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ようこそ、お越しくださいました。 随分とブログのアップをさぼっておりました。 11月の旅先からのアップ以来です。 旅は、あれからも温泉巡りを楽しんでいました。 長野市周辺から白馬村へ、そして新潟県妙高の池の平温泉、そして野沢温泉へ。 野沢温泉は10を超える共同浴場があり、無料で楽しめます。 でも、入口に賽銭箱のようなものが設置されていて、数百円の寸志を入れさせていただきます。 地元の方や観光客の為に地元の有志が管理して下さっている。 有難いことですね。 野沢温泉の共同浴場の湯の温度は割と高く、熱くて入れない所もあります。 まあオフシーズンだったせいか入浴客はほとんどいなかったので、適当に水を入れて入ったけど、薄めすぎちゃあいけないと思い、我慢できる温度で水を止め、息を止めて入りました。共同浴場の大湯足湯にある張り紙。これって、やった人がいたんですね。 あっちこっちの湯を楽しみ、一週間くらい滞在していたか。 温泉郷の中央付近に無料の駐車場があって、そこに車を止めて湯めぐりを楽しみます。 ここは、車中泊禁止という看板が入口にある。 過去に、こうせざるを得ないようなことがあったのでしょう。 後の為に、最低限のマナーは守りたいもの。 ということで、宿泊は野沢温泉から車で10分程度の「道の駅 千曲川」。 ここのレストランの食事もうまかったな。 産直の売り場では、今が旬なのか野沢菜と山芋が毎日大量に売られておりました。 安くて新鮮なので、ついつい買いたくなってしまうのですが、荷物が増えるのは困りものなので、そこはぐっと我慢。 スーパーマーケットが隣接していて、キャンカーでの自炊の買い物もできます。 ここで、あんまりのんびりし過ぎていると、これからの予定もありますので、重い腰を上げました。 野沢温泉から、例年訪れている旧中山道へ。 奈良井宿、妻籠塾、馬籠塾とまるで江戸時代にタイムスリップしたような道を歩きます。 好きなんですよ、この道が。 錦秋の中を歩きます。 後、どれくらい、あと何年、あと何歳まで歩けるか、旅ができるか。 足腰だけは、しっかりと鍛えておきたい。 幸い私は歩く、走るが好きな方なので、今はそこそこ自信はあるけど。 昔から、文武両道とはよく言ったもの。 文は知識を増やすことのみならず、その中から「精神性」を高めることと思う。 武は運動で体を鍛え、地震も天が作りたもうた自然の一部として、生かされている天に、周りの一切に感謝しながら生を楽しむという「神性」を高めることに思われる。 こうして考えると、私の「旅」の意義とは何か。 以前は、旅とは「自分探し」だと思ってた。 俺は何のために生まれたのか、どこに向かって生きているのか、否どこに行きたいのか、・・・ でも66歳にして、「自分探し」は一段落した感ありで、で、どうなの? 今思えることは、「感謝探し」と言ったらいいのかな。 ややもすると、自分一人で生きてきたかのような考えが無意識にこみあげてきてしまう事がある。 そんな自分に、「ガツーン」と鉄杭をぶちかまして原点に立ち返るきっかけを作ってくれるのが「旅」かもしれません。 「旅」は、非日常の極みです。 日常から大きく隔たりを持たせて、己を見つめることの美しさに身を浸すことができる事に心から感謝しております。 今朝は大寒波のせいか、予報ではー6度らしい。 でも、島はそれより4度くらい温かです。 今の室温は、薪ストーブのせいで18度。 これまた有難いことです。
2017.01.15
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ようこそ、お越し下さました。人で混み合う湯布院温泉に別れを告げ、そこから車で20分くらい離れた、知る人ぞ知る湯治場、湯平温泉に移動した。同じ湯布院町にある温泉だけど、その歴史はお隣の湯布院温泉よりも古く、伝承では鎌倉時代に始まるとされている。戦前は、別府温泉に次ぐ九州で第2位の入湯客を誇っていたらしい。私達が行った時は、朝早いせいもあったのか、とても静かな温泉場で、観光客はあまりいなかったな。共同浴場「金の湯」温泉入口にある無料の駐車場に車を止め、早速お風呂セットを持って散策に。目指すは、共同浴場。ここの共同浴場は5件あり、すべて無人で入口の箱に入湯料200円を入れる。浴槽には真ん中あたりに30cm位の幅の仕切りがあり、湯口側が熱め、片方が温めとなっていて、熱めが好きな私としては、迷わず熱めへ。う~~む、45度はあろうか、いささか熱い。でも、とっても気持ちがいい。他にお客さんがいないため、貸し切り状態。隣の女湯にいるカミさんと話をしても、何ら差支えない。温泉街?は、石畳のメインストリート?をずっと坂道を登って行く。賑やかだった過去をしのばせるあの有名な種田山頭火に歌碑があった。「分け入っても 分け入っても 青い山」私の好きな句だ。九州に入って感じたことの一つに、九州の身近にある山は高い山々が多いことだ。出身地の熊本から托鉢の旅に出て、真っ先にぶち当たる九州山地だ。この高く深い山々を、山頭火は嬉々としてこの句を詠んだのか、どこまでも続くつらく厳しい深い山に萎える心がこう詠ませたのか・・・やはり、大自然の中に身を置く歓喜の叫びかも知れないね。この日は、石畳の道を上まで行って、そして降りてきてもう一軒の共同浴場に入らせてもらった。
2016.01.17
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ようこそ、お越しくださいました。そろそろブログのアップを考えておりましたところ、昨日からパソコンの調子が悪くなっちゃって。今、タブレットで書いておりますが、ペンションの宿泊予約の問い合わせメールも確認できないでおります。当方への連絡方法は、タブレットのアドレスへおねがいいたします。Seikoudoku.kenji@gmail.com
2015.07.01
