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「人気が出てくれば、それに応じてアンチも出てくるようになりますからね」そう、ある保護者の方に言ってもらえた。さすがにそんなことはないとわかってるけど、でも、みんなから支持されたいと思ってしまう。それが真実なら仕方がないけれど、いわれのない噂を耳にすると、なんとも言いようの無い気持ちになります。退塾を勧めた生徒は確かに過去数名いらっしゃいます。でも、ただ成績が悪いからとかいう、そんな馬鹿げた理由で退塾を勧めたことはありません。思いつく限りあらゆる手法を試みて、自分のスキルでは、どうにもこうにも手がなくなった、そうなったときに、悩みに悩んだ末の決断です。退塾を勧められたときの子どもの気持ちがわからないはずがない。でも、ここよりももっと合う場所がある、そう思わざるを得ない、それだけの根拠があってこその苦渋の決断です。何が悔しいかって、このような大事なことを、自分の思いをきちんと伝えられていなかった、そんな自分が不甲斐ない。そして、そのことを知らないのにもかかわらず、まったく知らない方や他の塾に憶測で語られることがまた悔しい。政治家や芸能人ってすごいわ、そう、しみじみ思いました。僕なんかの10000倍ではきかないほどのプラスもマイナス、両方の噂を受け止めてるんですから。でも、今回こんな風に言っていただけて少し落ち着きました。信じてくれている方に喜んでもらえるように、微力ながらも全力を尽くす、それしかできない。目の前にいる方々に「ありがとう」と言ってもらえるように、真剣に、誠実に、感謝して仕事をしよう
2010.03.15
今日はオフだったので、散歩をしてみた。風が強く寒かったので、少しだけ後悔したけど(笑)。道の途中で、個人塾なのかな?窓いっぱいに貼り紙がしてある塾を見つけた。一番大きな文字は、「○年連続 全員合格!」。う~ん・・・全員合格ってそんなに凄いことでもないんじゃないかな。対象が高校受験ではなく、中学受験や大学受験であったとしても、合格させるだけならそんなに凄いことではない。百歩譲って、全員が進学!であれば、いいかもしれない。妥協できる範囲の学校は合格させられているということだから。(もちろん、中学受験や大学受験の話。)何が言いたいか。個人塾の先生の中には、時に「宣伝は得意ではない」と、おざなりにしてしまう方がいらっしゃる。純粋に教務に力をかけていらっしゃるのだろうから、僕がどうこう言うことではないが、宣伝ってそんなに難しく考えなくてもいいと思う。ちなみに、よくイメージする「戦略的」な宣伝なんてのは、僕もあまり考えたことは無い。だってなんか、顧客を引っ掛けるみたいでいやらしい。そういう雑誌とかを読んでも、小売じゃないんだから、とか思う。僕が考えるのは、どうやったら外の方々に自分の塾の先生や生徒たちの奮闘を知ってもらえるか、そこだけ。わかりやすく伝えるために言葉を練る。勘違いされないように正確に、心に響くように気持ちを込める。結局は授業と一緒だと思うのだけど、どうだろう。
2009.04.02
昨日、深夜から新所沢の教室長Tと朝まで語り合った。今年はとにかく必死だった。。。余裕がなかったんだろう。原点に戻らないといけない。今、そう思う。「生徒が自分の夢を育てていく、そのサポートをする」そのために「生徒の志望校への合格をサポートをする」生徒の成績をどれだけ上げたか、生徒の合格高校がどれだけ高いか、それはその結果の1つに過ぎない。今まで、オレはメンバーにそう言ってきたじゃない。なんか、Tに言われて目が覚めた。「僕らって偏差値の高い高校へ合格させるのが目標でしたっけ?」最近の僕と話していると、なんか方針が変わってきたような気がすると彼は言った。その場では、「今年は特別なんだ。今年はとにかく結果を出さなければ、昔の方が良かったって言われてしまうんだ。」「どんなに数字を出そうと、そうそう認められない。だって2人がいたときのイメージを超えるこはできないんだからね」そうムキになった。でも、帰ってきてからよく考えた。Tの言うとおりかもしれない。塾の方針に共感してくれている方々が、ウィルをここまで大きくしてくれたんだ。惑わされちゃいけないんじゃないか。数字じゃないんじゃないか。数字を追い求めちゃあ、本当の学力ってのは伸びないってのが、ウィルの、僕らの考えだったはずだろう。焦ったらロクなことがない。焦るな、自分。
2009.02.01
2008年は第二校舎を立ち上げるという、新たな試みに挑んだ年でした。一教室でやっていれば、講師はウィルを確立した3人組。極めて安定した塾経営をし続けられるであろうことは明白です。しかし、その安定は自らの成長を止めてしまうのではないか。教科を教えるだけの塾を最初から目指していない僕たちからすれば、生徒に背中で伝えられる存在にならなければならない。社会に評価される存在、生徒たちの目標たる存在でありたい。そのためには、常に社会に挑んでいく姿勢が必要だろう。なんて、カッコよく書けばこんな感じになりますが、ホントの流れは、「でっかい夢を描ける人になってほしい」「社会に必要とされる、誰かの役に立てる人になってほしい」「常に自分を磨き続けられる人になってほしい」そんな風に生徒たちには常日頃、自分の事などろくに顧みずに、まぁ臆面もなく語っていた若き頃。←今考えると恥ずかしい。。。そんな中で、ふと、ある生徒に気づかされたのです。では、自分の夢は何か、自分は生徒たちにそんな偉そうに語る資格があるのか、と。自分にできないことを求めちゃいけません。自分が挑んでいないで、学んでいないで、その口から出る言葉に魂など乗るわけない。そう心底思わされたある生徒との間の、何気ない会話。その中で生まれた一つの「約束」。その約束を成し遂げるための一歩、それが僕たちの場合、校舎展開だったのです。このブログも、想像以上に時間に追われてしまう中で、更新頻度は激減しつつも、何とか書き続けられるのは、その「約束」があるから。←内容が薄くなっているのが申し訳ないのですが。その約束を、生徒と僕、互いに成し遂げたその時、その日がこのブログが終了する日になるでしょう。おっと、話が逸れてしまいました。次こそ2008年の総括です。塾経営をされている方に役立てるようなものになればと思っています。
2009.01.03
僕が以前いた塾は時間講師がいない、全員正職員という今思えば珍しい塾だった。当然、全職員が自覚を持って指導に当たり、連日、生徒について「あ~でもない、こ~でもない」と話し込むような塾だった。とはいえ結局は、塾長のやり方がどんどんおかしくなっていって、職員が離散していくことにより、あっけなくつぶれてしまったが。その塾で僕が教室長を任されたとき、経験の無い若造では心許ないと思ったのであろう、社長は片腕ともいうNo.2の先生を付けてくれた。以前、ここにも書いたことのある開成中学→開成高校→東京大学で塾講師暦15年のバリバリの方だ。その方に言われたことは、今の僕の中に大きく残っている。懸命に、これ以上ないくらいがんばっているという自負のあった当時、塾生や保護者からも感謝の言葉をいただくなど、自分としては順風満帆だと勘違いしていたあの頃、僕は近くの大手個別塾をバカにしてこう言った。「なんであんなところに生徒が集まるんですかね?こっちの方が正職員ばかりで、絶対にいいに決まってるのに(笑)」そう嘲笑うまだ新卒の僕に、先輩は冷たくこう言った。「そんなことを言ってるようじゃ(人として)大きくはなれないな。市場をバカにしてはいけないよ。市場が選ぶからには理由がある。現実にあの塾よりもこっちの方が生徒数が少ないじゃないか。生徒がいるってことは市場が評価しているってことだ。こっちよりもその塾の方がすばらしいって、その塾の方が必要だって、みんなが思っているんだと自覚しなければダメだよ。みんなが大してウマくないって思っているのに、この味がわからないなんて、世の中がおかしいんじゃないか、なんて、愚痴っているラーメン屋の親父のようになりたいのかい?」(だって、中学の問題もロクに解けやしないような大学卒の奴が、片手間で教えているような塾なんかより、こっちの方が良いに決まっているじゃないか!)そう言い返したかった。あの時は。でも、今思えば先輩だってそんなことは知っている。当時はおろか、今の僕なんかよりも凄腕の人だ。伝えたかったのはもっと違うところにあったんだろう。僕が調子にノリ始めたときに、自然と浮かぶこの言葉。人との出会いは宝物だとしみじみ思う。
2008.12.08
中3普通クラス⇒中3選抜クラス⇒中2クラス⇒中3補講⇒中1クラスと、もうフル回転で動いている13時半から22時まで9時間、空き時間はまったくない。立ちっ放しのしゃべりっぱなしだ(笑)。ちなみに、昨日は最後の授業後すぐに教室を移動、新所沢教室へ行ってT教室長と会議(3時半過ぎに終了)。今日は、最後の授業を終えた22時から23時半まで、中3の三者面談。こんなにもうれしいコメントをいただきながらも、ゆっくりお返事することができなかった。。。申し訳ありません。さて、そんな今回の講習。塾長である僕の完全なるトップダウンという新体制の下で行う初の講習となったわけだが、間違いなく言えることは、僕の英語の授業は過去に無いくらい上手く行っている(笑)。いやいや、チームとしての東所沢は!?と、突っ込みを入れたくなるところだけど、それはやはり新体制、初めてだけに、正直に言って比較、分析ができない。もちろん、できることは全てやっている。不安や気になる問題も感じられない。(過去の実績が無いということ以外)そこは、さすがにウィルで鍛えられてきた講師陣、準備のレベルも、生徒に対する意識も、そこにバイトの感覚など微塵も無い。(卒塾生と熱烈教員志望の学生しかいないので当然かも)新体制となって5ヶ月、チームとして出来上がってきたと思う。自塾の講師のことだが、本当にすばらしい人たちだと心から思う。でもね、そうは言っても、もう正直にぶっちゃけてしまえば、本当に上手く行っているのかは、やはり結果。結果で判断するしかないんだよね。どんなにすばらしい授業をしていても、生徒に伝わっていなければダメなんだ。結果に出なければ、信じてなんてもらえないんだ。結果で判断してもらおうじゃないかもう、心配していちいち細かな指示を出すのではなく、講師を信じる。自分の目で、「このメンバーなら大丈夫!」と選んだ講師陣。各講師の上には、創立のメンバーもしっかりと座っている。指導方法も、カリキュラムも問題ないのだ。そして、そもそも講師の個人技ではなく、校風で勝負!生徒へ伝わる伝統で勝負!がウィルが提案する新しい塾の形。だって、開成や武蔵なのど超名門私学は先生の個人技であのすばらしい実績を出しているわけではないじゃないか。開成が開成たる所以は、先生の力量だってもちろんそれなりのものはあるのだろうけど、一番はきっと「伝統」や「校風」のはず!この考えが正しく、そしてその考えの基、何年もかけて創り上げたウィルの「校風」「伝統」が本物であることを信じる。いい意味で吹っ切れた(笑)。これで結果が悪かったら、「今まで生徒がバシバシ伸びていったのは、講師の腕だったのか・・・」と、認める。そして、修正する。でもね、これで結果がよかったら・・・やっぱりウィルの伝統の力こそが最大の武器であることが証明されるんだ。今までは内部の生徒や保護者の方から、3人の創立メンバーが分散したことを不安視する声が聞こえてくる度に東所沢講師陣で会議して、悔しがったり、悩んだり、いろいろとしてきたけど、そういった声は、すべて実績というものから生まれてくるイメージによるもの。見えない影と戦って、振り回されたらきっと良い事なんて無い。校風こそが、伝統こそが、生徒をこんなにも伸び伸び、宿題も拘束も、管理も無しでここまで学力を伸ばすことができる、最大の理由だと信じてきたのだから。それを塾長が信じられなくなっちゃあダメだ。話がズレてきた(笑)。ということで、今回の講習、間違いなく言えるのは、僕の授業が過去に無いくらいバシっといっているということ。これは過去と比較できるから間違いない。僕自身の事前の準備やカリキュラムは例年とそう変わっていないのだけど、きっと責任感の問題かな?頭が冴えているというか、もう生徒がみるみる変わっていく。今日も、中1(と中2)の授業で「おお!英語っておもしろい!」って声を至る所(中2からは1名だけ)から聞けた。中3も毎年同じカリキュラムでやっているのだが、今年は定着度がわずかだが高い。これで、伝統の100問テストが上手く行けば、それこそ9月の北辰はすごいことになるんじゃないかと思う。他の科目も、それぞれの担当の先生が必死に授業準備をしている、あの様子を見るに、きっと上手く行くに違いない。ウィルの伝統を信じる!9月の北辰、注目したい。注目していてください! ・・・あ、言っちゃった(笑)
2008.08.19
