不倫日記

不倫日記

2008.04.30
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 パパのはなしはどんどんむずかしくなってくるけど、ぼくはじっときいていた。きっとこれからこわいはなしがはじまる。そうおもうとわくわくしていた。
「西成区っていうのは、本当に汚くて怖いと思われている街やった。今でもそうなんやろな。盗み、殺人、恐喝。そんなん当たり前。やくざと浮浪者の集まりみたいな所や。その中でも、飛び抜けて変な人間が集まるところにパパは生まれて住んでたんや。物心ついたときはもう、お母ちゃんはおらへんかった。周りのおっさんたちはパパやパパのお父ちゃんにからかいがてらこう言った。
(お前のおかあちゃんは銭湯に行くって言うて、そのまま帰ってこんかった)
(きっとどっかのパチンコ屋でも働いてるんとちゃうか)
(まあ、父ちゃんが父ちゃんやからな。酒呑んだら手(てぇ)、つけられへんからな。お前が生まれる前、妊娠しとったけど、その母ちゃんを階段の上から突き落としたからなぁ。それで流産や。その後、すぐお前ができたけどな)
 パパは大人たちの中で、酒さえ飲まへんかったけど、するめとかホルモンとか食わされて生きとった。
 不思議なことにお母ちゃんと三歳くらいまでは一緒にいたはずなのに、お母ちゃんと一緒にいた記憶は一切ない。顔も全然覚えてへん。まあ、子供の頃の記憶なんて、わからんもんやけどな。
 せやけど、パパは産まれる瞬間の事は覚えてるねん。かつきは生まれる時のこと覚えてるか?」
「うまれるとき?」

「かつき、ママのおなかからなんかでてきてないよ。かつきはかつきだよ」
 パパはへんなことをいいました、かつきはきがついたときから、かつきだったもん。ママのおなかになんかいないや。
「えっ? じゃあ、かつきはどうやって生まれたん?だって、わんわんや、にゃんにゃんかてお腹から生まれてくるやん」
「いや、いや、かつきはおなかなんかにいない」
 なんかかなしくなってきた。「きっと、たまごだよ」
 きっとそうだ。
「はは、卵か……それはええ。けど、パパは間違いなく母ちゃんのお腹や。お腹から出てくるとき、なんか暖かくて、赤くて、ほんで血の臭いが臭かった。なんかそこから早く逃げ出したくって、こう……どろどろしたプールを掻き分けて掻き分けて、空気の吸える場所、光の見える場所を求めて探して、肉を掻き分けて、腸を足で蹴飛ばして、やっと外が見えて……おかしいやろ、普通、そんなこと覚えてへんやろな。けど、パパの記憶にははっきりと生まれたときの記憶が刻まれてるんや。けど、不思議なことに、そのあと抱かれたはずの母ちゃんの顔も温もりも覚えてへん。そして、何でか生まれたあとの記憶は急に、二帖くらいの安アパートに一人取り残されているシーンになったんや。
 保育園なんか行かされてへん。かつきはママが仕事行ってる間、保育園行ってるやろ」
「うん! ほいくえんすき!」
「友達いっぱいできた?」
「うん、やっちゃんとか、けんちゃんとか、なかよしだよ」

 ごはんも食べさせられてたんやろか?そのアパートであんまりうまいもん食べてた記憶はないな。朝になったら、お父ちゃんがいなくなって、昼も帰ってこなくて、いつ帰ってくるかわからんで、不安とひもじさに泣きながら、おもちゃとして与えられてた、紙芝居セットみたいなやつを読んで、まぎらわしてたな。お父ちゃんがおらん間は、ただ待ってるだけしかでけへんかった。
 そういうアパートやからな。風呂なんてあらへんし、トイレもガスも共同やったよ。ガスが共同ってゆうのわな、なんでこんなこと覚えてるかわからへんけど、薄暗い廊下の奥に、水場があって、そこにガス台が並んでるんやけど、コインを入れる場所があって、コインを入れたら、多分、何分間か火がつくんやろ。コインっていうても直接お金やなくて、大家さんから、五円玉みたいなコインを買って、それを入れたら火が点くんやろな。なんかそんなどうでもいいことは覚えてるんや。
 せやからお湯とかは沸かせたよ。周りの大人が教えてくれたからな。
 アパートも出入りが激しくて、今みたいな敷金、礼金があっての月払いとかとは全然違う。あれは多分、日払いやったんやろな。言ってみればホテルみたいなもんや。その代わり金が払えんかったらすぐに追い出される。
 実際、パパは西成を出る前までは、いろんな所に寝た記憶がある。

