「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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第十一話~第二十一話
本作品は、
「るろうに剣心小説(連載2)設定」
をご覧になってからお読みいただくことをおすすめいたします。面倒とは思いますが、オリジナル要素が強いので、キャラ人間関係・年齢等目を通していただきますと話が分かりやすくなります。
『剣と心』目次
『剣と心』
第十一話「兄弟同然」
剣路は、魂が抜けたように、ふらふらと道場の裏へ行った。めったに誰も足を踏み入れない、雑草であふれかえった殺伐とした場所だ。剣路は、力が抜けていくように膝をつき座る。
『おれは父上の……明神弥彦の息子だから……』
『……そうだな。お前がうんと頑張って、俺がふさわしいと判断したらこれやるよ』
心弥と弥彦の言葉が頭をよぎる。剣路は地面に両手をつき、土をぐしゃりとにぎる。
『手、痛いだろ……』
優しい弥彦の言葉。当然のように与えられる、息子の心弥。逆刃刀も……愛情も……。それなのに、今自分はこんなところでたった独りだ。弥彦には見放され、両親は和につきっきり……。
剣路は、くずれるようにその場にうずくまる。
「……っ、うっ…、ううっ……、うわああぁぁー……!!」
剣路は、声をあげて泣き出した。涙がどうしようもなくあふれ、肩は激しく震える。
「……やれやれ。心弥が泣かないのが意外だと思えば、お前が泣くのも意外だな」
「……うっ……、弥彦…にぃ……」
剣路は、顔をあげて振り向いた。弥彦はため息をつくと、剣路の前にしゃがみこむ。
「ったく……。顔も手も土まみれじゃねぇか」
弥彦は手で乱暴に剣路の額をぬぐい、土を落としてやる。涙が止まらない剣路をしばらく見つめていた弥彦だったが、いつまでも泣きやまない剣路に胸を貸してやる。弥彦に抱かれ、しばらくしてやっと落ち着いた剣路は、弥彦の胸からそっと離れ隣りに座る。
「……生まれて初めての記憶は、弥彦兄と父さんとの手合わせだったんだ」
泣きはらした目で、剣路はぼそりと言う。弥彦は、わずかに反応して剣路を見つめる。
「よく……覚えてないけど……。弥彦兄、すごく格好よかった」
剣路は、うつむいたまま話し続ける。
「父さんが、弥彦兄に何か渡したのを見たんだ。それが逆刃刀だって知ったのは、ずいぶん後だった……」
ぼそりぼそりと話す剣路。黙って剣路を見つめ聞く弥彦。静かな間が、一時続いた。
やがて剣路は、ふたたび口を開く。
「俺……、弥彦兄の子に生まれたかった……」
力無くつぶやく剣路。
「父さんの子に……生まれたくなかった……」
絶望的に、さらにうつむく剣路。
「剣路」
黙ったままだった弥彦が、口を開く。
「その言葉、二度と口にするな。許さないぞ」
弥彦の、低いけれど重い言葉に、剣路はびくっとする。弥彦は、空を見上げる。
「……お前が生まれたとき、剣心と薫に言われたんだ。剣路の兄ちゃんになってやってって。俺、すげぇうれしかった。俺とお前は、兄弟同然だ。そうだろ」
剣路は、顔をあげて弥彦を見つめる。
「俺……、俺、逆刃刀を心弥に渡したくないよ」
剣路は、地面に両手をついて必死で弥彦を見上げる。弥彦は、またしばらく考えた後、言った。
「もう少し時がたって、俺がお前たちを認めたら、その時はどうするか考えてやる。決めるのは俺だ」
弥彦は立ち上がった。そして剣路に背を向けたまま、一言。
「お前は、自分が思うほど独りじゃねぇ。俺だけじゃなくて……。忘れるな」
去っていく弥彦の背中を、剣路は涙の跡と泥に汚れた顔で見つめていた。
「兄弟……同然……」
剣路は独り、つぶやいた。
同じ時、剣路と血を引く本当の兄弟、和は独り、ふとんから身を起こして座っていた。剣心は氷を買いに行き、薫は別室で応急処置用の薬をあわてて探している。
和の目から、静かに涙が伝った。
和の涙も、涙の意味も、誰にも知られることはなく……。
☆あとがき☆
管理人、自分でつっこんでしまいますが……弥彦、八方美人だよそれって・汗
和の涙の意味。それが完全に明かされるのは第二部(予定では第三部まであるんです実は)ですが、察しのいい方ならお分かりになるかもしれませんね。よかったら当ててみてください。第一部の十四話(予定)が特にヒントになる回です。
第十二話「追いかけた背中」
小国診療所。和はベッドに寝かされ、心弥は椅子に座り、それぞれ恵に診察を受けている。それを見守るのは、剣心、薫、弥彦、由太郎、それに剣路である。
「和くんは、肩の関節が脱臼してるわね。程度はそれほど重くないけれど、和くんはもともと体が弱いこともあるし、数日入院が必要ね」
恵は、和の治療を始めた。
「和、悪かったな……。お前が二人を止めてくれたおかげで、心弥は大事に至らなかった」
済まなそうな弥彦に、和は首を振った。
「弥彦君、心弥くんだってこんなに体を限界まで無理させて……。後一歩遅ければ、剣術が出来ない体になっていたのよ」
「……なん……だって……?」
弥彦は、目を見開いて恵を見つめる。蒼白な顔で肩を震わせる弥彦を、心弥は心配そうに見ている。
「……由太郎てめぇ!!」
弥彦は由太郎の胸ぐらをつかむ。何か言おうとした由太郎だったが、はっとして口をつぐむ。弥彦の目は充血し、うっすら涙さえ浮かべていた。その目を、そのまま向けられた剣路。無言の弥彦から突きつけられた、激しい怒りの感情。
