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疲れた身体を足に乗せて、家へと向かう。 この間まで冬の景色だった公園の桜が、ずっと前からその姿でそこにあったように開花していた。 ダウンコートからいきなりスプリングコートの季節がやってきた。 頭の中は現実とは裏腹に、仕事の段取りばかりでいっぱいだった。 それもようやく今日で一段落。 昨日までの日々が、まるで記憶から欠落してしまったように、何も思い出せない。 それでも、目まぐるしい忙しさから少しだけ解放された。 ボロ雑巾のようになった身体からは、不協和音を発していた。 他人にも自分自身にも。 とにかく眠い。 睡魔が容赦なく襲ってくる。 布団に倒れこむようにして、眠った。 眠ることだけが、クスリになった。 明日は桜を見に行こう。 そう思ったら、身体中の痛みが少し緩む気がした。
2007年03月31日
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そこへ行くのは、真っ白になりたいからだった。 花器の前に座り、花材と話すとき、わたしは真っ白になれる気がした。 頭の中には煩わしいことが雑居して、胸の中がいつもざわついていた。 将来が不安で、現在が不安で、見えるもの、聞こえるもの、すべてが雑念へと誘うのであった。 でも、目を閉じて、心を落ち着けると、花とわたしの対話が始まった。 花がどんな風にいけてもらいたいのか、わたしがどんな風にいけたいのか、ゆっくりと世界が回り始めるのだ。 ひとしきり回ると、ひとつの景色が目の前に出現した。 その前に佇むわたしは、忘れないようにじっと心で吸い取った。 それをゆっくりと水盤に、瓶に、わたしは再現していった。 作品が出来上がったとき、わたしは放心状態になる。 成し遂げた達成感のようなものが、前身を包み込むのだった。 青春時代、軸がずれることがなかったのは、こういう場所を持っていたからだろうと思う。 このときに学んだことが、今でもわたしの中心にあるような気がする。 これだけは譲れないという自信がついたのも、この時期である。 わたしの愛すべき娘達にも、こういうものを持っていて欲しいと思うのだけれど。 十八歳から三十歳まで、わたしはイケバナの世界にどっぷりと浸かっていた。 そこは、わたしの精神修養の場所だった。
2007年03月25日
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駅を降りた。 いつもの駅である。 建物に遮られない、暮れなずむ夕景が広がっていた。 遠くに群青色の空がきれいだ。 思わず頭上を見上げたら、真っ黒な空だった。 春の夕暮れ時って、こんなに素敵だったのね……。 どこかから、懐かしい匂いがした。 車の脇に立って、彼は手を振った。 馴染みのないロータリーは、わたしを撥ね付けた。 「乗れよ」 助手席側のドアを、運転席から身を乗り出して開けた。 「いいよ。歩いて帰るから」 わたしは拒絶した。 「折角迎えに来たんだから乗れよ」 再三勧めながら、声を荒げた。 渋々助手席にすべり込んで、口をへの字に結んだ。 アパートまで歩いても八分足らずの距離である。 彼のこういう態度に、わたしの神経は逆撫でされる。 もっと堂々としていて欲しい、わたしなんかに気を遣って欲しくない。 それらの感情が言葉にならずに、もう一度唇をぎゅっと結んだ。 車はアパートの前で止まった。 「俺、車を置いてくるから」 降りようとするわたしの背中に彼が言った。 「だから歩いて帰るって言ったのに」 ありがとうという言葉が出なかった。 彼はそのまま車を発進させた。 わたしが歩かなかった距離を、彼は歩いて帰ってくるのだ。 あの頃。 優しい言葉をどこかに置き去りにして、毎日とげとげしい言葉を吐き続けていた。 わたしの中に別人格が住みついて、以前のわたしが追い出されてしまったような、そんな感覚。 わたしなのに、わたしではないわたし。 現実を飲み込みながら、咀嚼しきれずに、消化不良を起こしていた。 