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リニューアルされた天王寺動物園のアジアゾウのエリアをオープン初日に行って来ました。アジアゾウ好きですし、新聞なんかで結構取り上げられていましたし、まあ私はミーハーですし、「創刊号」「初日」の「初モノ」とかに弱いですから。新聞や現地で聞いたところによると、アジアの森はタイの国立公園をモデルに作られ、ゾウの住む森やバナナ畑などが作られていて、ゾウと自然、人と自然の関係を楽しみながら学ぶことのできる施設だという話です。結論から先に言ってしまうと、日本の動物園のゾウの展示の中では、いちばんよくできている。ということでしょうか。施設で思い浮かぶのは、横浜ズーラシア、少し古くて多摩動物園アフリカゾウなんかですが、これで天王寺の一歩リード、ということになると思います。残念ながらゾウさんは前の施設のように間近で見ることはできません。少し遠くなってしまいました。ゾウの居る場所によっては見ることもできません。でも緑の中にゾウが溶け込んでいることや、コンクリートじゃなしに、土の上でゾウが飼われていることなど、いろいろよく考えられた施設だということが解ります。残念な点は、バナナ畑といわれているエリアのバナナの葉っぱが冬なので枯れていたこと。春になって暖かくなったら再訪しようーっと。飼育舎の中を見ることができる部屋も付いていて、夕方ゾウ舎に収容されたゾウがエサを食べているところも見ることができます。結構迫力があった。やっぱゾウは近くで見なくては。 天王寺動物園アジアの森手前のゾウは春子(メス56歳)、奥のゾウはラニー博子(35歳)右手に見える小屋からはゾウを覗く穴が付いている。ゾウが近くに来れば、ドアップのゾウを見ることができる。なんか天王寺動物園のヨイショしてるみたいな日記になってしまった。
2004.01.31
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私が初めて天王寺を訪れたのは今から15年ほど前のことだった。連れ合いの提案で春うららの3月、動物園を訪れた。その頃の天王寺公園周辺は、牧歌的な雰囲気が漂っていた。強制的に排除されたカラオケも、最後の頃のようにDVDでモニター付き、小屋まで建てて、ビールまで販売しているような場末の貧相な店が路上に滲み出したような状態ではなかった。8トラのカセットが一台置かれた周辺には、着物を着て顔を白塗りにしたおっさんが、手ぬぐいを持って「しな」を作って踊っていた。通称カラオケ通りと呼ばれたこの通りでは、和太鼓を持ち込んで練習しているおじさんも居て、初めての天王寺の地でものすごいカルチャーショックを受けたことをよく覚えている。公園をどのように使おうが、使う人の勝手だという理屈は理屈として理解できる。それは排除する側の論理。でも、人は収入のすべを失っても、まだ生きる努力を失わないでいるのだなー、とか妙なところで関心させられるのも天王寺の街のすごさかもしれない。天王寺公園周辺には多くのホームレスが住んでいる。天王寺に限らず大阪にはホームレスが多い。ホームレスの中にもステータスがあるようで、公園の中や舗道にコンパネとかでまさに家を作って住んでいて、犬とか飼っている人を見ると、すげー、と思う。時間軸が私とは違うんじゃないかと思うし、これなら不自由を感じることも少ないんじゃないだろうか、とも思う。一方、別の場所に目を転じると、ダンボールしか寝具を持たぬ人たちが、この冬の寒空に一夜限りの仮設のダンボールテントで夜を過ごしている。夜の公園は究極のアウトドアライフ。というよりは究極のサバイバルだ。ホームレスの中にも社会的なヒエラルキーがあって、路上で生活していくのにもややこしいルールがたくさんあるという話を聞く。路上で生活する上で、快適な生活ができるか究極のサバイバル生活になってしまうかは、その人がホームレス社会に順応していけるかどうか、という要素がきわめて大きいらしい。私は世間の中での人間関係をきわめてわずらわしいと思う。これが嫌で思わず全てを投げ出したくなるときがあり、実際発作的にそうした行為をしてきたことも過去にはあった。別の世間にわが身を投じたところで、やはりわずらわしいのは人間関係。学んだことは、人がどんな状況であれ集まれば世間が生じ、必ずわずらわしさが発生する、という事実。世間に上手く順応できない人間は、社会的生活を送れない。昨夜12時過ぎに帰宅した私は、家の鍵をもっていないことに気が付き愕然とした。私の連れ合いは遊びに行ってまだ帰ってきていない。夜の寒さが身にしみた。究極のアウトドア、サバイバルに耐えられるほど、私の精神や身体は強くない。となれば嫌でも世間と向き合っていくしかない。
2004.01.30
