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保険の異端児・オサメさんComments
8月末、夏休みを取得しての、鹿児島への帰省。実は今回、熊本空港から九州入りしたのであるが、行きも帰りも熊本経由というのは初めての経験である(ANAのマイルを利用した関係上、復路も熊本経由となる)。わざわざ熊本を経由したのも、昨年、本丸御殿が再建された熊本城を訪れるためであった。
秀吉子飼いの武将、加藤清正が築城した熊本城。それは、日本三名城の一つにも数えられる名城であるが、私にとっては、少年時代より、馴染みのある城郭でもある。中学校の修学旅行で訪れ、家族で訪れたこともある。また、父親も教員をしていたため、何度も修学旅行で熊本城を訪れている。その都度、お土産やら記念写真を目にしていた私にとっては、それは小さい時分から身近な存在だったわけである。(右写真:熊本城、行幸坂下の加藤清正像)
今でこそ、九州新幹線(部分開業だが)のおかげで、熊本もずいぶんと近く感じるようになったが、私が小さい時分には、熊本は隣県ながらも遠い場所だった。特急電車でも3時間ほどかかる距離、自動車ではもっとかかる。そのため、熊本と言っても簡単に行ける場所ではない。本土最南端の鹿児島にあっては、隣県に行くのも、東京から神奈川、千葉、埼玉に行く感覚とはまるで違うのである。
高速道路も開通していない当時、国道3号線を海岸線に沿って北上すること2時間以上。薩摩から漸く肥後へと入ると、やがて三太郎峠(津奈木太郎、佐敷太郎、赤松太郎)と呼ばれる、その昔、難所だった峠越えがある。そして三太郎と呼ばれるように、三つの非常に長いトンネルがあるのだが、そこを父親の運転する小さな車で走った記憶も懐かしい。そのトンネルの中の電灯を、一生懸命に数えた記憶も甦る。
しかし、そんな熊本の地も、社会人になると、一層遠い場所となる。過去には、陸路で帰省することも何度かあったが、熊本はただの通過点であり、途中下車することもない。昔、身近な存在だった熊本城も、最後に訪れたのは、大学2年の時か、4年の時。卒業を前に研究室の仲間と、熊本から阿蘇、九重、別府へとドライブした時に立ち寄っただろうか。何れにしても今から25年ほども前のことである。
その熊本城を再び訪れようと思ったキッカケが、築城400年を期に再建された本丸御殿。その素晴らしさについて、テレビで紹介されているのを何度か見ていた。また、熊本と言えば、茶の湯を始めて以来、何かと話題にするようになった細川家の城下町でもある。いつの日か再び訪れてみよう、という思いが募っていた。そして、7月に訪れた彦根城、そこで見た、再建された本丸御殿の素晴らしさ。それが、私の思いを後押ししたのである。
昔、熊本城しか見たことのなかった私自身も、社会人になると、日本全国、実に多くの城郭を見てきた。従って、約25年ぶりの熊本城は、ある意味、目が肥えた状態での凱旋だったとも言えよう。そのアプローチは、加藤清正像を拝んでから(冒頭写真)、備前堀沿いを行幸坂を一気に登っていくルートである。
早速、飯田丸五階櫓が堀に影を落とすが、その石垣の高さに圧倒させられる(下左写真)。そして、やがて左手に南大手門が見えると、城内への入口、頬当御門も間近となる。何せ、この日は、空港から熊本駅に向かう途中に立ち寄ったため、炎天下の下、キャリーバックを曳いて登るのに大汗をかいたのであった。

そして、門を入ってすぐに荷物をロッカーに預けると、いよいよ本丸へと向かうのであるが、さっそく見覚えのある大天守閣が目に飛び込んでくるのである(上中写真)。そしてやがて小天守も目の前に現れると、いざ本丸である(上右写真)。そして、現存する宇土櫓を背に、大小天守閣と相対し、そして息を呑んだ(下写真)。
その姿は、まさに"威風堂々"、"質実剛健"という言葉が、ピッタリであった。そして大きい。石垣は高く、武者返しと呼ばれる石垣の反りがまた美しい(下右写真)。さらには、石垣を這い上がってくる敵を許さぬ、石落としに鉄砲狭間や矢狭間が廻らされている。特に大天守閣の下を取り囲む石落としは、なかなか他の城郭には見られないものである(下左写真)。それはまさに武闘派、加藤清正に相応しい、攻撃的な城とも言えよう。

そして、後にご紹介したいと思うが、この大小天守閣のみならず、その周囲を取り囲む石垣の壮大さには、圧倒される。さらには上述の宇土櫓や飯田丸五階櫓など、小さな城郭では十分、天守閣にも相当するような五階建の櫓が、6棟も建っていたという。その規模と迫力は、少し前に訪れた彦根城や姫路城にも見られないもので、三名城の名を冠するに相応しい。
まさに約25年びりに訪れてみて、その迫力に度肝を抜かれ、脱帽した私である。その熊本城の強固さには、関ケ原の後、家康が豊臣秀頼を攻めるようなことがあれば、最後は熊本で守ると言った、清正の意志もあったようである。しかし、大阪冬の陣、夏の陣が起こるより早く、清正は世を去る。
そして、皮肉と言おうか、その強固さが発揮されるのは、武士の時代も終わって、明治に入ってからのこと。西南戦争において、政府軍が立て篭もり、西郷軍に対する防波堤となったのであるが、ある意味、真の意味で武士の時代を終焉させるのに一役買ったとも言えようか。しかし同時に、西南戦争の時に、熊本城の大小天守閣も炎上するのである。
戦後、昭和35年に再興された大小天守閣。それぞれ最上層まで登城できるのであるが、名古屋城のようにエレベータなど無い。いくら足に来ていても、階段で登らねばならない。そして、実際登ってみることで、その大きさも実感できるというものである。
威風堂々の熊本城は、まさに"火の国"熊本のイメージでもある。引き続き、そこで見て感じたことを綴っていこうと思う。(つづく)
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