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幕末二本松少年隊悲劇_4
幕末,戊辰戦争,&二本松少年隊と勇者達_涙のリスト,木村銃太郎の終焉&人物,霞ヶ城の太刀風,少年達の悲劇、小沢幾弥他,悲劇の裏側_敵の懊悩,【楽天市場】
二本松少年隊,土佐の敵将が泣いた!名札だらけの13歳他,岡山篤次郎:13歳,久保鉄次郎:15歳,久保豊三郎:13歳,徳田鉄吉:13歳,高橋辰治:13歳,
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幕末_WITH_LOVE玄関
_戊辰戦争の余波
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二本松少年隊
の悲劇と霞ヶ城(悲劇と敵の懊悩)<No.1<No.2<No.3<No.4(現在の頁)<・・・
二本松少年隊
の悲劇_皆の悲劇と敵の懊悩_No.4
二本松少年隊(少年達個別編2)
年少少年の部_その1
右側スクロールコーナーについて
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もう暫くお待ち下さい。
個別編1
15~17歳、大人になりかけの子が背負って死んだ苦しみ
小沢幾弥,根来梶之助,大樋勝十郎,奥田午之助,三浦行蔵,
上崎鉄蔵,松井官治,清野正親:
個別編1へ!
個別編_年少少年の部1=
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・岡山篤次郎:13歳,久保鉄次郎:15歳,久保豊三郎:13歳,
・徳田鉄吉:13歳,高橋辰治:13歳,
個別編_年少少年の部2=
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・木滝幸三郎:15歳,高根源十郎:13歳,安部井荘蔵:15歳,
・武谷剛介:14歳,上田孫三郎:14歳,水野進:14歳,
・丹羽五郎:13歳,丹羽四郎:15歳,
個別編_年少少年の部3=
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:成田才次郎14歳
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個別編2_1_土佐の敵将が泣けた!名札だらけの13歳
岡山篤次郎_13歳
個別編2_2_7/29落城の後もさらに奪還作戦に参加散華の子
・久保兄弟:(兄:鉄次郎15歳、弟:豊三郎13歳)
11月に死んだ弟:豊三郎13歳
12月に死んだ兄:鉄次郎15歳
個別編2_3_運命の日、7/29散華した少年達の哀れ結末
徳田鉄吉
13歳
(2_3A)
高橋辰治
13歳
(2_3B)
次の頁
個別編2_4_必死の逃亡劇_屈強の男達との巡りあい
木滝幸三郎_15歳のミステリー街道
生き残る為に「壮絶!生への死闘」を駆け抜けた少年
個別編2_5_生き残って、苦しみを背負い、明治を生きた子
高根源十郎
13歳
(2_5A)
安部井荘蔵:15歳
(2_5B)
武谷剛介14歳
(2_5C)
個別編
2_6_生き残って、二本松の悲劇を文章に著した子
上田孫三郎
14歳
(2_6A)
水野進14歳
(2_6B)
個別編2_7_煩悶_武士の教え、武家に生まれた母と子の掟
丹羽四郎_15歳&丹羽五郎_13歳
次々の頁
個別編2_8_生きて背負う『武士の掟、罪と罰』
成田才次郎14歳の死
敵将_長州の白井小次郎の悲劇
敵将を生涯弔い続けた父_成田外記右衛門
木村銃太郎先生の最期と人物
懊悩した敵:薩摩の
野津道貫
、心の闇
二本松の悲劇はどうして発生した!?
大人達の悲劇、
三浦権太夫
大壇口の二勇士
老人隊の烈死
ご住職の大爆発!
少年達、皆それぞれの悲劇_年少少年の部(その1)
二本松戦SERIES:
No.1
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No.2
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No.3
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No.4
(現在の頁)<
No.5
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No.6
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No.7
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No.8
シリーズ:■1~2:大脈,木村銃太郎先生,大壇口のニ勇士,野津道貫他,■3~6少年達の悲劇、各個人編,
■7~8:大人の犠牲者と活躍、おまとめ
個別編2_1_岡山篤次郎_13歳
土佐の敵将が泣けた!名札だらけの13歳
お母ちゃん、名札一杯つけておいてね。砲にあたりゃ、おいら、粉々だよ。
一杯ついてたら、砕けても、おいらだってわかってもらえるから・・・
岡山篤次郎_13歳:木村銃太郎砲術塾の子(あだ名:トクジ≒徳治)
誰が、少年達の笑顔を奪ってしまったの?
