もののふMono

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2009.04.03
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歴史に名高い毛利三兄弟。
長兄  毛利隆元 、次兄  吉川元春 、三男  小早川隆景 。みな優秀な人物であった。

その中で次兄の 吉川元春 は名将言行録に次のように記されている。
「人となりは俊爽剛直であって、風骨は人より勝り、令を出せば行き届き、禁ずれば止んで、法令は凜然として犯す者がなかった」 と記す。
また、毛利三兄弟を花木に例えた話では、兄の 毛利隆元 小早川隆景 をどの木よりも早く緑を発する柳とした。そして 吉川元春 は氷雪をしのいで春を告げる梅の花と例えたのだ。
なぜ、元春が梅の花だったのか。

それは智仁勇を兼備し、向かう敵を必ずくじき、城を落とさないことはなかった。
それは厳しい局面を常に切り開いて春をもたらす先鋒ということである。
元春は確かに毛利軍の先鋒を常に務めてきた。
は孫の輝元に 「攻戦の道は、大小なく、これを元春に任せよ。いかなる敵に出会うとも危ういことはない。もし元春の意見を用いなければ、戦い遅れ、武威は衰えるであろう」 とした。
元春は毛利家の槍先であり、常に毛利の道を切り開いてきたのだ。

そんな元春の考える大将感とは。元春は弟  小早川隆景 とのやり取りの中でこう述べている。
「律儀を旨とし、智少なく勇のみある者は単騎の役にはよいが、大将の器ではない。」
「数千の将たる者は、自分の小勇を事とせず、智計において、人より勝る士でなければだめである。知勇あわせ持たずしてどうして百先の軍兵を指揮できようか」


まさにその通りなのだろう。
そして元春はその自身のもつ大将感をちゃんと履行し、そのような大将だった。
良将は良将を育てるだ。元春の下で働いた者達はやはり皆、優れた将となり毛利家の礎となっていくのである。








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最終更新日  2009.04.03 20:56:10
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