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恥ずかしくて告白する事さえ躊躇します。 先日、日帰りの四国八十八ヵ所遍路に参加しました。一週間前から少しずつ支度を調え当日を楽しみに待っていました。広島駅北口6:40分集合→バス出発6:50分充分確認をし目覚まし時計のセットOKなのに…飛び起きたのが6:25分 ヒャー!なにも考えず最低の身支度をし飛び出た。最低の身支度???このブログには恥ずかしくって載せられない。荷物は前夜から用意万端のため、持ち出し出来た、お金も、ハンカチも。15分でタクシーに乗れた、とたんに同行者からメールが入る、『後、何分でこれる?』 観光バスに着いたのは7時3分。神様!よくぞ待っていて下さいました。 ツァーの方々にもご挨拶いたしました。私が思ったこと。タクシーの中で何度か「ヤバイ ヤバイ止めようか!」母の一言で原爆の惨状から救われのだ。阻止をしているのかも?旅行会社のお計らい、皆様の思いやりで遍路行けたこと感謝します。私の失敗の原因は、時間合わせ後スイッチONにいていなかった。反省だらけの旅でした。
2007年04月10日
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ひさひさに日記を書きましょう。我が家にも粘土造りのお雛様、お内裏様を飾りましょう。長女が20年前に粘土で作ったものです。あぁでもな~い、こうでもな~いと、想い出せば独り言をつぶやきながら作りました。いま出してみると現代風のお雛様とは違い昔風ですねぇ~、おかしくて笑いたくなります。15年前にそれを私が、水彩画を描きました。恥ずかしいやら、昔が懐かしいやらで一杯です。
2007年02月24日
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今月二十日、かの有名なホーク.Vocalst『石井竜也、広響と協演』の観賞に行きました。大勢の人が詰めかけ大盛況でした。座席は最高の席で大満足。辺りを見れば今風な雰囲気いっぱい、私は見たこともない照明が懲らしてありました。広島の音楽家が賛助出演、特に関心を持った二胡奏者.姜暁艶さんでした。お二人のコンサートのテーマ「私達は生きるために生まれてきた」が、一致したと思われる、意気の凄く合った演奏と感じました。ユニゾンで奏でるオケにつづいて二胡演奏の狂わしい超テクニックで音楽効果を盛り上げたと私は感じました。また、オケのメンバー控えめで演奏、楽器の区別が静かに伝わり癒しとなりました。最後に石井竜也さんは「オケとの協演はとてつもない緊張とともに、包容力を感じる」と醍醐味を語っています。原爆で亡くなった人達の魂が貝の中に宿った様子をイメージして天使のオブジェも舞台に展示して追悼の気持ちを表していました。声量がたっぷりで、しかも癒されるハスキーで、素晴らしいボーカリストであります。曲想、リズムはマイナーで視聴者の心をきっと揺るがし、感銘させたと思います。
2006年12月25日
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私の一週間は2回スイミングクラブに行っています。大のスポーツ嫌いの人間で、体格的にも大いにハンディーがあります。先日コーチが私の泳ぎ(クロール)について「とっても体が伸び力が抜けてきた、左右の肩も揺れず、息継ぎが自然に出来ている。」すごく嬉しかったです。恥ずかし乍ら『継続は力なり』
2006年11月21日
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この頃字も書けなくなりました。手首が、かたーっくなり(硬くなる)思うようにペンが進みません。いつも、ブログに美しい写真入り記事を登載される方、素晴らしいお方と思います。私は、毎日一番に読んでいます。そして、癒されています。もう一つ癒されてるものがあります、曲目「ふるさと、埴生の宿」只今、夢中です。初めはなーんと、面白くない曲ね、何を歌ってるんだろう?ぜーんぶ和音で、しかも現代風にアレンジした曲です。しかし、練習を重ねるうちに、頭の中で歌っています。私にとって最高な気分になります。特に「ふるさと」は日本人にとってグットきますね。
2006年11月15日