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ようこそ、お越し下さました。旅も、25日になろうとしております。早朝の「道の駅琵琶湖大橋米プラザ」からの朝焼け私の朝は、毎日暗い内から起きていますので、その日の夜明けを迎える時が楽しみの一つとなってます。だから、このような朝焼けが見られる日は、「又今日も、素敵な一日が迎えられる」と、思わず手を合わせてしまいます。この日の予定は、比叡山です。世界遺産である観光地は、この時期は紅葉と相まって大変な人出となります。こんな時は、朝の開門と同時に寺内を廻らないと、とんでもない人混みに遭遇してしまいます。そして、出来れば11時頃までに切り上げること。これを過ぎると大変なことになる。それからはランチをいただき、キャンカーで昼寝を楽しみ、夕方前に温泉に身を浸し、夕食の買い物、そして泊地へ。こんなのんびりとしたペースがいいみたい。さて、比叡山延暦寺。平安京では陰陽思想である鬼門の方向に、京を守護する比叡山延暦寺が建てられたとされています。それを日本天台宗を確立するために任されたのが、ご存知の伝教大師最澄ですね。最澄は、空海と共に共に渡って経典を数多く集め、日本に持ち帰った僧ですね。ここに、「不滅の法灯」という、1200年間消えたことがないとされる法灯があります。しかし、織田信長の「叡山焼き討ち(440年前)」の際には「不滅の法灯」は確かに消え去っているのです。何もかにも火を放たれて灰塵と帰したからです。なのに1200年も受け継がれているということは、法灯は分灯され「立石寺(りっしゃくじ・山形県山形市山寺)」で灯し続けられていたのです。その後、立石寺のお灯明を元の延暦寺に再分灯されたと言われています。比叡山東塔の中心となる根本中堂です。「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」とは、最澄の有名な言葉ですね。一隅(いちぐう)とは、今、あなたがいるその場所。自分の置かれている場所で、ベストを尽くして照らす。あなたが光れば、あなたの周りも光り、その小さな光が集まって、日本を、世界を、やがて地球を照らそうという教えですね。お釈迦様が言われた「自灯明」という事でしょうね。この生き方は、ある意味で「自分を無くす」ことから始まり、その中に「自分を見出す」ことに終わると考えます。3次元社会の制限のある世界で、「自分を無くす」あるいは「自分色を薄める」ことが、仏教の修行の根幹をなしているとも言えましょう。その道は、果てしなく遠いと思われましょうが、まず一歩から始めたいね。
2014.11.23
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ようこそ、お越し下さました。台風の影響で、久しぶりに涼しい朝を迎えました。瓦礫撤去作業は今日はお休み。のんびりとした時間を過ごしております。津波で多くの方が亡くなられてから、このブログでも「肉体の死」について何回か取り上げるようになりました。島の方たちは、その多くが本土の港近くに居を構えている人がいます。その中で、家族や知人を亡くされた方もいます。瓦礫撤去の作業中、休憩の時の話題は、やはり津波の話が多いみたい。私は、あまり話の中には入らず、端っこの方でハエ叩きをやってたりして・・・(笑)津波に流されて亡くなった人、九死に一生を得た人。それぞれのドラマがありますね。明治維新になって西洋文化が入る以前、日本人の多くは輪廻転生を信じていました。インド、中国より伝来した仏教は、基本的には輪廻を教義の一部としてきましたね。仏教伝来以前から定着していた土着の宗教観は、生まれかわりを強く意識していた。仏教の中でも浄土宗を開いた源信の著した「往生要集」には、地獄の恐ろしいまでのリアルな様子を表現されていて、地獄に生まれ変わらないようにするにはどうしたらいいかを説いています。そして、肉体の死後、浄土に生まれかわれるようにするためのガイドブックでもあります。曹洞宗といった禅宗では、「輪廻はあるとも言わないし、無いとも言わない」とした宗派もあるようです。輪廻の概念は、「死」は終わりであり、始まりでもありました。西洋文化が取り入れられるようになってから、「死」は敗北であり終わりとされるようになってきましたね。どうであれ、死んだら負けで、生き残った方が「勝ち」というふうにね。キリスト教では、輪廻は無いとされているようです。だから、西洋人のほとんどは、死んだら終わりという概念を持っているようです。「死んだら終わりだから、生きている内に・・・」という、個人の生涯をあまりにも短絡的な視野で見てしまいがちになりますね。短期的視野で物事を進めれば、未来を度外視した深刻な環境問題や快楽主義的諸問題が蔓延してしまいます。今の世の中を見てみれば、如実にそれを物語っていますね。原発だって、今の電力、今の経済ばかりに論点を向け、国家100年の大計として論じていませんね。「肉体の死」は、次の生の始まりという考え方をすれば、安易な「生」を送る人は少なくなるはずです。どういう生き方をしたかにより、次の生でその清算をするという因果律の法則を考えれば、「誠」に生きられるのにね。明治維新から、西洋に遅れを取り戻すように近代化に力を入れ、更には第2次世界大戦で敗戦を経験し、焼け野原から経済大国となるまでしゃかりきになって物質的豊かさを追いかけてきた日本。その代償として、われら日本人は何か大切なものを置き忘れてきてしまったようですね。今生は、輪廻転生の最終章と言われていますが、それは3次元の地球でのこと。今までは、死んで再び地球に生まれ変わってやり直しができました。それが、今生では無いという事。そう、地球そのものが5次元にアセンションしてしまうから。だから私達は、地球と一緒にアセンションするか、その人にふさわしい地球以外の新たな3次元の天体に転生して、再び数億年?という学びの歳月を過ごすことになるようです。日本人の培ってきた、魂は永遠だとする輪廻思想は、豊かな人間を作り出す大切なイデオロギーなのですね。この世に生を受けて親に育てられた後、自立してからは生活のために必死になって生き、ある程度は豊かになってから余裕ができ、その時にその後の人生をどう生きるか考える時が来ます。その時に更なる物質的豊かさを求めるか、精神の豊かさに魅力を感じるか、更には来世を意識して魂の浄化に向かって生きるか、何を選択するかを問われます。死ねば終わりとする考え方は、来世を意識しない生き方になりますね。誰でも、どういう生き方が美しいか、心の奥では解っているのです。利害得失を超えた、人としての美学です。