いやいや、毎日本当に暑いですね。熱中症にはくれぐれもお気をつけ下さい。(昨日、やられてしまいました)さて、ウィルの夏期講習は8月1日から始まります。それまでは講師の準備期間、生徒の学校の宿題終了期間ということでお休みとなっています。さて、連日こうやって深夜に至るまで、テキスト作りに精を出しているわけですが、こんなにも教務に没頭できる時間を取れたのは本当に久しぶりで、「これを授業で使えば・・・」と、ニヤニヤ楽しんでやっています。思い起こせば、今年は新体制となり、目の前に起こる様々な出来事に、まさに奔走し続けた4ヶ月間でした。新しいことに挑戦している高揚感と、うまく運ばない苛立ち、そして自分への不満。24時間、こんなにも頭をフルに回転させたのは開校以来のことのような気がします。個人としての力量は、この4ヶ月で間違いなく成長したでしょう。校舎展開という新たなる挑戦をして学んだこと。それは、挑戦ほど人の器を広げるものはないということ。そして、想定外のことは意外と起こらないということ。しかし、想定内の問題にもかかわらず、そのレベルが想定を超える、というようなことは往々にして起こるということでしょうか。言うまでも無く、挑戦は自分の力量を少し超えたところで行います。その場所は、それまでいた安住の地に比べ過酷で不安定な場所(その時点の自分の力量では、ですが)。それゆえに、ただその環境に身を置くというだけで、今まででは考えも付かなかったような視点や、今まででは必要としなかった能力を身に付けられる、というより、身に付けざるを得ないのですね。じゃないと、心理的に潰されますから(笑)。改めて、挑戦がもたらしてくれるものの価値、そして、挑戦を楽しむ心と自ら決めたときの力、自発力の重要性を体験することができました。教育者としても、この経験を通じて一回り大きくなったような気がします。さて、一方で想定が甘かったところ。ここは次回の反省点ともなるところですが、やはり『イメージの力』ですね。イメージの力は思っていた以上に絶大でした。その力はまず、新所沢教室に働きました。他塾の新規開校時の動きを参考に、地盤の無いところに、最初から人は集まらないだろうと考え、初年度は実績を作る年、地盤を作る年として、講師陣を経験豊富な人材で固めました。しかし、蓋を開けてみると想定をはるかに超える状況。わずか1ヶ月で、年間の目標生徒数に届いてしまいました。新所沢では何も実績があるわけではないのに・・・イメージの力もある程度は想定していたものの、実績を超えるほどの力は無いと思っていた僕にとっては、にわかには信じがたい結果ではありましたが、良い方での予想外ゆえに小躍りしたものです。(今思えば、ここでちょっと待てよと考えればよかったんですね)喜んだのも束の間、今度はそのイメージ力にやられます。本校である東所沢教室の募集が過去になく悪い。。。小学5年生と4年生の募集は過去最高のお問い合わせをいただくことができましたが、小学6年生より上の学年からお問い合わせがないのです。例年では、キャンセル待ちでも構わないとおっしゃっていただける保護者の方から連絡をいただけるのですが、今年はそれがない。そのために、ウィル方式についていけない生徒が抜けた後の空きが埋まらない。定員に空きがあることなんて、何年ぶりのことでしょう。言うまでも無く、ここ東所沢では地盤も実績も十分にあるのに。。。やはり今まで数学科を率いてきたTが東所沢から抜け、新所沢の教室長になったのが響いているのでしょうね。もちろん、数学科のNo.2は東所沢に残し、新任の卒塾生の中から、僕が選んだ3人を数学科としてNo.2のK先生の下につけるなど、数学科が逆に強化されるように配置したのですが・・・。やはりイメージの力は大きい。実績を出せば、保護者の方々が抱かれるTが抜けた不安感も拭われるのではないかと、毎週、数学科全講師ミーティングを行うなど万全を期して臨んだ今年度初の定期テスト。東所沢教室の数学の平均点(定期テスト)は過去にも類を見ない高記録、中学3年生27名の平均点は、79.5点中学2年生27名の平均点は、脅威の84.5点中学1年生26名の平均点は、87.3点数学科はチームとして一丸となって取り組み、結果も叩き出した。よし!これで今年も大丈夫だと塾長の僕が胸を撫で下ろしたのが1ヶ月前。でも、やはりTの持つイメージには勝てなかったということなのでしょう、きっと。イメージって・・・すごいです。きっと今、この東所沢チームはどうなるのか、塾長の言うように、講師ではなく、校風で引っ張れるのか、近隣の皆様から、品定めされているのだと思います。塾長によるトップダウン式の新体制の下、ウィルはどうなるのか。信じていいのか、本物なのかどうか。臨むところです! まさに塾長の腕の見せ所ですね。正直少し怖くもありますが、でも、ワクワクします。
2008.07.25
先日、ブログを通してある方からメールをいただきました。その方は、自ら塾を始めてちょうど1年とのこと。驚くべきことに、とある通信会社の営業の方から、私たちの塾のことを聞いたそうで、ぜひ見学させて欲しいとの内容でした。そのあまりの高い評価に、イメージされている塾とは違うのではないかと、それとなく確認してみましたが、それでも「ぜひ見学したい」と言ってくださいましたので、東所沢教室で少しばかりお話させていただきました。その方は教員採用を通過したものの辞退、大手企業(旅行業界→IT業界)へとキャリアを積まれた後で、自らの使命はやはり教育だと、塾業界へと転職。某大手個別指導塾で得たノウハウを基に、自分の塾を川口で立ち上げたそうで、当然、僕なんかよりもはるかに年長。にもかかわらず、会うなりすぐにノートを取り出し、「インタビュー形式でお願いします!」と、事前に準備されていた内容を矢継ぎ早に質問してこられました。なんというパワー!その合間にも、私のような若輩者に対しても細やかな心遣いをしてくださる、優しいお方でした。2時間くらいはお話したでしょうか。その方の問いかける目には、相当な想いが宿っていまして、話せば話すほどにファンになっていきます(年上の方に失礼ですが・・・)。まだ僕が塾を始めて間もない頃、貪欲に質問していた僕に対して、丁寧にアドバイスをしてくださった多くの方々も、きっとこんな気持ちでいてくれたのだろうと当時を思い起こしました。さて、本題の塾経営(←この言い方は生理的に嫌ですが)について。僕個人的に思っているのは、どんな塾になりたいかを明確に持っていること、そして、その理想を生徒や保護者、そして講師に語れるということが、一番大切なことではないかと思っています。すばらしい学校には、やはり明確な方針があります。たとえ「今」そうなっていなくても、子供たちとって、こういう場所になっていたい、という「未来」がある。そして、その未来が、本当にすばらしいものであれば、周囲が評価しないはずは無いと思います。失敗する(←生徒が来ない)ということは無いと思います。立ち上げて間もないのに、現実が伴っていないのに、理想なんてそうそう語れないと思われるかもしれない。でも、今はたとえそうなっていなくても、理想を語ることは子どもたちに大きな影響を与えると思います。夢を語れなくして、どうして子どもたちに夢を見させられるでしょう。輝ける未来を示せなくて、どうして子どもたちは大人になりたいと思うでしょう。確かに、「そんなレベルに自分は達していない」「大言壮語はみっともないのではないか」そういった謙虚の気持ちがジャマをします。最初は僕もそうでした。自分がそんなことを言うには「おこがましい」とか「恥ずかしい」とか、現実が伴っていなければ尚の事、口にしづらかったです。でも言わなければ。伝えなければ。何も大人に語れとは言っていません。自分よりも若き子供たちへ、自らの経験を語ることがどれほど大事なことか。後で、間違っていると思えば、その時に正せばいいんです。「以前はこう思っていたけど、○○の影響でこう考えるようになった。」いいではないですか、変えることを伝えられます。自分はこう思う、でいいんです。こうすべき、ではなくて、自分はこう思う。もちろん教科指導ができるのは前提です。そこに加えて、そういうような姿勢が取れている講師はやはり生徒を伸ばすことができるでしょうし、そういう講師像が全員に伝わって、当たり前になっているような塾は、きっと多くの方に支持されるのではないかと思っています。
2008.06.28
「即断、即決。機を失うな!」というようなフレーズがビジネス書などにもよくあります。でも、大久保利通はその逆だったそうです。彼はどんなことであろうとも即断、即決はしなかった。機を逃すよりも、愚を犯すことを恐れたのでしょう。自分のペースで進むどんなことでもスピードや効率が賞賛される社会で、ふと気づかされた逸話です。追記 僕の携帯で、「大久保」と打つと「大久保嘉人」しか出てきませんでした。ちょっと悲しくなりました。
2008.06.10
今年の3月に、2つ目の校舎を出して3ヶ月が経過した。今までは、年度が始まるやいなや、多くの方々にお問い合わせをいただくき、募集に関しては、まったく苦労することなく、アッという間に定員が埋まっていた。少なくとも生徒募集という点においては、日本国内を見渡しても数えるほどしかないくらいにものすごく恵まれていたと思う。とはいえ、離れた地での2校舎目が、そんな恵まれた環境であるはずが無い。そう簡単には行かないだろうと覚悟していた。しかし、結果は驚くべきことに、開校1ヶ月かそこらで、最低ラインではあるものの、年間目標としていた生徒数を超えることができた。噂はこんなに離れた地まで伝わっていた。「生徒が集まらなければ、どんなにすばらしい教育内容であっても、それを伝えることができない。」生徒が来てくれるか、どれだけの方々に入塾してもらえるか、教育内容には絶対の自信、裏づけとなる実績もあっただけに、それこそが今年の最大のポイントだと思っていた。それだけに、感激はひとしおだった。これで、すべてがスムーズに行く。そう思えた。しかし・・・校舎を増やすことの難しさは、生徒がこんなにも集まってきてくれたから言えるのかもしれないが、どうやらそこではなかったようだ。生徒数は増えた。講師も増えた。講師たちの人数が増えることによって、各教科ごとにチームができた。互いの教育観をぶつけ合い、互いに競い合うことによって、講師たちは、僕らの指示に従って、その範囲内で動いていた以前とは明らかに違い、時間講師一人一人のスキルは自ずと上がっていった。確かに細かなことを挙げていけば、問題点がまったく無いなんてことはないものの、それらは予想していた範囲のものばかりで、すぐに対応することができた。その中には改善に時間を要するものもあるが、そう長い時間もかからない。事前に予想していたものの中で、対応できないくらいに大きな問題と恐れていたもののほぼすべては杞憂に終わった。すべてがうまく回っている。でも、なぜかどうも落ちつかない。なんか、こう、うまく言えないが・・・こう、モヤモヤするというか・・・細かな問題点の中のいくつかが、僕に何かを訴えかけている。今のウィルという形が産み出された、あの頃の感じに似ている。胸の真ん中に、こう、なんと言うか、何かが集まってきているような・・・。久々に何かが産まれそうな気がする。・・・頭が活気付いて、眠れない
2008.06.03
今の時間まで数学科の教科長Tと話し合い。組織としての体制を一から見直すべきだと確信。また、英語科の私としても、今までの『小学6年生からでも十二分に間に合わせる自信があるので、小学5年生までの間は国語と算数を大事にしましょう』との発言を撤回することに。この発言は、国語科や算数科の教科長として引っ張ってきたKとTがこの校舎にいてこそのもの。二人がいない今、やはり塾長自らがしっかりと引っ張っていくべきだと考え直した。英語としての内容よりも、教科指導以外のところに重点を置いた、他教科ならびに生き方にも通ずる、『学ぶ姿勢・意識』や『成長の方法』のような根っこのところを鍛えていくものにする。教室を増やすことで最初の1、2ヶ月は混乱したとしても、すぐに修正していける。いや、教室を二つにすることで生まれる効果でよりレベルを上げていけると考えていたが、1、2ヶ月なんて悠長過ぎた。うちのような長期指導体制ならば1、2ヶ月は・・・なんてどこかで甘く考えていたのかもしれない。1、2ヶ月は保護者の方からすれば長い。来られる方、来られる方、みんなに言ってもらえる「ウィルに任せれば間違いないってみんな言っていますから」「ウィルで伸びないなら仕方ないって思えます」というようなありがたい言葉。。。今まではただ単純にうれしかった。しかしこの言葉の意味は・・・とてつもなく重い。
2008.04.09