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久しぶりに、このページを開きます。北朝鮮が大それたことをし、世界は震かんとしていまね、国連安保理では早急に各国の意見の収集に日夜をといません。一番重要な事柄は、さて的をはずし、私が興味をもってること、安保理会場(各国代表者がつく丸テーブルの有る会場)の正面に掲げてある壁画のことです。事件が起きた当時は、テレビで何度も会場を大きく写しました。その度に大きな壁画をみて『何の絵画?宗教画?織物?版画?』その都度目を懲らして見たものです。近頃は会場の中、全体をあまり撮影していません。たまに写されても字幕が出て壁画どころではありません。生意気なことを言うようですが、ネットを利用して検索してみましたが壁画云々については、はっきりとした説明が有りませんでした。「壁画については、安保理が審査厳しく、管理している」とは出ていました。重大事件そのものより、会場を飾った物に関心を持つとは被爆者の私は、ちょっと変人でしょうね?教えてください。
2006年10月12日
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広島県立歴史博物館へ観に行きました。私はこういった日本文化には苦手であまり興味を持ちませんでした。日々マスコミの宣伝に刺激され博物館に赴きましたところが、私にとっては一大勉強になったこと感謝しています。 今から1000年くらい前の平安時代中期に、紫式部が、かな文字を使って書いた物語で、宮中を舞台に、貴族の暮らしや登場人物の心の動きを描いた世界的に有名な物語だということが分かりました。紙を横に長くつなぎ巻物にして、物語を書いた「詞書・ことばがき」とそれに合わせた「絵」を交互に並べて物語を進めていく、今でいう絵本にあたります。長い年月の間に、絵巻は絵の具が落ち、変色はなはだしく、そこで科学の力と画家の技をもって当時と同じような絵巻を再現したのが、今回展示されていました。絵巻の人物「女房」達の顔は一様に引目鉤鼻(ひきめかぎはな)と呼ばれる手法で描かれていました。絵巻はどの一コマも、屋内を斜め上から見下ろすように描いてあります。天井、壁、などを取り除きいて描いていました。面白い構図ですね、まだまだ疑問がいっぱいあるのです。のり付け衣装のこと、立像が全然なかったこと、等々ぼつぼつ調べてみましょう。とても とても疲れました。
2006年09月26日
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恒例の交歓大会が9月10日ビックウェーブ開催しました。私はこの度は参加しませんでした.なんだかプレッシャーに負け、ストレスが日々増してくるから辞退しました。でも、、開場に赴き応援に、雑用に、と微力ながらはせ参じしました。大会宣言(広島市スポーツ協会の人達)練習風景 一番感銘したこと身体障害者の方々のファイトには心がとても打たれました。大勢い参加していました。義足を片手にスタート台まで片足でピョンピヨン跳びながら位置についていました。スタート台に立つときも難なくピョッイと片足で跳び上がる、観衆は拍手!いっせいに飛び込んだその後には、各自持ち込んだ義足がポツンと残されていました。その義足、車いすは、素早くコーチまたは係の人が、ゴール点まで速やかに届ける。スイムキャップの色分けが可愛らしく、ピョコピヨコ跳びながら選手達は退場していきました。観衆は割れんばかりの大拍手私は涙が止まりませんでした。私も反省…大反省!
2006年09月12日
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余りにも幅広くて魅力つきない大作なので頭の中ぐちゃぐちゃに余韻がいっぱい、暴れています。舞台上には1本の白いライン これを「コーラスライン」ダンサー17人がラインに並んだ。役どころ演出家が姿を隠して、彼らに問いかける。物語はここから始まる。私はこれがキーポイントと、思います。『履歴書に書いてないことを話してもらおう。君たちがどんな人間なのか…』「コーラスライン」は、暗いステージに一筋の明かりが入ると、ダンサー達は後ろ向きで踊っている、ステージ向こうは鏡張りになっている。役どころの演出家が舞台前面に登場すると、ダンサー達は向きを変えて、今度は客席に向かって踊ってくる。このときのジャズ・コンビネーションには迫力があり圧倒されました。私は、このミュージカルは古くからのブランドもので固定されていると思っていたが興行先の国情、演出家、等々により新しい「コーラスライン」が誕生するのでは?と思いました。メークもしない、普段着のまま、照明効果なし、ほの暗い柔らかなスポット一筋、音楽には感激しましたね、単調なビートでしたが時代の風潮にピッタシ!