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アジアゾウを見に行く-タイ編に入る前に思い出したことがあるので書きます。今日はアジアゾウは出てきません。格安チケットを購入したため、帰りはソウルで一泊した。近くて遠い国、韓国。ソウル。30歳過ぎて初めて、足を踏み入れた。ホテルは、空港のツーリストインフォメーションで紹介してもらった。ソウルのど真ん中、大阪で言えば船場あたりの裏路地を思わせる路地の一角にそのホテルはあった。日本円で一泊350円くらい。オンドル付きの古い民家を改造したような宿だった。安宿ということと、正月だったので、そこらじゅうの国からのツーリストがひしめいていだ。私は久々に飲酒し、久々に肉を食らった。ソウルでは、地下鉄に乗っていても、銭湯に入っても、焼肉屋に入っても、どこに居ても私が日本人だということがみんなわかるようだった。扱いが周りと違う。そりゃ、私は日本語と英語が少しわかるくらいで、ハングルはさっぱりだし。でも顔見りゃ区別付かないジャン。彼らは私が言葉を発する前に私が日本人だということを見抜く。??何で??今から2年ほど後、あるコンサートで出会った在日のおねーさんに言わせると、顔が違うそうだ。彼女いわく「見たら解ります」と。?、でも貴女はどこから見ても日本人にしか見えないけど、、微妙な違いにかの国の人々が気が付くのは、終戦記念日を開放記念日と呼ぶ、過去の歴史の違いなのかも知れない。私のつれ合いは、その前の年にソウルに一週間ほど滞在し、ことあるごとに「イルボン、イルボン」といわれ続け、特に女の一人旅だったことも追加されたのか、かなりいじめれ、心休まるときももてなかったらしい。かの国にあまり良い印象をもっていなかった。私もその訪問では同じような感想だった。それから2年後、サッカーワールドカップ、コリア-ジャパン大会の開会式に連れ合いと一緒に出かけた。そこでの韓国の人たちの私たちに対する反応は、前回の印象とはまるで異なっていた。ほんの2泊3日の滞在だったけれど、思いがけない楽しい出会いと交流の時間を持つことができた。世界最高規模の大会を共催し、成功させようという彼らの思いなのだろうか。それとも時が過去の恨みを解決したのか、良くはわからない。でも私たちは、普段からもっとも近くて遠い国の隣人たちに、彼らにとって興味を持ち、快い態度で接しているのだろうか。ホームレスがひしめき、どこから見ても、誰がなんていったってアジアの色がする大阪の街を眺めながら、こんなことを今日は思い出した。
2004.01.29
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帰国までの2日程をデリーで過ごそうと思い、バンガロールからデリーまでの寝台列車に乗った。インド入りして10日も過ぎると、どんなことが起こってもびっくりしなくなる。というよりは感覚が麻痺していたのかもしれない。気が付いたら、デリーに着いていた。インド滞在の最後は、デリーで、と思っていたが、デリーは予測ニ反して退屈な場所だった。食べるものも美味しくない。南インドにはターリーといって、バナナの皮の上にご飯や何種類ものカレーやアチャール(つけもの)が乗っかっているカレー定食のようなものがどの店にも必ずある。注文と同時に料理が出てきて、どんな汚い店でも店の人が食べている様子に合わせて、ご飯やカレーをよそってくれる。つまりサービス付きお変わり自由。南インドではターリーというよりは、エクスプレス(作りおきしてあるから、すぐに出てくる)と呼んでいる店が多かった。ぺリヤール国立公園の周辺はスパイスの一大産地で、国立公園のある町の店のカレーが一番美味しくて、離れるにつれて少しずつ味が落ちていく。(ホンマでっせ)デリーで南インド出身の人が経営する、というレストランでターリーを注文したら、それは形は同じでも同じ料理とは思えないくらい美味しくなかった。デリーには国立動物園がある。出かけてみたが、だだっ広い敷地に地味な動物たち。日本ではどんな田舎の動物園でもキリンやライオン位は最低限居るが、ここには周辺の国々に住むと思われる鹿や鳥が中心の展示。アフリカエリアもあるにはあったが、地味。アジアゾウの展示は無く、園内にはエレファントライドがあるのみ。ここに居たゾウも老像。ガラガラの園内でもエレファントライドのコーナーだけは人気が高かった。寺院に居た老ゾウに比べると、重労働で少しかわいそうな気がした。売店のコーラを飲みながら、しばし眺めていたが、とても残念な気がした。動物園で秀逸だったのは、白トラ。その美しさに魅入られ、檻の前から動けなかった。白トラの檻の前から動かない私に、飼育係のおじさんが「こっちにはもっと沢山居るから、、」とバックヤードの中に招き入れてくれた。そこには、さらに2頭の白トラが居た。インドに来て殻のことを思い出す。人にだまされたり、とてもいい人に会えたり、そんな旅の終わりに、ホワイト・タイガーの神々しい美しさに触れて、もう死んでも良い、、と思った。というのは大げさか。飼育係のおじさんは、特別に見せてくれたのにも関わらず、チップも要求しなかった。白トラの飼育に誇りを持っているんだろうか。帰国前日。退屈なデリーの町を散歩していたら、楽しげな音楽が流れてきた。音の源を辿っていくと、鮮やかな黄色のターバンを巻いた人の群れ。シーク教徒のパレードだった。おなじみの黄色のターバンに剣を捧げてあるくひげ面のデブ親父たち、剣の先端には花がさしてある。これがパレードの先頭集団。で、、、その後ろは、ゾウ、ゾウ、ゾウ美しくボディペインティングを施されたゾウもパレードに参加している。その数約10頭。その姿は圧巻、としかいえない。インドの大地にただ、ただ、感謝。ナマステ。私はこのゾウの隊列を子供のような気持ちでひたすら追いかけた。インド編はこれにて完結。明日からはタイ編です。
2004.01.28