あの無邪気な笑顔、二度とかえらない!!
そして、懊悩した人物が居た。
チビだけど、侮れない。勇敢隊士トクジと呼ばれた。
篤次郎は、13歳で年少ながら、木村銃太郎砲術塾に、第一号で飛び込んだ。
木村先生が、江戸から帰藩したのは、慶応3年の後半から慶応4年春一番の間と言われる。
西洋砲術の必要性から、藩命で数年間、就学して帰ってきた。(
その経緯詳細
)
この頃、既に世は緊迫。江戸で暮らした先生は、特にそれに敏感だ。
帰藩するなり、早速砲術塾を開いた。
前の年、将軍慶喜は大政奉還、明けて鳥羽伏見。各藩は新政府に表向き恭順。
されど、本気の恭順であるわけはない。水面下で不気味な地響き。煙がくすぶっていた。
とはいえ、まだこの段階で、この平和な里、奥州に、戦乱は、押し寄せていない。
何も知らない子供達は、皆とても無邪気だった。
ただ、子供は子供らしく、漠然とならば、知っている。
悪いやつらが、穢れなきこの現世を踏み荒らしているそうだ。
将軍様を苛めて追い出したらしい。
やっつけてやらねばならぬ。一日も早く立派な大人になって、そいつらを
打ちのめしてやるんだ!それが、少年達の夢だった。
徳川平穏260余年の影響は絶大だ。戦に駆り出されて、遠方の地で戦死したという
友達の父や兄の話は知っている。水戸天狗党征伐の時のことだ。
しかし、それ以外は、皆、全く実感がない。
近隣の藩が誰かに責め滅ぼされた話もなければ、城を焼かれて、路頭に迷う苦い経験者の
体験談も、この時代、この地域では聞くに聞けないのが実態だった。
そんな中、篤次郎は、やはり独特の危機感を持った子だったといえる。
江戸から帰ってきたばかりの若い先生が、西洋砲術の塾を開いたと耳にするなり、
親におねだりをした。
「まだ、13歳なのだから、剣術が先だ。」なかなか了解を得られない。
しかし、彼は粘り倒した。
「それじゃ、悪いやつらをやっつけるのは、ずっと後でもいいってこと?
僕が大きくなるまで、悪いやつらは、ずっと待っていてくれるの?」
ついに、父は、篤次郎に根負けしたのだった。
篤次郎は、塾に、第一号で飛び込んだだけあって、皆に一目置かれる存在となった。
木村先生は、少年達の憧れのヒーローだった。稽古は厳しいが、稽古の合間には
子供達に菓子を与えて、笑うとえくぼが出る。背が高くて、何でも知っていて、洋語も喋る。
それでいて、稽古は厳しい鬼の先生。少年達が憧れる射撃そのものだけでなく、
火薬の調合から、基本的な道具の手直し、組み立て、全て教えた。
それを怠るようでは、射撃を覚える資格は無い。その点、実に厳しかったのである。
そんな中、篤次郎は、火薬の調合など地味な分野も率先して、覚える子だった。
早く大きくなってではなく、早く覚えて一日も早くマスターしようと必死なのだ。
襲い来る脅威は、大人になるまで待てない事を、この子は本能的に察知していた。
岡山篤次郎_2
_
少年達を巻き込んだ戦乱
突如、戦乱が少年達を巻き込んだ。
慶応4年4月、官軍が奥州になだれ込んだ。大人達は援兵に駆り出され半減した。
7月には、なんと隣藩、三春が狙われた。ただでさえ少なくなった最後の精兵をこの藩は、
救援の為、派遣した。ところが、ここに現実の脅威が!助けに向かった三春は既に恭順、
敵に変身していたのだった。ここに、二本松藩は、いわばすべての精兵を失ったも同然の宿命となる。
(
この経緯詳細はこちら
)
残るは僅かばかりの青年。それは一握りにも満たない。
少年も老人も皆、自藩の為、自ら出兵した。
一方、木村塾では、少年達が爆発した。ここは幼い子が多い為、対象から外されていた。
ところが、少年といえども、武士の子には違いない。指を咥えて待つなど、もうできない!
