「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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薩摩_田島圭蔵_箱館戦争_敵の報恩
箱館戦争の余波,田島圭蔵とは,幕末,箱館戦争,軍艦高雄、船将:田島圭蔵,池田次郎兵衛,村橋久成(=直衛),諏訪常吉の手紙,薩摩の「死角」に填め込まれた二人の男達&因縁の男_No.3,少年「林董」の瞳に映し出されたもの,幕末動乱維新の人々
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幕末_WITH_LOVE玄関
_函館戦争の余波
薩摩の「死角」に填め込まれた二人の男達_
No.1
英士の末路:村橋久成<
No.2
真実の人:池田次郎兵衛
<No.3(現在の頁)敵への報恩、軍艦高雄、船将:田島圭蔵<
No.4
空転!松前に齎された和平交渉
田島流「敵への報恩」、因縁の男達
薩摩の「死角」に填め込まれた二人の男達&因縁の男達_No.3
高松病院に訪れ、降伏を呼びかける薩摩の男達、5人も居たというのに、礼儀正しく名乗ったのは
この二人だけだった。_
No.1
英士の末路:村橋久成<
No.2
真実の人:池田次郎兵衛
諏訪常吉の置手紙を形式的に盾に取るだけでなく、平和を祈る諏訪の本心に心を
動かされてしまった。敵味方区別なく患者の治療に精魂を尽くす高松凌雲の姿。
そして「高龍寺分院」の惨劇。逃げようにも逃げれぬ重症の患者達が燃え盛る火の中で
生きながらにして焼かれてゆく姿。
「戦に、仏心は厳禁。同情は我が身を滅ぼす。・・・守るべき者あればこそ、邪悪な鬼に化すべし・・・」
にもかかわらず、仏心が生じた。悲しいけれど、「仏心」は、確かに、上記二人の人生を
暗転させてしまった。
しかし、ここに、唯一ユニークな存在の人物が一人。
彼は、あくまで「敵」としての立場を貫き、さりとて、「敵への報恩」は完璧に全うした。
心底、人命を尊重し、平和を祈る心には他ならない。
敵への報恩、
軍艦高雄、船将:田島圭蔵
敵の報恩、因縁の男達
結局、降伏を決意する榎本。
・・・目の前に現れた男は、皮肉にもあの時の男だった。
あの船将_田島船将だったのである。
絶句。苦渋。因縁。
「助けた亀」に連れられて、向かうは・・・「竜宮城」ならずや、
万事、敗れたり・・・辰口糾問所・・・皮肉な結末だった。
命を救われた恩は・・・「仇」で返された!・・・か?
・・・・否!・・・
この場合、それは、「仇で返された」とはいいがたい。
助けられた亀は、きっちり、彼流の「報恩」を断じて徹っし、全う!していた。
命の尊重に尽力していた。
高松院長からの「降伏仲介状」を手渡された数名の患者を使者
となし、五稜郭へ引き連れていった薩摩人。
有名なシーン「黒田と榎本のご対面劇」より先に、この場面があった。
・・・◆2◆
五稜郭(ひとたび拒否するが、結局、18日降伏決定)
軍艦高雄、船将:田島圭蔵
明治元年10月秋田藩軍艦高雄は箱館港に寄港。その時、すでに箱館は「脱走軍」の占拠下である。
高雄は拿捕され、田島圭蔵(船将_薩摩藩士)、井上干城(副船将_薩摩藩士)
及び乗船していた松前藩氏は捕虜となり、
松前藩士とは交渉がなされ、話は少々複雑
。
しかし、薩摩藩士である田島他乗組員は、純粋に捕虜となる。
榎本は、彼らに対し、極めて紳士的な態度で応対をし、無事送還するまでの間、給料も支給していた。
不足が有れば、なんなりと申し付けるように、とまで伝言がなされていた。
