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箱館戦争_空転!松前に齎した平和交渉
空転!松前にもたらされた平和交渉,箱館戦争で捕虜になった男達,榎本の世界に拷問はなかった,拿捕された秋田艦_高雄,捕らえられた松前藩士,渋谷十郎に齎された土方歳三の交渉
因縁の男達、あの時、捕らえられた捕虜_No.1
空転!松前に齎された平和交渉
榎本の世界に、拷問は一切なかった。
・・・これは断言できる。・・「林董」はそう語った。
明治の世に於いて、未だ拷問が行われている。糾問所から聞こえてくる
被疑者達の呻き声に、心を痛め、世の矛盾を痛烈に感じた。しかし・・・
しかし、人道的処置=「理想が果たせる効果」とは
悲しきかな、結果からすると、やはり、あらゆる場面に於いて、「疑問符」を生じさせた。
榎本の世界の糾問は手緩い故、やはり、大量に「逃し、損失と逆襲の期」を自ら提供するに至った。
暴力をもってのみ得られる効果、それは、・・悔しいけれど、その差は歴然である。
この人達の中で、「心」に「心」を
贈り返してくれた人は、他に何人いたことだろうか?
他のメンバー達、命を助けてもらった人々のうち、
・・おそらく、何名かは、あえて言い換えれば、仏心に惑わされることなく、淡々と人生を貫いたことだろう。
また、心鬼にして、命に従い参戦した者の内、結局は戦に命を落とした者もあるだろう。
ちなみに、熊石で力尽きて、集団投降した約400人の松前藩士は、船で青森へ送り返してもらった後・・・
あの時、泣いた400人、松前の男達、そっくりそのまま沸いて出た。
仲間を連れて膨らんで来た。 彼らのために流した涙も踏みにじられた。
▼
関連 _
群青、松前を去り行く男達、蝦夷の針葉樹、民心離反
・・・
松前えとせとら_vol.1(松前12代藩主_崇広 ,クーデターに倒れた松前勘解由他)
あの時、高松稜雲達が寝る間も惜しんで必死で介抱、傷の手当てを施して帰国させてやった男達
・・・福山藩士他も、薩長にがっちり見張られ、殺人マシーンに化けて出た。
仏心に惑わされるどころか、
帰還直後、早々に率先して、幕軍討伐隊で「殺傷を指揮」している者もある。
榎本殿達に、ここで単純に疑問が発生!!
血腥い暗殺団に齎らされた・・・「平和交渉!」
彼らの出張の目的は明確に抑えたのか?
左幕派完全絶滅=殺戮の為に、
京都と江戸の左幕派要人暗殺の為に
派遣された特殊部隊だったということを
解った上だったのだろうか?
(ちゃんと全部吐かせた?)
大物と知りつつ、放ったのか?
それとも、効果率に走る惨忍な発想を
拒否して、非道な暴力をもって吐かせる
強行手段を用いないがゆえに
まさか?、見落としたのだろうか?
乗船していた松前藩士達とは:左幕派を暗殺するための集団!だったのだが、
どうも、やっぱり手緩かった!!
拷問無の「人道的糾問」
◆一般的には、コモノをぐいぐい
絞上げて、大物らしき男の正体を
根こそぎ吐かせる拷問をする。
◆目的を絞ってから、大物をさらに
絞上げる。
◆大物を絞めてる脇に、コモノを
連れ込み、お前が今、吐けば、
_お前の上司は今殺さずにすむが
、それでも吐かぬ気か!・・・とか。」
(ちょっと、恐ろしい話で恐縮)
◆コモノを伝書鳩に使うなら、大物の命
は引き換え条件の旨、きっちり含めて、
取引に出る。
対応は松平と土方がメイン。
◇榎本の精神を尊重し、松平は、
「蝦夷上陸の主旨解説」
◇土方は、さらにその旨を解して、
「血を流す為に来たのではない。
和睦を望む」と、京都時代の彼とは
想像もつかない柔軟な措置に出た。
交渉相手とは、言うなれば、血糊を拭ったばかりの
血腥い連中なのだ!・・・任務完遂後の帰国!