それなのに、そこから一歩も踏み出せず、 「あんなに頑張ってきたのに、何でこんな目に遭わなければならないの?」の思いが、後から後からあふれ出して……。 日々、顔が険しくなるばかりだった。 いつもいつも彼に突っかかっては、傷ついていた。 彼の優しさがうそ臭くて反吐が出そうだった。 あの時のロータリーが、今では何の違和感もなくわたしの目に飛び込んできた。 駅前の、プランターに植えられた不自然な花壇や、ロータリーの向こうに見える景色も、何もかもがすでに、わたしの日常に溶け込んでいた。 すべての事柄は、わたしの身体をフィルターにして、すでに浄化されていた。 今なら、以前のわたし。 ちゃんと彼を受け入れてあげられるのに。 「でも時すでに遅し。彼はもうこの世にはいないんだ」 ふとそんな思いがよぎった時、不覚にも込み上げてきた。 「何なの?これって」 突然、目の前の、暮れなずむロータリーがにじんだ。 どこかから、あの日かいだ沈丁花の香りが漂っていた。 早いものでここに暮らし始めて、もう五年が来ようとしていた。
2007年03月17日
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昨日から、どこのチャンネルを回してもガン特集にぶち当たった。 そして今日も、やはりBS2で『百万回の永訣~柳原和子 がんを生き抜く~』を観た。 大事な人をガンで亡くしているので、わたしには目を背けることはできない。 最初に祖母を子宮ガンで亡くし、姉も子宮ガンから生還したものの、いまだに後遺症のリンパ浮腫に悩まされ苦しんでいる。 そして別れた夫を肺ガンで、一昨年見送った。 その時の凄絶なまでの生への執着を垣間見て、何も手助け出来なかったことに悔いが残る。 ただ、別れた家族に対するせめてもの償いが病との闘いと観念して、生き様を見せてくれた。 そのこと対して、わたしは今でも本当に頭が下がるのだったが、何も返すことができなかった自分自身に情けなくなる。 なぜならば、離婚して三ヶ月後の発病であり(実際には、もっと前に発病していたのだろうけれど)、彼の病気と離婚は無関係と自分自身に信じ込ませていたからだった。 何度も何度も繰り返し自問自答をした。 もしかしたら、わたしは人間の皮を被った悪魔ではないのだろうか、と。 余命宣告を受けた人間が、わたしを必要としていると言われても、その場所から一歩も動けなかった。 心のどこかでは、わたしを苦しめた彼に対して、自業自得じゃないかとも思った。 その反面、わたしの命と引き換えにどうか助けてあげて欲しいと、神に懇願してみたり。 わたし自身、もうぐじゃぐじゃだった。 ひとりの人間が、命の期限を突きつけられているのに、わたしは正直どうして良いのか分からなかった。 だけど、離婚した理由は全く別な場所に厳然としてあるのだった。 そんな折、それら一切合切承知している娘達が、どうか父親を看病して欲しいと、言った。 彼が望んでいるのは、娘達じゃない、娘達を通したわたしだというのだ。 でもわたしは素直に頷けなかった。 この期に及んでも、どうして良いのか分からなかった。 考えている内に気が狂いそうになる。 彼を許して認めてしまったら、わたしは生きていけなくなると思ったのだ。 なぜならば、当時彼を否定することでわたしは生きていたのだから。 でも、わたしは腹を括った。 この際、人間同士の闘いなのだと。 それでも、彼を看病したのはたった二月足らずのことだった。 お互いの気持ちの中に渦巻くものが、清流になって流れ始めた時、彼は逝ってしまった。 二月の中には、日本ではまだ認められていない新薬が使えるようになるまでの歳月への希望だったり、現実には未婚の娘達の孫を抱けない話だったり、時に夫婦だった頃のさりげない会話だった。 でも今、わたしの結婚は、何だったのだろうとか、離婚後の非協力的なわたしの態度に、日々さいなまれている。 悔しい思いが後から後から溢れ出し、結局わたしは未だにその現実から着地できないでいるのだ。
2007年03月11日
