幕末二本松少年隊悲劇_3

幕末,戊辰戦争,&二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎の終焉&人物,霞ヶ城の太刀風,少年達の悲劇、小沢幾弥他,悲劇の裏側_敵の懊悩,【楽天市場】

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二本松少年隊の悲劇
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二本松少年隊 の悲劇と霞ヶ城(悲劇と敵の懊悩)<No.1<No.2<No.3(現在の頁)・・・
二本松少年隊 の悲劇_皆の悲劇と敵の懊悩_No.3
シリーズ:■1~2:大脈,木村銃太郎先生,大壇口のニ勇士,野津道貫他,■3~6少年達の悲劇、各個人編,
■7~8:大人の犠牲者と活躍、おまとめ
二本松戦SERIES: No.1 No.2 No.3 (現在の頁)< No.4 (13歳~の年少少年)< No.5 <・・・
二本松少年隊(少年達個別編1)
小沢幾弥,根来梶之助,大樋勝十郎,奥田午之助,三浦行蔵,
上崎鉄蔵,松井官治,清野正親


誰が、少年達の笑顔を
奪ってしまったのだろうか。





美しい里山、二本松。
やがて秋が来て、山々は紅葉に染まる。
あんなに愛くるしい少年達の笑顔。
もはや二度と、蘇りはしない。

駄文にて、恐縮ながら、弔いのつもりで書いています。主人公達が主に少年であることから、
生々しさと泥々した世界を制御したつもりです。歴史嫌いの皆様にも、是非二本松の悲劇
を知って頂けましたら幸いです。
少年達、皆それぞれの悲劇_その1
1_ 小沢幾弥 の早春


小沢幾弥 は、皆と異なり、江戸っ子だった。
父が、江戸詰めだった。

江戸で生まれ育ったこの子は、この春、
初に二本松へやってきた。
父に帰藩命令が下ったからだ。

完全な江戸っ子、幾弥。
鄙の地に降り立ち、
早速、試練が待ち構えていた。




江戸っ子と聞けば、しゃきしゃきとしたイメージが強いが、
現代の感覚でいうと、江戸っ子というよりも、むしろ典型的な都会っ子。

地方から、都会に引っ越せば、カルチャーショックなのだが、彼は、全くその正反対の現象。

二本松は、江戸のような快適さもなければ、なにかにつけて不便で仕方ない。
洋書を扱う本屋もなければ、気の効いた菓子屋もない。
彼の意識の中は、二本松、イコール遅れた田舎町。侮蔑の念は、けっして否定できない。

真っ先に驚いたのは、皆の貧しさだった。
同じ藩士の子にありながら、幾弥から見れば、百姓同然、つぎはぎだらけの木綿を
着ている子がほとんどなのだ。

それに、武術の遅れには、いささか苛立った。江戸に居たため、世の変動には敏感だ。
江戸の大人達は、皆、西洋砲術を心掛けていた。時代遅れの侍戦法では、話にならない。
時代は完全に進化している。

「対して、この二本松は、なんたることか!時代錯誤もいいかげんにせよ!」

いつも苛立った。銃といえば、一部の精鋭部隊を除けば、他は火縄銃。信じられない。
同年代の子も、皆遅れていて、全然、話があわない。
剣を自慢しては、剣術塾に通う子とて、ほとんどが稽古用の刀しか持って居ない。
幾弥にしてみれば、そんな物は玩具のちゃんぱら用に過ぎないのだった。

当然、孤立。馬鹿馬鹿しくて、一人本を読んで過ごしていた。



ところが、ある日、そんな彼に鮮烈な刺激があった。
江戸帰りの若い先生が居るという。西洋砲術を学んできたそうだ。
子供達に、塾を開いているという。

幾弥の目が輝いた。さっそく父に頼んで、許可を得るなり、塾に飛び込んだ。
父は、父で、倅に惨めな思いをさせまいと、早速江戸から新式の銃を仕入れ、
我が子に手渡した。