2006年08月26日
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早朝からラジオ体操に出かけました。以前から「全国巡回ラジオ体操が広島にやってくる」と、宣伝してあった場所は西区の広島陸上競技場であった。 友達と約束しているので横着はできない、起床は4時半、5時に出かける、バスがないので歩く。空港通りに近づくと各方面から団体さんが揃いのユニホームで集まっている。年齢層は中年以上が大半であった。お馴染みの体操であるが、気合いとユーモアを交えとても楽しいラジオ体操でした。
2006年08月20日
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私もあれから61年歳を重ねたせいか今朝の慰霊碑参拝は少し遅らして出ました。平和公園の早朝散歩はしょっちゅう歩いているコース!だけど、今回8月6日は心引きつるものを感じました。私が前日まで勤労奉仕で出かけた所は『材木町』慰霊碑のすぐ横辺り… 町名が刻んである石が建っています。いつもは、横目で見て通るぐらい、 今朝は違う!歩み寄って石の頭をさすって通り抜けました。一発の爆弾が何百人の友を瞬時に葬った処だ!と思いました。体全体、電流が走りました。夜は多くの犠牲者、戦没者供養のため「灯籠流し」がありました。それを両岸から見送る人、感じかたは、それぞれと思いますが、私は、ときには真っ赤に染まった死体が次々と流れているように見えます。月の光に照らされ一層無言の抵抗をしているように流れて行きました。あれから60年以上経っても現状を体験した私は一掃できません。
2006年08月09日
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朝、涼しい時間帯少しずつ練習します。今更気が付いたと言えばおかしいことですが、リズム感というものは理屈と全然切り離して練習しなくちゃーいけないんだなーと思います。基礎的なソングですが近頃はメトロノームを使って練習をしています。走ってもだめ、遅れ、ずれてもだめ、一フレーズ物差しどうりに…、繰り返し練習すると何とか…(#^.^#) 賑やかでかえって楽しくなるのです。いつまでもその機械に頼らずリズムの刻みを体に覚え込まして静かに練習すれば良いのでしょうがね~、テープにとり再生聞けば、ゴム紐のようで、伸びたり縮んだり、楽しんで明日も頑張りましょう。
2006年08月02日
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「日本外史」の完成を間近にして山陽の長男が不幸にして病死した。丁度居合わせている叔父、叔母とのすばらしい会話、慈愛の深さに心打たれた。いつまでも私の脳裏に張り付いて一層、興味を起こさせた山陽の言葉!「最も難しかったのは、『日本外史』を『日本外史』たらしめるに必要な一本の糸でした。じゃがその糸を、わしはようやく見つけたところなのです。」と、本日の小説は結んでありました。私は彼の苦境から見つけたものと思います。素晴らしいなぁー。さぁー明日も読もうぞ!。
2006年07月26日
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久しく休んでいましたが、またブログのお仲間に入れていただきます。ここ数年前から骨密度測定をしています。今までは、他人ごとのように思い余り関心が有りませんでした。私なりに運動を試み爽快に過ごしてきたと思います。ある日骨密度の測定を受け結果通知がありました。『腰椎の値がかなり低下してるから骨折の危険性があるので要注意』主治医の先生に相談しました。この様な状態は数年つづきました。今年、五月から思い切って新薬(カルシュウム)を先生指導のもとで服用することになりました。一口に服用と言っても複雑なこと、服用したり休んだり、カレンダーにメモらなければ忘れる。体調が悪ければ即、服用を休む。1周期は2週間つづきます。それから10~12週間全くクスリを休みます。私は今年になって既に2周期服用しました。又、8月中旬から始めます。嬉しいことにクスリの成果がでました。骨密度の値は同年代と比較して次のとおり増えてきました。 91.5% 92.5% 93.3% 95.0%いつも体調に気を配り、バランスのある食事をしたいものですね。クスリというものどんな危害が潜んでいるかしらね?