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このときのインド旅は、デリーINデリーOUT。インドの逆三角形の先端に、デリーから行くには、2泊3日の電車の旅が必要となる。ぺリヤール国立公園に行って帰ってくるだけで、バスの旅を入れて約1週間。帰ってきて誰に話しても「馬鹿じゃやないの?」とういう顔をされた。ボンベイINバンガロールOUTあたりが妥当だとうなー、と当時も思った。こんなクレージーな旅行日程をたてたのも、「電車の旅もまたよし」「だって、エア・チケットが安いもん」の二つの理由。正直なところ、後者の方にウエイトが高かったと思う。要するにケチだったということ。実際、デリーから寝台列車に乗り、一晩過ごした後は後悔した。期待していた車窓からの眺めは、半日たっても変わらない景色にもう飽き飽き。夜行列車の中で、いろんな人からゾウについての情報(野生のゾウについては、みんなかなりいい加減)を得た。で、ある年を取った人いわく。「ゾウを見たかったら、お寺に行きなさい」「?、ガネーシャのこと?」「いや、本物がいるから」で、デリー → ペリアール → (思い出せない) →バンガロール 電車とバスを乗り継ぐあたふたと忙しい合間をぬっては、各都市の著名寺院を見て回った。で、かの爺さんに言っていた意味を理解した。大きな寺院の中には、出店が必ず出ている、規模が大きな寺院に行けば、その中にゾウが必ず居ることに気がついた。言えば、浅草の浅草寺の前の寅さんの店の横に、ゾウ使いがゾウを従えて座っているようなイメージ。で、このゾウの鼻先に小銭を渡すと、お金はゾウ使いの元に渡してすぐに頭をなでてくれる。こういったゾウは使役ゾウとしての役割を終えた老ゾウの最後のお勤めのようだったが、つげ義春が河原で石を売っている姿を見ているようで、その場を離れ難かった。今日でインド編を終えるつもりでしたが、明日もインド編の続きです。
2004.01.27
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インドの国立公園での二日目の話。トレッキングツアーの朝は早い。参加者の多くは白人ツーリスト。インド人も居たが、アメリカ在住だった。ネイティブのインディアンはわざわざ歩いてまで、森の中に入る気はしないんだろう。でも、お金は安い。船に乗るのに比べたら4分の1程度だった。とにかく森の中を歩き回り、あるところでは、「この辺にはゾウが出るから、しばらく待って、、」といわれ、湖の脇で待ったり、、、、で、見た動物は、高い枝の上にあったミツバチの巣と、トラよりも小さいネコ科の動物の足跡、ミツバチの巣を取りに出かけていくインド人達だけだった。あ、思い出した。朝早かったので靴下をはかずに出かけたため、吸血ヒルに嫌ーというほどたかられ、だらだら血が出てしまった。ヒルにたかられると、血が止まらないのです。これも自然公園で見た動物?森に入るときは、靴下を忘れずに。トレッキングツアーで学んだ教訓。というと本当に何も見なかったように聞こえてしまうが、絞め殺し植物(イチジクの仲間、人の木の上で発芽して、根を地面に下ろす。次第に根がくっついていって、宿主をのっとってしまうというちゃっかり物の植物)とか、板根の植物(アジアの熱帯雨林では珍しいと思う)なんかは一通り見られたけれど、私の歩いた森は樹木が比較的若い感じの場所が多かった。ゾウの足跡やウンチ、塩なめ場すらも見せてもらえなかったので、きっとペリアール国立公園には野生のゾウは居ない、という結論に達した。間違いであることは昨日証明されたけれど。仕方ないので、国立公園事務所の近くでエレファント・ライドを楽しんで帰ることにする。エレファント・ライドのゾウは比較的若くてかわいいゾウだった。乗るのがかわいそうとも思ったが、せっかくきたのでやっぱり乗る。初めて乗ったゾウの背中は高い、それ以上に揺れがすごい。落ちないようにするのが精一杯でした。結局南インドで野生のアジアゾウを見ることはかなわなかった。野生のアジアゾウが一番多く生き残っている国はインドだったはずだ。ものすごい古い統計では2-3万頭居るはずだ、と。しかし、インドの人口密度や行けども行けども農地ばかりのデカン高原、残された樹林は国立公園だけ、それも少ししか地図上には残っていない、、、本当に野生のアジアゾウはインド国内に万単位で生きているのだろうか?アジアゾウを研究するという行為はきわめて非効率なことらしい。なぜなら野生化のアジアゾウは、エサや水を求め、深い樹林を一日200キロも移動する。人が分け入ることを拒絶するような深い森の中で、ゾウの頭数をカウントするような非効率な学問にお金を投資するような余裕があるはずがない。資金を投入するだけの価値が無い。だから2-3万なんていい加減な数字が挙がってくる。アジア諸国では、1000年もの使役ゾウとの関係という歴史を持つ。野生のゾウが絶滅したところで、困る人は居ない、ということかもしれない。でもそんな感覚は日本に住む我々だって一緒かもしれない。日本の動物園には50頭以上のアジアゾウが飼育され、飼育の歴史も半世紀を優に超えているけれど、日本でアジアゾウの子供が生まれたという事実は無い。日本はアジア諸国からアジアゾウを輸入しては、ただの見世物として大量に消費してきた国だということ。アジアゾウはレッドデーターブックでは絶滅危惧種に指定されています。皆さんご存知でした?アジアゾウを見に行く-インド編は明日にて完結です。
2004.01.26