ところが、これは、彼にとっての第一の悲劇に繋がった。
いざ入塾してみると、そこに居たのは、餓鬼ばかり。自分の背丈の半分位のチビまでいる。
ピーチクパーチク煩いばかりで、腹が立つ。

一人、同じ年齢の子が居たが、どうも話があわない。

一方、他の子からすると、幾弥の訛りのない江戸弁が癪にさわってしかたない。
何もしなくても、いちいち敵対視された。されど、チビ相手に怒らず、相手にしなかった。
ますます、反感をかった。おまけに、新品の西洋銃まで持っている。

或る日、幾弥は、わんぱく小僧達のいわばリンチにあった。
チビ、チビと侮っていたものの、生活の苦しい彼ら、中には半農半士的に、
農作業で体を鍛えている者もいる。

チビ達が何人も集まって、彼を取り囲んだ。あっという間に、幾弥は胴上げ体勢で抱えられた。
そして、なんと!川に落とされた!!

全身ずぶ濡れの屈辱。おまけに相手は無数の蟻ん子みたいな連中。

早熟な幾弥。もう耐えられなかった。

この塾に入った目的は、江戸帰りの若い先生の最先端の話を聞いて学ぶ為だ。
そして、西洋砲術を学び、誰よりも優れた存在になってみせたかった。

きっと、その先生なら、己の夢を満たしてくれるにちがいない。
そう思ったからこそ、この塾にやってきたのだ。
それが、なんと、このざま!

夢は、完全に崩れ去った。

「下らぬ。低俗な野蛮!次元が低すぎる!」

・・・いつしか、幾弥は、足が遠退いていった。



彼にとって、この苦い早春。
しかし、彼の運命を思えば、皮肉にも、それは、束の間の幸せだったことになる。


2_二本松の小沢幾弥、罪の夏、最初で最期の夏


たちまち、事態が急旋回した。
慶応4年4月、官軍が押し寄せてきた。白河が攻められたという。
大人達が援軍に駆け参じた。

入れ年制度があるこの藩では、一部この段階で、早々に、幾弥と同じ年齢の子も
勇ましく、兵として、出陣した。

幾弥は苛立った。己は、なんら武士の子として役に立てぬまま、
指を咥えて待たねばならんのだろうか。

17歳の彼は、大砲方「朝河八太夫」の隊に従軍することになった。

この隊は、木村塾と異なって、実戦部隊である。当然大人社会にいきなり身を置いた。
しかし、江戸で学んだ幾弥は、覚えが早い。たちまち、重宝されて、信頼を得た。
毎日、厳しい調練に耐えて、頑張った。

城を取ったり、取られたり、激しい 白河攻防 が転回された。
たちまち、奥州は凄惨な戦場と化した。援兵に向かった大人達は、退路を絶たれ、
二本松は緊迫した。

7月、力づくで攻め来る官軍。敵の進行ルートにある小藩、守山藩はひとたまりもない。
たちまち転んだ。今度は、三春藩が危ない!!
隣藩の危機なのだ。二本松は、手持ち兵のありったけを援軍に走らせた。

ここにとんでもない悲劇が待ち構えていた。


三春藩は既に転んで、敵に転じていた。助けに向かった二本松は、張本人の三春に
砲撃を受け、精鋭部隊の多くを失い、絶大なダメージを蒙った。
よそ者には解り憎い複雑なルートを巧に用い、敵の盲点を突く作戦だったのだが、
地理に詳しい三春藩が、敵の大群を誘導してきたのだから、たまらない。全壊だった。

これに激怒した二本松家老、丹羽一学は、意を決して、徹底抗戦論を発布した。

「今降るもまた亡び、降らざるも亡びん。亡びは一なり。
むしろ死を徹して、節を守るに如くは無し。」

こうなると、懸命なる選択は、恭順だ。さりとて、奥州列藩の領域。
丹羽一学の発言根拠は、辛い奥州の実態を活写している。
だが、彼を決断させた最大の理由は、隣藩の裏切り行為。たとえ滅んでも、
彼ら同様に不義に転ずるまい!武士の意地だった。


