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男の子と女の子の違い。そりゃあもうたくさんあります。まったく違う生き物です。お父さん、お母さんはその違いを人生の中で、そう特に恋愛経験や夫婦関係の中で感じていらっしゃるじゃないですか異性のことを考えるときに、「自分だったら・・・」はキケン。では、どうしたらよいのか?それはですね・・・息子のことはお父さんに、娘のことはお母さんに、意見を聞くことですね。とりあえずは、男の子と女の子はまったく違うってことを頭に置いておく、ただそれだけでも大きな意味を持ってくると思います。
2011.05.10
一昨日、日本生命の炎の営業マン(日生のトップ営業マン)の方に招待していただき、ゴルフのあの石川遼選手のお父さんの講演に行ってきました。石川遼選手ならいざしらず、そのお父さんがどんな話をするのだろう。皆さんもきっとそう思われるのではないでしょうか。お父さんも、聴衆のそういった感覚を見抜かれていたのだと思います。「私は、遼の父親ですが、私は教育の専門家でもありませんし、3人の子どもしか育てていませんので、経験も多いわけではありません。ただ、自分の育てた子どもが特別な存在になった、その遼はどのようにして育てたかをお話しするだけです。」そのような切り出しで話された、父勝美氏の子育て。ありきたりのものや、それは例外だろうというものも多かったですが、数百人の子どもたちを客観的に見てきた僕自身の感覚と一致する部分を列挙してみました。自分のメモとしてももちろん、誰かの参考になるかもしれません。どうぞお読みください。・失敗を他人のせいにしたり、他の何かのせいにする人間に先はない。それは厳しく言ってきた。失敗はすべて自分のせい、そこから学べと。だから、遼は昔から、人のせいにしたり、環境のせいにしたり、道具のせいにすることはないです。ゴルフクラブも参考書も、職場も塾も、世の中にあるってことは、それを活かせている人がいるということなのだから、自分を変えようともせずに人にせいにしてコロコロ変える人に未来などない。・目標はマスターズ優勝なのであれば、そこに向かって進む。それまでのこと、たとえば勝敗や結果などは二の次。そのすべてが目標へ向かうまでの糧になる。だから、彼は賞金王獲得競争の時も、遼はいい意味でどうでもいいと思っていた。マスターズで勝つためには、ここは狙わなければならないと思うから、安全に刻んでいけば間違いなく逃げ切れる戦いも挑んだ(試した)。年間賞金王になったのは、その賭けがたまたまうまくいったケースが多かっただけ。あの子にとってはプロになる前から国内の大会は通過点ですから。・信用金庫の支店長を務めてきて、強く言えることは、「自分だけうまく行けば…」という考えはいけない。それはありえない。みんながうまくいくようにと考えないと、一時的ならまだしも、長期的には自分もうまくいかなくなる。だから、どんな状況でもファンを考えて話しなさい。マスコミの方々がいるから、ファンの方々がいるから遼はプロでいられるんだ。ファンがいなくなれば、スポンサーもつかなくなって、結果的に遼はゴルフで食っていけなくなる。大好きなゴルフの人気が落ちてしまう。遼はプロなのだから、自分のことは二の次、ファンの方々に喜ばれることを最優先にしなさい。・夢を実現させる力はどうつけたのか、その答えは分かりませんが、父親として息子の夢の実現を、本気で手助けしたことが関係あるのかもしれません。たとえば、遼が二歳くらいのときに、ふとトラックの運転手になりたいと言ったんです。だから、僕は信金の支店長というコネを使って、運送会社の社長にお願いして、息子をトラックに乗せてもいました。それからも、遼がケーキ屋さんになりたいと言われれば、お願いして職場を見学させてもらいましたし、他にも税理士とか・・・とにかくいろいろ、遼が「○○になりたい」と言おうものなら喜んで連れて行きました。それが何になったか、それはわかりませんが、少なくとも、父が懸命に愛してくれている、自分を信じて応援してくれているということは、伝わったのではないでしょうか。・本気、とにかく本気、懸命にやる。その時の全力でやらなければ本当の喜び、本当の悲しみは得られない。仮に失敗してもいいんです。人生は長いんですから。死ぬわけじゃない。そこに向かって全力を尽くした、精一杯やった。でもダメだった、じゃないと本気で泣けないものです。だから、遼はメチャクチャ練習しますね。親が引くくらいやります。練習が終わって、家に帰ってきて食事を済ませたら、休む間もなく毎日1時間は走りに行きます。とにかく毎日、必死に努力しています。・とにかく本は読ませました。いろいろな人の生き様を本を通して伝えました。また、本は登場人物や情景を思い描けなければ読めません。これは漫画やテレビでは育たないんです。遼の特徴に、感情が豊かであることがあると思います。とにかく親の私が「なんでこんなことに」と思うような当たり前のことでも、感動しますし、喜びますし、悲しみますし、怒るんです。そういった豊かな感性は間違いなく本、しかも小説ではぐくまれたと思います。また、遼は大人の話をよく聞きます。本と同じように、他の人の話、経験がどれだけ貴重なものなのかを知っているのだと思います。・お金を与えるんではなく、お金の得る方法を教える。やってあげたものは感謝しないですし、減る一方でしょう。増やし方を教えてあげないと子どもは絶対に幸せだと感じないですよ。・夢は言わなくなるまでは応援する。プロになるとか、マスターズとか、そんなの信じてなかったですよ。でも、いつか本人が気づくまでは応援してあげようというのは妻と決めてました。・生き方の指導はしてるが、技術面は口出ししない。ゴルフの専門家、コーチがいるんですから口出しはしません。親として、一人の人間として、生き方は伝えますが、それ以外のことは一切口出ししません。・遼がゴルフにのめり込んでいったきっかけは、自分が接待のために始めたゴルフ、その打ちっぱなしに遼を連れていったとき、遼が自分にもやらせてというものですから、やらせてみたら、たまたま一回目がきれいに当たった、これがきっかけ。何がきっかけになるかわからない。でも、やらせてみないとみつからない。・夫婦互いの信頼があってこそ。どんなことも、見方、言い方で変わってしまう。たとえば、私が仕事の接待で夜遅くにお酒飲んで帰宅する日が続いたときに、「お父さんは、帰ってきたいのに、みんなのために遅くまで仕事でお酒を飲んでいるの」と妻が言ってくれれば、子どもは父を大切に思う。夫婦互いに信頼し合っていることが子どもの成長に大きな影響を与える。
2010.04.20
ある女性講師から聞いたことです。その方には弟がいまして、その弟が小さい頃、まぁ、どこの男の子もそう変わらないとは思いますが、自分の思うようにならなければ、あ~だ、こ~だ、駄々をこねていたそうです。そんな時のご両親の対応が興味深い!(笑)駄々をこねて、ぐずる息子に・・・「○○(←その子の名前)!しつこい男は?」と聞くそうです。そうすると、○○くん。「・・・きらわれりゅ」おとなしくなるそうですよもちろん、日頃から『しつこい男は嫌われる』を叩き込んでいる上でのこと。これ、あえて述語を本人に言わせるところがポイントですよね。こちらが、「しつこい男が嫌われるぞ!」と言ってしまえば、相手は「だって!」ってなりますもん。最後は相手に言わせる。う~ん!深い。あ、ちなみに昨日書き忘れたことですが、ウィルの年に一度の広告は、今月の2月16日に新聞に折り込まれます。※新所沢は23日にも折り込まれます。募集は3月6日からになりますので、今しばらくお待ちください。東所沢はここ2年連続で抽籤になっています。3月6日にどうしても来られないという方は事前にご連絡ください。抽籤になった際に、抽選日を追ってご連絡させていただきます。
2010.02.05
ふと、昔の記事をいくつか読み返してみた。書き始めた頃は、書きたいことが次から次へと浮かんできた。いや、今も変わらず浮かんではくるのだけれど、大抵は以前に書いたことのあるようなことばかり。それも当然か。だって、書き手が変わってないんだもの。体験をもって考え方に深みが出ることはある。しかし、考え方が根底から変わるなんてことはそうは無い。よっぽどのことが無い限り、自分の教育観、信念は揺るがないだろう。だって、塾長だもの。もし、このブログをもってウィルをよく知りたいという方がいらっしゃいましたら、左ページの「Category」から過去の記事をご覧ください。賛同いただけることがいくつかあるようでしたら、ウィルという塾は必ず、お子さんにとっての最高の環境となることでしょう。年に一度しか作成しないウィルの「募集広告」。そろそろ作成にかかる時期になってきました。来年度は数年ぶりに中学部に枠が残っています。これは、新校舎立ち上げにより、講師が分散されることから、教務力の低下を不安視された地域の皆様方の評価なのでしょう。(それにしても、イメージって怖い!)しかしそれも、まだ最後の大仕事が残ってはいますが、北辰テストの結果という大きな実績をもって払拭できたと思います。やはりウィルの教務力の一番の肝は、講師のスキルではない。ウィルという空気、過去の卒塾生たちが紡ぎ上げてきた伝統、それこそがウィルをウィル足らしめる最大の肝。塾長である僕が単身率いる東所沢新体制の2年目。来期は、僕とそして東所沢講師陣の経験に加え、校舎が二つになったメリットも活かしつつ、さらなる高みへと駆け上がっていきます!