今回彼ら(=乗船していたメンバー)によって殺されたのは
・・松前左幕派、江戸と京都の大物
◆松前藩江戸屋敷の家老:遠藤又左衞 門
◆京都御所守衛松前藩取次役:高橋敬三
彼らによるクーデターで、上記二名が被害にあう前に、
先んじて5月には、松前管内で
「左幕派の賢人達」が暗殺されている。
松前左幕派の賢人達▼
◆
松前勘解由(崇効)、山下雄城、蠣崎監三、関左守
◆
クーデターを起こした側=新派
:正議士:松井屯、鈴木織太郎、 下国東七郎他
・クーデターというけれど、清水谷公考と結託。
・応援依頼、銃50挺準備してもらっている。
現在の頁では、下記2箇所で発生した捕虜に的を絞り、
お話をまとめました。
■1(捕虜第二号)_明治元年10月26日(25とする資料もある)、
入港して拿捕された秋田藩軍艦「高雄」の乗員(薩摩藩士)と松前藩士9名
・・・この内、
薩摩の「田島圭蔵」はこちらの頁
へどうぞ。
・・・現在の頁では、松前藩士にPOINTします。
■2(捕虜第一号)_榎本チーム蝦夷上陸早々に発生した負傷敵兵
・・◆
五稜郭や陣屋などに置き去りにされていた負傷者達7人組リスト
・・◆
敵への報恩_長州編_堀真五郎
発生期日の上では、負傷者達6人組が先ですが、現在の頁では、先に
松前藩士の話から書きました。
空転!松前に齎された平和交渉
夢と現実のギャップ:榎本による人道的措置の結末
まず、藩主が側近と家族らと共に熊石から脱走。目谷又右衞の中漕船長栄丸は70人で満杯。
藩主が船で逃走した後、小型舟で、同じく熊石から、藩主を追って17人の家臣が平館村へ向う。
・(次郎右衞門所有の三羽船にて、水主9人+家臣17人)が脱出。
▼
藩主を熊石で無事送り出した後、松前藩士は集団降伏(約400人)
▼
榎本は、各自に面接の上、榎本軍参加、帰農、藩主の居る青森行きの三択形式で皆の希望を叶える。
▼(その結果)
【榎本軍参加】=8名(医者、足軽、一部侍)
【青森行希望組】=180余人+百数十人
・第1回目出航(12/4):松前右京以下180余人:根森浜(大沢村枝村)から出航
廻船問屋近江屋久蔵の運送船二艘に分乗。
・第2回目出航(12/7):百数十人
・他小規模出航:
【帰農希望】:この殆どがカモフラージュ。帰農なんてしてない!民に呼びかけ水面下ゲリラ。
・・決起決意した民を連れて、彼らは変装。便船を得て、藩主の元青森へ渡海。
(実は藩主病弱にて、青森到着直後死亡)
▼(その結果)翌年、松前はどっさり仲間を連れて仕返しにやってくる!→榎本軍崩壊劇へ。
<人道的措置は夢物語>
外国へのイメージ作戦にも満たなかった。外国はあっさり官軍の味方!
◆
佐久間悌二
と松前藩士の戦場の握手
<ここに冷静な人物による・・「悲しい握手」の物語実話>
青森へ落ちて行く松前藩士を見送った幕軍の一人に、佐久間という名の監軍有り。
彼は、ニヒルな笑みを浮かべ、去ってゆく松前藩士に握手を求めた。
「再び、この蝦夷地が戦場となる時、戦場でもう一度お会いしましょう。」
握手は本物だった。誰しも、人を殺したくない。雄者として、あくまで男らしく本物の握手。
しかし、冷静な佐久間は一目瞭然見破っていた。彼らは、恭順を装い、必ず隊を再編成して
襲い掛かってくることだろうと。しかし、これは、彼ら松前を老獪戦術として皮肉っているのではない。
寧ろ、自嘲しているのが伝わってくる。
戦争なんて、夢みたいな綺麗事が成り立つわけはない。彼は知っていた。即ち、榎本の
方針に対して、この段階早々に、佐久間は、冷めた思いを噛み締めている。
悲しきかな、上層部は戦を知らぬデスクワークの人!!・・・冷めている。
クリミア戦争を視察してきたと自慢するが、死闘に我が身を突っ込んでどん底を戦い続けた者に
しか解らなぬ要素を、彼に要求しても無駄だろう。長は長であり、部下は部下の宿命。
尚、松前の記録に残ったこの人物「脱走軍佐久間監軍」とは、おそらく、佐久間悌二と思われる。
哀れ、佐久間悌二は、箱館戦争終了時には、既に戦死している。
(
佐久間悌二についてMORE
)
他にも、恰も「伝説&架空物語」のごとく現地で言い継がれる物語が幾つかあります。
ところが、よく調べると、どうやら「架空」ではありません。当該が解るケース有り。
現在頁最下欄に少し記載します。(
箱館戦争の伝説的実話コーナー
■1■_(捕虜第二号)_明治元年10月26日(25とする資料もある)、
入港して拿捕された秋田藩軍艦「高雄」の乗員(薩摩藩士2名)と松前藩士9名
・・・この内、
薩摩の「田島圭蔵」はこちらの頁
へどうぞ。
高雄に乗船していた松前藩士:
交渉相手とは、言うなれば、血糊を拭ったばかりの血腥い連中!
・・・江戸と京都の自藩左幕派賢人を暗殺して帰ってきたところだった。
◆蝦夷管内の松前左幕派賢人は既にクーデターで殺されている。松前は目下、革命の為なら、
血で血を洗う強烈派がこの段階で政権を握っている。
親も叔父も倅達に殺された。親が忠誠を誓い、長年仕え、その禄で子を養い続けた恩義の主、
倅は、父の主人を平気で裏切り、殺戮部隊を組織。
主の為、泣く々守りに立った父は倅の隊に殺された。
・・・いつの時代も似てる。子は親を殺せるが、親は、子に弱い。
◆強行派が立っていたから、一部の者の感情か?
同じ暗殺にせよ、自藩の者への仕打ちとして、これは、一体どんな感情が絡んでいたのだろう?