幾弥の属する「朝河八太夫」の隊は、阿武隈川から、川原を一望できる
絶好の位置に陣取り、敵を迎え撃った。朝河の隊は泣く子も黙る一流の砲隊だ。
阿武隈川から、川原を一望できるこの場所からは、敵の動きがつぶさに捉えられる。

7/29、いよいよ、敵の大群が、二本松に押し寄せた。朝河隊の兵は極小。されど、恐れる暇も無い。
幾弥の運命は、このまま押し流されて、この瞬間に、全て決定付けられたも同然だった。
真っ先に激戦の最前線に身を曝す宿命を負った。

いきなり、敵はこの急斜面を、よじ登ってきた。恐れることなく、次から次へと、
やってきては、朝河隊に、撃ち殺された。それでも、懲りずにやってくる。

官軍の将は、その行為が何を物語るか、あらかじめ予測済みだ。
敵、二本松に丸見えであることなど、解りきっている。それでも、なんら動じることなく、
断じて撤退しようとしない。

官軍は見抜いていた。どうせ二本松は、兵力も乏しければ、弾薬にも限りある。
味方を何人失おうと大意に支障はない。次から次へと転ぶ恭順藩の兵を使えば良いことだ。
限りなく、在庫兵数は順を追って増加する見込みなのだ。

この作戦は自藩兵オンリーの隊なら使えない。『死なされ専門掛』は、恭順藩の兵がやらされた。
己の勇気如何で、最愛の妻子を残した自藩の未来が決まる。
斜面を登り来る無数の蟻、その大群は、途絶えはしない。


幾弥は無我夢中、片っ端から撃ちまくった。それでも次から次へと、敵は沸いて出る。
17歳の彼、それまで殺人経験など、あるわけはない。初めは、面食らった。
しかし、歯を食いしばり、己に言い聞かせた。

「これは戦なのだ!かまわぬ!撃ち殺せ!相手は人などではない!
邪鬼に化けた悪漢共なのじゃ!」


我武者羅、ことごとく、滅茶苦茶一杯、撃ち殺した。

「かまわぬ!もう、こうなれば皆殺しじゃ!己、悪漢共め!」

しかし、この時、思わぬアクシデントが発生した。
なんと!隊長、朝河八太夫が撃ち倒されたのだ。耳元で、聞き慣れた隊長の呻き声。
そして、ばさりと人の倒れる鈍い音が響いた。

それまで無我夢中だった幾弥は、この時、初めて状況を知った。
銃の照準覗穴から、目を離して周囲を見回す暇は、それまで一度もなかったからだ。
もともと極小人数の部隊だったのは言うまでもない。
「さりとて、これは一体なんちゅうこっちゃ!」

味方の隊は既に全壊同然。血に染まり、既に息耐えた者。
呻き悶え苦しむ者。その光景は、現にありながら、まさに地獄絵そのものだった。

幾弥は、隊長の命令に従って、砲の要針を抜いた。撤退は、砲を潰してからのこと。
それが鉄則だった。いかなる場合とて、敵に武器を譲る愚をやらかしてはならない。

幾弥は、弾薬の硝煙に真っ黒に汚れた目を擦りつつ、最期の力を振り絞って、
隊長を担いで撤退を開始した。自分も怪我を負っている。
しかし、若い彼は、己の痛みに鞭打って、ついに霞ヶ城の城内、坂下門までたどりついた。

無念の涙が零れ落ちた。それまで担いできた隊長は、既に息絶えている。

異郷の地、孤独な幾弥。たった一人だけ、彼の心を支えてくれた頼もしい男。
隊長、朝河八太夫は、もはや、この世に居ない!