拿捕された以上、処刑は免れぬまい・・・と、一度、腹をくくった田島だった。
しかし、この想像を絶する高尚な対応に、度肝を抜かれた。
薩摩人である以上、断固心は薩摩であり、我が身は官軍。
敵、榎本達は、あくまで下賎な「賊軍」である。
脱藩の形式は一応あるが、早い話、江戸近郊の当時の幕臣以外で、
軍艦をまともに扱える者といえば、薩摩しかない。脱藩は便宜上であり、正体は完璧に官軍_薩摩藩人。
しかし、暫し滞在するはめになったこの運命は、彼に大きな影響力をもたらした。
・・・榎本は殺し屋でない。彼の信念は上辺の偽装ではないことがしみじみ身に沁みた。
諸外国の脅威、心底、日本の国民を守ろう。人命を尊重しよう。
悔しいながらにも、せつせつと伝わってしまったのだ。
もしも、榎本が信念の為なれば、徹して殺しも為すタイプの者なれば、
薩摩海軍は、
とっくの昔!あの段階でお陀仏だった。
阿波沖海戦( 慶応4年1月4日(1868/1/28日)
榎本は、消す気は全く無かった。要領よく予め邪魔者を滅却する気なれば、あの時
全艦砲撃で潰しておけば、実に手っ取り早い話。(無論、この段階ではまだ、慶喜に相当
懸念があったには他ならないのだが、そもそも殺意はない。)
薩摩にしてみると、自焼した翔凰丸を除けば、被害といえば、追い散らされた悔しさのみである。
立場替われば、追い詰める手間も、潰す手間も、あまり変らない。つまり、泳がされたのだ。
田島氏の発想は回転が速いばかりでなく、なかなかユニークで余裕がある。
どんでんがえしで逆転思考ができる。
いうなれば、薩摩海軍と田島の命は、悔しながらも、二度に及んで榎本に救って貰ったようなものである。
また、最も驚いたのは、
「榎本の思想」
もしかることながら、
敵味方区別なく治療を施し、人命を尊重する・・・高松凌雲の精神
だった。
さすがの田島も・・・暫し、混沌とした思いに悩まされた。
しかし、彼の場合は、どうやら、No.1_
村橋久成
、No.2_
池田次郎兵衞
・・・両名のように、
「仏心が災い」して、「死角の迷路」
に填まり込む
ということには、幸い、ならずに済んだ。
田島は、晩年開拓使で活躍し、ほぼ安定した人生を全うしている。
無論、人生の路線上、なんらかの障害が生じたかどうか、
また、危うい岐路に遭遇し、自己を存分に発揮しきれたのか否か?・・・となると
そこまでは解することはできない。
されど、「まずは、まともに人らしく暮らせた人物」と考えてもよさそうだ。
「田島圭三」の大活躍・・・とは
初めに・・・「黒田、村橋、田島」
田島には、そこそこ権限があった。勝手な特例を黙殺してもらえる腕と伝がある。
黒田参謀下、組織図の上では、完全に横並び、同格である「村橋」とは、性格も異なれば、
なにもかも違っていた。現代風に考えるなれば、学歴だの、家柄だの、資格、特技だの
・・でゆけば、「村橋」である。
村橋は、奥ゆかしく、上品で、物静かで、意見は述べるが、滅多に衝突までには至らない。
何かあっても、第三者に「謗る」ような発言はしない。
必ず、黙って耐える。
多少の矛盾があろうと猛進。万事突き進めて決して、即ち立証・・・の黒田にとって、
いわば、織田信長にとっての明智光秀とは、ちょいと異なるが、まあ、何もやらかされなくとも、
無性に鼻につく。
逆らわない。吼えない。暴れない。うかつに背中を見せてもどうもない。斬られるタイプで
ないからだ。さりとて、背中に冷え冷え、インテリ特有、あの視線が刺さり込む。
大人社会に於ける「陰険イジメ」の犠牲になりやすいタイプ・・・だったかもしれない。
対して、田島は、スカスカ何でも迷わず、さっさとやって、スカッ!と詫びる。