2006年07月24日
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世の中、サッカーW杯で沸きに沸いていますね、私はルールなどわかりませんが、小競り合いのときの技は凄いと感歎します。白熱はオリンピック以上と思います11人が一丸となり体の極限まで競う、美しい競技だ、の一言に尽きますね。日本がどこまで頑張るか楽しみです。暗いニュース多い現在、W杯サッカーに癒されます。
2006年06月10日
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先日、中国の桂林を中心としたツァーに参加しました。桂林は、「り江下りなくして、何も語れない」と、言われるぐらい山水画の風景一色でした。 り江下りは、り江の両岸に迫る奇岩の数々の景色が素晴らしく、中でも名の付いた奇岩のある風景は特に美しいのです。後は駆け足の観光でした。さすが、中国大陸だなぁ~、私がもっているイメ-ジが一変しました。
2006年05月14日
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三週間前に白内障の手術を終えた姉が突然来ました。眼鏡をはずし腫れぼったい顔面だったから、一瞬「誰だろう?」と思いました。 体調はとてもよく、相変わらず話し好きの人です。私も老境の身で白内障の治療については日頃から関心が大いにあるのです。『痛かった?、手術は何分かかった?、等々聞きました。』 姉は詳しく話をしてくれました。一番驚いたことは、 【オーロラの世界だったよ、 暗黒か灰色の世界で手術が終わるのでは?】自身、心配していたそうです。 心配は一変して何色もの虹が出てくるんだそうです、それが、ゆらりゆらりと形をかえ揺れるのだそうです。 「はい 終わりました。」先生の声、時間は約14分だったそうです。オーロラは美しいなと思ったが痛みについは、少しあったそうです。 白内障の手術は一度すればこれで永久に終了だそうです。以前私が聞いているのは何年か経つと又、視力が落ちてくるから、手術が必要だと聞いていたのですが?医療の道はもの凄く進歩したのでしょう。
2006年05月10日
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旅行友達は、4ヶ月ぐらい病気で休んでいます。どんなにか気力や体力が落ちているのでは?私は心配をしていました。しかし、案じているのは私だけで、心はとても明るくそれに、前向きに生活をしておられました。現在健康な私は、大いにみならはねばと、反省しました。
2006年04月25日
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風邪をひき2週間ぶりに水泳練習にいきました。まだ、喉が痛くプールに行くことを少しためらいましたけど、早く直したい…もし、こじれたら…だけど頑張って行きました。プールは私にとって非常に相性が良いのでしょうかトタンに元気がよみ返り気分ランランになってきました。
2006年04月20日
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今日は朝から雨が降ります。先日も雨の中合同追悼式がしめやかに行われました。 御来賓の方々が前の方におられました。遺族は(その後方)にいました。残念なことに県知事、市長、県、市議員殆ど代理人でした。献花の際に自衛隊音楽隊にて追悼演奏が静かに流れていました。雨に打たれて乱れる桜を見つめていれば、たとえ代読で挨拶等をされても感謝しなければ申し訳ないと反省したのです。 花見客も少なく比治山陸軍墓地はエンドレスで流れる演奏に包まれていました。
2006年04月10日
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私はなんとドジっ子なんでしょうね。(非公開日記)に書き込んだから記事が出てこない~、簡単にお話いたします。三刀屋川河畔のさくらトンネルこんな美しい桜見物初めてです。桜の後は、緑色の桜と知れる「御衣黄」が満開を迎え、ふたたび河畔は花見の舞台として、にぎわうことになるそうです。 三刀屋(雲南市)は伝説・遺跡が多く神話の国と言われています。中でも『八俣のオロチ伝説』は有名な話しです。(須佐之男命)が八俣大蛇を退治し再び生き返らぬようにと、その八つの頭を埋めたと、言われています。その一つの龍が公園に奉ってありました。 私は知らなかった。長崎で原爆犠牲者、永井隆博士は雲南地方の出身ということを、絵も描いておられたと云うことも知らなかった。記念館を見学して感銘しました。
2006年04月07日