尊敬する我が師、朝河の首を敵に奪われてはなるまい。
疲労困憊、体力は限界を超えている。しかし、やるしかない。素手で土を掘った。
力尽きて、へたりこんでも、それをやめようとはしない。地べたに這いつくばって、
爪で、土を掘り続けた。やっと浅いながらも穴が掘りあげられた。
泣く泣く朝河の亡骸を埋めた。

途端に力が尽きた。そのまま、彼は倒れて、気を失った。


3_ 小沢幾弥 、ついに散華の時


夕刻、名は不明(※)だが、土佐のシャグマが通りかかった。
顔を見て驚いた。なんと!少年ではないか!
※名は、大体想定されるのだろうが、この手の話、後に自ら
自慢話にするような者が、そうした情を発揮するわけはない。

既に戦は終っている。いうまでもないが、当然軍配は官軍だ。

行軍する兵達の足音。それまで気を失っていた幾弥は、朦朧とした意識のまま、
やっとの思いで、蚊の泣くような小さな声で、こう言った。

目の前に立ち止った人の気配。
「敵か?味方か?」 ようやく、それだけ言って尋ねてきた。

土佐の将が、顔を覗き込むと、既に彼は過労の極限現象。
視力を失い、目が見えない末期状態に至っている。( ※この現象

思わず泣けた。一人の少年が、こんな極限に至るまで戦い続けた証。
彼は、こう言った。

「安堵せい。味方ぜよ。早う、病院へ!」

これだけ喋ると、余所者特有のイントネーションが浮き彫りになった。
二本松に、この喋り方をする男は居ない。

その時、この少年は、微笑みとも泣き顔とも、なんとも言い難い、独特の表情を、
頬に浮かべたという。そして、こう言った。

「男子、軍に従う。もとより、生還を欲せず。
武士の情けなれば、介錯を、お願い申す。」

土佐の将の意識の中、平家物語の『敦盛の最期』が折り重なった。

もう少し、幼い13~14歳の子であれば、有無を言わせず、力づくで抱え上げ、
病院へ連れ込むも可能だ。しかし、この子には、武士としての己、その自尊心がある。

少年はあっぱれな発言をなした。さりとて、芋虫のように、なにやら蠢く。
介錯を受けるべく、自力で正座しようと悶えているのだった。それが、やっと解った。
両腕の力を失い、身を起こすことすら、もうできない状態に陥っている。

将は、暫し悩んだが、武士らしい最期を望む彼の気持ちを尊重することにした。
ふらついて思い通りにならぬ本人を助けて正座させてやった。

「遺言はないか?」


少年は、静かにこう言った。

「このことを、後に機会あらば、家人に伝えて下され。」




将は、少年を悪戯に苦しめぬよう、最も太刀捌きの巧みな兵を呼び、
一刀のもとに首を断ち斬らせた。





将は、本当に、この約束を守った。

論より証拠。人名は不明(※下記)とした上ながら、
実際この話が残っている。

また、同時に、こうも伝わっている。

「その少年は、この地に珍しく、
方言訛りのない完全な江戸弁だった。」


それは、まさに、 小沢幾弥 、彼に他ならない。


小沢幾弥の夏が終った。
二本松に来て、最初で最後の夏が消えた。

夏は幾弥を奪って消え去った。


4_どうして、 小沢幾弥 の経路が判明した?


これが、泣けて泣けてしかたない。
この話が伝わるには、なるほどの根拠が根ざしている。

官軍の将が、少年を発見した時、視力を失っていたのは上記のとおりだが、
血と泥に汚れ、衰弱しきった彼の肉体。その時、もっとも不憫に感じられたのは、
指先だったという。泥だらけで血まみれの指には、ほとんど爪が残っていなかった。

爪が剥げ落ちても、屈することなく素手で土を掘り続けたのだろう。
少年が、その激痛に耐えて、尚屈しなかったとは・・・!
きっと弔いの墓を掘ったのだろう。将の予感は的中した。

