミュレートして、一番安くなるパターンで決定した。少しでもご家庭の費用負担を減らせるように工夫するのも、店長(塾の場合は塾長)の腕の見せ所なのかもしれない。もちろん、教材費(材料費)を削ったからといって、それにより指導内容や学習効果が下がってしまってはいけない。そこはちゃんと最高のモノを与えられるように、日々私自身が努力していかねばならない。 最近は、ブログの更新頻度が下がっている。その分の時間は内部広報の文書へ回っている。先週もB4両面で2枚、文字数にすると約16000文字の文書を書いた。一太郎では何文字打ったのか、そして漢字の比率が何%なのか、すぐに分かるようになっている。私が内部向けに打つ文章の漢字比率は、毎回ほぼ35%。これを1つの基準にしている。これより多くなると、読み手が疲れる。本当は漢字が20%台だと読みやすいのだが、それは「雑誌類」の漢字比率。子どもたちにあえて負荷をかけるために、20%台にならないようにしている。 中3は本日感嘆文を扱った。そもそもこの感嘆文はどの学年の配当なのだろう。中学時代は感嘆文を習ったことがないのに、高校へ行ったら「感嘆文は中学でやったよね?」と言われる生徒も多いことだろう。今回は文パタやオリテキで感嘆文があったので軽く説明した。感嘆文の語順は覚えにくい。というより私は中学時代覚えられなかった。(そもそも覚える気もなかった笑)確か中2の頃、Z会で感嘆文があったのだが、「How + 形容詞 なんちゃらなんちゃら・・・」を読んで、嫌になった記憶がある。なお、私のZ会時代のニックネームは「ビートさんま」(←実話)だが、ランキングに乗ることもなく、その名前は一生を終えた。(そもそも添削課題を提出した記憶がない) 感嘆文に入る前に、This is a very old car. と This car is very old. の書き換えを数題やらせて、SVに下線を引かせる。そして、それぞれを感嘆文にさせれば、生徒たちはそれほど躓かない。会話では全く使えない手法であるが、受験英語という観点からすればそれで得点できる。(そもそもネイティブの日常会話では、感嘆文のSVを省略するわけだから、だったら受験英語に特化して教えた方がサッパリする) できれば、この単元を使って、形容詞と副詞について再度確認する機会を取れれば、なおいいのだけれど、それをやる時間がなかったこととクラスの雰囲気を見て、1つの授業内でそこまで扱わない方がいい場合もあるので、今回は避けた。 なお、What の感嘆文では、名詞が2つ重なる。すなわち、「What a 形容詞 名詞 S(名詞) V!」の形容詞に修飾されている名詞と、その直後にくる主語である名詞。また、Howの感嘆文では、名詞は1つ。すなわち、「How 形容詞(副詞) S(名詞) V!」の主語の位置に来る名詞。中学生の間違えやすいポイントとして、この「How感嘆文」のSにくる名詞を、「What 感嘆文」の1つめの名詞と勘違いしてしまうということが挙げられる。(赤字の部分)これについては今日の授業では言及しなかった。次回、宿題の丸付け段階で補足説明しようと思っている。最初から「全部を」説明することは良くない場合もある。時に小出しに解説し、最後に総括するということが有効なこともある。中学生の指導は、そのクラスの学力と聞く力の成長度に合わせて臨機応変に変えていくのが良い。
2010/07/13
極論を言えば「勉強は嫌いだけど、成績は良い(点数は取れる)」という子と「成績は悪い(点数は取れない)けれど、勉強することは結構好き」という子の場合後者の方が、後々伸びる気がしている。「勉強」という語を「サッカー」に置き換えてみると、分かりやすいかも。 なぜなら、前者の子は将来勉強を続けない可能性があるのに対し、後者の子は将来も勉強を続ける可能性があるから。そして、勉強は継続することにより、ある程度成果がでることもあるから。 いま現在、結果が出ていないのは、まだ思考力や暗記力が育っていないからであり、その2つの力が中学生段階で育っている子に負けているだけ。今後、思考力や暗記力が育成されれば、一気に抜いてしまう可能性もある。 ということは、教育の目的の1つは、今結果を出すことも大切ではあるが、学ぶことの楽しさを指導することにもあると思う。一流講師のすごいところは、その学科を楽しく変化させてしまうところ。 そして、勉強の良いところは、サッカーは年を取るとプレイすることが厳しくなるが、勉強は年をとってからでも、何時間もできることにある。 なんてことを書いてみたのだが、すでに「好きこそものの上手なれ」という言葉をつくった人は、私のブログを1行で表していたという・・・ことわざを作った人はすごい。
2010/06/23
今週は暖房と冷房を両方使った。It 寒暖差が激しい。(寒暖のItを先頭に入れてみた)塾では連日テスト対策組と通常組が混ざって勉強している。 通常授業では授業毎に確認テストを行っているが、この確認テスト(小テスト)は1回目が勝負だと思う。多くの塾では、テストの合格点を決め、合格点に達しなかった場合は再テストが実施されているだろう。しかし、塾の確認テストも本番同様、基本的には1回目が勝負だと思う。 1回目で合格できないで何度も何度も再テストをし、それで合格することもある。だが、そうした形で合格しても1回目で合格した子には到底かなわない。何度も何度も反復し身につけることは基本であり、そうした形でマスターしていく子も多数いることは確か。だが、その反復を自宅でやってくる子と、塾で残ってやる子との間には、意識面で大きな差がある。また、1回で合格できる子と、何度も再テストをして合格する子の間には、初見の問題への対応力という点でも大きな開きがある。 漢字や単語テストなどの暗記系の小テストの場合、何度も何度も再テストをすれば数回目で合格できるのは当たり前。しかも、塾で居残りして再テストしているわけだから、「その場で覚えて、その覚えたてホヤホヤの状態のまま、即再テスト」という流れが可能である。瞬間の暗記力(超短期間の記憶)である。仮にこれで合格しても、それが翌日、翌週に残っているかと言えば、甚だ疑問。 塾側でそうした現状を踏まえ、定期的に復習確認テストを行うことができれば、「記憶の上塗り」も可能であろうが、実際の授業時間などを考慮すると、なかなか難しい問題はある。 つまり、毎回の確認テストを1回でクリアできない子は、結局その日の再テストはクリアしたとしても、それは表面的な合格であって、本質的な合格にはなっていない。その単元は身に付いていない可能性があるのだ。本人の持っている根本的な問題は全く解決できていないということになる。 毎回毎回何度も再テストを繰り返し、そうした中で覚えていくことは素晴らしいことだが、やはり「1回目で合格できるような能力と意識に変えていくこと」の方が遙かに重要だろう。 再テストは1回目が勝負。ここをクリアできれば、5科目400点の壁が低くなってくる。 今週グサリと傷ついた一言のコーナー「先生、何でそのネクタイにしたんですか~?」