その瞬間、剣路の中で何かが壊れた。
「やめて父上! 由太郎さんは悪くないんだ……」
心弥は、ふらふらの体で立ち上がり、必死に父の背中に抱きついた。
「おれ、分かってたんだ。父上があの勝負を認めてくれないことも……おれの体がこわれちゃうかもしれないことも……!」
「だったらなんでそんな無茶したんだ!!」
弥彦は心弥に振り向いて怒鳴る。
「どうしても、父上の跡を継ぎたかったから。……和が止めてくれなかったら、おれ負けてたけど……でも気持ちだけは負けたくなかったから……!! 剣路兄ちゃんにも、自分にも……!!」
心弥は、必死で父にうったえた。和が、苦しげな表情で見ている。
そんな最中、剣路が去っていくことに気付いたのは剣心と和であったが、二人とも何も言わなかった。
その日、神谷道場の稽古は師範代の央太に任せた。由太郎はかなりの責任を感じたらしく、弥彦に何度もあやまった後自宅に戻り、先に戻っていた剣路は自室へこもりきり。和は薫と病院へ残り、弥彦は心弥を自宅へ連れて帰るとその足で神谷家へ戻った。そして今、夕日の影を落とす薄暗い部屋で、剣心と弥彦は二人だった。二人は向き合い座っている。
「済まぬな弥彦。今回の件、剣路が起こしたことでござろう」
心弥から話を聞いた剣心は、弥彦に申し訳なさそうにあやまった。
「……いや、俺の監督不行き届けだ。指導者の俺が、もっときちんと教えておくべきだった。剣の危うさとか、活人剣の理とかな。さっきは思わず剣路を睨んじまって、悪かった」
弥彦の表情も、苦々しげだった。
「いや。けれど剣路は相当落ち込んでいるようでござるな」
剣心は苦笑した。
「……あいつは、薫に似てる。強がってるけど、本当は人一倍さみしがりやで……」
「ああ……。弥彦、剣路を頼むでござるよ。剣路が失敗したときには、また叱ってやってほしいでござる。嫌な役回りを押しつけて済まぬでござるが……」
「いいって。あいつは俺の弟同然だ。そうだろ」
「ああ」
剣心は微笑した。
「じゃ、俺帰るな」
弥彦は立ち上がり、障子に手をかけたが、少し考えた後そのまま言った。
「剣心は……剣路に対して、なんでいつもそうやって一歩引いてるんだ? ……俺の時も、そうだったし……」
少しの間、沈黙が流れる。やがて、弥彦の後ろから剣心の言葉が返ってきた。
「拙者は、一生かかっても決して償うことの出来ぬ重い罪を背負っている。子供たちに、そんな背中を見て育ってほしくないでござるよ。それよりも、弥彦の真っ直ぐな背中を見て育ってほしいでござる」
「……バカかお前」
弥彦は、静かにつぶやく。
「俺は、剣心の背中を見て、ずっとずっと追いかけて……育ったんだぜ」
剣心は、わずかに反応する。
「剣路と和の親は、お前なんだぜ」
弥彦は、すっと障子を開けて出ていった。剣心は、なにやら考え込むように弥彦が閉めた障子を見つめていた。
☆あとがき☆
物語は一見良い方向に進んでいますが……。もう手遅れみたいですあの子……。
第十三話「父と子」
その夜、神谷家は剣心と剣路の二人きりだった。自室にこもりきりの剣路に、剣心はにぎり飯をこしらえる。
「剣路、入るでござるよ」
「入ってくんな……」
いつもの言葉でありながらも、声はいっそう殺伐としている。
「そうか……」
剣心は、障子に背を向けて座った。
「弥彦があやまっていたでござるよ。病院で、剣路を睨んで悪かったって」
「お前の言うことなんか信じられるか……」
剣路の、低く押し殺した声が返ってくる。
「拙者は、剣路を信じているでござるよ」
「……さっさと消えろよ」
剣心は苦笑すると、にぎり飯を部屋の前にそっと置いた。
「お腹がすいたら食べるでござるよ」
剣心が去った後、にぎり飯に手がつけられることはなかった。
数日後。小国診療所には、剣心一家がそろっていた。
「和、治療よく頑張ったでござるな」
剣心は、和を抱きしめた。剣路は、感情のない目でそれを見ている。
「和くん、今日の治療が終わったらそのまま退院できるからね。もう少し頑張ろうね」
恵は、和の治療を始める。
「母さん、俺もう帰っていいだろ。稽古あるし」
「えっ? そうね。あっ、ちょっと待って」
薫は、剣路の肩にそっと手を沿え、少しずれた着物をなおしてやる。
「気を付けて帰るのよ」
優しく微笑む薫に、剣路は機械的にうなずいて帰っていく。和は、剣玉を握ったまま、兄を心配そうに見つめていた。
路地裏を歩いていた剣路は、突然集団に囲まれた。先日の、極道連中である。その人数は、以前の二倍程増えている。
「ヘッ。俺達に喧嘩売っておいてただで済むと思ってたのか?」
極道連中は、一斉に剣路に攻撃を開始した。剣路は、背中の竹刀も抜かなかった。これだけの人数にかなうわけがないということも、悟っている。何より、今の剣路には戦う気力が全くなかった。次々と打ち込まれる木刀の嵐。全身をめちゃくちゃに打ち据えられ、割れた額の傷から血がどくどくあふれ、剣路は地べたに倒れる。
ここで死ぬんだ……と剣路は思った。独りで、死ぬんだ……と。
「とどめだ……。死ねぇ!!!」
大男が、剣路の頭に木刀を叩きつけようとした――
「……うわぁ!!」
「あれは……!!」
周りの騒ぎに、剣路はかろうじて顔をあげる。
「あれは……人斬り抜刀斉だ!!」
連中の半分は逃げていく。残った連中を、剣心は木刀で次々と倒していった。
「剣路、だいじょうぶでござるか?」
すべて片づけた剣心は、剣路を抱き上げる。剣心は剣路の様子を確認すると、ふぅと安堵の息をもらした。