 一番覚えてるんは、冬の寒いときに、寝るところなくて材木置き場みたいなところで、ブルーシートみたいなもんに包まって、お父ちゃんに抱かれて寝てた覚えがある。朝になったら夜露が顔についてて気持ち悪かった。父ちゃんは(ここで待ってろや)と言って、しばらくどこかに行った。俺もそうするしかなかったので、じっと言いつけ守ってたんや。そしたら帰ってきて、袋に入ったパンの耳を食べさせられたわ。買うてきたんか、貰うてきたんかはわからんかったけど、
 そんなんでも、生きてこられたんや。不思議やな。
 何でお金なかったんやろな。自転車だけは持ってたから、パパはよく父ちゃんの後ろに乗せられて移動してたよ。ある夜は寝床を探してうろうろしてたら、ちょうど、開いてたタクシーのドアとぶつかってなぁ。わざとかどうか知らん。多分、わざとぶつかる知恵はなかったと思うけど、そのあともめて、結局、何千円かせしめて、しばらくアパートに住めたみたいやった。
 父ちゃんは結局、どんな仕事してたのか今でもわからん。
 西成を抜け出して、小学校に行った頃ははっきりしてるよ。
 ただ、西成にいるときは何してたのか、なんとなくわかってるけど記憶がとびとびやから、どの時期に何をしてたんかようわからんかった。
 ラーメン屋の時期もあった。屋台をひっぱって、その屋台の上に乗ってた覚えがあるけど、記憶が短かったから、少しなんやろな。鶏肉……かしわって言うんやけど、それを捌くのが得意で、そういう店にも勤めてた。
 けど、結局、長続きせんかったんやろな。それが、本人の酒のせいか足が悪いせいかわからんかった。多分、足が悪かったから、思い通りに事が進まんで、酒に走ったんやろな。
 そう、お父ちゃんはもう、俺が生まれたときから足が悪かった。多分、左足やったと思う。いろんな差別用語があって、よくからかわれるときはそういう言葉で呼ばれてた。今となってはよく覚えてへんけど、手術とかしたら治ったんかな? 多分、無理やったんやろ、後から聞いたら、子供の時からそうやったらしいから。
 だから歩き方が変やったよ。びっこをひくって言うけど、靴とかではなく、いつもサンダルみたいなやつ履いてたから、足音で近づいて来ることがわかったんや。
 けど、西成ってゆうところはそれでも生きていけた。
 いや、もしかしたらそういう人の集まりなんかも知れん。
 西成ってゆうても広いから、電車の駅もあって、商店街もあって、普通に生きてる人もおる。パパの住んでた場所がそういう人たちの集まりやった。地名でゆうたら天下茶屋っちゅうとこから、新今宮っちゅうとこまでの間や。確かその中にあいりん地区っちゅうんがあったはずやけど、ずいぶん昔の話やから、ようわからん。
 手の無い人。
 片目が真っ白の人。
 顔の半分以上がやけどのような跡で占められている人。
 髪の毛がないおばちゃん……
 今考えると、そんな人と、ヤクザと、身体は丈夫やけど、なんか悪いことして逃げてきた人と、そんな人達に物を売る人と……そんなんばっかりやった。
 そんなんやから、ちょっとだけ生活レベルの高い人は結婚するけど、父ちゃんみたいなパターンはあまりなかったみたいや。仕事もちゃんとしてないのに、結婚して子供生まれて…… まあ、結婚したときは、ちゃんと働いてたみたいやけどな。天王寺にある近鉄百貨店か阪神百貨店か忘れたけど、そこで鶏肉を売ってたらしい。
 それから、片足が悪いのが原因か、本人がちゃんと仕事せえへんのが原因がわからんけど、西成暮らしになったらしい。
 周りの同じような生活レベルのおっちゃん達は結婚なんかしてへんかったもん。多分、今どれくらい生き残ってるかしらんけど、一生、結婚なんてできへんのんやろ。
 そもそも、若い女自体、あんまり見ることもなかったもんな。
 西成でもパパのいたところは、怖くて普通の人は近寄らん場所やった。無法地帯なんやろな。今ではどうか知らんけどな。





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Last updated  2008.04.30 13:12:36
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