松前と江差の関係か?松前は遠い昔、沢山の城でなくて「館」があった。
ちょっと脱線。松前のその昔。松前内での怨恨考察。
松前、国獲り興亡物語
とにかく酷い惨殺である!!!
このうち、山下雄城は蔵に隠れていて、なかなか出てこなかったのですが、
いつまでも隠れてないで出てこないと、妻と子を殺すぞ!と札を立ててる。
この人物は縊死後、斬首&獄門。
さらに、首の無い胴体が、婦女子への凶悪乱暴、強盗や殺人犯などの卑劣な犯罪者
同様に、乱暴に投げ捨てられ、立石野にさらされたのが実態だという。
また、関左守家に向かった安田拙三達は、狙いの関本人が居なかったため、なんとその弟を惨殺。
これもひどい手口。生きたまま、法源寺前までギシギジ引き摺り、寺前で惨殺した。
何も知らずに夜、その場所を通った市民が、死骸(=死骸と解らず)に躓いて転びそうになって、
初めて遺体と気付き、街中大混乱になった。どんな殺し方をしたか・・・だいたいご想像のとおりだ。
一体どうなっているのだろう?この惨忍さはどこから発したのだろうか。
過去の迫害か?弾圧の仕返しか?!
ちょっと調べてみた。
松前の長い歴史12個の館の頃からの怨念だとすれば、昔なんかあったかもしれないけど、
ここんとこ、迫害も弾圧もやってない!
自藩の家老を斬り刻んで惨殺しなけりゃ気がすまない程の怨念は・・・一体何だったんだ!!
松前勘解由に対し、この程度の恨みならあったようだが、実際はもっと奥深いか??
◆鈴木織太郎にとっての勘解由は、父は異なれど、母同じ。同じ腹から生まれた子。しかし、その母とは、
勘解由を生んだ後、勘解由の父が家来にくれてやった。そこで生まれたのが織太郎だから、勘解由としては完全に
無視!権限も地位にもなんら優遇を加えなかった。対して、力を借りたいと感じた者には、赤の他人でも優遇した。
嫉妬は否定できないが・・・。
◆下国東七太郎にとっての勘解由:下国はかつて藩費使い込み露見で、勘解由に入牢させられた経験がある。
平たく言ってしまうと、現行藩主は病弱、万が一!になる前にNEXT藩主を誰にしたいか?
左幕か、尊王攘夷派かで対立している。
★左幕派_松前勘解由達_十七代藩主左幕派巨魁「
崇広
」系統の血擁立希望
◆NEXT藩主には、前藩主「崇広」嫡男敦(あっ)千代が最も良いと考えてた。
◆また、先んじて、三月二十八日京都御所守護の目的で、名代として庶弟敦千代(第十七世崇広嫡男十一歳)を、
京都に送り、御所警備名目で、日和見には他ならないが、幕府がもし、ダメになった場合にも、ミカドに
見初めてもらうには、こちらの血が良いと思うが故に、良いセクションに登場させている。
もちろん、この年齢だから、取り巻き家臣が完全バックアップ。しかし、少年といえど勇敢。父の血譲り。
対して・・・
★尊王攘夷派_松井屯、鈴木織太郎、 下国東七郎他_現行藩主_「徳広」系統の血擁立希望
◆病気だろうが、なんだろうが、断固「徳広」派である。しかし、本人は危うい!のも完全に解ってる。
◆NEXTには、少年どころか、超幼少(バブバブ!状態4歳幼児の)
修広(=勝千代(幼名)、兼広(初名))擁立希望。
◆こーゆー場合、相当長い間、特定の家臣がほとんど実験を握る。
こんな仕打ちのところへ、使者に出され、
・・・案の定、斬首された松前藩士_
桜井恕三郎が、可愛そうだ。
桜井恕三郎
幕軍の説得を受け、松前藩へ和平の使者として、福島に来て要旨を告げたところ、
隊長_鈴木織太郎(←この人、特に過激)が怒り、藩論を乱す不届者として福島で処刑された。
可愛そうなことに、江差町史を見ると、当時の戦士者資料の中、なんと、彼は、官軍コーナーでなく、
「賊軍」と書かれた徳川脱走=榎本チームの一覧に紛れていた。
解説を見ると、「この者、賊軍に降りて、間諜を諮り、不届きの極み。藩主の怒りに触れ、斬罪」
・・・との意が記載されていた。
そもそも、この段階で、「藩主の怒り」と言うが、病弱の藩主は横臥状態で超重症。倒れている。
怒りもヘチマもあるわけない。松前藩内のクーデターで左幕派を惨殺した「正義隊」チームの仕業。
彼は、京都、江戸にある松前藩邸の左幕派を暗殺するチームに編入されていたが、
捕虜になった時点で、榎本チームの蝦夷到来の意義を解し、「心底、松前を愛するが故」に
よほど熱心に、説いたのだろう。
可愛そうだ。松前を愛するが故頑張った者が、「反逆者」扱い。「賊軍の間諜」にされてしまった。
ちなみに、松前は官軍チームになるわけだから、靖国に入っている。榎本軍団は賊だから、入っていない。
ということは、
桜井氏も、靖国に漏れてる人だろうなァ
。今更靖国がどうのこうのはいいけれど。
◆
赤報隊
・・・(脱線!)