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今日は私が参加しているアフリカの某国との国際交流を目的としたNGO団体の総会に参加した。総会が終わったあと、京都の町を二次会のできる喫茶店を探して歩き回った。が、どこも満席で中に入れず、結局アウトドアのカフェでコーヒーを飲んで帰ってきた。齢60才を越えると思われる人から20代のカップルを含む約10人の団体様が、外で震えながらコーヒーをすすっている姿は、団体のわけのわからなさに加えて、少し異様だった。怪しい日本語を扱うアフリカンも居たし。でも意外に楽しかった。そこで参加者の一人の女性と話をして衝撃を受けたことがあるので、ここに紹介させていただきます。数年前、南インドの国立公園に野生のアジアゾウを見に行った。見に行くのはその旅行の最大の目的であったが、目的を果たす旅が良い旅とはいえない。という事実を思い知らされた旅だった。(昨夜はここで力つきたので続きです)私が目指したのは、南インドのペリヤール国立公園。地球の歩き方によると、ペリアール国立公園は、ダム湖を中心とした自然公園で、船の中から、野生のアジアゾウのほか沢山の野生動物を見ることができるという。自然公園についてみると、インフォメーションと船着き場、小さな売店があるだけの小さな行楽地のようなところ。大勢のインド人と、白人ツーリストがひしめいていて、びっくりする。初日は、とにかく船に乗った。船は二階建てで、上はデッキチエアに天蓋付き。下は暗い船倉。もちろん料金は下の方が安い。上はがらがらで白人ツーリスト、下はカラフルな衣装を身につけたインドの老若男女たち。私は料金が安いと言う理由で下の船倉に収まる。この中に外人は私一人。船が出る前から、皆興奮気味ではしゃぐ、はしゃぐ。ここで初めて気づく。この船は、エコ・ツアーと言うより、かつて河口湖とか諏訪湖で遊覧船に乗ったノリじゃないか、と。船が出る。船はディーゼルで、整備不良か音のうるさい。私は、いつでも来い、とばかり望遠レンズに付け替えたカメラを構える。船が幾つかの入り江や岬を過ぎたところで、突然船内にどよめきが起きる。入り江の奥の湿地に確かに野生動物の陰がいくつも見える。ゾウ?と心臓がバクバクするが、近付くに連れて船内からも落胆の声が起きる。居たのは野生のイノシシ。結局その日の航行で見ることができたのは、例のイノシシと鳥が少しだけだった。航行の後半は、外に対する興味は無くなり、船内のインド人青年達とのバカ話に花を咲かせた。この日の結論。あんなにエンジンの音がうるさければ、きっと動物は近寄って来ないわ。船なんかダメダメ。ということで翌日のトレッキングツアーの申し込みをして帰った。(当分ゾウを見に行くで話を引っ張るつもりですので、いきなり結論を書いてはいけない、と思いながらも、書いちゃいます。)で、昨夜の話に戻るが、その女性は同じ国立公園に行き、その船でちゃんと野生のアジアゾウの親子を見て、しかも写真に収めた、というのだ。それも一度行ったきり。結論から先に言うが、私はその年タイとインドの国立公園、合計3箇所、延べ10日は野生のアジアゾウを見るために消費した。旅行日程を合わせれば20日を越える。にもかかわらず、観光気分でちょっと立ち寄っただけの彼女が見られて、野生のゾウが見たい、と心から思っていた私は一度もその姿を見ることができないなんて。世の中不公平じゃないか、と。アジアゾウを見に行く は今月いっぱいは引っ張ります。
2004.01.25
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一日に3つのうれしいプレゼントとひとつのうれしくないプレゼントが同時に届いたのでご報告します。1)スタバのカップ-お気に入りに追加スタバのステンレスマグカップを貰った。少し大きくて、使いにくそうというのが第一印象だったが、これはイケル。でかいマグにプラスチックの黒い蓋が付いている。スタバの蓋つきの使い捨てカップを何度も使えるようにした商品で、これを持参してスタバに行けば、コーヒーが5%引きになるそうだ。残念ながら、まだ試していない。(ご存知とは思いますが、スタバとはスターバックスのことです、関東じゃなんていうんだろう)今夜も残業。19時過ぎに、使い勝手をテストする。はじめに入れたのは缶ビール(正確には発泡酒)。350ミリの缶が一本がちょうど入る。ゆっくり注げば泡も立たない。仕事をしながら飲むので、ゆっくり少しずつ飲むのがよい。時間が過ぎても発泡酒がぬるくならない。なんてったって一番いいのは何を飲んでいるか周りの人間が気が付かないこと。2本ほど喜んで飲んだ後、焼酎のお湯割りを入れてみたらもっといける。時間が過ぎてもさめない、周りのひとが何を飲んでいるか解らない。(くどい)帰り際に酔い覚ましに。インスタントの味噌汁を入れた。これもいける。冷めない。回りは何を飲んでいるか気が付かない。(くどすぎ)でもインスタント味噌汁のワカメは、蓋の狭い隙間を通らなかった。少し難アリ。コーヒーを入れて飲んでみるべきだろうが、まだためしていない。2)キリンの置物-心が温かくなったメイドインケニアのキリンの置物を貰った。私に渡してくれた人は、どこからもらったのか、本人が買ってきたのか、出所を明らかにしなかった。明らかに手作りで、できの悪い置物だが、心が温かくなった。3)合格通知去年試験を受けたふたつの資格試験のうち、ひとつの合格通知が届いた。もうひとつはすでに撃沈していた。撃沈したほうの試験が本命。真剣にやったけど。だめだった。厄年だったので冷やかしで受けたこの試験も、できがすごく悪かったので、駄目と思っていたけれど、受かっていた。これは意外性が高くてうれしい。人にエッヘンと威張れるような資格ではないけれど。4)カードの請求書×××です。なんとも○○。せっかく楽天に参画したのに、お買い物はしばらくお休みしないと。2ヵ月後には経済的破局が見えている。
