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本神社は、本社の荒魂をおまつりしている、延喜式神名帳に記される
古社で、古くより、華鎮社(はなしづめのやしろ)と称され、
病気を鎮める神としての信仰がとても厚い神社です。
三輪山への登り口でもあり、本神社で受付をしてから御神山へ登ります。
狭井神社拝殿の裏には、薬井戸があり、ご神水がこんこんと湧き出ています。
この霊泉は万病に効くと古くから伝えられており、私も数年前、腎臓病で
入院していたときにお見舞いにいただき、お陰さまでこれ以上悪化することなく
過ごしています。
狭井神社から久延彦神社へ向かう高台から、大和三山が見渡すことができます。
左から、天香具山、畝傍山、耳成山。
万葉集に、「香具山は 畝火ををしと 耳成と 相あらそひき
神代よりかくにあるらし 古昔も然にあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき」と
中大兄皇子に歌われた大和三山。
大和三山(の神)が神代に恋争いをしたという歌で、
中大兄皇子と弟の大海人皇子の額田王をめぐっての恋争いを
大和三山に託したものともいわれています。
万葉の頃から三角関係のもつれは大変だったようです。
大和三山を眺めながら、久延彦神社へ。
ご祭神の久延毘古命は、大国主神が国造りの際、多くの神がご存じなかった
少彦名命の神名をお教えになられた神様であり、知恵は世に類なく優れておられました。
『古事記』には「足はあるかねど天下の事を、尽(ことごと)に知れる神」と記されている
神様であります。
このため、受験合格・入学・進学・就職等の成就安全をおまもり下さる、
知恵の神様として信仰されており、境内にはふくろうさんの絵馬が
たくさんぶらさげられていました。
実は今年、とある国家試験を受けることになった私、
合格祈願を願い奉納してまいりましたが、さて、どうなることやら。
最後は若宮社へ。奈良時代には、神仏習合の姿をとり、
大神神社の神宮寺、大神寺として栄えたそうです。
中世には、三輪流神道がこの地より広まり、各方面に多大の影響を与え、
明治の神仏分離までは、大御輪寺の本堂として、
若宮の大神様とともに本地仏十一面観音(国宝、現聖林寺奉安)が併祀されていました。
現社殿は、昭和62年より3年間に亘り解体修理が実施され、
応永19年(1412)の姿に復元されたもので重要文化財に指定されています。
無事、お参りを済ませたあとは三輪そうめん。この時期は暖かいにゅうめんです。
三輪そうめんは、伝説では大和三輪で、紀元前91年、大物主命の五世の孫である
大田子根子命が大神神社の大神主に任ぜられ、その十二世の孫である従五位上大神朝臣狭井久佐の次男穀主が創めてつくられたとされる、
そうめんの発祥なのだそうです。
お出しがとってもおいしくて、参拝で冷えたからだをほっこりさせてくれますよ。
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