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この度、縁あって、ある方に、過去生なるものを視ていただけることになり、「オーラの泉」ファンのワタシは、ドキドキ、ワクワク。 「あなたは平安時代の高貴なお方でした」 キャー。 「ヨーロッパの吟遊詩人でした」 ウソー。 「古代エジプトの王族の一人で・・・」 ホントー?などと、大変都合のいい妄想に酔いしれるワタシなのでした。 視てくださったのは「るるさん(エンジェルライトプラクティショナー)」という方、です。お勉強のために、過去生リーディングのモニターを募集されると言うのを知り、早速申し込み、先着5名にすべり込むことができました。パチパチ。これは、美輪明宏さん言うところの「必然」か?! 実は、こう見えても、ワタシはまわりに何となく馴染めない性格なのです。小さい頃から、どこにいても居場所がないというか・・・。だからといって、いじめられたり、避けられたりということもなく、変わった子だけど、いいヒト、みたいに思われて、なんか相談されちゃったり、酔っ払いのおじさんに何かもらったり(それは関係ないか)、動物や子どもにもやたら好かれるたちでした。ライダーの集会を開いたり(注:族の集会ではありません)、初めてのヒトとも仲良くやれる方なのです。それでも、何をしていたとしても「居場所がない」のです。なにか根深い孤独感、のようなものがあるのです。誰といても、どこにいても自分はひとり。結局人間はひとりなんだなあ、なんて思っていました。いじめられたこともなければ、不幸せな家庭に生まれ育ったわけでもない、なのにどうして?とずっと思っていました。原因不明、です。 これは、きっと自分の前世、過去生に原因があるに違いない、と思いあたったのはいつ頃だったでしょうか。ずいぶん前から、そう思ってきたけれど、どうしても知りたい、今知りたい!と強く思うようになったのは昨年末くらいからです。それでドリーン・バーチューさんの「過去生回帰CD」取り寄せ注文承り中♪ドリーンバーチュー博士パストライフ・リグレッションCD~過去世回帰~PAST-LIFE REGRESSION WITH THE ANGELSなど試してはみたのですが、イマイチというか全然ワカランのですな、これが。(いえ、このCDはすばらしいのですが、自分の力不足という意味です) だから、「オーラの泉」なんかで「あなたの前世は・・・」なんて始まると、ついつい観てしまうんですね~。芸能人が、「いや~、前世がわかってすっきりしましたあ~」なんて言って、結構いい顔になって帰って行くのを、うらやましいと思っていたのです。 いいなー、自分も前世を知れば、あんなさわやかな顔ができるのかな~。でも、どうしたら視てもらえるんだろう。アヤシイ霊能者にだまされるのもイヤだし(だまされやすいワタシ)。 そんなこんなで、偶然というか、きっと必然でめぐりあったのが、るるさんでした。こんな見ず知らずのワタシのために、いろいろありがとうございました。さて、ドキドキの過去生は・・・? 続く
2009/02/10
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みなさま、お久しぶりです。 3年半振りに戻ってまいりました。 月日の経つのは早いもので、 あのころ、ウシシボリ? なんて言っていた子どもたちですが、 もう上の息子は小学校一年生、下の娘は、今日6歳の誕生日を迎えました。 まだまだ、甘え、頼っててくれていますが、 今に自分の手をはなれていくんだろうなあ、なんて思ったりして・・・ なんか、さみしいですね。 でも、ヒトは、出会い、そして別れるもの。 深いところで、み~んなつながっているとしても、 日々のいろんな出来事を、自分で選び、学び、乗り越えて行くのは、 ひとり、ひとり。 自分の子どもだとしても、いつか別れなければならないんですよね。 この、地球を選んで、人間としてうまれてきたんだもの、 別れも、学びのひとつだ! などと、妙にしんみりしてしまう、ワタシなのでした。 思えば、何もかも面倒みなければならなかった赤ちゃんの頃って、 そりゃあ、大変だったけれど、(年子&高齢出産だったもので・・・) ふたりの天使のような子どもたちに囲まれて、毎日毎日、しあわせいっぱいでした。 子どもにとっては、親がすべてですから、頼られるうれしさってものを、とことんあじわいましたね。 今は、身体の方のお世話、たとえば身支度とか、がだいぶ減って、 その代わり減るのは、おなかでしょうか? ご飯やおやつの世話は欠かせません。(笑) 今日の誕生日は、回るすし(ウチではこれが本当のお寿司屋だと思っている) だったのですが、最近はよく食べる。 前は、1皿2皿だったのが、5皿は食べますね。 今までは、健康によいものを食べさせたいな~、などと思っていましたが、 これからは、ハラのふくれる物食べさせねば! なんて思いました。 でも、おいしい、おいしいと言って食べてる家族の笑顔って、 天からのプレゼントだなあ、 こっちも、しあわせになってきますものね。 神さま、ありがとうございます 感謝、感謝の毎日です。 こうして、また書けることも・・・。 日記、お休みしてから、ホントいろいろあったんですよ。 子どもがクルマにひかれたとか・・・。 そして、天使を信じるようになったとか・・・??? その話はいずれまた ところで、ついでに、といってはなんですが、 メルマガも復刊しましたので、よろしかったら、ごらんください。 しあわせのタネを見つけられるかもしれませんよ~
2009/02/05
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オットが久しぶりに連休だったので、2日目の今日は、ちょっと遠出しました。行き先は「服部牧場」。乳搾り体験ができるというので、息子4歳の強い希望もあり、行ってみることに。息子は、夢がかなって大喜びでした。臆病な子なので、もしかしたら本物のウシを目の前にして怯えて泣き出すのでは?と内心心配でした。何かをやろうとしてできなかった時、ひどく傷つく年頃なのです。ところが、終始大喜びで、きゃきゃっと笑いながら、ウシの乳を搾っていました。ああよかった~。娘2歳は、豪傑な方ですが逆に怯えてしまって・・・。わからないものですね。とにかく、息子にとって今日は、乳をしぼり、アイスを食べ、大満足な1日だったようです。帰りのクルマの中でも、大はしゃぎで「ボク、泣かなかったよ。ウシシボリおもしろかった!」ん? それはチチシボリのこと?確かに「ウシの乳を搾る」省略して「ウシシボリ」にならなくもありませんが・・・。「父ちゃん、またウシシボリつれて行ってね」「うんうん、また行こうね。ウシシボリ」と親子の会話もほのぼのとして、ああ、しみじみとしあわせ感じる一日だったなあ。息子よ、明日は、母ちゃんのハラでもしぼっておくれ(?)
2005/08/09
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他人の意見に左右されない『自分流』で行きたい、と思うのですが、では、「これが自分!」というものを持っているかと言えば、どうもそうではないような気がします。自分の好み、自分の望み、自分のしあわせ・・・etc....考えれば考えるほどわかりません。そうやって、考えれ過ぎると、最終的に、自分は何者で、どこから来て、どこへ行くのか、なんて問題に発展してしまいます。考えすぎの悪いクセです。たぶん、自分なんてモノは、確実にどうこう、という石のように確固としたものではなく、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしている、人生という海を漂う『ワカメ』なんだろうなあ。アタマであれこれ考えるより、感じろ!これが大事です。でも、こう暑いと、感性も鈍ります、ホント。夏を思いっきり楽しんだ、子どもの頃に戻りたいです。(昔は今ほど暑くなかったんですけどね)わたしは「いま、この瞬間」を大切に生きます
2005/08/07
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みなさま、お久しぶりです。引越し後、サボっていてごめんなさい。新しい土地での暮らしは、快適です。歩いて2~3分の海へ、時々行きます。子どもの喜びそうな公園がアチコチにあり、水着を持って出かけます。息子も4歳になりました。彼の大好きなハーブガーデンも比較的近くにあり、昨日クルマで出かけてきました。娘2歳は、毎日おかしな替え歌を作っては唄っています。毎日暑いですね。これは、日本中同じでしょうか。温暖化の影響を受けているせいなら、世界中暑いのかな?とにかく一日動くとバテバテです。夕方、スウ~っと涼しい風が吹く、なんてめったにありませんもの。今夜は、初めてエアコンをつけました。ここまで、ガマンするか!ってほど、エアコンは避けていたのですが、扇風機だけでは、もう限界です。これで、明日も使ってしまうかも・・・。神サマ、軟弱なワタシをお許しください。アツイアツイ、といっても涼しくならないのだから、アツイ、なんて口に出すな、と教育された根性世代ですが、やっぱり、あつ~い!と口にしたいのです。ん?ちょっとサッパリしました。消極的なことでも、言いたいことは口に出した方がいいのでしょうか。たまには、ね。
2005/08/04
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こんにちは。ご無沙汰です。引越し先がやっと決まり、昨日契約してきました。引越しは6月3日です。ネット環境も一緒に引っ越すので、皆様とは、しばしのお別れです。めでたくつながったあかつきには、(モデムとうまく接続できるか、それが心配・・・)また、よろしくお願いします。というわけで、そっけなくてごめんなさい。マジ、時間ないんです。メッセージをくださったみなさま、不義理をお許しくださいませ。では、では(^^)
2005/05/28
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シリーズ「お引越し!」の時間です(笑)この何日か、不動産屋めぐりをしていますが、なかなか、条件のよい物件ってないものですね。値段が安くても、場所が悪い。気に入った間取りでも、設備がイマイチ。それなりにいいかな、と思うと、家賃が高すぎる、など。それに、2人のチビを連れてのことなので、あまりゆっくり見てもいられず、店の前にクルマを止めて、中で待たせて、不動産屋さんと話をしながら、クルマの中に手を振り「もうちょっとだからね~」と声をかけても大泣きされて・・・。ああ、いつになったら、住みかが決まるのか。さんざん野宿で鍛えたワタシですが、引越しを来月初めに控えて、いささか不安です。でも、部屋もヒトと一緒で「出会い」なんですよね。人生に無駄なことはひとつもない。偶然もない。すべて、必然。そう考えれば、必要な時に、ふさわしい部屋がみつかるのでしょう。自分のこれからの人生に必要な、どんな部屋に住めるのだろう、と思うとワクワクします。でも、みつからなかったら・・・と思うとドキドキします。引越しやさんの手配もあるし、早く見つかっておくれよ~。というわけで、明日も不動産やさんに行ってきます♪ 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いします。↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/05/17
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いつも、何か読んでくださる方の励みになる記事を、と思って日記を書いています。でも、これからしばらくは、「お引越し」1色になりそうで・・・。すみませんが、6月まで、Coo-Cooの「単なる毎日の記録」でお楽しみください(^^)さて、不用品の整理、ですが、子どもが小さいと、親が替わって整理することになります。でもね、親にとっては「不用品」でも、子どもにとっては「宝もの」だったりするわけで・・・。その辺の判断が非常に難しいのです。だいたい、子ども(2~3歳)のタカラというのは、マックのハッピーセットのオマケだったり、ガチャガチャの中身だったりするわけで、子どもがそれらを手にしたときの笑顔なんかを思い出しちゃうと(親バカ)すてられないなあ~、なんて・・・。先日も、CDショップで、ドラえもんの映画のチラシなんかもらっちゃって、「わあ~、これボク大切にするね!」なんて、ニコニコしていた息子のタカラもの(紙切れ)が手元にあるわけで。今、まだ子どもが寝ているうちに、捨てちゃおうかどうしようか、と悩んでいるワタシです。見せなければ、もうとっくに忘れちゃっているんでしょうが・・・。どうしよう。もうすぐ起きてくるのに・・・。 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いします。↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/05/13
