「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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箱館戦争,幕末虹の彼方へ(諏訪常吉3編
石田五助,日下義雄,石田和助と白虎隊の悲劇,会津の英雄、安部井政治の最期,諏訪常吉の手紙,幕末動乱維新の人々,病院掛_小野権之丞,古屋佐久左衛門,高松凌雲 ,【楽天市場】,ペット,
幕末の虹の彼方へ_No.3,命と平和を祈った男,幕末動乱維新の人々
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幕末_WITH_LOVE玄関
幕末の・・・「オーバー・ザ_レインボー」No.3
初めから読む:全体のMENU概要を見る
No.1
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No.2
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No.3
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No.4A
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No.4B
シリーズNo.1_第一章_諏訪常吉
■会津遊撃隊長_諏訪常吉の願い
_虹の彼方へ・・・他
■追憶_交差する思い_敵落城
■阿修羅のごとく_三上超順
■榎本の奇跡
シリーズNo.2
諏訪の懊悩_手紙に至る迄:その由縁
■(15)群青_松前を去りゆく男達
■蝦夷の水面下
・冬の針葉樹,冬晴れの日
■官軍上陸
*民心離反、*雄藩の黒い影
■魔の矢不来_少年と英雄
・副将_安部井政治
・大地に炸裂_会津の汚名返上:他
現在の頁_No.3
■魔の矢不来の続き
(19D)弟_石田和助と白虎隊
(20)安部井の死に泣いた榎本
箱館の長い坂道
■(21)病院掛_小野権之丞
■(22)山鳩の声
■(23)兄_古屋佐久左衛門と
・・・弟_ 高松凌雲
■(24)見舞い客、問題の手紙
■(25)箱館の姿見坂
■安定さえすれば・・の夢
技術と科学、そして緑
■農学への期待
緑が目に沁みる&榎本公園・・他
シリーズNo.4B_No.2(関連資料編)=
幕軍&松前えとせとらNo.1
■松前の烈女_川内美岐、■城を枕に松前老家臣_田村量吉、■漏れていたスパイ情報、官軍がなぜ乙部から上陸したか?、
津軽弘前藩_「福士源之助」謀報 、フランス領事デュースから、 新政府外国官判事_小野淳輔へ謀報 、
■榎本到着が早ければ会えた人、左幕派の賢人達、松前勘解由、山下雄城、蠣崎監三、関左守、
■松前勘解由の「老獪_こんにゃく問答」、・・箱館に於けるペリーとの対談、
■初め松前が弱かったのはなぜ?、◇クーデター、◇蝦夷感情松前感情、石井梅太郎事件、
■内国植民地の発想、■松前13代藩主_徳広、松前12代藩主_崇広、五稜郭、松前城建造、北辺の守り、
撃たれた飛ぶ鳥、イギリア号事件、崇広&将軍_家茂、深夜の密談、凝り性がタマに傷、名将_家茂秘話
■会津のプライド、錦の御旗、岩倉具視の奇策、こぼれ話
石田五助の弟_白虎隊の「和助」・・No.2(19D)
石田五助
上のコーナーのお話に登場する少年とは・・・「石田五助」
少年の心には生涯、安部井の教えが宿り、いかなる屈辱にも耐え、
苦しい誤解の壁にも屈することなく、明治を生き抜いた。
白虎隊の悲劇の主人公ともよぶべき、
一番最初に切腹した
少年「石田和助」
の兄
なのです。
石田五助。後年、日下義雄と名乗る。
聡明な彼は明治の世、留学生にも選ばれ、
傍目は何不自由なく名誉的な日々を暮らしているように見えるのですが、彼の心の中にはたえず
懊悩がありました。彼の知性を見抜き応援してくれたのが、長州の「井上馨」であったため、
地元会津の人々から、「よりにもよって長州のイヌとは恥を知れ!」とばかり後指を指され、
外見と裏腹、心はずっと孤独だったのです。誰よりも会津を愛しながら、会津に嫌われた。
この「日下(クサカ)」という名も実は身を守る即興から発した名前。明治になっても会津の
不満分子によるトラブルを防止するために密かに一種の「会津狩り」があり、偵吏が入って名を
名乗れ!と言われた時、「我は長州のクサカヨシオだ!」と言い切りその場を無事回避できたのです。
クサカと聞けば、かの有名な「久坂玄瑞の親戚かな?」
と思われ、あっさり「失礼致し申した!」偵吏は帰っていった。
白虎隊と石田和助
白虎隊は全滅、忠誠のために全員自決・・・と誤解されがちですが、
単に「誤解」といいがたい節があります。いわば、明治時代の陰謀。
誰もがお国の為に命を捧げるは美徳也!モードに利用されてました。
白虎隊、合計人数約350人.