今日は新教室の開校説明会。大手の塾を中心に、一般的な「開校説明会」の集まりの人数について事前にリサーチしておいた。それによると、どうやら最大手でもまちまちのようで、初日に来てくださるとしたら10人~50人強ということ。「じゃあ間を取って30人も来てくだされば最高だね!」なんて、講師陣と話していました。さて、会の始まる10分前。2階で新教室長のTと僕とで会の最終確認。僕は会の最初に挨拶として15分の持ち時間。「じゃあ理念だけを伝えればいいね。後はTが説明してもらえれば・・・」とTと話していたまさにその時。下に待機していた時間講師Mから、「1階会場にはとても入りきれません!どうしましょう?!」との報告。『ホントに!そんなに来てくれたんだ。じゃあ目標の30人に行くんじゃない?』2人で喜び、下へ。光景を見て唖然・・・ものすごい人の数。1階の会場の後ろの空きスペースにイスを並べることが目標だったのですが、そんなことで対応できる状況ではないことは一目瞭然。急遽、講師陣に指示を出し、2階教室を会場にして、1階はTが、2階を僕が担当して開校説明会をすることに。会の開始時刻はすでに過ぎている。お待たせするわけには行かない。急いで2階教室を会場に設営。同時に1階に入りきれなかった皆様を2階へご案内。僕は急いで話す内容をまとめる。いや、まとめようと紙とペンを持って講師室へ行こうとすると、「2階教室も入りきれません!どうしますか?」「!!」こんなにも来てくださるなんて、なんて思っていた笑顔ももう完全に無くなる。どうする?もう1つの教室にお招きするか?でも、ご説明する人間がいない。1階でTはどうしてる?階段にまで行列になっている保護者の方々の脇を通り抜けて1階に駆け下りると、そこには、2階教室、階段へと伸びていた行列が受付、そしてエントランスまでと続き、先に進むこともできず立ちっ放しになってしまっている保護者の方々の姿が。そこへ事務担当のKから報告が入る。「資料もお茶も全然足りません。とりあえずカラーは無理なので、白黒コピーで間に合わせます!」最低だ。大変申し訳ない、情けない気持ち。。。時間も過ぎていく。もう待たせ過ぎだ。周囲の時間講師に指示を出す。「もう入りきらない。会を2部構成にします。今、入れていない方々には第1部が終わるまでの1時間、エントランスでお待ちいただくようお詫びしてお伝えしてください。お飲み物も追加でご用意。それを皆様にお配りしてください。」そして、長らくお待ちいただいている1階、2階の会場へTと僕とでそれぞれ駆け込む。僕が駆け込んだ2階教室。後ろの扉から前の教卓まで進むことすら出来ないギュウギュウ詰めの状態。通りにイスだけを置いて座っていらっしゃった方に一度お立ち頂かないと前にも行けない、そんな状態にまでさせてしまっている。せっかく来てくださった方々に、こんな窮屈な思いをさせている。もう・・・できることは一生懸命に話すことしかない。話す内容も考えていない。段取りなんてない。ただ皆様を前にして、自分の思いを語りかけるだけ。皆様がいい話を聞けたと少しでも、わずかでも思ってもらえるように全力を尽くすだけ。ただ申し訳ない・・・というか恥ずかしい。とにかく、今からできること。それは、こんな無礼を働いたにもかかわらず、それでも入塾を希望してくださった方々に、満足いただける、良かった!と言ってもらえる教育を。あの時、待ってよかった!と思ってもらえるような教育を。このブログを見てくださっているかもしれない、今日来てくださった方々に、この場を借りてお詫びさせてください。大変申し訳ありませんでした。今日改めて、Tと誓い合いました。必ずや期待通り、いや期待以上の教育をご提供いたします。今日はありがとうございました。
2008.03.01
明日の17日、2008年度募集広告が新所沢周辺に初めて、新聞折り込みされます!(東所沢地域には折り込まれません。東所沢教室はそもそも募集がほとんど無いものですから・・・)なお、次の新聞折込予定の2月28日には、東所沢&新所沢両地域に折り込まれますので、東所沢教室の募集状況につきましてはその日の広告にてご確認ください。※ 広告については、新所沢教室長のTが意気込みあふれる記事を書いておりますので、是非そちらをご覧ください。
2008.02.16
以前、冠を『進学塾』にするか『学習塾』にするかで一般の方の受ける印象は違うのだろうか?という記事を書いたのだが・・・。ここ今回、新校舎立ち上げを機に3人で改めて考えてみた。僕の意見は、名前なんてどうでもいいのだから、『進学塾』の方がカッコいいって人がいるんならそれでもいいんじゃない?だ。しかし、2人の意見はそうではない。今まで使ってきた『学習塾』というネーミングに愛着もある。それに『進学塾』って、僕らは進学を目的に塾をやっているわけではない、というのが彼らの主な意見。じゃあ、新しい塾を創るというのが目標なのだから、冠も独創的なものにしようか!と、3人で頭を捻るも浮かばず・・・結局、めんどくさくなって、今までどおり『学習塾』で行くことにしました。ということで、これまで通り、『学習塾』ウィルをこれからもよろしくお願いいたします。ちなみに・・・『ケセラセラ塾』も一瞬頭に浮かんだんですけどね。浮かんだ速さで消えていきました(笑)。
2008.02.09
すでに「弁護士」「税理士」と顧問契約をしているうちの会社。昨日は「社会保険労務士」という方を塾にお招きしてお話を伺いました。「社会保険労務士」僕は今までその名前さえも知らなかった職業。どんな仕事かというと、要するに雇用に関する法律全般のスペシャリスト。仕事の内容は主に、雇用契約書の作成や社会保険(健康保険、雇用保険、厚生年金保険、労災保険など)に関する助言や申請の代行。大まかに人事に関する諸業務についての助言や代行だそうだ。なるほど、相手は「労働基準監督署」ってことだね。というわけで、さっそく契約しようと思う(笑)。しかし、こんな小さな会社なのに、法律関係はガチガチ。「(こんな規模で)「弁護士」に「税理士」ですか!?」社会保険労務士の先生も、感心(驚愕?)していらっしゃいました。まぁ、石橋を叩いて行きましょう。何かあってからでは困る、自分らだけでなく生徒たちにも迷惑をかけてしまうのだから。しかし、やっぱりプロはすごいですね。(見る目を持っていれば、ですが)僕らもそうですが、それで仕事をしているということは、365日、その件について考え勉強しているということですから。話を聞いてみると、予想だにしないとんでもないことができたりするものです。「知らない事はすぐに聞く」「なんでもかんでも自分でやろうとしない」大人になって、自分で事業をしてきて、痛い思いをいっぱいしてきて学んだことです。「こんな仕事があるんだよ」なんて、生徒にも話せる職業が増えますしね。※ 友人の弁護士には法廷でのやり取りなど、税理士の先生からは、税理士のなり方やその仕事内容について、伺ったままを、授業で生徒たちに話したりできる。これも大きいメリットだと思います。実際、その影響で職業を決めた生徒もいるくらいですから。
2008.01.23
今日は珍しく2つ目の記事。民営(私立)が、官営(公立)に比べ、企業努力を絶えず行っているということは説明するまでもない周知の事実だろう。教育に限って言えば、その企業努力が必ずしもいい方向に向かうとは限らないのだが、(進学先の大学名をとにかく追うという方針とか)それでも動きがあるという意味で、肯定的に捉えてもよいことの方が多いと思う。さて、そのように努力を重ね続ける私立を、毎年70数校も訪問し、比較しながら感じること。それは、ガシガシやっているところが生徒達を伸ばしているかというと違う。時間数が多ければ生徒達が伸びるかというとまたそれも違う。カリキュラムが充実している、これもまた関係ない。施設や立地、もちろん関係しない。どれも相関関係がない。にもかかわらず、生徒達の伸び率は各校にて明らかに異なるという歴然たる事実。では、そこの違いは何か?教員の技量?確かにそれもあると思う。スポーツなどはまさにそうだろう。今年のサッカーで、東京B代表は都立三鷹高校。設備は公立並み(当たり前だが)、練習時間は1日2時間もないらしい。これは明らかに指導者の力量だと思う。しかし、学校全体となると、よほどの影響力を持つ教員なら別であろうが、たいていの場合、教師一人の個人技で学校全体の生徒に影響は与えることは極めて困難だろう。事実、どの私立へ伺わせて頂いても、すばらしい先生は必ずいらっしゃる。誤解を恐れずに言えば、むしろ中堅レベルといわれる高校の先生の方が上位校の先生方よりも力量が上であるような気さえする。であるなら、個人技ではないのなら、違いはどこに生まれるのか?それが『校風』だと思う。生徒が生み出す空気。伝統という名の空気。その高校の生徒なら、これくらいはできて当たり前だという空気。そういった様々な空気が、彼ら生徒、そして教員の背中を押しているような気がしてならない。そんなことを考え、これまで塾の空気に目を向けてきたのだが、やはりこの考えを理解していただくことは容易ではないようで、保護者の方には、「いやいや、絶対に先生方の魅力です。だから、先生方が移動されるというのが不安なんです」とおっしゃっていただける。でも、そうは思えないんですよね・・・。(謙遜とかフォローとかではなく)そんな中、僕が塾ブログを書かれている方の中で、もっとも頻繁に訪問させていただいており、心から敬愛している先生の記事に、このようなものを見つけた。(先生、すいません。事前の許可を頂こうと思ったのですが、コンタクトの方法が見つかりませんでした。)ここ。皆様はどう思われますか?先生へいつも拝見させていただいております。この度は勝手に先生の記事を引用してしまい、お叱りを受けないか心配です。それにしても、先生のユーモアに富んだすばらしき文章には読ませていただくたびに、書く気を削がれます(笑)。赤虎先生とは、よく先生の話になるのですが、そのたびに尊敬と羨望に、わずかながらの嫉妬を振りかけたような、そんな思いで、まだ見ぬ先生のお姿をイメージしております。もし記事の引用に何らかのご迷惑が掛かるようでしたら、大変、ご面倒をかけて申し訳ないのですが、私書箱にてご連絡下さい。即効、削除いたします。これから一段と精神力が必要な時期となります。どうかご自愛下さい。
2007.12.05
先日、塾生である小学生の保護者の方からお電話をいただきました。新校舎開校に伴い、今までやってきた『3枚看板』の内、数学のTと国語のKが、新所沢の方へ配属になるということを聞いて、居ても立ってもいられずとのこと。(このようなお声をいただけるんじゃないかな、と思ってはいました。むしろ来なかったら寂しいところですね)最終的には、「英語は東所沢で、数学は新所沢で」という仰天プランまで出して下さいました(笑)。(数学のTが、「まだ教えていないのにそこまで期待していただけていたなんて」と驚いておりました)さすがにそれはお断りさせていただきましたが、そこまで評価してくださること、それが素直にうれしかったです。ただ、ご心配なく『教師』で育てるのではなく、名門私学のように『校風』で育てる。うちの塾の目指す形は、そこにあり、そこを目指して今までやってまいりました。ここ東所沢には、塾長である私がいます。この塾で育った教え子たちが時間講師として多数加わっております。卒業生だけではなく、募集広告などで多くの人材を募り、育成も行ってまいりました。正社員も雇用がすでに決まっております。でも、そんなものよりも、ずっとずっと大きなもの。この校風を感じながら育ち、また自らも、その校風を作ってくれている在塾生がいます。すでに、『校風』という極めて肥沃な土壌が、ここ東所沢校舎には出来上がっているのです。また、2人がいなくなっても大丈夫かどうかの見定めは、かなり前から試してきております。実は、ここ東所沢において、すでにこれまでの間、中3生以外は極力私たちが手を加えないよう、時間講師の方たちに授業のほとんどを任せておりました。私たちがその授業を見回り、授業後に事細かに助言を加え、育てていく。生徒たちに対しては、私たちが、授業外で接しつつ、考え方や物の見方などを伝えていく。『意識を育てていければ、知識は私たちでなくても事足りる』そのような形で回るように、むしろそういう形の方が回るように。とはいえ、人がまた重要な要素であることは言うまでも無く、間違いないことです。現在、まるで弟子のように、私たちのそれぞれの下で、懸命に学んでいる時間講師が、総勢11人おります。(中央大学・獨協大学・東京大学・筑波大学・明治大学・津田塾大学・大東文化大学・専修大学・立教大学・東京学芸大学)私たち3人も含めると、この校舎ひとつで、講師が14名もいることになります。集団授業の塾なのにですよ。ちょっとした私立中学校よりも多いかもしれません。そうやって多くの人材を育ててきております。(彼らの仕事に対する意識は本当にすばらしいのだと思います。よく育ってくれているのでしょう。当たり前だと思ってはいたものの、最近は見改めるようにしています(笑)。そのきっかけ⇒ここ)最後に、私たちの塾の教務的な最大の特長は、人ではなく、人よりも強力な「校風」で生徒を育てることにあります。それがうまく軌道に乗っている。それこそが、私たちの塾がここまで驚異的な実績を挙げられる所以でしょう。個人の力量にさほど差異は無いと思うからです。(最近、塾によってはヒドイところもあるのかなと思うようになりましたが)とすれば、むしろ気に病むのは新校舎の方。この校風を一から作り上げなければならないのです。そのために必要なパワー。離陸に要するものすごいパワーを生み出すために、3枚の内の2枚を、新校舎に配属することに決めたのです。確かに、創業のメンバー3人の内の2人が抜けるのですから、影響が全くないかといえば、それはないでしょう。しかし、校舎が二つになることによるメリットもまた生まれると思います。たとえば、依存心が薄れることによって生まれる力とか、前回の記事でも書きましたように、これまで持っていた「自信」に「不安」が加わることによる力とか。影響をむしろプラスに変えられるよう、一層の努力をしてまいりますので、どうかご安心ください。(ただ、卒塾生は3人に会うのに2校舎を回らなきゃならないから大変かもね・・・)