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1ヵ月後に、引越しをすることが決まった。オットが職場を変わるためだ。まだ住む場所も決まっていない。オットは「まだ先だから、アセルことない」などと言うが、ワタシは「もう、1ヶ月しかない!」とパニック状態。だいたい、子どもの世話で1日が終わってしまうのに、いつ引越しの支度をしたらよいのか。各種移転手続きも、子ども連れでは、1回に一箇所が限度。1回出かけると、公園だなんだ、となり帰宅は夕方。それから、ご飯を作って、お風呂に入れて、寝かしつけるともう夜中!である。どうしてこんなことになってしまったのか!社内貯金もあと3ヶ月で満期になるというのに!(セコイ)でも、よ~く考えてみると、こうなるのは計画通りの未来だったのです。つい1ヶ月前、「部屋を片付けたいなあ~。たまったものを整理しなくちゃ」「それには引越しが1番!」などと、フト思ったのです。みなさん、物事は思ったとおりになりますよ!未来は自分の思考次第です。それをよいものにするも、悪いものにするも自分なのですね。今回の出来事で、またもやこのことにたいする確信が深まりました。ならば、弱気になってなんかいられません。徹底的に、不用品を排除して、新生活に挑まなくては!とは、いうもののなかなか片付かないお部屋にうんざり気味のワタシ。この不用品の山は、自分のココロをあらわしている!と考えてガンバロっと。 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いします。↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/05/11
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自分は薄っぺらな人間だ。これは、ワタシの悪いクセだ。でも、すぐにそういう風に考えて落ち込む。それに、自分に対してそういう評価を与える、ということは、他人のことも、すぐそういう点から評価しがちだということ。これは、いけないことだ。ヒトは他人の表面しか見えないのだから。心の奥底はもちろん、その人が歩んできた道、ひそかに努力している点など知る由もない。それを、このヒトはいいことを言う、だからエライ、とか、なんて考えの浅い愚かなヒトなんだろう、とか判断を下す。で、そういう自分はどうなんだ、そんなにエライ人間か、と考え、また自己嫌悪。だから、他人のことなんて評価してはいけないのだ。自分の精神衛生上もよろしくない。青いなあ~、と思う。ヒトは何年生きれば大人になれるのか。きっと、アタマで考えているうちはダメなんだろうな。「薄っぺら」な脳の表面だけを使っていろいろ考えても、薄っぺらな答えだけしか得られないのだと思う。「深い」事柄は、ココロの深いところで考えなくちゃ。では、ココロの深いところってどこにあるのだろうか。それを知るには、アタマで考えていることをストップして、自分のカラダに意識を向けるといいらしい。自分の呼吸、心臓の鼓動を意識してみると、日々、いかに自分のカラダのことを忘れてアタマで生きているかがわかる。カラダはスゴイ。意識しなくても、心臓は鼓動し、呼吸で酸素を取り込む。大抵のヒトは、心配しなくても日々ちゃんと生きている。そんなすばらしいカラダに意識を向けていると、つまらない競争心や、虚栄心などは吹き飛んで、本当の自分が見えてくる。(のではないかと思う、模索中です)そんな状態で考えることはただ一つ。「ああ、生きててよかった」それだけ。その「生きててよかった」を出発点にして考えることが、たぶん人生の真髄を突いた「深いこと」なんだろうな。深いこと、がいいコトで、浅いこと、が悪いことなのかどうかはわからないが、ワタシは、深い方が好き。深いヒトになりたい。だから、深いところで考えるようにしたいと思う。考えるというより、「感じる」と言ったほうがいいかもしれない。自分を感じ、世界を感じたい、と思う。 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いします。↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/05/06
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どうして、人間は平等ではないのだろう、 と思っていました。 以前、30年間も内戦が続いていた アンゴラという国を取材したTV番組を観ました。 日本の3倍の国土に1300万人が暮らす、 アフリカ大陸南部の国です。 内戦の結果、現在、人口の6割が子ども、 平均寿命が40歳前後、というのですから、驚きです。 食料、水も不足していて、 4人に1人の子どもが、 5歳の誕生日を迎えることができません。 一握りの裕福な人たち以外は、スラムに暮らし、 養ってくれる大人のいない子供たちは、 朝から晩まで働いています。 それでも、「目の輝き」が違うんです。 一袋20円のピーナツ菓子を売る13歳の少女は、 週に1日だけの休みに、 できる限りのおしゃれをして、教会に通っています。 そこで、歌と祈りを神に捧げるのが唯一の楽しみなのです。 内戦が長く続いたため、 大人たち自身が学校へ通ったことがなく、 教育の重要性が見過ごされがちです。 子供たちも、学校へ行く暇があったら働いて、 日銭を稼いでその日を暮らします。 だから、学校へ通える子供たちは、本当に嬉しそうです。 みな椅子を頭に乗せて学校へ通います。 物資の不足でノートや筆記具のない子も多いですが、 真剣に授業を聞いています。 「将来何になりたいの?」と聞かれた子供たちは、 お医者さん、先生、歌手などと、 学校で学ぶ喜びに目をキラキラさせながら、 将来の夢を語ります。 そして、なぜその職業に就きたいのか、と尋ねられると、 「家族を助けたいから」と口々に答えるのです。 頭に縦断の傷跡の残る10歳の少年は、 将来ジャーナリストになりたい、 ジャーナリストになって、戦争をしてはいけないと伝えたい、 と言いました。 なんという視点の違いでしょう。 物質的に恵まれた環境で、安楽に暮らしている 日本人の口からは決して出ることのない言葉です。 長く続いた内戦という悲惨な状況の中で、 肉体的にはボロボロで、貧しい彼らです。 でも心の中は、 私たちよりずっと成熟しているのかもしれません。 もちろん、悲惨な状況より、 恵まれた状況の方がいいに決まっています。 でも、精神、というレベルで見たら、 悲惨な状況と恵まれた状況と比べて、 どちらがより勝っているとは言えないのではないでしょうか。 自分ではなく、家族の役に立ちたい・・・・・。 アンゴラの子どもたちの思いは、純粋で、 しあわせに直結しているように思えたのです。 情報にあふれ、しあわせになるために、 たくさんの本を読み、時にはセミナーに出席し、 自分探しをしなければ満足できない日本人。 それでも、しあわせは見つからず、 しあわせは、お金か、愛か、仕事か、 などと堂々めぐりの日々。 アンゴラの子どもたちの、 自分のためではなく、大切な家族のために生きる、 というシンプルで純粋な願い。 それは、私たち日本人が、長い時間とお金をかけて、 それでも得ることのできない究極の心理なのでは? そんな気がしました。 生きてさえいればいい、というのはもちろんそうです。 戦争で、食料不足で、その他悲惨な状況で 命が失われるのは本当に悲しいことです。 個人的には、戦争は絶対反対ですし、 どのような形であれ関与してはいけないと思っています。 それでも、彼らは、そんな中で、 自分の状況に満足する術を身につけることができました。 生きることの大切さ、他の人の役に立つ喜びを知っています。 彼らの目の輝きを見れば、内面の幸福感がわかります。 他の人をうらやむことのない、 自分なりのしあわせを知っているのです。 私たち、物質的に恵まれた日本人はどうでしようか。 自分を見失って、自分探しに時間もお金もつぎ込んでいます。 一見、しあわせな状況でありながら、 しあわせを見つけることができないのです。 物質の富を得ることに必死になって、 借金を重ねたり、家族とすれ違ったり。 学校に通う意味、人生の意味を見出せずに、 生きる力をなくしてしまう子どもたち。 毎日が楽しければいい、と放蕩に身をゆだねる若者。 みんな、しあわせじゃありません。 目が死んでいるのです。 体は生きていても、こころが死んでいるのです。 多くの日本人はそうではないでしょうか。 ですから、冒頭で述べた点ですが、 精神の成長という点で考えると、 日本人もアンゴラの人々も ある意味、平等なのだと思いました。 圧倒的強さで迫ってくる悲惨な状況からの方が 大切なことを、学びやすいのかもしれません。 どんな出来事も、 どんな状況も、人生の教科書なのです。 そこから、学び、何かを得るのです。 立場の違いはどうしようもないことです。 貧しい人も、富んだ人も、 それぞれの人生から学ぶしかありません。 学ばなければ成長できないからです。 成長できなければ、しあわせにはなれないと思います。 毎日の生活をきちんと送ること、 自分を正しく評価すること、 自分を広げ、誰かの役に立とうとすること・・・。 人生の教科書には、 きっとそんなことが書かれているに違いありません。 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いします。↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/04/28
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占いを100パーセント信じて生活しているヒトは少ないかも知れませんが、多くのヒトはなんとなく見てしまったりしているのではないでしょうか。占いって、いいときもあれば悪いときもありますよね。だから、参考程度に、なんて思っても、悪いときは、ちょっとがっかりしてしまう。だから、占いには近付かない方が賢明です。とはいえ、人間は弱いもの。何かに頼りたくなることだってあります。で、そういう弱っている時に限って、よくない答えだったりします。都合のいいことだけ信じるんだから!と思いつつも、結構一日中、どこかでひっかかっていたり・・・。どうすればいいのでしょうね。う~ん、強くなるしかないのかな。結局、占いにかかわりなく、起こることは起こるし、起こらないことは、起こらない。どんなに相性のいい相手であっても、違う育ち方をした人間同士はぶつかるし、商売だって、うまく行く時も行かない時もある。そういう風に考えて、占いの結果を何かのヒント、くらいに受け止めて、気楽に楽しむか、一切かかわらないかどちらかですね。ヒトは、目に見えないものに対する怖れを持っていますね。だから、普段、占いをしない人でも、神社仏閣に行ったときは拝んだりします。人間は万能でもないし、地球の支配者でもないのだから、何かに対する怖れを抱くのはいいことだと思います。謙遜になれますしね。でも、その何か、からの不思議な力を頼りに(占いのメッセージに頼って)自分で決定しなくてはいけない部分を他人まかせにするのはしあわせへの道ではないかもしれません。自分の人生、自分で決定してこそおもしろいのです。そう思いませんか?だから、ワタシは占いはしません。目に入りそうになったら、目をそらします。だって、悪い結果だったらいやだもの。そんなことでクヨクヨするのは時間の無駄。・・・というか、実は、結果に振り回されてしまう弱いワタシなんです(涙) 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いします。↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/04/26
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以前の日記を久しぶりに読んでみたんです。「ええっ?! こんなこと書いてたんだ」と、まるで他人の文章を読んでいるような気がしました。ヒトって、日々進化するんですね。(退化していく場合もあるけど・・・)自分はこういう人間だ、とか、こんなことわかってる、とか決め付けない方がいいですね。身体的な成長期は過ぎても、いくつ年を重ねていっても、ココロは常に変化しているみたいです。昨日、今日ではわからなくても、半年、一年前の自分は別人のようだったりします。それなら半年後、1年後の自分はどういう風になっているのかなあ。自分はこれでいい、変わらないだろう、と思っていたワタシですが、時は人を少しずつ変えてしまうのですね。根本的な部分はきっと一生変わらないのでしょうが、もしかしたら物事に対する見方や、考え方は変わっているかもしれません。それなら「変わりたい」と思っているヒトは、明確な目標を持ち、努力するなら、案外簡単に変われるということです。でも、まずは自分を知ること。自分がイヤ、変わりたい、と思うとどこがイヤなのか、ウジウジ考えちゃったりするでしょう?それって疲れるだけ。嫌いな部分はさておいて、何が好きか、どう生きたいのか、考える方が楽しいですよね。楽しさ、はパワーをくれます。だから、「こうなりたい」と決心するだけでいいと思います。もっと明るい人になりたい。勇気を持ちたい。・・・・・そう思ってれば、次第にそうなります。人間って、意識しなくても、思っているように行動するみたいです。そして、思っている未来を呼び寄せるそうですよ。不安を持っているヒトには、不安な未来が、明るい未来を想像しているヒトには、明るい未来が。だれでも明るい未来の方がいいですよね。それなら、自分はどういう人になりたいのか、どういう風な暮らしを望んでいるのか、よ~く考えて、決心しましょう。自分はこうなるんだ!と。そして、「いま」できることから少しずつ始めてみましょう。あとは時の流れにまかせて、自然に生きているだけでいいと思うのです。そうすれば、半年後、一年後の自分はきっと、よりHAPPYになっていますよ(^^) 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いします。↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/04/24
