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身体の部位は、怪我や骨折をした場合でも再生する力を持つが、脳が委縮し神経細胞がダメージを受けた場合、再び再生することは無い。アルコールや薬物中毒などにより神経細胞は直接障害を受けることとなり、神経細胞が減少することにより脳機能の低下、つまり身体に異常をきたしたり、精神に異常をきたしたりする。覚せい剤やシンナーの使用により、廃人になってしまったという話はメディアなどでもよく取沙汰されるが、ハンコで押したような、いわゆる普通の生活を送っている自分にとっては、それらは遠い世界の話だった。しかし、よくよく考えてみると、入手が容易なものでも危険性のあるものは身の回りに溢れている。お酒が好きな人であれば、アルコール中毒に。賭け事が好きな人は、パチンコや競馬、競艇などの依存症に。最も目にする機会が多いのはタバコ依存症なのだろうが、これに至っては巷に溢れすぎていて、もはや依存症に陥っているという現実さえ見過ごしてしまいそうだ。買い物依存、携帯依存、その他、諸々、数え上げればキリが無い。財布の中身がそれほど潤沢ではない未成年者であっても、アルコールとタバコは意外と入手しやすいものであろう。アルコールとタバコに関しては、現状、嗜好品として世の中にあるものなので、利用方法さえ間違っていなければとやかく口を出すつもりは無い。ただし、青年期においては、身体は大人になりつつも脳は未成熟のままなので、これらの依存度も大人とは比べ物にならないほど高く、身体および脳に受けるダメージはとてつもなく多大であるということを理解していてほしい。さて、本題に入ろう。冒頭に「覚せい剤やシンナー」と書いたが、未成年者であっても簡単に疑似体験できるものがある。それが、ガスパン。シンナーなどを袋に入れて吸引する姿が、アンパンを食べているように見えることから、隠語として「シンナー遊び」=「アンパン」が使われたが、「ガスパン」はシンナーではなく、ガス類を袋に入れて吸引し、酩酊状態を楽しむ遊びのことである。残念なことに、「アンパン」による健康被害や精神疾患の情報はたくさんあるのに、小中高生が安易に手を染めやすい「ガスパン」に関する情報が少なすぎる。ネットで検索してみても、「依存性は無い・少ない」「陶酔感を味わえる」などとあり、死亡事故に関する事例もそれほどヒットしてこない。推察でしかないのだけれども、おそらく小中高生のガスパン遊びに関しては、ガスに引火・爆発とか大事にならない限りは内々で揉み消しているのだろうと思われる。死亡しても「突然死でした」とかね。ガスパンに使われるのは、ガスボンベやライター用などのブタンガスを筆頭に、プロパンガスなど多数。シンナーの主成分とされるトルエン(比重:0.87)と比較してもブタン(比重:約2.0)、プロパン(比重:約1.5)と重い。シンナーは中枢神経に作用して酩酊感や幻覚を起こすのに対し、ガス類を吸引した場合は肺から排出されずに滞留してしまったガスにより酸欠状態に陥る。覚せい剤やシンナーは、いわゆるラリった状態になるため、発見→応急処置を施すことが可能だが、ガス吸引の場合は酸欠による脳の麻痺→失神→心肺停止「この世から、さようなら」に至る可能性が高いので、ちょっとした過ちのつもりがちょっとでは済まされなくなるということを肝に銘じてほしい。ガスは吸引しても警察沙汰にはならないと思っている子どもたちも多いようだけれど、ガスの種類によっては毒物及び劇物取締法に引っ掛かるし、家裁に書類送検ということもあり得ない話ではないから。あと、助かっても脳のダメージが半端ないから、本当に止めてね。度重なる酸欠状態により大脳皮質がダメージを受けるため、意識喪失、幻覚症状、被害妄想、やる気が出ない、性欲低下、ふらつき、手の震え、尿失禁など諸々の症状が出るかもしれないことを覚悟して。覚せい剤やアンパンなどに比べれば急性な依存度はそれほど高くはないようだけれど、ガスパン遊びの場合、長期間にわたって複数回吸い続けてしまうケースが多く、脳と身体へのダメージは確実に蓄積されていく。自分の意思で止められない場合は、専門機関への相談をお薦めするし、もし、ガスパン遊びを見かけたり、不審に思ったら、ぜひ学校と警察に相談を。因みに、ボイスチェンジャーなる、いわゆるヘリウムガスで声を変える商品などがあるが、前もって空気を混入してあるものなので、間違っても風船用のヘリウムガスなど吸い込んだりしないように気をつけていただきたい。