武士の階級で3段階分、さらに1番と2番隊という形で小分。
1_上級「白虎士中隊」の1番と2番隊
2_中級「白虎寄合隊」の1番と2番隊
3_下級「白虎足軽隊」の1番と2番隊
悲劇は上の1_「白虎士中隊」の2番隊に発生。
城も、武家屋敷も、町並みも黒煙・・そして少年達は悲劇に・・・
尚、白虎隊士とその家族の多くが北海道開拓に入りました。
飯盛山の白虎隊士悲劇:唯一生き残った
飯沼貞吉の壮年晩年・・札幌彼の姿
石田五助メモ
会津藩主、松平容保の御側医(石田龍玄)の子。鳥羽伏見に負傷。
弟の「和助」は上記のとおり、白虎隊の悲劇に没す。
諏訪常吉について、蝦夷行きを決断。
安部井政治の死に泣いた_榎本の涙・・No.2(20)
※あらかじめ、この項だけ▼は、余談系コミカルです。
『誰が、お前に死ねと申した。お前は死んではならぬ男ではないか』
『世が悪かった。世のせいで、そなたが命を失うことになろうとは・・』
周囲の目も憚らず、相当、号泣してしまったそうです。
かなりの学識、立派な人物・・・安部井には、戦争が終結した後に、
一肌脱いで、蝦夷地の開拓、科学畑で活躍して欲しい・・
といった榎本の構想があったのです。
また、安部井本人も、もともとは、そんな榎本の人柄が好きだったようです。
こうして見ると、榎本氏は、かなり正直な人でした。
そもそもの発端、他隊の前で会津を指摘した件ですが、この事実とて、
優しさの表れとも言えないこともないのです。
(I_am_a_榎本贔屓の者ですが・・・!)
隊長のマズさを怒ったなら、現在の社会で考えると、黙って「人事部長」に
「アイツを外せ!」と部下に手を汚させ、本人は涼しい顔をしておけばすむ事。
冷淡に機械的に裁くのなれば、榎本隊では裁判官兼務の「今井信郎」に
指示すれば終わるところでした。
それをわざわざ、自分が出て、怒って見せた・・・あたりは、
非常に人間味があります。
「諏訪、コラ!なにやってんのよ!挽回せ~や!!」
全く箸にも棒にもかからぬヤツ相手にならば、怒りとは・・・
多分生じないわけだから・・・・。
「おい、おまえ、いいかげんにせ~や!・・・頼むってばァ!ちゅうの!」
・・誰かに、こんな感じの「怒られ方」をされた経験があります。
・・実は、自慢じゃないけど、人生にたった一回じゃなくて、
・・何度もあったような気もチラホラ。
「怒り主」は・・・とふと考え、分析してみた。
やはり、それは、いつの場合も共通して、たとえ「口煩いオヤジ!」で
あっても、けっして「敵!」に値するような立場の
「憎いヤツ」ではなかった。
榎本氏が思わず泣いた・・のシーンは、
ここに限らず、かなり多くあります。
表現として、作者達(当時の日記など
記録を残してくれた榎本軍の人)は、
必ずと言ってよいほど、きまって
「男泣きに泣いた」とあります。
しかし、かなり涙脆い人だったようで、
正直なのです。「男泣きに泣いた」と
いうより、かなり、号泣してしまう。
榎本の男女房ともいわれる副総裁「松平太
郎」が、その都度、場を保ち、榎本総裁の
体裁をきっちりガード。松平は、榎本より
も、ぐんと年下ですが、女房にたとえるな
ら、金の草鞋を履いたひとつ年上女房どこ
ろか、金の草鞋をダブルで履いた2つか3
つ年上のしっかり女房。
榎本が思わず、キレかけた時にも、「ここ
は総裁が動くな!俺がやる!」
いつもしっかりガード。「松平の和魂」と
して皆の評価が非常に高かったそうです。
金の草鞋で思い出した。その実、金の草鞋
でもありました。真っ先に自ら手を汚して
、みんなの金源ゲット。「松平太郎、お預か
り!」とばかり幕府のお金を借用準備して
くれた・・・勇気と心意気に乾杯!?
