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保険の異端児・オサメさんComments
堺を訪れた週末の日曜、我が故郷の焼物、薩摩焼と出会う。"利休のふるさと堺大茶会"の会場ともなっていた大仙公園、その中にある堺市博物館で、薩摩焼の展示があったので覘いてみた。"堺まつり"のこの日は、無料開放されていた。
その展示会のタイトルは、『日仏交流150周年記念特別展・薩摩焼-400年の伝統とパリを魅了した美-』である(右:チラシ)。この展示会は、私が薩摩焼に抱いていた認識があまりにも乏しかったことに気付かせてくれると共に、我が故郷の薩摩焼が世界に誇る美術品であることを知らされるのである。
鹿児島で生まれ、その地で22年間過ごした私にとって、薩摩焼という名は当然、知ってはいた。車で走っていると、薩摩焼の窯を示す看板も、よく目にしたものである。しかし、焼物に特別の興味を示すということがなかった私(少なくとも茶の湯を始めるまでは)にとって、それは全国各地にある焼物の一つというくらいにしか考えていなかった。
当然、その鹿児島の焼物がパリを魅了するほどに素晴らしいものであることなど、知る由もない。しかし、この日、展示されていた焼物の数々、その美しさ、精緻さに目を奪われてしまった私である。
こちら )で、手にした茶碗。それが、私の記憶の中で意識した、唯一のものだと思う。"一楽、二萩、三唐津"とも言われる茶の湯の世界にあって、薩摩焼にもこんな素敵な茶碗があるんだなと、その夜、初めて意識したばかりであったが、それはほんの序の口であったことを認識する。
薩摩焼の歴史は、秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)が、そのきっかけである。時代は、茶の湯全盛のころでもあり、井戸茶碗など大陸の茶碗は、諸大名にとっては、価値あるものだったと言えよう。そういう背景が、朝鮮出兵を「焼き物戦争」と言わしめ、退却するにあたって、諸大名が朝鮮陶工を日本に連れてきているのである(所謂、拉致である)。
この時、薩摩藩から朝鮮に出兵していたのが島津義弘。関が原では西軍について敗れるも、敵陣突破を果たし、堺から海路、薩摩に帰還する、まさにその人である。朝鮮においても、その勇猛さは、明軍を撃破するなど、"鬼シマンズー"と恐れられたというが、例に漏れず、朝鮮陶工を薩摩に連れてきたとされる。それが、以来、400年の歴史を重ねる薩摩焼の出発点となるのだが、その歴史的背景は萩焼や唐津焼、そして伊万里焼にも共通するところである。
展示品の中には、島津義弘が千利休に宛てて、茶の湯の作法や点前について質問したという書状もあり、興味深い。数々の茶碗や、茶の湯の道具には、味わい深さを覚え、また、大きな壺に描かれた絵付けの鮮やかさには目を奪われたものである。
幕末、薩摩藩は独自でパリ万国博覧会に薩摩焼を出展し、世界に"SATSUMA"として、その名を印象づけ、またパリ郊外のセーブル焼などにも影響を与えたという。そこで見た作品は、その事実を裏付けるには十分であった。
展示品に記された窯元の説明には、苗代川とか美山という文字を目にしたが、それらの地名は私には見覚えのあるものであった。私の実家からも、さほど遠いところではない。しかし、苗代川、のち名前が変わって美山(みやま)と呼ばれる地は、朝鮮陶工たちが薩摩藩の庇護のもと、薩摩焼を大成させた地であることを、私は、この時まで知ることはなかった。
そして、その地で中心的存在であるのが、沈壽官(ちんじゅかん)窯。島津義弘の時代に始まり、現在15代を迎えているが、その15代沈壽官氏の講演がこの1週間前に堺の地で行われたことをチラシから知るのである。この日、時間の関係で、駆け足で巡ることになったが、それでもなお印象的な展示会であった。
しかし、偶然は重なるものである。堺から帰った翌日、会社から帰ってテレビのチャンネルをつけると、たまたまそこに映し出されたのはNHK「鶴瓶の家族に乾杯」という番組。何気に見ていたが、そこに小松帯刀の墓が登場し、そして薩摩焼の窯元が登場し、我が故郷ではないかと驚く。そして、そこに登場していたのが、14代沈壽官氏だったのである。何というタイミング、巡り合わせであろうか。
その番組をいつも見ている実家の父親に電話し、見逃した場面について聞いてみた。 司馬遼太郎さんの『故郷忘じがたく候』、そこに朝鮮から連れてこられた陶工の悲話が描かれていることは以前より知っていた。しかし、そこに描かれている主人公が、14代沈壽官氏本人であることを、父との話の中で知らされる。
そして今日、会社帰りに書店で『故郷忘じがたく候』を買ってきて、家でその70余ページの短編を読破した。司馬遼太郎さんは、14代沈壽官氏の息子の結婚式で、仲人として挨拶したそうであるが、何と1時間半も沈壽官家の歴史を新婦の親族知人に語ったそうである。その間、後方に立たされていた14代本人は時々後ろを向いては涙を拭いていたというが、この本を読んで、司馬遼太郎さんの想いが伝わってくるようであった。
年末、鹿児島に帰省した折には、是非とも、美山の地、そして沈壽官窯を訪れたいものである。その日が、楽しみである。
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故郷忘じがたく候 薩摩焼の故郷で過ごし… 2011.05.05 コメント(6)