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いちごをたくさんいただいたので、半分、そのまま食べて、残りをプレザーブにしてみました。もちろん、フレッシュなまま食べるのが一番のご馳走ですが、子どもたちはいちごが大好きで、そのままおいておくと全部食べてしまいそうな勢いだったもので・・・。だって、あまり食べ過ぎると、お腹をこわすし、いちご色の○○チが出るんですよ~。ちょっと気味悪い・・・。だから、半分は「もっとおいしくしてあげるから」と取り上げました。プレザーブというのは、要するに「ゆるゆるのジャム」ですね。ジャムのように煮詰めません。いちごを洗って、ヘタを取って、厚手の鍋に入れ、砂糖をまぶします。よく、ジャムのレシピなんかに、いちごと同量の砂糖をまぶす、なんてありますが、アレでは甘すぎ。舌が麻痺してしまいそうです。長期保存を目的としたジャムなら、保存性を高めるために必要なのでしょうが、手作りなら、おいしいうちに食べちゃった方がいいので、砂糖もほんの少しでOK。「ゆるゆる」ならもっと減らしても大丈夫。あれば、レモン汁もかけて、しばらく置くと真っ赤ないちごの汁がいっぱい出てきますから、そうなったら中火にかけて、少しブクブクさせるくらいで出来上がりです。(5分もかかりません)あまり煮詰めないで、いちごの形も色もしっかり残します。ヨーグルトにかけたり、バニラアイスクリームにかけたり・・・。いちごの季節にしかできない、春のお楽しみ、といったところ。ジャムといえば、昔、信州にバイクツーリングに行ったとき、ブルーべリー園で、ブルーベリーを摘んでお土産にしたことがありました。でも、その日は何となく、もっと走りたくなって、フラフラしていたら、帰るには遅くなってしまったので、1泊することにしました。当時はお気楽な身分だったので、いつもテントを積んでいましたから、泊まりたくなったらいつでも、どこでも野宿していました。ま、「どこでも」というわけには行きませんでしたが(^^)人目につかない、迷惑にならないようなところで・・・。ブルーベリーに前の晩からさとうをまぶしておいて、朝になって火にかけ、ジャムを作りました。いたむといけないのでジャムにして持って帰ろうと思ったのです。ところが・・・。お土産にはできませんでした。だって、出来立てのブルーベリージャムはあまりにもおいしくて、あとひとくち、あとひとくち、で全部たいらげてしまったのでした。特別、上手にできたというわけでもなかったのですが(甘すぎた!)野宿の朝、日の出とともに起きて、澄んだ空気の中、ジャムを煮るしあわせ、というものに酔っていたのかも。しんと静まり返った中、時々、鳥のさえずりが聞こえる。高原の朝の風景と、フレッシュなジャムのおいしさ。忘れられない思い出です。思えば、あの頃はいろいろなところへ行きました。そして、いろいろ考えていました。いろいろなヒトとも知り合ったり別れたり、いろいろな夢も持っていました。何でもできる、何にでもなれると思っていました。・・・・・・・こうした思いを保ち続けるのは思ったより大変です。時はどんどん進み、思い出は単なる過去になります。いつも不満だらけで、あの頃はよかった、と過去に生きることもできます。あの頃があるから、いまの自分がある、と「いま」に生きることもできます。さあて、ワタシはどっちかな?と、今朝作ったプレザーブを舐めながら、そんなことを考えました。ああっ!レモン汁が多すぎた!すっぱい!!! 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いします。↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/04/22
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桜はどうして花が先に咲くのかな。ある日、一斉に花開いて、冬の寒さに縮こまった、私たちの心をとかし、新しい季節に向かう勇気をくれる。地球上のすべての命は、太陽と水と風によって生かされているんだ。道ばたのちいさな花も、大きく育った大輪の花も、ただ歓んでいる。命の歓びを、ただ咲き、生きることで表現している。私たちもみな同じ。ただ生かされているだけ。なのに、どうしてそれを忘れて、競ったり、憎みあったり、自分を傷つけたりするのかな。私たちは、どの生物よりもすぐれたアタマを持っているのに、なぜ、それをただ歓びのために使えないのか。考えるよりも、感じよう。アタマよりもカラダで、生きていることを、ただ感じよう。そうすれば、私たちのココロは歓びに満たされ、与えられた時間のすべてを感謝のうちに過ごせるだろう。あるがままの自分を認め、愛し、愛されて生きていくようになるだろう。そして、ただしあわせになるためだけに、生きることができるようになるのだろう。 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 生意気なこと書いてすいません。 でも「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いしますね(^^)↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/04/20
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子どもの頃は、夢の続きをみることができた。夢って大抵、いいところで終わっちゃうでしょう?だから、「今日は絶対昨日の続きを見て、あのご馳走をお腹いっぱい食べてやる~」なんて、決心して寝ると、その日はご馳走にありつけたりするわけです。まるで映画のように題名入りの夢もみました。恐怖3部作!第一部「恐怖の館」翌日は第二部。「中国屋敷の秘密」・・・などと続きました。内容はともかくとして、(覚えていない)なんだか映画の大作をタダで観たような気がして嬉しかったですね。大人になってからは、さすがに続きをみることはできなくなりました。あれは、強く念じなければダメなので、時間がかかるのですよ。眠気に負けて、念じているうちに眠ってしまうことが多くて・・・。というか、夢の続きをみるほどヒマじゃないってことでしょうか。で、ヘンな夢の話ですが、ある日、ワタシは探検隊の一員として、秘境を旅しているのです。すると、誰にも知られていない秘密の村を発見!村長が出てきてこういうのです。まるで、伝説の仙人のようないでたち。「うおっほ! ワシの秘密がわかるかな?わからなければ、ソナタは生きて故郷へ帰れんだろう。」ヒントは周りの風景にあるようなのですが、そこにはサルがたくさんいて、キッキ~!なんて騒いでいるだけ。すると村長が「サルども、それ~!」と掛け声を。サルは一斉に、股に前足を当て、まるで私たちがアソコを隠して温泉に入る、というようなポーズを取りました。「うおっほ!わからんじゃろうなあ~」「残念ながら・・・」もう生きて帰ることはできないのか、はあ~、と思った時、村長が突然、着ていたガウンのような衣装のすそをめくり上げ、「サルマタをはいているんじゃ~!」と叫びました。なんというくだらなさ!力が抜けて、あはは・・・、と笑う自分の声で目が覚めました。何か、意味があるのかないのか・・・。誰か知っていたら教えてください。こんなくだらない夢をみるなんて。バカバカしいけど、なんか楽しい。まだまだ、余裕で生きていけそうな自分に安心しました。こんな夢をみるなんて、「ポイッポイ仙人」のせいかも・・・。軽~く読めるワリには、すごく深い内容です。精神世界の入門書としてオススメです。興味のある方はどうぞ。→ポイっぽい仙人の「いいこと」が起こり始める不思議なじゅ文 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いします。↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/04/19
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なんだか、踊らされているな、と、ふと気がつくことありませんか?流行に敏感でないワタシでも、これがはやっているんだって、などと聞くと、「ふう~ん」なんて関心なさそうに振舞うワリには、あとで、こっそりネットで検索しちゃったりすることがあります。これって踊らされているのかも(笑)そもそも、「流行」ってみんながそれがいいっていうから流行るんじゃなくて、誰かが仕掛けているワケでしょ?それはモノを売る目的だったり、政治がらみだったりいろいろですが、流行に乗るって言うのは、「踊らされている」ということなんじゃないかと思います。ま、ちょっとしたことで踊らされるのはいいとして、(髪型とか、音楽とか)権力者が大衆を操っているようなことに迎合して踊らされちゃったりするのはどうでしょうか。それが、戦争だったり、何かのパニックだったりを引き起こすワケで・・・。「自分」というものをしっかり持っていないと、知らずにそういうことに巻き込まれそうで怖いのです。コワクないですか?自分の人生を誰かに操作されちゃうなんて・・・。ぼんやり系のワタシはすごく怖いです。だから、知らないうちに、誰かのステージでみんなと一緒に踊らされていた、なんてことがないように気をつけています。気をつけているだけじゃ、ダメなのかも知れない。自分のステージ、というものをはっきり見つめていないと。そこで、自分だけのダンスを踊って、誰かの評価を当てにしたりしないで、ただ、踊り続けること、それが大切なことなのではないかな、と今夜は思いました。 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いします。↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/04/18
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「えんま帳」って聞いたことありますよね。それには、その人が行った、いろいろなことが記録されていて、それを見て、閻魔大王様が天国へ行くか、地獄へ行くか決めるとか・・・。そこには、よい事も、悪いことも書いてあるんだろうなあ。ワタシの場合、悪いことばかり書いてあったりして・・・。1日を終えて、「ああ、今日もいいことをいっぱいして、皆に喜んでもらえたなあ」「う~ん、しあわせ。満足満足・・・」なんて日は、ホント数えるほどしかなくて、大抵、後悔や反省の日々です。でも、寝る前に後悔したり反省したりしても、やってしまったことは変えられないし、大してプラスにならないですよね。それより、よい夢をみるために、楽しいことをたくさん考えたいです。その方が明日のためになるような気がします。今日1日の中で起こった楽しいこと、しあわせを感じたことをノートにつけると、「しあわせセンサー」の感度がアップするとか。たとえば、テキトーにつくったたきこみご飯が家族に大好評だった、とか。子どもと公園でみつけたペンペン草のハートの葉っぱが可愛かった、とか。どうしようもなく伸びてしまった髪が、今日はヤケに決まっていた、とか。いい天気だった。風が気持ちよかった。・・・・・・何でもいいから、しあわせを感じたこと、うれしかったこと、そういったことを毎日書いて行くと、自分は思ったよりしあわせな生活を送っているじゃないか、なんて気がついたりして・・・。それに、毎日記録しよう、と思うとそういうことに敏感になって、小さなしあわせも見逃さない体質になりそうです。それが「しあわせセンサー」の感度をあげるってことでしょうか。そうすると、日々の暮らしに感謝が深まるし、感謝する人は人生を大切にしますよね。1分一秒を大切にするなら、たくさんのことが行えるし、たくさんの喜びも得られるに違いありません。ということで、アナタも「しあわせ帳」をさっそく作ってみてはいかがでしょうか。
2005/04/17