給料出るかとまったいら、
一両一分なんとせんしゅう
・・・と歌われた。
■まったいら=松平(金源)
・・・お金を待ってたら
■兵卒の給料は一両一分
・・・非常に少ない。官軍より低い
■なんとせんしゅう=泉州
榎本=榎本和泉守、榎本泉州
=たった、こんだけ、どないすんねん?
前の頁_No.1
<
前の頁_No.2
▼(←お話の前の部分を読む)
病院掛_小野権之丞(会津藩士)_No.3(21)
このところ、院内はただならぬ空気に包まれている。呻き苦しむ兵達の声。日に何人も死んでゆく。
ここに運ばれてきた者の大半は、なすべき手段もなく、その日のうちに絶命する。
原因は、「糜爛(びらん)」である。被弾し、肉体が炸裂、欠落するのだ。
大抵は即死。幸い傷口自体は内臓を外れ、命が残り、ここに運ばれたところで、
あるべき体の部首が吹き飛んで無くなっているのだから、結局術がない。
患部が手足である者以外はまず、落命である。
今、
小野権之丞
の目前には、変わり果てた姿、哀れ隊長「諏訪」の姿があった。
この世のものとはとても思えぬ特有の喘ぎ声を発するのみである。
血まみれの諏訪がここに運び込まれた時、高松院長より先に血相を変えて飛んできたのは、
会津藩医の「蓮沼誠造」
であった。彼は徹夜で頑張った。
諏訪の状態は、肉が欠け落ち、縫合を試みたが、それには、皮膚表面積の限度がある。
縫合不可能の箇所が数箇所残った。無事麻酔から覚めるかどうかも疑わしく、
危ぶまれる中、覚めて、意識が正常を保っていたのは、むしろ奇跡に近かった。
蓮沼は、食事はおろか、睡眠時間も返上して、徹夜でねばり続けているのだった。
小野より若いにせよ、彼もまた、そろそろ危うい状態である。
先日、軍艦「蟠龍」の専属医である
遠山春平
がついに倒れ、会津の医師、
赤城信一
が分院から抜け
応援に乗船したのはつい最近、三月のことだった。
蓮沼に暫しの睡眠時間を与える為に、今日は小野が無理をした。煩雑な事務の合間、
看病、雑用、なんでもやった。
目を閉じたままの諏訪の傍に座って様子を見ることにした。
ゼイゼイと喉から特有の音を出す。何か必死で言おうとしているのだ。
小野は、諏訪の口元にぴったりと耳を近づけ、
「アという音と、べという音。」これだけはなんとか聞き取ることができた。
部下の安部井のことを尋ねようとしているのだろう。
「ご安心下され。安部井殿には・・・」言いかけておきながら、言葉につまった。ぬけぬけと
彼は命拾いをした・・・などと子供騙しの嘘をつくには、相手が隊長では話にならない。
小野は観念して、事実を報告することにした。
「諏訪殿、ご安心下さりませ。安部井殿には、それはそれは、手厚く、榎本殿、自らご供養賜れましたぞ。
榎本殿が、仰せられたには、
『誰が、お前に死ねと申した。お前は死んではならぬ男ではないか』と。
男泣きに泣かれたとのことです。なにやら、
『世が悪かった。世のせいで、そなたが命を失うことになろうとは・・』
とまで、仰せになられたとか。
総裁は、会津を尊重して下さっておりますぞ。まあ、ともあれ、あとは早く傷を治して・・・」
置き手紙が敵のお笑い種になったことも、榎本が怒り、会津藩士が恥をかいたことも、
高松院長同様、小野は知っていた。しかし、隊長の諏訪と比べても、小野は
ひとまわり以上も年長である。
重症患者の諏訪には、ある意味では過酷な事実ではあるものの、隊長としての
総合的な立場を考慮するなれば、あえて語らねばならなかった。
聞いているのか否か、目を閉ざしたまま微動たりともできぬ哀れな諏訪の姿。
しかし、その閉ざされた瞼の端から、じわりと一滴(ひとしずく)の涙がこぼれて落ちた。
山鳩の声_No.3(22)
(M2/5/12)
運命はもう決まっていた。