彼らは暴れた。ついに、先生が出願。藩主から出動許可が得られた。
先生が結果を発表した時、なんと、少年達は歓声をあげて喜んだという。
正義感と、幼さが、やはり同居していた。
篤次郎は、家に帰るなり、出陣が決まった事を母に告げた。
母も武士の妻である以上、泣いてはいられない。
たとえ、我が子が僅か13歳といえど、
武士の子の宿命。それが武士の掟だった。
母は、夫の古着を解いて、徹夜で、篤次郎の戦闘着を縫い上げた。
まだ体が小さすぎて、出陣に着れる服がなかったからだ。
篤次郎が言った。
「母上、名札を沢山つけて下され。」
母は涙を噛み殺して、倅に聞いた。
「名札はひとつで宜しいではないか。なんの為に、沢山必要なのじゃ?」
幼いながらもしっかり者の篤次郎。それだというのに、沢山欲しいというのが、
あどけなくて、可愛くて、母は隠れて涙を拭った。
しかし、その理由を聞くなり、彼女は驚愕した。
理由はこうだった。同じ被弾でも、銃弾ではなく、
砲だった場合、己は粉々になってしまう。
その場合、もしも沢山名札がついていれば、残った体のどの部品からでも
名前が読み取れるからだと、篤次郎は言った。
この子は戦を具体的に想定していたのだ。
母は、今にも泣き崩れそうになる己に打ち勝って、篤次郎の要望どおり、
全身いたるところ、腕も背中も足も、何箇所も名札を縫い付けてやった。
翌朝、母は、全身名札だらけの篤次郎を見送った。
その背中を見送りながら、篤次郎の言ったもうひとつのおねだりを思い出して泣けた。
「母上、名札に名前も書いて下され。僕が書いたら、
字が下手くそだから、皆に笑われてしまうよ。」
慶応4年7月28日、木村先生は、生徒と共に、砲と弾薬を引いて運び、大壇口に陣地を張った。
緊急事態につき、副隊長として、二階堂衛守:33歳 が派遣されてきた。
彼ら少年達は、一夜をここで明かした。
明けて、7/29日、いよいよ決戦当日。
官軍は、二本松に攻め込んできた。敵の数は、想像を絶する。まさに大群だった。
しかし、この木村隊は実に貢献した。
少年達は、先生の指示に従い、今まで習った知識をフルに活用。
次から次へと敵を砲撃。吹き飛ばした。
腕に被弾した先生。それでも無理を押して、頑張り続ける。
皆の一致団結はさらに強まった。その時点で、少年の数名が傷に倒れ、
そして一人は落命している。幼さも無邪気も完全に吹き飛んだ。
「おのれっ!糞官軍の野郎共め!奥田君の仇じゃ!先生達の怪我の仕返しじゃ!」
術に秀でた篤次郎は、砲に噛り付いて、撃って、撃って、撃ちまくった。
ところが、ここに致命的悲劇が生じる。なんと、木村先生が銃弾に倒れたのだ!!
ニ弾目は腹部を貫き、ばたりと倒れた。
息も絶え絶えの先生は、観念して、皆に砲を潰して撤退することを命じた。
こうなると、少年である以上、総崩れとなった。
しかも、先生は武士として、皆の前、己の最期を宣言したのだった。
そして、副隊長の二階堂に介錯を依頼した。
あっぱれな最期を飾ってやりたくとも、二階堂副隊長は、心が揺れた。
一太刀目、ニ太刀目を失敗。
三太刀目が決まった。
首が毀れた時、少年達は、一斉に、わっと泣いた。
この世で最も尊敬した先生。先生は、もう居ない!!
木村隊長を失った後、少年達は副隊長の二階堂に率いられ、撤退を開始した。
皆、重い足を引き摺って、砲の墨(※)で顔は真っ黒だった。
・・・・・・・・・・・・・・・(※火薬が焼け焦げる時に砲手は目の周囲がその墨で汚れる)
先生を失った悲しみで、皆涙を拭うから、ますます真っ黒。
それでも、最期の抵抗。せめて先生の首だけは、敵に絶対手渡すものか!