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先日、ばら寿司を造りました。春らしく具も春を感じるものを入れたら?と思いまして先ず 蕗、筍、レンコン…などを、考えてみました。蕗についてどうにか、始末など上々に出来たと思いましたが具を煮るときにもっと考えておればよかったと、思います。又、あの薄緑色を生かしたければ、煮詰める事はいけませんね。グジャグジャになり溶けてしまいました。大失敗の巻き!近頃パソコンにむけて、いかがわしいメールが20~30件入ります2,3日溜まると莫大なる嫌らしいメールが入り困っています。それを、削除する場合先ず、タイトルを消去しますが、そのときゴジック字→普通字体に(自動)変わってから消去ボタンをクリックしたほうが良いと云うことが解りました。大げさですが私には大発見だと思いました。
2006年03月22日
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日立造船所にロケセットが組まれているので見物に行きました。全長の半分で実寸のセットです。 まず、船首をバックにして記念撮影。映画で見た様々な銃砲や器具、新兵さんが重い荷物を担いで登った急勾配の階段を仰ぎ見ました。広い甲板でドンピシャ、ガタガタと演じたこと身に迫ってきました。次ぎに遺品展示コーナを拝見して胸一杯になりました。 臼淵 磐大尉の言葉 進歩しない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ 日本は進歩ということを軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって 真の進歩を忘れていた 敗れて目覚める それ以外にどうして日本は救われるか 今日めざめずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか展示室の正面に大尉の言葉が掲げて有りましたメモって帰りました。
2006年03月13日
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先日、四国八十八ヶ所霊場巡りの一部分44番~47番に行ってきました。 44番は、杉木立の中に立つ荘厳な寺45番は、深山の断崖に立つ霊場46番は、仏足石など、ご利益石があり裸足で上がってもいいのだそうです。47番は、修検道の根本道場として栄えた寺 パンフレットにはそのように載っていました。しかし、余りにも忙しくてゆっくり味わうことが出来ませんでした。中でも45番(岩屋寺)の登山道の険しさに疲れました。又、3ヵ月先に遍路巡りをしようと思っています。
2006年03月06日
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あのつらい体験をして60年経ちました当時の状況を文章に現すことは、今回が初めてだと思います。HPに載せるよう指導のもとで(被爆体験記)を考え中です。60年前のことは殆ど忘れているのに、原爆に関して昨日のように鮮明に記憶しています。特に母との短い会話など心の中にずっしりと沈んでいます。現在の満ち足りた生活に感謝します。
2006年02月18日
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先日、尾道市立美術館において戦没画学生の絵を拝見しました「なぜ人間は生きるか。その答えが絵に潜んでいる。」「戦場に散った若き才能」「あぁ!5分でいいから描かせてくれ… 小生は生きて帰らねばなりません。絵を描くために…」開場はこの熱気で埋めつくされていました。どの作品も力一杯描かれ青春の息吹が溢れているようでした。個々に友人・達と拘わったエピソードが紹介されて実感に迫りました。私はずっしりと、何か重たい荷物背負った心になりました。
2006年02月06日
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先日、凄い映画を見ました。一大ドキメンタリー「男たちの大和」。周りの人たちはハンカチを手に泣きながらの観賞でした。私は終いまで『なんの勝利があるのかしら?燃料の補給路が絶たれたらどうする?』なぜ分からなかったかしら?結局はアメリカ空軍の総攻撃にあい東シナ海で沈む。でも、戦艦が沈んでいく様子凄かった。
2006年02月01日
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またまた、失敗!映画の大体の、あらすじや私の感想を随分と書かせてもらいましたのに途中で消えました。と言うのは或る作家のコメント記事がありましたから載せました。そこだけ太字で表そうと思い選択をしてアチコチとクリックしました。するとパット消えました。残念! 久しぶりに、時間をかけて書きましたのにねーなぜでしょうか?