少年が倒れていた現場すぐ近くに、極めて浅い粗末な盛り土が見つかった。
案の定、大物、朝河八太夫と判明した。

fuki_01.jpg小沢幾弥は、己も傷を負い、朦朧とした意識のまま、
なんとか朝河を病院に運ぼうとして、
たった一人で背負い込んで、坂道を下ってきた。

陣地の位置と、墓の位置、そして彼が倒れていた現場。
爪剥がれた痛々しい血まみれの指先。泥だらけの腕や衣服。

それらの事象が、彼の軌跡を浮き彫りにした。

ここにひとつ、美談の中に疑問が・・・。

幾弥が最期の力を振り絞って掘った墓穴。朝河八太夫の亡骸を掘り起こしたのは、
本当は誰だったのか?首はどうなったのだろう。
「手柄のひとつやふたつ要らぬ。手厚く葬ってやれ。」・・・・だったらよいのだが・・・。

(※記)一応、この官軍の将校については、薩摩の「伊藤仙太夫」のようです。


末期現象

断末魔、究極の現象。これは人に限らず、動物も同じ。視力を失う。
同じ状況に至った人物の例として、別途、会津の悲惨。会津の家老、西郷頼母の娘も、その一人。
頼母の家族は、意を決して、妻も老母も子も皆、自刃を成し遂げた。官軍が邸に足を踏み入れた時、
親族一同の屍の中、たった一人、辛うじて生き残った少女を発見。彼女は喉元から血を流していた。
少女の力では及ばず、死に損なったのだろう。少女は、上記、小沢幾弥と同じ発言をした。
「敵か?味方か?」 ・・背筋に悪寒が走る程、ここから先の成り行きは、小沢幾弥と全く同じだ。
不憫に思った官軍の誰か(=名不明:中島信行説と、否!説と双方につき割愛)が、彼女の要望どおり、一刀のもとに天昇させた。

小沢幾弥 の悲劇_完
狭間の年頃と、狭間の子
■大樋勝十郎17歳、■奥田午之助15歳、■三浦行蔵16歳、■上原鉄蔵16歳、■根来梶之助16歳、■松井官治17歳、■清野正親
少年に思う


少年とは、いったい、いつ頃から、少年でなくなるのだろう。
それは、けっして下衆な話題ではない。

まだ、子供だから、教えないほうが良い。・・・であるとか、知るには早すぎたとか・・・
やはり、いつの時代も大人達の失敗と後悔がつきまとう。

いったい、いつ頃から、大人として認めて
あげたらいいのだろう。
二本松少年達の皆のケースを知ると、
頭を抱えてしまう。

やはり、止め処なく涙が溢れ出るのは、
幼い子達のケースです。

それでいながら、いつまでも、心にこびりついて
消えないのは、微妙な境目年齢、
十代後半の子達。

彼らは、他の子達と、
明らかに異なる懊悩を抱えて死んでいった。
そんな気がしてならない。



A19_大樋勝十郎17歳


大樋勝十郎

この子に関しては、可愛そうなことに、ほとんど
エピソードが残っていない。
木村銃太郎塾の子としては、最年長。他に上記、
小沢幾弥が同じく17歳のお兄さんクラスだ。

小沢幾弥は、前述のとおり、塾の子とは馴染めず、
正式に退塾手続きを為したわけではないが、
実質上、皆から離れてしまった。

対して、 大樋勝十郎 の場合は、皆と協調して、最期まで行動を共にしている。
控えめな子だったかもしれない。または、ぐんと大人っぽい子だったかのどちらかだ。

木村塾の面白いところは、いわゆる年功序列とかいうパターンが全く存在しない。
身分も関係ない。実力主義を尊重したのだろう。
必然的に、入塾が早い子であれば、年下であっても、頭が高い。それだけ先に知って、
技量も伴うからだ。

この子は、チビ達の間にありながら、トラブルを起こした形跡はない。

ふと客観的に考えるならば、年齢が高齢になればひとつやふたつの年齢差など、あまり関係ない。
ところが、十代のひとつやふたつは大違い。
13の子と、17歳の子が同じでいれるはずはない。どんなに優秀で、どんなに物知りの子とて、
13歳は13歳であって、大人になりかけの17歳とは、完全に別種な生物のはず。