官軍に利用されて、濡れ衣被されて抹殺された赤報隊の犠牲者「相楽総三」の無念は
お孫さんの代で徹して戦い、とりあえず靖国に入った。しかし、ご子孫の主旨は、靖国じゃなくて、
偽官軍の汚名返上と共に、卑怯にも捨て駒にしたその罪を陳謝してもらうためだったのだけど・・・・。
身も心もボロボロにして、とことん闘った彼。「THE_靖国」でピリオドされてしまった。
赤報隊は、ちょっと雑な表現で恐縮ですが、簡単にいうと、新政府のイメージアップキャンペーン隊。
幕府の権威を失落させるために、へんてこりんな暴動を起こして撹乱したり、新政府なら、今までと異なり
年貢は半額!!暮らしが楽になる、豊かになる!自由になる!身分の上で最下層の民衆が皆救われる・・と
よびかけた。しかし、この人相楽氏は極めて純粋な人。口先じゃなくて、本当にそうだと信じていたのに、
偽官軍の汚名を被され斬首された。関連:島崎藤村の「夜明け前」宜しければお読みになってみてくださいね。
島崎藤村『夜明け前』リアリティの虚構と真実
。こちらも関連:
赤報隊の結末
(再び、桜井恕三郎に話が戻る。)
この人はきっと清い。熱心に説かれると信じる人なのだ・・・きっと、若いのだろうと、やはり思う。
裏切れば良かったのに!裏切っても、天は彼を許してくれただろうに!
ヤバイ!斬られる!・・・と思ったら、そんなに力説しないで、掌返して、「榎本チームの情報を
キャッチしてまいりました!」などと、ずるい手を使えばよかったのに。
斬首された程度なら、死んで死にきれようが、「反逆者&賊軍の間諜」として敵の群に埋め込まれて
しまった。本人は死んでしまったから、知らないわけだが、家族の無念を思うと心が痛い。
松前の為に闘って死んだ男達の群に、そっと黙して入れておいてやれる心の余裕は
「正義隊」に、なかったのだろうか。
たとえ、「異論を唱え、命令に背いた罪として、斬首」かなんかの扱いでもよいから、
「松前の群れ」から抜かずにおいて欲しかった。といっても、「正義隊」の皆さんも既に当然過去の人。
亡き人々に、願ってもしかたのない話なのですが・・・。
人一倍、松前を愛したのだ。松前の為に頑張ったのだ。
松前の男なのだ。松前の群れの中に、入れてやれよ!!思わず、怒ってしまう。
清い人は、必ず、犠牲になってしまう。悲しい。
第2の使者:これも可愛そう:
久下琢巳、湯嶋甚左衛門
。
この内、湯嶋は幕軍が進軍した時、なんと味方に縛り付けられていた。(和平交渉の使いになった罰)
額兵隊長の星恂太郎が同情したか、縄を解き逃がしてやった。
(しかし、こんな状態、この人物は藩に帰れないし、どうなったか?
ちょっと脱線!鈴木織太郎に発する「脱線考察」
念のため、これじゃ、松前がまるで悪者になってしまうので、
「
幕軍&松前えとせとら
」の頁もよろしかったらご覧下さい。
鈴木織太郎
クーデター三羽烏の一人。惨殺がキツい。クレイジーなほどだった。しかし、結末は哀れ。捨駒。
狂死とある。どの資料を見てもそうなっている。
しかし、
狂死というより、「狂わされ死に」と感じています
。
そもそも、松前が降伏したのは、この熱狂漢、鈴木織太郎が負傷して倒れたところに発端。
やり口が惨忍の極まり。内部からも不満が出ていた。しかし、ボヤけばたちまち殺されるから皆従っていた。
こーゆータイプは怪我しちゃいけない!刺される相手は敵に限らず、内部に多発するからだ。
案の定、青森に逃げた仲間が結集した際、本人は倒れているから、彼抜きで、NEW軍議で建て直し案。
この時、松前が仕掛けた戦争を放棄に至らせた家老_下国安芸は失脚。
家老_蠣崎民部他も降格。窓際族状態。そこそこ正しいのだが、三羽烏の尻に敷かれ、
実際、全然役に立ってなかった、その不能さが露見したからだ。
熊石から船を出すのも大変な苦労だった。真冬だから、どこの船も運航していない。
蠣崎民部は、恥も外聞も捨て、必死で拝み倒して、船を出させた。(目谷又右衞の中漕船長栄丸)
そのおかげで、15人の必死の水夫をゲットできたのだ。(小さい船に70人満杯!)