昨日(M2/5/11)の段階で、この病院に居る者全員捕虜になったも同然なのだ。
土方歳三を失い(函館総攻撃)、五稜郭と箱館は完全に分断されている。
回天も蟠龍も失った。 高龍寺の分院では、医師も患者も共に皆燃え盛る火の中、惨殺された。
朝早く、境内には、山鳩の声がする。北国の大地にも、遅い初夏の兆し。
グッ、グッ~という低音と、突如長く間延びする不思議な高音、それが交互に規則正しく繰り返される。
合間を縫って、患者達の呻き声が発せられる。
山鳩が発する独特の旋律。それはそのまま、一種、焦燥感を醸し出していた。
突如、鳥達が一斉に飛び立つ壮烈な羽音。
それと同時に、戸外が騒がしくなった。
急転直下、事態はさらに暗転した。
またしても、大勢の患者が運び込まれたのである。
高松稜雲は、我が目を疑った。
兄_古屋 佐久左衛門と、弟_高松凌雲_No.3(23)
血まみれの重傷者が次々と運ばれてきた。
「高松殿、院長殿!高松殿、急ぎ来し賜え!高松殿!」
一人の若い兵が、半狂乱でそう叫び続けている。
見ると彼もまた、額に固く結んだ鉢巻が真っ赤に血に染まっている。
数人の兵に付き添われ、担ぎ込まれた男はどうやら隊長格の者らしい。
隊員達の動揺が著しい。
患者は、出血多量、意識不明である。
次の瞬間、高松稜雲は、我が目を疑った。
その姿は、なんと、我が兄、古屋 佐久左衛門だったのだ。
ついに、五稜郭が砲撃されたのだ!
◆高松院長にとっての「我が兄、佐久左衛門」は・・
鳥羽伏見以来、敗れた幕軍の各所隊の者が、各々に荒れ狂い
放置すると危険な状態だった。狼狽した残兵達による無意味なゲリラ戦が懸念された。
これでは、罪のない民も大勢犠牲になってしまう。
分散した各隊の生き残りを誰かがまとめねばなるまい。
水面下で、勝安房(海舟)の呼びかけ。答えたのは江戸で教育者としも名高い、賢人、古屋だった。
英語塾を開いていた彼は急遽、分散分子を呼び集め、衝鋒隊を結成した。
一に衝鋒、二に桑名とうたわれる程の衝鋒隊。
高松にとって、その隊長こそ、我が兄だったのである。
五稜郭被弾前後の様子を客観的にクールに見つめていた男_ブラキストン
_
見舞い客_問題の「手紙」_No.3(24)
またしても、戸外が賑わしくなった。
数名の男達が入ってきた。敵軍、 官軍の者である。
小野はこの時、丁度、諏訪の手当てをしている最中だった。
振り返ると黒装束、中年と若者、五人の薩摩の男である。五人も来ていながら、
名乗った者はふたりだけだった。「
池田次郎兵衛
」と「
村橋久成(=直衛)
」である。
予期せざる発言。 ・・・「我ら、諏訪常吉殿の見舞いに参った者じゃ。」
高松は一声も発しない。以外なことに、その視線には緊張が走っている。
正式に捕虜として認め、この中の誰かがその証として拉致されるであろうことは
既に覚悟はついていたのだった。
にもかかわらず、高松は、口をへの字に曲げ、きつい眼差しを小野に
差し向けてきた。
小野は瞬時によみとった。・・・手紙である。あの問題の手紙。
さもなければ、わざわざ諏訪が指名される筋はない。
ましてや、敵は今、明らかに諏訪の名を姓、名共にきっちり呼んだのである。
息も絶え々、瀕死の諏訪。状況は、敵とて一目瞭然である。
ようするに、諏訪の見舞いは一種布石にすぎない。
卑怯者のそしりを受けるであろうこの役目が、高松に降ってきたのだ。
「恭順の薦め」発信元として白羽の矢を当てられた。
状況が何であれ、降伏勧告仲介係とは不名誉極まりなく、迷惑な任務である。
院長である高松の立場であろうと、
いかに重傷者達の為、尊い人命を守る為・・・といえど、
「卑怯者のそしり」は避けがたいものだった。
武士に非ずの臆病者、いわば己の命欲しさに「徳川報恩の念」を売り捌くような