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「キミは頑張ればもっといい点数が取れたんじゃないのか?」と学校の先生に言われたことがありますか?「この子は、本当はやればできる子なんです」と母親が誰かに言い訳しているのを聞いたことがありませんか?「頑張ればもっとできるんだ。でも・・・」と心の中で、ひそかに考えたりしていませんか?でも、実際はどうでしょう。・・・・・できていませんよね。だって「やらなかった」から。願いはかなう。強く念じれば、未来はその通りになる。よく聞く言葉です。正しいと思います。間違ってはいません。間違えているのは自分のとらえ方かも知れません。願いは必ずかなうでしょう。「行動したなら」願っているだけで行動しないなら、何も変わりません。明日は、単なる今日の続きだから。いつかやろう、いつか成功する、と思っているだけでは、夢見た未来は、永遠にやってきません。大切なのは「いま」やること。たとえ、願いにほど遠いトンチンカンな行動であっても、「いま、やる」ことが大切なのです。「だって、時間がないよ~」ホントその通りです。私たちは、夢の実現のためだけに生きていられるほどヒマではありませんよね。生きていくためにやらなくてはならないことは山積みですから。ガッカリしちゃいます。でも「はあ~」っとため息つきながら何かを行うより、心を込めてやってみましょう。心を込めて、今目の前にある仕事を片付けて行けば、なるようになるものです。自然に、あなたがたどり着くべきゴールへと向かっているはずです。だから、ココロに夢を抱いているなら、いま、やるべきことを、心を込めて一つ一つ片付けていきましょう。そして、口笛をふきながら、歌いながら、毎日の生活を楽しみましょう。そうすれば、必ずしあわせな未来へ到達できるはずです。というわけで、今日も子どもたちのオムツ替えに励むワタシです(笑) 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いします。↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/04/16
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結婚したらしあわせになれる。子どもができたらしあわせになれる。仕事で昇進したらしあわせになれる。もうちょっと痩せたらしあわせになれる。田園調布に家が建ったなら・・・(←おお、これは古いギャグだ!わかるかな?)などなど、○○という状況に身をおけばたぶんしあわせになれるだろうなあ、と予測するのは結構楽しいものです。ワタシなどもつい「宝くじに当たったら○○も、○○も買えるし、○○もできるなあ」なんて想像して、その時間はちょっとしあわせだったりします(笑)でも、そういう条件付きのしあわせって、その条件を満たさなければしあわせじゃない、しあわせになれないってことですよね。そういうことばかりしていては、本当のしあわせはつかめないと思いませんか。頭の中のゲームとして、未来をいろいろ想像するのは、気晴らしにはなります。でも、先のことなどだれにもわかりません。想像していた未来が訪れるかもしれないし、訪れないかもしれない。そしたら、いつしあわせになれるの?そうですね、たぶんしあわせは「なる」とか「なれない」とかではなくて、「ある」のだとワタシは思います。どこかに「ある」のです。では、それを探しに行った方がいいのかな?探す、というより、「みつける」という言い方がが近いような気がします。ほら、暑い夏の日の夕方、涼しい風がひゅぅ~っとほほを撫でて吹いていくとき、それとも冬の寒い日に、あったかいお風呂に浸かったとき。どんな風に感じますか?「ああ、しあわせ~」と感じるのではないでしょうか。たぶん、本当のしあわせってそれかもしれない。幸福論、なんて論じちゃうと難しくなってしまうけれど、人間って意外と単純で、カラダが気持ちよければ、しあわせ感じるものですよね。だから、しあわせってヤツもシンプルで、どこかに探しに行ったり、夢を実現させてそれから・・・、なんてことじゃなく、そこに、アナタの中に、ワタシの中にもきっといつもいつもあって、ココロの奥底でみつけてもらう日を待っているんじゃないかなと思います。 人気blogランキング↑今日の日記はいかがでしたか? 「いいんじゃないの~」と思ったら、1クリックで投票お願いします。↓できたらコチラも・・・(楽天のランキングです)
2005/04/14
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以前、ルイーズ・ヘイの本『すべてがうまくいく「やすらぎ」の言葉』を読んで、「わたしはあるがままの自分を愛そう」というアファメーション(自己肯定の言葉)を唱えたりしていたのですが、なにかしっくりこなかったんですね。だって、自分は○○がダメなんだもの・・・、とかあるがまま、と言ったって、ここが嫌い!とか、気を抜くと、つい否定的なことを考えてしまって。自分はいいんだ、このままでいいんだ。充分だ、スゴイスゴイ・・・などと無理やり思い込むのも何か違うような気がしました。「あるがまま」ということを理解できていなかったのです。「あるがまま」って何でしょう?自分の生まれ持った顔、体?性格?ちょっと違う・・・。表面にあらわれている自分だけじゃなくて、もっと深いところの何かが、たぶんココロが関係しているのではないでしょうか。自分をよく見つめて、ココロの奥までのぞいて、そこにいる自分、生まれたときから変わらない本質的なもの。そんなことなんだろうなあ。そういう自分を発見するにはどうしたらいいんでしょうね。座禅を組む。瞑想をする。そうやって、悟りのようなものをひらくといいのでしょうが、子育て中の主婦にはあまりにも時間がない。時間は作るもの!でも、ないんです、本当に!それでも考えているとアイデアってみつかるものです。「今していることに集中すること」(このアイデアは「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」という本で見つけました)これです。余計なことを考えずに、皿洗いとか、雑巾がけとかに集中するのです。そうすると「自分はダメだ」とか「あの時こうしていれば・・・」とか否定的な考えから、ちょこっと離れられます。または、もっと、こうなりたい!でも・・・、というストレスを生む考え方ともオサラバできるのです。たぶんこれってお坊さんがやっている「作務」(でしたっけ?)のようなことなのでしょうね。お掃除とか、修行の一環だと聞いたことがあります。そうやって、ココロを無にして(何も考えないで)そうして見えてきた自分がたぶん本当の自分なのではないでしょうか。その自分が、「あるがままの自分」かもしれません。その自分を認め、愛することができれば、しあわせになれるんだ、きっと!そう理解した上で、ルイーズ・ヘイの本を読み返してみたいと思います。でも、まず「あるがまま」の自分を発見しなければなりませんね。それには、掃除、洗濯、炊事に育児。ココロを無にして頑張るぞ~!と今夜は思いました。
2005/04/13
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こういうタイトルの映画があったような気がしますが、子育てをしていると、毎日「危機」に直面するのです。危機にもいろいろありますが、一番ヤバイ!と思うのは、子どもの言動に、ついキレそうになる(というかキレてしまう)時。やはり頭ごなしに怒っちゃいけない、と思うものだから、まさに「今、そこにある危機」なんです。子どものいうことだから、とか子どものすることだから多目に見て・・・、なんて思えるのは、他人だから。自分は温厚な方で、今まで(子どもを持つまでは)他人に怒るなんてことは滅多にありませんでした。ところが自分の子だと、なぜかカッとなってしまう。多分、子育てに対する責任感半分、子どもは自分が産んだのだから、自分の所有物、自分の思い通りにしたい、というワガママ半分、というところでしょうか。怒ってしまってから、しまったキツク言い過ぎた、と反省&落ち込みの毎日です。でもね、ここで自分を責めても何もならないと気がつきました。(子育て3年目にしてようやく)失敗したら、やり直す。それだけです。親も、たった3年です。子どもと一緒に成長していくしかないのですね。子育て本もいっぱい読みました。でも、その通りになんてできっこないです。かえってできない自分を責めたくなるだけ。だから、思い切って処分しようと思います。気に入ってるの以外は・・・、というところが全然いさぎよくないワタシです・・・。でも、それが「いま」のワタシです(笑)
2005/04/08
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しあわせのカギは「いま」です。過去や未来はさておいて、「いま」に意識を集中させてみましょう。そうすると、恐れがなくなります。過去の失敗はもう済んだこと。未来の不安は当たるとは限りません。そう考えると、すう~っと気がラクになりませんか?自分は「いま」生きて、ここにいる。それだけで充分じゃありませんか、ね。高望みはしない、卑屈にならない、そして、いま生きている自分をしっかりみつめて・・・。さあ、今日も元気に行きましょう!
2005/04/06
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モノの値段で、これが高い、これは安い!というのがありますよね。人それぞれ違う価値観を持っているので、「これ、安かったのよ~!」なんて話、聞くのはすごく面白いです。1万円のブラウスがバーゲンだったから買っちゃった、などという話を聞くと、ワタシなんぞは、服はもらい物で済ますほうだから、「え~っ、高~い!」なんて思っちゃうけど、多くの女性は、すごく安かった、と感じるんだろうなあ。知り合いで100円ショップが好きなヒトがいて、彼女はそういうところでチョコチョコ買い物するのですが、これカワイイ、これ便利そう、なんて言ってどんどん買い込むワケです。それで「あ~こんなに買っても700円!」とか喜んでいます。でも、そういうものは実際にはあまり活用されていなくて、家の中でころがって、足の踏み場もない状態に・・・。便利グッズの山を踏み分けて生活している彼女。いくら安くてもそれで本当にトクをしたのかどうか、ワタシには理解不能です(笑)でも、彼女の「買い物好き」の部分は充分満たされているワケで、それはそれで、いいんだろうなあ。家が散らかっていて困るのよ~、なんてなげいていますが・・・。価値観の違いって本当に面白いです。それが、人それぞれの「しあわせ」につながっているんですね。だから、他人の生き方にとやかく言わないことが大事、だと思う今日この頃。ところで、ワタシの場合、音楽好きなので、好きなジャンルのCDに10曲以上入って3000円、なんてのは「安い!」と思うんです。だって、才能のあるアーティストが、それこそ血のにじむ努力をして楽曲を作り、それをまた一流のプロと競演して製作された音楽ですよ。それが1枚のアルバムに何曲も入って3000円。それを聞いて、癒されたり、勇気をもらったり、中には魂を揺さぶられるくらいすばらしいものもあって・・・それで10曲3000円だとしたら、1曲あたり300円!その1曲を作るのに、どれだけの時間とお金とエネルギーが使われているかと考えたら・・・。だから、CD増えちゃうんですね。そろそろ整理しなくちゃ・・・。シンプルライフの敵かも・・・。最近のお気に入り平原綾香/ザ・ヴォイス基本的に女性ヴォーカルが好きですメロディアスで、ゆったりした曲自分がゆったりした・・・というかノロマなヒトなんで・・・他のCDをお探しならココをクリックしてみてください。簡単に見つけることができます。ドリームズ・カム・トゥルー/DIAMOND15(通常盤)conna
2005/02/19
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シンプルな生活、に憧れます。情報ばかり氾濫するこの世界。油断していると、すぐにいろいろなモノやコトが、家や生活習慣、こころの中にまで入り込んで、気がついた時には、もうどうにもこうにも収拾がつかない状態に!もともと人間の生活はシンプルなものですよね。食べて、寝て、働いて、遊んで・・・。好きな人ができて結婚して、ある人は子どもも出来て、年取って、孫に囲まれ、そして・・・。そんなものでしょう?それを、あれが欲しい、これも欲しい。本当の自分は今の自分ではない、もっと自分には何かの才能があるのではないか、と悩んだり。自分以外の誰か成功している人のように生きたい、とそのために、多くの時間とお金を使って、たくさんの情報を取り入れて、ある時は、それに翻弄され、傷つき、押しつぶされそうになります。モノだって、必要なものだけじゃなくて、必要「かもしれない」モノまで持ち始めると、あっという間に家の中はモノだらけ。今度は、それを収納しようと収納用品にお金をつぎ込み、モノの管理に膨大な時間を取られるのです。片付かない家はくつろげず、ああ片付けなくちゃと気持ちも落ち込みます。ああ、なんという無駄!人生の無駄遣いです。もっとシンプルに生きましょう。自分に必要なもの、必要でないものを見分けて、賢く暮らしたいものですね。最近思うんです。しあわせはもともと自分の中にある。必要なものはすでにみんな持っているんだ、って。だから、身のまわりを整理整頓して、自分のこころの中を探る時間を持ちたと思います。シンプルな暮らしに役立つ本シンプルライフをめざす整理収納インテリアすっきりした部屋で暮らしたいならオススメです。心のシンプルライフお部屋がすっきりしたら、こころの中の不用品も思い切って処分! もっと身軽になりましょう。conna
2005/02/18