2019年06月23日
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修羅場を見ることになるのかな。嫌だな。でも、避けちゃいけないよね。言質は取れていないけれど、限りなく黒に近いグレー。君の口から聞きたくないことを、たぶん聞かなきゃいけない。いつ? どうやって? 何と切り出せば良い?母は、お腹が痛いです。眩暈がします。
2019年06月10日
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最近、めっきりと口数が少なくなった君。必要な事以外は、話そうともしてくれない。思い返してみると、自分もそうだったかも。親を含めて、周りの大人がみんな馬鹿に見える時期。自分の考えが一番正しくて、異論を唱えられるなんて、言語道断、許せない。あなたの子どもになりたくて、生まれてきたわけじゃない。自分は一人で何でもできるんだから、かまわないで、干渉しないで、放っておいて。…そんな感じなのかな?寂しいなぁ、とは思うけれど、それは君が成長している証でもあるんだよね。親としては喜ばなければいけないことなのだ、と頭では分かっているけれど、ごめんね、まだ気持ちが追い付かないよ。未成年の間はさ、まだ親の保護下にあるわけだから、もう少しだけ大手を振って心配させて。先日、町工場を取り上げていたテレビだったように思うのだけれど、「ネジだけでは何もできないけれど、ネジが無くては何もできない」という言葉が心に深く刺さった。人も一緒なんだよ。君も一緒なんだよ。「君だけでは何もできないけれど、君がいなくては何も始まらない」みんな、それぞれ大切な役割があるはず。君がやりたいこと、知りたいこと、いつか見つけられると良いね。君の親であることは止められないので、ハラハラしたり、ワクワクしたり、顔には出さないように気を付けるけど、見守るという大役は果たしたい。
2019年05月11日
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人は、2度生まれるのだそうだ。1度目は、母親の腹から産まれ、乳を飲み、血肉を育む。2度目は、人とは何か、生きるとは何かを自分自身に問い、思考を巡らせ、人格を形成する。「自分のときは、どうだったかなぁ」と振り返ってみたものの、少しばかりの苦悩と不安、もどかしさを感じたほどで、凡庸に過ごしてきてしまったように思う。生きて行くことの大変さなど、深く考えることもなく過ごしてきてしまったのは、皮肉なことに安産と言えるのかもしれない。それに比べると、彼は難産型らしい。辛いよね、苦しいよね。白と黒の境界線の上を、おぼつかない足取りで裸足のまま歩いている君。道しるべなんて、無いよ。もう少ししたら、無数の道が目の前に現れてくるはず。行く道は、自分で決めなきゃいけない。でもね、怖がらないで。袋小路に入ったら戻ってくれば良いし、迷い道でも必ず迂回路はあるから。いま、ゴツゴツとした足場に差し掛かっているのかもしれないね。痛い、きつい、苦しい、早く抜けだしたいと思っているかもしれないけれど、目を凝らして見れば想像もつかないようなお宝の山なのかも。大変そうで見ているほうも生きた心地がしないけれど、ところどころに補給所は用意しておくから、お腹が空いたり喉が渇いた時は、遠慮しないで立ち寄りなさい。遠すぎて聞こえないかもしれないけれど、いつも声援しているのを忘れないでね。
2019年05月07日