2010/05/08
2つめ。1つめのやり方の欠点は、途中入塾が受けられないということ。内部生のカリキュラムがあまりにも進みすぎているため、後から生徒が入ってくることが難しい。大手塾であれば、クラスを複数作れるので問題ないが、個人塾だと中1や中2段階で満席にならない限り、上記のようなカリキュラムで進めることは難しい。そこで、2つめ方法は国語力の育成である。というわけで、タイトルの話に戻るわけだが、実はこれに関しては私も試している最中であり、何とも言えない。1つめの方法とは何か別の方針がないのか考えている最中であり、現在中1生を中心に指導を実践しているところ。実際は、中1生も私立最難関まで狙っている子はおらず、多くは都立トップ校の中でも下の方(国立、西、日比谷以外ということ)か2番手校が多いので、どこまで彼らの力が伸びていくのか今は不明。まだまだ直すべき点も多く、勉強面以外の部分を少しずつ修正している段階。とにかく、日々試行錯誤の連続である。だが、もし国語力の育成と数学の指導の融合がうまくできれば、地に足の着いたしっかりとした学力が身に付くと思っている。理想はこちらなのだろう。なお、解法パターン暗記もやはり1つの方法。最初から切り捨てるべきものでもなく、高校受験段階では十分有効。大学受験英語の参考書で言えば、西のポレポレ英文読解や伊藤和夫のビジュアル英文読解・英文解釈教室が、少ない原理原則(品詞や等位接続詞)に着目し、あらゆる構文に対応していく思考訓練型。それに対し、山口の英文読解ゼミ、旺文社の基礎英文問題精講など英語構文系の参考書は、構文パターンを暗記し、それを実際の入試問題でも当てはめていくというパターン暗記型。人により向き不向きがあるが、前者の方が向いている生徒もいれば、後者の方が向いている生徒もいる。ただし、小中学生を指導していて感じるのは、13~15歳段階では、まだまだ後者型の生徒が多いようである。公文式は、そうした年代の子たちの思考タイプに上手くマッチしたシステムで売り出している。これが18歳くらいになると、「AだからB。BだからC。したがってAだから・・・」というような考え方もできるようになってくる。この段階にくれば、伊藤和夫型も良いだろう。要は、生徒による向き不向き。そして、その生徒の成長段階を見て、その子の思考力がどの段階にあるのかを見極め、各自に合ったやり方で進めていくのがいいということ。これも塾講師の役割だと思っている。
2010/05/02
1つめ。カリキュラムを徹底的に早く進める。どんなに遅くとも中2終了時点では、中3内容まで英数のカリキュラムを進めておく戦法である。中3の春期講習からは、各都道府県の入試演習に入る。そして、夏期講習からは難関校に絞った入試演習で鍛えていく。結局、問題を見切る力を「量」をこなす中で養成しようとする考えである。レベルの上がった公文式とでも言えばいいのだろうか。パターンでしか解けないのなら、問題を見切る力もパターン学習で処理していこうとする考えである。普通の学力の子を上位校に合格させるためには、今のところの他に方策はない。そして、この方針で進める場合。正直なところ、学校の中間期末試験は無視しなくてはならない。そう思う。(そうすると、今度は都立西、日比谷、国立を目指す場合、内申点がないため厳しい戦いになってしまうのだが、そもそも都立トップ校に受かる子は、定期試験の準備は1週間くらいで400点を超えられないと厳しいと考えている。試験2,3週間前から勉強を開始して、それで5科目400点や450点を超えるというのは大変素晴らしいことなのだけれども、そうしたタイプの子が都立トップ校に合格するのは、相当の努力が必要。部活をやっているとさらに厳しい) もちろん、「学校よりちょい早いくらいのペース」で進め、各単元毎に応用問題・難問にまで深く掘り下げる方法もあるが、この方法だと学校成績が4の子の場合、どうしても時間切れになってしまう(入試当日がやってきてしまう)ケースが多い。だから、早めのカリキュラムにして、生徒たちをどうにかついてこさせるというのは、トップ校に合格する上ではやむを得ない面もある。当然「つめこみ」になる。生活パターンも変わるだろう。それでも本人と家族が望むなら、塾側で出来ることと言えばそれしかないと思う。あとは、今の学力状況と今後の進め方を丁寧に説明し、再度ご家族で話し合いになられるのが良いと思う。(ただ、こうしたスパルタ的なものは、世間ではよく批判されるが、結構生徒本人と塾の先生は楽しんでやっている場合もあるので、「始めてみたら意外と楽しかった」ということもあるかもしれない。)
2010/05/02