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今、一番欲しいものは、「自由なこころ」です。自分でもそう思っていたし、ヒトからも「自由に生きている人」と思われがちなワタシでした。でも、そうじゃないなあ、と気が付いて・・・。結構、ヒトの目を気にして行動しているんですよね。この日記だって、「こう書いたらウケがいいだろうなあ」とか、気を使ってるんですよ。何でもできる、何にでもなれる、と思って生きてきたけど、それはただの強がりだったんです。自分は自分でなくて、他の何かに(誰かに)ならなくちゃ、とずっとこころを縛ってきたんですね。あるがままの自分「ワタシ」をどこかで否定してた。自分は「そのまま」でいいのにね。最近ずっと体調が悪くて、日記の更新も休んでいました。でも、実はうすうす気が付いていたんです。「このサイトにいるのはホントの自分じゃない」と。そのギャップを埋めるのが苦しくなってきちゃった、というのが本当のところです。だから、しばらく自分のサイトを覗くことさえできなかったのでしょう。「自由なこころ」は無理しない、背伸びしない、あるがままの自分を許し、見栄を張らない。等身大の自分を愛しています。明るく、強く、しなやかなこころ・・・。今、一番欲しいものはそれです。
2004/11/10
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何かに「こだわり」を持つ、ということはカッコイイ、と思っていました。だから、以前のワタシは、「こだわりを持ったオトコ」なんてのに弱くて、朝は挽きたての珈琲でなくちゃ、などとこだわるオトコには、もうメロメロでした(笑)でも、最近思うのは、人生、こだわりのない方がラクに生きられるのではないか、ということ。だって、たとえば、朝の珈琲にこだわっていたら、珈琲豆を切らしてしまった日は、一日気分が悪いじゃありませんか。珈琲がなければ紅茶でイイや。それがなければ水でいいや、くらいに思っていた方が気がラクです。人生すべて、これがなくちゃ、こうでなければいけない、と思わない方がラクに生きられます。別にラクに生きるのが絶対イイ!とすすめるわけではありません。苦難の道を生きたい、それこそワタシの生きる道だ、と言うならそれもそれでいいと思います。でも、ワタシはラクに生きたほうがいいと思うんです。こだわって、しがみついて、自己実現にはこの道しかない、と追求するより、臨機応変に「できるときにできることをする」でよいのではないかと・・・。たかが人生じゃありませんか。何かの道で名を成すこと。高収入を得て、好きなものを手に入れること。それは、それですばらしいですけど、何が何でもそうしなくちゃ、としがみつくなら、「しあわせ」な気持ちはどこかに行ってしまいます。夢がかなわなかったときに不幸になるなら、夢なんか見なくてもいいじゃありませんか。それより、いつも笑っていたいと思いませんか。しあわせな気持ち、が一番大切だと思いませんか。笑いながら歩いていく、その過程で、何か楽しそうなことがあれば挑戦してみる、そんな気持ちではダメでしょうか。スゴイ研究で世の中に貢献したヒト、スゴイ大金持ちになってたくさんの寄付をしたヒト、そしてワタシ(アナタ)。誰が一番偉いですか。他のヒトと比べたら、自分はそれほどダメ人間ですか?好きなこと、やりたいことがなくちゃだめですか?ただ生きているだけではダメなんでしょうか。そんなことないと思うけどなあ。野の花は、ひっそり咲いているだけで、誰かの役に立とうとか思わなくても、ただそこに咲いているだけで美しいのです。どこかの誰かがそれを見て、涙が出るほど感激するかもしれません。たとえ誰にも見られないまま散っていっても、咲くこと、タネを残して命をつなげること、それだけで天を(神を?創造者を?宇宙を?なんでもいいけど)賛美していることにならないでしょうか。野の花は、そこに咲いているだけで価値があるのです。だから、自分だってきっとそれなりの価値があるんだから、もっとこだわりを捨てて、ラクに生きたいと思うのです。好きなことがあるなら、やればいいし、ある時期、必死になってそれを追いかけてもそれはそれで素晴らしいこと。でも、何がなんでも思い通りに生きたいとか、願いを叶えようとそのことにこだわってしがみつくのは、不自由な生きかただなあ、なんて何も出来ていない私ですが、生意気にもそんなことを今日は思いました。
2004/07/27
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成功とは何か?お金持ちになること?仕事がうまく行くこと?有名になって注目されること?安定した結婚生活を送ること?子どもを一流私学に入れること?整形して美人になること?人それぞれ、いろんな答えがあると思います。どれが正しくて、どれが間違っているということもないし、どれが上で、どれが下ということもありません。大きいと思える成功も、人目にはショボイと思われる成功だっていいんです。どれも成功。問題は、アナタが成功したいか、したくないか、それだけです。最近、思うのは、上に書いた大きな目立つ成功ばかりじゃなく、実は身の回りには、成功のタネがゴロゴロころがっているのではないか、ということ。今日は部屋を片付けよう!と決意する。→それを行う。→きれいに片付いた!これも成功。今日は夕飯にカレーを作ろう!と決意する。→それを行う。→おいしくできた!これも成功、なんだっていいんです。要するに「自分で決めて行う→達成する」これが成功なんです。誰かから強制されてやるんじゃなくて、仕方なく、なんとなくやるんじゃなくて、やろう!と思ったことを行えたら成功!ね、なんだか気がラクになってきませんか?散歩に行くことだって、気になっていたビデオを見るコトだってみ~んな成功!人生、どれだけ自主的に何かを行えたか、で満足感が違います。無理に大きなことに挑戦して、自分意は無理だと落ち込むくらいなら、ちっちゃなことをどれだけ行えるか、というところから挑戦してみたらいかがでしょうか。
2004/07/24
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去年の七夕の日、息子が入院した。まだ、2歳になったばかり、食事も自分ひとりでは取れないのに、入院しないと検査できないから、と言われ、夜ご飯も食べていないのに、そのまま入院となった。病院のご飯は早いので、とっくに終わっていて、何か買って届けてもいいか、と聞くと、よい、との返事。慌ててコンビニのおにぎりを買いに走った。ナースステーションに戻り、息子に食べさせたい、と言うと先ほどの看護士さんはいなくて、夜勤の人に代わっていた。「もう夕食は終わっていますから、食べさせることはできません」との返事。さっきのヒトは一緒に面会室で食べるように手配してくれました、と言っても、「規則ですからできません」の一点張り。見た目、元気なのに入院を強要されて、夕食も取れないとは!奥の部屋から、息子の鳴き声が聞こえる。「かあちゃん。かあちゃ~ん・・・」言葉の遅い息子が、叫んでいる。他には知っている言葉もない。大声をあげたことのない息子だ。とにかく、これを食べさせてやってください、とおにぎりを渡す。やる気のなさそうに受け取る看護士。労働条件がきついのはわかるが、アンタら一応サービス業だろう、と思った。患者と家族の不安を取り除くのが勤めじゃないのか!本当に頭にきた。帰る道、遅くなったので外で食事を取る。食事中、店長らしき人がテーブルに来て、今日は七夕ですから、願い事を短冊に書いたら、店の笹に飾ります、と言う。「○○ちゃんが早く治りますように」と書いた。レジで支払いをしている時、「この○○ちゃん、というのは犬ですか?」と店長がきいた。・・・・マヌケな店長だ。そりゃ、ウチの息子は、動物の名前を連想させるが、もし、人間の名前だったらどうするんだ。気を悪くするじゃないか!でも、大切に飾っておきますから、と言う姿に何となく好感を持てて許せた。今でも、あの店にいるのかな~。あの店長。バイトが、やる気のなさそうだったのが印象的だったなあ。翌日、病院に行くと、担当の女医が「やっぱり、○○病じゃなかったです。でも、念のため1週間入院してください」と言った。熱もない、食欲もある、元気な息子がなぜさらに1週間も?右隣の人に聞いたら、もう1ヶ月も入院しているとのこと。「なかなか退院できないのよね~」とのんきな返事。左の人は、「ウチの子は4人だけど、この2年間で、4人で6回入院した」と言う。一体どういう病院?!それに、ウチ以外は皆何度目かの入院のようで、どこかの閉鎖的公園社会のように、ウワサ話に花を咲かせていた。世の中には病室デビュー、というのもあるらしい。というわけで、1週間後、逃げるように退院したあと、その病院には2度と行っていない。七夕が来ると思い出す、嫌な思い出だ。みなさんは、楽しい七夕を!
2004/07/07
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皆様のご協力により、無事、セミナーを終えることができました。Mimi Platicoさんよしみ☆のりかずさんゆうすけ!さん本当にありがとうございました。そして、遠くから参加してくださった皆さんもありがとうございました。みなさんにお会いできて本当に嬉しかったです。それと、忘れちゃいけない妹尾榮聖さん。支部長、というだけで、どこの誰だかわからない者の誘いに応じてくださって本当にありがとうございました。メルマガで、ファンになって1年!「逢いたい~!」という気持ちが届きました。妹尾さんは想像通りステキな方で、人を元気にさせる波動を出しておられました。ワタシの逢いたい気持ちとみんなの逢いたい気持ちが一致して、今回ユメが叶ったのですね。気持ちって大切ですよ。プラスも、マイナスも、思ったことはすべて現実を作って行きます。今回もまた、ユメがかなっちゃった~。妹尾さん、セミナーに集まってくださったみなさん。本当にありがとうございました。ワタシの人生に、またひとつ小さな、美しい花の種をまくことができました。さて、言いだしっぺだったので、セミナーが終わるまで、結構大変でした。子供たちにも、時間を充分にあげることができませんでした。でも、これからは、ちょっと、ペースを落として(対外的なことは走らなくちゃできない性格なんです)ハァハァしちゃってましたからね(^^)自分のペースで歩きながら、抱えているものを整理整頓したいと思います。というわけで、この楽天日記ですが、更新のペースがかなり気まぐれになると思います。自分の中で一番、を大切にしようと思うからです。また、そうしていかないと、単なる自己満足なモノしか書けなくなってしまいそうで・・・。やはり、日記とはいえ、公開して読んでいただくものですから、何かちょっとでも、みなさまの心にひっかかるものを書く責任があると思うのです。時間がない、時間がない、と言いながらじゃいいものが書けないノロマなワタシです。というわけで、ゴメンナサイ。これからは更新もまちまちになりますし、いただいた書き込みにお返事を差し上げるのも、かなり遅くなると思いますが、ぼちぼち、やっていきます。いつも来てくださるこころやさしいみなさまありがとうございました。これからも、忘れなかったら、時々来てくださいませ。Coo-Coo
2004/06/28
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今週末に、妹尾榮聖さんのセミナーがあります。東京?それは、日曜27日。コチラはドドーンと100名以上で!そうじゃなくて26日に神奈川県鎌倉市で少人数の、(20名位で、ひっそりと)紹介者ナシでは入れないヒミツセミナーがあるんです。どうしても、来たいヒトいますか?最終募集です。メルアドを必ず記入して、メッセージを入れてください。折り返し、お返事します。もう、間もなく締め切りますが、若干名参加可能です。
2004/06/24
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時間がない!これはもうどうしようもありませんね。生活スケジュールを見直して、無駄な時間を排除して、あれこれ工夫して、それでもないのなら、もう仕方がありません。あきらめましょう!ヒトにはそれぞれ24時間しか与えられていないのです。無駄な時間だから、といって寝る時間、くつろぎの時間まで排除しますか?あなたの人生にとって、寝る時間、くつろぎの時間は本当に無駄ですか?子どもと遊ぶ時間、家族と会話する時間。それが無駄だと思えるなら、あなたの人生は一体何なのでしょうか。成功とはなんでしょうか。お金持ちになること?仕事で「勝ち組」になること?いいオトコと結婚すること?怠けてダラダラ暮らすこと?人それぞれでしょうし、それぞれだからヒトは面白いのですが、アナタは?アナタにとって一番大切なことは?それがわかれば、優先順位も決まるので、時間がない!なんてことにはならないはずです。時間がない、というアナタ(ワタシ)は欲張り過ぎなんだ・・・きっと。
2004/06/22