少年達は、我先に進み出て、先生の首を大切に運ぼうとした。
しかし、重い首はとても少年一人の力では運べない。足が縺れてたちまち転ぶ。
彼らは、先生に心で謝って、ふたり掛りで髪を掴んで運ぶことにした。
怪我を負っている者、疲労の激しい者はとても話にならなかった。
結局、成田虎治14歳と、岡山篤次郎13歳 が交代で運んだ。
負けん気の強い岡山篤次郎は、ひとたび、その役目になると、もう離さなかった。
「煩い!先生の首は俺が運ぶんじゃ!お前らなんぞ、あてにならぬ!」
篤次郎は、副隊長二階堂にほぼ並んだ状態で、先頭を堂々と歩いた。
「まだ、負けてなどおらぬ!先生、そうじゃろ!なあっ!」
涙が溢れるのを隠したくて、わざと胸を張って歩いた。
坂道を下りきった時、運悪く、敵の手勢に囲まれた。
ところが、この敵将は、相手が子供の軍団だと気付くなり、副隊長も含め、
皆見逃した。少年どころか、大人の身長の半分程度の子供が大半だったからだ。
やっと大隣寺近くまで辿り付いた。
なんと!その時だ。いきなり敵の一斉射撃を浴びた。
少年達が地に臥して見上げると、二階堂副隊長は血に染まり、動かない。
無念、即死。既に息耐えていた。
敵は撃ってしまってから、俄に焦った。
即死と思える大人の亡骸の横、血みどろで喘いでいるのは、なんと子供ではないか!
蹲るその姿が、なんと小さいこと!
「しまった!子供を撃ってしまった!!」
この時、亡き師匠、木村の首を抱えていたのは篤次郎。
二階堂に並んで先頭を歩いていたことが災いした。その為、撃たれたのだ。
この隊長も即刻兵の射撃を制止。他の子供達を皆、見逃した。
・・・・・(
この後、少年達は彷徨い悲劇に
)
この時、当該は土佐藩(名前不明)の隊長。
少年と解り、血相を変えて、大至急、野戦病院に指定した称年寺に運んで、手当てを施した。
「なんたることぞ!」
隊長自ら、必死の看病をした。
「よりにもよって、こんなに幼い子が、こんな宿命になろうとは!」
服装を見れば、泣けてしかたない。
全身名札だらけなのだ。腕も足も皆、ところ狭しと名札が貼り付けられている。
どこもかしこも、岡山篤次郎_13歳、そう書き込まれているではないか。
僅か13歳の子を撃ってしまった罪。その13歳の文字ばかりが目に映ってしかたない。
いくら看病してやっても、もう末期を彷徨っている。熱に魘されて、うわ言が始まった。
「しっかりせよ!医者がおる。必ず治るぞ!」
涙を流しながら、この隊長は部下に語った。
「あっぱれな子じゃ。この子は必ず治してみせる。
まず安定させたら、この子には、良い医者につけて完全な治療をしてやるのじゃ。
我が家の養子にすればすむことじゃ。この子はいい子じゃ。養子に是非・・・」
隊長の声も涙に潤んでいる。部下は黙って俯いた。
この子のうわ言は、不思議なことに始終、命令口調だった。
こんなに幼い子だというのに、隊の主要部に属した存在だったことが、うわ言で解る。
「鉄砲を俺によこせ!早くしろ!」
「早くせぬか!!弾丸をよこせ!」
「馬鹿野郎!俺によこせ!貴様は下がっておれ!」
うわ言の頻度が緊迫した。額に手を当てると猛烈な高熱だ。
隊長は、我を忘れ、任務も部下に任せっきり、思わず夢中になった。
「誠、そなたは殊勝な子じゃ。安堵せい。薬も治療もなんでも精一杯、
そなたに約束するぞ。必ずじゃ。しっかりせよ!必ず治る!」
一方、篤次郎は、声の主が誰であるかも解らぬ状態である。
しかし、彼のうわ言は止まらない。
魘されていても、あいかわらず苛立っている。命令口調で叫び続けるのだった。
「早くしろ!馬鹿っ!弾をよこせっ!」
「畜生っ!!殺してやる!」
そう叫ぶや否や、
突如、様態が急変した。
ぐんぐんと、体温が引いてゆく。途端に、がたがたと、猛烈な痙攣が発生した。
隊長はそれを拒むがごとく、必死で少年の小さな体を抱いていた。
次の瞬間、少年は、目をかっと見開いたかと思うと、今度は確かに、こう言った。
「おっ、お母さん~っ・・・」
それが、篤次郎の最期だった。