「和が不安がったから、見にきたでござるよ。あの子の勘は、何故か良く当たるでござるからな」
剣心は、剣路を抱きしめた。先程病院で和を抱きしめた、それと同じように……。
剣路は、動かない体で抵抗も出来ぬまま、ただ父に抱かれていた。もうろうとした頭で、剣路は何を思ったのだろうか……。
☆あとがき☆
剣心パパは、ちゃんと愛してくれているんだよ。キミのこと。
第十四話「この世で一番嫌いだ」
一週間後。傷もだいぶ癒えた剣路は、まだ本調子ではないものの道場の稽古に参加する。心弥は、すでに二日前から稽古に参加している。一方、和は安静をとり、父の膝に座り稽古を見学していた。和の手には、剣玉が握られている。
練習試合では、心弥と九つの少年とで対決中である。
「さて、どっちが勝つでござろうか?」
剣心には既に分かっていたが、会話の一端として和に聞いてみた。
「心弥だよ」
和は即答する。言葉の通り、心弥は見事に小手を決めた。
「おお、当たりでござるな」
和は微笑する。既に次の試合が始まっている。
「次はどっちでござろうか?」
和は迷い無く一人の名を口にする。そして、またも勝敗は和の言うとおりであった。剣心は驚く。
「和は、勝敗を見極める目が鋭いでござるな」
和は相変わらず微笑していたが、剣路対心弥の番になると、とたんにはっとする。動揺する気持ちを父に悟られないように、必死で平静を装う。
「お前たちはまだ病み上がりだ。試合からは外れてろ」
由太郎の一言に、二人はやけに素直にしたがった。
稽古が終わり、道場生たちが出ていく中、弥彦は剣路を引きとめた。二人きりになると、弥彦は剣路に語りかける。
「剣路、悪かったな。こないだ病院で、お前を睨んじまって……」
あれ以来誰ともあまり口を聞くこともなくおとなしく過ごしていた剣路に、弥彦はさすがに心配になっていた。
「いいよ別に。俺怒ってないよ。だってさ……」
剣路は、うつむいたまま淡々と続ける。
「俺が心弥をけしかけたのが悪いんだし。それにさ、当たり前じゃん」
「……何がだよ」
弥彦は、剣路の様子がどこかおかしいのに感づきながらも質問する。
「兄弟より、子供の方が大事なのって」
「……!!」
弥彦の頭に一瞬よぎる。道場裏で、ひどく泣いていた剣路。俺とお前は兄弟同然だからと、独りじゃないからと告げた言葉。
「だから、睨まれても、悲しくもないしさみしくもないよ。でもね……俺は決めたんだ」
剣路は初めて顔をあげる。弥彦はぞくっとした。今までに見たこともないような目。怒りと悲しみとさみしさを封じ込めた、ぞっとするほど渇いた目。
「俺は、飛天御剣流を継承する。親父が継がなかった流儀を継いで、親父を越える。あんなやつには、二度と助けられるもんか。そして……」
剣路は、弥彦を射るように睨み付けた。
「いつかアンタをぶっ倒して、逆刃刀を奪い取ってやる……」
剣路は、弥彦を残したまま、独り静かに去っていった。
「剣路兄ちゃん……」
道場内の様子を外からそっと見ていた心弥は、剣路の袖をつかむ。
「剣心さんのこと、そんなにきらいなの? 父上のこと……嫌いになっちゃったの?」
心弥は、涙目で剣路を見上げる。
「ああ。あいつらは、この世で一番大っ嫌いだ」
「……どうしてなの?」
心弥の目から、涙があふれる。
「アイツの子供として生まれてきたお前には、一生分かんねぇよ」
剣路は心弥の手をふりほどこうとしたが、心弥は離さない。
「逆刃刀は渡さないよ。絶対に……!!」
ぼろぼろ泣きながら、心弥は剣路に真っ直ぐな強い目を向けた。
「……そうだったな。いつかお前と勝負しないとな。そして、お前を殺してやらねーと」
剣路は、歪みきった顔でにやりと笑った。
「飛天御剣流継いで、親父を見下してやるんだ。そして……アイツどんな顔するだろ。逆刃刀とお前。二つの大切なものを俺に奪われたら……。楽しみだな」
剣路は心弥の手首を力強くつかむと、思い切り振り払った。はずみで心弥は後ろに倒れる。剣路は見向きもせずに、立ち去っていく。
「剣路兄ちゃん……。おれ、今度勝負するときは負けないよ。絶対に負けるもんか!!」
心弥は、泣きながら、もうそこにはいない剣路に叫んだ。
☆あとがき☆
次回のエピローグで第一部終了です。第二部は三年後のお話になります。
第十五話「桜吹雪と涙の約束」(第一部エピローグ)
心弥は桜と二人きり、桜の家の塀に並んでよりかかっていた。
「おれね、もう今までみたいに桜とたくさん会えないんだ」
桜は長い髪をなびかせながら、幼い目で心弥をきょとんと見つめる。
「おれ、どうしても父上の跡を継ぎたいんだ。だから、いっぱい修業して、剣路兄ちゃんより強くならないといけないんだ」
桜は大きな目で、黙って心弥を見ている。
「……結婚は、大人にならないと出来ないんだって」
心弥はつぶやくと、静かに桜を見つめる。
「でも、いつか迎えに行くから、待っててね」
「うん」
桜は純粋に笑った。心弥は、桜の手をそっと握った。
今年最後の、桜吹雪が舞った。
剣路は千鶴と二人きり、千鶴の家の塀に並んでよりかかっていた。
「俺、もう二度と泣かない。泣いてる暇もない」
千鶴は剣路をじっと見つめている。
「越えたいヤツらがいるんだ。だから強くなりたいんだ」
千鶴は剣路の冷淡な目を、見つめ続ける。
「目的を果たすまで、お前とはもう会わない。けど、待ってろよな。お前は俺がもらってやるから」
剣路は、千鶴を抱きしめた。
「絶対待ってろよな」