2009.01.10
今月、新中学3年生(現中学2年生)を対象に学力別クラス分けテストを行っている。28人を1つのチームで考える僕たちの塾では、学力によるクラス分けは中学3年生になるまでは原則行わない。なぜって、学力によって分けてもデメリットの方が多いと思うから。学力によるクラス分けは、面倒見が良くなる反面、生徒の意識を留まらせてしまう(危機感が無くなる)ために、半数くらいの生徒が安座してしまうという問題点があります。これは幾度となく試して実感した、経験則。面倒見が良くなるだけでは学力は伸びない!2対8の原則どおり、下の8割をバネ(犠牲)に上の2割だけが伸びる結果となるだけ。8割は停滞してしまうのです。確かに学力別の陽の面をみれば、2割を伸ばせるというメリットがあるわけですから、良い悪いではなく、好き嫌いの問題だと思いますが。。。ただ単純に僕は嫌。断固反対。話は逸れてしまったけど、そんなわけでうちの場合、学力別クラス分けには反対の姿勢をとっています。とはいえ、中3になると志望校もそれぞれ異なってくる。今までのように「くじ引き」とか「男女」とか、そんなテキトーな理由で分けるのもいささか問題。そんなわけで、うちの中3クラス分けテストは基本的に「選抜クラス」に上がりたいと思う気持ちの強さを測る(もちろん基礎学力も測りますが)意味合いが強い。要は「気合」「向上心」を見たいということ。例年、「え!?」っという生徒が数名、必ず上がってる。← 失礼さて、そんなウィルのクラス分け。『28名を1つにチームとしてみんなで進む』という方針からも当然のように「選抜クラス」だろうが「普通クラス」だろうが、授業の内容ももちろん、担当講師も同じなのですが、今回、ある保護者の方からのご相談。「下のクラスでは捨てられてしまう。放っておかれるのではないでしょうか?」「選抜クラスでなければ意味がないのではないのでしょうか?」「先生方の気合の入り用が違ってきますよね?」どうやらものすごく勘違いをされているご様子。近くにあるバリバリの進学塾や、某大手進学塾から聞く話を、ウィルでもそうなのだろうと、誤信されている。ここは声を大にして言います!!「選抜クラス」だろうが「普通クラス」だろうが僕らの気持ちの上でも、また内容的にも一切の別はありません!そもそも、そういう方針が大っ嫌いで、だからこそ創った新しい塾の形。それが全員に責任を持つ定員制。『全員に目を向けている。』それを信じてもらうためにアピールしている、注目して欲しいと願っているポイントが、『平均偏差値』です。平均偏差値は、全員で頑張らなければ上がっていきません。28人の平均偏差値が60とは、仮に1人の生徒の偏差値が50であれば、他の1人の生徒に70。そして残りの26人の生徒が全員60ということを意味します。偏差値70は、全体のわずか3%。偏差値50(平均)の生徒がいたとすれば、その人数分、県内3%というスーパーな生徒を揃えなければならなくなります。もちろん、他全員を偏差値60(上位16%)にキープする条件の下で。もし普通クラスの生徒たちを蔑ろにしていたとしたら、平均偏差値なんて絶対に上がらないのがわかっていただけるでしょうか。うちの生徒たちは偏差値50以下はほとんどいません。いや、55くらいでも下位。そこまで全員を伸ばしているその証拠が、平均偏差値60オーバーなのです。何度でも言います。成績下位層を蔑ろにしたら平均偏差値なんて絶対に上がらない!みんなで進む意識が、チームとしての意識が全体の底上げを生む。それこそがウィルの最大の強み。クラスで僕らの姿勢が変わることは絶対にありません。そんなことをしたらチームの和が崩れてしまいます。28人を1つのチームとするには、クラスによって差を生み出してはいけないのです。あくまでも今、生徒が持っている意識によるクラス分けです。一昨年、偏差値72の学年トップは普通クラスから出ました。授業内容だってほぼ同じなのですからそれも当然。違うのは志望校。そして、生徒一人一人が出す空気。それだけです。・・・まあ、それが大きいと言えば大きいのですが、少なくとも、僕らは何も変えません。どちらのクラスでも。追記ちなみに、選抜クラスも普通クラスも同じ授業内容としたのは7期生からです。それ以前は、一般的な塾と同じように途中入塾が大半であったため、学力に大きな差があり、とても同じ授業内容は行えませんでした。その頃に学力別の良し悪しがわかったのです。
2008.03.19
『子どもの自主性を重んじては、教育やしつけなどできない。自主的な判断が正しくでき、自立できるようにするのは、教育の目標であって、子どもに求めるものではない。』週刊朝日 臨時増刊「2008 一流校に入る」より。
2008.01.19
さて、高校受験における進路指導のスタンス。中学校においては、自己を形成するにまだまだ未発達であろう義務教育期間をあえて公立で過ごすことのメリットに言及してきました。でも、これが高校入試になると考えは一変。結論から言うと、高校入試において、私立高校は有効な選択だと感じています。その理由となるは、高校卒業後の進路。(→ これが僕の高校選びの尺度です)はっきり言って、次世代を担う大事な生徒たちに、16歳から3年間も接しておいて、社会に出る目的意識が無い、社会人としての規範が身についていない、大人としてもモラルの欠片も無い、そんな状態にしておくような高校に、存在意義は無いと思っています。僕は生徒たちに、「最終的な目標は『他人に必要だと思ってもらえる人になること』『他人を幸せにする人になること』君たちが目指す目標、それは、勉強が出来ることでも、高校へ行くことでも、大学へ行くことでも、就職することでもない。誰かの役に立って、誰かを喜ばせて、そのお礼としてお金をいただける。そういう大人になること。そこへ向かう過程に今があるんだ。だから、そのためには何が必要かを考えて、道を選んでいくんだよ。目標を見誤ってはいけないよ。」そう、伝え続けています。その働きかけは、ほとんど全ての生徒に伝わっていて、実際に、うちの生徒たちの大半は、志望校を決める際に、ちゃんと「先」を考えて決めてくれます。それは、中学生なりにというレベルかもしれません。決めた目標通りに進んでいない生徒の方が大半でしょう。でも、そうやって考えること自体、意味があることだと確信しています。中学生にだって働きかければ、先を考えようとしてくれるのです。まして高校生ならば、もっともっと具体的な「先」を見据えてしかるべき。自分の将来に期待してしかるべき。もし、それすら与えられないとするなら、それがどうして教育と言えるのでしょう。教科教育などいくら頑張っても、その意味を伝えられなければ砂上の楼閣。そう思っています。どうしても長くなりますねでも、こういった自分の尺度を先に説明しておかないと、なぜそのようなスタンスなのかの理由が見えないので。続きます。
2007.12.18
そしてもう一つ。私立の広報担当の先生はお話が巧いです。当然と言えば当然ですが、ホント巧みに自分の高校の特長を刷り込んでいきますよね(笑)数字のマジックも駆使しつつ。。。対して、県立の広報(教頭先生)。口下手です。特長もつかみにくいです。というか、本人もわかっていなかったりします。さらに、正直です(笑)。こりゃ保護者は騙されますね
2007.11.07
現高校3年生である当塾の第5期生。ウィルの教務が個人技から脱却した最初の世代である。それまでの4期生までは、各科で方針がバラバラ。塾の方針などというものもない。ただ、各先生の個人的理念で科目指導をしていた。そんな世代。(もちろん、それでも生徒の志望は概ね叶えられていたが・・・)そんな状態から話し合った3年前。どんな生徒を集めて、どういう方向へ育てて行きたいか、そのためにはどうすればいいか。。。そして始まったのが今も続く5期生からの指導体制。もちろん毎年強化されていくのだが、基本線はあれから少しもブレてはいない。そんなあの世代もついに大学受験。高校3年生になった彼らを見て、彼らと話し、感じたこと。それは、「私立高校の方が学力が伸びる」の嘘。これについては以前に書いた、『私立の方が面倒見はいい。ただ面倒見がいいから伸びるかというと、それは誤りである。』『面倒見の良さが、時に生徒の成長を妨げることもある。』という、某私立高校の教頭先生がおっしゃられたことがフラッシュバックされた。5期生には、双子の生徒がいた。(これで誰か判ってしまうので書くのをためらったのだけど・・・)さすが一卵性双生児なだけあって、思考の過程も非常に似ていた。もちろん成績もほぼ一緒。しかし、選んだ高校は私立と県立。僕もあの頃は、私立へ行った兄の方が伸びるんじゃないか、そう思っていた。けれども、まだ受験は終わってはいないが、今のところの結果は予想に反する結果。そして、もう一つ。5期生には『天才』がいた。彼ほどの生徒はいまだ見たことがない。そんな彼が選んだ高校は、東大・一橋を中心に国立大学への進学に特化すると謳い、立ち上げられた少数精鋭コース。彼自身が、担当の先生とも話し、その指導体制と理念、そして何より熱い熱意を受けて、彼自身で選んだ。僕も、その先生の熱意、指導体制を聞いて、確かにここならと思ったものだ。まだ卒業生が出ていなかったので、実績による判断はできなかったが、他の高校とは明らかに違う圧倒的な熱意とこと細かな指導体制には、納得がいった。しかし・・・結果を見てみれば、そのコースから始めて出た今年の卒業生の実績は、決して褒められたものではなかった。さらに、僕が見込んだその生徒の成績も、現時点では決して満足のいくものではない!(世間一般的にはギリギリ難関国立大学と言われるところの合格レベルではあるが・・・)少なくとも、僕らならほぼ100%そんなレベルにはしていない。いや、その程度の大学であれば、彼なら県立高校でも達していたのではないか。彼には及ばないかな?という生徒が、県立高校から東工大へ2人も進学しているのだから。妄信してはいけない。私立が県立よりも優れているなんて思ったら大間違い。どちらも一長一短があるのだ。私立で伸びる生徒もいる。しかし私立でつぶれる生徒もいる。県立で伸びる生徒もいる。そして、県立でつぶれる生徒もいる。どちらがいいのか、それはきっと誰もわからない。そもそも成績の伸びだけで教育の効果のすべてを判断することがナンセンスだから。そこは進学に限って書いているということを改めて前置きした上で、最後に一言。これだけは間違いなく言える。面倒見時間数量熱意これらは「実績」にはるかに劣る情報なのだ。※ これは塾にも言えるんでしょうね。確かに量を増やすなんてのは明らかに目に見える。一見、伸びそうな感じがしてしまいますが、実際は・・・。やはり結果で見るというのが、もっとも信憑性が高いのでしょう。(数字のマジックに騙されなければ・・・ですが)そんな僕も、以前は、実績だけでは判らないと思っていたクチでした。
2007.11.07
中3生の通知表のコピーが塾に集ってきた。今のところ、今年の8期生28人中、23人が提出。残りの5名!早期の提出を求む!!ちなみに、やはりというか、当然というか、うちの塾生の通知表もまた、なかなかのもの。23名中の途中経過ではあるが、英語 「5」… 9名 「4」… 9名 数学 「5」… 8名 「4」… 7名国語 「5」… 5名 「4」… 8名2以下は、今のところ英語で「2」が1名のみなので、他は全員「3」。通知表については、埼玉県公立入試には出願基準でしかないので、ほとんど対策といえる対策は行ってはいない。「中3なんだから、学校の試験対策くらいは自分でやろうぜ!」といって、鼓舞しているくらいのもの。その割には、まずまずのできではないかと思う。さすがはウィルの生徒!自学が身についているものが多い証拠だね。そういえば、先日、面談でこんなことがありました。※ 今は面談シーズンで1日に多いときは4件! 僕らは面談にものすご~く!時間をかけますので、一人あたり1時間から2時間、行っています。最近、ブログが書けないのもそんな事情があるわけで・・・。ある保護者の方から、「ウィルには、スゴい子達が集ってるってみんな言ってますから、うちの子がやっていけていいるのかどうか・・・(中略)・・・」(これは、うれしかったですね!うちの生徒たちがそう評価されていることが何より鼻高々でした)そんな風に言っていただけた。だから、「いえいえ、十分にすばらしいですよ。その中でもがんばってやってくれています!」なんて、お母さんと僕とダブルで生徒を褒められます。生徒も満足顔。一方で、同じような状況なのに他の保護者からは、「ウィルに通われている○さんや△さんはもっとできるんですよね。なぜうちの子は同じ塾にいるのに・・・(中略)・・・」いやいや、お気持ちはわかるのですが、その生徒の成績は学校では十分に上の方。成績なんてオール4。それなのに、こんな言われ方をされたら、子どもはちっともうれしくない。う~ん・・・。僕が浪人時代、某有名予備校のトップ講師が、こうおっしゃってくれたことがあります。「僕は君らのような子どもを持ちたかった。僕の子どもは高卒なんです。いや、高卒が悪いって意味じゃない。でも、僕の仕事柄、大学受験をして欲しかったですよ。大学受験指導を仕事として、そこへのドラマを毎年見てきて、大学を勝ち取る、その尊さを目の当たりにしてきて、そんな経験を自分の子にもさせたかった。でもね、いくら僕が口を酸っぱく言っても、まったく勉強に興味を持たない。いくら僕がわかりやすく教えても、年収8000万のこの僕が、付きっ切りで個別指導をしても、わからない、くだらないの言葉で突っぱねる。でも、君たちは少なくともそうじゃない。勉強に、大学受験に挑もうと、歯を食いしばって、喰らいついてきてくれる。僕は君たちのご両親がうらやましくてならない」当時、尊敬する先生から、そんな言葉を聞いて、なんとなく自分に自信が持てたものです。よし!がんばろうって思えたものです。自分の子だけを見ていいれば、どうしても、視野が狭まっていってしまいがち。大きく育ってもらいたいからこそ、どうしても足りないところに目が行ってしまう。よくわかります。でも、叱ってばかりじゃ人は動きません。人は育ちません。上を見ることも大事なことですが、下を見ることも同じくらい大事です。これを見て、お子さんの頑張りを客観的にみるきっかけにしてもらえれば、うれしいです。褒める所いっぱい出てきますよ!大学に落ちて、多額の予備校代まで払わせてしまった僕らでさえ、あんな風に褒める事ができるのですからね。 いい記事だと思っていただけたらクリックしてください。
