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「教育の窓」で紹介されていた実践部分(前半から中盤)を長文になりますが番号をつけて引用します。
①受け持った当初、Aちゃんは、かなりパニックを起こしていた。
もう、大声でわめくし、あばれるし、手のつけようがなかった。授業中、休み時間、掃除の時間など、突然、そうなるのだった。わたしたちにとっては、何の前ぶれもなく、理由もなく・・・、ほんとうにそういう感じだった。
学級のみんなは遠巻きにしてそれを見ている。対処のしようもないといった感じ。また、そういうときは、『先生にお任せ。』といった気運もあった。そして、当然のように、保健室で休ませるという対応になった。
②そうしたなかで、 わたしは、心配そうに見つめる子、にやにや笑ってその事態を見ている子、我関せずの子などを、しっかり観察していた
。
そして、 心配そうに見つめているだけでも、関心をもとうとしていることは確かなので、そうした観点でほめるようにした
。
③そのうちだんだん、関心をもつ子がふえていく。なかには、Aちゃんがあばれるのを見て押さえようとする子も出てくるし、『どうしたの。ダメでしょう。』などと強く叱責する子も現れる。しかし、そんなことが何にも功を奏さないことも分かっていく。
④だんだん、Aちゃんとのかかわり方に変化がみられるようになっていく。Bちゃんが言う。
「 toshi
先生。Aちゃんは、~のようなとき、パニックを起こすのではないかなあ。」
もちろんこれは、例外があまりに多すぎるし、逆に、~のようなときいつも起こすというわけでもない。
しかし、 『Aちゃんにかかわっていこう』『Aちゃんのことを心に留めよう』『Aちゃんとともにこのクラスをつくっていくのだ』、そういう態度であることは確かで、そうした観点で絶賛した。
⑤授業中も、問題解決学習が定着するまでは、パニックを起こすことがあった。
そういうときは、授業はもちろん中断だ。
でも、子どもたちの成長とともに・・・、
これは、Cちゃんだ。
「ねえ。みんな。話が飛びすぎるよ。 もう少し、整理して話すようにしようよ。『今、話し合っているのは、~です。』ってよく分かるようにしないと、Aちゃんはうまく話し合いに参加できないと思うよ。」
などという言葉も聞かれるようになる。
Aちゃんも自分で、 『これはまずい。パニックを起こしそうだ。』と思うと、静かに自分で教室を出て行くようになった。わたしは、この判断力を、みんなの前で絶賛した。
⑥そのうち、Dちゃんのように、
「 toshi
先生。Aちゃんね。~が得意なんだって。だから、わたし、教わっちゃった。Aちゃんも、とってもうれしそうに教えてくれたよ」などという子も現れる。これももちろん、上記の観点からして、絶賛ものだ。
⑦しかし、学級、子どもの成長は、右肩上がりではない。どうしても紆余曲折はある。
どのようなとき、Aちゃんはパニックを起こすか。それが分かるようになったころ、Eちゃんのように、わざと挑発してパニックを起こさせ、喜ぶという事件が起きた。
これはもうとんでもないことだが、
さいわい、わたしより早く、クラスのみんなが激怒してくれた。Eちゃんも、学級のけわしい雰囲気に、もう、反省せざるを得ない様子だ。わたしは(・・・)
「悪気はなかったのだよね。Eちゃんは、ちょっとからかってみたくなっただけなのかな。でも、いいよ。今のEちゃんの態度は、『もう、これからは絶対しません。』そういう決意が現れているもの。怒ってくれたみんなも、ありがとう。わたしは、すごくうれしい。」そのような感じで済ませることができた。
⑧子どもたちの問題解決学習も、Aちゃんの存在を意識したものになっていった。前述のCちゃんの言葉もそうだが、
〇Aちゃんが黙って教室を抜けるようなことがあると、『ああ。今の議論は混乱していたな。』など、悔悟の表情を浮かべる子もいた。
〇「先生。わたし、~の資料を作ってきたのだけれど、~のように工夫したよ。Aちゃんも、よく分かってくれるのではないかなあ。」
のような言動もみられるようになった。