2006年01月26日
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小雨の降る日に見舞いに行きました。病名は「椎間板ヘルニア」重症にもかかわらず、自分自身、骨粗鬆症のため手術が出来ないそうです。大の旅行好き人間。これまで何度も整形のお世話になっておられるのです。何の前ぶりもなくて、ある日くしゃみをした途端に尾てい骨に(ガーン)と響いたそうです。それから、歩けない日が続いているのです。二週間経っての見舞いでした。さぞ悲観してお先真っ暗な表情をしているだろう?と、私の方が心配をしていました。ところが、「元気になったら…温泉に行こうね…」の繰り返し…驚くような明るい童顔をしていました。反対に私が【耐える力】をもらって帰るお見舞いになりました。
2006年01月19日
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皆さんのブログを拝見して、内容がしっかりしているので驚いた。私なんか話題もなく、行動もなく、何でもいいから“いざ!書くぞ!”とPCを開くと頭の中は真っ白になる。娘達、姉妹の来訪に座ることが無いくらいの三日間、ピアノの練習が一番楽しい毎日です。といえばさぞかし?大間違いですよ、若い人の10~20倍の努力が入りますね。宿題をいただいてる曲は教会音楽で「主よ人の望みの喜びよ」J.S.バッハ曲です。とても譜面が易しくて、単調でダラダラとした、つかみ所ない曲、始め弾いて聴かせてもらいました。(なんて荘厳な曲だ)気に入りました。それが、難しい 集中力いることが分かりました。何度も言うようですが、音符、リズムは単調なのです。ヒャ~!今年初めての『日記』?やっと載せました。
2006年01月09日
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特別に日記に載せることは無いのです狭い家の中をウロウロしているばかり、早朝母の夢を見て起きました。夢だからつじつまが会わないのです。「私が母に一生懸命に電話を掛けているのですなーんの言葉もなくウーウー」と、だけでした。母は、何を言いたいのでしょうかね…夢だ、夢だ今日も前進しなくちゃあ~。
2005年12月29日
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12月17日の新聞に載っていました『平和公園でライトアートイベントを開く』と、称してありました。主催者(石井竜也さん46才)美術制作や空間プロデュース、愛知万博のプロデュースもあり活動は多岐にわたっているそうです。夜6時~9時まで繰り返し何度も音楽と映像を使ったアートで平和を世界に発信する…。小雪舞う地面に映し出すのです。彼が曰く「GROUND ANGEL」は、天使の舞い降りる場所を意味する。毎年各地で開き(次はニューヨーク)とも思ったが(何か違う)と感じた。彼曰く(広島こそ、グランド ゼロであり平和の聖地。世界が忘れてはいけない場所だから…。私はぬくぬくとして、テレビなど見ていたが気になり、小雪舞う中を行ってきました。シンセサイザーの寂しいしっとりした調べにじわりと、しました。芯そこ冷えました。
2005年12月22日
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何年習っても仕上げることが遅くて、ついに投函しました。有り難うございました。吾ながら上手く出来たと思います。何の社交もない私ですが40枚有りました。昨晩又、かれいの煮付けをしました。周りに白ネギを入れ薄味で一応煮付け火を切る前に酒、みりん、醤油で仕上げてみました。焦げ付きはしなかったが、白ネギが入っているため、主役のかれいは柔らか過ぎて美味しくなかったです。昨日午後から歯科に行き治療を(1本神経を抜く)受けました。 平和公園ひろばに於いて光・影・音楽でアートをだすイベントが有るそうですが…(新聞に載っていました18~25日まで18時~21時)寒くて見物にいかれませんねチャンスを狙ってるのですが…粗末なもの差し上げたなのに、お礼を言われ恥ずかしいですよ。
2005年12月21日
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昨日は仏舎利塔へ行ってきました長女からの誘いで、ずっと徒歩で行きました。いつも彼女は私を励ましてくれます。話す内容は何時も同じ、食事をしたりお茶を飲んだり、久しぶりに心休まる一時でした。そうそう、嬉しいことがあります。足下がふらつかないようですよ、山へ登るに全然気が付かず登りました。「あっ!いつの間にか登ったヨ…」ごく当たり前のことだが、頭がグラグラせず、歩かれたこと嬉しいです。
2005年12月15日
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私は煮魚が大好きだ、生きのいい魚を買ったので、今晩は煮魚にしよう!酔心で食べた味がとても美味しかったので腕によりをかけ煮付けしたつもり、ちょっと油断した、焦げ付く臭い、「あっ、真っ黒だー」と言うわけで焦げつき(2匹)食することはできな~い。恨めしくすぐ捨てた。油断ばっかりではない、濃度の割合と火力が黒こげの元だと、思う。恥ずかしいかぎり。
2005年12月10日
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水泳での会話…コーチが指導するのに2~3カ月まえに教えたことと、本日私に注意したことが、又大分違う、私は困る、めんくらうのです。大きく違うのではな~い、水の中でのこと注意される者には必至です。絶えず笑顔で指導されて雰囲気はとてもいいグループ。グループの一人にちょっと私は話しました(先生また違うことを言ってね?ずっと前はこうだったね?)と、話すと『「ハイハイと返事するんよネ~、よりよく泳ぐには《早く進むには》絶えず変化するらしいヨ~、先生らも講習を受てらしいヨ~、最終的には自分の一番楽で泳ぎやすいホームにするのヨ~。』こんなものですかね?このように聞き流せばいいのかしら?小さな地元での水泳教室での会話です。
2005年12月02日