それを、行動に移せるのは、輪廻思想が根底にあるかないかは大きいと思います。この時期に、日本人として生きているという事実は、以前から大変重要だと言ってきました。まさに、宝くじで1等を当てるよりも狭き門なのにね。3次元の集大成としての今生で、物質的豊かさも謳歌し、大和民族の根底に流れている輪廻思想に基づいた中で今を生きようとしています。何と、稀有なことなのでしょうか。とかく現代では、形而上的(けいじじょうてき)話題に触れると、何か変な宗教に傾いているといった評価をされがちです。「人は何で生まれて、どこへ行くのか」「神は存在するのか」といった、五感では言い表すことのできないテーマを形而上的と言いますね。私のテーマは、もっぱらこの世界。いくら儲かっただの、美味いものを食っただの、全く興味はありません。そんな3次元的なものが蔓延している中で、自身の心の芯棒を何に委ねるかが大切と思われます。植物が光を求めて成長するように、人間も「ひかり」を求めるものなのですね。どうか、日本人として生まれたこのチャンスを生かしてほしいな。
2011.07.20
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ようこそ、お越し下さいました。被災から2週間がたちました。先日、本土の被災地より島の方が豊かだという事を書きました。島の各家々には、大型の冷凍庫を持っています。食べきれない魚や、いっぺんに採れる山菜や海藻類を冷凍保存するためです。その冷凍庫の中の食品を、少しづつ持ち寄って避難所の食卓に上ります。時には、カツオの刺身、遠洋漁業で外国に行っている身内から送られてきたマグロのブロックも、食べさせていただきました。そして、畑もやっていますので、少しの野菜もあります。我が家からも、手作りベーコンなんかを提供させていただきました。助け合うことの大切さを学ばせていただいています。送られてきた支援物資と合わせて、炊き出し当番を決めて作る。ありがたいことです。でも、そのことは、“今までは”という事です。そろそろ冷凍庫の中も底を尽きてきます。支援物資の備蓄もきっと島民で配給したとしても、4日分くらいしかないのかな。長期戦にならざるを得ないとすれば、食料は大きく不足です。島にはお店もないしね。支援物資という形でヘリで運んでもらわないと苦しい状況です。将来の見通しは、はっきり言って暗いかな。でも、この与えられた試練を明るく元気に乗り越えることによって、この先には大きなご褒美が待っていることと確信しています。大切にしていた人や物を強制的に手放され、物質的なものへの執着を解き放つ時と考えます。この不安と怖れを解放できた時、そこには新しい世界が待ち受けているのだと、心から信じている私です。だから、希望を捨てず、希望の灯をともし、自らを「自灯明」(じとうみょう)自らを明かりとなし、周りを照らせる、そんな人にならなくてはね。もしかして、今夜から電気がつくかもしれません。今、東北電力の電源車が到着、工事中です。島は、復興に向けて一歩一歩進んでいます。
2011.03.25
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ようこそ、お越し下さいました。少しずつではありますが、状況の把握がなされてきています。網地島での家屋の全壊、もしくは今後の使用は不可という家屋が長渡地区約25棟、網地地区で約15棟程度となっているようです。それは、海浜地区に集中しております。現在の通信手段は、自衛隊から貸与された緊急用の衛星電話、個人の携帯電話は少しづつ使えるようになってきました。(繋がる時間帯と場所が毎日変わりますが)我が家の損傷は、お客様用のダイニングルームとして3年前に建築した建物が、傾斜地の為か、地盤が50CM位陥没し、コンクリートの基礎が大きくずれて建物が傾いてしまいました。母屋では、海に面した大きな窓ガラスが飛ばされて破損、ペンションでの評判が良かった器が多数壊れました。よくぞ、この程度で済まされたと、胸をなで下ろしております。電気、水道、電話といったライフラインは復興のめどはついておりません。朝、コップに1/3位の水で、歯を磨きタオルを濡らして顔を拭いております。3月17日に島に渡って、家のことで初めにやったのはトイレを作ること。ストレスで我慢したりして便秘になってはまずいので、せめて現状で快適?にいたせるよう、その辺の廃材で物置に洋式便器風なるものを作りました。下には、発泡スチロールの箱に砂を入れ、その都度砂を入れ替えるという方法。まるで、猫ちゃん風ですね。お風呂は、この12日間で1回入りました。雪が降って溶けた水を貯めてね。見た目は濁ってはいますが、髪の毛や体を洗うには十分です。さいとうたかおのコミック「サバイバル」そのものといった感じ。毎日、飲料水と台所で使う水を汲んできます。島民の分も、汲んできます。数件の屋根を壊された部分の修理もしました。島民の不安を解消できるって、何とありがたいことか。本当に、「させていただいて、ありがとう」といった感じです。多くのコメントをいただきましたが、お返事ができず申し訳なく思っております。私のノートパソコンのバッテリーが持つ間、電波を探してほっつき歩き、たとえ繋がっても自分のページを確認するだけで精いっぱい。返事を書いてGO! チロリ~~ン 切れましたという場面が数々。でも、電波も少しづつ改善されているようです。そろそろ、写真も張ってみようかと。でも、日中と暗くなる前の勝負だからなかなか時間が取れないのも事実。日中は、島民の食事当番や、ヘリで運ばれてくる救援物資の搬入やらで、結構忙しい。来て下さる方々の、熱い思いは十分感じております。それが、大きな想念というエネルギーになって私を後押ししてくださいます。幸いにして、島の方々の波動は高く、自分さえ良ければという考えの人は皆無です。だから、お年寄りのそういう健気な思いに何としてでも答えなければと思うばかりです。どうか、ここに来て下さる方々の、熱い思いをもっともっといただきたい。この網地島から、被災地を変え、日本を変え、世界を変えられるような、そんな波動を発することができたらいいな。
2011.03.23