2007.11.30
今日から、人材採用の第2ステージ「筆記試験」に突入する。これまで、幾人もの応募をいただき面接を行ってきた。経歴はおおよそ「塾講師」「学校教員」「大学生」の3パターン。その中でも、やはり塾講師が一番多い。正社員の採用は、今回始めての試みだったので、慎重に模索しながらここまでやってきた。年内には決めたいと考えている。さて、うちの塾にどんな人材が加わってもらいたいか。これを考えると自然と顔がニヤけてしまう。○○な人が加わったら・・・△△な人が加わったら・・・浮かぶのはいいイメージばかり(笑)。そんな中でも今一番ニヤけるのが、『ガシガシ系の生粋の教務』。これは、今までのうちの塾にないキャラクターだ。「頭」より「心」、「知識」より「意識」に主眼を置き、宿題などの強制力を極力用いず、ガシガシやらずとも自ずと成績がついてくる、将来に活きる、まさに骨太の教育を目指し、今までやってきた。そのためには、どうしたって時間が必要。では、どうやって時間を確保するか。そうして、当時としてはまさに涙を呑んで定員を敷き、多くの方々のありがたい入塾のご希望をお断りしてまで、長期で教育を行えるシステム作りをしてきた。そんな我々の塾に、教務一本でやってきた職人気質な先生がやってきたらどうなるだろうか。もしかしたら不協和音が生まれ、上手くいかないかもしれない。でも、なんかすんごいモノが生まれそうな気もする。とりあえず、今はただワクワクしている。あ!もう行かなきゃ。では、行ってまいります。
2007.11.12
ずっと悩んでいることがある。もう何年になるだろう。。。現在のところ、うちの塾では入塾時の選抜は行っておらず、完全に先着順を貫いている。それは、僕が憧れる松下村塾が、なんら選抜を行わなかったこと、そして、それゆえに、様々な人間が集まり、それぞれの個性をぶつけ合うことで個性を伸ばしていった、ということを本から知り、せめてそこくらいは真似をしたいと思ったから。しかし、もう1つの憧れの形。武蔵中学高校は、しっかり選抜し、同種の人間を集めることによって、優秀な人材を輩出し続けている。いや、武蔵だけではない。日本のすべての学校が何らかの選抜をしている。成績は関係なし、先着順で集まったメンバーは、性格から意欲から本当にバラバラで、それを上手く活かすことができれば、きっと同タイプの人間だけ集めるよりも、きっとすばらしい教育ができるんじゃないかと思う。なぜって、世の中にはいろいろな人間がいて、その中で自分を活かせる人が、きっと成功するのだと思うから。同種のメンバーでは絶対に磨けない「何か」が、そこにはあるのだと思う。しかし、それを僕らは活かせるのか?活かせているのか?そもそも、松下村塾は松陰先生だからこそ、それができたわけで、僕らにそんな力はないのだから、武蔵のようにした方が間違いないのではないか。ありがたいことに、年々、地域の方々からの評価が高まっている。とてもうれしい。だからこそ、その期待には絶対に応えられなければいけない!もっと具体的に書こう。(わかりにくいから)年々、生徒が志望する高校のレベルが上がっている。レベルの高い高校を志望する生徒が増える、それ自体は問題ない。生徒はそれに見合う意欲、意識を持ち合わせているのだから。問題は、入塾する生徒の中には、当然ながらそうではない生徒もいるということ。そう、意識の差が激しくなってきているのだ。学力の差ではない。そんなのはこちら側の働きかけ次第。しかし、意識の差は違う。なぜって、みんながみんな上位3%しか行けないような最難関校を目指す必要なんてないのだから。意識の差は変える必要なんてないのだ。変えようとするなんておこがましい!僕らにそんな権利はない。みんながみんな大学に行きたいわけではない。大学へ行くことがすばらしいことではない。困ったね。たとえば、学力テストをするんじゃなくて、進学校を志望する生徒限定にするとか、将来、難関大学進学を志望している人に限るとか、なんらかのラインを引くべきなんだろうか。でもなぁ・・・そうではない生徒が、あるとき爆発的に伸びて、考え方から何から劇的に変わるなんて事、今までもいくつかあるんだよな。そもそも、うちの時間講師Kなんて、その典型だし。。。全員の志望を叶えてあげるためには、どうしたらよいのか。答えはまだ出ない。【 補足 】うちの塾では、学力別クラス分けを、原則行いません。理由は、武蔵の先生もおっしゃられていましたが、一度クラスを分けてしまうと、それが固定化するから。余計なコンプレックスも与えたくはないですし。そもそも学力別で分けるくらいなら、入塾時点で選抜します。3年生になると、やむを得ずに「選抜」と「普通」分けますが、その際も、単純に学力だけでは分けません。意識、意欲も考慮します。ちなみに、昨年の偏差値1位は普通クラスの生徒でした。【 さらに補足 】以前、ある方に『学力が高くなれば、誰だって大学進学したいと思うだろ。』と言われたことがあるのですが、少なくともうちではそうも限りません。偏差値70オーバーで、工業高校を志望する生徒(結果的に自衛隊へ入隊)や、通知表オール4以上で商業高校へ進学した生徒。今年も、偏差値67で総合科へ志望している生徒がいます。
2007.10.22
他の塾の方からは驚かれると思いますが・・・同志3人それぞれが担当する科目に対し、口を出すことは、今までほとんどありませんでした。そう、担当する科目には、それぞれが誇りを持って『仕事』に当たる。お互いが仲間であり、ライバルである。そんな関係で今までやってきました。もちろん、「教育」という大きな視点での話は、3人で、それこそ毎日のようにしています。しかし、目指すべき方向は一緒でも、そこに至るまでの道筋については、今まで話し合うことがなかったのです。それこそ『聖域』(笑)。それぞれに、時間講師が部下(弟子?)のような形でついて、「英語課」「算数・数学課」「国語課」を形成している。そんな体制で今までやってきておりました。しかし、来春には新校舎を新所沢に開校します。当然、時間講師も増やさなければなりませんし(というより、今すでに採用して研修中)、正社員も採用することになります(← まだまだ納得いかず面接継続中)。「今までのような形ではいけないのではないか」そういう思いから、今日、初めての各科交流会、「職員ミーティング」を行いました。いやいや、これがこんなにも実りのあるものになろうとは!こんなにも指導法って違ったんですね(笑)。想像以上に勉強になりました。学ぶべき場所は、外だけとは限らない。内にも、こんなにすばらしい実践者がいたとは、今まで気がつきませんでした。「灯台下暗し」を感じた一日でした。 応援してくださる方はクリックしてくださいね。
2007.10.14
うちの生徒たちはすばらしい子たちが多い、と思う。実際、時間講師たちにもそう言われる。理由はどこにあるのだろう?ふと、考えてみた。「定員制だから」「3年間一貫で教えることができるから」『いやいや、そこではないよ』そう、諸先生方から言われてしまう。では、何だと?『入塾希望される人たちが、最初からすばらしい人たちばかりになるようにしているんだよ』いやいや、うちは入塾テストなどもしてませんし、完全先着順ですよ!!そんなやり取りを先日、ある塾ブロガーの方とした。先日、「新校舎ができたら、そちらの方で入塾を考えているので、資料をお送りください」との電話をくださった方に、資料を送付させていただいたのだが、今日、その方からFAXで丁寧な礼状が届いていた。資料をお送りして、感謝の電話を頂いたことは今までもあるが、礼状をいただけたことは初めて。言われてみれば、図らずもすばらしい保護者の方々に愛していただける塾にいつのまにかなっているのかもしれない。保護者の方々の人となりが、図らずもすばらしい方達ばかりになっているからそのお子さんたちの学力も実績も伸びていっているだけなのかもしれない。そう、保護者の方々がすばらしい方々ばかりだから、たまたま、みんながみんな偏差値が上がっていっているだけなのかも知れない。そう、もしかしたら、こんなにもすばらしい結果が残せていても、僕らの手腕である部分は実は少ないのかもしれない。いただいたFAXを手に、ふとそう思った。
2007.10.02
校舎の内装は相方の1人、Tに任せてあるのだが、なかなかおもしろい図面ができあがってきている。金額はちょっと張りそうだが、やはり最高のものを用意したいので、そこは気にせず、追及して行こうと思う。そして、経理・事務・人事育成面については、もう一人の相方である、Kが担当。最近、ちょっと彼もハードワーカー気味。手伝いたいのだが、そう言うと、「塾長は塾長のお仕事をされてください。ここは私が責任を持ってやり遂げますから」と言われてしまう。正直なところ、今までは3人の中で一番、仕事のことを考え、動いている自信があった。(あくまで自負していただけかもしれないけどね)しかし、ここ最近は僕が一番動いていないような・・・まぁ、きっといい感じなんだろうな、こういう状態が。うん、そう思うことにしよう。さて、昨日、今日とで、2つの大きなことが先に進んだ。HPとロゴだ。ロゴは結局どれがいいのか、どのデザイナーさんに案を出していただいても、絵心無い僕らには皆目見当もつかず、結局、10数人のデザイナーを一同に介して、それぞれの案を出し合うという「コンペ」を、開催費をかけて行って、多くの中から比較検討することにした。ちょうど昨日、その作品が出揃ったので、生徒にも意見を聞きながら、現在も比較検討中。。。あ~だ、こ~だと予想以上に盛り上がった。やはりこういう時の女性の感覚はすばらしいね!選んだ後に修正を重ねていくのだが、きっとすばらしいロゴになると思う。次にHP。今のところは作成における日程調整の段階。まだまだ作成自体には入っていないのでなんとも言えないが、これもデザイナーに入ってもらって、フル・オリジナルで作成を依頼した。きっとすばらしいものができると思う。それにしても、僕の仕事は遅いなぁ業者に急かされ急かされやっと動くという感じ。やっぱり頭に浮かぶのは生徒のことばかり。生粋の教師、と言えば聞こえはいいが・・・。さて、目下のところ残る僕の大きな仕事は、人事採用。そう、時間講師もさることながら、もっとはるかに重要な正社員採用だ。今までも多くの方と面接してきたのだが、どうも僕の目は厳し過ぎるらしい。。。先日も、顧問税理士の先生に諭されてしまったでもな。。。ここは1ミリたりとも譲れないんだよなぁ。いい人に出会わないだろうか。「我こそは!」という志ある方、どうかご連絡を!
2007.09.21
最近、私立高校情報を掲載できないままにいる。『私立ソムリエ』としては、なんとも不満。先日の会にて、埼玉のある先生から「先生の情報の量と質はどこから来るのですか?私は先生のブログで入試の仕組みを学んだくらいですから」と、おっしゃっていただいた。俄然やる気が出てきた!(笑)やっぱり情報は独り占めしてはいけないね。どんどん流さないと腐っていっちゃうから。私立高校へは、ほぼ毎日、うちの誰かが行っている。情報は貯まっていくばかりだ。よし、明日には書こう!・・・と、これだけでは、あまりに中身のない記事。というわけで、塾関係者の方々に僕のやり方の1つを明かします。今日、「城西大学付属城西高校」へ行ってきました。会の終了後、僕は教頭先生のところへご挨拶、そして意見交換。その後、教務部長の先生に校内を案内してもらうようお願いして、生徒たちの日常を見て回らせていただいた。2人っきりで校内を歩きながら、様々な話をする。最後には、名前も覚えてもらえているし、会話の中の言葉によそよそしさも消えている。そんなやり取りからもらえる裏情報なんかもなかなかおもしろい。ちなみに、会が終了したのは13時。集まった塾関係者は100人はくだらない。でも、会の終了後、そんなこんなで14時過ぎまで残っていたのは、僕だけだった。どこの説明会でもそうだが、なぜもっと耳を傾けないのだろう。ひどい人になると、会場に来て寝ていたりする。遅刻してきて、会が終わる前に帰る人もいる。ぼ~っとして何にもメモを取っていない人なんてかなり多い。これが授業で、僕らが生徒だったとしたら、なんとも恥ずかしい光景。せっかく行くんですよ。上司に言われ嫌々かもしれない。でも、行ったからには貪欲に吸収しましょうよ。もったいないですよ、時間と機会が。相手も聞けば聞くほど、うれしくなって話してくれたりするもんです。もちろん、そうじゃない先生もいます。でもその時は素直に笑顔で引けばいいんです。僕はそうやって、私立の先生方と交流してきました。だから、今があるのだと思います。ちなみに、今日初めてお会いした教務部長の先生。僕の帰り際に、満面の笑顔で「こんなにいろいろと聞いてくださってうれしかったです。これからもよろしくお願いしますね」そうおっしゃってくださった。
2007.09.12
今、テレビでやっていた。日本一休みの多い会社の休みの日数は、年間160日だそうだ。。。へぇ~(日本一、奪取しようかな?)