この子に関しては、たったひとつのエピソードしか無いにも拘わらず、思わず泣けてしまった。



木村塾の生徒達は、決戦の前日、先生に連れられて、砲や弾薬を抱え、陣地に赴き、一夜を明かした。
少年の身長にあう高さで砲を据え付けたり、少年の体力で重い弾薬を運ばせるには時間を
要する。それを先生が予期したからだ。( その時の様子は、こちらの頁

戦争という非常事態にありながら、徳川平穏260余年は絶大だ。
しかも、幼い少年なのだ。緊迫してるようでいて、やはり皆あどけない。
少年出動許可が下りた時、皆は歓声をあげて喜んだという。
皆口々に、勇ましく語り合った。

「俺は、絶対敵を皆殺しにしてやる!」

「俺だって負けない!じいちゃんに家宝の名刀を借りてきたんだ。
この刀ならば、官軍の一人や二人、いくらでも斬り殺せるぞ!」


そんな会話の中、一人沈黙を守っていた17歳の 大樋勝十郎 の姿が目に浮かぶ。


少年達の一部には、これより先の水戸天狗党征伐に徴集されて、父や兄を失った者も居る。
さりとて、それは皆、遥か遠い地でのできごと。
この二本松は、この年、戦乱に呑み込まれる迄の間、ずっと平和だった。
たとえ貧しくても、のどかな里山は人々を優しく包んで、幸せな国だったのだ。

幼い少年達が、具体的にイメージするには、相当無理がある。
無論、 大樋勝十郎 とて、生まれて以来、戦を見たこともなければ、
家を焼かれて、彷徨い続けた苦い経験もないのは同じ。

しかし、脳裏に浮かぶ物は、15歳未満の皆とは、やはり、はるかに異なるはずだ。



生き残った子が語った。

「あの子は、そういえば、前の夜、元気がなかった。」
どうした?って聞いたら、

「俺は鳥目だから、夜は、よく見えないからだよ。」 ・・・・そう答えたという。

17歳にもなる 大樋勝十郎 には、見えていたのではあるまいか?

己の結末と、この上なく愛した我が郷土、
そして二本松藩の宿命が・・・。

幼い子にそれを語っても仕方ない。ほっといてくれ!そう言い放したのでは可愛そうだ。
鳥目だから元気がない。なんとなく、幼い子なら、たちまち納得してしまいそうな言い方だ。

この子は、真っ先に死んでしまった子の一人。
最初に壮絶な傷を負った子は別だが、その後、少しの間、生きた。

対して、この子は陣地で即死。木村先生の最期も知らずに、
先に死んでしまった。



17歳だ。やはり幼い少年とは全然違う。
もしかしたら、誰かを愛して、未来を誓った、そんな娘が何処かに居たとしてもおかしくない。



鳥目を気にして、初めから元気がなかったと言われて、
それだけで済まされているこの子は

・・・・・

実のところ、本当は、猛烈に奥深い思想を持って、
立派な大人になりかけていたかもしれない。


■A13_ 奥田午之助 15歳


奥田午之助

この子も哀れだ。年齢的には15歳。上記、 大樋勝十郎 達の抱いた複雑な心境は軽度だったかもしれない。
しかし、少なくとも、この年齢なれば、己は子供達と違う。強烈な自覚があったにちがいない。
父の権之助は、別途、遠征出陣している。

奥田午之助 は、木村銃太郎塾の子ではない。大人達の実戦部隊に配属されていた。
高田口の高根三衛門隊に居たのだ。
ところが、自隊が壊滅。命からがら脱出を成し遂げて、木村隊に合流した。