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体調を整え、精神を落ち着かせて聴きに行きます2002年のチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門で女性初、日本人初の第一位を獲得したピアニストの演奏があります。(11月22日中国新聞説明)私にとって猫に小判ですが行ってきます。
2005年11月30日
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頼まれていた年賀状を(姉)本日印刷完了しました。サンプルとして5枚ぐらい印刷をして選んでもらいました。手書きのような わんちゃんです渡すのはごく簡単、すごくスピーディ、姉、曰く『まあ~早いこと』だってずいぶん時間かかりましたのにね、印刷するときも初めは出てこない、ランプは点滅するけど?印刷手引きを見てリセットボタンを押しました。(ガチャン)と音がして動き出しました。クリヤされていなかったのでしょうかね?先ずはめでたしでした。
2005年11月29日
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ずいぶんとブロクをさぼりました。取り上げるほどの事柄はなく毎日「何を書こうかしら?」イライラするばかり。恥ずかしいのですが、脳の鈍さを発表しましょう。先日来、賀状の制作に必至です。教師の指導を充分に受けています。「ハイ!分かりました」と、言って帰宅し、復習することかなりの時間、干支の保管をいろいろとしましたが、確かに保管されてるかしら?手順どうり(ファイル~開く~年賀)としますが戌の絵が出ません。あっこれだ!と思って開くと読めない字か、符号で出ます。半ばあきらめていましたが、もう一度挑戦しました。アイコンのマイドキメントをクリックし~年賀~を出すと沢山のファイル、写真、その他が出てきました。年賀用に保管した絵が沢山まとまっていました。先ほどからの干支がここに保管されている…よかった~♪ようやく干支入りの賀状が出来ました♪~。印刷に入ると又障害が出てくるでしょうか?
2005年11月26日
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ハンガリー舞曲集(全21番 時間60分)を聴きました。今回はたっぷり聴き入りました。神のお施しかしら?。2分~4分の小曲、21曲を一気に演奏!私は昔、ハンガリーの音楽それもジプシイーと呼ばれるロマの人々の音楽に強く魅せられていました。哀愁に満ちた旋律美、表現の起伏、はげしい情熱というものに夢中になっていました。きめ細かいビロードのようなうねり(バイオリン)音色のしたを、なぞるようにエネルギッシュに(ビオラ・チェロ)の音色、パーカッション等の小気味いい起伏。今夜は(17日)世界遺産イタリアが放映されるから何処にも出かけたくなかったのですがコンサートを聴いてすっかりと癒されました。
2005年11月18日
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先日姉が、なーと小難しい本を持ってきたな~、と思った。ペラペラ本をめくってみると一見くらい面白くない画が1ページ置きに載っています。画の説明も末尾に載っていました。【般若心経】美しい現代語で、科学的解釈してあるのです。作家は現在66才、日本を代表する生命科学者にして歌人、だそうです。本人、永年難病で苦しみその体験も載っています。こんな面白くない本なんか読みたくない…突っぱねていました。2回~3回目を通すうち(ふーんそうかぁ~、)と、肯定するようになりました。(チョッピリだけどネ)私、今では就寝前1ページくらい(聖書だと思って)目を通しています。
2005年11月16日
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今日は植物公園に姉と行くつもりでいました。雨降りだから急きょ取りやめ、一日中のんびりとしています。午前中はピアノの練習をゆっくりとし、合間を小昼寝?しながら、『小さい秋をみつけた♪』童謡を、やっています。技巧でトリル(トロトロトロ……)を要所にでます。なかなかスムーズに弾けませんよ、頭が老化しているのでね…これが個人の唯一の楽しみです。
2005年11月06日
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今度は簡単に書きます。一度目・先日、武蔵美芸術祭に行った時の感想を詳しくかつ、面白く書きました。思い切り感想も書きました。残念なことにどうしても入っていません。【登録する】をさいごクリック完全にしたのに、記事が載っていません。2度目これは、読み返し付け足し、訂正などするうちに消えました。 この記事も芸術について私なりに書きましたのにね、非常に残念です。ブルグは慎重に扱わなければいけませんね。
2005年11月01日
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私は、泳ぎの中で一番ニガテなのは背泳ぎです。どうしても体が沈みます。顔は甲板の上を水で洗ってるようになるからです。でも、近頃は大分顔が浮くようになりました。コーチ言うには「肩~首筋に力をぬいて、 腰を引き締め、お腹をそらして…」まだ沢山言われる。と、注意されること○○ねん。背泳ぎばかり練習ならば、後が大変ダメージ甚だしいですよ。いくら苦しいからといって『一抜けたぁ~』は出来ません。
2005年10月27日
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二胡奏者 姜 暁艶さん(中国大連出身)ゲスト数人を交え(特に広島にはお馴染み)豪華絢爛に演奏会が繰りひろがり私たちは、すっかりと魅了いたしました。音楽は直接心に訴えかけてきます。時には言葉以上の説得力を持ちますね、姜さんは、二胡を通して様々な想いを私たちに送り届けているようでしたね。ゲストの一人 原田康夫さんは複数の楽器の伴奏によってオペラの曲などを独唱されました。これまた凄い声量で、スペインのグラナダを歌いました。私にとって、久しぶりにヨーロッパの雰囲気を感じましたよ。最後にアメイジング.グレイスの合奏、姜さんを中心で熱演!もともとはイギリス人の作詞で黒人霊歌で、賛美歌の一つだそうです。グッ…と、きましたね、白いうなじの姜さんブラボー!!