2007.08.21
ふと考えた。やっぱり、校舎はすばらしければ、すばらしいほど、生徒も居心地いいんじゃないかな。誇らしげに思ってくれるんじゃないかな。『校舎なんかよくなくったって、講師がよければ!』僕もそう思っちゃうけど。先生って、いわば職人だから、その職務にストイックであればあるほど、そう思うんだろうな、よ~くわかる。でもね、私立高校で公立よりもキレイじゃない高校ってないじゃん。私立だって、公立に負けない教務力!って誇りを持ってやっていると思う。それでも、そこだけに安住しないじゃん。そう、少なくともキレイに超したことはない。それに、やると決めたら最善を尽くすべし!これは昔読んだ本に書いてあった。100%の力でやるのと、99%の力でやるのとでは、その経験から得るモノの質が何十倍も異なるからだそうだ。・・・・・・校舎のデザインを、プロのデザイナーに任せたら、いったいいくらくらい上積みになるんだろう???うん! 生徒のために、できる範囲で最高のモノを用意してあげる、そんな気持ちを忘れてはいけない。と、いうことで、早速10社くらいに見積もり依頼送信!どんな結果が返ってくるのか、期待
2007.08.11
塾は非常に魅力ある職種だと思う。性格的には私学と同じ、次世代を担う世代に、自分が信じる教育を施すことができる。もちろん、たいていの場合は規模が異なるが。。。でも、その教育方針が支持されれば、学校さえも凌ぐ規模にだってなり得るだろう。河合塾や代ゼミなんて、私学よりも規模がはるかに大きいしね。塾の最大の魅力。それは、自分の想うままの学校が創れてしまうことにある。しかも、それが世間に認められて、応援されるようなものであれば、できる幅はそれこそ無限に広がる。学校すら凌ぐ、最高の教育施設を揃えることだって決して夢ではない。その可能性が、自分の腕ひとつで実現できうるのだ。さらに、自分の想いを伝えた生徒たちが、自分を通じて、まるでネットのように繋がっていく。それぞれが社会にちらばり、社会の中の要職に就くようになるだろう。そうなれば、それこそ、松下村塾のように一大ムーブメントを起こすことさえ可能だ。例えば、教え子Aが会社を立ち上げたとする。そのAが、法務関係で悩みがあったとしよう。その時に、Aから相談を受けた僕が、教え子の中にいるであろう弁護士になった教え子Bと繋げる。例えば、教え子Cの奥さんが入院したとする。その時に相談を受けた僕が、教え子の中にいるであろう医者になったDを紹介する。これはわかりやすい簡単な例で、想像を膨らませれば、いくらでも可能性は広がる。本来なら学校がこんな役割を持ってもいいと思うのだが、一部の名門校を除き、そんな繋がりはない。もったいないと思う。うん、話が逸れた(笑)しかし、それほどまでに魅力ある業種でありながらも残念ながら世間での評価は往々にして低い。将来なりたい職業に、学校の先生は必ずと言っていいほど挙げられるが、塾の先生は聞いたことがない。生徒の口から、「塾の先生になりたい!」という声はかなり聞くのに。それは多分、その子の両親ないし周囲の大人が、反対するか、もしくは賛成しないか、どちらにしろ微妙な表情をするからだと思う。では、なぜ大人の方たちから評価されないのか。昔のイメージである、「教え込み主義」「使えない受験テクニック」などを筆頭に、そもそもあまりいいイメージがないと言うのもあるだろうが、それよりも大きいのは、やはり待遇が悪いからではないか。言い換えれば、塾の先生に、うらやましがられる人が世の中にいなさすぎるからではないか。うらやましがられるという表現が、いかにも低俗で、そういう発想は仕事を選ぶ上でしたくはないが、世間一般の方の目を冷静に判断するなら、きっとそういうことなのだろうと思う。確かに、一般的に塾の先生の待遇は決してよくはない。休みはないし、勤務時間は長い。年々年を取る分、技術を上げていかなければ、すぐに若手にその座を奪われるという、まるでプロスポーツ選手のような世界にもかかわらず、報酬は世間一般的な業種に比べても安い。さらに女性の場合、夜の仕事のため、結婚、出産後も続けていくことはかなり厳しい。これでは、学校教員とあまりに待遇面で差がありすぎる。仕事内容は大きく捉えればそんなに変わらないのだから、「塾の先生になるくらいなら学校教員になればいいじゃん」と言われてしまえば、それまでだ。だから有能な人材が塾には集まりにくい。しかし、それではいつまで経っても、塾の評価は上がりゃあしない。ずっとずっと未来永劫、学校の後塵を拝したままだ。塾の起源は、学校よりも古く、室町さらには鎌倉期にまで遡るというのに。ここから本題!(長くなりました)うちの塾では世間一般にうらやましがられるほどの待遇を用意したいと思う。報酬も休暇も、他業種にはないくらいにいっぱいあげたい。現時点では、報酬はうらやましいと思われるくらいにまであげられないかも知れないが、休暇はめいいっぱいあげたい。それで回るのかって?それで回るように今までやってきたんだ。まだ立ち上げて間もない頃から、そうやってきた。休みを多くして自分を磨く時間を与える。作業を減らす分、仕事の質を上げる。それで今までやってきたんだ。夏休みも、春休みも、冬休みも作った。GW、お盆、正月などの連休も完全休み。完全週休二日。残業なし。その代わり、自分を磨く努力を怠らないで欲しい。子どもが憧れるような、そんな大人になる努力をしない者には、容赦なく、去ってもらう。それが、うちの塾の、会社としての将来像。自分が目指す理想の塾は、生徒にとってだけではなく、講師にもそうでなければならない。自分が通いたいと思う塾であり、自分が働いたきたいと思う塾。そのための、今を創っている。
2007.08.10
校舎も確定し、今や、人事面の充実は最優先課題だ。卒業生を中心とした、うちの時間講師陣は、どこに出しても誇れるほどの質をそろえていると思う。なにせ、うちの教え子たちだ。生徒に教える際のスタートが、外から入ってきた人たちとは違う。授業テクニックよりも、どう育てたいか、どんな高校生になってもらいたいかが先に来る。「わかりやすい授業」よりも、「自分の将来にわくわくする授業」というのが、うちの塾の授業の評価基準だ。もちろん大学生である時間講師には、僕らのような社会との接点は少ない。だから彼らに求めているのは、「大学までで出会った尊敬できる人」の話。こんな人はすばらしい、を連呼して欲しいと伝えている。さぁ、そこで採用活動の話に戻る。求めているのは時間講師の上に立つ、将来の教室長候補。そう、正社員だ。明日は、某中堅学習塾の講師である、ある方と面接がある。同業他社に転職をしたいと考えているそうだ。学歴は申し分ない。東京外語大学卒で英語はもちろん、中国語も堪能。中国への留学経験もあり、ピアノやボートなど趣味も多い。大学卒業後、NTTに就職。しかし、教育に対する想いを捨てきれず塾業界に転進したという。このブログを見てくれているようなので、その上での応募であればうれしい。しかし、そこでふと考えるのは、『同業他社の普通と、うちの普通』僕が知っている大手塾では、講師の授業に対する物差しは「わかりやすいかどうか」「点数が上がるかどうか」が、まず最初の基準で、そこから先に、「人気があるかどうか」「友達を連れてくるかどうか」と、求められるレベルが上がっていく。最終的には、教室長として「生徒を増やす塾」を求められ、入塾させるノウハウやら、退塾を引き止めるノウハウやらを与えられて、あたかも営業マンのように保護者を口説く技術の構築に余念が無い。そんな感じだった。すべての大手がそうだとは言わないが、そんな塾が相当数に上るというのはほぼ間違いない。でも、彼女にとってもそれが当たり前になっているとすると、うちではやっていけないだろう。うちの授業の基準は、前述の「自分の将来にわくわくする授業」である。成績が上がろうが上がるまいが、生徒が自ら進みたい道、将来像を描くようになってくれるなら、そちらの方が評価が高い。自分が進みたい道へ進むために必要な能力を身につければよいのだ。みんながみんな進学校へ!なんてのはいかがなものだろうか。世の中にはいろいろな職種があり、どの職業も社会には無くてはならないものだろう。みんながみんなピッチャーがやりたい、フォワードがやりたい、では、チームはまとまりゃしない。どのポジションもチームを構成する上では大事な役割だ。確かに人気、不人気はある。世間の評価として、厳しそう、楽そうもある。でも、みんな無くてはならないポジションだ。自分のポジションを好きになって欲しい。自分のポジションに誇りを持って欲しい。自分のポジションで結果を出そう。最善を尽くそう。そのためには、自分を好きになってもらわないといけない。自分に誇りを持ってもらわないといけない。そして、自分の欲しいものを奪れるよう、最善を尽くせるようでなくてはならない。そんな風に子どもを導いてくれる先生が欲しい。ただ闇雲に点数を取らせることに力を偏らせるような方は、うちには合わない。生徒の志望を差し置いて、進学先を意識する方は、うちには合わない。点数は、少なくともうちでは物差しにはならない。生徒自身に欲しいモノを見つけさせて、生徒が欲しいモノ(点数・志望校合格etc.)を奪れるようサポートしてくれる人が来てくれればいいと願っている。
2007.08.10
昨日、ついにテナントの仮契約を済ましてきた!これで決定!来春開校だ。元労金だった場所なので、すばらしく綺麗!建物丸ごと一棟!入り口は自動ドア!!講師が宿泊できるような和室もある!(笑)かなり高い物件だったが、施設面でも最高の形をそろえたいので踏み切った!次は内装。私立のマネをして、より集中できる環境作りを目指す。特に照明や空調にはこだわりたい。新校舎の場所は、同じ所沢市内といえど離れている。東所沢での評価が偽りではないことを示すためにも、圧倒的な勢いを伝えたいと思う『勢い』これは周囲に伝播するもの。職員のみならず、生徒にも。すべてにおいてプラスに働くこのエネルギー、ご縁のある方々にビシビシ伝えていきたい。※ 新校舎は、新所沢駅徒歩6分。Book Offの隣です。
2007.08.07
最近、また無性に本を読みたくなってきている。先月だっただろうか、先輩が貸してくれた本が、ものすごく良かったので軽い興奮状態にあるのだろう。その借りた本はもう何度も読み返し、ボロボロになってしまったので、先ほどパルコで購入しなおした。そのついでに、他の本も見てみようと、書店内をぶらついてみた。いつも思うが、本というものは数がものすごい!!この中で手に取られる、ただそれだけでも、かなり希少だ。そこに至らせるまでの様々なテクニックが、この業界には溢れているのだろうな。それでもやはり目にすら留まらない本もある。どれだけ内容が良くても、だ。そう考えると、本屋はものすごく勉強になる。書店全体がひとつの業界で、その中の本、一冊一冊が会社。そう考えると、学ぶべきことがたくさん!そう、選ばれなくては意味がない。いくら中身が良くても!う~ん。。。やはり、中身は次のステップ、最初のステップとは分けて考えなきゃいけないんだな。思えば、初めて塾を開いたとき。中身が良ければ評価が付いてくる!と磨きに磨きをかけてきたが、実際に評価が地域の方々に浸透するまでに、約5年を要した。今度、新校舎を開校したときも5年かかるようでは成長がない(苦笑)。評価されなければ、資本力が付いてこない。資本力があれば、中身をより加速度的に磨くことができるようになる。これを忘れないようにしないとね。
2007.07.18
ロゴロゴタイプ(logotype)の略。・・・会社名・商品名・タイトル名など、文字を組み合わせて個性的な書体に図案化したもの。恥ずかしながら芸術とは無縁の世界に生きてきたもので、まっっったくと言っていいほど、その知識、感覚ともに自信がない。そんな僕が、「ロゴとは」なんて考えることになろうとは。悩む。。。とりあえず、いろいろな会社のロゴを、HP越しに見て回る。どれも違うが、どれもいい(ような気がする)。ますますもってわからなくなる。あ!なぜこんなことになっているかと言いますと、実は、校舎展開に当たり、ロゴマークを作ろうと思ったんですね。そこで、ある会社に依頼したのですが、そこのデザイナーさんとのヒアリングの中で、「思いつく限りのイメージ」や「いいなと思ったロゴ」など、とにかく何でも伝えてくれとおっしゃられるんですね。そんなこと言われても(^_^;)でも、言われてみれば、いきなり「いいの作って」なんて言われても、デザイナーさんも困るわけで。そうか、いや勉強不足でした。まずはイメージを持ってないといけないわけですね。そこで、塾から帰り次第すぐにロゴの勉強を始めたというわけです。しかし。。。わからん(-_-;)困った。そもそも、こんなに悩んでそれほど違いはあるのだろうか、なんて考え出してきてしまった。ダメだ。うん、寝よう。はぁ、でも次の期日が迫る。。。
2007.07.11
今日もテナント探し。住居とは違い、絶対数が格段に少ない分、なかなか満足する物件はない。2校舎目は、8年前の創立期とは違い、資金的な余裕が幾分かある。資金力の差、ハード面に手を抜かざるを得ないのが一般的な個人塾のマイナス面だとされているのだとすれば、今回はハード面も、大手に負けないものを揃えたいな、と思う。だって、選んでくれた生徒や保護者が自慢できる塾ってやっぱりいいじゃない?うちらの腕も、そりゃ自慢してくれているんだろうけど、それ以外の面でも、生徒にとって、もっと、もっと自慢の塾でありたいもん。そういう意味で、誰が見たって「すごいなぁ」って言ってもらえる、ハード面の充実には、目を向けていたい。さて、そこで今、テナント探しと同時進行で考えているのが『ロゴ』今の看板デザインは、創立当初に適当に自分らで作ったもの。そこで今回を機に、プロの業者に頼んで作ってもらおうかと思っている。さて、どんなものができるのか、こう、ご期待!!