なんと!あっという間に、銃弾に倒れ、即死してしまった。



大人の隊に居た子なのだ。きっと、あらゆる彼のドラマがあったにちがいない。
それだというのに、即死。何一つ語り継がれることなく、無念にも天に消え去った。



なんといっても砲煙が立ち込める実戦の最中。
たった今、入り込んできたばかりの子に、砲術を教える暇はない。
当然、現代風の言い方をすれば、パシリ専門(=コキ使われ専門係)だったに違いない。
己よりも年の幼い子達が砲を構え、顎で使われて、右往左往、動き回る彼の姿が目に浮かぶ。

当然、敵の目に入りやすい状態も想定される。
あまりに、あっけなくて辛すぎる。

死なねばならぬ宿命だったのなれば、勇敢に白刃戦で戦って、討ち死を果たす姿が、
むしろ似合っていたかもしれない。悲しい。

彼の勇戦ぶりを語れる者、高根三衛門隊は、皆死んでしまった。
2_A15_ 三浦行蔵 16歳


三浦行蔵

この子も大人になりかけの年齢。死なずに済んだものを、大人的な判断が
彼の死を呼び寄せたのかもしれない。厳密には行方不明である。
むしろ、何処かで名を変えて、なんとか明治を生き残ってくれたものなれば・・・
そんなふうに祈りたいところだが、確立は希薄。恐らく死んでしまったのだろう。



三浦行蔵 は、木村銃太郎塾の子。
どうしたものか、豆畑で血まみれになって倒れていた。下川崎村の佐藤忠八が発見した。
忠八が必死で看病をした甲斐あって、どうにか回復見込みだった。

木村銃太郎先生を失った後、皆で撤退。逃げつつ、彷徨いつつ・・・。

それにしても、下川崎村に居たのは何故なのだろう。
途中、誰か大人に巡りあい、彼らの判断で、他部隊に合流するつもりだったかもしれない。
移動途中、なんらかのハプニングが襲ったのだろうか。

いずれにせよ、逃げ帰らず、さらに戦おうとした勇気の証だ。


せっかく、命を取り留めたというのに、なんと、突如、脱走してしまった。
丁度、この頃、情報が入ったのだ。

大敗の二本松藩は、屈して恭順。生き残りの藩士が、
謹慎の為、高国寺に入った。

この話を聞いた途端、悔しくて、居てもたっても
いられなくなったのだろう。
突如、飛び出し、姿をくらませた。
二度と帰らなかったという。


A7_ 上崎鉄蔵 16歳


上崎鉄蔵 _(木村銃太郎塾以外の子:大谷志摩隊の大砲方、井上権平隊)

大谷志摩隊の大砲方、井上権平隊に居た。天神山に陣取っていたが、この隊も大敗となった。
敗れたとて、屈っするまい! 上崎鉄蔵 は、井上権平隊長と共に移動を開始した。
他隊と合流するためだった。

ところが、その途中で、敵が溢れ出た。蟻の大群のような夥しい量の兵。もはや勝ち目はない。
弾薬も尽きて、銃は使い物にならない。



誰かが犠牲になって、突貫突入をなし、
生き残りが突破するしかない。
観念した大人の兵は皆、抜刀した。

すると、 上崎鉄蔵 も負けていない。

彼は白刃を翳して、敵の大群に斬り込んだ。
現場は赤い血に染まった。
壮烈な最期を遂げた 上崎鉄蔵

僅か、16歳にして、大人顔負け。
まさにあっぱれ、武士の最期だったという。

上崎鉄蔵 、涙の守り刀

上記だけ読むと、この子は可愛そうだが、あっぱれ武士らしく死んだのだから、まあ良いか・・と、
ふと安心してしまいそうですが、見えない側面。やはり、泣けてしまう。
◆側面とは◆
ここの家も、かなり貧しかった。鉄蔵は、もう16歳だというのに、稽古用の刀しか持っていません。
実戦出陣が決まって初めて、彼の母、マスは、自分の父(斉藤弥治兵衛)から、刀を借りてきて
倅に手渡しました。