■田島圭蔵(敬蔵と書かれてる資料もある)=永山友右エ門
・・・・天保14年(1843年) - 明治32年(1899年)_享年57歳、薩摩藩士永山盛秀の三男。
通称:友右衛門。諱:盛繁。
薩摩藩士→戊辰戦争前後に脱藩→秋田藩軍艦高雄の船将→新政府軍軍監→(維新後)
→北海道開拓大主典→北海道製麻会社取締役(明治20年~),北海道炭坑鉄道会社取締役
※武田斐三郎(五稜郭の設計者、幅広く洋学に秀でた人物)の塾生時代がある。
◇他に、漁網・製油事業計画なども手掛け、開拓使以降、札幌製網所払い下げ受領。
◇明治元年、10月、高雄丸艦長時、榎本の脱走軍配下にある箱館へ、そうと知らず寄港→拿捕された。
・副艦長井上干城と共に約1ヶ月半拘束された(捕虜の給料有)が、帰還された。
◇箱館戦争終結時の貢献が著しく評価された。軍監を命ぜられ、弁天台場や五稜郭への降伏勧告を行った。
◆その他、箱館戦争終結時の貢献と動き◆
箱館戦争終結時の彼とは: 青森口総督軍監_田島圭蔵。
青森口総督府参謀【黒田了介(清隆)】 の命を受け、降伏勧告を出した。
明治2年(1869年)5月、弁天台場(15日降伏決定)
詳細:本ページ内▼下枠
五稜郭(ひとたび拒否するが、結局、18日降伏決定)
詳細:本ページ内、▲上枠解説文章(草の写真のある枠内、竜宮城うんぬんのあたりにある話)
幕軍兵の屍を葬った柳川熊吉の打ち首を寸前で阻止
した。
詳細:本ページ内▼下枠
箱館戦争終結後、最期の舞台となった千代台、中島の亡骸を確認
している。
壮絶終焉、中島三郎之助親子
既に首が討ち取られ、血に染まったその亡骸に、着物に縫い付けられた「世辞の句が書かれた書」を
発見する。しかし、それは、血に汚れただけでなく、水の溜まった壕に落ち、読み取ることが
できなかった・・と後日、林董に語っている。一般的に、
中島の世辞の句は「ほととぎす」
と
されてるが、本物がなんか、ここに、あったようだ。
読み取れなかったのは惜しい。非常に筆まめの中島、妻にマメに色々送っているが、
さすがに最期のこの日の作品だとすると、歴史上、猛烈に勿体無い損失である。
着物に縫い付けられたという話は物語上のみと言われることが多いが、実際、林董氏に語っている。
当時少年だった林董氏を、哀れに思い、彼一人だけ、急遽救おうとした
。
しかし、本人に断られた。・・・詳細:本ページ内▼下枠
上記、◆その他、箱館戦争終結時の貢献と動き◆・・・の詳細
◆1◆_明治2年(1869年)5月、弁天台場(15日降伏決定)
弁天台場に於ける田島の演説は実に素晴らしい。これは心に響くし、説得力がある。
ちなみに弁天台場は、古写真で見ると、惚れ惚れするような立派な建造物である。
今、あの形のまま残されてないのがとても残念。
しかし、「女房二人おらんとつとまらん・・・のが、弁天台場」という言葉も残されている。
変な表現だが、これは、前からも後からも責められてしまうマズい構造・・・ということらしい。
兵器機能向上が著しかったから、建築開始の段階では一応、砲撃が届かない距離設定
だったのかもしれないけど。
諸外国の脅威を主に敵と仮定して建造されているものだから、
敵がまだ、上陸していない段階なれば、海側にしっかと睨みを効かせるのには、なかなか良い。
ところが、ぎっちょん、既に敵が上陸してしまった後の場合、ここより高い場所は箱館中、一杯ある。
籠もって構えてふんばったところで、丸見え!やられっぱなし・・・なのだ。
土壇場で多少手入れはしたらしいが、話になんないのは、本人達が一番わかっていた。
つまり幕軍は、逃げ場を失い、後から前から、どうぞ!