最も卑劣な者に成り下がってしまう。
諏訪自身は、会話はおろか、 呼吸することすら苦しい瀕死の状態である。
しかし、この一人の重病人、認識は 確かであり、状況を把握できていることを、
同じ会津の小野権之丞には、しっかと、 よみとることができた。
乱れた呼吸、苦しい呻き声に混じり、途切れ途切れに高松達に委任したい旨を
訴えてきた。つまり、諏訪は己の行為を否定しなかったのだ。
死の床間際に、
遠ざかる意識の中、
諏訪は平和への道のりへ向けて
微かな一筋の光を
見出そうとしていたのかもしれない。
屈辱に震えつつ、二人の男はついに観念した。
「降伏勧告仲介文」は、高松、小野の連名で、ついに決行された。
姿見坂_No.3(25)
数名の男達が馬に揺られながら、箱館の坂道を降りてゆく。
官軍に護衛され、一歩一歩と、五稜郭へ向ってゆく。
高松に手渡された「文(ふみ)」を手に持ち、重い責務を背負って、静かに、使者達が行く。
それは、選ばれた数名の患者達だった。伝習隊士_板根松之助,一連隊_
伊奈誠一郎
達が、
この最悪業務を担う羽目に陥った。
伊奈は、館城攻略の際、怪僧、
三上超順
と大決戦、同時に戦った仲間は彼に斬られた。
死んだ仲間の為にも断固戦い、勝利を得る為に生き残った伊奈は、
今、なんと屈辱の「恭順の使者」となり、坂道を下る。
傷がまだ癒えずに痛々しい姿。落馬せぬよう身を屈っして、苦しそうに、やっと進んでゆく。
当時の患者の中では軽傷の部類なのだ。
初夏の日を浴び、心地良い海風が吹き上げるこの坂道。
乾いた地面に、馬と男達の姿を写し出した灰色の影がゆらゆらと、揺れて行く。
会津遊撃隊長_諏訪常吉の願い_虹の彼方へ_完_No.3(26)
小子儀、
素より戦を好まずに候
いつまでも闘い、
いつまでも多くの命を奪い続ける
「おろかな戦争」など、もう
やめようではないか・・・
遠ざかる意識の中で、
彼の瞼には、どんな光景が
映し出されていたことだろうか。
幕末の・・・「オーバー・ザ_レインボー」
完
No.1
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No.2
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No.3
(現在の頁&セクション)<
No.4A
<
No.4B
幕末の・・・「オーバー・ザ_レインボー」_No.4A
幕軍&松前_えとせとら_No.1
安定さえすれば・・の夢・・・技術と科学、そして緑
数回に及ぶ榎本の嘆願状は、岩倉具視がことごとくきっちり握り潰していた。
何ひとつミカドには届いていない。
「禄を失った武士達にせめてもの生きるに与う土地を許したまえ。自ら開墾致します。
世界の脅威について、お任せ下さい。ミカドの国に忠誠を以って・・北辺の守りを勤めます。
「お許しいただけないのなら、いざとなったら武力(まさか、開陽を失うとは計算に入っていな
かったから)をもって戦う覚悟ですぞ!」・・・余計な一言だけがきっちり伝えられていた。
しかも尾ひれをつけて・・・
これは、意気込みと優れた軍力を手紙の仲介者、外国船にのみ示す目的のパート2だった。
安定さえすれば、戦争さえ早く収まれば・・・
※安定さえすれば、知識と発案の泉、榎本の頭脳。ありとあらゆる奇策が放出されたことだろう。
科学者、荒井も居る。大鳥もいる。だけど、それだけでない。中島三郎之助も凄い。年齢はかなり49歳
だが、完全に機械工学のスペシャリストである。造船や機械学に猛烈に強い。澤太郎左衛門も留学中、
ほとんど眠らず頑張った。船大工、上田寅吉他も並の男でない。海外技術をしっかり集積している。
発明家も居れば、アイディアマンも居る。