鉄蔵は、生まれて初めて、真剣を手にして、そのまま天国へ飛び去ることになったのです。
お爺ちゃんの名刀の名に恥ずことなく、立派な討ち死で最期を飾ったのです。
しかし、お爺ちゃんは、どんな気持ちだったでしょうか。可愛い孫に、守り刀として手渡した。
それだというのに、彼の命までは救うことが、できなかった。

A17_ 根来梶之助 16歳
叔父は、高根三左衛門。同じく少年ながら参戦した子の内、高根源十郎(13歳)もいる。
となると、根来君と高根君は親戚関係だった可能性有。


根来梶之助 _(木村銃太郎塾以外の子:大谷志摩隊の大砲方、井上権平隊)

この家は、完全に一族の思想。一致団結。父も兄も皆別の場所で戦って、死んだ。

根来梶之助は、根来市左衛門の養子であるが、実の父は、内藤四郎兵衛。

父、内藤四郎兵衛の最期も壮烈だ。父は52歳。幹部と共に城内に居たのだが、
このまま、みすみす敵の襲来を待つは潔く無しとして、
自ら、城門を開き、敵に突入した。傷を負い、割腹して果てた。

また、ぐんと年の離れた長兄は、内藤隼人(34歳)という。二本松では勇敢な銃隊長(副)で知られる男だ。
内藤隼人は、白河戦争で先に死亡している。
内藤隼人というと、たちまち、新撰組の土方歳三の変名を連想してしまうが、
別途、本名、内藤隼人がここに居る。




叔父は、高根三左衛門。
この人物は、援兵に向かった塩沢で戦死。





16歳の侍、根来梶之助
まさに、あっぱれな最期であった。


根来梶之助は、壮烈突入烈死を遂げた。

上記 上崎鉄蔵 と同じく、大谷志摩隊の大砲方、井上権平隊に従軍した彼、
城の門外で、突如勃発した凄まじい白兵戦で、勇ましく戦って死んだ。

B2_松井官治17歳


松井官治 _(木村銃太郎塾以外の子:大谷鳴海隊)

◆大谷鳴海隊長を救った少年_ 松井官治

大谷鳴海隊長といえば、泣く子も黙る。奥州の土方歳三と呼ばれた男。

しかし、次から次へと襲い来る敵の群れ。
さすがの大谷鳴海隊も極限に到達した。僅かに生き残った兵を率いて、立て直しを図るために、
撤退命令を下した。

ところが、どうしたものだろうか。敵に退路を絶たれたのだろうか。
やっとの思いで、阿武隈川まで退いたが、なんと!船がない。

この時だった。予想外の男が、ざんぶと川に飛び込んだ。
それは、なんと17歳の松井官治である。

いつ敵に狙撃されるか保証など、どこにもない。
しかし、迷わず川に飛び込んだ彼は、たちまち対岸まで泳ぎ着くと、
船を持って戻ってきたのである。

この時、大谷鳴海隊は、皆、 松井官治 に命を救われた。



しかしながら、この子が、その後明治を生きた情報を知らない。
勇敢な子なのだ。この後、勇戦したのだろうが、なんかの間違いでいいから、
生き残ってくれたのならば・・・思わず、祈ってしまう。


A17_清野正親?歳
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清野正親 _(木村銃太郎塾以外の子:大谷鳴海隊)

この子の情報は、まるで皆無に等しい。
年齢もわからなければ生死も不明。
完全に埋もれている。

大谷鳴海隊長には、忠実な下僕、清野がいつも
影のように付き添っていたという。

清野正親といわれる人物は、その清野の倅であり、
父に連れられて従軍していたという。

また、正親という名も含め、それらは全て誰かの
記憶であり、曖昧。

しかし、こうした存在の子について、曖昧だから、
書かずに削除ばかりだと、永遠に埋もれてしまう。
下僕の子や、足軽ラインの子、たくさん埋もれている。

彼らこそ、君は英雄だ!そう言ってあげたい。


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写真等、素材については頁下表示


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