2004.01.24
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子供の頃の信州の思い出。屋根は杉板で葺いてあって、石が乗っけてあった。私の住むところでは、雪はめったに降らないが、標高が高いのと、信州でも南の方にあるので、ほとんど雪はふらなかった。たまに雪の降る時は、さらさらの粉雪が20センチ程度。そんな日の夜は何故か家の中に粉雪が舞っていた。板屋根は雨は漏らない。何故か粉雪だけが家の中を舞っていた。その当時、ストーブというものはどこの家庭にも無かった。一家4人の暖房は掘りごたつ。家の裏山で自家生産した炭を使用していた。私は幼稚園の頃からスケート靴を履いていた。スケートは小学校のグラウンドに田んぼの水を引き込んで作った天然リンクが舞台。小学校の頃の思い出といえば、朝も夜もスケート、スケート。(ちなみにスピードスケートです)中学に入学した後、中学校のとき、同じような校庭に作られたリンクは凍らなかった。小学校のリンクも凍らなかった。中学になっても凍らなかった。私の初めてまじめに取り組んだスポーツはスピードスケート。それは冬の寒さの不足により幕を閉じた。今私の出身地で校庭リンクをしているところはありません。温暖化の影響で水を張ってもリンクを作ることができなくなったからです。私の育った地域では明治のころからスケートが盛んだったという。下駄にスケートのブレードをつけた、下駄スケートというスケート靴の発祥地と言われているらしい。郷土からは何人ものオリンピックのメダリストも輩出している。でも今はそういうスケートを中心とした地域が独自に育んだコミュニティや文化は消えてなくなりつつある。中年になり、故郷を捨て、極端に寒さに弱くなった私はもうスケートなんかする気は無いが、そんな文化が失われていくことは残念なことだと思う。今日の寒さはもっと寒い日があった、ということで凌げるかな。
2004.01.23
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大寒だ。今日は寒い。朝からシャワーが凍ってしまった。毎年1回や2回凍る。信州に昔住んでいたときは、冬水道が凍るのは当たり前なので、ちゃんと対応して、こんな情けない事態は決しておこさなかった。近畿圏に引っ越してからは、危機意識が無くなったせいだろう。気を付けないといけない。凍結と地震は忘れた頃にやってくる。(あとの祭りか)湯沸かし器が壊れていなければよいのだけれども。シャワーが浴びられず、水で顔洗って出かける。昼になっても寒い。あわてて家を出たら、定期を忘れていた。今日は嫌な一日になるような予感がする。で今日は同じクライアントと仕事は別の件で、午前・午後2度の打合せ。1回目10時から12時半、2回目3時から6時30分。2回目の打合せは10人を越える会議形式で、3時間を超えたあたりから、意識が一時的に遠のいていくのが解った。打合せのための移動時に寒風にあたり、昔傷めた肩が痛みだす。昔山登りをしていたときに傷めたものだが、「ちゃんと直さないと年取ってから痛み出すよ」という言いつけを守らなかったツケが回って来たようだ。でもこれだけ痛いのは今日が特に寒くなったせいだと思う。
2004.01.22
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月曜日、火曜日と夜になってからプシュ、プアー、ウンメーなどと発泡酒を飲みながら仕事をこいていたうえに、昨日は家に帰ってからも沢山頂いてしまったので、昼を過ぎてもまだ頭に芯があるような状態で、絶好調とはほど遠い。今日はカンの回収日。大きなビニール袋にアルミ缶を沢山突っ込んでゴミ捨て場に行く時はさすがに反省する。近所のおばさんが井戸端会議をしてる日にはもう最悪だ。毎日毎日、良く飽きもせずに発泡酒ばかりこの小さな身体に流し込んでいるものだと自己嫌悪に陥る。記憶がなくなるほど飲むとか、飲んで暴れるとか、そんなこともここ何年もしなくなったし=体力が無くなったのかな、病院に送られて、というほどひどくないからまあよしとするか。日常生活に支障が無いと言いながら、仕事にはばっちり支障が出ているのだから少しは控えよう。今読んでいるミステリーは、マイケル・キンブルの「計画殺人」。アル中の主人公が複雑な事件に巻き込まれていく、ようなお話。映画を見てるようなストーリーの展開にぐいぐいと引き込まれていく。あー、こんな作品に接すると仕事など放りだして、読み続けていたい、と思える一冊だ。ところで、海外の作品の邦訳タイトルはどうしてこんなにダサイのだろうか。原作のタイトルは UNDONE、このタイトルの方がよほど中身を正確に反映していると思う。計画殺人 マイケル・キンブルUNDONE by Michael kimball
2004.01.21