また、蠣崎氏は、こんな人情も見せている。
状況を把握できずに大声で泣き続け、皆を困らせた幼い当時4歳の修広(藩主の子)に対し、
商人に頼み、大至急、金魚を入手。
幼い修広に、金魚の入った小さな器を与えて喜ばせ、泣き止ませたという。
幼児の感性は皆同じだ。いくら珍しい生物、金魚とて、怖いおじさんがくれたのなら、こーゆー時、
泣き止んだりしない。優しいおじさんが、バブバブ笑顔でなだめながら、くれたからこそ、
すっかりゴキゲンになったのだろう。・・・なんだか、光景が目に浮かぶ。
藩主一族のうち、先主崇広の五女「鋭姫」_五歳は船中で落命。
青森着いたら、病弱な藩主は既に瀕死。数日後落命。ここでも涙した蠣崎民部の姿は
土地の人に、哀れと言い継がれた。ようするに、いい人なのだ。
ただのいいおじさん系、付随型の家老で過ごせば良かった・・・そーゆータイプだったのに。
無能な上司ばかりで藩士は不満爆裂。下国安芸に限らず、 正議隊の幹部が、先に津軽落ちしている。
鈴木織太郎(=これは仕方ない。怪我している。)、尾見雄三、田崎東等。
松前勘解由を倒すのは勝手だが、彼同様に動ける家老など、一人も居ないではないか!!
我慢してきた者がついに耐え切れず爆発。現況組織を粉みじんに破壊。幹部全員皆殺し。
そこまでは良かった。
しかし、
操縦士まで殺してしまった
のでは、まるで、舵取りの居ない大型船。
必死コキまくり!皆が次から次へと名乗り出て、いわば、「松前を運転すべく」舵を取ってみるものの、
所詮無免許運転。荒れ狂う大海原、船はどんどん、沖へ流され彷徨うばかり。
すぐれた操縦士がいないが故、「松前藩」は、暗礁に乗った。
松前勘解由
無き状態では、たちまち、この呈!
革命という言葉に若い血が思わず騒いだタイプの者も、失望していた。「なにやってんだか?」
しかし、コレ、なんか、天が松前に与えたちょっとした「しっぺ返し」にも思えてくる。
▼
操縦士無し状態で、大海を彷徨う・・・いわば一艘の船「松前」は、
・・・そーいえば、つい最近、新政府、清水谷に指示されて、
五稜郭内牢に、入れたまま、すっかり忘れていた・・・あの人達!
▼
操縦士まで殺してしまったが故、彷徨い、しまいには逮捕されてしまった
あの強制労働者達と同じ!!
皮肉にも、松前は、得意顔で、彼らに浴びせた暴言が、我が身に降ってきた。
「その者共、聞くが良い。確かに、耐え難き過酷な扱いをされたのじゃろう。
しかし、所詮、計画性の乏しい無知な反乱じゃ!愚か者共め!」
▼
「天から降った・・しっぺ返し??」
_アメリカ船カヤルティ号遭難事件&41名の中国人苦人(クーリー)
明治元年7月2日、箱館港沖合いに不信なアメリカ国旗の船がふらふらとプカプカ姿を現した。
座礁してクタクタ状態。見るからに変!である。
早速、箱館府で取り調べ。正規乗員は全て、この41人に、惨殺されていた。
過酷な強制労働に爆発した41名の中国人(当時国名:清国)苦人達が決起爆発。
船を乗っ取ったのだ。怒り爆発して、皆殺し、乗っ取りまでは勇ましかったが・・・・
誰もまともに操縦できなかった。
大海を彷徨い座礁ボロボロ。拿捕。逮捕。投獄。
彼らはどうやら、暫しの間、五稜郭内の牢屋に入れられていたようなのだ。
丁度箱館戦争の波。慌てて逃げた新政府_清水谷公考。彼らの事などすっかり忘れて放置。
※江差の古老達のお話で面白い話がある。「
沈んだ開陽には、南蛮人が乗っかってたゾ!
」
「フランス人なら乗ってたかもよ。」「いや、白人じゃなくて、大陸の南蛮人が沢山!」
「まさか・・・怖いな。居るわけないぞ。幻か、お稲荷さんの祟りじゃないのか?怖い!」
ありうる話なのだ。大鳥圭介壮大プランの土塁工事にも、南蛮人が混じって普通にちゃんと
働いてた。という話も聞いたことがある。榎本チームのことだから、丁度人手不足、
強制使役してたのでなく、この際交渉で、短期間働いてた(アルバイト)のではないか?
結局、送り返されたのだろうが、幕軍対官軍のクライマックスの矢先。それどころじゃ
なかったのは、清水谷公考に限らず。あんまり資料が無い。
また、別途こんな話も。「ああ、なんだ、その話か。榎本のことだもん。暖ったかくしてやったのさ。
飯もこれでもかって位、山盛り食わしてやったのさ。優しくしてやったのさ。んなもん、逃げるもんか。
喜んで働いたん
だべさ
!彼らを船の蒸気機関、釜炊き係で、開陽に乗っけてたんでないの?」
ケロッとして、何の疑問も持たず、気にも留めない様子。唖然。そーかもしれないと思ってしまう。
彼らは結局労働させられていたには違いないが、それまでは、まあまあの扱い。ところが、最後
の究極、ついに酷い仕事をやらされる。砲弾が五稜郭直撃。敵の目印、五稜郭の天辺の塔に、登らされて、
打ち砕く掛を強いられる。この時ばかりはヒューマニズムも余裕無し。この話は
ブラキストン特集
内後半
脱線話から、さらに脱線してしまったので、本題に戻します。
再び、
鈴木織太郎
の話。
負傷で臥せっている彼、
鈴木織太郎
抜きで、NEW軍議で建て直し案の軍議。
上記のとおり、家老達も失脚。クーデターの三羽烏(松井、鈴木、下国)にも厳しい目が光った。
危ない!