夕方息を引取ったこの少年は、死の瞬間、はじめて、少年らしいうわ言を言った。
それが、最初で最後だった。
隊長は、なりふりかまわず号泣した。彼は次の瞬間、最大の罪を背負った己を知った。
全身に貼り付けられた幾つもの名札。
そこに書き込まれた『13歳』の文字列。
その文字の数と同じだけ、隊長の心には罪が貼り付けられていた。
奥州戦早々に、
この隊長は、その数だけ、
罪を背負い込んで、
・・・・
それは、天涯消えなかった。
この謎の隊長はきっと判明していることでしょう。しかし、名を自ら語るでなく、語れるでなく。
戊辰を生き抜いたでしょうか。仏心に揺らいだ人物の多くはどこかで落命してしまう率が高いのは事実です。
しかし、氏名を明かさぬ状態で、エピソードが先に、隊員と思われる誰かの口から、
語られているところを見ると、戊辰の真っ最中に落命はなかったのではないか?と考えられますが不明。
■当該人物名を誰かと追及するよりも、こうした事が現実にあったことを、心に刻むほうが、大切なのかもしれません。
その為に古い時代の人々が明かさなかったようにふと思えます。最初に見逃して通過した側の将校は恐らく
辺見十郎太【薩摩】であろうと言われています。肝心要側(土佐)は、我也と名乗っていません。
個別編2_2_7/29落城の後もさらに奪還作戦に参加散華の子
個別編2_2_久保豊三郎_13歳
★A7_久保鉄次郎_15歳
◆久保兄弟:(兄:鉄次郎15歳、弟:豊三郎13歳)
=ふたりとも、木村銃太郎塾に席がある子
◆
兄:鉄次郎
は塾の皆と行動は別で、先に大人達
と共に出陣。敵が二本松城下になだれ込む前の
段階で既に、大谷鳴海隊に属して出兵。
本宮村の戦いで負傷した。家に戻り、ひとまず
療養中だったが、弟が出陣したと知って、
跳ね起きて、再出陣する。
しかし・・・
◆途中経緯は不明だが、やはり倒れ、玉井野(玉ノ井)戦病院≒玉泉寺に入院。
12/6に、同病院で死亡。
◆
弟:豊三郎
は、経緯からすると、塾の子と共に、大壇口で戦った後、自藩壊滅の後も、
会津へ一度移動して、さらなる合戦に参加、もしくは、巻き込まれた。
◆大壇口で戦った後、生き残りの大人に巡りあい、そこから行動を共にした様子。
A15_武谷剛介14歳
と、同じ場所、会津の丸山四郎右衛門胤道(※)家で、暫し保護されている。
しかし、この子は、自藩壊滅の7/29に留まることなく、8月半ばに結集した
二本松奪還作戦部隊に同行した。
会津の丸山四郎右衛門胤道とは、
秋月悌次郎
(秋月胤永)の父
。
◆兄と同じ上記玉ノ井病院にて、11/8、負傷が元で発病した破傷風で死亡。
■不屈の少年戦闘士_
久保豊三郎
大谷鳴海隊に属して先に出陣した兄の鉄次郎は、本宮村の戦いで負傷した。
ようやく家に戻り、療養中。とても再出動できそうもない。
弟の鉄次郎は苛立った。
僅か13歳ながら、兄の身代わりで出陣を決心した。
父の久保与十郎(義忠・常保)も、長男の長一郎も出兵中だ。その生死さえわからない。
いても立ってもいられなかった。
一方、弟の出兵を知った鉄次郎は、跳ね起きて再出陣した。
ふたりの兄弟は、別行動となるが、それぞれ参戦した。
7/29、二本松は無念。全滅。城は落ちた。主要家老も皆、自刃。子供も老人も皆戦って果てた。
豊三郎は、A15_武谷剛介14歳と共に、ひとまず会津に落ちた。
暫し、武谷剛介と共に、丸山四郎右衛門胤道方に居た。
丸山四郎右衛門胤道とは、秋月悌次郎 (1824~1900)の父であり、悌次郎はその二男。
ここから先の行動ルートは、
年少の少年であることから、折角保護されていながら、強制的な出兵とは考え難い。
おそらく彼自身の決断であろう。
豊三郎は、会津を経ち、再び、二本松方面へ向けて移動を開始した。
その原因は、下記、生き残り藩士達による再起結集の情報だった。
城が滅んでも、水面下では、生き残りの二本松藩士達は、結集して、再起を諮っていたのである。
生き残りは各々、福島周辺に散っていた。二本松軍だけではなく、東軍の伝習隊などの助力も
