たぬきぶたの日記2

たぬきぶたの日記2

最終日 宮崎以北



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最終日 宮崎以北



昭和47年8月3日

いよいよ最終日です。家を離れてすでに6日です。

高校生が自分の趣味で家を離れることがあっても、せいぜい2、3日でしょうか。

修学旅行でも4、5日ですね。金も乏しい中で、たった一人で1週間近くを過ごすには

そろそろ限界ですね。無性に帰りたいと思うようになりました。

この日は宮崎の北を写します。勾配区間がないので、煙は期待できません。

延岡行きのC57に乗り込みました。下りたのは佐土原だったと思う。



一緒に乗り込んでいた若者がSLを写しに前に来ています。

僕はここで発車をねらいます。



駅の構内では電化に向けての架線工事が進んでいます。

まだ架線は張られていませんが、そのうちにSLが消えていくことでしょう。

自分がのめり込んだSLが消えていく。なくなっていくのです。寂しいです。

撮影しながらも心は晴れません。寂しさを紛らすようにシャッターをきっていました。



構内に架線用のコンクリート柱が立ち始めました。近代化が老兵を追いやって行きました。



D51のボイラーにC57の足回りを付けたようなこのC61にはここでの仕事は

役不足でしょうね。かるがると貨車を引っ張っていました。



この鉄橋の場所が特定できません。どこなんでしょう。

左に現像時の失敗で光が入っていますが、この作品にはこれも愛嬌かなと思えます。

運転席下の従輪が1つと煙突が長いのでC57ですね。



これは朝なのですが、なんとなく夕暮れのような感じがします。



日が昇って逆光がきつくなってきました。C61が長い貨物列車を引いています。

先輪が2つ、動輪が3つ、従輪が2つシルエットで分かります。さっきのC57とは

違いますね。



河口を下って線路の構図を考えます。ちょうど流木があったので、これを入れたら

面白いかなと思いましたが、自分で感動したほどではなかったですね。




う~ん、なんとなく自分が疲れているのが分かるような作品です。




南国のきれいな空だった。長い鉄橋を分かるように写せばよかった。

何枚も写せるような長い鉄橋だったが、僅かしかシャッターを押さなかった。




この8600形式のSLはどこの路線で運用されていたのだろう。延岡からは

高千穂までの路線があるが、その昔は日之影線といって、もう少し手前までだった。



南延岡機関区の扇形車庫とターンテーブル。フィルムはこれが最後でした。

持って行ったフィルムは全て使い終わった。現地で追加のフィルムを買う金もない。

もう十分写したよ。今度は高校を卒業してから来ることにした。その頃には

見ることのできないSLがいるだろうなあ。何番が生き残っているだろう。

さらば、宮崎。長いようで短い1週間だった。



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