学校成績が5の子は、比較的に教科書レベルまでの内容を早く進められる。能力のある子であれば、中1から始め、中2の夏くらいまでに中3内容まで全て修了させることが可能。これは大きい。中2の秋から入試問題演習に入り、学校や普通の塾では習えないさまざまなテクニックや公式をどんどん練習させることができる。大手進学塾の凄腕講師なら、入試問題もある程度類型化しており、その1つ1つに定石があることも知っている。通う塾によって、志望校のランクに差が出るのは当然である。しかし、学校成績が4の子だとこれが出来ないのが苦しい。学校成績が4というのは、定期試験で90点取れないレベル。これは具体的にはどういうことかといえば、「見たことのある問題は解けるのだが、初めて見る問題は解けません」という子。学校で配付された準拠ワークやプリントをしっかり暗記して定期試験に臨むので、ある程度の点数はとれるのだが、その「ある程度の点数」以上にはなかなか上がらないタイプである。 その「本来4である子」を無理矢理「5」に「上げる」ことは可能である。しかし、トップ校を目指す場合はそれだけでは足りない。「本来4である子」を「本来5を取れるような子」に「変えていく」ことが必要なのである。「無理矢理5に上げられた子」と「本来5を取れるような子」の違いは、入試問題演習の段階で出てくる。後者の子は、解法テクニックを伝授すれば、問題演習をこなすことにより、徐々に得点力や偏差値を上げていく場合が多い。(男子に多いかな~と感じている)解けない問題をサッと見抜く能力にも長けており、ある一時期から偏差値が急な成長カーブを描くことがある。一方、前者の子は、指導すれば難関校向けの解法や公式、その他テクニックは身につけることはできるのだが、やはり学校同様、ここでストップしてしまうのである。 本来努力型の子だから、塾内でもその能力はいかんなく発揮され、塾で指導した解法もどうにか身につけてはくれる。しかし、せっかく身につけた解法テクニックも、学校の試験同様、「同じ問題でしか利用できない」という状況に結局は陥ってしまうのだ。ちょっと問題の「見た目」が変わるともうだめ。そこで思考がフリーズしてしまうケースが多い そのため、1つ前のブログで書いた「捨てる技術」(解けない問題を見抜く力)と「解法のパターン化能力」(以前解いた問題パターンに当てはまる力)の2点の養成に多大な時間がかかることになる。場合によっては(いや、むしろこのパターンの方が多いのだが)、この「捨てる技術」と「解法パターン化能力」の育成が高校受験までに間に合わないことだってある。その解決法としては、私は2点考えている。
2010/05/02
1つ前のブログで書いたように、中3生にはある程度解法パターンの暗記でいかせる。当塾は高校受験塾を謳っており、保護者の方もそれを目標に入塾させているのだと思う。極端な話、「将来役に立つ学力」「論理的思考力の開発」(そもそも論理的思考力というものの定義が僕には今いちよくわからない。大学の論理学にも出て、野矢氏はじめ多くの書物も読んだが、あれを中学生段階で養成するのは、週2、3回の通塾では無理だろう。家庭内の会話や友人同士の会話にも影響されるだろうし。)などを要望されている方は少数派であると思っている。まずは学校成績、次に模試偏差値のアップ、最終的には高校合格。ここまでが私の塾に要求されているものであり、私の任務であると考えている。他の都道府県は詳しくないが、都立トップ校や私立上位(早実・巣鴨・桐朋あたり)の数学は、その場で解くのは至難の業。まして制限時間があるのだから、「この問題がでたらこの公式」「この図形は、ここに補助線」「正六角形は正三角形にわける」「正方形はひし形」「円が出たら方べきの定理」「正四面体が出たら一瞬で公式で解く」「整数問題が出たら、あの互いに素の考えで・・・」というような「反射神経」が要求される。つまり、ある程度のパターン化が必要である。そして、そのパターン化の作業であるが、95%の中学生は自力ではできないと思っている。彼らは素人なのだから。そのパターン化は、塾の先生の仕事である。それがプロの講師というもの。入試会場では、思考力とか将来役立つ問題解決能力とか、そうしたものはその瞬間はどうでもいい。解ければいいのだ。それも満点ではない。他の教科が得意な子は、6割取れれば良い。英国がそこそこなら7割を狙えば良い。だから「捨てる技術」も必要になってくる。都立の一般入試で言えば、数学の最後の5番の(2)はもう最初から捨てに入る。(それでも実は、2年に1回は一瞬で答えが出るモノが出題されている。)しかし、中学生を指導していて難しいのはここから。上位高校入試で問われるのは、「捨てる技術」(解けない問題を見抜く力)と「解法のパターン化」(以前解いた問題のどのパターンに当てはまるか、あるいはどの公式を使えるか)の2点なのだが、実はこの2つを養成するのが非常に時間がかかる。ここで学校成績による差が出てくるのである。
2010/05/02
金曜日と土曜日はかなりハードなことが分かった。ルーティンワークを少し別の曜日に分散する必要があるだろう。本日午後は中3理科。既に配付テキスト(中3内容)の3分の2が終了した。移行措置も仕事と遺伝は終了。すでにテキスト3周が終了しているのだが、おそらく生徒たちはほとんど忘れてしまっていることだろう。そんなことを考え、本日は「復習日」とし、今までの総復習をさせた・・・。ところが、意外なことに生徒たちは忘れていなかった。スラスラ解いており、午後だけでテキストを1周してしまった子が3名。それ以外の子も順調に進めていた。 ところで、塾で指導していると、子どもたちの中には、地理や理科のように「理」のついている科目を苦手とする子が多いように感じる。 「理」・・・訓読みすると「ことわり」。「こと」を「わる」。事柄を分けるという意味。ウィキペディアにも載っているように、元は宝石の模様の筋目(玉理)から来ており、その意味では「理髪店」の理などが残っている。「整える」という意味。そこから「物事の筋道」を表す言葉。「道理」とか「義理」という言葉が生まれ、さらには「筋道を立てていくための考えや理屈」というところまで意味が派生する。そして、「理解」とか「理屈」とか「理論」とか、そんな言葉が生まれてくる。 本日中3の理科を終えた後は、中1数学の授業に入った。今日の単元は、文字式の加減。私は導入解説ではあまり詳しくは指導しない。時には、声すら出さない時がある。3a+2a=5a5a+4a=9a7a+2a=9a2a+8a=10a5a-3a=2a3a-7a=-4aこれだけ板書し、「見なさい」で十分。下手に解説するよりも、何も解説しないで解かせた方が良い場合も多く、また中学生にはそうした解説がいい場合も多い。 本日もこのように解説し、あとは演習に入ろうとした。 