2007.10.13
風邪を引いてしまって、頭が朦朧としているのですが。。。今日、読売新聞の投稿欄「日曜の広場」を見て、是非、保護者の方に知ってもらいたいなと思うことがありました。プラシーボ(プラセボ)効果というのをご存知でしょうか。簡単に言えば、風邪でウンウン言っていた小学生が、病院に連れていって注射を打ったら、帰り道にはもう元気になっている。病気の人に、これは効くよ!と言って、信じ込ませれば、譬え「小麦粉」だろうと本当に効果が出てくる。そんな暗示のパワー、暗示の効果のことです。その効果が如何に絶大なものであるか、それを表す1つの記事がありました。(以下、引用)運動会が近づくと、走るのが苦手な私は苦痛でならなかった。徒競走ではいつもビリか、ビリから2番目だった。小学3年生のある日、友達が得意げな顔で、「足にカラスウリを塗ると、早く走ることができるよ」と教えてくれた。早速、2人で山に探しに行った。熟したカラスウリの実をやっと見つけた時には、まるで宝物でも見つけた気分になった。運動会当日、それを割って中身をふくらはぎから、足の裏まで丹念に塗った。スタートラインに立つと、胸が高鳴った。ピストルの音で、一目散に走った。信じられなかったが、まぎれもなく3位だった。商品として鉛筆を2本もらい、とてもうれしかった。60年経った今でも、この時期になると、友達との楽しい思い出が懐かしくよみがえってくる。想いの強さは、実力以上の力を引き出してくれる。信じることは、疑いなく信じることは、人の潜在能力を大きく引き出す。自分の力を疑っては、もったいない。子どもの力を疑ってはいけない。
2007.10.08
昨年の卒塾生である『第7期生』。何度も書いてきたように、目指してきた『3ヵ年一貫指導』最初の学年である。どんなに入塾希望者が来られようと、歯を喰いしばって、そのお気持ちを断り、定員を28人と固めて育てた初の学年。他の塾とは一線を画し、独自の道を模索した、その結果、・・・だと思ってはいるが、客観的に見て、果たして本当にそうなのか?たまたまではないのか?たまたま彼らの人間的資質が高かったのでは?たまたま巧く指導が行き渡っただけでは?少なくとも、僕が親ならそう思う。甲子園に初出場した高校が、今後も続けて行けるような名門常連校になるかなんて、一度だけの成果じゃ測りようもない。眉唾もいいところ。そう思う。だからここで公言します!今年の結果がもし良くなければ、昨年の結果はただの偶然、大言壮語の勘違い。しかし、今年も続けて良ければ、僕らの塾の考え、予想、期待は正しい。それを皆さんに計ってもらうためにも、その結果(塾内平均偏差値)を公表すると。先着順、入塾テスト無しの塾が、果たしてどこまで偏差値を伸ばすのか?ちなみに、大事なのはあくまで平均。平均じゃなきゃ、まったく意味がない。すごいのが数人いるなんてのは、うちが教務力がすばらしい理由にはならないのだ。それこそ、先日の新聞にあった「1人で73校合格」みたいなもん。みんなが伸びる。だからすごい。どんな人でも変わる。だからすごい。それが目標。今年の夏がまたやってくる。※ ちなみに平均偏差値は、昨年度と同様、県内ほぼ全員が受験する北辰テスト9月/10月/11月/12月の偏差値の各生徒最高値を集めた平均で評価します。・・・大きく出過ぎたかな?(苦笑)正直、怖いでも、すばらしい高校、伝統ある名門校ってのは、どこもやっぱり、言ったことがそのまま結果に出てるんだよね。うん! うちらの塾も、今やそういった高校に決して劣らないはず!OK! 勝負だ!
2007.07.23
以前、某有名私立中学の教頭先生にお話を伺ったことがある。その先生は、近年の私立中ブームを『我々のやってきた教育が評価されてきた』という点においては、非常にうれしく、また、重く受け止めているとしながらも、私立中に対するいわば『公立よりもあらゆる面ですばらしい』という万能感には警鐘を鳴らしていた。私立中は、公立よりも特化しているのであって、決して平均的ではない。そういう意味では、万能感は公立よりもない。特化している部分が子供に合わなければ、最悪の結果を迎えることになるのだ。また、私立は公立とは異なり、選抜されて入学してくる。当然、能力的にも、生活環境的にも似通った生徒が多くなる。(そうすることによって、私立側としては特化しやすくなる)もちろん学力レベルも総じて高い(ことが多い)。にもかかわらず、そこで順位が付けられるとどうなるか?そう、最下位は必ず出るのだ。平均以下は必ず生まれる。ここで劣等感を持ち、埋もれていく生徒たちは、毎年必ず出てくるそうだ。内心、「この子は公立へ行っていれば、成績優秀で自信を持って、もっと活き活きと義務教育期間を送れただろうに・・・。」そう思うことしばしばだと言う。当然、その割合を少しでも少なくしようと、様々な試みを行い、ケアをしているそうだが。最後に、リクルート社の人事統括部長、ロンドン大学の研究員を歴任して、小泉改革の目玉、まさに鳴り物入りで杉並区立和田中学校に民間人校長として就任し、現在もテレビや新聞等に頻繁に出演されている「藤原和博」先生がおっしゃっていた事。藤原和博先生の著書である『公立校の逆襲 いい学校をつくる!』より、ちょっと長いが、一章まるごと引用してみたい。一般社会で長く活躍された方が、外の感覚で教育現場を見たときの感覚は、長く教育界にいた者の書く、薄っぺらいものよりもはるかに現実的だ。『私立を超える公立校』公立中と私立中の選択について、見逃しがちないくつかの視点を提供しよう。まずは、経済的なことから。私立中に子供を入れれば税金とは別に授業料で年に60万から120万円程度がかかる。月に5万から10万円だから、公立中に通わせながら家庭教師や塾、あるいは子供の関心の高いスポーツ、芸術活動にそれだけ投資するのとどっちがいいかという判断になる。ただこの場合、お金を払って教室を選ぶのだから、子供に合った指導者の選択が可能だ。私立は一般に公立より教師の質が高いように思われているふしがあるが、さて、どうであろう。学校での教師の巡り合わせが、運、不運に左右されるのは、公立、私立どちらもかわらない。「私立に入れたほうが息子や娘にとって良い」この信仰は都市部で根強い。ところが、不思議なことに「私立で学んだほうが、人はその人生において、自己実現ができたり、幸せになれる」という仮説を検証した研究にはお目にかかったことがない。なぜなら、そんな結果を出そうとすれば、何千人という研究対象の人間を何十年にも渡って追跡調査をしなければならないからだ。やればノーベル賞ものだと思うが、そんな根気のある研究者は今後も現れないだろう。だいたい自己実現や幸せをどう測るかも怪しいものだから。かつて私は、世の中でオリジナルな仕事を見つけ、ユニークな人生を生きている仲間たちを、『人生のつくり方』(サンマーク出版)という本で紹介したことがある。親の遺産をそのまま引き継いだ二世、いわゆるジュニアは省いた。また、親がピアニストとかプロゴルファーで、そのまま英才教育で同じ職業になったというような、ストレートな才能の継承もなし。フツーの人生からスタートして、フツーじゃなくなった40代前後の人たちへの取材を通して仕事百科を作ったのだ。参考のために示すが、108人の登場人物の中で、小学校が公立の人は95%。中学校では公立が83%。高校になると、公立が71%で、私立が3割程度。小中高全部が公立だったのは、地方出身者も多いからかもしれないが、7割を超えた。この結果をどう判断するかは、読者に任せよう。教育の能率という視点で考えると、圧倒的に私立が優位だ。試験によって「足きり」ができるし、親の属性もだいたい似通ってくるから、同質の集団が形成できる。同質の集団にものを教えるほど、楽なことはない。公立の場合には多様な背景をもった生徒たちが無試験で入ってくる。その雑多な集団をどうまとめ、誰にリーダーシップを発揮させ、一人一人の持ち味をどう伸ばすかが、教師の手腕となる。私立よりもはるかにタフな仕事だ。公立中学校の校長が言いたいが、決して表に出さない事実も、あえて指摘しておこう。それは私立の中高一貫校がいったん試験で選んでおきながら、途中で放り出す生徒を陰で支えているのも公立校だということ。中には居場所のなくなった怒りを悪さで紛らわす生徒もいるから、落ち着いていた中学が一人の影響で、いっとき騒がしくなったりもする。無責任な放出をする一部の私立中学の名は、校長会でも話題になっている。さらに総合的に親が判断する場合、経済的なことを抜きに考えれば、公立校を積極的に選ぶ理由は二つあるだろう。一つは、多様な子供たちの中で自分の子を育てた方が、同質な中で育てるより、結果的に「もともと雑多な世の中を生き抜くチカラ」になるのではないかということ。21世紀が世界的にも、お互いの異質性を認めあって共生を成し遂げていく世紀になることは間違いない。もう一つは、私立を選ぶことは完成品を買うことに似ているが、公立に入れて親自身もその学校の運営にコミットしていくことは、教育改革に自ら参加することにつながる。他人が育てたブランドを買うのではなく、自分で手作りする感覚に近い。最後に予言しておこう。新指導要領によって公立校の学力への不安が掻き立てられ、一種の私立ブームが起こった。実はこの事が、本来自由で伸び伸びとしているはずの私立の教育活動を呪縛する。何に呪縛されるかというと、保護者の受験に対する過度な期待にだ。特に中堅どころの私立校はこれから、のんびりとした独自の文化を失い、予備校並みの受験指導に駆り立てられる危機に直面する可能性がある。一方、公立校の最大の弱みは校長や教師が異動すると文化資源を継承できないこと。だから私は学校の中に作った「地域本部」の育成に力を注ぐ。「地域本部」を学校の実質的な体の一部、いわば足腰にすえる。これができれば、いにしえの私立並みの豊かな教育活動を行う公立校が出現する。私立を超えた公立校を目指すのだ。(引用 終わり)疲れた(^^ゞ
2007.06.08
男の子と女の子の発育のスピードの違いには驚かされますね。先日、北海道に帰省した際に会った友人の息子は、3歳でしたが、口から出る言葉は「おとうたん」など、ほぼ単語。後は、「あ~」とか言ってゆっくり指差したりです。一方、同じく3歳の姪っ子はすでに、「ねぇ、おままごとして遊ぼうよ」「指切っちゃったの?痛いねぇ。絆創膏持って来てあげようか?」「これおいしいねぇ。○○にも食べさせてあげようか?」など、メチャクチャ喋ります。食事の手伝いなんかも普通にします。「この子は天才なんじゃないか」半分以上冗談でしょうが、みんなでそう言っています(笑)。そんなことを考えていると、来年の保護者会に話そうとしていた話を思い出した。忘れないように事前にブログに書いておこう。これはあくまで僕の経験則ですが、・男の子 ⇒ 女の子 の兄妹の場合、下の妹に過度な期待を持たれるお母さんが多い。・女の子 ⇒ 男の子 の姉弟の場合、下の弟に過度な不安を持たれるお母さんが多い。もちろん個人差はありますけど、男女の成長のスピードに年齢差があるのは当然のこと。女の子は早熟です。男の子が追いつくのは高校生くらいからでしょうか。こんなことはお母さんも当然ご存知なのですが、ご自分も女性ですので、つい忘れてしまうんでしょうね。自分はこんなんだっただろうか?姉はもうこの時期こうだったのに。しかし、客観的な僕の目からすると、お母さんが、不安がっている弟の方が、お母さんが、安心しきっている姉よりも、他の同年・同姓の生徒の差で比べるなら、見るべきところが多い、なんてことは結構あったりします。話が長くなりそうなので、いきなり総括(笑)。過度の期待でつぶれていく女の子。期待されている自分と、現実の自分との差が埋められないで逃避。口達者に逃げてばかりで、本気でやろうとしません。本気でやって期待を裏切ってしまうことが怖いのです。過度の不安を感じとって、自信を喪失している男の子。自分の現実の結果を肯定的に捉えようとしません。一度のミスですぐにあきらめてしまう。否定的な言動を並べ、本気で粘ろうとはしません。本気でやって、現実までも壊れてしまうことが怖いのです。期待。これは、してはいけないわけではありません。むしろどんどん期待してあげて欲しい。不安。不安は大事に思っているから、愛しているからこそ生まれてくるのでしょう。そういった意味では、不安を持たれない方が逆に不安です。過度。他の子を詳しく知っているわけではないでしょうから、どこからが過度なのか、測ることは困難です。では、どうしたらよいのか。本当は、客観的な誰か(昔であれば祖父母など)がいてくれればいいのですが、そうもいかないのが実情。そんな時に使って欲しいのが、保育士や教師、そして塾などの教育業界の人たち。どんどん活用しましょう。どんどん活用してください。僕らは教育のために少しでも力になりたい。そう思ってこの仕事を選んでいるのですから。
2007.05.03
先ほど、フジテレビのスーパーニュースで、木村太郎氏が述べられた内容に同感。趣旨を要約すると、「普通科高校が学業を行う場所と位置づけるなら、スポーツにおける特別待遇はマズイが、職業訓練の場所と位置づけるなら問題ないわけで、高校の位置づけが今の時代どうあるべきなのかを議論する必要があるのではないか。」ただ、スポーツはルールに則って行わなければならない。どうであれ、現在のルールに違反している以上、何らかの罰則は然るべき判断とのご意見だった。学力特待生はOKで、スポーツ特待は野球のみダメ。以前、普通科高校の位置づけは今の時代、どこにあるのか、という記事を書いたことがあるが、やはり、木村氏の言うように今一度考え直すべきだと思う。普通科。そもそも名前がおかしい。何が「普通」じゃい!
