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「この子らを世の光に」
は、糸賀一雄、池田太郎、田村一二らを主人公としたドキュメントだった。「“障害者”も“健常者”もともに生きていける社会こそが豊かな社会だ」という信念のもと、強い意志を持って実践し続けた三人の生涯から学べることは大きい。
上記の番組を見た後、「学べることは大きいはず」と勇んで購入した 京極高宣著
『この子らを世の光に』(NHK出版)を最近になってようやく読破した
。(何と一年以上かかってしまった ^^ が、ぜひ紹介したい内容だった。)
この著書は、 「糸賀一雄の思想と生涯」
(サブタイトル)をさまざまな角度から描いたものである。
糸賀の最大の業績は、我が国最初の複合児童施設である 近江学園を建設し「重度障害児」と向き合い実践しつつ、「発達保障」など注目すべき「問題提起」を行ったことである。
(ちなみに糸賀一雄の活躍した時代は1945年から1968年、いまだ「障害者」に対する多くの偏見を色濃く残した社会における先駆的な実践であった。)
また、上記の「“発達保障”の主張」(内容は後述)とならんで糸賀の提起したメッセージ 「この子らを世の光に」
について糸賀自身が次のように語っているという。
「 精神薄弱児の生まれてきた使命があるとすれば、それは『世の光』となることである。
親も社会も気づかず、本人も気づいていないこの宝を、本人の中に発掘して、それをダイヤモンドのように磨きをかける役割が必要である。
そのことの意義に気づいてきたら、親も救われる。社会も浄化される。本人も生き甲斐を感ずるようになる
。」
さらに糸賀は語る。
「謙虚な心情に支えられた 精神薄弱な人々の歩みは、どんなに遅々としていても、その存在そのものから世の中を明るくする光がでるのである
。単純に私たちはそう考える。精神薄弱な人々が放つ光は、まだ世を照らしていない。(・・・・・・)
しかし私たちは、この人たちの放つ光を光としてうけとめる人々の数を、この世に増やしてきた。 異質の光をしっかりと見とめる人びとが、次第に多くなりつつある。
人間の本当の平等と自由は、この光を光としてお互いに認め合うところにはじめて成り立つということにも、少しずつ気づきはじめてきた。」(『糸賀一雄著作集』2)
以上、『この子らを世の光に』の一部を引用してきたが、もともと 「世の光」という言葉は「聖書」から引用したものであるという。 いうまでもなく、一人ひとりのかけがえなさや輝き(いわゆる人権)を意味する言葉であると考えられる。
作者も指摘している点であるが、「この子らを世の光に」という理念は次の三つの側面から理解されなければならない。
第一にこの子らが 生活主体者(自己実現の主体、人権の主体)
であること、第二に潜在的可能性を持ったこの子らをさらにみがきあげ、 人格発達の権利を徹底的に実現しようと実践すること、
第三に 社会はそうしたことを認め合い、実現できるものでなければならないこと
、である。
つまり、 1,「“障害者”の自己実現・人権」の問題と、2,「個別的な課題と向き合いつつ発達を保障していくこと」と、3,「人びとの福祉意識の変革や福祉社会の実現」 という三点を含み込んだ「理念」が「この子らを世の光に」という言葉の中には込められている
のである。
(この子らが「世の光」として輝けるような社会=その輝きを認めあえるような社会こそが豊かな社会であるという「社会の創造・変革」をも含み込んだ理念)
1960年代に先駆的な実践を通して糸賀がたどり着いたこの 「理念・思想」
は、それ自体のすばらしさと同時に、 「心の底から発せられた言葉(上記『糸賀一雄著作集』における糸賀自らの説明)」
であるところに深い感動を覚える。 続く
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