ところが、今年の中1。なかなか勉強好きな子がおり、全てにおいて「理屈」を要求する子も数名いる。「先生、なんで3aと2aを足したら、5aの2乗にならないのですか。係数だけ足すの?」と質問が来た。とりあえずはAくんの家の庭とBくんの庭の絵を描き、それを合体させて説明した。そこで理解できなければ、次の方法を考えていたが、幸い、その図で「分かった!」と嬉しそうにメモを取っている。(一方で、そんな理屈はどうでもいいので、問題を解ければ今はOKという子も半分いた。どっちが良い悪いではなくて、いろいろな子がいて面白い) その後、(2a+3)-(5a-4)のカッコの外し方を指導。ここでも、シンプルに解説。クラスの大半は演習をスタートさせた。しかし、クラスの3人が「なぜ、後半のカッコを外すと、-5a+4になるのか」を質問してきた。「とにかく理屈が知りたい。理由が分かった方が楽しいし、覚えやすい」と、ある女子が言う。そこで、今回は「項」の観点&遠足前にお菓子を買いに行った例で解説。さらにカッコの中にある2つの項は、実は1つの固まりであることにも触れた。(←ちょっと余分だったかなと反省)。ここまでの解説で納得すると、先ほどの女子たちも、もの凄いスピードでも問題を解いていった。大変素晴らしいと思う。ちなみに、この子たち「-と-をかけ算すると、なんで+になるんですか」という質問も先日してきた。こういう探求心は、とても大切に育てていきたいと思う。 理由を考え、道理・理屈をしり、理解し、理感してから整理する。理科(理化)や地理や数学を論理的に考えていく理想的な勉強ができていると思う。中1という時間のあるときに、じっくり考える癖をつけていきたい。
2010/04/24
中3数学:現在平方根。今月中に平方根の応用まで終了させる。平方根は、私立トップ校に出題される難問は、解法を知っていないと当日対応できない。テキストを中心に標準問題の解法は今月中にマスターしていく。一部「高校への数学」レベルの問題も扱っていく予定。中3英語:3月から中1と中2の復習→文型(4文型と5文型)→受動態→現在完了と進んだ。現在不定詞(2)。It~toや疑問詞+不定詞は既に終了。来週からtoo~toとwant人toに入る。中3国語:現在日本語の勉強中。たとえば、ひらがなの「か。」があったら疑問文を表し、その役割は3つ。1-本当の疑問文、2-話題導入、3-反語・・・といった風に。他にも、「注意事項を付け加える日本語」は、「なお、もちろん、ただ、ただし、むろん」の5つがあるといったようなこと。(「ただ、ただし」は1つ前の文と関係のある内容しか付け加えられないが、「なお」は前文と全く無関係の内容を付け加えることが可能・・・なんてことも指導中)読解用テキストを使用し、今まで学校では習ってこなかった「日本語」を1つ1つ分析し、言い換えと対比に注意しながら文章を読んでいく訓練。高校受験レベルでは、これにより解答が自然と出る。背景知識はほとんどいらない。中3理科:運動とエネルギー(仕事含む)、酸化還元(化学反応の単元)、科学技術とエネルギー、細胞(メンデル含む)など中3の4つの単元を消化。あとは、イオンと食物連鎖と天体のみ。外部募集をしないので、ドンドン進めている。すでにテキストは2周~3周終わらせた。中3社会:地理の総復習がまもなく終了。夏前までに歴史を終了させる。公民は学校の授業を利用。社会に関しては塾で予習するメリットをあまり感じていないので、学校で習った後に問題演習を行う。また、都立自校作成校も、理社は共通問題なので、難問は出題されない。このペースで十分間に合う。 中2英語:文法用テキストの方は、中1の復習、一般動詞過去形、過去進行形、助動詞全種を終了。各単元の英作文テストも終了した。もう1冊のワークは、現在レッスン3まで終了。今月中にレッスン4を終わらせる。中2数学:連立方程式の計算を本日で終了した。次回は1回計算の復習。その後テストを行い、4月残りは文章題。1日1テーマずつ片づけ、中間期末対策に入る。 中1英語:オリテキでBe動詞は終了。ワークの方は、レッスン2まで終了。教科書英作文もレッスン2まで終了した。最後の仕上げに暗誦もさせる。中1数学:正負の計算を終了し、現在文字式に入ったばかり。文字式は意外と時間がかかるので、しばらくやっていくつもり。 うちは春期講習をやっておらず、さらに中間期末テスト前は一切進まないため、普段の授業はかなりのハイペース。そのため、宿題は基本的にテキスト2~3周→レポート提出。その後、毎回確認テスト(前回の授業内容)を行っている。私も帰れないが、生徒たちも夜遅くまで残っている。もちろん通塾日以外に再テストもあるので、結構ハード。ただ、都立トップ校を目指すなら、しかもうちのように「今は難しいけど、後々都立トップや2番手校を目指したい」と考えている子が多い塾だと、早くから鍛えておかないと最終盤が辛くなってくる。さて、これから明日の準備にはいる。
2010/04/16
以下夢のないお話なので、読まない方がいいかと・・・ タイトル「プロスポーツ選手で食べていくのは、ほぼ不可能」過去指導した塾生の中で、プロ野球選手やプロサッカー選手を目指している子は何人もいた。それは素晴らしい夢だと思う。夢に向かって努力することは尊いものだろう。だが、プロを目指していることを免罪符として、勉強から逃れる、あるいは人生から完全に勉強を排除してしまうというのは、大変リスクを伴う。過去にも何人かそうした方に出会った。亀田父やアニマル浜口やチチローのような熱心な指導者兼保護者である。教育を受けさせる義務が保護者にはあるのだが、「うちの子はプロを目指しているので勉強はほどほどで良い。高校も野球が強ければどこでもいい。再テストもしなくていい。宿題もやらないくていい。(でも塾には来させたい)」そんな親には何人か出会ってきた。 プロになれなかった場合のことを想定し、勉強しておかないとならないと思うが、そんなことは一切お構いなしだった。 現在、うちの塾でもプロを目指している子もいるが、私はそれでも勉強が疎かになっている場合は「両立できないのなら、部活(シニアリーグ、サッカーのクラブチーム)をやめなさい。」