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昔、アニメの一休さんで「はあ~、ひとやすみ、ひとやすみ」とかいって、そのあとCMになりましたね。今夜は、なんか急にそれを思い出してしまって・・・。このところ、全然休めなくって、ちょっと辛かったですね。やはり、今のワタシの第一の顔は「おかあさん」ですから、それを休むわけにはいかないのです。では、楽しめばいいんじゃないか、とこころの声が聞こえますが、頭ではわかっていても、「ふうう~」ってことあるんですね、子育てには。これは、きっと経験者にしかわからないことでしょう。いくらやさしいダンナさんでも、妻の本当の苦労は絶対わからないと思います。それに、今は、子どもが大きくなっちゃってるヒトにもきっとわからないでしょう。だから、もし子育ての先輩に相談しても、もっともらしいことしか言いませんよ、きっと。自分がダメなヒトに思えちゃったりして、かえって落ちこみます。たぶん忘れちゃうんですよ。子育ての苦労って。(出産の痛みだって忘れちゃいますよね)だからいいんですけど。あとから、いい時代だった、楽しかったなあって思い出せるから。苦労なんだけど、苦労じゃない、というか・・・。不思議ですよね。だから、自分がどんなに鬼のような顔をして子どもに文句言っていても、決して心配しないでください。(程度によりますけど。虐待かそうでないかはわかりますよね)アナタはちゃんと、子どもを愛しています。子どもが好きで好きでたまらないのです。それでも、時々、何かがズレて頭のねじが飛んじゃうことがあるんです。それで、「こおらあ~っ!!!」と子どもを叱っちゃうんです。朝起きて、ご飯食べさせて、洗濯して、掃除してどこかへ連れて行ったら、それだけで1日終わっちゃうんです。夜になってグズグズして、寝なかったり、深夜に突然起きちゃったりすることもあるんです。そういうのが続くと顔にだって疲れが出るし、笑顔がなくなったりもします。でも、心配いりません。子育てのフルタイムはたった5年くらい。あとはパートタイムの仕事になってきます。その頃には余裕のお母さんになれるでしょう。髪振り乱して、時には鬼のように怒ったり、不機嫌になったりするのも最初のうちだけ。そう思って、頑張りましょうね。と、自分に言い聞かせる今日このごろ。はあ~、ひとやすみ、ひとやすみ。
2004/06/17
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最近、メールがメインの交友関係ばかりだった。ところが先日、日記の更新を休んでいる時、同じ日に手紙が3通も届いた。それも、ネットで知り合った友人達からの手紙。普段はメールのやり取りがメインだ。手紙をもらうなんてめったにないこと。それも同じ日に3通!一通はオランダで絵の勉強をしている女性からの絵葉書。自分の夢の家をほのぼのとしたタッチで描いたもの。もう一通は、自分のサイトで発表し続けたエッセイを小さな本にし、それを最後にサイトの方は閉めてしまったライターから。3通目は、ストリートライブに明け暮れた青春時代を終え、今は牧師となって、北海道で暮らす友人からの自作の歌のテープだった。世の中に偶然はなく、すべて必然、意味のあることだという。では、一見偶然に見える、この3通の手紙の意味はなんだろう。共通しているのは、3人とも自分の夢を追って、生活を変えた人たちだということ。その選択に満足し、自分なりのしあわせをつかんでいるように見えること。地に足の着いた生活をしていること。・・・・・・。自分に足りないところばかりだと思った。大切なことに焦点があっていないワタシへの、神様からの忠告?それも、手紙というアナログな手段で!最近、PCに向かうのを上の子が邪魔する。ひどく怒り、そして泣く。だから、子供たちの前では、PCを触ることができない。そのことで、コチラがイライラすることもある。楽しみだったサイトの更新が結構キツかったり、しあわせだったはずの子供たちとの生活を時には苦痛に感じたり、最近、ずっとヘンな感じだった。サイトの更新を休んでいた間、時間がゆっくり流れていた。もしかして、自分にはデジタルなものは向かないのかもしれない。3通の手紙はほんのりあたたかく、うれしくて、何度も読み返した。大切なものを忘れてはいけない、と教えてくれているような気がした。
2004/05/31
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アナタの命があと1年とわかったら、何をしたいですか?半年なら?三ヶ月なら?あと1日しかないとしたら?・・・・・。それなら、やろう!やるしかない!と思える何かがあるでしょうか?では、それを今から始めましょう。それが、アナタの一番やりたいことなんです。しばらく、日記の更新をお休みさせていただいていました。わがままをお許しくださって、ありがとうございました。引き続き、よろしくお願いいたします。
2004/05/30
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ただいま充電中!明日から日記更新いたします。でも、どうしてもお伝えしたい情報があったので・・・。妹尾榮聖氏の東京講演について、ご本人からメッセージが届いたのでお知らせします。関心のある方は是非、ご出席くださいませ。残席わずか、です。 日時 6月27日(日) 13:30~16:30 受付13:00~ 場所 池袋 サンシャインシティ文化会館 7F 704・705 (二次会 和民) 申込み こちらからおねがいします! 問合せ先 セミナー.com 中尾裕亮(なかおゆうすけ) メール: seminar_com@yahoo.co.jpなお、以下のメッセージはメルマガ「セミナー.com」に寄せられたものを転載しています。 こんちゃ。妹尾榮聖です。 成功したいという思いを、あなたも持っていますよね。 じゃぁ、成功できる自信は、持てていますか? 成功したいという思いを持っている人に比べ、この自信を持っている人の、 いかに少ない事か…。 では、何故、あなたは、成功する自信を持てていないのでしょうか? それは、『成功するためには、特別な人間になる必要がある』という、思い を持っているからですよね。 そして、自分は、特別な人間ではないから、成功する事に自信を持てずにい るんですよね。 ハッキリと言いましょう…。 成功するのに、特別な人間になる必要はありませんっ! もし、あなたが、今の時点で、「成功するためには、特別な人間になる必要 がある」と思っているとするなら…。それは単なる 妄想 に過ぎないのです。 「ウッソだ~~」 もしかして、そう思いましたか? でも、これは、慰めでも何でもなく、本当のことです。 凡人でも、きちんとしたステップを踏めば、成功する事が出来るんですね。 特別な人間にならなくっても、普通の凡人から、少しだけ出来る凡人になり さえすれば、成功する事は出来るのです。 実際に、成功者の中には、凡人も沢山いるのですっ! 今回、榮聖は、東京でセミナーを開く事になりました。 このセミナーは、「凡人がどうすれば成功して行くことが出来るのか?」と 言う事を、皆さまにお伝えするためのセミナーです。 もちろん、このセミナーは、単なる「やる気を啓発するだけのセミナー」な どではありません。 実際に、どのように考え、どのように行動すればいいのかをお教えするセミ ナーです。 やる気は、もちろん大切なものですが、やる気だけあっても、成功する事は 出来ないですからね。 自分が、どうすれば成功するのかが見えてくれば、成功する事に対して、自 信を持つことが出来ます。 自信を持って行動すれば、同じ行動をしても、全然結果が違ってくるのです。 あなただって…。 おどおどしているセールマンよりも…。 自信を持っているセールスマンから、商品を購入したいですよね。 このように、同じ行動をしても、自信を持っている人と、自信を持っていな い人では、全然結果が違うのですね。 あなたがもし、本気で成功したい人なら、このセミナーに参加してください。 そうすれば、自分が、どんな行動を起こしていけば良いのかが、具体的に見 えてきくるからです。 それが見えてくれば、あなたは、自分が成功することに、自信を持つことが 出来るようになるのです。 そして、強い自信は、やがて、確信になります。 そして、確信を持ちながら行動する事が、どれだけの結果をあなたにもたら すのでしょうか? このセミナーに参加することの価値は…。もう、お分かりですね。 今回は、あなたに、より強く成功できることを理解していただくために、も う一人の講師をお招きする事にしました。 その講師の名は、(有)アクエリアスの、新井諭之(あらいさとる)君です。 彼は、昨年末までサラリーマンをしていて、年末に独立。 1ヶ月目で、100万円…。 2ヶ月目からは、300万円の収入をたたきだした、ツワモノです。 しかし、彼も、特別な人間ではありません。 当たり前の事を、愚直なまでに、当たり前に行動した人間なのです。 優れているどころか、彼は、学生時代、偏差値38だったダメ男だったので すから…。 当日は、2人で、「凡人が成功する方法」を、あなたにお教えしていきます。 おそらく、もう、二度とない顔合わせのセミナーです。 このセミナーに出れば、あなたの成功に対する価値観は変る事でしょう。 この豪華セミナーが、たったの¥5,000で受ける事が出来ます。 ハッキリ言っておきましょう…。 榮聖は、自分が成功する前に、このセミナーに出ておきたかったっ! 5年前の榮聖なら、5万円出しても、このセミナーに出ています。 マジでっ! あなたが、本気で思考したい人なら…。 セミナー当日に、東京でお会いできるのを、楽しみにしています。 妹尾榮聖
2004/05/28
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これ、良いな~と思うと、何でもやってみたくなってしまうんです。だから、いつもやりたいことがいっぱいで、それはそれなりにワクワクした毎日なのですが、実際問題として、やりたいこと全部できているか、というとそうではないのです。圧倒的に時間が足りない!やりたいこと、以外にもやらなくてはならないこと、というのがあって、これは大人としての責任や、親としての責任や、そういったもので・・・。どうしてもそちらを優先せざるを得なくなります。そうすると、フラストレーションがたまって、ますますいろいろやりたくなるのですね。そして、そんなにたくさん出来るわけないので、自己嫌悪に陥るわけです。そろそろ、ほんと、そろそろですね~、広く、浅く、の自分を卒業しなくちゃならなくなりました。お友達のくみくみさんの日記に触発されました。「本当にやりたいことを、本気でやる」のです。ですから、これからのCoo-Cooは、狭く、深く、がテーマですね。というわけで、たいへん申し訳ありませんが、しばらく、日記の更新をお休みします。充電する時間をください。勝手ですが、よろしくご了承くださいませ。次回お会いするのは、たぶん今週末になります。B.H.Dodoさんの復活の儀式で!ナンじゃそりゃ!と思ったアナタ。サイトを訪問してみてくださいね。↑
2004/05/23
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どちらかというとマニュアル人間なので、料理本も山のように持っているんです。定期的に処分するのですが、それでも結構な数を持っているほうだと思います。あ、おいしそう、と思うとつい買ってしまって、でも、しばらくすると、増えすぎて処分。それでも、いつまでたっても、残る本も何冊かあって、それが、ワタシの料理の根本的な部分になっているのだと思います。母は、あまり料理が得意な方ではなかったし、家庭よりも仕事で成功している人なので、母から教わった料理っていうのはありませんね。う~ん、とうなっても、これといって思いつかない。記憶にあるのは、ひき肉のいっぱい詰まったオムレツ。これは、オムライスのライスの部分が、たまねぎとひき肉を炒めたモノになっていて、それにウスターソースをジャブジャブかけたヤツ。それと、スパゲッティミートソース。これは、○ーミックのミートソースのモトで作る。必ずクリームコーン缶で作ったコーンスープが一緒だった。どちらも大して手がかかったものではないけれど、3人も子どもがいたので、ま、そんなものでしょう。みんなが喜んで、手がかからない料理、ですよね。父はほとんど単身赴任で、半年に一度くらいしか帰ってこないので、そんな料理ばかりでした。それでも、誕生日には好きなものをリクエストできるので、私の場合は、ひき肉の入ったコロッケを山ほど。ピラミッド型に積み上げて20個くらいあったかな。それを一人で6個は食べた。だから、料理なんてほとんど教わらなかったけど、コロッケだけは作り方をみようみまねで覚えていました。彼氏に始めて作ったお弁当のおかずも、ハート型のコロッケでした。(キャー、ハズカシイ!)というわけで、料理は独学で本見て勉強しました。ケーキもパンも、家では作ってもらったことなかったので自分で覚えました。でも、料理のレシピは教わらなくても、お手伝いを通して、生活の匂いとか、手仕事のおもしろさ、みたいなものを教わっていたのかな、と思います。昔は、なんだかご飯の支度ひとつとっても、今と比べると、手間隙が違っていました。夕方3時頃から、かつお節を削ります。これは、ほうれん草のおひたしにかけたりするヤツ。グリーンピースの筋を取ったり、ゴマをすったり。こういうのが子どもの仕事です。今日のご飯はなにかな、なんて思いながら、お手伝いしたものです。なんか、当たり前のようにお手伝いしてましたね。料理は下手でも、子どもの教育はうまかったのか・・・。よく、わかりませんが・・・。だから、私の料理好きはここから来てるのかもしれません。素材に手をかけて、それがおいしく変身する過程を、お手伝いを通して、体で覚えたのでしょうね。カラダで覚えたことって、きっと一生の財産になると思います。料理だけでなく、生活のいろいろ、とか、勉強の習慣もきっとそう。塾だ、なんだ、お受験だ!と言う前に「ああ、勉強っておもしろいなあ~」って思わせるように子どもに教えていく、そういう機会を作ってやるのが親や教師の役目なのでしょうね、きっと。おもしろければ、勉強するもん。頭からではなく、体験として教えてやりたいですね、自分の子には。残念ながら、そういう体験をしてこなかった人も、興味を持ったら、なんでも体験してみればよいと思います。ワタシのレシピ本コレクションじゃないけど、興味を持った分野のハウツー本買って試してみればよいのです。すぐに試せなくても、そういう本が山ほど手元に集まった頃、突き動かされるように行動し始めると思いますよ。行動しなけりゃダメ、です。知識は、詰め込んで宝にしようとしたってダメなんです。時間がたてば、頭で覚えたことなんて忘れちゃうんです。カラダに覚えさせなくちゃ、宝にはなりませんよ。しまいこんでも、価値があがるわけじゃなし。というわけで、試していないレシピが山ほど溜まったところで、そろそろ本を処分する時期が来たなあ、と思う今日この頃。最近の本は写真がキレイで、手放すには惜しいものがいっぱいです。でもね、いつもどうしても残るのが、料理の写真なんか1枚もない、イラストと文章で説明したソフトカバーのヤツなんです。それだけはもう20年以上手元にあります。宝、ですね。