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頭がぼけているのか、今日が20日と言うことに気がついた。このHPを立ち上げてから、毎日欠かさず日記を書いてきたつもりだったけれど、どこかで一日ずれてしまったようだ。毎日日記を書くという習慣は無かったけれども、続けていれば何か良いことがあるかも知れないと思っている。ずれているのも好ましくないので、本日2本目の日記を書くことにします。ニューヨークにブロンクス動物園という動物園があります。ニューヨークにある動物園では最大、アメリカ全土を含めても最大級の動物園といっても良いでしょう。ここに5年ほど前、コンゴの森というゴリラを中心にしたコンゴの熱帯雨林に住む動物たちを展示したエリアがオープンしました。私はこの施設が好きで、開園直度、2年前と2度も見に行ってしまいました。最大の魅力は、グループ飼育されているゴリラたち。一つの群れは20~30頭のゴリラが居るでしょうか。ガラス越しに見えるゴリラ達は、人の姿を気にせずに自然な姿を見せてくれます。ここではグループ飼育が効を奏して、毎年たくさんの子供が生まれています。更に、コンゴの熱帯降雨林をモチーフとした景観形成、現地でのゴリラの研究者が実際に使用する調査道具や観察のための施設なんかがさりげなく配置されていて、見知らぬコンゴの森の雰囲気に浸ることができます。屋内に入るとサインやビデオなどを効果的に使った自然環境を観察するコーナーがあります。このサインコーナーも非常に解説が詳しく、単に動物を見るために訪れた動物園で、野生動物や自然に関する知識を高めることができます。より突っ込んだサインは、主要な動線から外れたところに設置してあって、より学びたい、と思う人達に対するサービスも完璧です。私はコンゴの森やそこに住むゴリラの本を読んだり、NHKの番組を進んで見るようになったのは、この施設を訪れて後、帰国後のことです。それまではあまり興味がありませんでした。訪れる人の興味を引き、その場で学び、家に帰った後は興味を深めるきっかけを与えてくれる。まさに環境教育のための施設とはこのような施設を指すのだと思いました。この施設が成功している理由は、訪れる人に「感動」を与えることができたからだと思います。そして、人に感動を与える仕掛けも大がかりです。森の導入部から森の奥へ、森の奥では森林が破壊される様子が、そして極めつけは保護を訴える映画、で感動のゴリラとの対面。ディズニーランドを生み出し、世界最大の映画配給国アメリカ文化の底力はこういうところにも発揮されているのですね。これはアメリカの良い例として描いてます。アメリカ文化のマイナス面も沢山ありますよね。で、どこがアフリカにあこがれてなんだっけ?
2004.01.20
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(すみませんだいぶ前のことです)道祖神ツアーから、DODOWORRLD(どうどうわーるどにゅうす)というフリーペーパーが届いた。おそらく去年、道祖神主催の文化講にでかけたときに、住所氏名を書いてきたので、送ってきてくれたのだと思う。表紙の写真にまずびっくり、2トン程度のトラックに乗った荷物、荷物。人、人、人。記事の充実ぶりは、見事の一言。セネガルのバオバブオーケストラの特集記事、アフリカ大陸で受賞した、ノーベル文学賞受賞者の作品紹介。極めつけはエチオピア音楽のCD紹介コーナー。こんなに充実したDMを受け取って、充実した気分になったのは初めてだ。これで、魅力的なツアーがもっとリーズナブルだったら、すぐにでもアフリカに飛んでるとおもう。現実は厳しい。ここで思い出した。このHPのタイトルは森の旅。でも現実の私の生活は、生の森に接することがないまま日々が過ぎていく。話題にも上げていないことに今日気がついた。仕事で、タイとインドの熱帯林を見に行ったことがある。そのうち、ボルネオのオラウータンの住む熱帯降雨林を見に行きたいと思っている。アジアの国々は近いしチープなので、比較的簡単に行けるが、アフリカになると話は別だ。それでも中央アフリカのチンパンジーやゴリラの住む熱帯降雨林は一生の憧れだ。早く行かないと、森の類人猿たちがいなくなってしまうか、僕が年をとってしまって、行けなくなってしまうのじゃないか、と思っている。
2004.01.19
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平均的日本人の読書スピードは、一分間で約600文字。これを文庫本に換算すると約1ページとなる。とすると、私が努力を重ねた速読スピードは平均的日本人の読書スピードを2割程度上回ることになる。ところが、速読の本によると、科学的知見に基づき右脳と左脳をバランスよく利用するトレーニングを30時間ほど重ねることにより、この読書スピードを10倍の6000文字まで高めることが可能、という。しかも早いからといって決して斜め読みではなく、ちゃんと内容も理解したうえでのことらしい。で、もう一度捨ててあった本を手に、速読のトレーニングをして、驚異的スピードを身につけよう。と思ったが、努力嫌いの私は、テキストの文章が面白くない、という理由で、またほおり投げてしまいつつある。1000円もしない安い本から、脅威の能力を身に着けようなんて、やはり甘いんだ。絶対そうに違いない。速読教室に通って、しかるべきお金をしはらわなけりゃ、絶対無理、無理。書くほうだって、教室の主催者が書いているんだから、本読んで能力がつくような肝心の部分はきっとごまかして書いているに違いない、、、、と自分を納得させる。