千鶴は感じた。冷酷な目の中に押し込められてしまった何か。その目とはうらはらに、温かい体温。触れ合う体を通して伝わる、剣路の痛み。そして……愛情。
「うん。待ってる」
千鶴の目から涙が伝った。それは無意識のうちに……とめどなくあふれ……。
その日から、剣路の孤独な日々が始まる。否、自ら孤独の世界に落ちていく。
心弥は、ひたすら、ただひたすら稽古に励む。
そして月日は流れ――物語は明治二十五年。剣路十三歳。心弥七歳。
☆あとがき☆
第一部終了です。第二部は三年後の話になりますが、その前に番外編が入ります。
今後とも『剣と心』をよろしくお願い致します。
第十六話「剣路誕生」(番外編~冬桜 其の一~)
時はさかのぼること明治十一年秋。左之助が海外逃亡したその夜。剣心、薫と道場へ帰った弥彦は、さっそく荷造りをし、真夜中独り玄関で草履を履いた。思い立ったら即実行が、弥彦の主義だった。その行動の理由はただ一つ。左之助の言葉である。自分の長屋をやるから、剣心と薫の邪魔をしないようにそこへ移れと言われ、納得したからだ。
「っても、アイツら気付いたら止めるだろーからな。二人とも変な正義感もってるし。ガキ扱いされて止められんのがオチだぜ」
「別にそう言う訳じゃないわ。正義感であなたと暮らしてるわけじゃないわよ」
突然寝間着姿で現れたのは、薫だった。弥彦を軽く睨んでいる。
「お主なら独りでも暮らしていけることは分かっているでござるよ。けれど……」
続いてやってきた剣心は弥彦に微笑し、薫に目配せする。
「別に、出ていくこともないでしょう? わざわざ汚い部屋で貧乏暮らしするなんて、バカね」
薫のため息に、弥彦はブチンとキレた。
「お前らなぁ! 俺が気ぃ利かせてんのが分かんねーのかよ。いーからお前らは……」
そこで弥彦は顔を真っ赤にしながら、後を続ける。
「早くせっ、せっ、接吻して、そんでケッコンして、こっ、子供を作れよ!!」
弥彦の言葉に、薫も真っ赤になる。けれど、剣心は動じる様子もなく言った。
「それとお主が出ていくことと、どういう関係があるでござるか?」
「はぁ?」
弥彦は、剣心の言葉に唖然とした。
「何の意味もなくわざわざ子供を独り暮らしさせる家がどこにあるの? いいからさっさと荷物片づけて寝なさい」
「何の意味もって……」
かくして、弥彦は意味も分からないまま強引に引き止められ、今まで通り神谷家で過ごすことになった。
その後まもなく剣心と薫は結婚し、すぐに子供が出来た。弥彦は心から喜び、そして再び家を出ていこうとした。今まで何故引き止められていたか弥彦にはよく分からなかったが、今度こそ何の問題もないだろうと、ある夜茶の間で剣心と薫に堂々と出ていくことを公言した。ところが……。
「だから言ったでしょう? あなたを独り暮らしさせる理由はないって」
薫は平然と言い放った。
「大ありだっ!! いいか薫。冷静に考えろ。お前と剣心は夫婦で、これから子供が生まれるんだぜ。三人で仲良くくらせばいーだろ? そこに居候の俺がいたら困るだろ!」
弥彦は、正論とばかりに言い放った。
「別に困らないわよ。あなたこそ、子供のくせに独り暮らししようなんて考えるのが生意気なのよ」
薫はけろりと答えた。
「……あのなぁ」
弥彦はあきれ果てた。すると、今まで黙って聞いていた剣心が、弥彦に言った。
「弥彦は、ここにいるのが嫌でござるか?」
「嫌じゃねぇ。けど、俺の言ってること分かるだろ?」
弥彦が剣心に抗議すると、剣心は弥彦を見つめ、そして言った。
「お主の気遣いは分かるでござるよ。けれど、弥彦が嫌でないなら、拙者も薫殿も弥彦にいてほしいでござるよ」
「何で?」
不思議そうな弥彦に、薫は怒ったように言った。
「そんなの決まってるでしょ?」
「はぁ?」
かくして、なにが決まっているのかよく分からないまま、弥彦はまたも神谷家に居座ることになった。
約十ヶ月後。剣心と薫の間に、子供が生まれた。男の子だった。剣路と名付けられた。
薫は布団の上で生まれたばかりの剣路を抱き、剣心と弥彦は剣路を見ていた。剣心はうれしそうに、弥彦は不思議なものを見るように。
「弥彦」
剣心の目は、いつの間にか弥彦に向けられていた。
「剣路の、兄ちゃんになってやってくれぬか?」
弥彦は、思わず剣心を見つめた。
「弥彦。そうしてちょうだい。ねっ?」
薫は、小さな剣路を弥彦に渡した。弥彦は、おそるおそる剣路を抱いた。
「俺が兄ちゃんで……お前が弟……。俺と剣路は、兄弟同然……」
弥彦は、夢の中の出来事であるかのごとくつぶやいた。けれど、次第にうれしさがこみ上げていく。
「ああ。分かった」
弥彦は、剣路を抱きしめた。あたたかい鼓動と一緒に、弥彦は泣きたいほどの幸せを感じていた。
☆あとがき☆
剣路と弥彦の兄弟物語です。続きます。
第十七話「家族」(番外編~冬桜 其の二~)
それから、四人の生活が始まった。剣心は家事、薫は近頃増えてきた門下生たちへ稽古をつける日々。子育て担当は主に弥彦だった。
「薫のヤツ、俺に子育てさせるためにこの家に残したんだな」
弥彦はぶつぶつ言いながらも、弟同然の剣路が可愛くてならなかった。おしめを替えたり、おもゆを食べさせたり……。やがて歩けるようになると、早速竹刀を持たせ剣術を教えてやった。話せるようになると、いろんなことを教えてやった。薫の手が空くと、剣路のお守りは任せて弥彦は自主稽古をしたり出稽古に出かけたが、何故か剣心は剣路にあまり構おうとはしなかった。剣路も、どうも剣心にはなつかなかった。