外国語に秀でた者は榎本ブレーンだけでなく、戦闘士として日々命を失っている隊士の中にも
一杯いる。勿体無い。毎日毎日死んでいった。
蟠龍の艦長、松岡も単に軍艦のことだけ・・の男ではない。「徳川の頭脳畑_韮山の江川代官」
手代の息子。兵学、砲学、航海&操艦等が目立つようでいて、実は測量学知識と実践力は半端でない。
江川の塾の子、科学の子。江戸を発つ時、中島三郎之助と次男、英次郎は開陽に乗船。
しかし、長男、恒太郎は松岡盤吉に託し、蟠龍に乗船させている。浦賀にペリーが来た時、対応した中島、
すぐ隣の領域、科学畑、江川の者、松岡の父になんらかのコンダクトがあったとしても、
それは、ごく自然に想定される範囲内なのだ。
また、絵師(といっても普通の絵じゃなくて、緻密な測量の上縮尺法に基づいて描く特殊な技巧
の絵や地図を描く)の人も居れば、写真家としての技術を全うしている人など、色々多才な特殊班もいる。
榎本軍は、洋学バリバリ、外国語を話せる人物が多いのはもちろんなのだが、そんなことよりも、
いわば、当時の日本人に共通して欠如している「科学系思考サイクルを持ったアタマ!」
理系男の宝庫だった。
榎本TOPブレーンの中、唯一の断トツ高齢、54歳の永井玄藩尚志も天誅が横行する京の都、
日々のトラブルに忙殺されていたものの、長崎伝習所の草分け責任者。海軍の力を信じるが故に
この群に居る。彼もまた、時代に早く生まれすぎた・・・或る意味で、やはり科学のアタマ!系の男だった。
小栗が居ない。淋しい。「殿、断固交戦ですぞ!」徹底抗戦を唱え、恭順を明確化した慶喜に
とって熱意は解るが、都合が悪い。解雇された。権田村の田舎にひっこんだ途端、何者かに殺られた。
雄藩の黒い影。ご近所の領域。本来味方の者達、子孫の生存のために早くも弱者の立場。
殺し役に回された。高崎藩、10代藩主_大河内輝聲(てるな)
高崎、安中、吉井の三藩ははじめ、「小栗は反逆ではない・・話せば解る・・」抗弁したが
庇えば、自分達が危なくなった。・・・泣く泣く斬った。悲しい。
緑あふれる大地の夢_農学への期待
緑が目に沁みる&榎本公園
安定さえすれば、戦争さえ早く収まれば・・・
アイディアは、いくらでも泉のごとく涌いて出る・・・・はずだった。
開発があり、発明があり・・・そして成功。
・
・・広大な大地にそれが活き、地平線の彼方まで豊かな緑が延々と続く。
榎本自身、本当は一番やりたかったのは、きっと「グリーンな大地。壮大なる農学活用」の構想
そして「労働の喜びと、快い汗。努力の賜物・・・成功と実り。人々の笑顔」・・・だったと思う。
榎本は19歳の時、箱館奉行 「堀利煕」の従者として、 樺太探検に参加しているのです。
長崎海軍伝習所に入る前のことです。
涙もろくて情熱家の榎本。大阪湾から慶喜が開陽に乗って江戸へ逃げてしまった・・
それを聞いた途端、思わず号泣してしまった。「徳川の運もついに、ここに尽きたのか!」
やがて、彼の心の中、蘇ったのが・・・「THE_蝦夷」の光景。
・・そうだ、あの地なれば、必ず・・・きっとやってゆけるはずだ。
果てしなく続く広大な緑の大地。そして無限大の可能性。技術如何でいくらでも
あふれ出る資源の宝庫。「禄を失った武士達にせめてもの生きるに与う土地を許したまえ。」
これは嘘じゃなくて、正直な気持ちだったと思う。
実のところ、榎本はこんな提案も受けていた。
「蝦夷なれば、官軍が追いかけてくる。しかし、ハワイなら、追いかけて来る心配がない。
食べ物は豊かで、何の心配もない。蝦夷と違って、一年中暖かい。
・・だから、ハワイに新天地を求めたほうが良いのではないか?」
とても熱心で、思いやりがある提案だ。心から応援していなければ、こんな事は言ってくれない。
(この話の発端:ウェン・リード=ハワイ移住のアメリカ人。ハワイは独立国。