というようなミジメ台場に、籠もっているにすぎない惨状だった。
ここへ、馬に跨り、パカパカやってきたのは、田島圭蔵である。
まずは、滅多やたらに撃ち殺そうとする自軍を諫め、こう言った。
ならぬ、ならぬ。皆の者、徒に撃つでない。道を開けよ!
・・・・・・・・・・・
雄者の面々よ、まずは冷静にお聞き下され。
貴兄殿、貴軍の面々は皆、正しい。
なぜならば、我が国を守らんが故、
闘う雄者ならばこそ、
故に、貴軍なれば、決して戦うなれば、今日一日の勝利は可也。
されど、今日一日の勝利が如何とされよう。
我が朝廷の軍、数限りなし。
国を守らんが故ならばこそ、
今こそ力を合わせ、悪しき者に共に立ち向かい、
また、悪しき者にも動ぜぬ確固たる国へ向けて、
共に道を切り開こうではないか。
今、ここで争いを続ける意に
何の価値があろうか。
彼の語調に澱みはなかった。 策略を秘めた者特有のあの狡猾な目をしていない。
彼の熱意が痛烈に伝わった。心の奥から、真剣に和睦を望むが故の・・・
伝書鳩としてではなく、彼自身の思想そのものが、語勢に脈々と息づいていた。
対応したのは、土方を失い長を失った新撰組、
つい最近永井玄藩尚志に局長に任命されたばかりの相馬主計。
そして敵艦朝陽をみごと、轟沈させた、あの蟠龍艦長の松岡である。
彼らの頭上を、遥か高く、箱館の上空
積乱雲の欠片が横切っていった。
心と裏腹に季節は、初夏の兆し。海風が吹き付けてきた。
そして、運命の時。ついに、永井玄藩は、呑んだ。この瞬間、全てが崩れ去った。
ついに、弁天台場、永井が率いる大隊、全隊降伏。
永井玄藩尚志(1816年生)53歳、江戸幕府大目付・若年寄歴任。大政奉還の際にも、
幕府側として朝廷と交渉。榎本軍に於ける函館奉行、幹部最長老。
官軍にとって、榎本は総裁であっても、永井の命有る限り、幕府そのものが
息づいているのと同じようなものである。
官軍の眼中、桑名藩主の松平定敬他、計3名の殿様は無論「ホシ」ではない。
諸外国にデ・ファクトとしての印象を裏づけ、英仏艦艦長にも好印象を与えた原因は
博学多識、海外事情に通じる榎本はもちろんだが、やはり「青い果実」。
対して、永井は、外交経験も豊富で風格のある円熟の人物。
永年タイクーンの国で信頼と実績を築いてきた人物として、外国人の目にも映し出され、
確固たる事実上の政権として認められつつあった経緯には、永井の存在が非常に大きかった。
田島圭蔵は、今この瞬間、その「永井」を崩したのであった。
◆3◆_幕軍兵の屍を葬った柳川熊吉の打ち首を寸前で阻止した。
田島圭蔵と柳川熊吉
蝦夷の侠客_柳川熊吉
:(
箱函館戦争、戊辰関係の本頁
)
柳川熊吉を書き始めると、次から次へと思いが迸って止まらなくなってしまうので、今回は略。
今回は、幕軍犠牲者埋葬スポットに絞って表記。
柳川熊吉(1825(文政8)~1913(大正2))江戸花川戸在住「野村鉄次郎」の長男。家は料理店と青果販売。
或る助刀が原因で流浪。新門辰五郎の配下の「木場の仙三」の子分となり暮らすが、安政年間、最終、32歳の頃、
箱館に落ち着く。土木現業の他、料理店も営む。尚、新門辰五郎も侠客親分だが、娘が徳川慶喜の妾となり、
とことん幕軍応援した人物。幕兵の屍の埋葬を徹して、慶喜が水戸へ落ちてゆく時にも付き添っている。
即ち、忠義関係は、新門辰五郎→木場の仙三→柳川熊吉。全員徳川応援派。
とにかく泣かせる男。熊吉殿。誠!男也!おふざけ抜きで、本当に凄い男。
彼の魂は何者なのだろうかと思う。講談師の「侠客モノ」といえば、泣く子も黙る、柳川熊吉。
田島圭蔵。は ワンセット。箱館戦争終結後、幕軍の遺体は、放置状態。その屍さえ
鞭打たれた。「賊軍、罪人、葬るべからず」として葬れば斬首。しかし柳川熊吉は、
手下若い衆600人を動因して一夜にして全て葬った。
そして、案の定、熊吉検挙。斬首確定。
ペペンペン!のオチでゆけば、「モタモタすんない!斬るなら斬れぃ!首を斬れ!」
そこへ、馬に跨る田島圭蔵がパカパカとやってきて、
「あいや、その者、待たれィ!」・・・ペペンペン!