そうは言っても、剣心も薫も、最大限の愛情をかけて、剣路を育てていった。
そうして三年あまりの時が過ぎた。弥彦は師範代に昇格した。弥彦はついに出ていく決心を固め、きちんと剣心と薫に話した。
「師範代になったら出ていこうって、決めてたんだ。俺もそろそろ自立したい。許してくれるだろ?」
成長した弥彦を止めることは、さすがに剣心も薫も出来なかった。
「剣心。薫。世話になったな」
そう言い残し、弥彦はその夜、道場を後にした。
道場を出てすぐに、つたない足音に気付いた。とたとたと追いかけてきたのは、もうじき四つになる剣路。寒い夜で、口から白い息が小さくもれていた。
「剣路。起きちゃったのか? 仕方ねぇな。風邪引くだろ?」
剣路は、弥彦に抱きついた。
「だって……ひっく……、やひこ…にぃ……、おきたら、いなかったんだもん……」
剣路は、しくしく泣き始めた。弥彦は、剣路を抱き上げる。
「父さんと母さんがいるだろ?」
そうは言ってみたものの、弥彦もなんだか剣路をこのまま帰すのがむしょうにさみしくなり、少しこのまま散歩することにした。しばらく歩いて、ちょうどいいものを目にしたので、弥彦はそこで足を止めた。そこで弥彦は、剣路を下ろした。
「ほら、見てみろ剣路。桜だぞ」
剣路は、どこかの家の壁向こうから生えている、桜の木を見上げた。月明かりが、白い花を優しく照らす。
「さくらぁ……。でも、さくらは、はるにさくんだよ」
「これは冬桜ってんだ。だから冬に咲く。小さくて白くて、花の数も少なくてさみしい花だけどな」
剣路は、小さな手で弥彦の袖をぎゅっとつかんだ。
「さみしいの……やだよぉ……。やひこにぃ、いっちゃやだぁ……」
剣路は、不安そうに弥彦の足に額をくっつける。弥彦は驚いた。自分が出ていくことが、もう分かる年だろうか。
「ごめんな剣路。でも、これからも道場にはしょっちゅう顔を出すし、それに……」
弥彦は、しゃがんで剣路を抱きしめた。
「離れて暮らしたって、俺たちは兄弟同然だ。そーだろ?」
「やひこにぃ?」
やっぱりまだ理解出来る年齢ではないか、と、弥彦は苦笑した。
「分かんねぇなら、ちょうどいいや。なぁ剣路。父さんと母さんに、言ってくれないか?」
「なんて?」
「ありがとうって」
弥彦は、とうとう最後まで二人に告げることが出来なかった思いを、剣路にたくした。
「うん。いいよ」
分かっているのかいないのか、とにかく剣路はそう返事をした。そして剣路は、こう言ったのだ。
「とうさんと、かあさん、いったよ。やひこにぃ、かぞくだって。ずーっと、そうなんだって」
「……そっか」
弥彦は、こみあげてくるものを必死でこらえた。昔、早々に家を出ていこうとした自分を、剣心も薫もひきとめてくれた。あの頃の幼い自分には、それが何故なのか理解出来なかった。けれど、今なら分かる。剣心と薫は、そして剣路は、家族だ。今までも、そしてこれからも。二人は、自分をそんな風に受け止めてくれた。
気がつくと、剣路が泣いていた。自分の代わりに泣いてくれているのだろうか。何故か、そんな風に思った。
しばらくして、剣路が泣き疲れて弥彦の腕の中で眠ると、弥彦は剣路を抱き上げた。冬桜を見上げ、そうして剣路をおぶった。
その時、一度だけ目を覚ました剣路は言った。
「おれね、やひこにぃね、いちばんすき……」
そうして、剣路は再びすぅと眠りについた。
☆あとがき☆
この頃の剣路は可愛いなぁ。次回、ラストです。
第十八話「冬の桜」(番外編~冬桜 其の三~)
三年後。薫は二人目の子供、和を生んだ。そして、一年ほど前結婚した弥彦と燕の間にも、心弥という子供が生まれた。
和は体が弱く、それ故剣心も薫も和にかかりきりにならざるを得なかった。六つになっていた剣路は、弥彦の家に預けられることが多かった。
ある夜、剣路はいつものように弥彦の家に泊まった。燕が家事をしているとき、剣路は弥彦と一緒に、寝ている赤ん坊の心弥を見ていた。
「心弥は、弥彦兄より、燕姉に似てるね」
「そっか? 目ぇ開けると、感じが俺に似てる気もするけどなぁ」
弥彦はうーんとうなった。
「でも、心弥は体がじょうぶだから、いいな。和なんか弱いから、いっつも父さんと母さんがつきっきりで、俺さみしいよ」
剣路は、不満そうに言った。
「おい剣路。お前は和の兄ちゃんだろ。そんなこと言ってねーで、いたわってやんなくちゃダメじゃねぇか」
弥彦はそうは言ったものの、剣路の気持ちもよく分かっていた。けれど、こればかりはどうしようもならない。
「うん」
剣路は素直に答えた。大好きな弥彦の言うことだったからだ。
「ねぇ弥彦兄。燕姉は、家事をやってるね。ほかのお家もみんな女の人がやってるよ。どうしてうちは父さんが家事をしてるの?」
突然の剣路の突っ込みに、弥彦は返答に困った。
「まぁ……世の中には、そーいうこともあるんだよ」
「俺やだ。あんな父さん。剣も弱いしさぁ」
剣路はきっぱりと言った。弥彦はカチンときて、剣心が飛天御剣流を振るった全盛期を話したくてたまらなくなったが……さすがに剣路には早すぎると思いそれはやめた。
「母さんは好き。だけど、俺が父さんのこと悪く言うと、怒るんだ。そーいうときの母さんは嫌いだよ」
剣路は、今度は少し悲しそうに言った。弥彦は、何と答えて良いやら分からなかった。
そのうち剣路は、弥彦の横に置かれている逆刃刀に興味を示した。そーっと触ろうとする。
「おっと。危ねぇから触るなっていつも言ってるだろ?」
「……もう少しだったのに」