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ようこそ、お越し下さいました。多くの方にご心配をおかけしております。私は、カミさんと一緒に那智勝浦のホテルにいます。島の家族や、島外の私の家族の消息は昨夜にようやく連絡がついて全員の無事を確認いたしました。昨日は、熊野古道の大雲取越えをしておりました。熊野三山の那智大社から熊野本宮大社に至る、比較的険峻な古道歩きです。午後5時頃に下山して、バスで新宮経由那智駅に帰ろうとしてバスに乗り込んだところ、運転手さんに地震のことを聞きました。震度7だという事、津波が10mという事、町が壊滅状態だという事、・・・ちょっと、びびりました。電話が通じない、バスに乗り込んだはいいが、新宮駅に続く道は津波警報のため遮断されている、新宮駅に何とか近づき、JRは運行されていないという事を知り、タクシーに乗って那智駅へ、那智駅の前の道の駅に駐車している車に乗り込みホテルへ。常日頃、何が起こってもおかしくない地球、何が起こっても平静を保ち、心安らかに・・・と覚悟をしてきたつもりでしたが、やはり、少しは動揺するのですね。ホテルに帰り、情報を集めてみると、道路の閉鎖で島には帰り着くことは難しいという事を知りました。やっととれた島からの連絡で、ライフラインは寸断、家屋の破損、道路の寸断という事を知りました。我が家では、津波の被害はないとのこと。やはり、島は津波がクルッと巻いて逃げてしまうというのは本当のようです。朝5時から炊き出しに出ると言っていました。島の状況を知ると、安全と思われるホテルで待機しているというのは辛いです。一時でも早く島に帰り、何かしたいという想いは募ります。明日朝、とりあえずどこまでいけるか・・・行ける所まで行ってみようと思います。
2011.03.12
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ようこそ、お越し下さいました。一昨日から、一人暮らしをしています。いえいえ、追い出されたわけではありませんよ。(笑)家族みんなが5日間の旅行に行ってしまって、私一人が留守番をしています。それぞれの価値観で、好きな時間やお金の使い方を楽しむのが我が家のやり方。一夏に稼いだお金は、その年のオフに全部使ってしまうというのが面白いですね。将来のために貯金をしようと、だれも思わないのですね。口では言うのですよ。「何かの為に、少し貯めようよ。」とね。でも、誰もそれをやらない。まるで、将来には全くリスクなんて在り得ないと思っているかのよう。実はそうなんです。しっかりと、天に見守られているから安心なのですね。20代半ばから会社経営をして来て、お金ほど頼りがいがあるようで実は、そういう実態は何もない事を私は知っているから。私の家族も、それを傍目で見て知っているからなのかな。さて、楽しい一人暮らし。普段と違う事は、食事を作る事。お客様にお出しする料理とは違い、自分で食べるものを作る。メニューはいたってシンプルです。特別なものは、いらないですね。でも、家族のみんなはいろいろなものを用意してくれています。ありがたいですね。昔、禅宗の道元禅師に傾注していた頃、「五観の偈」というのを思い出しました。これは、食事訓とも言って、禅宗の寺で食事前に唱える偈文(げもん)です。それは、5つからなっていて、端折って訳すと一つは食べ物がここに来るまでは、いろいろな人の手によって運ばれることへの感謝。二つには自分の徳が足りないのに、食する事が出来ることへの感謝。三つには食べ物に対して貪ったり(むさぼったり)厭う(いとう)事はしない四つには食べ物は、天地の生命を宿す良薬と心得る。五つには仏道を成就する為に頂くことを誓うとなります。詳しく知りたい方は、こちらを参照して下さい。ウィキペディアよりこの中で、私が気に止めているのが一つめです。ご飯で例えるなら、今食べようとしてご飯は、生産してくれた農家の方の苗造りから田植え、草取りから稲刈りまでの世話があって生産され、勿論太陽や雨、気温といった自然からの恵みは無視できません。米を運んだ人、売っている店や人、ご飯釜を作動する電気を生み出す発電所や送電線、取り上げたらキリが無い位、この目の前のご飯はあらゆるところからの恩恵を受けて、ここに湯気を上げておいしそうに存在している。それを、自分のお金で買ったのだから何をしたってお構いなしという風に思う事は冒涜ですね。美しい食事の在り方ってどんなだろうって考えます。それぞれの人の美意識の在り様で表現すればいいのですね。只単に、お腹を満たし生命を維持するためだけに食するのではなく、食という行を通じて宇宙の真理に触れるというのが食事訓です。だから、米一粒、野菜一切れにも喜びと感謝を忘れてはいけないという事なのですね。こういう事を、頭ではよく理解しているくせに、時たま感謝の心を忘れてしまう自分が恥ずかしく思ってしまいます。感謝の念は、形ではありません。心で、手を合わすこと。それは、いたって素朴に「ありがたい」と素直に思う事なのでしょうね。私の場合は、何かの宗教宗派に所属していませんから、元気な明るい声で「いただきま~す!」と言うだけです。勿論、心の中でしっかりと手を合わせます。今更ながら思うのですが、感謝の心というのは万能薬的働きをするのですね。感謝の心がふつふつとこみ上げていれば、文句を言ったり不機嫌になったりはしませんね。「ありがたい」と思っていると、自然と笑顔がこぼれ、周りに気を配れます。「ひかり」を流せます。自我が抑えられ、統合意識の見地に立つ事が出来ます。もう一度原点に立ち返り、食という行を通じて「美」を見つめてみたい。食っちゃあ寝、食っちゃあ寝のロンちゃん。「にゃーー」と泣けば、ご飯はもらえるという絶対的安心があるのですね。統合意識に立つと、必要なものは必要な時に、必要な分だけもらえます。その事を、ロンちゃんは教えてくれてるかのようです。-----*****-----*****-----*****-----昨日と一昨日の二日間で、2台のエンジン草刈り払い機と、2台のチェーンソーがいかれてしまいました。それまで、何の問題もなく動いていたものが、突然エンジンがかからなくなってしまった。こんな事は、18年の島暮らしの中では初めてです。2台のチェーンソーは、薪作りの為に毎日活躍してくれていたもの。いたって快調だったものが、突然???島の人が、機械の調子が悪くなると、修理の為に私の所に持ってきます。それくらい、そこそこの知識と経験はあるつもりなのですが、全く原因不明です。映画の中で、UFOが近づいてくると、車が動かなくなったり、電気が止まったりという場面がありますよね。それとも、満月だからか???少しは休めという事か???秋色の実を付けた紫式部