・・・らしいのですが
(らしいとは=昔、ラジオの時代の話だから、そりゃ!存ぜぬところ)
実際は、非常に緻密で地味。
◆熊吉は、前日のうちに書面上、予め自分の組を解散しておいた。指示経路の証拠を残さない為に。
子分達は親分自ら注いでくれる別れの杯を震える手で受け取って涙した。
◆自分のところの若い衆だけでは足りないので、友人、大岡助右衛門のところの若者も
・借りるべく依頼済み。
◆逮捕後たとえ何があっても「俺一人でやった」とシラを切る。若い者、誰一人として
・行為を認めるな!と徹している。
◆一人で死を背負う覚悟だった。
◆いくら真夜中の作業とて、600人も動いているのだ。誰も見なかったわけはない。
庇えば、その民の命も危ない。・それでいて、誰もチクらなかった!ついでに、多分官軍の手下も見てる。
それどころか、いつの間にか、手拭でまるごと顔を覆った町の民も参加していた。女性も居た。
熊吉は深々と頭を下げて礼を言った。
・・・いかに、人々にとって、この熊吉が重要かつ尊い人物だったかが偲ばれる。
案の定、逮捕。当然斬首確定。しかし、田島圭蔵のはからいで助命される。
しかし・・・この話だが、熊吉はかなり、周到な手回しを組んでいる。
・・・と言っても卑怯な手回しではない。
そもそも彼は侠客ということになってるが、非常にマルチな多角経営者。
榎本達脱走軍に限らず、幕府時代から、偉い役人さん、みんなが入り浸りの豪華料亭の主でもある。
誰から見ても、榎本応援者であったのは丸解りである。戦後、榎本応援商人達は市内でも
39人中24人が処刑された。
しかし、熊吉は生きた。・・・?ん!相当、金を積んだ?・・・多分それもあると思うが・・・
それよりも、彼は、箱館にとって、蝦夷にとって、なくてはならない重要な人物だった
それは、誰にも明確だった。いないと明日から、早速皆が困る・・・力を持っていた。
火消し、災害救助、飢餓の寄付&救援、喧嘩や争議の和解仲裁。流れ者、暴れ者、悪漢の穏便追放。
こうなってくると、完全に正義の味方である。小さなものから、大きなものまで動かす力は熊吉だった。ん?!