2007.06.24
先ほど、同じ塾業界の友人と電話でお話。いろいろと話した内容の中に、ひとつ疑問に思ったことが。。。うちの塾は、中学3年間、途中退塾が出ない限り、同じメンバーで勉強していく。以前にも書いたが、イメージは『公立の、のんびり自由な環境の中にいながら、私立のような特化した教育、競い磨き合う仲間をも持つことができる。』そんな環境。長期的な視点で考えることができるという、他にはない利点を最大限に活かし、名門私立校並みの人格教育、言い換えれば、社会の役に立つ人になるという想いを、頭の中に植えつける教育を行いたい。社会の役に立ちたいという想いが、成長したいと思う土壌になるのではないか。成長したい、役立ちたいという想いが備われば、成績なんてもんは、いつのまにか付いてくる。大事なのは成績か?いや違う、よい成績をとる心ではないのか?そう考えたから。とは言え、どれだけ想いが崇高であっても、実際の結果が伴わなければ、説得力は欠片もない。社会の役に立つ大人になろうと、向上心を持った中学生に育っているなら、中学校レベルの勉強が、メチャクチャできる必要はないにせよそこそこはできて当然だろうから。そして、結果はやはりものすごいものになったと思う。がんばれる子に、全員が、とは残念ながら言えないかも知れないが、なってくれたと思う。平均偏差値が61.8これは、それぞれが目標を持ってがんばったという1つの指標になると思っている。さて、前置きは長くなったが、電話で浮かんだ疑問。『遠くの駅からも、生徒が集まる理由、ウィルでなくてはダメな理由は何なのか?』という、彼の質問に、僕はこういう環境と実績(この場合、平均偏差値)を上げたのだが、彼曰く、「それは保護者にとってみれば、よくわからない指標なのではないか」「61.8は、同業者から見れば凄いかもしれないが、すでに偏差値61.8以上ある生徒の保護者から見れば、魅力にはなっていないのではないか」というのだ。確かに。。。(-_-;)計算すれば、この平均偏差値がどれだけすごいことか、わかってもらえると思う。61.8ということは、50.0が1人いれば、73.6が1人いなければならないことになる。実際には、偏差値60に満たない生徒が3分の1くらいはいただろうか。(偏差値55以下は2人だけだったが)ということは、上位層がどのくらいなのか、計算すれば、想像するに難しくはないだろう。しかし、こうやって言われてみると、確かにそんな計算をしてくれる保護者はどれほどいるのか。恥ずかしながら、この業界に僕がいなければ、たぶん計算してないような気がする(^_^;)。そればかりか、もし自分が中学生だったら、61.8を聞いて「自分の偏差値より低いな」なんて思って、魅力なんて感じないかもしれない。う~ん。。。では、なぜうちの塾をこんなにも評価してくださっているのだろう。わからなくなってきた。
2007.06.14
最近思う。リーダーシップって何だ?僕は最近、リーダーシップがあると言われるようになった。まるで最初からそんな才能があったかのように言われる。しかし、そんなことは絶対にない。小学校の頃も、中学校の頃も、高校の頃も、大学の頃も、人を引っ張っていくような経験をした事は思い当たらない。人の輪の中の中心にいることもあるにはあったが、それよりは、どちらかというと数人と一緒に和気藹々、誰がリーダーって事もなくやっていることの方が断然多かったし、その方が心地よかった。そんな僕が、塾を創りたいと思った。さて、どんなメンバーでやろうかと考えた時に、自分が心地よいメンバーでやろうとは微塵も考えなかった。自分が思い描く最高の教育現場を想像し、そこに必要な人たち、それを思い浮かべた。それが今の2人、KとTだった。ちなみに、彼ら2人とは当時、特別に仲がよかったわけではない。Kとは、高校時代からの大事な友人ではあったが、彼は当時、北海道。僕は、東京だったので、高校卒業後に会ったのは数回だったろう。Tとは、バイト先の後輩ではあったが、プライベートで遊ぶようなことはなかった。ちなみに、自分で言うのもなんだが、僕は友人はかなり多い方だと思う。(学生時代、長所は友人の数と言っていた位だから)しかし、彼らは僕の人生の中で出会った多くの人たちの中でも、ひときわ目立つ能力を持っていた。だからこそ、彼らに頼み込んだ。「一緒に塾をやらないか」能力の高い2人と仕事をするということは、僕にとって想像以上の緊張感だった。ましてや、言い出しの僕は「代表」だ。情けない仕事振りでは、2人に愛想をつかされてしまいかねない。必死に、勉強した。本も読み漁った。シャワーを浴びている時も、トイレに入っている時も、いっぱいいっぱい考えた。友人と飲んでいる最中も、彼女とデートしている時でさえ、頭の中から離したことはない。とにかく24時間ずっと頭を使った。能力が足りない分は、時間で補わなければならない。そう信じていた。これは今でも変わらない。最近やっと2人を引き抜いた責任を多少なりとも、埋められているかなと感じ始めたが、それでもまだまだ息は抜けない。緊張感はいつもある。愛想をつかされてしまう恐怖がいつもある。でも、だからこそ必死に勉強できる。そう、高いレベルの人と一緒に仕事をすると、緊張感が自分を強くしてくれるのだ。緊張感を与えてくれるのは何も二人だけではない。保護者の方や、生徒たちの、「こうして欲しい」「こうなりたい」の声もそうだ。期待されることから生まれる緊張感。これもまた、僕の力になる。そうやって、周囲の期待に応えようと、決して期待を裏切るまいと、必死に日々過ごしてきた。勘違いしないで欲しい。この緊張感が、僕の日々をより充実なものに変えてくれたのだ。この緊張感なくしては僕はここまで強くなれなかったのだ。そして、いつの間にか周りの方々から、リーダーシップがあると言われるようになった。立場が僕を育ててくれた。環境が僕を育ててくれた。友が僕を育ててくれた。周囲の人たちの期待が僕を育ててくれた。これは何も僕だけに限ったことではないだろう。人間、自分をどこに置くかだと思う。ぬるま湯では、何も変わらない。変化がないのは、停滞ではない。後退だと思う。僕は、進みたい。成長したい。人に期待される人間でありたい。そう思う。
2007.05.17
新校舎について、どのような人事配置を敷くべきか。そして、そのために必要な人材の育成と確保。昨年から少しずつ取り組んできたことではあるが、どこまでやっても、決して満足のいかない部分であるために、どうしてもより多く、より高くを求めてしまう。昨日は、新校舎を任せる予定である、創立当初からの同志T先生と、その部下である講師Sとで、かなり深い話し合いが、深夜に渡るまで行われたよう。少しだけ、悩むSと事前に会話を交わしたが、要約すると、仕事を始めて1年経つが、他の先生方と比較して、いまだ自分が「教科を教えることはできても、人生を教えることができない」ことに悩んでいるのだそうだ。数学を教えるだけに留まらず、その先に何を見させるか。そのために数学というツールをどういうように用いていけばいいのか。こういった話し合いが、昨夜、TとSの間で行われたはずである。実は、僕もメチャクチャ参加したかったのだが、遠慮したので詳細はわからない。詳しい話はもう少し時間を置いてから、聞いてみよっと。でも、講師同士が考えをぶつけ合って、お互いを高め合っていくなんて、なんてすばらしい!うちの数学科は熱いね。英語科もこうなっていかないとな。
2007.05.16
今日、以前にこのブログを見て問い合わせ下さった方が、遠く小手指から車で、体験授業を受けに来てくださった。新所沢に来年、新校舎を開校するとの記事を見て、開校した際に、万が一にも入塾できないなんてことがないよう、事前に予約をと、わざわざ足を運んでくださったのだ。注:東所沢校では「予約」はお断りさせていただいております。うれしい以前にも、「新所沢に校舎ができた際には連絡をください」と言ったコメントを、このブログにいただいたことがある。また、新所沢に住んでいる僕の友人の仕事先でも、うちの塾の広告を見て、「入塾したい!」と言ってくれている方が数人いるそうだ。本当かただの社交辞令かは知らないが、東所沢での噂を聞いているという方もいらっしゃるらしい。なんと幸せなことか!さらに、『この期待には何が何でも応えないといけない。』といった空気が当塾の中に広がっていっている。いい循環だ。講師全体のスキルが底上げされていく。ありがとうございます。僕たちは皆さんのおかげで、こうやって成長していけるのです。P.S 今日来てくれた君へ。いやぁ、今日はよく頑張って考え抜いた!こんなに考えられる子はそうはいない。ね、考えるって楽しいでしょ?こんな感じでやっていけば絶対に大丈夫だから。何百人も子どもを見てきたオレが言うんだから間違いない!君はすばらしい!!