2004/05/16
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小中高の頃は、勉強が大好きというわけではなかったですね。だって、理数系がひどく苦手で、テスト勉強なんかも辛かった。文系の科目は好きでしたが、テストのための勉強はおもしろくないのでやっぱり苦痛でした。好きな科目だけ学べたらなあ、と思っていました。だって義務教育に、社会にでてから必要な科目ってあまりない。字が書けて、簡単な計算ができれば、ついでに英語が話せれば、ほとんどOKでしょ。だのに、物理や化学、数学のサイン、コサイン、タンジェントなんか、今まで、必要だったことなんか一度もないもんね。でも、最近思うのは、義務教育ってのは、基礎的な学力をつけることももちろんですが、忍耐力をつけるのが一番の目的ではなかろうか、ということ。毎朝、決まった時間に学校へ通い、嫌な友達とも顔を合わせ、時間が来るまで、ジッと座って先生の話を聞き、もちろん眠いのをこらえているから、拷問みたいなもので・・・。テストがあれば、ちょっとは必死に机に向かい、成績のことで親に文句を言われ・・・。これって社会にでた時、しっかり役に立つじゃありませんか。満員電車に揺られ、時間通りに職場へ。業務のため机に向かい、上司に嫌味を言われ・・・。ガマンガマンの毎日を繰り返していれば、淡々と生きていく術が学べます。社会生活は、淡々です。ドラマティックな冒険が毎日待っているわけじゃありませんから。最低限、人様に迷惑をかけないように生きていくために、義務教育の期間中、忍耐を身につけるのです。そして、やっぱり勉強がちょっと好き。好きなこと極めたいと思ったなら、大学へ行けばいいの。そのためには高校も。高校に行く頃には、規則正しい学生生活が身について、染み付いているから、楽勝!かな?そしていよいよ大学。大学は楽しいですよ。好きな学科だけ学べばいいのだから。事情が許すヒトは行った方がいいですね。世界も広がりますし。遊びたいヒトは、好きなだけ時間を使えるし。将来のこと考える時間もいっぱいある。ワタシなんかはろくに授業に出なかったけど、大切なことは全部、その頃学んだと思います。世の中にはいろいろな人がいて、みんなそれぞれの生きかたをしているんだ、ということがわかったのが収穫でした。でもね、学ぶのが一番楽しいのは大人になってからです。大人ってのは時間がないから、勉強だけしていればいい学生がすごくうらやましいのです。大人は、何か新しいこと学びたくても、義務がいっぱいあって、勉強だけってわけにはいかないから。だから、いまごろになって、ああ、学生のころはよかった。もう一度、学生に戻れたら、テスト勉強だって一生懸命するのに、なんて思うわけです。だから、今、学生やってるみなさん。きっと後悔するから、与えられた時間は勉強に使った方がいいですよ。遊びなんて、大人になってからいくらでもできる。勉強は今しかできないよ!なんて、思うのですが・・・。若いヒトは反対に、今しかできないことがある、と言うのでしょうね。どっちも一理ある。いずれにしても、「今を精一杯生きる」ということが大切なのでしょう。
2004/05/13
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アナタには大切な友達がいますか?その友達が落ち込んでいたら、もちろん力になりたいと思いますよね。まずよく話を聞いてあげます。何があったかやさしく聞きだすかもしれません。その友達が自分には価値がない、と感じているようなら、やさしく励ましてあげるでしょう。そんなことはない。アナタは素敵なヒト。大切な友達。大好きよ、と。もしかしたら、何かに失敗して物事に取り組む意欲をなくしているかもしれません。ダイジョウブ、次はうまく行く。あなたならできる。応援するよ、とやさしく後押ししてあげますか?それとも、何かその人の欠点が落ち込みの原因に関係しているなら、アドバイスをしてあげられるかもしれません。それも、その人の顔色を見ながら、傷付けてしまうことのないように、言葉を選びながら話すでしょう。・・・・・。自分を大切にする、というのはそういうことです。友達にはやさしくできるアナタが、どうして、自分にはやさしくできないのですか?自分はダメだ、また失敗した。何度やっても無駄だ。もうやめてしまえ、バカ!そんな言葉を、自分に向かって言っていませんか?友達に向かっては決して口にしない言葉を。ちょっと、考えてみて。アナタはアナタの一番の友達です。心の中までお見通しの親友です。では、そんな自分に、もっともっとやさしくしてあげてくださいね。アナタの大切な誰かに接するように、自分に接してあげてください。こころから賞賛して、愛してあげてください。自分を愛するということは、決して利己的なことでも、自分が他の人よりすぐれているということでもありません。自分を愛することは、自分自身にやさしく、自分自身を大切に思うことです、アナタが大切な誰かに接する時のように、自分に励ましやアドバイスをして、自分自身の人生を歩いてみてください。他の人の評価や、無責任な決め付けから自由になってください。アナタにはやり遂げる力があるのだから。
2004/05/11
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自分は大丈夫。こんなことではへこたれないのだ、と必要以上に無理をしていませんか?ある程度までは、それは自己鍛錬の部類に入ります。強くたくましく、人生を生きていく手段です。でも、こころが悲鳴を上げるほど、無理をしてはダメです。なんだか元気が出ない、食欲がない、または食べ過ぎる。何を見てもおもしろくない、笑えない。それは、アナタのこころが悲鳴を上げている証拠。ワタシはダイジョウブ!いいえ!!!大丈夫なんかじゃありません。こころがパンク寸前です。我慢しすぎです。本当は辛くありませんか?本当は傷ついているのではありませんか?正直に自分に問いかけてください。自分がそんなにも頑張っているのはどうして?自分の将来のため?それとも、誰かを喜ばせるため?できない、苦しい~、と思ってやっていませんか?本当はもうやめちゃいたい。そう思っていませんか。そうしたら、1度やめてみるのはどうでしょうか。せめて、今日1日だけでも、アナタを苦しめている行動から、離れてみてください。ワタシはこんなに苦しい。辛い、悲しい。それは、なぜ?誰かの評価を気にしているから?自分に負けたくないと意地を張っているから?自分をよく見せようとしていませんか?弱い自分はカッコ悪いですか?いいじゃないですか。どんなアナタもアナタです。世界に一人っきりのあなたです。誰かと比べたりしないでください。自分をいじめすぎないで・・・。そのままでいいじゃありませんか。明日から、また始めればいいのです。
2004/05/10
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しあわせになる力は、誰でも持っています。でも今、しあわせではない、と感じているのはなぜ?たとえば、人を当てにしたり、お金に頼ったり、自分ではないもの、肩書きや、家柄、たくさんモノを持っていること、などに頼っているなら、しあわせにはなれないでしょう。そうではなくて、自分はしあわせになれるんだ、自分の中に、しあわせになる力を持っているんだ、と信じましょう。何かに頼ることをやめれば、自分で考えたり、動いたりするようになります。そうすると、不思議なことに、今まで見えていなかった部分を、自分の中に発見できたり、自分で頑張ろうとしているアナタを応援してくれる人が現れたり、蒸気機関車の大きな動輪がゆっくりと動き出すときのように少しずつ、物事が動き始め、そのうちに速度を増して、転がり出したら、いろんな夢が次々に叶い始めるでしょう。だから、人を当てにしない、何かしてもらうよりしてあげよう、と考えて、行動しましょう。時期を待ちましょう。自分を信じ続けてください。
2004/05/09
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カラダの成長のためには、バランスの取れた食事、適度の運動、充分な睡眠が必要です。好きなものばかり食べて、運動もせず、夜更かししてネットサーフィン・・・。これでは、成長できません。見かけは立派でも、中身はガタガタです。病気がちだったり、太りすぎだったりします。では、こころの成長のためには何が必要でしょうか。カラダと同じく、1.栄養 2.運動 3.睡眠といったところでしょうか。栄養は勉強することです。学校の勉強だけでなく、人生勉強=いろいろな経験を積む、ということが必要です。運動は、いろいろなところから得た知識を「使う」ということです。学校の勉強も、教科書の丸暗記では使い物になりません。応用がきかないと・・・。人生経験も、○○をした、○○へ行った、というだけでは整理されていないアルバムと同じ。自慢話のタネになるくらいで、自分の人生のためには何の役にも立ちません。経験自体には、たいした意味はないのです。それでないと不公平でしょ。お金とヒマのあるヒトは、楽しい経験をいろいろできるし、いろいろな事情でつらい経験ばかりの人もいます。では、お金持ちは、その経験で人生の成功者になり、つらい経験ばかりのヒトは不幸のどん底を歩むのでしょうか?違いますよね。 経験したことを、整理整頓して、そのあとの人生にどう生かすか、それが成功のモトなのです。経験から学ぶこと、でヒトは賢くなれます。実際に経験できないなら、映画、本、音楽など他者の経験に感情移入して、自分に当てはめてみることができるでしょう。自分だったらどうするか、この教訓から何を今後の人生に生かせるか、を考えるのです。自分を客観視することも、理解の手助けになるかもしれません。それに、実際につらい経験をしたとき、後からでもいいから、自分を客観的に見ることができれば、悲しみも幾分やわらぐでしょう。次は睡眠、ですがこれは時にはリラックスしてこころを休めましょう、ということ。疲れて元気が出ないとき、カラダだけじゃないですよ、こころも疲れているんです。好きなことをゆっくり楽しむ時間も必要です。気にかかることも何もかも忘れて笑いましょう。笑う門には福来たる、ですね。おバカな映画を観たり、読み物を読んだり、笑い転げましょう。それと反対に、ウンと悲しいドラマで、おもいっきり泣くのもいいかと思います。人のことで、泣くのはこころが洗われるようで、時には気持ちがいいものですよ。しあわせとは、精神を成長させることだ、と言った人がいます。ぼんやりしていては精神が成長しません。精神(こころ)を成長させることを意識してみませんか。
2004/05/06
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時間がないから。お金がないから。才能がないから。やったことがないから。家族が反対するから。子どもがいるから。疲れているから。・・・・・。言い訳はいろいろありますが、言い訳をして、なにか良いことがあるでしょうか。誰に言い訳をしているのですか?会社の上司?家族、友人に?いいえ、よく考えたら、実は自分に言い訳していることが一番多いのです。新しい何かに、挑戦しようとする時など、恐れの気持ちから、ヒトは理由を考えて、取り組むことから逃れようとしたりするのです。怖いですか?それなら、言い訳をしないで、自分の気持ちに正直に向き合ってください。何を恐れているのか、その原因を探ってください。失敗して笑われるのが怖いのでしょうか。忙しくなって生活が変わるのがコワイのでしょうか。案外、理由は単純で、「やったことがないから」だったりします。あたりまえです。やったことがないから、やるのです。人生はやったことのないことだらけですよ。始めて、立ち上がった日、ヨチヨチ歩き始めた日。忘れちゃってるけど、何度も、転んで泣いたり、時にはひざをすりむいて怪我したりしたはずです。それでも、アナタは挑戦し続け、今では歩けるようになりました。小さいあなたは、まだ言い訳をすることも知らず、何度も何度も立ち上がったのではありませんか?それに、転んでないている時、誰かが、助け起こしてくれましたよね。ご両親だったかもしれないし、通りがかりの知らないおじさんだったかもしれません。その時も、今も一緒です。一生懸命取り組むアナタには、必ず助けがあります。神サマは見ています!ホントですよ(笑)だから、恐れずに、新しい物事に取り組んでください。言い訳をするのをやめましょう!言い訳をすると、「言い訳体質」になっちゃいます。何をするにも、言い訳をするようになってしまいます。言い訳をして、逃れても、自分のためになりません。何かに挑戦したいなら、自分を甘やかしてはダメです。(いじめすぎももちろんダメですが)それに、言い訳はカッコ悪い。言い訳をする人と、アナタは友達になりたいですか?なりたくないですよね。だから、いろいろな事情で、物事がうまく行かないとしても、今日からは、言い訳をするのをやめましょう。それだけで、アナタはひとつ成長しました。一歩一歩、子どもが歩き始めた時のように、ヨロヨロと、でもいつかはテクテクと軽やかに、自分だけの人生を歩いていきましょう。