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墨をする時の匂いで母を思い出した。 母は晩年、書道と和歌をたしなんだ。 中々の達筆で、何を今更習字なのだろうと不思議な気がしていたけれど、今になってその気持ちがよく分かる。 わたしもやはりこの年になって、習字をやろうと思いたったからだ。 母は、小学生に混じって近所の書道教室に通っていた。 時折、赤字で直された作品を持ち帰っていた。 それをへぇーと思って眺めたものである。 元々美しい文字を書く人なのだから、その上達には目を見張るものがあった。 何でもかんでもパソコンで用を足してしまう昨今、文字を書くことが億劫であり、へたくそになった。 たまに手紙でも書こうと思うと、手が震えてうまくかけない。 ようやく書き上げてみると、稚拙な文字の羅列である。 恥ずかしくて、とても出せるシロモノではない。 だから、一念発起して文字を書こうと思ったのである。 父に貰った有名な人が彫ってくれた硯は、実家に置いてきたので今は手元にはなかった。 娘達の習字セットは、二人分あったのに、これも引越しのドサクサで捨ててしまった。 いざ習い事を始めようとしたら、その道具を揃えなければならない。 最低限のもので揃えたつもりだが、結構費用はかさんだ。 そんな訳で、途中下車は許されない。 丁寧に墨を磨った。 懐かしい匂いがした。 心が落ち着いて、頭の芯がしゃんとした。 母も、こんな気持ちで習字に励んでいたのかもしれない。 思い切り、墨の匂いを吸い込んだ。 母の思いと重なった気がした。
2007年03月08日
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姉のお下がりのお雛様は、御殿付だった。 まだ雪の舞う節分が過ぎると、母が飾ってくれたものである。 貧しかった我が家にも、これが出てくると春の予感がして、心が浮き浮きするのであった。 わたしの生まれ育った地方では、一月遅れの四月三日が桃の節句だった。 よそ行きの洋服を着せてもらって、お重に詰めたご馳走を持ち近所の家を歩くのだ。 大概お重の中身は、巻き寿司やお稲荷さんに寒天と同じなのに、交換しては舌鼓を打ったものである。 わたしが生まれる前は、何でもこの御殿飾りが三個くらい飾れる雛壇が二部屋を占領する規模だったと聞く。 それが父の度重なる事業の失敗により、引越しを余儀なくされた時、一つだけ御殿を残して、姉達が通っていた小学校に全部寄付したそうである。 そんないきさつなど露知らず、物心ついてからずっと、これが我が家のお雛様だった。 毎年、母にせがんで飾ってもらった。 その母も、末妹の授乳が終わるや家計の足しに働くようになった。 いつしかお雛様どころではなくなり、雛飾りの役目はわたしにまわって来た。 というより、わたしが勝手に出して妹たちのために、飾るようになったのである。 歳月を経るうちに、お雛様は少しずつ壊れてきた。 丁寧にしまったつもりでも、まだ小学生のわたしの仕事は、雑だったに違いない。 そのうちに御殿を組み立てられなくなっていた。 それでも幼い妹達がじっと待っているので、わたしは必死でなんとか形にしなければならなかった。 苦肉の、接着剤で持たせたものである。 お内裏様にお姫様。 三人官女に五人囃子。 それぞれが持つ道具の精巧なこと。 右近の橘に左近の桜。 母に教わった通りを飾った日々が、今では懐かしい。 それにしても、引越しの際に処分されるのは、どうしてもこういうものである。 五年前に引っ越しを余儀なくされた時、我が家のお雛様も処分した。 姉にもらった雛飾りは、今風の顔をした可愛いお雛様だったけれど、結局、狭いアパートには飾る場所がなかったから。 今も浮かぶのは、実家で飾った姉のお下がりのお雛様。 御殿の中に鎮座したその姿には、どことなく貴品が漂っていた。 同時に、あの母の手作りの巻き寿司や寒天を思い出す。 今夜の我が家には、残念ながらその片鱗もない……。 どうやら娘達には、デートの方が良いらしい。
2007年03月03日
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