2010.10.23
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ようこそ、お越し下さいました。早いもので、すでに11月なんですね。毎年の事ですけど、この季節は別のことで忙しくなります。それは、冬に向けての越冬対策です。シ-ズンが終わり、一段落するのがこの時期で、「さて、そろそろやるか!」てな具合で始まるのが薪作りです。切ろうとしているこの木は、元が60cmくらいあります思った方向に木を倒すことは、結構技術が要ります。木の素性からすると、画面右奥に倒れるものを、ワイヤーとウィンチで引いて作業のしやすい方向に倒します。(そう言えば私が画像の一部に写っているのって、初めてかも友人が撮ってくださいました。)作った薪は、2台の薪ストーブと、お風呂用の薪に使います。そうそう、今年から薪ストーブが1台増えることになりました。古民家の改築を手掛けていますが、そこの一部をアトリエにと考えています。ステンドグラス製作の工房です。結構広いアトリエになりそうなんです。20畳くらいかな。観光客の人達にも、数時間で完成できるくらいの小品のステンドグラスの教室なんかもいいかなーと思っています。来年からは、OFFはここでステンドを製作していることになるから、その暖房を薪ストーブでと考えています。石油でまかなうとなると、経費が大変ですからね。木や天然素材に触れるということは、言わばグラウンディング(グランディング)の一つと考えます。木や天然素材は、日の光をたっぷり浴びて、大地にしっかりと根ざして地球の中心からのエネルギーをしっかりと貯め込んだ、言い換えてみれば“神の文化”“神の作品”と言えるでしょう。(もちろんここで言う“神”は宇宙創造の大いなる存在ということですね)宇宙からのエネルギーは、太陽系を超えた銀河系のセントラル・サンからの癒しのエネルギーをもたっぷりと蓄えていると言えましょう。だから、その作品にかかわるということは、エネルギーのラインがストレートになり、非常に居心地の良いリラックスした波動を取り戻すことができるのでしょうね。このことが、「地に足がついた」とか、言われるのでしょう。島は、まさに天然ものオンリーです。そして、我が家も木造建築、というより木そのもので作ってあります。だからか、心がささくれ立つことはありません。いつも穏やかで、平らで居られます。「木の文化」は「神の文化」。こんな生き方ができるのも、何かのご褒美なのかもしれませんね。何かって?きっとそれは、“天”の意思、あるいは“宇宙の真理”とも言うべき“調和”に生きていることなのでしょうね。秋は、アイナメの刺身がうまい。これは、アイナメの焼き霜造りです。皮付きのまま、皮目に熱湯をかけて、すぐに氷水で冷やします。(左手前はスズキ、中央は銀鮭、右奥はホッキ貝です)器は、益子焼河原窯の逸品です。
2009.11.06
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ようこそ、お越し下さいました。どうも、更新が遅れがちな島ペンです。その理由は、シーズンが終わっても忙しいことが第一。お客様の対応は、ここにきて一段落しましたが、大きな古民家を一軒あてがわれまして・・・はい。それの改造に専念しています。もちろん、お金をあまりかけずにが基本的スタンス。そしてもう一つの大きな理由は、やはり統合意識です。この意識世界の入り口に至ると、3次元的な出来事が只、淡々と流れて行き、そのことを在るがままに受け入れることが当たり前になります。二極化されつつある今の時代に、相対する二元の考え(善悪、好き嫌いとか)は捨て去り、自分はどちらの道や考えを選択するかということのみになる。この大宇宙の真理が、ストレートに頭頂のクラウンチャクラから注がれて、宇宙と一体化されつつある自分を発見します。これでやっと本来に戻れたという感ありです。この感覚は、言葉に表すことが大変困難で、又、ブログとかで表わそうとすることに意味があるのかどうかも解りません。まあ、とりあえず遅いペースの更新ですが、どうかご勘弁を。今日は、私の歯の磨き方をご紹介します。こう書くと、何か特別のやり方なのかな~と思ってしまうでしょう?何も、特別ではありませんよ。私の歯は、過去の悪行の数々?のせいか歯周病菌に蝕まれてきました。島に移り住んでからは、改善されつつあるのですが。都会にいた時は、それはひどいものでした。奥歯は全部抜け落ちてしまっている。そんな手遅れ状態から、島に来てからは歯磨き方法を変えさせられました。誰にかって?もちろん、ハイヤーセルフ君です。その方法は、いたってシンプルなのです。塩で磨くのです。塩と言っても、精製されたサラサラの塩化ナトリウムではありません。天然塩の荒塩です。そう、あのミネラルいっぱいの天然塩です。歯ブラシに、その塩をたっぷりと付けて、ゴシゴシとやります。初めは歯と歯茎の間から血がたくさん出ます。痛くなってもゴシゴシやります。出てくる血は、停滞した言わば死んでる血です。歯茎も、ゴシゴシやります。1週間もすれば、痛みはなくなり血も出なくなる。歯周病は治ります。どうも、それまでは歯を白くするとか香りとか、口臭予防とかの本質から離れたことに重きを置いて歯磨き粉の選択をしていたようです。では、歯磨きの本質って何?それは歯垢を取るということは勿論ですが、歯と歯茎の活性化。そして、もっと大切なことは浄化ということ。上質の塩で口の中を浄化することが、その本質ではないでしょうか。大相撲では、力士が土俵に上がる時は口をすすぎます。彼らにとって土俵とは、神聖な場所であるし、もともと相撲は神に捧げる神事だったのですね。あらゆる神事でも、口を清める行為は世界のいたるところに見られます。口をすすぐことは、沐浴という身体を清める行為の一部と考えられていますね。ここでいう清めるとは、霊的にでありますね。そして、天然塩とのバランスが何ともマッチしています。「そんな事、とっくにやってます!」という方もいらっしゃるでしょうね。私は、自分で海水を煮詰めて作った自家製塩であったり、アセ友のS さんからいただいた太宰府天満宮の献上塩を使わせていただいています。ご紹介させていただいたこの歯磨き方法は、今でも“腑に落ちる”、納得できるやり方です。どうか、やって味噌!!“秋”の画像をどうぞ堪能して下さい。
