お気楽船長のブログ

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2013年08月16日
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  すみません 。

  今回は夏合宿日記を中断して 、 ブロ友 エリリン姫

  毎年呼び掛けてくれる企画について書かせて

  もらいますんで  m(_ _)m

    企画名は 

「 みんなで見上げよう8月15日の空 」

  私は四回目の参加ですねん

  大阪の空だけの予定やったんですけど 、

  前日にエリリンから 「 奈良の空も頼むよ~ 」

  っちゅうメールが来ましてね

  エリリン姫親衛隊長の私 、 朝早めに出発して

頼まれたとおりに奈良の空も撮りましたがな

  奈良市大池から撮った 「 薬師寺と奈良の空 」

DCIM1253.jpg

奈良市内は薄曇りでして 、 薬師寺も朝もやに

霞んでるんですけどね ~

  真ん中に写ってるのが西塔ですねん 。

  その右にある四角い建物は一世紀ぶりの大修理中の

  東塔を覆い隠してるんですわ 。

  2018年にリニューアル完成予定なんです 。

  「 船長が撮ったんやでぇ~ 」 っちゅう証拠に

  龍の前足も入れてみました ( 笑 )大笑い

DCIM1255.jpg

その後 、 急いで大阪に戻って撮ったのがこれですわ 。

DCIM1282.jpg

 大阪府池田市にある五月山公園から見た

「大阪の町と大阪の空」  

大阪も薄曇りでした

  ここでも龍の前足を入れてみました~

DCIM1285.jpg

  



8月15日は 「 終戦の日 」 です 。

Facebookでみつけた記事を載せさせてもらいます 。

  敗戦の後 、 天皇陛下がおとりになられた行動について

  書かれてます 。



 『 マッカーサーを感動させた昭和天皇の言葉 』


   「…(終戦時において)陛下に対する

   占領軍としては、処分の仕方は、四つありました。...

   一つ目は東京裁判に引き出し、これを絞首刑にする。

   二つ目は共産党をおだてあげ、

   人民裁判の名においてこれを血祭りにあげる。

   三つ目は、中国へ亡命させて中国で殺す。

   四つ目は、闇から闇へ、

   一服もることによって陛下を葬り去ることでありました。


   いずれにしても、陛下は殺される運命にあったのです。

   天皇は馬鹿か、気狂いか、

   偉大なる聖者か、いつでもつかまえられる。


   かつては一万八千人の近衛師団に守られたかもしれないが、

   今や全くの護衛を持たずして、二重橋の向こうにいる。…


   陛下の割腹自刃の計画は、三度ありました。

   貞明(皇太后)様は、(侍従に、)

   陛下から目を離さんように命じました。

   じつに一番悩まれたのは、陛下でありましたでしょう。




   九月二七日、陛下がただ一人の通訳を連れて、

   マッカーサーの前に立たれたことは、

   皆様方もよくご承知の通りであります。


   ついに天皇をつかまえるべき時が来た。

   マッカーサーは、二個師団の兵力の待機を命じました。

   マッカーサーは、陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、

   マドロスパイプを口にくわえて、

   ソファーから立とうともしなかった。


   陛下は直立不動のままで、

   国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われました。


   『日本国天皇はこの私であります。

   戦争に関する一切の責任はこの私にあります。

   私の命においてすべてが行なわれました限り、

   日本にはただ一人の戦犯もおりません。


   絞首刑はもちろんのこと、

   いかなる極刑に処されても、

   いつでも応ずるだけの覚悟はあります』


   ――弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか

   ――しかし陛下は続けました。


   『しかしながら、罪なき八千万の国民が、

   住むに家なく、着るに衣なく、

   食べるに食なき姿において、

   まさに深憂に耐えんものがあります。


   温かき閣下のご配慮を持ちまして、

   国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』


   天皇は、やれ軍閥が悪い、やれ財界が悪いと言う中で、

   一切の責任はこの私にあります、

   絞首刑はもちろんのこと、

   いかなる極刑に処せられても…と淡々として申された。


   このような態度を見せられたのは、

   天皇ただ一人であったのです。

   陛下は我々を裏切らなかった。


   マッカーサーは驚いて、スクッと立ち上がり、

   今度は陛下を抱くようにして座らせました。

   そして部下に、

   「陛下は興奮しておいでのようだから、

   おコーヒーをさしあげるように」

   と・・・。


   マッカーサーは今度は一臣下のごとく、

   直立不動で陛下の前に立ち、

   「天皇とはこのようなものでありましたか!

   私も、日本人に生まれたかったです。

   陛下、ご不自由でございましょう。

   私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」

   と。


   陛下は、再びスクッと立たれ、涙をポロポロと流し、

   「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。

   この私に何の望みがありましょうか。

   重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」

   と。


   そののちマッカーサーは、

   陛下を玄関(ホール)まで伴い、見送ったのです。

MacArthur.jpg

連合軍最高司令官マッカーサー元帥と昭和天皇


   皆様方、日本は八千万人と言いました。

   どう計算しても八千万人はおらなかったでしょう。

   いかがです?

   一億の民から朝鮮半島と台湾、樺太をはじめ、

   すべてを差し引いて、どうして八千万でしょうか。

   じつは六千万人程しかいなかったのです。


   それをあえて、マッカーサーは、

   八千万人として食糧をごまかして取ってくれました。


   つまりマッカーサーは、いわゆる、

   陛下のご人徳にふれたのです。


   米国大統領からは、日本に一千万人の餓死者を出すべしと、

   マッカーサーに命令が来ておったのです。


   ただ一言、マッカーサーは、

   『陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた』

   と言いました。


   彼は陛下のために、

   食糧放出を八千万人の計算で出してくれました。

   それが後で、ばれてしまいます。


   彼が解任された最大の理由は

   それであったというのが、事の真相です。

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   マッカーサーも、日本の恩人であり、

   昭和天皇もまた、日本の恩人であります。


   戦時中の混乱期に、天皇陛下も

   戦争を反対できる状況ではありませんでした。


   それでも、日本国民の身を案じていたようです。

     --------------------------------------------



  私はこの話を20年くらい前に聞いたことがありました 。

  昭和天皇の御英断に心を打たれたのを覚えています 。

  「 あれだけの戦死者を出しておきながら 、

      敗戦になって からそんな行動をとっても

      何の慰めにもならない! 」

  っちゅうように思う人もいてるでしょう 。

  いろんな感じ方 ・ 考え方があるのは当然ですし 、

  それを批判はしません 。

  せやけど私は 、 今回この記事を読んでまた新たに

    感動し 、 目から涙があふれました







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最終更新日  2013年08月17日 07時00分59秒


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