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2022.10.16
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鉄砲組百人隊は江戸城大手三の門前の守備隊でした。大手三の門は大手門から入城した大名などが籠から下ろされ、従者などが待たされる第二関門でして、大手三ノ門の警備は鉄砲百人組の与力・同心(甲賀組・根来組・伊賀組)が受け持ったと言われます。

百人町では、その鉄砲組百人隊が武士姿で行進する行事が戦後も復活しており、皆中稲荷神社例大祭には「江戸幕府 鉄炮組百人隊出陣の儀」として鉄砲組の出陣式が神社に奉納されます。神社の名前の「皆中」は、鉄砲組の鉄砲は「皆当たる」との縁起をかついだのでしょう。
(写真1)

東京の郊外だった百人町界隈は、大正時代に山手線が開通すると山の手の住宅地となり、地の利がよいため作家、詩人、画家、学者など多数住み着いて、文化的土地柄になりました。しかし百人町は新宿歓楽街にも近かったので、戦後のある時期から町のメインストリートと言うべき大久保通りは、新宿から溢れ出る賑わいが流れ込んで大いに賑わいました。
(写真2)

しかし、近年は大久保通り周辺には途上国からの居住者、来訪者が増えて、多国籍の食堂、食料品店も多くなり、都内でも独特の町並みとなりました。特に山手線内側の大久保通り(職安通り)は韓国系の店舗が多く、山の手のコリアタウンとして韓流ブーム盛んな頃は大いに賑わいましたが、韓国の反日運動の所為で今は沈静化しています。
(写真3、4、5)

百人町が江戸の軍隊の町からの戦後の住宅地、商業地、外国人の町へと変遷したのは時代の変化を受けたためですが、同じ事は東京の中心街でも、大規模に起きていることで、例えば六本木は戦前は軍隊の町であり、戦後は高級歓楽街となり、その後は一部はオフィス街に変身しています。町は時代と共に変容する生き物なのです。
(以上)
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Last updated  2022.10.16 14:20:38
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