2009.10.22
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ようこそ、お越しくださいました。数日前に島の上空を通過した台風18号の画像です。これが、波の高さ8mというやつ。難なく、岸壁を越えてきています。結構、迫力ありますね。幸いにも?と言うか、(一般的な言い方ですが・・・)大した問題は起こらなかったようです。しかし、こういう天が与えてくださった宿題を、どう捉えるかによって今後が大きく変わってきますよね。統合意識を意識している人にとっては宿題だし、そうでない人にとっては、“天災”となってしまう。カルマという言葉で表現される不調和は、言葉通りに カルマ=行為 なのですね。その人が行った不調和な行為。そして、もう一つは不調和な思いです。このことも、行為と同じくらい重要なことのようです。3次元の垢にまみれていると、台風の「被害」と思ってしまう思いが不調和を起こし、カルマを積み重ねるという悪循環が繰り返されます。どこで、せっかくの天のお知らせと気付くか。そして、それを断ち切るかというのが、今の人類に課せられたテーマなのでしょう。
2009.10.12
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ようこそ、お越しくださいました。9月になっても、何故か忙しい毎日でした。この週末を最後にして、ようやくのんびりと過ごせそうです。そうそう、この週末の土曜日に島の海水浴場でプロレスが行われました。名づけて「離島初上陸 網地島プロレス byみちのくプロレス」「ザ・グレート・サスケも参戦!」「網地島の美しい砂浜にリングを設置しての離島振興イベント」てな具合です。なかなか、島とプロレス??なんて、繋がりずらいですよね。美しい海をバックにことの始まりは、この夏に皆でお酒を飲んでいる時でした。メンバーは、浜で海吉という海の家をやっているうちのスタッフのタック君のお兄さん、グレートサスケというプロレスラー、歌手?の斉藤惣一郎氏(シンガーソングライターで網地島慕情なるアルバムを出している)といったメンバー。島のお年寄りが、昔の力道山時代からプロレスが好きだという話から、「よっしゃぁ、島でそれやれないか!」となったのが事の起こり。グレートサスケ氏が一肌脱ぐという形でしたので、プロレスになっちゃった。勿論、入場無料のボランティア。浜に特設リングを設置したり、客席作り、ポスター印刷をはじめとする広報。これを、多くの方々の痛みわけで実現する事になりました。当日は、スタッフだけでも30人位が島で準備に奔走してくださいました。今年の夏は、ちょっと天候的にしょぼかったので、“どか~~ん”と一発花火を打ち上げるような気分で始まったんですね。島の人達が喜んでもらえれば・・・・・と。ただ、これ一点のイベントです。当日の生ビールは100円、ジュースは50円。この売上金の一部は、島に寄付されました。皆さん、太っ腹でしたね。私個人としては、余りプロレスというのは興味は薄いし、よく解りません。生き方として、戦い、競争、比較というのは止めてしまいましたからね。私のような生き方は、むしろ特殊と言えるかもしれません。でも、生き方の表現は全ての人が自由ですから。このイベントで、島の人達が喜んでいただけた事で、本当に良かったと思っています。開催に当たってのスタッフの皆さん、一肌も二肌も脱いで下さりました。本当にご苦労様でした。
2009.09.28
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前回に引き続いて、「本願他力」を考えてみたいと思います。親鸞聖人の説いたことは、自らが修行とか努力をして浄土に行くという事はたかが知れているので、阿弥陀仏の計らいに任せきる事だと説きました。自力の努力は止めて、阿弥陀如来にすがりなさいというい事から「本願他力」が、親鸞聖人の教えの本流となりました。決して他人依存が「本願他力」の真意ではありませんね。浄土真宗では、浄土の宿主の阿弥陀如来を信じきる事ですが、宇宙創造の大いなる存在でもいいし、高次元の存在、あるいは天と言っても神と言ってもいいと思います。ここでは、大いなる存在という言い方をしましょう。生きていく上での不都合の一切を受け入れる事は、大変勇気の要る事でもあります。決してあきらめる事ではなく、自分の霊的進化に必要であったからと、積極的に受け入れる姿勢が大切ですね。ここで大切な事は、「本願他力」です。大いなる存在を信じきる事により、他力の追い風が吹いてくださります。たいして頑張ってもいないのに、状況が好転したり、思わぬ応援や救いの手が差し出されたりと。全てが、面白いように事が運びます。今の、私がこの状態です。こういうのを、五木寛之さんの著書「他力」には、「他力の風が吹いてくる。」と、楽しくなるような言葉で表現しています。判断に迷うような事があった時、大いなる存在ならどっちを選ぶだろうと思う事が、直感を研ぎ澄ます訓練になります。直感こそが、大いなる存在と直結した流れだから。直感こそが、他力の風が吹く礎なのかもしれません。曹洞宗をお開きになった道元禅師の「只管打坐(しかんたざ)」ということ。「一切を求めず、ただ無心に座りなさい。」という教え。悟りを開きたいとか、立派な人間になりたいとかの自らの計らいが無く、無心無我で座りなさいという事。この事も、親鸞さんの言われている本願他力と同じ事を言われていますね。悟りたいと言う思いはエゴに繋がります。エゴである自力を捨てて、一切を他力に任せるという事を道元さんは説いています。しかし、このエゴである「自分」を捨てる、解き放つ事が大変に難しい。“一心”に他力に、大いなる存在にこの身魂を委ねようとしても、そこに割ってくる存在が「自分」です。だから、いつも“一心”に成れずに“二心”になってしまう。この「自分」という執着が解脱の道を阻む最大の難関なのかもしれません。「自分が」という我が、全てをぶち壊す元凶です。そこで登場するのが「統合意識」です。