と言うことがある。 基本的に私はプロスポーツ選手で食べていくことは、ほとんど不可能だと思っているからだ。 私の周りにもプロになった人はいる。高1のとき、堀越高校と試合をしたことがあるが、相手の投手は山本(後に阪神へ)、4番は原(後にヤクルトへ)、3番は野村克則(後にヤクルトへ)とそうそうたるメンバーが揃っていて、同じ高校生でこんな人がいるのかと驚いた。しかし、野球に詳しい方なら分かると思うが、プロで活躍できた選手は1人もいない。カツノリなんて、「プロのレベルに達していない」「親のコネで入団」などと揶揄されていたが、いやいや実際に試合してみた私から言えば、超高校級だった。本当にすごい捕手だった。山本だって、八王子シニア時代から相当有名な選手だったが、プロでは1軍に上がることは一度もなく引退。 また、國學院久我山と練習試合兼合同練習をした時には、元ホークスの井口(現ロッテ)が久我山のショートにいたが、もうその凄さは言葉で形容することは不可能。本当に上手いのである。しかし、それでも高校卒業時は、プロのスカウトにかかることはなかった。 先輩で、関東高校(現聖徳)出身の選手がいて、高校通算打率8割近くというものすごい選手がいた。確か広島か日ハムに入ったと思うのだが、すぐに引退した。 このように、そもそもプロは入るまでの壁がものすごく高い。その後、入団してからの争いはもっと大変。 正直、毎回の単語テスト10個とか漢字テスト10個程度で不合格を連発するような子が、プロの争いに勝てると思わないのだ。(そもそもサインすら覚えられないだろうに) どうにかプロに入ったとして、その後食べていけるようになるのはもっと大変。たとえば、プロ野球のベンチ入りメンバーは28人。そのうち試合に出られるのは25人である。しかし、25人のうち、下の10人はしょっちゅう1軍と2軍を行ったり来たりの生活で、年俸は高くないし、選手生命も短い。プロ野球で本当に食べていけてるのは(将来球団に残れる人も含め)、各チーム15人程度であろう。プロ野球は12球団しかない。つまり、プロ野球の華やかな世界の中心にいられるのは、15人×12球団=180人だけである。そして、この180人。マー君のように高卒ルーキーから働く人もいれば、40を過ぎて現役の選手もいる。つまり、学年で言えば、15~20くらいの学年に散らばっている。仮にプロで活躍している年代を、25歳から34歳の10学年としても、180人÷10学年=1学年あたり18人だけである。 どういうことかというと、プロで活躍出来る選手は、各年代で10人~20人しかいないということ。(1つの都道府県に1人いないということ。県内トップでもプロは無理ということ)いや、実際はもっとすくないだろう。私は1974年生まれだが、この学年で大活躍している(た)選手は、松井、井口、今岡の3人程度。その他の選手は、引退後のサラリーマン生活の方が長くなる。 プロ野球では、特別に1軍で活躍した選手が多い年には、昭和40年会とか昭和48年会というものが作られることがある。このように5名以上の選手が活躍する年代は、まさに例外の年。 プロ野球選手になり、さらに活躍するというのは本当に大変なことなのである。プロスポーツ選手は、夢としては現実的ではない。 もちろん、目指すなと言っているわけではない。ただ、夢を追うのは結構なのだが、「プロ野球を目指すから勉強しなくていい」という理屈は、ちょっと違うのではないかと思う。 というわけで、うちの塾では、部活やシニアリーグやサッカークラブを休ませて再テストを受験させることがよくある。 スポーツを勉強から逃れる言い訳に使ってはいけない。それはスポーツにも勉強にも失礼である。やるなら両方ともきっちりやるべきである。
2010/04/16
中1クラスと中2クラスは、今年度より宿題量を減らし、確認テスト重視にした。23:30や0時頃まで合格できない生徒が残って勉強している。そのため、掃除や後片づけ、翌授業の準備(テスト作成)などで、どうしても毎日、終了時刻がこの時間になってしまう。 経理やその他事務仕事は昼間に片づけたいのだが、夕方から昼間も、春休み期間中は新入生の補習に使っており、全く時間が取れない状態が続いた。明日(正確には本日)から始業式だが、私の生活は、今後しばらくこんな日が続くのだろう。 中3クラスも、中1や中2と同じ形式にしたいのだが、どうしても一番頑張らないとならない中3クラスの意識が上がってこない。なかなか本気モードに移行できない子がいる。受験生としての自覚がある子は今のところ1、2名くらいだろうか。残りはのんびりムード。クラス全体もおとなしい子が多いこともあるが、まったりとした空気が支配する。 3月当初に聞いた志望校が1日ごと遠ざかっているのだが、本人達はなかなか気づかない。ここ2,3回の授業は、説教で多くの時間を費やしたが、それもあまり響かないようなので、しばらくは様子見に入る。宿題のやり方もいい加減であるし、確認テストの勉強も今一歩。 もうしばらく様子を見て、それでもダメなら強制的にいくことも考える。 「確認テスト形式」にすると、日付が変わるまで帰宅できない生徒が何人か出ることになるだろう。それがこなせない子は、いずれは退塾するか志望校を下げるかの判断になってしまうので、「確認テスト形式」に移行する前に、改めて中3生たちに「ホントに志望校に行きたいのかどうか」を尋ねてみる。 私は、あくまでも3月に聞いた志望校と現時点での学力差を埋めることだけを考えているのだが、現時点で志望校へ合格する可能性のある子はゼロ。ただ、頑張り次第で志望校へ到達できる可能性のある子は全員。 問題は、「合格はしたいし、成績も上げたい。でも頑張れない・・・」という子たち(←ほぼ全員^^;)この子たちの意識をいかに上げていくかが夏前までの課題である。 どうにか努力の先にある世界を経験させたい。何もそれは合格とか成績アップとか、そうしたことだけではない何か。真剣に何かに取り組んだ後に待っている充実感。それを中学生に味わってもらいたい。それが今後きっと力になると思うから。
2010/04/06