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自分で何かできることを。そう思いたって、いざ本屋へ。パッと見、心理学や思想、啓発・啓蒙書ではないものを、と物色したところ、面白そうな本を見つけた。青年期にまともであること自体が、まともではない。---アンナ・フロイト第1章の扉に踊る活字を見て、思わず吹き出してしまった。本書では、各章の扉に偉人たちの一言が添えられ、医学博士であるジェス・P・シャットキン(Jess P. Shatkin)氏が10代の脳と体、心、行動の仕組みを日常生活の具体的な事例を織り交ぜながら解き明かしていく。 MRIの多大なる貢献により脳の発達過程が見られるようになり、16歳から18歳までに完了するとされていた脳内の大きな変化や、ニューロンのつながりの変更が20歳を過ぎても続いているという事実が明らかになったのだそう。また、青年期を有意義に過ごし、大人へと移行するために必要な自己効力感と感情の自己調整能力を高めるための正しい知識と対処法を広めることを趣旨としている。久々に手にとった書物にしては、ちと活字だらけで挫折しそうな気もしたのだけれど、読み始めると「へー!」「ふーん!」「そうなんだ」と、なかなかに面白い。敵知らずして勝利なし。対峙すべき10代の脳みそを熟知してやろうではないか。10代脳の鍛え方 悪いリスクから守り、伸びるチャレンジの場をつくる [ ジェス・P・シャットキン ]
2019年05月02日
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誰かに、自分の気持ちや思い悩むことなど、話を聞いてもらいたいと思うときがある。悩み事を相談して解決してほしいとか、良いアドバイスをもらいたいとか言う人もいるけれど、思うに、それらは話を聞いてくれる相手を自分に置き換えて、自分自身に話しているのだろう。何かの本で読んだけれど、「愚痴を言っている相手に同調してはいけない」は本当だと思う。自分のことは自分で解決していくタイプなので、仲の良い友人に相談するときは、その友人の経験談に基づく解決方法を参考にしたいと思うときだ。こう思うに至ったのには、いくつかの理由がある。例えば、旦那の悪口を言ったときに、「そうだよね、本当にダメな人だよね」と返されれば、「いや、そこまでダメな奴じゃないよ」と思ってしまうし、悪口ではなくとも、身の回りの親しい人のことを、さも自分のほうが知っているかのように「ああだ、こうだ」と論じられると、「何も知っちゃいないくせに」と思ってしまう。なので、人から何かを相談されたときには、「ふーん」「そうなんだ」「なるほどね」で済ませるようにしている(爆)。また、「人に相談したいな」と思ったときの心境を、よくよく考えてみると、答えはもう決まっていることのほうが多いように思う。もしくは、誰かに話している過程で、自分の頭の中を整理している状態。「こうしようと思うのだけれど、どう思う?」おそらく、自分では大丈夫、できる、正しいことだと思っていても、一歩踏み出せない状態。だから、自分じゃない誰かに背中を押して欲しいとき、相談したいという気持ちになるのではないか。「うん、良いんじゃないかな。きっとできるよ。やってごらん」心の底では、反対されたり、否定的な意見を述べられるのではなく、肯定的な意見を求めているはず。「この世の中には無駄なことなんか一つも無いんだよ。失敗したって良いじゃない。失敗を糧にして、次は失敗しないようにすれば良いんだからさ」そう。失敗も経験の一つだと考えれば、何も怖いことなんかない。有言実行。言葉に出して、自分の耳から聞くことで、自分自身を励ましてみよう。トライして失敗した人の意見は拝聴するけれど、「無理」「無駄」なんて、やってみようとすら思ったことのない人からの意見なんて、聞く必要は無いのだ。自分のことを、自分自身が一番好きになって、信頼してあげないとね。「できるよ」「やれるよ」「応援してる」「失敗なんか怖がらないで!」って、言葉に出して言ってみよう。
2019年05月01日
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精神的に不安定な状態の次男。情報量が足りなさ過ぎて心配しているだけなのに、「優しくしないで」ときたもんだ。しかも直接じゃなくてショートメールの返事でですよ。馬鹿者め。文字で気持ちを伝えようなど、100年早いわ。洟垂れ小僧め。腹が立って目が冴えて眠れません(笑)。令和元年の初日ですが、きっちり対峙してやりますよ。親の愛情、なめんじゃねぇ! 早く朝にならないかな。
2019年05月01日