2007.05.09
あ!急に思い出した。これから塾を始める方へのアドバイス。「どうしてもこのテナントがいい!」という場所を見つけた。しかし、予算が見合わない。なかなかしっくりくるテナントなどないですからね、そうあきらめきれないところ。そんな時に相談だけでもしてみるといい所が、不動産鑑定士。僕はこれでかなり家賃を抑えられましたよ。相談だけなら無料ですし、一度、行ってみてはいかがですか?すばらしい塾を創ってくださいね。
2007.05.05
今日は休みだったのだが、某私立高校の教頭先生に呼ばれ、僕の昔、勤めていた塾の先輩である塾経営者のお二人と訪問。11時から15時過ぎに渡り、いろいろとおもしろい話を聞かせてもらった。(教頭先生お二方とも、職員会議があったようだが、大丈夫だったのだろうか???)話は主に、入試や学校経営についてだったが、個人的には、今回お会いした校長、教頭、教頭の三人の役回り、組織体系に学ぶこと、気づきが多かった。それにしても、私立高校の経営ならびに教育方針はいつもながら学ぶことが多い。今回、僕の敬愛する先輩塾長と話すことによって、改めて自分の目指す方向性が明確になったのだが、やはり僕の目指す塾の形態は、私学にこそある。たとえば、進学実績に対する捉え方。どこの塾も進学実績を謳ってはいるが、その実績が、イコール、その塾の教務力を指すとは、ちょっと考えにくい。しかし、高校の場合はそうではない。高校の進学実績は、ほぼ間違いなくその学校の教務力を表している。その違いはどこにあるか?それは、高校が3年間、ある一定のレベルの生徒を教えているのに対し、塾は、生徒のレベルも、指導期間も、年によりまちまちだからである。よくある話で、オール5に近い優秀な生徒が、中3の夏頃に、ある塾に入会して、川越女子高校に進学。これは、塾の指導力に関係ないだろう。(これは、以前うちの時間講師をやってくれていたHさんの例)また2、3年前、地元の小さな個人塾の広告に、「少数精鋭!こんなに少ない生徒数で、川越高校に合格!(1名)」という見出しで、大きく取り扱っていたが、塾生曰く、その生徒は冬頃入塾して、前期(当時は筆記無し)で合格したそうで、元々、中学でも有名なくらいの生徒だったという例もある。塾ではこういうケースが十分にありえるのだ。特に母数が少ない個人塾ではその比率は大きくなる。その年の生徒の層で進学実績が大きく変動する「塾」では、「高校」のように、実績で教務力を評価することはできない。高校は、あくまで同じ生徒の層を集めての3年間指導。それを何期にも渡り続いているからこそ、進学先を教務力の高さに結び付けられるのだ。とは言え、「進学実績・進学先」が「教育方針・教務力」を表すという意味で、何よりわかりやすい指標になるということは間違いない。そこで僕が考えたのが、『定員制』。定員を作れば、生徒数に限りがある分、人気の学年では多くの生徒を断ることになる(収益としては大幅減である)。しかし、その反面、途中入塾がなくなるため、自塾の教務力と結果がリンクしやすくなる。また、分母もわかりやすくなるため、その進学先で塾の方針もより伝わりやすくなるだろう。そして、当時は願望でしかなかったが、入塾期が早まるのではないかという期待もあった。入塾期が早まれば、『3年間一貫指導』ができる。3年間一貫でやれば、その結果は100%我々の教務力を示すことになる。これは何よりわかりやすい。塾の教務力を伝える最高の情報になる。保護者や生徒にとって見れば、『この塾に入れれば、3年後こうなる』という確証が得られるのだから。また、我々からしても、言い訳ができない分、その責務に対し、自覚しやすくもなる。これは、将来、人を雇うことになったときに、ものすごく大きな力を発揮するだろう。そう考えて始めた定員制。今では、期待どおり3年間の一貫指導が根付いている。また、二次的な効果、これもまた大きかった。塾にありがちな「営業授業」「営業的進路指導」を考えなくてよくなったのだ。生徒を増やそうと意識する必要がない。ただ純粋に、生徒の将来を見据えた、学校のような指導ができる。生徒の志願先も営業効果を狙った進路指導をしなくていい。これは、僕らにとってこの上なく大きい。今では、このような塾っぽくない指導が塾風となり、さらに地域の方々にわかりやすい、ある種の「色」となっているのではないか(と期待している)。後は、塾と高校との違いである、もう1つの点。『入塾時の生徒の層』これは検討中である。入塾に際し、なんらかの選抜を課す。これは正直、あまり気が進まない。「どんな人間もきっかけ1つでいくらでも変わる」が、持論なので、門戸はある程度広くしておきたい。でも。。。これは、今後の課題にしておこう。さて、来年は校舎展開。その点についても、それとなく先輩に聞いてみた。先輩曰く、「大丈夫でしょ」との心強いお言葉。ただ、その先輩塾長がおっしゃられた、「Y先生、K先生、T先生の3人がすばらしい。3人だからこそ、この強さなんだろうね。」という言葉がちょっと気がかり。。。(苦笑)塾風で、伝統で引っ張っていけるよう、少しずつ、世代交代していかないと。
2007.04.25
今日は、月に一度の税理士との打ち合わせの日。打ち合わせといっても、僕が一方的に教えていただいているだけ。必死に頭に汗を掻き掻き、勉強しています。そこで出てきた、税務の話。源泉徴収のような仕組みは、戦時下において、国民から一斉徴収をするために始まったものだそうで、それが、いまだに残り続けているのだそうだ。なぜ残してあるのか?それは給料からの「天引きシステム」である、源泉徴収の方が、政府にとって都合が良いから。諸外国では、どこでも税金は自己申告。税金を支払う感覚が日本人とはまるで違うらしい。税理士の先生曰く、税金を支払っている感覚があればあるほど、政治に対する意識も高くなる。何より、今のような高すぎる税率に気づき、何らかの抗議運動が起こるんじゃないか。こんな無茶苦茶な税制に、国民が何も言わないことが、我々には驚きだ。う~ん。。。政治はやはり大事だね。政治への無関心は、政治家にとって一番楽な状態。投票率が上がり、浮動票が多くなれば、政治家もそうそうヘンなことはできなくなる。(この話を続けると、長くなりそうなのでこの辺で。)そんなこんなを含めた話の中、税理士の先生にある頼まれごとをした。なんでも、先生のお知り合いに、元県議で、今度、塾を経営したいと考えられている方がいるそうで、(長年に渡り、教育委員会を含めた教育業界につながりがあるとの事)その方にぜひアドバイスをして欲しいとのこと。その元県議の方も、税理士の先生から僕らのことを聞いて、「○○先生(=税理士の先生)が推されるような塾であるなら」と、興味を持ってくださっているのだそうだ。その方は御年68歳とのこと。どんな出会いになるのだろう?(-_-;)
2007.04.24
「経営」という言葉。難しそうですよね。なんかいきなりはできそうにない気がしますよね。コンサルタントとか、フランチャイズとか、そちらの方が良いような気がしてしまいますよね。そんなことが書かれた本とか、雑誌とかありますもんね。でも、そうとは限らないかもしれませんよ。自分で頭に汗を掻いた方が、はるかに成功するかもしれません。自分の力を信じてみるのも、いいのではないでしょうか?少なくとも、僕はコンサルタントがいたときより、自分1人でやったときの方が、何倍も何倍もうまく行きました。たまたまかもしれません。でも、それでも間違いなく言えることは、自分でやった方が俄然元気が出ますし、何より最高に楽しい!ということ。コンサルタントは契約を切られない様に、嘘八百並べて、生かさず殺さず接してきているのかもしれない。そんな、経営以外のことで悩むよりは、自分でドン!っとやった方がすっきりするかもしれません。確かに、自分でやったら責任はすべて自分です。他人のせいにできない分、精神的に追い込まれます。でも、人間、追い込まれると信じられないような力が生まれるものです。これは絶対です。たとえ失敗しても、その力に気づくか気づかないかは、その後の人生で、きっと大きい・・・かも。※ これは、僕が前にいた塾の、ある先輩を意識して書いています。
2007.02.18
Soronkan2006先生のブログを拝見して、その内容をどうしても自分の記事に残しておきたかった。ということで、先生にお願いして引用の許可をいただきました。ほとんどは、講師陣と話すときに、意識しないで口をついて出た言葉や、日ごろなんとなく感じていることなのですが、こうして文章に残しておかないと、校舎展開したときに、いつのまにか軽んじてしまいそうで。。。『10代の1日は他の年代とは違う。取り戻すことができないと僕は思う。』『やはり、何人かいれば手を抜く人もいる。本人にしてみれば、手を抜いている意識はないんだけど、レベルの高い組織においては、そう思われてもしかたがないこともある。』『講師からしてみれば、「そんな細かいことまで言わなくても分かる」と思うかもしれないが、結局、それは自分の立場を第一に考えていると僕は考える。それに反発する講師で、結果を残した講師はいない。最後は「俺はやることはやった。覚えられないのは生徒の努力不足だ」と言い訳して消える。』講師陣には、しつこいくらい何度でも伝えていきたい。
2007.01.24
今日、小学3年生(4月から4年生)の入塾希望があった。しかし、話をよく伺うと、中学受験を考えているとの事だったので、丁重にお断りし、塾探しのアドバイスをさせていただいた。※ 当塾の小学部は、学習の基盤となる基礎的な学習分野を使って、『熟考力の育成』『向上心の育成』『競争力の育成』の3つの力を育成するというのが指導理念なので、中学受験を考えている場合はお断りしている。その方との話の中で、同じ圏内にある老舗の塾が今年度をもって潰れるということを知った。その塾は、僕らが塾を始めた7年前、地域のNo.2の塾として君臨していた塾だ。今年度をもって塾をたたむという話はこれで2校目。しかも、その両方が老舗の個人塾であり、7年前のトップ3のうちの2位と3位。その理由はどこにあるのだろう?少子化の影響?それはないと思われる。なぜなら、ここ東所沢は人口において増加の一途を辿っている。マンションが常に建築されており、その影響で小学校の教室数が足りず、新しく小学校が建てられたのが数年前。最も近くの小学校では、今年度の入学者から、5クラスとなり、下の学年になるほどクラスが多いという状況らしい。ではなぜ?シェアの奪い合いの結果か?地域No.1だった個人塾は、校舎を拡張し、さらに生徒数を伸ばしたと聞く。そして僕らの塾は、生徒数においては地域No.2となった。しかし、No.1の塾はいざ知らず、うちの塾は定員制のためそんなに圧倒的な人数なわけではない。(うちの塾はシェア10%程度に過ぎない)じゃあ、なぜだろう?気になるが。。。
2007.01.20
南アルプスの天然ガスさんと会ってから、ずっと悩んでいたこと。それは、『料金』である。うちの料金は安い(と思う)。実際に、内部生からはそういった声が絶えない。とは言っても、月謝自体はそんなに変わらない。他塾より安いとは言っても、1千円、2千円くらいなものだ。では、どこが安いのか?なぜ外部からの声ではなく、内部から安いと言われるのか?それは、我が塾では基本的に「月謝」と「教材費」のみであり、「講習」や「単科ゼミ」などの、一般的に塾が収益の主とする他の項目がない、もしくは選択制なのである。講習は選択制と言っても、「でも、なんだかんだ言ってみんな受講するんでしょ」と、思われるかもしれない。が、(驚くべきことらしいが)我が塾では、「講習はあくまで補助」という位置づけなので、補助の必要のない生徒には受講をお断りしている。一般的な塾では勧誘する講習。しかし、我が塾ではまっったく勧誘などしないばかりか、むしろ断ることもあるのである。今年の春期講習など、申し込みした生徒のリストを見ながら、講師3人でどの生徒に断りの電話を入れるか会議を行った。これでは、確かに収益が上がっていかない。(それでもまったく問題視していなかったのだが)この点を、前述の「南アルプスの天然ガス」さんに指摘(というよりびっくり)されたのだ。南アルプスさんには、「こんなに生徒数(140名)がいて、さらにキャンセル待ちまでこんなに出てるのに、年商がそんなにも低いなんてありえないですよ!こんなに評価されている塾なんですから、もっと上げてもいいのでは?実際、○○塾では一人当たり××円で。。。」といった具体的な例まで挙げて話していただいた。来年、開塾しようとする年下の方にそこまで言われてしまうとは、経営者としては失格です。。。とにかく、こんな料金設定では、店舗展開など無理なのかもしれない。うちの塾は、広告等で一般的に「塾が公示している部分(=月謝)」においては、他の塾とさほど変わりはないので、塾生は料金で選んでいるわけではない。そうであるなら、質の高い教育をしている自負、プライドを、自ら貶めるような安売りはしてはいけない。料金を上げても、見合う内容を提供すればいい。むしろ安売りをすることで価値を下げている。収益が上がれば、教育内容をさらに充実させ、より質の高い教育を行えるではないか。・・・確かにそうかもしれない。しかし、教育格差を埋めるために、微力ながらも貢献したいという開校当初からの想いはどうなる?この2週間というもの悩みに悩んだ。それでも結論は出せなかった。そして、今日。ある方からの電話が不甲斐ない私の背中を押してくれた。ある方、それは河合先生。先生から、今日は別件で電話を頂いたのだが、その中での先生のお言葉。「先生のところのような塾は、私、教員を長くやってはいますが、他に数えるほどしか見た事ないです。今まで何百という塾を見てきましたけど、本心から良いと言える塾、先生方だと思いますよ。だからこそ、私はここまでひいきにしているんです。どうか、どんどん大きくなってください。良い物はどんどん広めていかなくてはいけません。大きくなれば、できることも増えていきます。私は先生方の塾が大きくなっていくところを見たいです。」単なるお世辞かもしれない。でも、素直にうれしい。他に言葉が見当たりません。料金、見直します。保護者の方々、どうかお許しください。そしてご理解ください。その代わり、今まで以上、いや、想像以上の内容をご提供しますので。
2006.11.28