こうなってくると、三羽カラスの「
下国東七郎
」も病気じゃなくて、ビョーキで辞退。
(永倉新八【新撰組】の父)
余談ですが、上記、下国東七郎はちなみに、永倉新八の婚礼を世話して、杉村家の養子にさせた人。永倉の父親に
昔、危ういところ救済されている。潜伏して転がり込んできた息子新八を存命させたい一心、永倉の父親が、
下国に頼み込んだ。永倉の養子IN婚礼は命拾いの苦肉の策といえば意地悪になってしまうが、それよりも、
我が子を愛するが故、我を忘れて必死で奔走した永倉の父の姿を思うと胸が痛い。
残ったカラスは「
松井屯
」だけだ。
そのうち、皆の矛先は「
鈴木織太郎
」へ徹底集中。
「あの男は惨忍!自藩の者への仕打ちが残酷すぎる。アイツは過激!危険人物だ!」
「藩主が青森へ逃げる船に、己の妻子を同乗させ不届きだ!」
みんなの叫びが一気に舞い上がった。
「そうだ!全部、アイツが悪い!悪いのは、アイツ一人だけだ!」・・えっ!!
過激な人が弱ると、こうなる宿命は古今東西。
こーゆー形で無理やりクーデターを起こす為には、一人、こーゆー人が必要不可欠。
だいたい、こーゆー人が過激すぎるなら、
なぜ、上の者が、途中で、「ちょっと待て!」・・・掛け声出さないんだ?
黙って過激をやり過ごしておきながら、被せて、始末!!
過激に動く時、必ず危険は妻子に降ってくる。
不届きと言われようと、逃がしたのは、偉いというか、当然。
逃がしてなきゃ、きっと、なぜか、どっかのだれかに、いつの間にか、殺されてると思うし・・・
この鈴木氏、確かに過激。異論を唱えた者を容赦なく斬り殺すだけならず、同情心から意思が
弱まる危険性のある者に残酷な処置。例えば、誰かの叔父が反対意見を述べた場合、わざわざ、
その甥子に、叔父の斬首掛をその場で即急に強要したりしている。
そんなわけで・・・皆にとっての鈴木とは、惨忍、人に非ず、不届き万全。松前の恥!と怒り爆裂。
重傷で本人が倒れている間、ありとあらゆる「鈴木織太郎の罪状シナリオ」が完成していた。
皆のためにと思い、爆走した一人の男は「罪状シナリオ」を覆いかぶされ、
自藩、江戸屋敷「揚屋(=牢屋)」に放り込まれた。
シナリオに叶う結末。・・・狂死した。
彼もまた、哀れである。やってくれた事に好感は持てないが、だいたい、突っ走るタイプとは
純情な人が多い。大きな者、強い者が、被って、包んで謹慎させれば、
ちゃんとなったと思うのだけど。
大きな者も、強い者も・・・いなかった。
拿捕された秋田艦_高雄に乗船していたメンバー
田島圭蔵
・薩摩藩士、船将
井上干城
・薩摩藩士、副船将・・・他
▲薩摩藩士、▼松前藩士
★渋谷十郎
・交渉した人、・記録有り、
・谷となってる資料もあるが、
松前側資料は「渋谷」
・松前に谷十郎という人も
いるけど、コレは渋谷
★高橋孫六
(交渉した渋谷に付いて
交渉の添役係
★井口
★安田純一郎
正議士の中、かなり上位の者
(最初の使者1/3)
★斉藤(最初の使者1/3)
小林(最初の使者1/3)
平井伝一郎
桜井恕三郎
・松前へ使者として向かうが
松前藩は拒否。なんと自藩に
斬首されてしまう犠牲者。
クーデター正議士上位の者の中
に、櫻井安右衞門、櫻井長三郎
はいるが、この人達とは別人
渋谷達の交渉の場に名前がない
から、若手パシリだとしたら、
さらにとても可愛そう。
もうひとり居るはず?
鈴木とある資料もある、
まさか織太郎?!!!
まさかね、そりゃ大変だ!
織太郎はクーデターのTOP三人
組の一人だからまさか!
桜井を怒って斬ったのはまさし
く織太郎だが、ここに混じって
たわけはないと思うのだが
★のつかない人は交渉の席に呼ば
れてない、若い?or身分低い?
渋谷十郎の心もよく掴めない。
老獪狸だったか・・・?
説得されて、本当に和睦を願い始め、
堤を築いた時点で、松前から、一種
「トカゲのしっぽ」にされかけたのか
もしれないけれど・・・。
後の世、彼は敬謙なキリスト者。
だから、尚解らない!!
上欄記載のとおり、山下雄城暗殺
チームの長でもあった渋谷。
しかも、なんで、胴体を転がしたり
したんだ!!直接本人がやったんじゃ
なかったとしてもこの手口は遺憾!