新入生で成績が上がるのに時間がかかるケースはいくつかある。短期的な暗記力がない、長期的な記憶定着力が弱い、小学校までの基礎ができていない、筋道を立てて考えることが苦手・・・などなどいろいろとあるが、その中でも多いのは、丸付けがいい加減なこと。 勉強の大半は自学である。もちろん、全ての問題を授業内で一斉丸付けするという方法もあり、実際以前の塾ではその方法で行っていた。しかし、その方法の問題点は、1つは自学力が身に付かないということであるが、何よりも最大の欠点は、問題演習量が減ってしまうことである。「○○くん、問1は?」「3です。」「○○さん、問2」「-4」「○○さん・・・この方式はどうしても時間が取られる。こうした方式で10問くらい丸付けしている間に、自学であれば3倍程度の丸付けをこなすことが可能。出来る子はドンドン進められる。 そのため、私の塾では丸付けは原則自分で行うようにしている。特に試験前は、100%各自演習→丸付け。 しかし、新入生や新中1生の中には、この丸付けがいい加減な子がいる。間違っているのに丸を付けている問題がチラホラ見受けられる。 これにはいくつかのケースがある。(1)悪気がない場合。全く気づいてなく、丸を付けているケース。たとえば、展覧会の「展」に余計な線が入っていたり、専門の「専」に点があったり、門に口があったり。冠詞や複数形のsが抜けていたり、スペルが間違っていたりするケース。このケースでは、左のモノを右に写す能力を鍛えていくことと、間違えないように工夫してあげることが重要。ただ、実際にこのケースは、さらに2つに分かれる。1つめは、単なる注意不足。あるいは丸付けを軽く考えている場合。もう1つは、別の問題を抱えている場合。この後者の場合、かなり時間がかかる。 (2)やはり全く悪気がなく、実際に誰もがそのように勘違いしているケースたとえば、比較するの「比」。左側の「ヒ」はいわゆる印刷文字だと、下の部分がはみ出してしまう。こうした例では、講師側が一人ひとりチェックしてあげることが必要になる。就職の「就」も同様。最後の画を書く際に、大げさにヨコに出してから書き始める人が先生の中にもいるが、あれは正確ではない。 あれもいわゆる印刷文字。 (3)めんどくさいから、間違っているのに丸をするケース。このケースは時間がかかる。まず、丸付けの重要性を何度も何度も説明。それで分かってくれる子もいれば、頷きはするが実は全く理解していない子もいる。後者の場合は、本当に根気がいる。何度も何度も丸付けの意義を話す。極端な話、丸付けをして「丸だった問題」は、実は最初からやらなくても出来ていた問題。でも、実戦に問題を解いてみないと、その問題が出来るのかどうか分からない。だから、とにかく1度通しで、問題集を解いてみないことには始まらない。その後、2回目からが本当の勉強になるのだが、この点を理解していない、あるいは理解していても面倒くさがりだと、結構時間がかかる。 やっと丸付けを正しくするようになったと思ったら、1ヶ月後には元に戻っていることもしばしばある。とにかく、根比べ。 (4)「どうでもいいや」のケース。これは、「面倒くさい」を通り越して、もう丸付けなんてどうでもいいや。→勉強なんてどうでもいいや。→早く帰りたい。というケース。このケースでは、無理をしても仕方ないので、希望通り早く帰宅させてあげる。優しい笑顔で「さようなら」を言ってあげる。だって、これでお別れになるのだから。 数分後に保護者の方に電話して、「こちらの力不足で・・・云々」と。今のところ、当塾ではこのケースはない。入塾段階で、本人の意思を確認しているので、おそらく今後もないと思う。
2010/03/23
本日で中1授業も4回目。累乗計算に入った。今まで順調だった中1生たち。この子たちには、途中式は全て書かせている。そのため、たった3回の授業で、クラスの全員がノート2冊目に突入。すでに、新中問も2周した。しかし、本日の累乗計算は、結構苦戦していた。昨年の中1メンバーは、この累乗計算で躓く子がいなかったのだが、今年は2人を除いて全員がミスを連発。そして、修正。予定外のプリントを混ぜ、本日は英語の時間を削って累乗計算を行った。授業中は、全員のノートをチェック。基本的には、当塾は自分で演習→自分で採点という流れであるが、中1クラスだけは、各自採点した後は、私が全員分のノートを、1行も残らず全てチェックしている。特に累乗計算では、途中式が間違っているのに、結果的に丸になることがあるので注意が必要。とにかく、中1クラスは英数共に細心の注意を払って、指導に当たっている。最初で躓かせるわけにはいかない。なお、英語は、うちの塾も冠詞付きで名詞を暗記させている。うちの子たちの前で、机を指さすと「ア・ブック」と言うし、「ああ無情」を指さすと、「あああ無情」と言う。何だか、人一倍悲しいレミゼラブル。(本日も生徒たちがいることに感謝。毎日生徒たちが来てくれて、指導できることに感謝。子どもたちと素敵な保護者の方に囲まれ、幸せである。これから中1生のプリント作成に入る)
2010/03/17
本日は夕方から新入生2人の補習。自習室ではなく、受付で対面式で指導した。2人とも、数学でミスが目立つ。ミスをしてしまった問題については1 どこでミスをしたか「自力で」探させる2 間違った問題を再度解き直す3 2度目で正解した問題は青丸4 テキストにチェック(正解した問題と間違った問題を区別)という手順で指導。ただし、これで終わらない。5 間違った問題を10題くらいピックアップし、それを本人のよく観察させる。ここが大切。じっと見つめる。そして、観察し、自分で分析を行う。「自分はどこで間違っていることが多い?」こう質問すると、「全部、かっこを外す際に間違ってます。」「通分したときに、分子の数字を変えるのを忘れています。」そんな風に、自分がやりやすい間違いの特徴が浮かび上がってくる。これを自分自身で見つけることが大切。私からは言わない。見ているだけ。ここまで終わったら、さらに 6 自分が間違った理由を、日本語でノートに記しておくこれが必要。自分の間違いをきちんとインプットしておき、次回以降のミスを出来る限り減らす。もちろん、これだけやってもミスが出る。その場合は、7段階目と8段階目が必要になってくる。