うちの塾では、広告は年に1度しか撒かない。そのせいか、うちの塾の生徒募集はGWまでには大方終了してしまうことになる。定員制のために、例年、募集できない学年や、抽籤会を行う学年があるので、たとえ若干名枠が残っている学年があったとしても、パタッと問い合わせがなくなってしまうのだ。たとえば、昨年度(平成17年)はキャンセル待ちが小6に殺到し、そのあまりの人数に、僕らは対応が上手くとれず、そのせいでお待ちくださっている方々から、質問や抗議を頂くこととなってしまった。そのため、今年3月の広告では、理念に反し、今回に限り定員を増席するということとキャンセル待ちにも定員枠を設けるということを中心に、下のような募集状況を記載して、新聞に折り込んだ。中3 … 定員増席のため抽籤会開催。中2 … 定員増席のため抽籤会開催。中1 … 満席のため募集停止。※ 小学生は現在のところ余席は十分にございます。(↑ うちの塾では『小学生は種まきの期間』として、考え方や学習態度など、知識以外の部分を中心にした、独自な指導をしたいと考えていたため、「恐らく人気もないだろう、じわじわと認知されていけばいいな」くらいにしか考えていなかったので、指導の中心学年という意識はなかった。)すると、中3は問い合わせが座席分を1、2名上回るも、抽籤になるとお伝えすると、数名が辞退され、その結果、増席分がピタリと埋まる。中2には問い合わせが殺到。抽籤会を開く(倍率3倍くらいだったかな)。そして、なぜか中1にも問い合わせが殺到。20件くらいはあっただろうか。その一人一人、丁重にお断りさせていただく。(この学年はなぜか未だに問い合わせが続いている。なぜ)そして、小学生にも問い合わせが相次ぐ。小6には12、3件の問い合わせがあり、定員枠3名を残して、その後はパタッと問い合わせが途絶える。小5も14、5件の問い合わせ。定員枠を8名残して、同じように問い合わせが途絶える。そんな感じだった。さて、来年の広告だが、今年の状況をしっかりと検証して、より自塾の特長をわかりやすくアピールするための、新たなる手を考えたい。塾の内容には絶対の自信がある。塾内偏差値が60を超える様な塾が県内にいったいいくつあるだろう。このことをどう伝えていくか。この伝達スキルさえ身に付けば鬼に金棒。再来年の校舎展開への大きな弾みとなるだろう。今までの良かった分を残しつつ、さらには問い合わせが継続的にあるような、そんな広告の作り方を、今の内に試しておきたい。
2006.11.04
・具体的なものほど、選ぶ理由(言い訳)ができる。・公立危機によって、私学へ流れてきている保護者の要望は なんだかんだ口では言っていても結局のところ進学実績。この二つは、熱心で、また有能な教育者であるほど、受け入れがたい愚かな意見だと感じることでしょう。僕も、有能な教育者であるかどうかは別として、熱心な教育者であると自負しているのですが、最初はどうしても受け入れられませんでした。当初、そうした受験指導体制に特化した方針を聞くたびに、閉口していたものです。「そんなの高校じゃないじゃん、予備校じゃん!」「方針から外れた生徒はどうすればいいんだ」「多感な時期に勉強だけさせるのはあまりに偏りすぎではないのか」そして、「システムで子どもが伸びれば苦労せん!!」と。しかし、実際に高校側の話をじっくり聞かせてもらうと、高校側もそのことは百も承知だというのです。「教育とは本来具体的なものでもないし、まして画一的であってはならないということは、教師一同皆当然わかっています。でもね、先生。いくら私たちが理念や想いを保護者に訴えかけたとしても、それでは県立や、私立伝統校には太刀打ちできないんですよ。抽象的なものでは差別化にならないんです。ですから、まずは募集のときは入学してもらうためにどうしたらよいか。そこだけを考えるんです。そのためには具体的に大げさにだって言いますよ。そして、入学してくれたら、次は一人一人生徒を大事に育てるにはどうしたらよいか。その時は、教師一人一人が教育者として想いを持って当たっていけばいい。要はまったく別の視点でいくんですよ。生徒を伸ばしていく。これには教師一人一人が熱き想いしかないんです。システムで変われば苦労しませんよ。システムはあくまで募集のときの差別化に過ぎないんです。」どうでしょう。生徒募集に成功している高校にはこのようなブレーンがいるんです。効果があるかどうかはこの際関係なし!とにかく勢いで押す!どんどんオプション付けて、「これだけやるんだから必ず結果がでるだろう」と保護者に思わせる。ここ一点に力を注ぐ。そして、職人肌の先生が、そうやって入学してきた生徒たちを、しっかりと伸ばしていく。その結果を、そのブレーンとなる先生が効果的に告知していく。この分業制。そうか。生徒募集と生徒指導、別々に考えても、結果が繋がればそれでいい。なるほど。僕:「じゃあもし繋がらなかったら?」先生:「その時は謝るしかないですね(笑)」最後に一言。『政治家に必要な能力とは。それは明日、あるいは来週、来月、来年に何が起こるかを予言する能力であり、そして後日どうしてそれが起こらなかったかを説明できる能力である。』 - ウィンストン・チャーチル イギリスの政治家
2006.10.07
1.生徒の募集方法を変える。公立危機によって、私学へ流れてきている保護者の要望は単純明快。ズバリ!進学実績です。このニーズに応えるためには、当然ですが、実績を出す必要があります。しかし、現実にはそう簡単に出せるものでもありません。そもそも、その高校を選んでくる生徒は、図らずも似通った層の生徒になっているはずです。今までと同じ生徒たちに、今までと同じ先生方が、これまた同じように接していけば、たとえカリキュラムなど、マイナーチェンジしたところで何も変わらない、当然のように毎年同じような実績になるでしょう。では、それを覆し、今までとは違う結果を出すためにはどうしたらよいか。本当は、教師の側が変わるのが筋なのでしょうが、それを望むのは理想論。現実には困難を極めます。それよりももっと手っ取り早く、また確実な方法。それが、今までとは違うタイプ、志向の生徒を集めるということ。そうです。入学してくる生徒の層を変えれば、学校の雰囲気が変わる。教える対象が変われば、自然と教える側の対応を変わってくるものです。では、そのためにはどうするべきか。ここが一番重要なポイントだと思います。成功した高校が採っている作戦。一つは、目標の明確化と徹底的な進路指導体制(見せ掛けで良い)。そして、もう一つが、序列化されたクラス編成(たいていは新設される)です。わかりやすいように具体的を挙げます。重要なことは「わかりやすさ」「メッセージ性」ですよ。≪目標の明確化≫ ・エリート選抜東大コース ・スーパー選抜コース ・スーパー特進早慶合格コース など。≪徹底的な進路指導体制≫ ・月曜から金曜まで9時間授業を行います。 ・土曜日は予備校講師を招いて講習を無料で受けられます。 ・現役で不合格の場合は予備校費用半額負担致します。 ・教室の照明や温度は生理学的に最も集中しやすい状態を保っています。 ・東大生のチューターを雇い、毎日放課後自習監督をしてもらっています。 ・卒業生の大学生を招き、大学のすばらしさを語ってもらい、モチベーションを高めます。 など。≪序列化されたクラス編成≫ ・偏差値○○を持つ生徒は、三年間の学費や諸費用など諸々のお金を全額免除します。 ・特進クラスは全員が特待生として学費無料、さらに入学後は別棟にて、 在校生に関わることなく指導します。 ・特進コースの教師陣は、主に経験豊富な予備校講師が担当いたします。 など。はっきり言って、教育という公的なものとは程遠い、商業主義と思われるものばかりです。しかし、保護者は意外にもそうは思っていない。「そこまで特別に見てくれるのなら任せてみようかな」「ここまでやるのなら公立行かせるよりいいな」なんて、考える保護者が多いのが事実なのです。実際、恥も外聞もかなぐり捨てて、予備校化していくことにより、進学保証というウリを特化させている高校は生徒が集まり、理念を前面に出し、情操教育を掲げ、あくまで進学先はその結果に過ぎないという旧来の高校は苦しい立場に追い込まれていくという現実。それが正しいかどうかはさておき、それが現実。保護者は、教育という抽象的なものにすら、具体性を求めているのです。具体的であれば、結果が伴うというのなら、教育は遥か以前に、よりシステマティックなものになっているはずなんですがね。でも、そんなことは保護者は知らないのです。具体的なものほど選ぶ理由(言い訳)ができる。ここが、保護者の心の根っこを刺激しているのでしょうね。 次は、そうして集めた生徒をどのようにして、公約どおりの結果へと導いていくのか。成功例を用いて検証していきたいと思います。
2006.10.05
これは、私がここ5年間、東京都内と埼玉県内の私立高校69校に実際に足を運び、自分の目で見てきた経験を基にした、あくまで個人的な考察です。都内の私立高校は、歴史が長く、伝統があり、そのため、各校にはすでにイメージが固定されていました。すでに序列は固定されていて、小手先のことくらいでは、そうそう覆せるものではありませんでした。それが、この「ゆとり教育」で大きく変わったのです。それまで、私立校を希望する保護者は、その伝統に裏打ちされた校風を求めていました。しかし、近年の私立校ブームはそうではありません。授業時間の確保ができなくなった公立校に対する不安と焦りが、保護者を私立校へと向けさせているのです。「公立では良い大学へ行けない。」それが私学を選ぶ保護者の率直な思いなのですから、当然のように過程より結果。校風なんて二の次。要望はただ一つ。そう、進学実績です。この新しい風は、固定されていた私学界を再編するほどの力を持ちました。この風を巧くつかんだ高校。それが近年、生徒募集に大成功しているのです。前フリが長くなりましたので、次の記事に続きます。
2006.10.04
低迷から、今まさに伸びてきている学校の資料を、一つずつ見返していくと、そのすべての高校に、共通する法則があることに気が付きました。それは、どこも必ず、次のようなステップを踏んでいるということ。1.生徒の募集方法を変える。 (その際に何らかの公約をする) ↓2.そうして集まった生徒(大抵はさほど多くはない)を、 公約どおりの結果へと導く。 ↓3.公約を守ったことを、 わかりやすく、伝わりやすくアピールし続ける。「当たり前じゃん」って思われた方、どうもすいません。でも、僕にとっては『やっぱり、これしかないんだ』という確認が取れたという意味での大きな発見だったのです。次回からは、このステップについて検証して行こうと思います。いろいろな方々のご意見お待ちしています。
2006.10.02
高校名はあえて出さないでいこう。まずは、J高校。ここの最大の特色。それは、『~年連続 国公立大学へ10人に1人が現役合格!』「やっぱり進学実績かよ!」ってつっこみがありそうなので補足。実はこの高校、さほど進学実績出ているわけではないのだ。ここの高校の卒業生の数は400名以上。偏差値ランクとしてss60くらいの生徒層であり、しかも中学校まで併設している。その割には、島根大学や茨城大学などの中堅国立大学に40名程度の合格者数。早慶などを始めとする難関私立大学への合格もない。そんなにすごいかな?恐らく教育関係者が見れば、まあまあかな、くらいの反応なのではないか。でも、保護者からすれば、『10人に1人が国公立』このフレーズは強い。これが、国公立大学40名合格ではダメなのだ。10人に1人が国公立合格だから良いのだ。保護者から見れば、国公立大学がより具体的に見える。10人に1人は計算しやすいし、なぜかイメージしやすい。国公立大学合格の青写真がより鮮明に描けるのだ。さらに、国公立大学は私立大学に比べ、ヒエラルキーが確立されていない。保護者から見ればよくわからなく、何となくイメージがよいのだ。(これが私立大学では、10人に8人であっても効果は薄い)この言葉のマジック。どうだろう?ちなみに、この学校。毎年、このフレーズばかり様々な情報誌に載せている。イメージ戦略を徹底していることも、この高校がここ数年、盛り返してきている理由の一つだろう。この戦略の最大のポイント。それは、お金もあまりかからず、労力もあまりかからないこと。ただ言葉を換えるだけで、受験者急増。う~ん、勉強になった。
2006.09.25
僕は以前もブログで書いたと思うが、私立高校の先生と話をすることで、塾経営のヒントを手に入れることが多い。塾も私立校も、普通科教育をして生徒を集めるという意味では、保護者サイドから見てそう差異はないと思うからだ。先日、とある紹介で、ある私立高校の先生と長くお話しする機会を持った。その際、改めて強く感じたこと。それは、『外部に情報を伝えていくことの重要性』。そのためには当然、『外部に伝えやすい情報』を、意識的に作っていかなければならない。こうやって言葉にすれば、「そんなのあたりまえじゃん!」と誰もが思うことだろう。しかし、それが以外にもできていないものなんですよ。自分のこととなると一転して気づかなくなる。それが一般的な人間の性なんでしょうね。現にこの学校。まったくこれといった特徴がないんです。それでも先生自身は売れると思っている。わかる人にはわかるんだと思っている。これではダメです。ちなみに、この先生だって、『外部に情報を伝えていくことの重要性』と、『外部に伝えやすい情報』を意識的に作っていかなければならないということは、十分にわかっていると口ではおっしゃっていました。でも、できていないんです。気づいていないんです。だから、がんばっていても結果が伴わない。 ↓結果が出てこないから、雰囲気が悪くなる。 ↓ 雰囲気が悪いから人が集まらない。 ↓人が集まらないからより結果が出しにくくなる。と、ますます状況は悪くなっていきます。手を打つのは早ければ早いほど良いのは、こういった理由からなのでしょう。活気を取り戻すことに成功した私立校は、すべからく、特色を打ち出すことに成功しています。次回からはその成功した私立校を、いくつか紹介したいと思います。
2006.09.24
塾を長きに渡り経営していると、「お客さん目線」で見ることができなくなっていきます。まだ学生の頃、「なんでこの店はこんな風にしないのだろう?」「こんな風にしたら繁盛するだろうに経営者はアホじゃないだろうか」なんて、いろいろな店で感じたものです。生意気なもんですが。しかし、実際に自分でやってみると、気が付かないんですよね、これが。こんなにも「お客さん目線」が、難しいとは思っても見ませんでした。では、どうやったら「お客さん目線」を取り戻せるようになるのか?参考になるかわかりませんが、僕は、他の塾を参考にはしないようにしています。なぜなら、『同業』だからです。(わかる方にはわかると思いますが、変な答えですね )その代わり、教育という意味で『同類』である私立校を参考にするようにしています。似ていて非なるところがある方が、「お客さん目線」を保てる分、(僕には)気づきが多いのです。一例として、先日伺った「○○学園高校」。ここの売りはとにかく明確。そういった意味では参考にするところが多かった。また、教員の育成のために、部署を固定せず、順繰り回すという方針も参考になった。あまりに参考になることが多かったので、さらにお話を伺うべく、塾の担当者全員がいなくなるまで待って、今年から広報担当になったという副校長先生と直接話す時間をいただいた。そこで、副校長、広報部長、2人を前に、いろいろ質問をさせていただいた。非常に丁寧に、お答え下さった。それはよかったのだが、僕がした最後の質問に対する答えがマズかった。僕:『では最後に、保護者に「○○学園はどんな学校か」と聞かれたとしたらどのようにお伝えしたらよろしいですか?』副校長:『私どもの学校は、面倒見の良い学校で、生徒と先生の関係がとてもよい学校だとお伝えください』いやいや、それじゃ保護者はなびかないだろ。やはり受験者が多い学校は、イメージが明確だ。そして、イメージは作り上げて、伝言してもらえなければ意味がない。「面倒見の良い学校」では、伝言されない。流布していかない。経営者は、常に流布するような一文を発信していかなければならないし、講師にも同じ一文をいつでも言えるようにさせなければならない。これは、とても重要なことだと思う。
2006.09.13
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