他に土木工事、五稜郭建造時もメイン建築は大岡助右衛門チームだが、土木現業と雑務、
土塁工事などは全部、熊吉さんチーム。若い衆達に、技術をしっかり身につけさせている。
なにから、なにまで、人のため、ものすごく幅広い領域に活躍。貧しい農家の三男や四男など、
金に困れば、熊吉に預けられるが、ちゃんと仕込んで手に職付けて自立までリード。
凄い人物なのである。
・・・というわけで、
助命活動に動く者「田島圭蔵」の身も安全、かつ成功確率が高いように、それまでの実績で立証済。
多分、実際に動く側の「田島圭蔵」殿が困らないように、事前に、ダメもと、
なんらかの措置(要人リンク)は施してある。
だからといって、必ずしも、上手く事が運ぶ保障はないわけで、
やはり、完全に、死を覚悟していた。
斬首覚悟だから、役人の糾問が、ちっとも様にならない。
以下糾問。
「誰とやったんだ?」→・「へい、ワシ一人で、ごぜ~ます。」
「何人を動因したんだ?」→・・「へい、ワシ一人で、ごぜ~ます。」
「若い衆の長は誰じゃ?名は何と申す?」→・・「へい、ワシ一人で、ごぜ~ます。」
「全く答えになっておらぬではないか!」→・・「へい、ワシ一人で、ごぜ~ます。」
熊吉はたった一人で死を背負い込む
。その決心に一切揺らぎはなかった。
しかしながら・・・
明治政府も、やはり彼がいないと大変なことになる事、ちゃんと解った。
維新後、新たな各種新営工事の際に、やはり優秀な職人を一杯抱えた熊吉の組は、早速大活躍している。
大人しくしていれば、身の安全確保だったのに、熊吉殿、またやった!
この人は
己の命よりも、根っから、幕軍報恩の人
。何回も命を危険にさらしてまで、頑張っている。
箱館市内に限らず、あっちこっちの墓が暴かれて、ぐちゃぐちゃにされた。
また埋葬した。私財を投じて土地を買い、そこに埋葬地を増設しようとしたが
「障害!」が煩い。金は己で名義は寺にした。寄付。寺にも困らせないように、
新政府活躍中の「理解派の要人」と多くリンクを張って、阻止を防止。
もっと楽に、もっと自由に、もっと得して、贅沢な暮らしも
できたはずの一人の男_熊吉。それだというのに、
一生涯全て幕軍報恩に捧げた。
この男、「熊吉」をしっかと見抜き、
危険な橋渡りをあえて被ったのが、田島圭蔵である。
もし、滑れば、必ず、飛ばされる。
しかし、幸い、しくじらなかった。
田島圭蔵、やはり、なかなか偉い
◆5◆当時少年だった林董氏を、哀れに思い、彼一人だけ、急遽救おうとした。
田島が、少年:林董に食らった「小手」一発!
青森に謹慎していた者の一部は、再度箱館に戻されて、幽閉されるわけだが、
その一人であった林は当時、まだ少年(19才)。
そこで田島は、林だけはなんとか助けたく思い、外国語学校設立予定がある。そこで教師をせよ。」
と理由をくっつけて、連れ帰ろうとした。
しかし、この聡明な少年は、そのチャンスを迷わず辞退し、はっきりと断ってきた。
いつの日か、青天白日のもと、再会の期に巡るも非ざらんや。
ここのところ、格好良いヒーローシーン連発の田島。
しかし、あにはからんや、思わぬところで一発かまされた。しかも、相手は・・・少年である。
やはり、この少年、只者ではない。惜しい。
この少年なれば、言い訳はなんとでもなる。言い訳どころか、むしろ褒められる。
貴重な人材を見落とさず、凍死させる前に、よくぞ拾い込んできたものだ・・・と。
新政府にとって、喉から手が出るほど欲しくて仕方ない人材=外国語バリバリ聡明少年である。
なんといっても、彼は、留学から帰った途端、そのまま榎本艦隊に直行している。