剣路はぶつぶつ文句を言った。けれど、弥彦の手にある逆刃刀を、憧れの目で見つめる。
「カッコいいなぁ! 逆刃刀」
「そーだな。けど、これすげぇ重いぜ」
弥彦は、ニヤリと笑った。
その後、和により剣路は相変わらずの状況だった。大きくなるにつれ、独りで留守番したり、和の面倒を見なければならないこともあった。剣路は、弥彦に言われたとおり、親に表立って文句を言うこともなく、和の面倒も見た。けれど、本当は剣路にとってそれは苦痛以外の何物でもなく、嫌々ながら義務的にこなしていただけだった。剣心はたびたび剣路に済まぬとあやまり、薫は余裕のない中で、出来るだけ剣路に母親として出来ることをした。けれど、幼い剣路にその思いが伝わることはなかった。剣路の家族嫌い、特に父親嫌いはますます激しくなり、逆に弥彦や燕、そして心弥と仲良くなっていった。休みの日には明神家で食事をとることはしょっちゅうだったし、学校で友達を作らなかった剣路にとって、心弥は唯一の友達だった。
そして剣路は、今や日本一とうたわれる弥彦に、大きな憧れを抱いていた。けれどそれ以上に、剣路は弥彦を兄として慕っていた。血はつながらなくとも、生まれたときからずっと一緒で、ただ一人自分の存在を認めてくれる、そして守って大切にしてくれる。それが、剣路にとっての弥彦だった。
兄弟同然の大好きな弥彦。その跡を継いで、逆刃刀を受け継ぐことが、いつしか剣路の夢となっていた。
だが、運命は残酷だった。唯一の友達だった心弥は、弥彦の跡継ぎに関して剣路の最大の敵となってしまった。心弥と争ったばかりに、最も辛い現実を剣路は突きつけられてしまった。自分がただ一人慕っていた弥彦が一番愛情をそそいでいたのは、息子の心弥だったということに……。
その年。剣路十歳の冬が訪れた。夜の小路を歩いていた剣路は、ふと立ち止まった。通りがかりの家の壁の向こうに、白い花が咲いている。桜だろうか? 冬に桜が咲くのだろうか? どこかで見たことがあるような気がした。けれど剣路は、すぐに考えるのをやめた。傷だらけの体を引きずり、白い息を吐いて、その場を去った。
そのすぐ後、偶然そこを通りかかったのは、弥彦だった。冬桜を、弥彦は見上げた。そうして、思い出す。
『おれね、やひこにぃね、いちばんすき……』
そして、自分が言った言葉も同時に思い出す。
『離れて暮らしたって、俺たちは兄弟同然だ。そーだろ?』
「俺は今でも、そう思ってるのにな。剣路……」
弥彦は、冬桜を再び見上げた。
「やっぱ、さみしい花だな。なぁ剣路」
そうして弥彦も、去っていった。後に残ったのは、月夜に白く浮かぶ冬桜だけだった。
☆あとがき☆
番外編「冬桜」完結です。
剣路十歳の冬。傷だらけの体で何を思ったか……。
次回は番外編「三年間の記憶」です。第一部終了から第二部までのお話です。
第十九話「罪と傷をかかえて」(番外編~三年間の記憶 弥彦編 其の一~)
『それにさ、当たり前じゃん』
暗闇の中で、またいつもの声が聞こえる。
『兄弟より、子供の方が大事なのって』
剣路……俺は……。
『いつかアンタをぶっ倒して、逆刃刀を奪い取ってやる……』
ガバッと布団から起きあがった。何度この夢を見ただろう。
あの日以来、剣路は道場の稽古へはこなくなった。
「おはようございます! 父上!」
自宅の廊下ですれ違いざま。心弥が、元気いっぱいの笑顔で深々とおじぎしてくる。
「ああ。おはよう」
心弥はにっこり笑い、廊下をかけていく。
朝にはいつも笑顔を取り戻している心弥も、夕方にはたびたび顔を曇らせて帰ってくる。そう……大抵は剣路のせい、いや、俺のせいで……。
剣路が道場に顔を出さなくなった代わりに何をしていたか、それはすぐに分かった。他の道場へ、道場破りまがいのことをしていたんだ。噂を聞きつけた由太郎や央太は早速止めにいったが、剣路は全く聞かなかったそうだ。俺は、行かなかった。いや、行けなかった。あの時の俺は、あいつに顔向け出来ねぇほど、罪の意識にさいなまれていたからだ。それに、俺の気持ちを伝えても、剣路には信じてもらえないだろうと思った。今なら、信じてもらえるだろうか……。いや……。
驚いたことは、薫の剣路への対応だった。剣路が道場破りを始めて一週間もたつかたたないかのうちに、剣路をひっぱたいてあっけなく神谷道場を破門させてしまった。けど、薫も相当悩んだだろう。道場主としては当然の行いだが、相手は自分の息子だ。けど薫は、他の門下生と差別することはしなかった。これにより、道場の跡継ぎ第一候補は和になった。しかしあいつは病弱だから、一時的に俺が引き受けることになるかもしれねぇ。
一時的とはいえ、昔の俺なら喜んだかもしれねぇ。なにしろ、俺にとっての神谷道場は、十の頃からずっと稽古してきた大事な場所だ。けれど、今の俺にはそれすら辛い。なんせ、本当なら道場を継ぐのは剣路だったはずなのだから。
午前中、出稽古へ行く途中、いつも河原で二人を見かける。心弥と和。あいつらは、仲がいい。和が病弱なせいか、二人の性格が穏やかなせいか、あまり体を動かして遊んでいるのは見たことがない。けれど、和はいつも剣玉をしながら、心弥はそれをながめながら、楽しそうに話をしている。時には、燕が心弥に持たせる本を一緒に読んでたり……そういえばいつかは、服を取り替えっこして着ていたな。