2010/03/17
中1クラスがスタートして、本日2回目。中1は、注1と言ってもいいくらい、細かい部分まで見てあげないといけない。最初が肝心。アルファベットの書き方、ノートの取り方、=をタテに揃えて書く、ページや日付の記入、姿勢、整理の仕方など、細部にまで講師の注意が及んでいく。プロ野球の世界では、有望なルーキーが入った場合、いきなりコーチがフォームをいじくると、逆にその選手の成長を止めてしまうことがある。特に私が愛する阪●タ●ガースのように、育成能力ゼロの球団がルーキーをいじくるのは危険。しかし、学習指導に関しては、ある程度最初の段階で、間違ったフォーム(と言うと言い過ぎだが、あまり良くないと思われるフォーム)を修正し、より良い方向に導いていく必要がある。ただし、注意しないといけないのは、全ての生徒に一様に同じやり方を強制するというのもいけない。例を挙げると、うちの塾では途中式はきちんと書かせており、またその書き方もかなり細かく指導しているのであるが、例えばそろばんや公文をやっており、既に暗算能力が突出している子や理系センスを感じる子に対し、一概に「途中式宗教」を強制すると、その子の良い部分を消してしまう場合もある。そのあたりに注意し、生徒を観察し、個人別のアドバイスをしていく必要性も時には出てくるだろう。 こうして中1クラスに対しては、かなり細かい部分に注意しながら進めている。 ところで、このクラスには、私が小5から指導している子が1人いるのだが、やはりスピード、正確性は今のところ断トツ。他のメンバーは全員、大手塾で中学受験を経験している子たちだが、そのメンバーに混じっても、スピードや丸付け能力、ミスの少なさ、解き直しへの意識は、群を抜いている。実はこの子、何度も怒られ、何度か辞める寸前までいった子なのだが、本人もこの2回の授業を終え、今までやってきたことが無駄でなかったと理解したらしい。他のメンバーも、今のところスピードもあり、良い感じ。本日で正負の計算を終えたので次回からは乗法に入る。
2010/03/10
寒い・・・青キジでも来たのか・・・ 今日の中3生は、再テストが半分以上。たった7つの英作文テストであったが、残念な答案ばかり。 ちなみに昨日の中2クラスでは、英作文を一気に35題。不合格は1名のみ。しかし、その子も、授業後の再テストであっという間に合格し、帰宅。 一方、中3生・・・いやあえて「受験生」と呼ぶことにする。本日、彼ら受験生には、「部活と両立できないのなら、塾か勉強のどっちか辞めなさい」と言った。普通の塾の先生だったら、「部活も頑張りましょうね(にこにこ)!みんなならきっと出来るさ(キリっ)!」 みたいに励ますのだろうが、私はどちらも中途半端になるのなら、それは本人の中に「いい加減な精神」が宿ってしまうので、むしろ害になると思っている。そのため、受験に受かる受からない云々ではなく、塾か部活のどちらかをやめさせることもある。ちなみに、昨年は1人やめさせている。(部活を) 「いい加減な精神」(適当にやる、7割の力でやる、天気が悪いと休む、ズルするなど)が一度身に付いてしまうと、これがやっかいなことに後々まで残ってしまう。いろんな場面で出てくるのだ。以前の会社でも、社員や時間講師の中に「あ~、中学時代から、ずっとこうやって切り抜けてきたんだな~」という人を何人か見た。この「いい加減な精神」だけは、自分の生徒たちに身につけさせたくない。(もちろん、ある程度「手を抜く」ことも大切な時はある。いわゆるトレードオフが必要な場面。それはいずれ授業内で指導する。)だから、やるならきちんとやらせたい。 ところで、運動部において、特に勝利も優勝も目指さずに、ダラダラとぬるい練習をする部活があったとする。中学生って、結構そういうのは嫌がる。部活に関しては意外と一生懸命やりたがる。現代っ子もそれほど冷めてない。青春はいつの時代も渇望されている。 でも、勉強になると途端に基準が変わってしまう。きつい練習、辛い練習、厳しい練習は避ける傾向になる。本人だけでなく、まれに保護者にもそうした傾向が出てしまい、生徒本人は頑張ろうとしているのに、親の方でストップをかけてしまうケースがある。それはご家庭の方針などで私は口を出さない。 ただ、子どもって、普段は親の言うことを聞かない癖に、いや普段親の言うことを聞かない子に限って自分に都合の良い(楽チンな)アドバイスは瞬時に聞き入れる傾向がある。そのため、あともう少し頑張れる状態の子に対して、あまり甘やかす言葉をかけるのはよくない。伸びようとする芽を摘んでしまうからだ。 勉強でも何でも一生懸命やらないとつまらないと思う。カルチャースクールや土曜料理教室や日曜陶芸チャレンジ友の会なら、楽しくやっていれば良いだろうが、入試はそうもいかない。受験勉強は新しい知識を仕入れることや頭を働かせることは楽しいのだが、一方で辛い面、厳しい面も少なからずある。暗記なんてその最たるもの。楽な勉強をして、3ランク上の志望校に入るなんて、まず不可能。それは大学受験でも高校受験でも中学受験でも同じ。 ということで、中3生はもう1段階、ギアを上げていかないといけない。 本人なりには頑張っているつもりなのは重々承知してるが、その「本人の実力」と「志望校のレベル(必要とされる最終到達点のレベル)」との差をきちんと把握している地球上でたった1つの存在・・・すなわち私から見れば、彼らの努力はまだまだ。ただ、今ならまだ間に合うのだし、可能性もあるのだから、頑張らないとね! (そう。いま書いていて気が付いたのだが、現時点での生徒の実力と、志望校に必要とされる実力の両方を把握している人って、実は世の中で塾長だけだったりする。個人塾の良さの1つがここかな。)
2010/03/09