第二回目_捕虜達
明治元年10月26日、榎本軍に箱館が既に占領されている事を知らずに
入港した秋田藩軍艦「高雄」が拿捕され、左記薩摩藩士と
松前藩士は捕虜となる。
◆田島他の薩摩捕虜は、榎本自ら状況を語り聞かせられ、厚待遇を受け、
給料も貰っている。処刑されるどころか、翌2年船で送還される。
「田島圭蔵」コーナー
◆松前捕虜の3名が、松前藩に要降伏使者として向かわされる。
安田、小林、斉藤(渋谷資料以外で別記録も有:安田,谷十郎,江口幸四郎)
渋谷十郎をメインとして、交渉が行われる。
松平太郎から交渉詳細は土方歳三にバトンタッチされる。
▼渋谷は、和睦賛成、協力&降伏するから待ってくれ!・・・といいつつ、
その1
(渋谷十郎事蹟書上)
・ 於是、
安田、小林、斉藤
ノ三人ヘ、賊徒ノ挙動ヲ密示シ、
・潜カニ領分知内村ヘ報知セシム。
__和睦案の使者なんかじゃなくて、腹根性はコレ→
賊徒ノ挙動ヲ密示!
その2
・そもそも、安田純一郎は、正議士&クーデターの中、かなり上位の者
・清水谷と結託、左幕派殺しチームの連判に名がある。
・なんで、こんな偉い「ホシ」、泳がしたんだろうか?
その3
・土方さん、降伏するからちょっと時間下さいよ、待って!と言いつつ
・蟠龍艦長の松岡から見ると、せっせと堤を築いていた。
・試しに砲撃してみると、ボコボコ撃ち返してきた!
そもそも松前では・
・ちょっと古い話、脱線!
アイヌの英雄シャクシャインは、イメージとして、勇敢に戦いながら
銃か矢に撃たれて倒れたのだろう・・・と誰しも思いがちながら、
やっぱり、土壇場でまた、騙されて殺された!
実は、松前側から「五分五分だよ。君達が強いのは身に沁みて解ったよ。
和睦しよう。仲直り和睦の宴ぞ。共に酒を飲もう!」と言って、
酒を飲まして、酔わして、騙して斬った!!
松前の和睦と交渉はどうも・・・コワイぞ!
鈴木らは先ず前隊を四つに分け
ちなみに、上欄記載の左幕派賢人
松前勘解由、山下雄城、蠣崎監三、関左守暗殺計画の際、
各隊長はこのとおり
正議士TOP三人組_
松井屯、鈴木織太郎、 下国東七郎が指名したメンバー
◆松前勘解由_暗殺チーム長_松崎多門以下五名
◆関佐守_暗殺チーム長_安田拙三以下五名
◆山下雄城_暗殺チーム長_
渋谷十郎
以下四名
◆蠣崎監三_暗殺チーム長_杉村矢城以下四名
松前の気持ち
念のため、これじゃ、松前がまるで悪者になってしまうので、
「
幕軍&松前えとせとら
」の頁もよろしかったらご覧下さい。
日本中、どこだって興亡有るし、取ったり取られたりはお互い様。
しかし、 ずっと昔から蝦夷は、
いろんな時代、国内のいろんな地域、いろんな人に狙われた。
一種、内国植民地
。非情と言われようが、鬼と言われようが、
やはり、彼らには独特の感情があった。
立場替われば確かにそうかもしれない・・・。
渋谷と土方交渉・・・そして、鶏鳴く刻也
拿捕された秋田艦_高雄。松前藩士達は、・・・渋谷報告書によると、
◆旅館_亀田屋藤兵衞方ヘ軟禁される。
→松平太郎が出てきて、蝦夷上陸の主旨を語る。
→取調べと交渉進行は、土方歳三にバトンタッチされる。
松平太郎玄関上面 ニ在リ、土方歳三左側ニ陪席ス。
兵隊二行左右ニ整列ス。
太郎
曰ク昨日
土方歳三
ヘ陳逑スル所ノ事情余深ク感激セリ、
余(渋谷)友安田純一郎之ヲ一室ニ請シ定テ、歳三曰ク、
鷲木村ヘ揚陸セシハ固ヨリ戦事ヲ好ムニ非ス、
土方歳三の糾問
土方はやはり、榎本、松平達のモードを弁え、
本来の彼にしては手緩い糾問
。
しかし、さすが、土方、この後、
「船に乗って何してきたんだ?何処行ってきたんだ?何のためだ?」
は突き詰めているのがわかる。しかし、
京都、池田屋の変の際、商人升屋喜右衛門(本名:古高俊太郎)を 土蔵の天井から
ぐいぐい吊り上げて、ついに吐かせた・・・あの土方歳三。
・・・しかし、この世界では、そーゆー恐ろしい手段に踏み切るわけにはいかない。
松前側からの資料だと、吐いたのか否か解らない。書いてない。
仮に吐いたとしたら、自分の首を絞めることになるから、報告書には書くわけないけど
・・多分、吐いてないんじゃないかしら?