2007.05.02
うちの小学部は、中学受験を意識していない。中学校進学時に花開くべく、いっぱい、いっぱい種を蒔いておく。それが教務方針。勉強に対する意識、姿勢に始まり、基礎的な知識の定着から、応用に必要な「考える力」の育成。それが目標。つい先日、小学6年生から、今年、中学1年生に上がった生徒の姉(卒塾生)から、ものすごくうれしい言葉を聞いた。「弟がね、先生の影響を受けてるよ。最近、勉強したいって家で言うようになったもん」他にも、保護者の方々から「うちの子が、大学へ行きたいって。勉強しないとって言うようになったんです」とおっしゃってもらえることが多くなった。これは、僕らの働きかけも当然あるだろうが、先輩方の様子、先輩と僕らの会話などから感じ取っているであろう「空気」の存在も見逃せない。『小学生の内から、先輩方の様子をうかがい知ることができる。』これは絶対に大きい。折りしも、日本の高校生の大学進学意識、向上心の低さが問題視されている昨今〔毎日新聞 4月24日(昨日)掲載〕、こういった影響を、早い段階で感じることは、人生においても大きな意味を持ってくるのではないか。伝統。塾風。いい感じ。
2007.04.26
土曜日の保護者会。小学生の部は、正直、焦ったその場で思ったこと、日ごろの想いを、即興で話せばいい。そう思って、ほとんど用意らしいものをしなかった(今まではそれでも大丈夫だった)のだが、なぜか、いつものように普通に話せない。。。いやぁ、とにかく焦った(苦笑)。いつも通りに話せなかった理由は、「来期」を意識したからかな?よくわからないが。。。これからはもう少し準備しておこうと思った。反省ちなみに、言いたかったことは大きく4つ。・「こうなりたいと思う心」と「こうなりたくないと思う心」が人を動かす。ならば、こうなりたいと思う心をより鍛えていきたい。こうなりたい、こうしたいを実現できる子を育てたい。言い換えるなら志を持った、志を成し遂げる人を育てたい。・いろいろな意味で学校のような場を創りたいと思っている。定員があって、3年間同じメンバーで、同じ目標に向かって、共に笑い、助け合い、卒業後もその「仲間」とはずっと続いて・・・。そんな場所を創りたい。・偏差値も大事だろうが、私たちは偏差値はあくまで結果だと思っている。自らの目標を思い描き、その目標に向かって進んでいく。そんな人に育つ雰囲気、そんな土壌を創りたいと思っている。偏差値はあくまでその結果に過ぎない。・やってあげるのではなく、自分でやる子に育てたい。授業外補習など、手取り足取り行かせてもらった川越高校より、自分で行きたいと思って、自分でがんばった結果の所沢高校の方が、その先に繋がる、その先に活きると思っている。やってもらうことに慣れた人間にはしたくない。こんな感じのことを言いたかったのですが、訳あって、直前で持ち時間を短縮することになり、焦れば焦るほど空回り。ダメダメでした。次に活かすべき材料の多き保護者会になりました。ちなみに、その後の中学生の部は、いつも通り普通に話せました。(時間オーバーしちゃったけど)資料もいっぱい用意したしね。
2007.03.18
まじま先生のブログにあった教育論。僕もまったくの同意見!1人でも多くの方に読んでもらいたいと、ここに引用させていただいた。(まじま先生、すいません!)以下、引用。小学生が使っている教科書を見たことがあるだろうか。一度でも見たことがある人なら、同じことを思うはずだ。・・・・「どうしてこれを理解できない子がいるのだろう・・・」僕もそう思う。少なくとも小4までは、教科書を読む限り学力差が生じる理由が見当たらない。それほどまでに「基本」であり、「簡単」な内容なのだ。でも現実には「差」が生じるし、ついていけない子も出てくる。どうしてだろう・・・。今日、幼稚園のマラソン大会を見学して、その原因のひとつが見えた気がする。園長先生が話をしているとき、「みなさん!分かりましたか?」という問いかけをした時・・・元気よく「はーいっ!!」と手を上げる子たち手を上げた子を見て、自分も手を上げる子たち下を見ていて、手を上げない子たちこの時点で、決定的な「差」が生じている。「聞いているか」「聞いていないか」の差だ。先生や親の話を一生懸命に聞くこと。まさに、これが「肝」だと思うのだ。学校の先生が言ったことをどれだけ真面目に聞いているか。すべての学力差はそこから生じていると思う。子供が持って帰ってきたテストの点数は、子供の「学力」を表しているのではない。100点だから頭がいい。20点だから頭が悪い。のではない。そのテストの点数は、子供がどれだけ先生の話を真剣に聞いているかどうかの数値なのだ。単位は「耳」だと思えばいい。100点の生徒は「100耳」なのだ。20点の生徒は「20耳」ということだ。分かる?自分の子が30点とか40点なんかを取ってきたら、「うちの子は頭が悪いから、塾に入れなきゃ!!」これは間違いだ。あなたの子は、頭が悪いのではない。「聞いていない」のだ。「頭が悪いから聞いても分からないのでは?」と思うでしょ?それも間違い。ただ、「聞いていない」だけなのだ。小学校の授業をしっかりと聞いているのに点数が悪いのであれば、それはもうまともに生活を送れていないはずなのだ。普段の生活は問題ないのに点数が悪い・・・これは100000%、話を聞いていないことが原因だ。だから塾に行っても何も変わらない。じゃあ、ゆっくりしゃべってくれる個別指導の塾はどうか?一生個別環境で勉強していくのならそれもいいだろう。だが、そんなことは無理だし、それだと一生「話を聞く」というスキルを身につけることができない。そのまま社会に出ようものなら大変だ。足し算引き算漢字英語習字何でも同じ。そんなことをやらせる暇があったら、「むちゃくちゃ人の話を真剣に聞く」ということを叩き込んだほうがいい。我が真島家でも今その真っ最中だ。息子はもう大丈夫だ。娘はまだまだ心配なレベルだ。今娘は3歳。今この時期に「話を聞くこと」を習慣づけないと取り返しがつかなくなる。好奇心の塊みたいな娘だが、毎日大泣きさせながらも言い聞かせている真っ最中だ。今日も2度ほどぼろぼろ泣いた。でも今、手を抜くわけには行かない。5年後の娘のためだ。いい?まず塾まず教材まず習い事の前に、「人の話を真剣に聞くこと」を徹底させなさい。ま、今日の幼稚園の保護者たちを見ると、「まず親が人の話を聞いてない」のもあるけどね。自分の子供のテストの点が悪い ↓子供は人の話を聞いてない ↓親が人の話を聞いてない原因を辿れば、こういうことかな。大きく外れてはいないと思うが・・・どうだろう?