速読の本を読んで、私が実行している唯一のことは、「速読のための眼力をつける」(すごいよな)ための眼球のストレッチ体操。パソコンの画面を見続けたときとか効くので重宝している。もしかしたら老眼の防止にもつながるかも。やり方は簡単。1)視界の右端を凝視。約20秒。2)視界の左端を凝視。約20秒。3)視界の上端を凝視。約20秒。4)視界の下端を凝視。約20秒。5)右斜め上端を凝視。約20秒。6)左斜め下端を凝視。約20秒。7)左斜め上端を凝視。約20秒。8)右斜め下端を凝視。約20秒。9)眼球を視界の端を右回りに5回ゆっくり回す。10)左回りに5回ゆっくり回す。初めてやったときは目がちかちかして星が見えた。慣れれば毎日しても苦痛にはなりません。人前でこれをするときは注意してください。私は思わず人前でしてしまい、気味悪がられました。参考とした本はこれです。千円未満で速読スーパーマンになれるかも。★ひと晩5冊の本が速読できる方法★
2004.01.18
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R.D.ウイングフィールドの「フロスト日和」を本日読了。計画?そんなもの俺がたてたことがあるか?運を天に任せて、あとはただ突っ込むだけだよ。このくだりが気に入ってしまったので、プロフィールを書き換えてしまった。イギリスの推理小説を読んでると、必ず階級とか地位とかが社会の根底を流れていて、それは人が生まれて死ぬまで不変のものなんだ、という社会の底流=差別は無いが区別のある社会、というものを嫌と言うほど感じるものだが、この作者に限ってはそういうものが感じられないのは、書かれた時代によるのだろうか。とにかく文句なしに楽しめた。クリスマスのフロストフロスト日和私が推理小説を読むのは、全て通勤時間。この大著文庫本で約700Pを読むのに5日、4往復+片道だから約9時間。ということは一時間約77頁。一分間で1.3頁。このスピードが速いか遅いかは解らないが、速読術というものを身につけて、もう少し早く読めるようにならないか、と思っている。少し厚めのミステリーの文庫本1冊をせめて電車一往復で1冊。つまり毎日1冊。私のまだ知らない世界がそこにはある。でも私の時間は有限だ。もっともっと本を読みたい。というのは、昔NHKで見た速読の達人の読書シーンが忘れられないからだ。具体的な数字は忘れたが、達人は文庫本一冊読むのに費やす時間約10分。本を読んでいるのか、ページをめくって居るのか解らないくらいスピードが速い。ぱらぱら漫画を読んで居るみたいだった。その番組を見て、早速古本やの店頭から100円のたたき売りのミステリーを山のように買ってきて、独力で努力してみた。それから約2年。ミステリーにはまったが、読むスピードは一向に速くならない。本も買っみたけれど、練習するのが嫌で積んである。テクを覚えたかったら、教室に通うしか無いかも。
2004.01.17
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昨夜家に帰ると、きら星のような音楽が流れていた。オシャレでジャズぽいけど、ビートはアフリカ。え、誰これ?去年の暮れに買って一度聞いたきりのトニー・アレンの「ホーム・クッキング」だった。その時の感想は、「音がちょっと綺麗すぎかな?」綺麗にアレンジされながらも、根底を貫くのは、紛れもなくナイジェリアのビート。トニー・アレンはあのフェラ・クティのバックバンドの屋台骨を支えた伝説のドラマーだ。フェラ・クティのステージを見て、ジェームス・ブラウンがアフロビートに目覚めた、というのは有名な話だが、トニー・アレンに言わせると、「ジェームス・ブラウンはビートがアフロじゃない」と言うことになるそうだ。ミュージックマガジンに書いてあった。本物のアフロビートを感じたかったら、フェラのCDの中にあると私は答えるかも知れない。フェラ・クティのCDで、トニー・アレンの参加しているものはどれも素晴らしい。でも私が切り離せないと思うのは音楽の現在性。同時代性と言う言葉に置き換えても良いかも知れない。過去の時代の音に浸るよりも、現在演奏されている素晴らしい音に触れると、今この時代に生きていて良かったと感じる事ができる。時代を反映した中から発信される優れた音楽に触れることを楽しむことのできることは幸せな事と感じる。
2004.01.16
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今朝ビッグイシュー第4号を買った。ビッグイシューとは、ホームスレスの自立支援を目的として創刊された雑誌で、イギリスなんかではポピュラーなもの(らしい)。1冊定価200円のうち、110円が販売した人に入るしくみになっている。去年の暮れから販売が開始され、私は創刊号からの読者だ。ビッグイシューの創刊は新聞で知った。創刊号の発売日には、テレビカメラも来ていた。ビッグイシューがどのくらい売れて、どのくらいの人がそれで食べていけるようになったかは私には解らない。ただこの試みが、ホームレス=かわいそう、という図式とは違う関係を一般人との間に築くことが可能なんじゃないか、と思って期待している。実際創刊号は恐らくビッグイシューの海外版を邦訳しただけの、つまらない雑誌だった。3号辺りから少しずつ読める本になってきた。創刊号から2号が発行されるまでには、ずいぶんと長い時間がかかったが、最近はサイクルが早くなっている。目標は月2回の発行とか。充実してくる誌面や販売サイクルの定期化、そして東京での発売。この雑誌を支える、支えようとしているスタッフの心意気が伝わってくる。この雑誌が定着してくれれば良いな、と心から思う。社会が極度に疲弊している現在の日本では、ホームレス問題は決して他人事では無い。私だって一歩間違えば、ホームレスになる可能性があるといつも思っている。註)ビッグイシューは書店やネットから購入することはできません。路上で販売している人から、直接購入してください。現在、関西では大阪だけ(と思う)、新宿でも試験的に販売が始まったようです。HPもありますhttp://www.bigissuejapan.com/ 興味のある方は、覗いてみてください