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下の子は、いわゆる成長期。ご飯をお替りしてモリモリ食べる。それほど物にこだわりがあるわけではないが、ご飯茶碗は良いものを...と、自分の茶碗を選ばせて購入したものを使っている。少し前から、次男の茶碗から妙な音がする。おそらくヒビが入ったのだろうと思うのだけれど、どんなに目を皿のようにして見ても、そのヒビが見つからない。ご飯をよそうとき、テーブルに置いたとき、ふとした拍子に、乾いた小さな音がする。あぁ、いまのこの子みたいだな、と思った。見た目は何も異常のない、いたって普通の青年期の男の子。でも、いま彼は心の中に亀裂を宿している。見つけてあけたいけれど、どこにあるのか分からない。もどかしい。食後、食器を洗っていると、自分の茶碗の底に落ちない汚れが付いているように感じた。クレンザーを使っても、私の茶碗の底のザラザラが落ちない。いったん、自分の茶碗の水を拭いて、改めて底のほうをしみじみと眺めて見たところ、1円玉より少し小さいぐらいの楕円形で、ものすごく薄く欠けていたためにザラついていたことに気が付いた。あぁ、これも、いまの私みたいだな、と思った。ご飯を食べるのには支障がない。でも、欠けている。次男の茶碗も、私の茶碗も、不定期に開催される陶器市で購入したものだ。いつも見慣れた茶碗が販売されているので、同じ茶碗が置いてあるはず。早く陶器市開催しないかなぁ。新しく買い換えたら、心の亀裂も無くなってくれたら良いのに。お買い物ついでに、次の開催予定を聞いてこようと思う。
2019年04月30日
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定期券が切れているのに、自転車を置いて朝早くから出かけた模様。パンは食べて行ったようなので大丈夫だとは思うけれど、心配し出すとキリがない。食べる行為=無意識化の生きる意志、なのだろうと思っているので、食べているうちは大丈夫。たぶん。...と、自分で自分に言い聞かせる。部屋にこもっているよりも、外に出かけているほうが安心かな、と以前は思っていたけれど、いまは足跡をたどれない不安で気持ちがいっぱいだ。ショートメールを送ってみたけど、返事が来ない。「りょ」でも良いから、返事をしてくれ。
2019年04月30日
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キーボードをカツカツと叩いていたら、目の端に小さな動くものが。足が長めの、体調2センチほどの蜘蛛だ。いつもならティッシュにそっとくるんでゴミ箱にポイなのだが、ここ数日、子どもの事で悩ましい日々を過ごしているためか何となく今日は外に放してあげようという気持ちになって、細心の注意を払いながら蜘蛛をティッシュ越しに捕まえた。玄関を出て、階段のところでそっとティッシュを開いてみたところやんわりと包んだはずの蜘蛛は、もう動かなくなっていた。ごめんね。殺すつもりは無かったのだけれど、結果的に殺してしまった。子育ては難しいな、と思う。「子育ては、親育ち」。そんな昔に聞いた言葉が脳裏をよぎる。子どもを育てることで、親としての自分が成長していくというのは、本当だと思う。同じ兄弟でも、上の子と下の子は別もの。上の子で何なく通り越せてきた時期を、下の子も何なく通り過ぎるのだろうと漠然と考えていた自分が恥ずかしい。母はさ、君のことが大好きなんだよ。とっても大事に思っているんだよ。無関心と尊重は違うからね。ここ大事だから、分かってくれてると良いんだけどな。心が潰されそうに痛いよ。何かにならなきゃいけないなんて、仰々しいことを言うつもりは毛頭ないの。ご飯をモリモリ食べて、しっかり寝て、そこに存在してくれているだけで母は幸せなのさ。いまの君には、そんなこと分からないだろうけれどね。笑い顔が見られなくても良いんだ。とにかく、「ただいま」って今日も帰ってきてね。
2019年04月29日
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毎日、メールで送られてくる「××日の日記」。いままで気にもとめずにいたけれど、久々に覗いてみると2006年に始めた稚拙な文章が...。続くかどうかは不明だけれど、文字を書くのは嫌いではないので、仕切り直して始めてみようと思う。
2019年04月29日
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