2007.02.18
僕は主に英語を担当している。大学の学科は「歴史学科」だったので、得意は社会科(社会科教員免許も持っています)なのだけれど、塾では英語が専門になってしまっています(笑)。(英語も嫌いではないので全然構わないのだけどね)当然、小学部担当科目も英語なので、英語という教科名で授業をしているのだけど、実は内容はあんまり英語ではなかったりする。(ちなみに、うちの塾では中学受験をされる方の入塾は認めていないので、全員、公立中学へ進学するということを先に断っておかないとね)話を戻し、じゃあ英語の授業の内容が英語でないなら、何を教えているのかというと、何と言うか・・・う~ん。。。うまくは言えないな。ただ、昔、読んだ本に「知識だけ伝えても、考え方や生き方を伝えられなければ無意味だ」というようなフレーズがあって、とても影響を受けた。それ以来、生徒の前に立つときは、いつもその言葉を思い浮かべてから立つようにしている。小学生の授業には特にその思いが強い。小学生は、ものすごく純粋だ。その心、その目、すべてが輝いている。そんな彼らに知識だけではない、その先にある何かを伝えたい。若輩者に何が伝えられる?オマエに社会の何がわかる?自問自答を繰り返しながら、それでも「じゃあ何も伝えないのか?今できる最高のものを伝えるしかないではないか」そう強く思い直し、彼らに思いを伝える。そんな授業。例えば、1月最初の授業では、地球儀を片手に地理の授業になった。冬休み中の楽しかった思い出を聞いていたら、地理感覚があまりにない生徒が多かったのだ。それではせっかくの旅行も楽しさ半減してしまう。だから、日本地図を見せていっぱいみんなと話した。そこから世界の話になり、地球儀を回しながら、それこそいろいろなことを話した。次の授業では、地球儀から気候区の話になった。太陽からの光がどのような角度でぶつかるのか、に始まり世界の気候、人種や文化の話、そして自転と公転の話まで。うるう年の話には生徒たちから驚きの声が上がった。生徒たちからは「うるう年がなぜ2月にあるのか」なんて疑問が出たりして、みんなでインターネットを使って調べたりもした。小学生には、試験に出る出ないなんて関係ない。新しい知識に目を輝かせて聞いている。こんなところから知欲を引き出したいと思う。知識は、国語担当のK先生と、算数担当のT先生に任せて、僕は「学習の仕方」や「知欲の育成」、「将来の夢」や「努力の大切さ」、「親への感謝」や「日常の幸せ」などを伝えていきたい。小学校の内には英語はないのだから、今の内ならいいだろう。もちろん英語もやる。中学生に上がって困らない程度にはやる。ただ中学校に上がって、学校の授業を聞かなくてもいいようなレベルまではしない。「授業を聞かなくたってわかる」なんて、舐めた態度を学校でとって欲しくないからね。以前にも書いたけど、何から何までしてあげて、苦労から逃してあげることは、子どもを不幸にする最良の方法。最後は自分でつかませましょう。大人はそっと傍にいるだけでいい。僕はそう思っている。
2007.02.04
あくまで、僕が親として塾を探すとしたらという視点で書きたいと思います。塾は、大人が思っている以上に、子どもに影響を与えてしまう場所。だからこそ、慎重に選びたい。しかし、病院と同様、素人には選び方がわからない。そこで、「保護者の方の参考になれば」ということで今回の企画です。あくまで私見であることをご承知くださいね。まず一番先に見るのは、各学年の生徒数です。これはどの業種でも同じことだと思うのですが、良いところには人が集まります。もちろん、校舎の規模、講師の人数などによって目安となる人数はもちろん異なりますが、僕が基準に上げるなら、『個人塾なら、3学年の内、どこかの学年で最低でも10人以上、3学年の合計が30人以上』『大手塾なら、3学年の内、どこかの学年で20人以上、3学年の合計が50人以上』は、最低ラインでしょう(これでも少ないくらいです)。もちろん、開校何年経っているかにも因ります。開校して3年間くらいはなかなか評判が広がりませんからね。僕も開校して3年間は全然生徒が集まりませんでした。しかし、3年後。石の上にもとはよく言ったもので、急激に生徒数が増えました。3年がんばったらうまく行った、という話は、他の塾ブログを読んでいてもよく聞く話ですので、たぶん的を得ているのではないでしょうか?話は戻して、3年以上経過していて、上記基準を超えていない塾は、僕ならまず先に除外します。ちなみに、生徒数が多ければ多いほど良い塾である可能性も高くなると思います。ただし、その場合は、生徒を多く集めている方法をよくチェックしてください。広告、表現方法などの営業技術で増やしているケースもあるでしょうから。次に挙げるとしたら、塾長(教室長)の人間性ですね。生徒数を確認したら、とにかく、そこの塾の講師を管理する統括責任者と話したい。頼りになる人なのか。ポリシーはあるのか。受験情報に詳しいか。卒塾後どのような子どもにしたいと思っているのか。指導法は聞いても、おそらく普通の保護者の方にはわからないでしょうから、これは聞きません。(聞かれると困ってしまうものです。どこまで詳しく話せばいいのか、それこそ話が止まらなくなりますので。)判断の基準はやっぱり保護者の感覚でしょう。保護者の感覚と合わない塾なら、きっと子どもも伸びないでしょから。最後は、進学実績です。これは、最難関校に何人入れたか、みたいなものではありません。(何人入れたか競争では母数が多い方がよく見えるのは当然なので)そうではなく、あくまで「率」。「数」ではなく「率」です。成績の良い子、講師によって都合の良い子ばかりに力を注がれているような塾ではお金も子どもの人生も無駄にしてしまいかねません。その校舎では、どのくらいの生徒たちが、どのくらいまで伸びたのか。これは是非とも聞いておきたい。個人情報の兼ね合いでなかなか難しいのかもしれませんが、個人名はいらないので、数値だけでお願いしたいですね。(個人情報保護法は、あくまで個人が特定されるような情報の保護)聞き出すのはちょっと難しいかもしれませんが、やはり病院であれば、どのような症例を過去に扱い、どれだけ成功したかは聞いておきたいものですよね。以上の3点が中心でしょう。その3点が納得した上で、ハード面が満足いけば、その塾は良い塾なのではないでしょうか?※ ハード面:校舎の綺麗さ・設備・自宅との距離・費用など。どうでしょう?もしこれをご覧になられた塾ブロガーの方がいらっしゃっいましたら、是非、トラックバックしていただいて、先生の考えられる「塾選びの基準」を掲載していただけるとありがたいです。保護者の方がもっとも知りたい情報だと思いますので。ただし!自塾の言い訳や、持ち上げなどに使うのは絶対に止めてくださいね。あくまで保護者の立場でお願いします。
2006.12.23
突然ですが、病院って怖いなぁ。。。そう、心から思う瞬間がありました。だって、素人にはわからないんですもん。どこが良い病院か、悪い病院か判断する術がない。大きい病院なら安心というわけでもない。(僕は祖父を総合病院で殺されているので。。。 )※ 説明する必要がありますね。僕の祖父は、頭を打って地元ではかなり有名な個人の脳外科医院に搬送、入院しました。その後、容態は安定。僕がお見舞いに行くと普通に病院の入り口まで見送ってくれるくらいに回復したのですが、実家から遠いということで、近くにある市内で最も大きい総合病院に転院。その後、数日後に容態が急変。すぐに亡くなりました。死因は詳しく覚えていませんが、何かに感染したとかしないとか。ちなみにその総合病院、地元では悪評高く、僕は高校時代に咳が出るので風邪かと思い、診断を受けると結核と言われびっくり!慌てて近くの個人病院へ行くと、「風邪ですね」。また、僕の友人はその病院で肺に病気があると診断。内科的治療を進められ、退院しても一生激しい運動はできないと言われる。しかし2ヶ月も入院するも良くならず、少し離れた別の総合病院へ転院、そこでは手術を勧められ、術後はすぐに回復。運動もまったく問題はないと言われ、今は元気いっぱい。じゃあなぜにそんな病院へ行くのかと思われるでしょう。北海道の片田舎では病院が近くにないんですよ。。。要は個人の力量による部分が多分にある職種なので、病院の大きい、小さいはあんまり関係ないんですね。これは塾にも言えるんでしょう。個人塾だから良い、悪い。大手塾だから良い、悪い。そんなことはない。先生が良いか悪いか。そう、先生の腕、力量次第。個人塾だろうが、大手塾だろうが、良い先生は良いのである。良い先生を探しましょう。塾も、病院と同様、親から見れば、たとえ失敗だとしても、後に気づかない業種ではありますが、病院と同様、その効果は実はかなり違います。『二度と戻らない体にされる』という意味では、実は病院と同じくらい大事なのかもしれませんよ。是非、時間をかけて選んでください。え?良い塾の探し方がわからないって?そうですね、じゃあ「僕が塾を探すとしたら」という視点で次のブログに書きたいと思います。
2006.12.22
塾ブロガーの間で流行っているようだ。US塾バトン猫ギター先生→みかみ先生→kamiesu先生→みかみ先生→ながみ先生・ブラック先生・隊長ちゃん先生、と続いているバトン。では、ブラック先生からのバトンを受けて、僕の番。笑いを取るべきかマジメに書くべきか難しいところだね(笑)。Q1 入塾テストはありますか? → 無いです。先着順です。ただ「やる気がない」「集団で着いていけそうにない」場合は、残念ながらお断りすることがあります。Q2 子供は小学生で、附属や私立中学を受験するつもりはないけど、入塾はOKですか?→ 公立を応援している(というより、公立が死んでは国は滅びると思っている)ため、私立中学受験者はお断りです。Q3 挨拶の指導には厳しいとうかがいましたが?→ 初耳です。ただ、個人的な思いから、あまりに社交性ない対応しかできない生徒には、ヘッドロックか握力70!鬼のデコピンで返すようにしています。 Q4 部活と塾の両立はできますか?→ プロを目指すとかでない限り両立できるでしょう。というか、それくらい両立できないとダメじゃないでしょうか?そんな質問、過保護すぎです(笑)。Q5 春夏冬の講習会はありますか?→ あります。ただ、選択制です。こちらからお断りするケースも多いです。全員受講されると椅子の確保ができなくなりますしね(笑)Q6 講習会だけの参加は可能ですか?→ う~ん。ダメじゃないですけど、現実的には受講できないと思います。定員制なので、椅子が余らないのです。Q7 定期テスト前に、特別授業はありますか?→ 定期テストは自立が進んでいるかどうか、自学の習慣がついているかどうかの成長具合を見るいい機会です。埼玉県は通知表が入試でほとんど意味を成しません。安心して、子どもの成長具合を測りましょう。教えて伸びてもそれは真の意味で実力ではないのですから。Q8 先生は、どんな人なのですか?→ 鬼と言わて心外な僕(塾長・英語・社会 担当) 生粋のエンターティナーのT先生(算数・数学・理科 担当) 博士・神とまで言われるK先生(国語・雑学 担当) その他、その弟子たちです。Q9 自習室はありますか?→ あります。が、ちょっと生徒数に対して手狭かな?自慢できるほどの面積ではなくなっています。ただ、冷暖房完備、冷蔵庫、電子レンジ、ソファー、台所など、設備は充実している方かな?Q10 欠席・遅刻・早退をする場合はどうすればいいのですか?→ できれば生徒自身に電話させて下さい。自分の欠席・遅刻くらいは自分で説明させましょう。Q11 塾には何を持って行けば良いのですか?→ テキスト・筆記用具。そして、一番大事なのは「やる気」!Q12 日曜・祝日・台風の日はお休みですか?→ 日曜は休みですが、祝日はあります。台風の日は状況によりけりですが休みかな?Q13 授業は長時間ですが、大丈夫でしょうか?→ そうですかね?Q14 授業の割引制度はありますか?→ あります。兄弟は下のお子様の授業料が半額となります。Q15 宿題は出ますか?→ 僕は出しません。その代わり、授業に集中してください。前回教えたことを忘れてしまっている場合はお仕置きですので(笑)Q16 塾では、いったい何をやるのですか?→ ??? 一応、勉強のつもりですがQ17 高3クラスはないのですか?→ ありません。こんな感じかな?じゃあ、これを誰かにパスしよう。誰にしよ~かな~。。。じゃあ、ここはやっぱりブロガー最初のお友達まじま先生、そして、リアルで頻繁に会うお友達でん先生、そして、面識は無いですが個人的に大好きなブロガーの1人さそり塾長にお願いしてもよろしいでしょうか?お三方がされるバトンへのお答え、とっても楽しみです。