2004.01.15
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去年の暮れから部屋の片付けをしている。いっこうに片つかない。R.D.ウイングフィールドの愛すべきヒーロー、フロスト警部は大の片付け嫌い。机の上は書類の山、行動はいきあたりばったり。読み進めるうちに、我がことのような気がする。私の机の上は、事務所で一番汚い。自慢できる。机の上には、A4の紙一枚置く余地もなし。一日のうちの何パーセントかは、必要な書類を捜しているうに時間が過ぎていく。机の上にあるのは役に立たない図面や書類ばかり。封筒に書類を入れていく方法=少し前には流行った奴です、いろいろな方法をためして見ましたがどうも自身が飽きっぽくて駄目みたい。いっこうに片つかない我が家に帰って思う。片付けは大嫌い。でも、大切で大好きな本とか、CDとかが優先的になくなっていくのは何故?清水の舞台から飛び降りたつもりで買った、一冊一万円する本が無くなっていたのはさすがにショック。どうでもよい本とかCD、は大ボケで2つもあったりするのに。このままでは、家の中がゴミ屋敷になってしまう。
2004.01.14
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今日は朝9時半から打ち合わせ。クライアントはもう周知の仲なので、緊張感はゼロに等しい。本当は緊張感ぴりぴりのところで仕事したいと思うのだけれど、同じ担当と何度か仕事をするうちに、相手の緊張感が解けていくのが解る。これが私のキャラかもしれない。気がついたらいつもそうなっている。仕事は仕事と割り切って、まじめに打ち合わせ。今日の打ち合わせは思った以上の成果で無事終了。連日の残業も少し報われたような気がして、少しうれしい。お昼は事務所近くのいつもの定食屋でランチ。今日の定食メニューは、チキンカツ+カレーうどん+つけもの+ライスチキンカツは長さ15センチはゆうにあるし、カレーうどんは子どんぶりなんてせこいものではなく、一玉入っている。ごはんだってちゃんとどんぶり。で、御代は400円。食い倒れの街大阪のどこを探して歩いても、こんな店は他に無いと思う。難点は、店がいつも混んでいることと、量が多すぎて、昼食後2時間ほどは眠くなって仕事が手につかないこと。(あとは味かな、でもこの値段で味を求めたら罰が当たる。)今日から通勤の友はR.D.ウイングフィールドの「フロスト日和」 A TOUCH OF FROST 今年のクリスマスに読んだ「クリスマスのフロスト」もとてもよかったが、これもまた楽しい。フロスト日和
2004.01.13
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今日は私の○回目の誕生日。日曜日に寝だめできなかったので、結局11時頃起き出してきた。でそれから事務所に行ってお仕事。休日のしかも自分の誕生日に仕事しに行くなんて、僕って偉い。と思わなければ仕事なんか続けてられませんよね。通勤時間に読み続けた、ロバート・フェリーニョのチェシャ・ムーンTHE CHESHIRE MOON を本日読了。どうも年を取ってきたせいか、アメリカ発のハーボイルドが余り好きでないことを改めて確認する。往きの電車で読了してしまったので、帰りの電車では読む本無し。活字中毒の私はいつでも読み物を手にしていないと気が済まない。ワーカーホリックと活字中毒は共に度し難い私のビョーキだ。
2004.01.12
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これは昨日のお話昨日の午前中は天王寺で仕事をしていた。お昼は通天閣の足元にある立ち食いうどん屋ですませる。ここのうどん屋、見た目は汚いが出汁が旨いので近辺では少し有名です。でも流行の讃岐うどんのようなコシの強い麺ではありません。連れのO君にデラチャンポンを食べろと進める。うどん1玉+そば1玉+たまご+きつね+てんぷらがひとつのドンブリに入ったさすが天王寺な食べ物。お代は410円。O君は大満足でした。うどんやを出たところ、何と10日戎の振舞酒を頂いて事務所へ帰る。流石にお酒が回ってきたのか、仕事が手に付かない。で、CDウオークマンで、Daara J のBOOMERANGを聞きながらお仕事。Daara J はセネガル発のヒップポップの三人組。なぜか仕事のリズムと音楽が良くマッチする。ヘビーローテーションになりそう。
2004.01.11
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