午後は、神谷道場の稽古だ。剣路が去ったあの日以来、心弥の稽古に対する姿勢が急に変わった。相変わらず泣き虫だったが、必死で稽古に食らいついてくる。目の色が違った。強くなろうと真剣な光を宿す目。真っ直ぐな目。けれど、その目の中に、どこかいつも悲しい影を落としていた。その影がたびたび強く見られるのは、心弥が独り河原から帰ってきたときで……。どうしたって聞くと、心弥は決まって、なんでもないと答えた。けど、俺には分かる。心弥は夕方、河原で独り、剣路を待っているのだろう。相変わらず道場破りまがいを続ける剣路は、体に傷を負い河原を通りかかる。けれど、心弥が呼びかけても、多分あいつは何も答えはしないのだろう。
そうして心弥は、目の中に悲しい影を強くする。俺は、息子までをも傷つけている。
和は、いつもにこにこしている。けどあいつは、剣路がまだ道場にいた頃から、時折さみしそうな目をしていることに俺は気付いている。あいつの心は正直、読むのが難しい。頭がよすぎて、何考えてるのか分かんねぇところがある。けど、剣路にかまってもらえなくてさみしがっていること、それだけは分かる。
そんなあいつも、剣路が道場を出てからというもの、今まで以上に稽古熱心だ。道場の跡取りとして、心構えが違ってきたのだろうか。だが和自身、本当はそんなものを望んでねぇってことは良く知ってる。和は、剣術自体が好きなだけなんだ。本当は、道場を継ぐ立派な剣路の姿を見たかったんだろうな。
和は本当に天才だから、どんどん伸びていく。気を遣う性格だから力を抑えているだけかもしれねぇが、和が本気になったら俺より強いかもしれねぇ。病弱で、存分に稽古をつけてやれねぇのが残念だ。
剣路が道場を出て、あれから数ヶ月。夕日が沈んでいく河原で、俺は待っていた。あれから、時がたった。今なら、信じてもらえるだろうか。
やがて、道の向こうから剣路がやってくる。しばらく見ない間に、ずいぶん背が伸びていた。近づいてきた剣路に、俺は声をかける。
「剣……」
だが俺は、最後まであいつの名前を呼ぶことが出来なかった。道場を荒らした帰りなのか、傷だらけの体で、一瞬だけ俺を見たその目。残忍な目だった。
剣路は、何も言わずに通り過ぎていった。俺は、振り向くことさえ出来なかった。
何をしていたんだ俺は……。数ヶ月も……剣路を、あんなになるまでほおっておくなんて……。数ヶ月っていったら、子供にとっちゃあとてつもなく長い時間だってのに……。
けど、どうしたらいいんだ俺は。どうしたら信じてもらえる? そしてどうしたら……あいつを……。
☆あとがき☆
第一部終了から第二部までの番外編になります。弥彦視点です。
第二十話「最後の言葉」(番外編~三年間の記憶 弥彦編 其の二~)
「……上。父上」
気がつくと、横から心弥が俺をしきりに呼んでいたようだ。俺は夕食時まで考えていたのか……。
「どうしたの? 考え事ですか?」
「あ、いや……。なんだ? 心弥」
心配そうな燕にあいまいに返事をし、心弥に応じる。
「最近暑いから、和と森へ行くんです。涼しくて、気持ちいいから……」
「森!? あそこは危ないから行くなって言っただろっ!」
俺はあわてて怒鳴りつけた。あの森には崖がある。幼い心弥たちにはまだ危険だ。
心弥はそれを忘れていたようで、あわてて箸を置き手を膝にのせる。
「ごめんなさい……父上……」
びくびくしながら、けれどなにか思い出して心弥は続ける。
「あの……剣路兄ちゃんを、見ました。毎日、修業してるみたい……」
「剣路が?」
「うん……」
心弥の目は、またいつもの悲しい色に染まっていた。
その日の午前中、俺は森へ行った。何か嫌な予感がした。
奥の方へ入っていくと、木刀で木を打つ音が聞こえる。それだけで、剣路だと分かる。あいつが物心ついたときから、竹刀握らせて稽古見てきたのは俺だ。打つ間隔や音ですぐに分かる。俺は一息ついて意を決すると、あいつのところへ近づいた。剣路は、はっと振り向く。けれど俺に冷たい目を向けると、俺を無視して稽古を続ける。
「剣路」
おれは呼びかけた。こいつの名前を呼ぶのは、数ヶ月ぶりだった。けれど、剣路は相変わらず無視を決め込んでいる。
「剣路。ここは崖っぷちだ。危ねーから、やめろ」
俺は単刀直入に言った。剣路は、力強く木に木刀を打ち付けると、やっと手を止めて俺の前に立った。俺を見上げるその目は、ぞっとするような凍てつく目。
「お前、本気で言ってんの?」
剣路は、からかうように歪み笑った。
「当たり前だろ!」
「俺が心弥を殺すのに?」
剣路は、くすくす笑った。
「なん…だって……?」
「あれ? 聞いてなかった? 心弥を殺すって言ったんだよ。アンタの苦しむ顔が見たいから」
剣路は、ますますおかしそうに笑う。
「嘘だと思ってんだろ。けど今の俺なら殺れるぜ。俺がここで崖から落ちて死んだ方が、アンタにとってはいいんじゃねーの?」
剣路の口から、以前からは考えられなかったような恐ろしい言葉が次々に発せられる。
「なんてったって、兄弟より子供のほうが大事なのは、当たり前だしね」
剣路は俺にその言葉を突き刺すと、また稽古を再開した。俺は身を引き裂かれる思いだったが……。
「……とにかく帰るぞ」
強引にでも連れ戻そうと、俺は剣路の腕をつかもうとした。だが、剣路はとっさに身をかわす。
「お前に……お前に従わされるなんて絶対嫌だ!! それなら……!!」
剣路は、崖へ走っていった。
「おい剣――」
俺の掛け声と同時に、剣路は宙を舞っていた。向こう側まで幅五十メートル以上はありそうな崖。谷底は深い。当然、落ちたら死ぬし、剣路が飛べる距離であるわけがねぇ。
俺はとっさに落ちていく剣路を追って飛び降り、剣路を抱きかかえ、崖に生えている木を片手でつかんだ。間一髪だった。