2006.12.18
北海道の片田舎出身の僕からすると、首都圏の高校受験は物凄く難しく感じる。受験の半分は「情報戦略」にありと言っても決して言い過ぎではない。こんなのは、北海道ではあり得なかった、いや、想像すらし得なかった。(札幌では多少の戦略は必要だったろうが。。。)何がそんなにも大きく違うのか。それは、選択肢が無数にあるということに原因がある。北海道(札幌は別世界のため除く)では、同じ偏差値の高校は一つしかなかった。さらに私立高校というものが、一部の例外を除き選択肢に入ってこないため、すべての高校がほぼ倍率1.0になっていた。要するに落ちないのだ。そのため、自分の学力、目標に合った高校も一つしかないわけで、迷うことなどない。比較する高校がないのだから。また、「通知表」と「3回に渡る学力テスト(名前は忘れてしまった)」の結果で出願することが叶えば、事実上の合格となる。これも、私立高校がないために、県立(北海道では当然道立という)高校には、卒業生の人数分、定員が用意されているからだ。(といっても12年前までの話なので、変わっていたら教えてください。)一方で、ここ埼玉県(と言っても道路一本先は東京だが)では、同じ偏差値の高校が、県立だけでも複数ある。さらに私立も加えると、同偏差値の高校が10校にも及ぶなんてこともザラだ。また、同程度のレベルの高校であっても金太郎飴のように、差異がない、なんてことがない。むしろ、差異が激しい。なにせ、同程度の高校であるならば、競合しているわけだ。民間企業同様、高校間でも、その競争は激しく、特色のない高校は淘汰されてしまう。当然、特色ある私立が多くなる。これの状況に加えて、何度もブログで書いていることだが、埼玉県では、県立高校入試において通知表の比重が軽い。そう、筆記一発勝負なのである(← 県立後期入試)。となると、「筆記一発勝負なら受かるかもしれない」「県立ダメでも私立でいい所を抑えてあるから大丈夫」という生徒が増える。さらに、県と私立の協定で、県立高校の募集定員が受験生の65%と、抑えられていることも大きな要因となり、なんと!埼玉県の上位県立高校の倍率はどこも2倍近い。最近では定員割れしている大学も多いというのに。このように、県立すらも半分落ちるという状況では、まず私立をしっかり抑えることが重要になってくる。それも、どうせ同じお金を払うなら、少しでも良い私立を選びたい。選べるだけの数があるのだから。さらに、県立においても「筆記一発勝負」ゆえに、多くのデータと指導者の経験が物を言う。う~ん。。。選択肢が多いということはサービスの質が高いことにも繋がるが、消費者側からすれば、選ぶために頭を使わなければいかなくなるのだ。都会では、頭を使わない人は知らず知らず損をしている。これは他業種でも言えるのだろうな。株とか不動産とか(笑)。
2006.12.13
最近はぜんぜん更新できない。と、いうのも、広告作成のためにずっ~と頭をフル回転させているからだ。しばらくは更新がままならないと思いますが、どうか見捨てないで下さいね。ところで、久々の更新。ここ所沢市では、ここ1、2週間の間で、主に「調査書の開示」と「志望校の相談と決定」を中心とした、中学3年生最後の三者面談が中学校で行われています。すでに、同じ埼玉県内で塾経営をされておりますmasa/k先生の記事にも採り上げられていることですが、どうも埼玉県の公立中学校の先生は、あまりに志望校を下げたがる。今日も、うちの生徒で、北辰テストでも常時ss65以上、判定でも「合格率90%以上」(← 志望校の偏差値はss60なので当然)を叩き出している女の子が、学校の先生から、「合格率は極めて低いから、志望校を下げたらどうか」と勧められた。志望校を下げたがる学校の進路指導は毎年のことだけに、塾の方で、保護者ならびに生徒に対して、その旨を説明し、事前に布石を打っていたため、大きな動揺は見られなかった。いや、それよりも、半信半疑で聞いていたのだろう、私の言う学校の「メチャクチャな進路指導」が、本当に誇張無く、現実に行われていることに対して、驚愕されたようだ。「学校の進路指導に対しては、なぜああいう言い方をされるのか、不信感を通り越して、純粋な不思議です。」そう、お母さんはおっしゃっていた。それにしても、これが、ただ単純に受験を知らない、不勉強なだけならまだしも、(← 決して良くはないが)教師自身の責任逃れ、事なかれ主義を押し通したいということからくる説得だとすれば、これは由々しき問題だと思う。「無理!無理!」「安全に行こう」「落ちたら辛いぞぉ」「うん、受かる可能性は5%ってとこかな」「下げて入ったら高校生活が楽だぞ」このような言葉を実に巧みに駆使して、生徒や保護者から妥協(否!妥協以下!)を引き出そうとしている(ようにしか見えない)。昔もこんな感じの指導だったろうか?こんなに自分の生徒を貶める様な指導、していただろうか?保護者ならびに生徒は情報を欲している。それは志望校を下げるための情報ではないだろう。また、情報は客観的なデータである方が望ましい。教師の私情の入った、極めて主観的な情報など不要だ。いや、私情であっても、先生からの励ましや、生徒の正確や学力における特長を踏まえた上での志望校合格のための今後のアドバイスならいいのだが。。。改めて、塾に通っていない生徒たちの進路指導が気がかりだ。不当に脅されていないだろうか?志望校を下げられてしまってはいないだろうか?彼らの可能性は奪われてはいないだろうか?自信を奪われてはいないだろうか?
2006.12.12
これは僕の教育方針です。僕は塾長なので、塾の教育方針もこれに沿ってはいますが、講師一人一人、若干の違いはあるでしょう。まずは、その点を断っておきます。うちの教育方針。それは、僕が常日頃から生徒に言っている言葉に表されているのではないでしょうか。『他人より劣っていることは恥でもなんでもない。だが、昨日の自分より優れていないことは恥以外の何物でもない』『お金をいただける人間になりなさい。お金をいただけるということは、人に必要とされているということ』『物事を適当にやってはいけない。雑にやってはいけない。ゆっくりでいい。丁寧にしよう』『常に考えて行動しよう。「なぜ」という問いかけを忘れないように。今やっていることの意味を考える努力をしよう』『常に将来を見据えて、将来どういう大人になりたいか、自分が思うカッコいい大人の像を持って、そこに近づくようにイメージしよう』『がんばらなくていい。ただ行動しなさい。そして必ず掴みなさい』『できなくたっていいよ。ただ、できるようになるにはどうしたらいいか、それは一生懸命に考えること。そうすれば必ず何か残るから』『悩むな!止まるな!考えろ!』こんな感じでしょうか。今、日ごろ言っている言葉を思いつく順番で書いてみました。この順番で思いついたので、もしかすると、この順番で大事だと思っているのかもしれませんね。文章にすれば、人に必要とされるような、「カッコいい」大人になるよう、常に向上心を持ち、自ら目標を見つけて、その目標に向かって自ら進んでいける人間、という感じでしょうか。そのために、日々、生徒たちに、自己を啓発、研鑽していく向上心を持つことが、あたかも当たり前のことのであるかのように思わせる、そんな働きかけを、主に勉強というツールを用いて、粘り強く働きかけていく。その結果として、学力が向上する。学力向上はあくまで結果。これが、僕の教育方針(理想)です。僕は生徒に(具体的な)何かを課すということは、基本的にはしません。「○○をしてきなさい」と、具体的な指示ではなく、「○○になるためにはどうしたらよいか、自分で考えて、そのための手段を講じ、来週の授業に臨みなさい」と言います。ですから、いわゆる宿題などはありません。具体的な指示は極力避けます。成長するために何をすべきか、それを自分で考える機会を奪ってはいけない。すべき内容は、自分で見つけられなければならない。そう考えているからです。また、宿題や課題は公平性を保つためにも、生徒全員に一律で課さなければならないと、たいていの方は思われるでしょう。少なくとも生徒は思います。一方で、生徒は皆、志望校も目標も、さらには成長の度合いも異なります。入塾テストを行わず、先着順に生徒が入ってくるような僕たちの塾であれば、なおさらその差が顕著に出ます。それら異なる生徒たちに、同じ量をこなさせるということは、僕には効果的なことだと思えないのです。(ただし、生徒を選抜する、または、生徒の目標校をある程度固定化して募集するなどの場合は非常に効果的だと思います。)確かに、このような手法では、子どもが変わるまでに個人差がありますし、時間もかかります。一人一人の弱い部分を見つけてあげて、その部分を補う物を用意してあげ、量をこなさせていけば、手っ取り早く生徒の学力を伸ばせるのでしょう。(これは、口で言うのは簡単ですが、実際やるにはかなりの技術が必要です。志望校合格請負人として、十二分にすばらしい技術だと思います。)それでも、自分で自分を磨ける、そんな大人に僕は育てたい、そういう教育、そういう塾を目指したい。手取り足取りしてあげた結果として、学力が伸び、希望の高校へ進学したとしても、また、誰かが手取り足取りしてくれなければ何もできない、そればかりか、手取り足取り指導してくれない!と、学校の先生方を罵るなんて、そんな愚かな高校生を、もう見たくはないのです。偏差値の高い学校でも、行かせてあげてしまったら、その意味は薄れてしまう。自分で行きたいと願い、そのために自分でがんばって、自分の手でつかむ。その結果は、たとえどんなものであれ、その子にとってはすばらしいもの。それは、東京大学でも、板前でも、飴玉でも、きっと同じでしょう。「欲しい自分は自分でつかむ」これは若いうちに身につけるべき、とても重要なことだと思うのです。な~んて・・・こんな塾です。(まだまだ発展途上段階なのに恥ずかしい)ですから、僕の塾でハマった(←表現が適切ではないかもしれませんが)生徒は、卒業後も継続して伸びます。大学進学だけが成功例ではありませんが、あくまで一つの例として、書かせていただければ、卒塾生の内、進学校と呼ばれる高校へ進学した生徒のほとんどは、大して塾へ通うこともなく、難関大学へと進学しています。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~卒業生の高校進学後の結果 (〔 〕内は在塾中にss60を超えた生徒数)※ 高校進学後、大学進学の意思が芽生え、有名大学へ進学したという生徒は、塾の影響よりも高校での出会いにより影響が大きいと思われるため、ここでは除外した。第1期卒塾生〔4名〕早稲田大学 1名 ・・・ 塾には通わず。上智大学 1名(浪人) ・・・ 塾通いは不明。中央大学 2名 ・・・ 塾には通わず。第2期卒塾生〔5名〕自衛隊生徒1名 ・・・ 卒塾後入隊(県内合格者3名の枠に見事合格) 東京工業大学1名(浪人) ・・・ 高校3年次と浪人1年間、通塾。明治大学1名(浪人) ・・・ 浪人1年間のみ通塾。他2名のうち、1人は高校中退後、現在デイトレーダー。もう1人は、高校卒業後、発病。現在療養中。第3期卒塾生〔2名〕埼玉県立大学1名 ・・・ 塾通いは不明。法政大学1名 ・・・ 高校3年次に数ヶ月のみ通塾。ちなみに、進学先だけです。合格大学は当然もっと多くなります。明治の生徒は国立大学を蹴ってますし、東工大の生徒は現役で難関私大に複数受かってましたしね。他の生徒も確認とってないのでわかりませんが、意外なところ受かってたかもしれません。しかし、こうやって書いてみると、開校3年目までは、ホント生徒がいなかったなぁ(苦笑)。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ちなみにこんな耳心地良い所ばかりを書くと、誤解をされてしまうので、悪い所も書きましょうね。このやり方のデメリット。それは、自主性に任せる指導ゆえに、全員の学力が伸びるとは限らないということです。伸び率は、僕らのスキルも上がっているので、年々上がっていますが、それでも思うように伸びない生徒も正直います。もっと正直に告白するなら、そういった伸びてこない生徒の中には、強制的にやらせればきっと爆発的に伸びるだろうな、という生徒もいます。こと学力という面だけに限れば、強制してやらせれば、多い少ないの個人差はあるものの、間違いなく何らかの知識は入りますからね。強制しないということは、学力面において、伸びないという危険性を常にはらんでいる。これがデメリットです。