・・・(榎本の妻の義弟:戸籍上弟なのだが、林は遠戚に養子で入っているので血は遠い。)
かくして、田島ともあろう者が、たかが少年に一本取られてしまった。
敵ながらあっぱれ!小手が決まったのはいいが、・・・ちなみに、この林董、医者家系の上、
士分にあるものの、根っからのお勉強少年。「刀のカッ!」も、全く使えないタイプ。
彼の武器は専ら頭脳だった。
刀のカッ!もダメな腕白少年に、はからずして、斬りを入れられた田島である。
しかたなく、脳無い業と知りつつ、鸚鵡返しにこう答えて、場を去った。
いつの日か、青天白日のもと、再会の期を希そうぞ。
林は、大男というほどではないが、当時の男性の中、特に同時に捕虜となっている他の者に比べると
図体はデカい。若いだけに、一見、ボサッ?としているようにも見えるが、そうでない。
幸い、この劣悪環境に置き去りにしても、今すぐ凍死してしまいそうなタイプではなさそうだ。
田島の得意のシーン。れいによって、馬に跨り、パカパカと去って行った。
その姿を、
山内六三郎
は、呆然と見送っていたのだった。
彼は、林の親戚であり、この地に於いては榎本以上に「兄の役割」を為してきたつもりの者である。
たとえ、我が身は滅ぶとも、年若い「林董」にだけは、この期を利用して、
なんとか、生き延びて欲しかった。それが本音だったのだ。
山内は、この上なく優しい目、それでいて、とてつもなく悲しげな表情で少年、林を振り返って見た。
しかし、何も語らなかった。少年、林もまた、それが返って辛かった。
少年:林董の「胸の内」
林董が、このチャンスを、あたかもあっさり、断ったには、それなりの訳があった。
一人だけ助かろうとする行為は、林本人、絶対に嫌だった。
箱館の幽閉とは、劣悪環境の極みである。激寒の冬場、仮の掘っ立て小屋。隙間風どころか、
雪まで容赦なく中に入り込んでくる。朝起きると、屋内に降り積もっている始末。
息が皆の無精髭や顔の周囲にある頭髪に凍りつき、目覚めた段階では、全員白髪老人である。
二十代、三十代の者が多いにもかかわらず、この状態では、毎日、誰かが犠牲となり凍死した。
だから、若い林ならば、許される。誰一人として卑怯者などと謗る者はないであろう。
むしろ良かったと涙ながらに祝福されたことだろう。
しかし、卑怯者は、嫌だ。
卑怯者といえば、己の筋を誤魔化す為に、官軍などと名乗り、ミカドを
引っ張り込んだ雄藩達の手の内。同類項はまっぴらご免だ。
そもそも、帰国したばかりの少年を、「解った。行って来い!」などど言ってくれる親は
まずいない。本来なら、首に縄をかけてでも、榎本艦隊入りを、親が阻止してしまう。
ところが、林家も生みの母も、涙をぐっと堪え、むしろ褒めてくれたのだ。
林家の父は、そのまま語った。「己が筋を誤魔化す為に、官軍などと名乗るは卑劣也。」
だから、絶対に卑怯は嫌だった。
・・・
しかし、実のところ、理由は、他にもあった。
・・・それは、「友」である。
林は、この場、吹き曝しの掘っ立て古屋に来て、初めて、「親友」が、一人できたのだ。
微妙な年齢だった林董は、戦争中、大人集団にも入れず、だからといって、田村銀之助達、
年少少年集団に入っても仕方ない話であり、いつも孤独だった。
一種、頭でっかちみたいな浮いた存在。
外交を手掛け、大人達の複雑な軍議にも出る。外国語が達者なメンバーが多いにせよ、
林董ほど高度レベルの者は少ない。だから出席は必要不可欠。
それでいて、発言権があるか・・・というと、それはまた別問題。
奇策を思いついても、弁えねばならない。
浮いていた!人知れず、いつも一人、怒っていた!