得られる見込みとなった。
彼らは、8/20前後、密かに庭坂村に結集。二本松城奪還を実行しようということになる。
途中、白刃戦が転回される。多くの二本松藩士が犠牲となり死んだ。
豊三郎が致命傷を負ったのは、その頃と推定される。
傷に倒れた豊三郎は、玉ノ井野戦病院に運ばれていた。
惜しいかな、13歳の戦闘士、久保豊三郎は、この後、破傷風に侵され、
11/8、同病院で、息を引取った。
悲しいことに、その頃、兄の鉄次郎も、同じ病院に入院している。
ところが、二人共、重症であったことから、互いにそれを知らず終いだったという。
兄、鉄次郎も、弟の後を追うように、12/6に、同病院で亡くなった。
戦争が幼い兄弟の命を奪い去った。
しかし、久保家の名は不滅だ。
兄達は戦死したが、ぐっと年下の弟、
猪之吉が、明治の世、その名を轟かせた。
(当時は6歳、幼く参戦していない。)
猪之吉は、
久保猪之吉=イノクボ
で
知られる耳鼻科の医学博士となった。
個別編2_1_運命の日、7/29散華した少年達の哀れ結末
個別編2_3A__徳田鉄吉13歳
徳田鉄吉
:木村銃太郎塾の子
この子の母は、老人隊の遠藤段七の娘。
この子の父は、病気の為、藩主の辞令を受けることができなかった。
父は、お役に立てない病身の我が身を恥じて切腹した。
13歳で出陣したこの子は、木村銃太郎隊として、少年達皆と共に大壇口で参戦。
しかし、隊長、木村銃太郎が死亡した後、逃げつつ、彷徨いつつ、
他少年達と同様の悲しい結末となる。(
木村銃太郎について
、
少年達が彷徨うことになった流れ
)
しかし、どうにか、自宅近く迄、たどりついたようだ。
それを裏付けるように、彼が斬り殺されていた現場は、自宅まで、あと一歩の場所だった。
悲しい話だが、後、官軍側の資料で、名は不明だが、
確かに13歳の子を斬ったという話がある。
哀れに思い、生け捕りにしようとしたが、
暴れて手に負えず、斬った。その話に、どうも重なる。
13歳の子で、官軍に斬られて死んだ子といえば、
他に考えられるのは、現在の頁、下側にある
A12_高橋辰治13歳。
それらの事実も含め、官軍の立場にありながら、
懊悩していた人物が、
野津道貫
だった。
個別編2_3B__高橋辰治13歳
高橋辰治
:木村銃太郎塾の子
木村塾メンバーの中で、最も初期に怪我をした。
銃弾が顔面に当たり、出血も激しく、皆は、もはやだめけかと思ったが、なんとか頑張った。
木村銃太郎隊として、少年達皆と共に大壇口で参戦。
隊長、木村銃太郎が死亡した後、逃げつつ、彷徨いつつの
経路
は皆と同じ。
少年達は、やがて、散り々になった後に悲劇が訪れる。
この子も、きっと自宅を目指していたのだろう。
そのまま、隠れて、そのまま帰宅さえすれば、死なずに済んだ。
堀の中に身をひそめていたが、数名の敵が通りかかった。
ここで、彼は、たった一人で、最期の反撃に出たのだった。
いきなり、堀から飛び出すと、抜刀翳して、敵に斬り込んだ。
いくら、不意打ちを狙ったとて、13歳の実力では、
やはり及ばない。
斬りかかったために、官軍に斬り殺されてしまった。
この痛ましい最期の瞬間、ほんの一瞬のでき事。
その目撃者がいた。
浅見家の下僕だった。
彼にとっては、まさに悪夢の瞬間だったという。
二本松戦SERIES:
No.1
<
No.2
<
No.3
<
No.4
(現在の頁)<
No.5
<
No.6
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No.7
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No.8
■生き残る為に「壮絶!生への死闘」を駆け抜けた少年
■生き残って、苦しみを背負い、明治を生きた子
文章解説(c)by rankten_@piyo、
写真等、素材については頁下表示
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