2006.11.27
世の中にはいろいろな塾があります。それぞれ独自の教育方針、指導方針があるでしょう。(「~あるでしょう」、と書いたが、もし、確固たる教育方針がない個人塾があったとしたら、なぜ塾を開いたのか聞いてみたい)以前のブログでも書きましたが、こと教育においては、万人に通じる正解なんてありえません。そもそも何を以て正解とするのか、それ自体が、各人それぞれ千差万別なのですから。だからこそ、保護者の方は自信を持って、ご自分の願うお子さんの将来像を語ってください。「こうなって欲しい」そう子どもに伝えることがどれほど重要なことか。押し付け、ぜんぜん構いません。それすらないよりはるかにいい。そう思います。話がズレてきました(笑)。戻しましょう。ご両親が願うお子さんの将来像。これに近い考えを持った塾(ないし塾長)であるほど、子どもの教育効果を高める、まさに最良の環境になります。というわけで、次回、うちの塾の教育方針。保護者、子ども、塾。本来の言葉の意味とは違いますが、「三方よし」になるように、うちの塾の(今の)教育方針を明確にしたいと思います。※ 今現在の最高だと思う教育方針のため、将来はどう変わるかわかりません。
2006.11.26
知識を如何に上手に伝え、如何に定着させるか。そこに悩み、自らの知識量や伝達技術の足りなさを嘆く。そんな、うちの時間講師(← 教師熱烈志望の元教え子)の様子を見ていて、微笑ましい反面、青いな、とも思った。いや、その青さ。時間をかけたであろう事前準備、試行錯誤して悩み相談してくる謙虚さ、そして、僕の助言をそう易々と受け入れず反発しようとするところ、そのすべてがあるからこそ、余計に微笑ましいのだろう。かく言う自分も、黒板の前で華麗に教える予備校講師に感動し、あのようになるためにはどうしたらよいのか、今の彼と同じように苦悩した時期があったものだ。今では、そういった知識の巧みな伝達技術などに興味が無い。教育とは「その人間を1人でも生きていけるようにすること」である。そうであるなら、極論から言えば、国語、数学、理科、社会、英語などの知識は、生きていくために全員が必要な知識ではないだろう。そんな知識自体にそれほどの意味はない。知識を定着させる技術を、我々が磨くよりも、知識を定着させるにはどうしたらよいか、生徒に悩ませる方が、彼らの今後の人生によっぽど役に立つのではないか。そのためには、知識を定着させたい、と生徒に思わせる必要がある。知識が定着する、そのことによる利点。知識を持つことによっていったい何が得られるのか。そこをどう語るか。生徒に対し、如何に、希望や夢、理想を持って語れるか。それが一番の近道であるように思う。人は希望ある未来にこそ、夢を抱き、それゆえに志を持って、そこに近づこうとするのだろうから。う~ん。。。うちの塾って塾っぽくないな(苦笑)。でも、そんな塾があってもいいよね。
2006.11.09
以前のブログでも書いたことがある、私立高校選びの方法。それをまとめました。あくまで、保護者の方が、高校ないし塾選びをされる際の一つの参考意見として捉えてください。ある名門私立高校の教頭先生が、当塾主催の私立高校説明会にて、以下のようなことをおっしゃられた。教育に優劣はない。存在している以上、その教育は十分にすばらしいのだ。だからこそ、選ぶ側としては、事前に何らかの「物差し」を持っている必要がある。というのも、「物差し」があって初めて、そこに優劣が生まれ、比較ができるようになるからだ。もし「物差し」を持たずに探そうとすれば、最初に行った高校ないし塾の営業トークにコロッと落とされてしまうだろう。なぜなら、高校や塾は、それぞれ自ら信じる「物差し」を持ち、その教育が他に勝ると信じて、日々教育に当たっているからだ。当然、その優位点を語るに長けている。あたかもその「物差し」が唯一無二のものであるかのように錯覚させられてしまうだろう。私も同じように思う。誰しもに通じる唯一無二、完全無欠な教育などない。仮にそんなものがあったとしたら、教育学はとっくに完成して、世界中の教育機関はすべてその仕組みをとっているはずだ。しかし、人間は何千年もの長きに渡って、教育の重要性を説き、論戦を繰り広げ、試行錯誤しているが、未だに答えを導き出せずにいる。どこかを厚くすれば、必ずどこかが薄くなる。(もちろん、懸命に生徒のことを考えている高校ないし塾であることが前提。)それが教育というものの真理なのだろう。その子が生きる未来に対し、どういった教育を施すことがベストの選択なのか。それは誰にもわからない。だからこそ、保護者が自らの責任で選択してあげなければばらないのだと思う。こう書くと責任重大で、何やら大変な感じがするが、どうせ誰もがわからないこと。軽い気持ちで、我が子がどんな子になって欲しいのか、それだけをイメージして、思いつく限り、ノートに書きなぐってみてはどうだろう。案外、「物差し」の正しさなんかよりも、ぶれない「物差し」の方が、子どもにとっては生きやすく、育ちやすいのかもしれない。少なくとも教育効果は高くなるだろうな。これは間違いない。
2006.11.02
某私立高校の教頭先生がこうおっしゃっていた。「『面倒見は負けません』『1人1人を大事にします』こういう言葉に悪いイメージはない。だから、私学は保護者に対してよくこういった類の言葉を用いて、公立との差別化を図ろうとする。でも、実は面倒見を良くする事によって、逆に潰れていく生徒もいるのだ。また、大事に大事に育てるあまり、逆に伸び悩む生徒もいる。教育において、答えは1つではないのです。10人いれば10通りの答えがある。だからこそ、こんなにも多くの学校が存在できている。その学校の教育を必要としている生徒がいる、それが、その学校の存在意義なのです。教育に優劣はそういった意味ではないのかもしれない。」だから、学校選びに際して、保護者は何らかの物差しを持つ義務がある、物差しなくして優劣は点けられないのだから、それがないままに学校を回っても選べない、という話に繋がったのだが、私学の先生のこの言葉に、改めて考えさせられるものがあった。その内容については明日、書くことにしよう。明日もまた私立高校説明会。う~ん。。。眠い。
2006.10.20
木曜日は北辰テスト第二戦の結果が届く日。非常に楽しみ!きっとすばらしい結果を残してくれるだろう。それにしても、今年の3年生には、今までにない特別な想いがある。彼らにはとても大切なことを教えてもらった。うちの塾では、手取り足取り指導するようなことはしていない。ちなみに、これは最初からそうだったわけではない。最初はやはり手取り足取り教えていた。そうしなければ伸びなかった。自分でどうしたらよいのかわからない生徒ばかりだったのだから当然だ。自分でできるくらいなら、こんな状態になるまで放っておかないだろう。だからこそ、必死で教えた。こんなところまでしなくてはならないのかというくらいに、そのノートの取り方から、字の書き方、勉強に臨む姿勢、座る姿勢や、集中と休息の適度な間の取り方に至るまで、過保護に過保護に接した。しかし、そんな中でもそのような指導に疑問は抱いていた。これでは、手を貸してもらえることに慣れてしまうのではないか。手を貸してくれないことに不満を抱くような人間を作っているのではないのか。進学実績が出始め、生徒の数も増えていくに従い、少しずつ過保護な指導から離れていくようにした。そりゃ、怖かった。せっかく築き上げた評価が崩れるかもしれなかったのだから。恐る恐る、生徒の様子を伺いながら、慎重に事を進めた。そうして得た指導法が実を結んだのか、いつの間にか、募集方法において、あるシステムが完成していた。指導法はやはり個人技の部分が大きい。しかし、募集の段階はシステマチックでよい。そうして生まれた新生『学習塾WiLL』。生徒は全員、自ら目的意識を持って学習する。巧くなるには練習するしかない。自分で足りないと思う部分を補いたいと思えば、生徒は勝手にやってくる。塾は自主トレを積む場所。授業は練習試合をする時間。自分の良い点、悪い点を見つけ出す機会。講師はインストラクター。聞かれたときに適切な答えを与え、後はただ怪我をしないように見守るだけ。そういうものだと、僕らが植え付けた。それが学習だと、彼らは思っている。子どもたちがそのことに気づいたとき、僕らは「ただそこにいるだけ」でいいのだ。人は真の意味で人を変えることはできない。変えられるのはその人だけだ、と言う。もしそれが正しいならば、子どもに変わろうと思わせることが、理想の教育、最短距離なのだろう。ならば、変わろうと思わせることに時間を割こうじゃないか。確かに、子どもが自発的に学ぶというのは究極の理想であって、なかなかそうはならない。でも、おそらく名高い私立高校では、それを目指し、ある程度それができているのではないか?そうでなければ、あのように毎年、東大に何名も合格させられないんじゃないか。(東大に合格すれば良いというわけではない)やはり、変えてあげるにはどうしたらよいか、そう悩むより、変わろうと思わせるにはどうしたらよいか、そういったメンタル面の矯正により時間を割いた方がどうも良いような気がする。変えてあげたことは、変わったことにならないとすればだけれど。
2006.10.09
いろんな塾があると思う。がんがん教務で攻めて、最難関校に合格者を何名出すか!みたいな進学塾。また、一時期流行った体験学習、総合学習のような情操教育に力を入れた塾など。どれもきっと正しいのだろう。人を育てるのに万人に通ずる正解などないのだ。教育は、何千年もの長きに渡り続けられてきた。それでもいまだ確立には至らず、まだまだこの程度(語弊はあるが)でしかないことが、何よりの証拠であろう。であるなら、保護者は、お子さんに受けさせたい教育を選ぶにあたって、どういう教育を受けさせたいのか、ある程度自分の考えを持っておく必要があるのではないだろうか。もし、そうしなければ、どれも正しい教育方針に聞こえてしまって、最終的には「どうでもよく」なってしまうでしょう。これは、決して良いことではありません。教育方針と言っても、そんなに難しいものではないのです。もちろん、本などを読んで勉強する必要も無い。ただ、「こんな大人になって欲しい」といった漠然とした想いを、ある程度、人に話せるくらいまでの形にしておくこと。ただ、それだけでいい。繰り返しになりますが、教育に正解はありません。間違いはあるでしょうが、正解は無いのです。自信を持って、ご自分の考える『正解』を、我々に伝えてください。それを一笑に付すような人物なら、それは「偽者の教育者」です。保護者のイメージする「大人像」塾のイメージする「大人像」これが上手く合致した、まさにその時が、子どもが劇的な変化する時なのですから。
2006.09.20
まずい!まず過ぎる!どうやら、ボクが小学生の入塾を快く思っていないという噂が流れてしまっているらしい。ある小学生の保護者(入塾希望)との面談にて、「塾長先生は、小学生の塾通いをあまり勧めていないそうですが、どうか一教科だけで構いませんので認めていただけないでしょうか?」いえいえ!そんな滅相もございません。なんとありがたく、もったいないお言葉。こちらこそよろしくお願いします!ちなみに、私が常日頃より皆様方にお話していますのは、過度な塾通いや、勉強一辺倒の子育てに反対ということです。例えば、週に3~4回、サッカーやピアノなど他の習い事をしているのに、それに加えて2日以上塾通いさせるとか、(こういう場合の申し込みは何件かお断りしたことがあります。)GWや夏休みなどのまとまった休みに授業がないと言って、やれ講習だ、やれ授業時間が、とやたらと気にされるにもかかわらず、それよりも遥かに大事な、大事なご家庭との時間や体験を軽んじるとか、(ちなみに小学生の講習は原則、全員お断りしています。)そういうようなお考えの方々には、私たちの教育方針や考えを、まことに僭越ではございますが、お伝えして、その方針に賛同とご理解をしていただけない場合にのみ、「教育理念が異なりますので、保護者の方のご期待にそぐえる自信がありません。どうかご理解ください。」というように、お断りすることがあるということです。それがきっと誇張されて広まってしまったのでしょう。そんな「入塾を認めてください」なんて、なんともったいないお言葉!こちらこそ是非ともよろしくお願いいたします。お子様を責任持ってお預かりいたします!
