幕軍&松前えとせとら12,幕末現代日本の食

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幕軍&松前えとせとら

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幕末戊辰の人々、その後エピソード
明治以降の文化、芸術など明るい影響力を齎した人物編

「幕軍&松前えとせとら」は、色んな長編に対する補足&資料寄せ集め型。軽い系もあれば、小難しい
資料系も混在。一気に読もうとするとしんどいかもしれませんが色々。
◇関連:
幕末_WITH_LOVE玄関 、■ 人物名から追う 、■ 巨匠達悲劇と懊悩 :幕末関係無の「不遇のアーティスト、偉人」
幕末昂じてはひふへほ! (明治以降さらに引き摺った暗い戊辰の影:生き残りと次世代)

【えとせとら各頁の目次】 Vol.1 ・・ Vol.11 Vol.12 現在の頁< Vol.13 ・・・
(現在の頁:明治以降の文化、芸術など明るい影響力を齎した人物編)
この頁シリーズは、サイト内各頁(長編特集からのリンク集約の為、50音順ではありません。各項内のリンクを辿ると、
前後経緯や、周囲の様子(本題)が解ると思います。従来、あっちこっち散らかってます。
各長編特集詳しくは■ 幕末_WITH_LOVE玄関 、■ 人物名から追う
明治以降の文化、芸術など明るい影響力を齎した人物編
Vol.9 :< Vol.10 Vol.11 Vol.12 現在の頁【幕末から明治絡みの人物編】< Vol.13

  1. 鈴木梅太郎
  2. 須藤時一郎
    <須藤は沼間慎一郎の兄:詳しく
    は、バナーリンク先
  3. 富国強兵ならずや、貧国弱兵
    明治の栄養ドタバタ劇
    脚気と、蛋白質とビタミン、
    麦と肉とカレー
  4. 明治の徴兵と矛盾
    ・山川健次郎の談判事件
  5. 将軍様と牛乳ことはじめ
  6. 江戸から明治「牛鍋」歴史!
  7. 他各種アラカルト

歴史の偉人と食べ物話
▼(現在頁中程項目)
将軍と現代の食SERIES小玄関


現在頁(Vol.12)には、できるだけ、
明治以降の文化、芸術など明るい影響力
を齎した人物を集めようとしています。
その為、戊辰絡み人物については、
この後の頁(Vol.13)以降に再び
続きます。

【別頁】
日本に於ける缶詰と缶切り話

現在頁はちょこんとヒトコマ集結編:
▼どっさり大勢のリンクはこちら
人物名から追う

NEXT頁: Vol.13
出身地不明の会津絡み人物関連地考察
山川浩関各連記事リンクナビ他

現在頁は、各特集(長編)の
補足解説用内容の集合体につき、
五十音順ではありません。
詳しくは、各リンク先ご参照。
■No.A_鈴木梅太郎 、■No.B_須藤時一郎

▼鈴木梅太郎

鈴木梅太郎【1874(明治7)年4月7日~1943年9月20日】
・静岡県榛原郡堀野新田村農業・鈴木庄蔵の次男。

鈴木庄蔵たるや、どうも禄を失い帰農した幕臣の臭いながら、梅太郎本人が過去を
除去してるのか、語らぬ為、証拠は判然としないが、歴代純然たる農民とは思えない節有。

■尚、明治になって世は戦争ばかり
ビタミンの発見:ひ弱な日本人体型と健康意識覚醒

ビタミンって何だ!発見して抽出&立証したのは1910年。鈴木梅太郎博士。発端はなんで、
こんなに脚気の患者が多い?兵隊がことごとく、やたらに脚気や色んな病気。
この頃世界はあっちもこっちも戦争。

ここに、 富国強兵ならずや、貧国弱兵の実態 。軍は必死の対策。とはいえ、当時栄養分析が
全然なってない。手探り、必死。当初、脚気対策は、蛋白質だ!説が登場。何を申すか、ビタミンじゃ!
ドンパチが延々。臭い麦(当時は臭かった)と、これまた臭い肉を無理やり兵に与える為に
軍の食にカレーが登場。黄色くて辛いタレで誤魔化して闇雲ぶっかけ飯!
食生活の改善は、手探りわやくちゃ盲目運転。 まさに、栄養てんやわんや劇!