こうして、Aちゃんが在籍してくれていることによって、子どもたちの問題解決学習はきたえられていったのだ。
〔前半から中盤までの引用は以上〕
紹介した部分だけでも実践の核心は伝わってきます。とりわけ私が「すごい」と感じたのは、「 心配そうに見つめる子、にやにや笑ってその事態を見ている子、我関せずの子などを、しっかり観察していた 」という部分です。VHSのカセットさえなくオープンリールの白黒映像を使っていた時代、「発達障害にかかわる研修など皆無でそれこそどうすればいいかわからなかった時代」に、清水さんは「一緒になってあわてふためく」のではなく、子どもたちの様子を観察し、「 言葉かけ 」をしていくわけです。
心配そうに見つめているだけでも、関心をもとうとしていることは確かなので、そうした観点でほめるようにした 、という清水が「実際にかけた言葉」までは報告されていません。が、おそらく「あなたもわたしもAちゃんにどうしてあげればいいかわからないのだけど、友達のことを心配してくれているのだね」、「それが伝わってくるよ」、といった言葉かけでしょう。
清水は著書『子どもが伸びる言葉かけ』のなかで、子どもたちの様子をしっかり見取り、感心(感動)したことを言葉にする 、という趣旨のことを述べていますが、そのような素直な気持ちは子どもたちにまっすぐ伝わっていきます。それ(言葉かけ)を積み上げていくことで「どうしたのだろうというAちゃんへの関心」が学級の中に広がっていくわけです。
④で紹介されている場面も同様です。このような積み上げを通して 「Aちゃんどうしたんだろう」→「このような時にパニックを起こすのではないか」→「Aちゃんとともに学級や学習をつくっていくためにはこうすればいいのではないか」 、これを考え合うような方向へ子どもたち自身が成長していくわけです。
事実、清水は このブログ記事の 後半 (結論部分)で以下のように述べています。
発達障害について、子どもたちは無知だったけれど、思いの根底には、『ぼくたち、わたしたちがとうていしないようなことを、友達のAちゃんは、なぜするのだろう』、そういう人間探求、友達探求の心があったのだと思います。
すると、『分かった。Aちゃんはこういうとき、パニックになるのだ』という気づきが必ずやってきます。そうして、『それなら、そういう行動をしないように気をつけよう』という気運が学級に醸成されるのです。
ここで強調されているのは「子 どもたち自身の中にある友達探求の心」ですが、そこから目を離すことなく「評価・言葉かけ」を続けたことが、集団としてこの学級が成長できた決定的な要因 でしょう。あえて前記事(教育評価の視点)と関連させるならば清水の言葉かけは「 」によって学級が変容していく優れた実践例だと考えます。
さらに「特別支援」という観点からしても「発達障害のある子」ではなく「目の前にいる友達Aちゃん」への関心をふくらませていくところが素晴らしいと感じます。「研究をとおして得られる知識」がともすれば「分析・分類して発達障害の特性を浮かび上がらせる」方向へ片寄っていきがちであることを考えれば、このような実践の意義は強調されるべきでしょう。
上記⑥で紹介されているように、Aちゃんの好きなこと、得意なことを知り教えてもらう、ことで本人の興味関心を共にし面白さを共有する、その意味で「ともに生きる子どもたち」として集団が成長するわけです。「共生」という言葉もほとんど使われなかった時代の「清水実践」から私たちは多くを学べると感じています。
なお、理解のない周りとの関係で「二次障害」を根づかせた個人が「大事件」を起こすケースもあります。そのような生徒との関わりを学校づくりにつなげていった実践を 高生研 大会基調 「 生きづらさをかかえた生徒から学校を見直す ~「特別支援」からはじめる学級・学校づくり~ 」
では紹介、分析していますのでよろしければご一読ください。(なお、生徒のプライバシーへの配慮から執筆者名などは仮名となっています。)
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