2006.09.06
「教える」という行為の主導権は「教える側」にはない。子供たちが学びたいと思ったときから「教え」が可能になり、その逆はない。コーチに教える権利を付与するのは子供のほうだ。教えるのが下手なコーチは、「俺の教えに従わない近頃の子供はとんでもない」とぶつぶつ文句を言っているような按配だ。いっぽう、同じ子供たちの前に、別のコーチが現れて、言葉を発したとたん、それまでだらだらしていた子供たちが、「学ぶ意欲」を見せ始める。決して、そちらのコーチが恐いわけでも、強制力を持って接しているわけではない。むしろ、その逆だったりする。だいたい、指導のうまいコーチは、子供をよく見つめ、そして本人が気づく瞬間まで、待つことを心得ているように見える。日本代表でも、Jリーグのクラブでも、同じ選手構成なのに、指導者が変わったとたん、強くなるチームというのがある。結果論として指導者としてのすばらしさが語られるから、「強くなるテクニック」なるものを聞き出そう、と思うのだが、さまざまなそういった監督へのインタビューを読み重ねると、そこにマニュアルに描けるテクニックがあるわけでは無い、ということに気づく。彼らの第一歩は、まずメンタルの改善を成功させることからスタートする、という点で共通している。目の前にいる選手たちは、学ぶ意欲があり、うまくなりたい、強くなりたいという意思が常にある。その思いをタイミングよく引き出すとき、がらっとチームの雰囲気が変わり、周りからはマジックが起きたように見えるのだろう。<サッカーの言葉(http://www.ouchi.com/) ジーコインタビューより 監督の経験 より引用>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~僕は、教師に必要な技術の中で、最も重要なものは『問いかけ』だと思っている。もちろん、異論、反論あるであろうが、僕はそう信じている。巧みな問いかけを発することができれば、後は、ゆっくり考えさせる時間と、間違えを恐れずに、自由に自分の意見を口に出せる環境を与えれば、それで、万時うまく行くのではないかと思っている。僕には、教える側の「技術」や「知識」が、小・中学生の子供たちにとって、それほど必要があり、また効果があるものであるとは思えないのだ。「技術」や「知識」によって、影響を受けるような中学生は、たいていが、既にある程度高いレベルに達しているのではないか。全体の学力を上げるために必要なのは、『考えようとさせる問いかけ』と『安心して考えられる時間』ではないのか。改めてそう感じた「記事」でした。
2006.07.18
今回は、あくまで僕の考える「塾の選び方」を記事にしたいと思います。塾選びをされる上で、まず軸となるのが「大手塾」or「個人塾」でしょう。結論から言うと、僕は大手塾を否定しません。むしろはずれが少ないと思うので、特に目的が明確でない状態での塾選びであるなら大手の方がアベレージヒッターという意味で良いと思います。ただご自分のお子さんをどうしたいのか。お子さんがどうなりたいのか。そこが明確であるなら必ずしも大手塾が良いとは限りません。それは、大手塾と個人塾の違いは、単に資金力の違いでしかないからで、一番大事なことは、大手塾も個人塾も、私立の学校も公立の学校も、すべての教育機関において、『方針』と『人間』だからです。私立高校を例に考えて見ましょう。僕が塾を経営している地域は都内に極めて近いためか、私立志向の強いご家庭が多いようです。私立高校への進学率は4割弱と、県内の私立高校進学率を大幅に超えています。そのため僕の塾では、私立高校の情報についても大手に決して負けない、完璧な指導体制を引こうと、開塾2年目から、生徒が通える範囲の全ての私立高校約70校を毎年自分の足で訪問しています。当初はソムリエのように生徒の希望に沿った高校を提示するということが目的だったので、自分も保護者の気持ちになって私立高校を選ぶとしたら、という視点だけで見ていたのですが、何校も何校も見て比較していくと塾の方向性を考えるという意味でも非常に勉強なることが多かったです。それは、『理念』=『方向性』生徒をどういう方向へ導くのか、これが明確である高校は意外に少なく、しかも明確であるところこそ実績ある人気校であるということ。『人間』=『教師陣』説明をしてくれる担当の先生が、どの先生も人格者である高校は、やはり実績ある人気校に多いこと。去年説明してくれた先生が今年いなくなっているというような高校は、当然ですが内部の雰囲気も悪く最悪です。ちなみにここで言う人格者とは、単に礼儀正しいとか、対応が丁寧というだけではありません。話してみて、話の内容に深みがあるという意味です。そして『施設』や『学費』はまったく実績に関係ないということ。施設がすばらしい学校が、必ずしもすばらしい実績を上げているわけではない証拠の一つに日本大学豊山高校があります。この高校は甲子園に出場するほど都内でも有数な野球名門校ですが、驚くことにグラウンドがありません。練習は校舎屋上で行っています。(グラウンドを使いたいときは系列校の日本大学豊山女子高校にお願いしてバスで揺られて行くとのことでした。)学費については説明要らないですね。高くてもほとんど関係ありません。こうして見てみると、塾も同じ教育機関ですので同じことが言えるのではないでしょうか。まず、塾の方向性が保護者の考える希望と合致していること。教育に絶対の方向性はありません。Aが正しいと思う人もいれば、Bが正しいと思う人もいる。Cと考える人から見れば、Aと考える人は批判の対象かもしれない。誰からも批判されたくない、その思いが理念を明確にしないのでしょう。しかし、理念が明確であれば、その方向性も固まりますので当然指導しやすい。わかりやすいがために、ゴールも明確で、教師も生徒も迷うことなく進みやすい。当然結果は出やすいのです。『批判は当然あるだろうが、私はこれが正しいと思っている』という強い理念があるとないでは、驚くくらい実績が違います。「保護者がAと言えば、Aもいいですねと答える。」「保護者がBと言えば、Bもいいですねと答える。」そんな塾は何の効果も期待できないでしょう。次に、説明する先生の話に雰囲気を感じるかどうか。これは上手く言えないですが、先生が多い学校とは違い、塾では先生の数はそう多くないはずです。説明してくれる先生がご自分のお子さんの担当になるかもしれない。それなら、少なくとも自分が感銘を受ける人がいる、いないは大きいですよね。仮にその先生がお子さんを担当されなくても、そのような先生の元で仕事をしている先生なら安心というものです。そして、施設と学費。施設はそれは良いに超したことはないのですが、よっぽど繁盛している塾でもない限り、施設費にはお金を回さないのではと思います。私立高校とは違い規模が小さいので、そんなところに費用をかけるなら、恐らくはより良い先生を育てる方にお金を使うと思います。何にせよ、施設で選ぶことは最後の最後で迷ったときの一押しくらいで良いのではないでしょうか。最後に費用ですが、あまりに高いところは止めた方がいいと思います。といっても、月謝ではあまり差はないと思います。塾側も月謝を高くしては避けられてしまうことは重々承知ですので、どこで差をつけるかといえばオプションです。しかも逃げにくい受験生の年。こんな話があります。僕の塾に弟を入れてくれているという保護者の方が、つい1ヶ月ほど前に電話で相談してきました。「塾は中3になってからで良いと思っていましたので、ずっと前からそちらの塾に中3になったら入れようと決めていたのですが、人気があるとは聞いていましたが、まさか入れないとは思ってもなく、中学生は全ていっぱいだということで、小学生の弟だけを今の内に入れさせていただいて、兄はそういったわけで、ろくに調べもせずあわてて某大手個別指導塾に入れたのですが、そこの夏期講習が非常に高いんです。一般的にはどのくらいなのでしょうか?」「私たちの塾では57800円ですよ。その個別の塾はいくら位なのですか?」「実は30万円近くするんですよ。」「?!そんなバカな!」「しかも月謝は確かに広告どおりなのですが、なんだかんだと講座を取らせられて毎月の費用がものすごいことになっているんです。払うのを渋ると、○○さんはもっと払ってもらってるとか言って…もう夏ですし他の塾に換えるわけにも行かないですし。」「いやいや、他塾に換えましょう。そんなのおかしいですよ!」こんな相談を受けることは意外と少なくないものです。これに対する対応策は、月謝以外の費用を入塾前に聞いておくことと、それを受講するしないで圧力をかけてくるようなことはしないよう、しっかりと約束しておくことが大事ではないでしょうか?繰り返します。ただお金をかければ良い訳では絶対にありません。塾回りをすることは大変な手間だと思います。しかし、良い塾を選べば、結果として入試まで安心して任せることができる。しかも、子どもが劇的に変化することもそう稀なことではありません。お忙しいとは思いますが、どうかそのひと手間を怠って、台無しにしてしまうことの無いよう、心よりお祈りしております。すばらしい塾がより繁栄するよう、儲け至上主義のダメ塾が淘汰されるよう、そして何より1人でも多くの子どもがより大きく育つよう、願いを込めて。追伸:僕もブログに対しては信念がありませんでした。ブログの意味、その重み、その力、それらを深く考えずに行っていました。ブログでは、入塾説明会のように、「これが僕の理念です。共感する人だけが来てください!」というようにはいかない、公共性があるということに気づいていませんでした。今後はその公共性も知りつつ、信念を持って続けていきたいと思います。
2006.07.12
こんな時間に号泣してしまいました(笑)。NNNドキュメント まっすぐに智華子 全盲の少女 母の待つゴールへ 全盲の少女が高さ90センチの飛び込み台から飛び込む(当時6歳)。全盲の少女がトライアスロンやる(当時8歳)。全盲の少女がパラリンピックを目指し100メートルを泳ぐ(当時9歳)。全盲の少女が700メートル先の盲学校へ1人で行く(当時9歳)。何がすごいって、当然本人もスゴイんですが、これをお母さんが何も手を出さない。そばにいながら一切手を貸さないんですよ。娘がどんなに迷っても、どんなに泣いても、どんなに苦しくても、そばにはいますが、決して手は貸さない。言うは易しですが、これがどんなに難しいことか。今の僕の教育理念の根本に「与えることは奪うことと同じ。与えるのではなく、自分で気付いてもらう。」というものがあります。わからないと言ってくる生徒にわかりやすく教えることは、何年も経験があれば簡単にできます。しかし本当にその人の成長と進化を願うであれば、そんな対応は浅はかすぎるのだと、人を育てるには、やはり愛情をもって「待つ」ということが何より重要なのだと、塾でいろいろな生徒を教えてきて、ある時に気がつきました。教育とは「教え」、そして「育む」こと。「教えること」には知識必要ですが、「育てること」には信じ、そして待つ「粘り強さ」が必要なんだと。それ以来、この話は保護者会で毎年お伝えしているボクの信念です。しかし、そうは言ってもこれがとても難しい。ボクも非常に未熟者で、授業の後に何か用事があったりしてしまうと、正直、つい手を貸してしまうことがあります(情けない・・・)。血の繋がっていない僕でも難しいことを、このお子さんのお母さんは日々行われているのです。しかも勉強なんかではなく、もっともっと困難な道を進む我が子を目の前にして。その成果か、智華子はすばらしい人に育っています。トライアスロンで、健常者に負けて最下位になったとき、悔しくて悔しくて唇をかみ締めるその姿。1人で学校へ始めて向かう時、迷子になっても何とかしようとするたくましさ。そんな親子に周りの大人たちが応援します。校長先生の真田先生は、「壁は自分の心の中にあるんだ。君がやろうとしなければ僕は何も助けてあげられない」と、智華子ちゃんに水泳を教えます。全日本パラリンピックの水泳の寺西コーチは、「選手である以上特別扱いはしない。厳しい練習も、もっと厳しい練習をしている先輩が近くにいることによってこなせるようになる」と、まだ9歳の智華子ちゃんを高校生に混じらせて指導します。そして、6年生になった12歳。パラリンピックの選考基準タイムを超えたときに、彼女の口から出た言葉。「壁が扉になった」僕もこれくらい、人に影響を与えられる教育者になりたい!
2006.07.02
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