「バカ! 死ぬ気か!!」
俺は思わず怒鳴った。だが、考え直して言った。
「死ぬほど……俺が嫌いか?」
「……」
剣路は、無言だった。剣路の腹に手をまわして抱きかかえているから、剣路の表情は分からない。
「よく聞け剣路。この崖はこないだの台風の後でもろくなってやがる。俺の体重じゃあ、はい上がる途中で崩れちまう。だがお前の軽さならだいじょうぶだ。慎重にやれば、お前なら登り切れる距離だ」
「……」
剣路は、また無言だった。だが、意識はしっかりあるはずだ。息づかいで分かる。
「俺は、もう無理だ。この枝が折れたら、助からねぇ。けど、なぁ剣路。今なら、信じてくれるか?」
俺は、もうじき消えていく自分の命に観念しながら、言った。
「あの時……病院でお前を睨んじまった時……もしあれが逆の立場だったら……剣路が剣術できなくなってたかもしれないって聞いたら……」
俺は、剣路を抱く手に力を込めた。
「俺は、思わず心弥を睨んだぜ。例え息子でも。そのきっかけを作った子供を、兄弟可愛さに、睨んじまったぜ。まぁ、どっちにしても、とんでもなく良くねーことには変わりねーけどな」
だから、死んでいくのはその罰なのかもしれねーな。俺はそう思いながら、剣路を肩の上にのっけた。
「ほら。早く行け。お前が死んだらみんな悲しむぞ」
「……遅いんだよ」
剣路は初めて、ぼそりと口を開いた。
「……何もかも、もう遅すぎんだよ! 俺はもう、親父を越えて、逆刃刀を奪って心弥を殺してお前の苦しむ顔を見ることにしか生き甲斐を感じねーんだよ。それだけが生きる目的なんだ。それがかなわないなら、死ぬしかねーんだよ!」
剣路は、狂ったように叫んだ。
俺は、今まで生きてきた中で、一番罪の重さを感じた。
なぁ剣路。あの時お前が谷底へ叫んだ言葉。今なら分かる。あれは俺に、助けを求める声だったんだろ。剣路が心ん中で泣いて、俺にすがった最後の言葉。それさえ、俺は受け止めてやることが出来なかった。遅くなんかないんだって、それが例えどんなに勝手な言葉だったとしても、そう言えばよかった。剣路を、大事な弟を、もう遅いと手放してしまったのは俺だ。
あの日から、剣路は本当に、俺の手の届かないところへ行ってしまった。
☆あとがき☆
番外編中編。次回ラストです。
第二十一話「消えない痛み」(番外編~三年間の記憶 弥彦編 其の三~)
その時だった。一本の縄が下りてきたのは。見上げると、剣心と心弥だった。俺は剣路を無理矢理抱いて、剣心が下ろしてくれた縄に手をかけ、崖を登った。
崖から上がるなり、剣路は誰にも目をくれずに帰っていった。心弥は、あわてて剣路を追いかけていった。
「心弥が知らせてくれたでござるよ。剣路が森で修業しているから危ないと」
「そうか……」
俺は、つぶやいた。まともに話す気力がなかった。
「弥彦……。そんなに自分を責めなくてもいいでござるよ」
「剣心……」
剣心は、優しい目で俺を見つめる。ああ、ガキの頃と変わらない。剣心は、言葉にしなくても、みんな分かってくれる。それでも今は、俺の気持ちが晴れることはなかった。
「剣路をあんな風にしてしまったのは、拙者たち親の責任でござる。和に構い過ぎて、あの子の相手をしてやれなかった故。分かっていながら、剣路は強い子だからだいじょうぶだろうと、剣路に甘えてしまっていた。お主が強い子だったから、お主を見て育ってきた剣路も同じだろうと思っていた。それが間違いだったでござるよ」
「剣心……」
「拙者と同じ……。剣路も心が弱い……」
剣心もまた、苦しんでる。親なんだ。当然か……。
「けれど、拙者は剣路を信じているでござるよ。今までずっと、弥彦を見て育ってきた。心から壊れたりはしないでござるよ」
剣心は、悲しみを隠すように笑った。俺はやるせなくて、遠い空を見上げた。
剣心と別れて、河原を歩いていると、向こうからとぼとぼと歩く小さな影があった。心弥だった。
「……父上っ」
心弥は、俺を見るなりぎゅっと抱きついてきた。激しく肩を震わせ、泣いている。よく見ると、額からどくどく血を流している。
「おい心弥っ!」
俺は心弥を無理矢理引き離し、心弥の顔を見た。額がパックリと割れて、流血している。俺はすぐに懐から布を取り出し、心弥の頭にしっかりと巻いた。心弥の目は真っ赤になっている。ずいぶん泣いたのだろう。俺は心弥の両肩をつかんで、その顔を覗き込んだ。
「どうした?」
「剣路兄ちゃんが……」
ああ、あいつにやられたのか……。
俺は、ふたたび心弥を抱きしめる。
「昔の優しかった剣路兄ちゃんは……もう……どこにもいないの?」
俺はたまらず、心弥を強く抱いた。心弥の額に巻かれた布から血がにじみ出て、それは俺の着物を染めた。決して消えない痛みが、俺に染みこんでくる感覚がした。
「ごめんな……心弥……。ごめんな……」
俺は心弥に、そして遠い剣路に、何度も何度もあやまった。
剣心は、剣路を信じると言った。けれど、あれから剣路は、ますます心を閉ざした。
時は流れ……。心弥は学校へ行くようになり……。和はその間独り河原で剣玉を握りしめ……。剣路は相変わらず道場を荒らし歩く毎日……。
あっという間に時は過ぎ……。あれから三年の日々が経ってしまった。
☆あとがき☆
三年間の記憶 弥彦編ラストです。次回は、三年間の記憶 心弥編、そして第二部開始になります。
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