▼これじゃ、答えになってない。
京都并ニ江戸邸ニ於テ其所置ヲ遂ケ、復命ノ爲本月廿三日横浜ヲ発シ一昨夜入港スルニ
▼しかし、このとおり、土方去る。
何レニモ隊長松平ト評議ノ上差図ニ及フヘキ旨挨拶シテ去ル。
▼と書いてある。全然和睦どころか、渋谷殿演技丸解り
・・そもそも、これ、密かにじゃなくて、第一回目の使者なんだ!
しかし、渋谷氏、なんかそうは書いてない。
於是、
安田、小林、斉藤
ノ三人ヘ、賊徒ノ挙動ヲ密示シ、潜カニ領分知内村ヘ報知セシム。
夫ヨリ、余ハ
高橋孫六
ヲ従ヒ土方歳三ノ旅館ニ至ルニ、
歳三曰ク
明朝茂辺地出張
渋沢某(誠一郎-小彰義隊長)
ヱ各々通 行差支ナキ様取計ラハセ申分書面ハ
明朝相渡スヘシト言フ→依テ土方ノ室ヲ出テ宿ニ帰レハ巳ニ鶏鳴ナリ。
幕軍の願い叶わず、対松前との決戦
松前は、自藩の藩士、
桜井恕三郎を斬り捨てた。
平和交渉の使者は無残に斬首、
それを以って、松前側から
宣戦布告となされた。
自藩の者ではないか!
なんたる惨忍!邪鬼のごとし!
ついに、榎本、怒りが爆発した。
なぜ闘ったんだ!!
なぜ闘ったんだ。なぜ使者を斬ったのだ?
犠牲者を出す前に
なぜ、降伏してくれなかったのだ?
君達が住むこの地を、
君達から奪おうなどとは、
始めから誰も申しておらぬでないか・・・。
敵の落城に涙した男がいた。
▼
幕末のオーバーザレインボー
:会津遊撃隊長「諏訪常吉」平和への願い
箱館戦争の伝説的実話コーナー
佐久間悌二と松前藩士の戦場の握手
開陽を座礁に導いた狐
これは確証無しながら、多説充満。榎本軍が知らぬ間に、水先案内人が、
誘拐されて別人に化けていたの説。わざと座礁すべく誘導。物語的には、本物の動物狐が、
舟から飛び降り泳いで、沖の鴎島に上陸するなり、アッカンベーだか、逆立ちだか。
この間、実際、ある神主は、沈没せよ!と呪いの祈祷。(コレ(呪いの祈祷)は本当の話
【別Ver.】荒波に揉まれて必死の開陽。すると海上に突如、ボヨ~ン!と火の玉。見ると、
漁船。笑顔の漁師が手招き。こっちは揺れてないぞ。安全だぞ。開陽が向うなりガシャン!
暗礁の上。火の玉ボヨ~ン!漁師は消えた!
無意味な争いを止めよう!記念の樹木
【多分真実臭いが、当該者発掘できず!場は江差方面】
ある日、敵と味方が遭遇。たちまち抜刀、斬り合い。ところが、一目瞭然勝っていた側が、
言い出した。無意味な争いなど愚かしい。止めようではないか!彼の身代わりに樹木に
斬り付け、「さあ、これで終わった。」・・と語り、敵を捉えず、立ち去った。
毒の壷を海に捨てた老人の話:これは完全に伝説でなく実話だった!
◆調べた結果、これは完全に実話。「北州新話(丸毛利恒)」,「説夢録(石川忠恕)」
に表記有り。当該人物は
小砂子村村長である旨表記有り
。勇気ある村主として両者が
讃えている。(他にも幕軍毒殺命令を受け困った村長:札前、根部田、他:
【伝説として伝わっていた内容】
松前が逃げ去る時、民に毒を手渡し榎本軍を毒殺せよと毒壷を与えた。 民は困った。
言いつけを守らねば松前に殺される。毒殺計画が榎本軍に発覚すれば同様に殺される。
ある老人村主が進み出て、こう言った。
「されば、こんな物は捨てれば良い。いざとなったら己の老首一つで済む事じゃ。」
そう言うなり、彼は本当に、壷を海に捨てた。
にもかかわらず、毒殺プランは、他で実行された。幸い、早急措置で死者ゼロ。
被害者は額兵隊だった!皆、吐き出し、仙台から随行してきた優秀な医師の治療で解決。
酷い目にあった額兵隊の「蛸の酢物和え事件」
松前、国獲り興亡物語
◆MINI談話・・・松前内での「血筋と怨恨」を考察、◆武田信広のお手柄
◆江差の民、悲願の築城_館城、◆コシャマインの乱、武田信広が鎮圧、◆渡島半島にあった12個の館
松前の祖先は、発端の一番の英雄といえば、「武田信広」であり、この人は出元が謎のミステリーBOY。
自称_武田信玄系の血を引く・・・なのだが、
蝦夷の和人社会が完全に滅亡する危機から救った。アイヌの反乱を鎮圧。
▼
上記MENUは▼このバナー、「幕軍&松前えとせとら_vo.2」
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No.1_
行脚の道末に
<No.2_
真実の人
<No.3_
因縁、敵の報恩
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No.4_空転!松前との和平交渉
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