「統合意識」の逆が「分離意識」であり「自我意識」ですね。現代社会が、正に分離の自我意識です。学校教育は、優秀さの追求です。いつも人と比較し、比較され、人の優劣を比較されます。文明社会は、エゴの追求でもあります。より高い利便性の追求は、社会の推進力でもある。頑張って競争社会の勝者になったとしても、幸福が約束されてはいない。一生懸命に高い所に登ってきたのだけれど、そこには幸せは存在してはいなかった。そんな話は、いたる所に転がっています。この肉体を持っている以上、衣食住は欠かせません。必要最低限の自我は必要でしょう。でも、それを満たせたら、エゴを開放できたならいいな。自我にも、小我と大我があるようです。小我はエゴそのもの。大我とは、真我(高次元の自分)に繋がった宇宙の叡智です。統合意識に他なりません。“一心”が“二心”になったとしても、この大我であれば、大いなる存在に繋がった意識です。だから、“二心”にはなりません。解脱に至ります。小我を捨てて、大我に生きて、一切を大いなる存在にお任せする。これが、私の考えている「本願他力」です。春は、海に山にと忙しい。美しい、木蓮ちゃん!
2009.04.18
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命の水それは霊山である青森県八甲田山系から、こんこんと湧き出る水。飲めば、薬以上に医療効果が望めると言われている水。皮膚につければ、皮膚病が治り肌が若返ると言われている水。何年放置していても、まったく腐らない水。藻を始め、一切の生物の生存がその水の中ではできないと言われている水。多くの人が、この水で助けられたと言っている。いつしか、命の水と言われるようになりました。医者に見離された末期癌が治ったという話も聞きました。私の母も、2年もてば・・・と医者から言われたのが、15年も生かされました。この水を、明日から汲みに行ってきます。湧き出ている場所が解ったのは、やはり大いなる存在の導きでした。広い八甲田山の、何千何万の湧き水の中から、ピタリと知らされたその場所は、あまりにも神々しく、霊気漂う場所でした。最後に汲みに行ったのは、もう10年位前になるでしょうか。そのままであれば、そこに行けばこんこんと湧き出ているはず。キリスト教会の言う“ルルドの泉”と似たような水と思われます。ルルドの泉そう言えば、山の霊気?を目で確認できたのも、この八甲田山だったな~~。
2008.09.17
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面白いニュースを発見しました。無重力の状態で、トイレで何をした場合、ずっと以前から不思議に思っていました。重力があるから、下に落ちるわけですね。これが落ちないとなると・・・・・?その謎が、ここに解明されました!!宇宙飛行士のトイレ事情-----*****-----*****-----*****-----気分を改めて・・・・・毎日、夕日がきれいです。毎日が違う夕日。1日の締めくくりに、ビールと夕日です。
2007.10.19
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45日間、働きながらのリゾート生活!島で働きながら夏を楽しみませんか夏季のアルバイトを募集いたします-----*****-----*****-----*****-----海水浴場には、浜昼顔の花がいっぱいです網地島の白浜海水浴場の海開きが7月21日と決まりました。遅いですね。そして、閉じるのが8月19日です。早いですね。この決定は、もちろん石巻市が決める事なんですが、その前提は予算なんだそうです。毎年の事ですが、そういう予算はどんどん削られていってますね。海水浴期間を十日くらい増やす事で、いったい監視員の人件費と、シャワー室やトイレの管理にいくらかかると言うのでしょうかね。もっともっと、無駄に使っているところがたくさんあるのにね。まあともかく、この海水浴期間に関しては、監視員がいます、トイレが使えますという事です。(海水浴場から少し離れた船の待合所はいつでも使えます。)この期間以外は、自分の責任において遊んでくださいという事ですね。去年なんかを見ると、9月いっぱい海水浴客がいましたからね。トイレが閉鎖されて困った場合、我ペンション晴耕雨読に来てトイレを使ってもけっこうですよ。海水浴場からすぐ30m位上ですから、歩いて2分です。どうぞ、お使いください。
2007.06.30
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収穫の秋ですね。山にある天然のみょうがです。見てくれは悪いですが、香りは最高です。握り寿司のガリといっしょに、甘酢に漬けてお出しします。ガリも、もちろん自家製です。網地島は、海の幸だけではなく山の幸も豊富。だから、一年を通して遊べます。この花はハッカです。たくさん咲いてます。いま、このハッカをどう料理に使ってやろうかと考えています。
2006.09.15
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娘の家のイブです。根性なしだけど可愛い今、我が家で焼いたパンが人気なんです。自家製といっても、ホ-ムベーカリーで焼いた簡単なやつなんだけど、おいしいといって注文が来ます。まあ、パン生地はそれなりに工夫はしていますが、自家製とは言いずらく、「我が家で焼いたパンです。」と言ってます。「材料にいい物を使っているから、町で売ってるのよりずっと高いよ。」「雨読のパンはうめえから、金の事はいいんだ!」と、言って買ってくれます。うちのメニューの中でベーコントーストというのがあるんですが、これが又好評なんです。トーストした我が家のパンに、うちの畑で採れたレタスやらの野菜をのせ、その上に厚切りベーコンをこんがりと焼いて、パンの上にのせたものです。結構ボリュームもありいけますよ。あと、トーストしたパンをひち口サイズにカットして皿に盛る。うちのビーフカレー(これもおいしい)を別皿に盛り、パンにカレーをのせて食べる。定番のカレーパンだけど、「こんなおいしいカレーパン食べたことがない!」と、皆が言ってくれます。うううーーー、これ以上書くと、よだれが落ちてしまうからやめる!!