林にとっては、やはり同世代の仲間が気になる。
同一年齢層の少年達は皆、戦場第一線に立たされ、毎日死んでゆく。
若いが故、きっと、純粋すぎるのだろう。誰よりも、俊敏な世代、瞬発力は超一流だろう。
しかし、結局、死亡率は断トツに高いのである。たちまち、その数が減っていった。
しかし、彼ら、同世代の者達にとって、林董とは・・・、
榎本ブレーンに所属する「戦場に立つ率の低い特殊頭脳部隊」
仲間意識を持って接して貰えるどころか、彼らからは、いつも冷ややかな視線を送られていた。
林董の心の内、この孤独感が、ぶつけようのない怒りと混じり、ぐしゃぐしゃに絡み合った複雑な
思いがいつも蠢いていた。
折角できた・・・たった一人の親友を絶対に裏切りたくなかった。
(友とは、吉田次郎)
本来、林董は臆病者である。幼少より剣術に秀でる者と異なり、
「怖い!」という言語を平気で発するタイプである。しゃっちょこ張って「我は武士也!」と
ふんばっているタイプの少年であれば、そもそも、その「怖い!」という言語は
たとえ地球がでんぐり返っても口から漏らしたりはしない時代のこと。
特異な一種新人類である。(関連:
林董_『斬首の依頼』若き日の回想
しかし、その「新人類」が踏ん張った。
・・・
いつの日か、青天白日のもと、再会の期に巡るも非ざらんや。
語りながら、途中で後悔して、迷わぬよう、一気に言い切り、平らげた。
相当頑張って、己を叱咤して、虚勢を張った。
こいつに偉そうに言われてなるものか!
この男、田島こそ、あの時、こっちが助けてやった男ではないか!
命を助けて貰っておきながら、今こうして幕軍は責め滅ぼされた。
命を助けてやった捕虜、あの秋田船高雄艦将・・田島!
その恩返しが、この様か!
こやつごときに、命乞いなど、してたまるものか!!
・・・
かくして、助けられた亀は、せっかく用意してきた・・とっておきの
「竜宮城招待券」を少年に拒否され、一人去って行った。
(この場合、亀は馬に跨っていた!)
「田島圭蔵」流_敵への報恩_THE_END
釈放後、林董は、明治の新しい世になって、田島圭蔵氏と、語り合う仲になった。
(ニアミスで再会はできないままになってしまったが、手紙などで友好関係が続いた。)
田島圭蔵殿のおかげで、この章No.3は、No.1、No.2のように、重々しい「曇り、後、雨降りっ放し!」モード
にならずにすんだのですが、いやいや、悲しきかな、「敵の報恩」とは、やっぱり、かなり「濁流系モード」であります。
No.4は、再び、「曇り後、雨降りっ放し!」モード・・・というより、次は、かなり泥々系だなァ。
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<幕末スポット_函館戦争の余波
薩摩の「死角」に填め込まれた二人の男達_
No.1
英士の末路:村橋久成<
No.2
真実の人:池田次郎兵衛
<No.3(現在の頁)敵への報恩、軍艦高雄、船将:田島圭蔵:因縁の男達<
No.4
_空転!松前に齎された和平交渉
榎本の世界に、拷問は一切なかった。
これは断言できる。左記「林董」は、そう語った。
明治の世に於いて、未だ拷問が行われている。
糾問所から聞こえてくる被疑者達の呻き声に、心を痛め、
世の矛盾を痛烈に感じた。しかし・・・
しかし、人道的処置=「理想が果たせる効果」とは
悲しきかな、結果からすると、やはり、あらゆる場面に於いて、「疑問符」を生じさせた。
榎本の世界の糾問は手緩い故、やはり、大量に「逃し、損失と逆襲の期」を自ら提供するに至った。
暴力をもってのみ得られる効果、それは、・・悔しいけれど、その差は歴然である。
この人達の中で、「心」に「心」を贈り返してくれた人は、他に何人いたことだろうか?
敵の報恩、因縁の男達
No.4_空転!松前に齎された和平交渉
No.1
英士の末路:村橋久成<
No.2
真実の人:池田次郎兵衛
<No.3(現在の頁)田島圭蔵<No.4
空転!松前に齎された和平交渉
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