人口少ない。日本人移住に便利アルヨ。人物:死の商人だが、応援派。もしほ草の刊行者でもある。)
しかし、榎本はそれを断って、断固北を目指した。
日の光に輝く多大なる緑を目にした時、ふと胸が痛くなる。
この地に架けた彼らの夢。
夢に命を捧げるとは、「比喩」の領域から脱して、本当に尊い命が、この地のために、たくさん失われた。
十代の少年達、田村銀之助達、超!少年と異なって、16歳以上の少年は随分死んでしまった。
欠如していたものは・・老獪さ、状況判断、冷静さってところだろうか。
70人~80人位の少年は皆ほとんど死んでしまった。正義感に燃えて、きっと純粋すぎたのだろう。
それから、農兵達。戦後処理できちんと割り出してあげられない人がいる。
出身地も、名前も不明状態になってしまった一部の農兵達。みんな命を掛けて頑張ったんだ。
徳川報恩の為に・・・そう思うと、胸がしめつけらそうだ。とてつもなく、悲しい。
「緑が目に沁みる」・・とは、このことなのだろうか?・・・ふと、そう感じた。
風薫る季節、この大地の微笑みを英雄達に、
そして、数多くの「名も無き小さな英雄達」に捧げたい。
榎本公園
江別市に「榎本公園」という所がある。昔彼がその地を所有していた。
北方領土のこと、ロシア対策、資源活用のこと・・・など忙殺される榎本本人は結局、何も
着手できなかった。典型的な不在地主。小作料を搾り取る悪徳行為の地主・・・に見えてしまうが
そうではなかったはずだ。
(その時代、小林多喜二の小説、「不在地主」(ちょいズレリンク:
小樽、鰊ヤン衆、銀の波
)
に著されるとおり、富良野の不在地主、小作人が小樽に乗り込み暴動を起こした
・・・など問題多発していた。)
榎本は、得意の海運で、幌内炭鉱と小樽を船で結ぶ計画を提唱した。
途中に彼の農園がある。
船が動けば、土地が開け、ルートにあるこの町も豊かに栄える・・・夢見たのではなかろうか。
先ずは開墾。されど、鬱蒼とした木々、膨大な土地。
鍬で一から開墾?小作人達が、朝から晩まで頑張ったところでどうする。このスケールだ。
効率をはかるために、彼らしく効率策を考えた。ダイナマイトで破壊してから・・の案を語ったらしい。
さすがに、それだけはやめてくれ・・・開拓使側から待った!が入り、実行せず。
しかし、
ケプロンの鉄道説に敗北。
海運案は没した。全く本人は触ることなく、代人が農園を運営。
息子の代で、農園解放された。協議の上、小作人達に譲渡された。
榎本公園の横には、なんだか草ぼうぼうの
澱んだうら侘しい堀がある。
当時はきっと豊かな水量、船が悠々と通っていたことだろうなあ。
今や、滅んだ夢。澱んだ壕。
銅像がある。
馬にまたがり片手をすっと前方へ伸ばした姿(クラークのポーズとは、
またちょっと異なる)・・・の男の像が、随分高い所、天辺にぺコンと載せられている。
榎本なのだが、誰もピンとこない。よく見慣れた榎本の写真は主に30代前半から半ば。
ここにある彼は恐らく中年、着手した頃なのだろうが、やはりピンとこない。
海と艦をこよなく愛した榎本が、遠く海を見渡し、遥か遠くの幌内炭鉱方向にも目が届くように・・・
の思いやりから、高い所に載せられているのだろうが、なんだが、ちょっと気の毒。
高くて、浮いてる。高尚な榎本の思いが、ことごとく伝わりにくかったように・・・。
ここが榎本公園だ!・・・との解説板はあるけど。非常に淋しい。
この本:超おすすめ!短め文章でサラッと完結。POINT掴んでる。
上記文章内:江別の榎本公園の銅像「てっぺんにのっかってる
馬に跨る榎本銅像」写真も掲載されてます。
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