2006.05.01
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松枯れ病でみんな枯れたけど、1本だけ残った松物々交換島では、お店などのお金を使うところが余りありません。お店が2,3軒と漁協の購買部。コンビニもなければガソリンスタンドも無い。無論、パチンコ屋なんてあるわけがない。人口が600人しかいないし、そのほとんどが65歳以上のお年寄り。あまりお金を使う購買層とは言えません。だから、商売をやっても採算ラインに乗らないのでお店をやろうという人はいないんですね。もっぱら島の経済は、貨幣経済ではなくて物々交換です。お年寄りたちは島のお祭りとか正月、節句なんかには必ず赤飯とか煮付けとか作ります。そして、必ず我が家にもそのおすそ分けがいただけるんですね。複数の家からもらっちゃうときは大変です。」もちろん、我が家だけでは食べきれないので他の外人部隊(よそからの移住者)に持っていきます。野菜とかもそう。収穫時、食べきれないからといっては持ってきてくれます。息子がマグロ船に乗っていて、定期的にマグロのブロックをどさっと送ってよこすのですが、その時もいただけます。カツオの場合は半端じゃあない。カツオを取りに来いという電話で、早速取りに行くと5kg位のカツオを3本もよこされます。まいったな~と思いながら家に帰ると、玄関にカツオが2本置いてある。こんなのって、40年位前の日本って感じ。すっごく、ありがたいですよね。もちろん、こっちも何かあるごとにお返しというか、して上げています。だから、島の経済は助け合い経済の物々交換です。してもらっているから、何かしてあげたいと思うのは自然です。表面上は、物が行ったり来たりしますが、実は“愛のエネルギー”が行ったり来たりしているんですね。続きは次回・・・・・追伸毎朝、鴬の声で目覚めます。半月前はあまりうまくさえずることができなかったのに、今朝の声は美しく歌っています。
2006.04.15
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昨年の11月はこれの5倍は積まれていた2度目の暖かさ木の伐採が終わると、山から切り出した木を軽トラに積んで我が家に運び込みます。軽トラの最大積載量、つまり荷物を積んでもいい制限重量は350kg。しかし、この時ばかりは2000kgくらい載せちゃう時もあります。都会では絶対できない芸当ですね。今度は薪割りです。適当な大きさにするのに、狙ったところに斧を振り下ろす。これもけっこう難しいんですよ。重労働で汗が滴り落ちますが、労働と思えば大変だとなってしまいますが、私の場合はシェイプアップのための運動だと考えています。だから、まったくつらいとか苦しいとかではなく大変楽しい作業です。木って、割りやすい所とそうでない所があります。特に割りにくいのは、木の根に近いほうと枝分かれしているところ。そういう所を人間の都合で“素性が悪い”と言います。素性なんて、人間だけかと思いましたが木にもあるなんて、、、、、私達って自分に都合が悪い場合は”悪い”、都合が良ければ”良い”と決め付けます。どこかに出かけようとしている時、雨が降れば悪い天気。空気がカラカラに乾燥しちゃっている時の雨は、同じ雨でも恵みの雨。スキー場の大雪は良くて、市中の大雪は混乱を招いて悪い雪、てな具合。なんて自分勝手なんでしょう。さすがに、NHKの天気予報は「天気が悪くなる」ではなくて、「天気が下り坂」と言うようにしているようです。我が家からの夕日 うーーーん、美しい!続きは次回、、、、、
2006.03.26
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島の西に突き出た立ヶ崎、沈み行く夕日が素敵で最高です高齢化のワーストに入る網地島。一時は、島の人口が2000人を超えていた時もあるとか。今の人口は、網地地区100人、長渡(ふたわたし)地区500人というところでしょうか。面白いのは、島の人達の8割くらいが阿部さんなんです。電話で「はい、晴耕雨読です」 「ああ、雨読さん? 阿部だけんども」「あのー、どちらの阿部さんでしょうか?」「おらいだー、長渡の阿部だー」こんな感じがちょくちょくあります。お墓に行くと、やはりほとんどが“阿部家之墓”です。先祖をたどってゆくと、そう遠からず血縁でつながっているようですね。だから、一族の団結たるやすごいもんですよ。いつでも助け合い、協力し合って生きてきているようです。そして寛容です。コミュニティーの理想のような姿でしょうね。一族から笑われるようなことは絶対にしたくないと思っているのでしょう。だからというんではないでしょうが、不義理をすることはまったくといっていいくらいないんです。台風が来そうだと、みんなで船をかたずけ、夏の海水浴シーズンの前の砂浜の清掃も皆でする。病院の草刈もそう。皆が総出でやるんですね。これが、自発的か、やらないと何か言われちまうからやっているのかはわかりません。島の人達は、素朴で正直で人にやさしいです。金儲けは下手だしインターネットも知らないけど、人間としての原点に近いんじゃあないかとふと思います。きっと、深い愛を持っているのでしょう。
2006.03.18
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