  1. カラダに健康を呼び戻せ!白米、対、麦と玄米の価値

  2. 近代日本:幕末明治の日本人と栄養
    栄養てんやわんや!富国強兵と脚気患者対策:「麦」と「カレー」と「ビタミン」


  3. 明治のカレー事情北海道版,開拓使お雇い外国人講師,カレー裏話,
    クラークと北大生とカレー,開拓使
  4. 日本に於ける缶詰と缶切り話 ウソみたいなホントの話:缶詰あれど、缶切りなかった日本!の実態




ビタミンの発見がなされるまでの間、実は外国でも、兵が病魔の生贄

外国でも同じ。偉い上級士官はなんともないのに、下っ端兵がみんな変な病気になる。
まるごと痩せ我慢で『志』一本やりで飢えながら闘っていた日本と違って、外国は兵にパンも、
肉も与えてたのに・・。実はビタミンだった。偉い人だけ、食後のフルーツ食べてた!
(この話▼)
ビタミンの価値,果物の価値とカラダの健康

▼須藤時一郎

(上記関連:幕末期に於ける健康と栄養に係る日本人の覚醒▼)
須藤時一郎と「万宝珍書」

須藤と弟の沼間慎一郎の戊辰&明治についてはバナーからリンク先
:この人物と弟の 「沼間慎一郎(守一)」はどこで捕縛された?
戊辰の最中に姿をくらましたのはなぜ?など・・・表示先頁から関連記事へリンク有。
・◆ 須藤が提出したレポート 、◆ 【 沼間慎一郎(守一)について


徴兵逃れの人物の話:「上記の鈴木梅太郎」と、「夏目漱石」


■尚、明治になって世は戦争ばかりの時代、この人物の徴兵逃れは、夏目漱石同様、少々有名。
夏目漱石は、本籍を北海道に移して逃れた。一方、この人物、鈴木梅太郎博士は、沖縄に移籍して逃れた。

【明治の徴兵に係る小情報】

◇徴兵令発布と変遷
:明治5年(1872)→明治22年(1889)に大改正。国民皆兵制。
_昭和2年(1927)、徴兵令全改正し、兵役法制定。

◇徴兵令の適用年代に於ける地域差
  • ◆本土:1873年(明治6)、◆小笠原諸島・北海道では1887年(明治20):開拓急務地域
    ◆沖縄本島:1898年(明治31)、◆先島諸島:1902年(明治35)
  • 日清戦争の頃、開拓急務地域の北海道は対象外だったことから、夏目漱石が上記のとおり。
  • 上記、鈴木梅太郎は沖縄へ移籍。
  • 明治22年(1889)の改正時の盲点や矛盾=特例があった。
    ・中等学校以上の卒業後に志願した者に限り、現役期間を1年。
    ・師範学校卒業後、教職者は現役6週間のみ。他にも各種。

  • 昭和2年(1927)、徴兵令全面改正の上、新規、兵役法を制定。(それでも矛盾は一杯)
◇召集命令状を、別名「赤紙」ともいう。


◇徴兵制度の矛盾と差別。裏事情


徴兵は、やはり平等ではなかった。国民が皆、国の為に命を捧げるなら、仕方ないが、闇の裏、
小手先が多すぎる。こんなエピソードも。時は、日露戦争【1904(明治37)~ 1905(明治38)】時。

★山川健次郎が、軍の要人部屋に飛び込んで談判事件。
・・・「俺を徴兵せよ!俺を兵士として従軍させろ!」


これは、軍も役員も皆困って、適当に丸められたようだが、皆は大層驚いた。
当時、山川健次郎(1854~1931)は、東大総長!!この国になくてはならぬ重要人物。
その山川健次郎が、談判事件!!その胸の内を以下に。


この事件は、現代人の感覚で、さらっと読み流すと、なんだか知らんが、山川健次郎は、よっぽど、
愛国精神が強い人だったのかな?なんて思いますが、恐らくこれは大抗議でしょう。
矛盾を指摘しているのだろう。「いつまで愚かな戦争ばっかりやっているんだ!」とは言わないが、

「同じ犠牲の繰り返しなれば、不平等を止めろよ!
試しに、国に必要な男も、偉い男も、みんな徴兵して、死なされ係を背負わせてみろよ!」


・・・というところだろうか。

学識高く、人の上に立つ者とて、ついに限界だったのだろう。
健次郎が手塩にかけて一生懸命育てた優秀な学生達が、次々と死んでゆく。まるで虫の命。
本音は、おそらく、これだろう。

「言った限り、俺は俺自身に悔いは無い!こんなに悲しい思いを延々堪えるくらいなら、
俺も、死なされ係を背負って散ってやる!!」


ちなみに、山川健次郎は、兄の山川浩に比べて、極めて温厚、基本的には穏やかな人物。
戊辰時は、15歳の少年だったが、負けて賊の烙印を押された会津人。兄(浩)と、姉婿(梶原平馬)の
指令に基いて、 斬首覚悟の謹慎場所脱走の上、嘆願状を届ける係 を請負った過去がある。
嘆願状を届けた後、少年の身柄保護もあるが、官軍としては、人質が必要。

健次郎は、そのまま長州の支配下、二度と仲間の元へ返してもらえなかった。ただし、それが幸いして、
実質的には保護され、明治早々、留学生に選ばれ、それが原因で、今こうして教授としての人生がある。

