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2005年09月15日
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2002年の9月15日は、ここのブログを開いた日だ。

っというか、涼しくなったこの空気、虫の声、さんまの焼くにおいで、ふと思い出した。
記憶って、感覚で覚えているものなんだなぁっとつくづく思う。

だが、ひと月余りで中断。思いのほか、当時所属していたちびれもんの軟式野球が忙しくなったためだ。

パソコンも古く立ち上げるまでに 数分掛かっていた。アナログ回線を使っていたので電話代も気にしながらのインターネットだった。

あれから たったの3年。なのにこのパソコン周辺の変わりよう。
そして子ども達の成長。転勤により住む場所も変わり、環境もずいぶん変わってしまった。

あれは、ちびれもんが5年生の時だったか、元広島の古葉監督が理事長をしているIBA(社団法人 少年軟式野球国際交流協会)主催の、野球教室が銚子であった。
私は産後だったので、れもん爺がつきそいで(自分が古葉さんに会いたかったらしい (´ー`))行った。当時は、どこが自分のポジションかわからないといったレベルだったちびれもんは、外野のポジションの講習を受けたらしい。


っというのを、「なぜ ちびれもんはキャッチャーになったのか」という話をしていた時に聞いたのだ。もちろん、当時はキャッチなんて想像もつかず、冗談で ちびれもんは 肩だけはいいから、案外キャッチなんていいかもねぇ、o(*⌒д⌒*)oあははっっと笑っていたものだ。

それが、中学でソフトボールを始めるようになり 監督、先輩達から
「ちびれもんはキャッチに向いている」と言われた時には、正直おどろいた。
・・・まあ、何が言いたいのかというと、日頃各地で行われている、ソフトや、野球の講習会はこうやって子ども達の身について行っていると言うこと。

ちびれもんは、雑草魂で 盗み見たわけだが、なんとか今、キャッチとしてがんばっている。
全国制覇もやった。古葉さんは ご存じない事だろうが、こうやってつながっているのだ。

当時のコーチ、監督、お世話をしてくださった多くの方々に支えられ今がある。感謝だ。
多くの出会いを今思い起こし、これからのことを ゆっくりと考えていきたい。

18日は中秋の名月。

下世話な私でも、ふとこういうことを思い起こさせる 自然の不思議。

いつかは、名月のような、黄色いボールで ちびれもんがソフトボールをする日を夢見て。





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最終更新日  2005年09月15日 19時10分19秒
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