仕事も生活も遊びも、基本は同じ

仕事も生活も遊びも、基本は同じ

piano



1997年、子供が小学校に入った4月、子供がピアノを習い始めた。ぼくは、レッスンルームに一緒に入って、子供が習うのを見てた。

そして、5月のある日
先生が、言った。発表会がある。

子供は言った。「わたし、出ない」

ぼくは、提案した。「じゃあ、ぼくが出ましょう」

ぼくは、ピアノを弾けない。(NO1-2000/5/29 続く)

実は、少しは弾けたのだ。4月に習い始めたとき、「先生、終わりの5分でぼくにすこし教えてください」と言って、ちょっとずつ、おまけで教えてもらってたのだ。最初の日に、左手の楽譜の読み方を教えてもらった。一番上が「ラ」です。ま、そんな感じだった。子供が教わるのをうしろでみて、子供の指使いをまねしてた。そして、最後の5分、だいたい5分を過ぎていたとおもうが、先生に教えてもらっていた。

発表会に「じゃあ、ぼくが出ましょう」と言ったとき、先生はおどろいた。驚きからさめてから、言った。「おとうさんは、ヤマハの生徒じゃないから、だめです」なるほど、そう言えばそうだ。残念だった。(NO2 2000/5/30続く)

NO3(2001/7/30)

次の週だった。先生が言った。

「ヤマハに聞いて見たんです。習ってない人はやっぱり出られません。しかし、習っている人と一緒にだったら出られます。つまり、子供さんと連弾するのなら出られます」

ぼくは、子供を説得し、連弾で発表会に出ることになった。曲は「聖者の行進」。発表会は7月末だ。

しっかり練習した。朝、晩、弾ける時は昼休みも弾いた。よっぱらっても弾いた。友達の家にいってもピアノがあれば練習させてもらった。子供も練習したが、ぼくの10分の1もしてないだろう。

発表会当日、がちんがちんにあがった。

そして出番。ピアノに向かい、子供に「うん、だいじょうぶだよ」というつもりでうなずいてみせた。子供は鏡であると思う。子供を安心させようとすることで、自分も安心することができたように思う。結果は上出来。しかし、子供もかなり緊張していたようだった。発表会の日の夕方、外食に行く時、発表会があったビルを見ながら、ぼんやりと言った。「発表会があったのはきのうだったかな?」つかれていたのだ。

この年、11月先生のスケジュールがあいて、ぼくも30分正式にもらって、習い始めた。

年譜

1997年 4月 子供ピアノを習い始める。父、最期の5分をもらってただで教えてもらう。

      5月 クラビノーバ(電子ピアノ)購入

1997年 夏の発表会 聖者の行進 子供と連弾

      11月 正式に先生について、習い始める

1998年 夏の発表会 フニクリフニクラ

        このころから発表会の前に保育園のグランドピアノ、アップライトで練習させてもらう

1999年 夏 人形の夢と目覚め エステン

1999年 冬 ウインナーマーチ ツエルニー

2000年 3月(保育園謝恩会にて伴奏) 世界中のこどもたちが 新沢としひこ作詞、中川ひろたか作曲 増田裕子編曲

         恋するニワトリ 谷山浩子作詞作曲

2000年 夏 エリーゼのために ベートーベン

2000年 冬 花の歌 ランゲ

2001年 夏 トルコ行進曲 モーツアルト

2002年 夏 

2003年 夏 鳥の人

2004年 夏 ノクターン Op.9-2 ショパン

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