2005年10月25日
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元安川の土手を散歩中気が付きました。近頃は何でもアルハベットの頭文字で「○○○センター」と、言った具合に看板や、建物に書かれていますね、初めは気にも留めていなかった。中電病院の横にかなり大きな建物があります。「PETセンター」と書いてあります。あれなんだろう?『誰でも解るように日本語で書いたらいいのにねえ~』私は友達にそこを通る度に、いいました。友はさぞウルサカッタでしょう。辞書で調べはしたものの、医療器具、医療装置・全然解りませんでした。朝刊を漠然と見ていたら『がん早期発見 PET検査』として詳しく説明が載っていました。広島市内でも、今夏導入された最新鋭のPET-CTを中心としてがん検診が行われているそうです。最新機器として注目を集めているそうです。新聞には大分大きな記事がでていました。うれしかった!!又明日から頑張ろう!
2005年10月19日
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我が家には小さな水槽が2つでメダカちゃんが約30匹います。日当たりがいいので半日は日が当たっています。水がすぐ緑色に変わってゆきます。水換えを1週一度にしています。結構私にとっては、癒しの相手ですよ、拡大鏡を片手に水槽の横に横たわるのですよ、そして私のひとりごとが出るのです。大きなおなか、スマートなメダカ、可愛いめでかちゃんよ、ただ一つ、根性があるみたい、見開いた黒い目玉、キョロキョロせず頑張ってるね。
2005年10月18日
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プールの水替えなどで水泳は1ヶ月ぐらい休みでした。休むと体が重くて力が入って水に乗ることが出来ませんね、午後は疲れてだらしなく昼寝…何でも休むとダメですね、こつこつ積み上げの大切さが分かります。この道理は全てに当てはまり、健康なかぎり頑張りましょう。
2005年10月13日
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6時~れいの川土手の散歩(元安川)を1時間くらいかけてしました。とっても雲の流れが綺麗でした。うろこ雲、(さば雲?)朝日に映え、ほんのりピンク色に染まっていた。流れゆく雲を指さし、会話しながら散歩するカップルもいました。早起きは3文の徳?正にそうですね。
2005年10月10日
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先日演奏会がありました。私にとって超目玉(期待)の曲『メンデルスゾーン・バァイオリン協奏曲ホ短調』です。個性のあるエネルギッシュな奏法で世界的に名の知れたアーチストだそうです。会場、真ん中ぐらいで申し分ない席です。曲たけなわとなり、泣かせどころのメロデイにさしかかって肝心のクライマックスが聴こえませんでした。弓のさばきで主旋律はよく解ってはきたのですがソロのバイオリンノの音色がはっきりと聴き取ることができませんでした。昔、CDで、幾度となく聴いた曲です。思い出の曲です。このことを、ピアノの先生に話しました。ボヤける人がいないから…、先生曰く、CDの録音はまた格別に録りかたが違うのよ…と言いました。しまった!もう一度前のほうで聴きたい!お聞き苦しいことを言いました。
2005年10月09日
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