2004/05/05
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わがままはいけない。そう思っていませんか。でも、時には、わがままもいいのです。自分の本当にやりたいこと、自分のしあわせに関係することだったら、わがままになってください。自分のこころに忠実になって自分の生きたい道を歩んでください。当然、反発する人も出てくるでしょう。その時、どう対処しますか。アナタのしあわせに対する本気度が試されているのです。あきらめますか。それとも自分を曲げずに突き進むでしょうか。もし、そこであきらめたのなら、それは、アナタの本当に望む道ではなかったのかもしれませんね。ヒトは、本当に望むものに対してはあきらめられないものです。違っていた、と気がついたなら、今度は別の道を進んでみてください。するとまた、壁にぶつかるでしょう。傷つき、苦しんで、何回も、方向転換することになるかもしれません。それも、貴重な財産になります。こころが強くなるから。こころが強くなれば、他人に迷惑をかけない限り、わがままでいいのだ、と開き直れます。しあわせに向かって全力投球できます。何度も失敗して、時には泣いて、やっと本当のしあわせをつかむことができるのです。だから、その努力は無駄ではなかったのです。自分の心に忠実に生きた、という満足感が結果はどうあれ、アナタをしあわせにしてくれます。本当にやりたいことがあるなら、やりたい何かをみつけたいなら、恐れずに、自分を信じて、進んで行ってください。大丈夫です。いつか、必ず結果は出ますよ。応援しています。
2004/05/02
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マグロ姉さんという人がいる。なんだかどういう人だかよくわからないのだが、何となく楽天広場のあちこちで見かける。それで、何となく親しみを感じている。時々、サイトにお邪魔したりしているのだが、そこでは、常に誰かを応援しているのです。メルマガを出す人、セミナーを開催する人、小冊子、本などを出版する人etc....。とにかくなんだか騒がしく、いつもワイワイガヤガヤしているのだ。いったいどういう人なのだろう、と思ったアナタ。一度、サイトをのぞいてみてください。マグロ姉さんの不思議な魅力にノックアウトされちゃうかもよ(^^)最近小冊子も出版されたそうで、それは、コチラのサイトから申し込むことができます。で、前置きが長くなりましたが、そのマグロ姉さんが、ある日1冊の本を送ってくれた。「流学日記」岩元 悠 (文芸社)という本だ。帯にはこう書かれていた。ここに書いてあるのはすべてタカラモノのようなものです。(椎名誠)いったいどんなタカラモノが詰まっているのか。岩本悠さんはこの本を書いた当時学生だったが、いったいどんなヒトかと言うと、日本から逃げ出して カシミールの村に水を引きアフガンのライフルに肩をやられ インドで死体を焼きパレスチナの紛争で難民を怒らせ イラン人から投石されパキスタンで男に狙われ ナイロビで犯人を捕まえスラムのギャングと共謀し 大使館に敗れたパンツで殴りこみサバンナの強盗段に怯え ヒマラヤで土石流に襲われゴミを漁る路上生活を送り トルコで両親と再会し女の子を追って地球を半周し 砂漠の真ん中で射精しチベット解放運動を支援し ピエロに扮して学校で踊りバングラで物乞いを蹴り飛ばして マザーテレサに愛を学ぶ。 その流学の果てに僕は、一人の‘自分’と出会いました。 (オビより抜粋)というようなヒトなのです。スゴイでしょ。こんな青年がいたんですね。冒険者、に憧れるワタクシとしましては、メチャクチャ惚れてしまいました。あ、でもね、冒険ってカラダの移動だけじゃないと思うんです。日常生活でも、充分冒険できるし、要は、イマジネーション力の問題で。旅してたって、ココロが伴ってなければ、なんら自分の成長にならないし、ただの観光旅行と「旅(冒険)」って全然違います。だから、カラダの移動ができない人も、ココロを働かせて、冒険者になって欲しいと思います。冒険者は、前に進むヒト。立ち止まらないヒト。恐れないヒト。不平不満を口にしないヒト・・・。そんなヒトにワタシはなりたい!日常生活も冒険だ!(悲惨な冒険はコチラ)ところで、岩本悠さんを楽天広場で発見!LIVEの彼を知りたいヒトはコチラへどうぞ。
2004/04/30
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時間は限られているので、あれもできない、コレもできない、となってイライラしちゃうことありませんか。特に、子どもが小さかったりすると、時間通り、予定通りに何かをする、なんて絶対無理!洗濯物は多いし、部屋は散らかすしで、家事だって大人相手の家庭とは全然違います。でも、気になる、やりたい、と思うことっていくつかありますよね。時間のかかる家事はもちろんいっぱいあって、それも気になる、端からやりたいのですが、それ以外にも、本を読みたいとか、ビデオを見たい、とか。お手紙書いたり、写真の整理だってしたいですよね。でも、全部は無理なんです。ひとつだって無理な場合も多いです。だから、あきらめる?あきらめるのが1番精神的にはラクになれますけど、何もかもあきらめだすと、ズルズルと、子ども任せ、オット任せの人生になっちゃいます。子どもと過ごす時間はたかが何年か、ですよ。多くて20年かな。その間に、抜け殻になっちゃっていいの?私は嫌だなあ。だから、子ども中心ではあるけれど、全く自分を否定して、子どもに献身したような生活はしたくないんです。子どもの奴隷ではなく、子どもと共に歩みたいのです。だから、自分を失わないために、自分のためにも何かする時間を持ちたいなあ、と思います。できれば、自分が成長できる何かを。でも、まとまった時間が取れない、アタマもどんどんおバカになってくる・・・。せめて、日記だけでも毎日つけたいですよね。自分のために、できれば、読んでくださる誰かのために。修行のように毎日つけるのもいいのですが、そうも行かないことが多い場合はストレスになるので、できる範囲で、と決めました。できる範囲で精一杯やれば、さわやかでいられるし、自分のためになりますね。できる範囲で、無理しない。コレが現在の私のスタイル。無理してるお母さんはカッコ悪い。子どもに心配されちゃうもの。子どもって見抜くんですよ。たった2歳でも、親が無理して何かやってると。それで、不安になっちゃうみたいです。だから、無理しない、背伸びしない。でも背筋は伸ばして、前向いて歩いていく。しばらくはこんな日々が続きそうです。2度と帰ってこない子育ての日々を、私なりに楽しみたいと思っています。
2004/04/28
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学習でも、人生でも、成功の秘訣のひとつに、「人の話をよく聞く」ということがあります。人の話をよく聞けば、コミュニケーションが図れ、相手と良い関係を築くことができます。学業なら、短い時間でよく理解できる。良い関係があれば質問にもよく答えてもらえます。仕事なら、良い関係ができれば、話も早いですし。早トチリやうっかりミスも防げます。また、人の話をよく聞けば、どんな人からも、学ぶ点がある、ということがわかり、謙遜さを身に付けることができます。謙遜さは宝です。尊大であるならもうそれ以上進歩できません。友も得にくいかもしれません。謙遜であるなら、生涯、いろいろなことを学べ、賢く行動できるし、友からの助けも受け入れやすいので、ラクに生きられます。人の話を聞かないなら、せっかくの学びの機会を台無しにしてしまいます。相手の気分も害し、人間関係が悪くなります。だから、「人の話をよく聞く」ということは、最高の処世術、成功の秘訣、なのです。
2004/04/27
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今日はちょっと遠出して、景色のいい山の上の公園に行ったのですが、そこにすべりだいがあったのです。よくあるものより1.5倍位高く、ホントなららせんですべって行きたいくらい急傾斜のすべりだいでした。息子2歳10ヶ月は、最近ようやくスイスイ登るようになって、安心して見ていられるようになりました。それでも、登りきっていざすべろうとしたら、その高さにおびえてしまい、すべって降りてこられないのです。「かあちゃん、たすけて~」と呼びますが、何を隠そう、私は高所恐怖症!「すべって降りておいで~」と叫びますが、なかなか決心がつかない様子。手をつないで助けようにも、下からでは全然届かないのです。一緒にいた友人が、登って助けてくれました。「きゃあ~」とすべりおりてからは、楽しかったらしく、もう一度、とまたまた登り始めます。でも、すべり初めがコワイのでしょう。「たすけて~」と叫んでいます。懲りないヤツ。それをみていた娘1歳3ヶ月。ようやく歩けるくらいなのに、なんと!すべりだいの梯子を登り始めてしまったのです。おいおい、カンベンしてよ~。ワタシャ、高所恐怖症なんだってば。でもどんどん登っていってしまって、放っておくわけに行かず、仕方なく一緒に登ります。上には息子が「たすけて~」と待っているし・・・。結局、皆ですべりおりて、ホッと一息・・・つく間もなく、娘が梯子の方にヨチヨチ歩いていく~。捕まえて、他の方へ連れて行こうとすると、身をよじってぎゃあ~、と泣きます。その抵抗がハンパじゃない。仕方なく5,6回すべる羽目に。息子はたんぽぽの綿帽子を発見して、そちらに夢中。山の斜面を降りそうになってます。ハラハラ。子どもたちの成長を見るのは、楽しくもあり、でも、追い掛け回したり、捕まえたりで、体力の限界を感じてしまいました。もっと、カラダを鍛えないと、今後が思いやられます。あと、神経も図太くないと・・・。ああ、きゃあ~やめて~!と余裕のない母親じゃ、カッコ悪いし、それじゃ、子どもがちょっと進んだ体験をするのを妨げてしまうので。でも、高いところは苦手だなあ。今日の公園には、高~い展望台があって、相模湾と丹沢を一望できる名所なのですが、展望台でもビビってしまって、「きゃあ~、走らないで~」と叫んでしまいました。それでも、登山は大好きなんです。槍ヶ岳頂上でも、足ガクガクで、景色を堪能しました。高所恐怖症の原因ってあるのかしら。山も結構登ってるんですが、コレばっかりは訓練でどうにかなるものじゃないみたいです。息子に遺伝してるな、きっと。怖くてすべれないくせに、何度もすべりだい登っていったもの。
2004/04/26
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北海道には何度も行きましたが、これぞ北海道!と感動したのが、浜中町の霧多布(キリタップ)です。釧路から、国道を根室方面に向かって走ると、右手に海、左手に湿原が見えてきます。浜中町には、ムツゴロウさんの動物王国の1部やヒグマと暮らした無人島(ケンボッキ島)もあります。映画「子猫物語」の撮影されたワタスゲの花がゆれる湿原がこの霧多布湿原です。展望台からの眺めは、有名な釧路湿原よりも美しいと思いました。昔、釧路湿原と偽って、この霧多布湿原の写真が使われたこともあるとか。湿原の中を大きく蛇行して流れる川が、とにかく圧巻。コチラに向かって流れてくる川の青と湿原の緑が、今も目をつぶると浮かび上がってきます。もう10年以上行っていないんですけどね。それくらい、「緑」がきれいなんです。でも、「霧」多布というくらいで、霧が多い。キリに覆われた日は、な~んにも見えません。何でここに展望台があるんだろう、ってカンジ。下に湿原が広がってるなんて全然気がつかないでしょう。国道沿いで、一方は海なので、そちらに気を取られているとそんな場所を通過したことさえ記憶に残らないかも。時間があれば、一泊して、早朝の展望台へ行ってみることをオススメします。(町営キャンプ場はバンガローも安く泊まれます。今はどうかな。要確認!)シーンと静まり返って、まさに音のない世界。本当に全く無音なんです(のように感じる)。都会では、または本州では味わえない、広さと静けさです。湿原の中を流れる川をカヌーで下ったことがありました。近くの民宿でツアーをやっています。すっかりハマッテしまって、居候してツアーガイドをしていました。目の高さでみる湿原はまた、格別。キタキツネやエトピリカ(だと思う)にも会えます。ゆっくりと流れる川はたっぷりと水を含んだ湿原を横切って海へ注ぐのです。大自然の素晴らしさに、少し触れることが出来ます。今でもこういうツアーをやっているのかな。機会があったら参加してみてくださいね。ちょっと謙遜な気持ちになれます。人生についても考えるようになります。自然は偉大です。はあ~。また行ってみたいです。この駄文では、素晴らしさが伝わらないと思うので、行けるヒトは行ってみてください。無理なヒトはコチラをどうぞ。 ↓霧多布湿原民宿 きりたっぷり
2004/04/25
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