正義感は強いが、過激な男ではないのだ。その彼が、ついに爆裂した。

「俺を徴兵せよ!兵として従軍させてみろやい!死なさせてみろよ!」

・・・怒りの血涙、その姿が目に浮かぶ。


師の立場で、教え子を次々と失ってゆくは、親が子を失うとはまた別に、特別な怒りが。

時代がぐ~んとスライドバックしますが、戊辰時、この人物の気持ちも、おそらく、山川健次郎の
爆発と同じだと思います。

  • 老齢70歳近い大先生が、奮起。奮起と言っても累積知識からして、勝てるわけないと知っている。
    それでも、ついに爆裂。参戦散華を! 印幡似水:佐倉定左衛門_藩校教授(二本松少年隊SERIES)
    ・・(二本松は究極。15歳未満の子供の参戦散華率は会津どころでない。なぜならば大人が壊滅!居ない!
    ・・・城下の兵といえば、老人と子供しか居ない!16歳以上は、大人の隊に従軍して殆ど居ない!

ここにも、山川健次郎のエピソード▼

  • 大山捨松嫁入り騒動:西郷従道の大風呂敷

  • 別件。 山川健次郎が仰天、外国の食べ物! 明治初期、恐怖のカレー
    • 日本人の中、いち早くカレー目撃した人物の一人が健次郎。それが、まさか、こうして、
      軍兵のメニューに定着するとは、あの頃の健次郎は予測できるわけもなかった!

可愛そうな二本松少年シリーズ
  • 13歳の奮戦散華
    お母ちゃん、名札一杯つけておいてね。砲にあたりゃ、おいら、粉々だよ。
    一杯ついてたら、砕けても、おいらだってわかってもらえるから・・・
  • 【真下画像からリンクする「二本松」SERIES内】
    の藩校教授、佐倉定左衛門が爆裂するも無理無い。少年の戦死どころか、子供の参戦散華!

二本松少年隊


将軍と現代の食SERIES小玄関【歴史の偉人と食べ物話】


将軍と牛乳ことはじめ
酒と挫折と意地と男と女,世界の偉人と戊辰の人

家茂と和宮,空蝉の袈裟,棺と砂糖菓子


ヘンデル&グレーテルの美味しいお菓子とグルメ、大冒険

【慶応と明治】、【江戸と東京】、【慶応4年に於ける4月と閏4月】、【明治6年の新暦について】

1868年から明治に於いて、日付のことで、頭こんがらがる時:

【慶応と明治】
  • ■慶応4年(1868年)は、途中で明治に化ける。■同年、7月22日(1868/9/8)より、元号は明治。
    但し、資料によって、この年の件に関しては、双方の表記がある。仮に明治元年3月という表記が
    あったとしても、間違いではない。明治政府は、同年1月から遡って全部明治に一括一貫方針を
    希望していた。
【江戸と東京】
  • 明治元年年、8月17日( 1868/10/2)より、江戸は東京に改称。
    【注】上記のとおり、明治元年の前半は慶応4年で書かれるケースが多く、7/22から明治。真上枠ご参照。

【慶応4年に於ける4月と閏4月】
  • 慶応4年は、4月と5月の間に、閏4月が別途ある。13ヶ月ある。
  • 尚、いつの年も「閏4月」が存在していたわけでない。その年によって「閏当該の月」が様々。
    歴史上「閏5月」もあれば、「閏6月」も・・・。▲上記話は、あくまで慶応4年の話。
  • 大体3年に1回のピッチで、「閏月」が設置されており、その年は1年が12ヶ月でなくて、13ヶ月。
【明治6年の新暦について】
  • 明治6年1月1日:新暦登用
  • 昔の話を読む時、旧暦だから、頭の中で季節感は現代に変換して考えないとならぬ面倒がある。
    旧暦何月何日は、現在でいえば何月何日?と面倒な思考不要なるのは 「明治6年1月1日から」 です。
  • ところが、この切り替え直前部分が難関。
    ・・・ 明治5年12月2日の翌日が、明治6年1月1日 となります。
    (明治5年12月は1日と2日しか存在しない状態だった為)
  • 尚、「明治6年1月1日に、新暦開始を決行」すべきの案が正式に可決されたのは、
    明治5年11月9日。
  • <オマケ>明治政府の悪知恵?!
    • 実は、役人給与支払い形式に於いて、年俸をやめて月給制に切り替えた後。僅か2日しか
      勤務しない者に月給は、払いたくない。おまけに翌年6年は13回も払わねばならぬ。
      どちらも財政難の元。節約第一。西洋と同一の太陽暦に国民は対応べき!を口実に、問題解決。


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文章解説(c)by rankten_@piyo、


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犬達の「もう一度歩きたい!」



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