昨日から早速自習に来ている。本日も自習に来て、1人は「古典文法をはじめからていねいに」を独学、もう1人は学年末。大学受験に向けてスタートを切った。 高校受験生が注意すべきは、入試を終えたまさにこの時期。大学受験は全国の強者が東京に集まってくる。今度は彼らと戦わなければならない。 高校受験生の中には燃え尽きてしまい、これから5月の中間テストまでのんびりする子もいるだろう。しかし、私立中高一貫の子たちは、この瞬間も同じペースで勉強している。しかも、数1AやプログレスBOOK3を終えて、もう大学受験の内容にまで進んでいる子もいる。 そう考えると、入試を終えてから高1の中間テストまで遊んでいれば、それは、3年後の大学受験でも敗北するのは当たり前。この2ヶ月で、埋めきれない差が生じることもある。 ということで、うちの中3生。大学受験に向けて、本日からスタートを切った。
2010/02/24
本日の中2授業は、理科の飽和水蒸気&急遽飛び入りで「化学反応式の係数合わせ」。 飽和水蒸気に関しては、うちの中2生はあまり苦手としていないようだった。今までの塾講師生活で、ここまで飽和水蒸気を苦手としていないクラスは初めてかもしれない。「飽和水蒸気全然わかんな~い」が聞かれるこの時期としては、かなりの違和感。 まあ、良いことなのだが。 本日で中2全カリキュラム修了。次回からは学年末試験に向けてのトレーニングになる。 今年度の中2は、念のため円周角の定理も扱った。今年の中2は、数学の「円周角の定理」が削除され、来年に回っている。しかし、塾用教材からも教科書からも削除されていないため、指導要領(移行措置について)をきちんとみていない学校や塾では、円周角の定理がふつうに指導されることもあるだろう。塾は別にかまわない。塾というのは、別に指導要領に従わなくても良いわけであるし、必要だと思うことは、それが高校内容だろうが、大学の内容だろうが、教科書に載っていない内容だろうが、ドンドン指導していけばいい。 ところが、中学の先生の中で円周角の定理を扱う人は、おそらく削除されたことに気づいてない。そんな先生が、もしかしたらいるかもしれないあるいは、削除されているのを知っていても、あえて中2で扱う先生がいるかもしれない。そんな予想もあり、当塾では円周角の定理を扱った。 実際、A中では3年間9科目の先生が替わらない。中1で担当になった先生がそのまま中3まで受け持ち、一貫して指導する。今年中3の担任だった先生は、来年は中1担任へ回る。そうした学校では、円周角の定理を中2段階で扱うことも十分に考えられた。(事実、うちの地域は大日本図書の数学を使用しているのだが、この教科書では、中点連結定理が中2で扱われている。しかし、A中学では、中2時には中点連結定理を無視し、中3の相似の後に中点連結定理を扱う先生がいる。) 結果は・・・このA中では円周角の定理を扱わなかったが、全く別の中学で円周角の定理を扱っていた。というわけで、授業では扱っておいて正解。 さて、これから事務仕事と授業準備。明日は中1の理科。 ノートを見せてもらったら昇華も扱っていたし、質量パーセント濃度も詳しく扱っていたので、じっくり解説していく。授業前半では、近似値の説明があるので、理科は全2回予定。これから板書例を作る。せんべいパーティーをしながら、準備に入る。
2010/02/05
中2生で、12月から毎日通塾している子がいる。今までサボりすぎていたために、全く授業についていけなかったからだ。 うちの塾は、一応入塾基準を設定している。1人塾のため、なかなか補習をしてあげる時間がないことと授業のレベルについていけない場合、その生徒にとって効果が薄いと感じているからだ。 しかし、それでも頑張りたいという子は受け入れている。いま補習にきている中2の子。ちなみに男の子なのだが、まず消しゴムの使い方やシャーペンの持ち方から指導をした。さらに姿勢。猫背であるし、斜めになる癖がある。そうしたことから少しずつ改善していった。 補習内容としては、中2の英数のテキストを順番に3周するというごく当たり前のもの。昨日、ついに英語が終了した。これから数学に入るのだが、昨日は一次関数を自学させてみた。完全自学。 塾の本棚にある「語りかける中学数学」を順番に黙読し、問題が出てきたらノートに書写し、数回解く。分からないところは、質問・・・ ではなく、塾の本棚にある別の参考書を見て、解決。それでも分からないところは解説という流れ。 もちろん、こちらが指導すれば早い。変化の割合も変域もグラフの書き方も面積も、各ページ各例題1分で解説可能。その後、類題でパターン練習させれば、ふつう程度には仕上がる。だが、今回はあえて自学をさせている。 これが良い。自分で本を読んで理解したことと、人から聞いて理解したこととではその後の定着が異なる。 まだまだ理解は浅いが、この調子で進めてほしい。 なお、12月から毎日通塾し、最も変わったのは、作業スピードと文字の丁寧さ。本人は気づいていないかもしれないが、2ヶ月前とは別人である。
2010/02/04
本日は、中3の判定テスト前半。目的は3つ。1つは、まだ志望校に悩んでいる子のために、最終判断の資料を渡すこと。WもぎやVもぎでは、英作文、国語作文、その他記述系の採点基準が、高校別になっていない。しかし、実際の都立入試の現場では、同じ英作文を書いても、「A高校なら満点だが、B高校では点をくれない」ということはありえる。国語の作文も同様で、A高校なら満点になるものでも、上位校なら半分もくれないと思われるものもある。そうした、志望校別の採点基準を考慮し、全て私が採点することにより、より精度の高い合格可能性を出す。資料作成には、エクセルで作った独自のソフトを使う。このエクセルソフトで出た判定は、大体その通りになっている。過去、外れたケースはあまりない。ちなみに、このエクセルソフトは、私が徹夜で作成し・・・と言うのは大嘘で、以前の塾を退職する際に、こっそりUSBに入れてき・・・俺が作れるはずがない。 2つめの目的は、最終盤の試験慣れ。この時期だからこそ、入試問題をテストゼミでやる価値はあると思っている。入試では、どこを捨てどこを拾うか、その判断が合否を分ける場合もある。そうした訓練をこのテストで行っていく。 3つめの目的は、各自の弱点分析。この結果をもとに、各自別々の課題・プリントをあげようと思う。 最後まで、きっちりやりたい。自分の出来ることは何でもやりたい。
2010/01/30
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