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クロニクル 川治プリンスホテルの火災事故1980(昭和55)年11月20日30年前になりますか。川治温泉は、栃木県の鬼怒川温泉を、さらに車で20分ほど遡ったところにある、鄙びた温泉街です。数軒、立ち並んでいる温泉宿は、いずれも増築に次ぐ増築を重ねたつぎはぎの蛸足建築になっています。その一郭にある、川治プリンスホテルで起きた火災事故です。事故発生は、午後の3時頃だったのですが、45名という大勢の死者を出したことで、今に記憶されています。午後3時といえば、早出の宿泊客などがそろそろ到着する時刻。旅館のお客さんは、そう多くはない時間です。それなにに…川治温泉は湯治客が多く、連泊で滞在する年配の客が多い宿だったため、滞在中の年配の客が、数多く犠牲となったのです。従業員が、火災報知器が作動したときに、事情を詳しく調べず、テストと勘違いして、「テストなので安心してください」という放送を流して、避難誘導を怠ったことも被害を大きくした原因でした。また、好天が続いた渇水期で、鬼怒川の水位が下がっており、川水の取水が出来ず、消火作業に手間取ったことも、被害を大きくしたようです。火災と最初に気付いたのが、ちょうど団体客を乗せてきた観光バスの運転士というのも、ホテル側の怠慢でした。45名の犠牲者には、自分が案内した団体客を助けようと、火の中に飛び込んで殉職した、東都観光バスのガイド嬢と、旅行会社の若い添乗員の2名が含まれています。30年前の日本には、今の政治家より、ずっと責任感の強い若者がいたことも、記憶しておきたいですね。事件後、女将には実刑判決が下され、ホテルは取り壊されました。個人的な話になりますが、この川治プリンスホテル。父の友人が1975年までマネージャーをしており、その関係で、大学時代の合宿やら、なにやら何度も低料金でお世話になったことがあるため、火災事故の報には、大いに驚きましたし、未だに鮮明に記憶に残っているのです。
2010.11.20
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19世紀のアメリカ(49)第2章 明白なる天命…10ところで、米国の連邦法は、1808年の立法で、奴隷貿易の禁止を定めました。しかし、この法は、南部のプランターたちによって、無視されるケースが多く、密貿易が半ば公然と行なわれていました。それでも、西へと拡大するプランテーションの増加はやまず、奴隷人口は絶対的に不足する事態となったのです。ここに、背に腹は変えられない白人プランターは、奴隷の結婚を奨励し、奴隷の家族形成を認めて、奴隷不足に対応するようになりました。この事実は1820年以降、未成年奴隷の増加という事実が顕著になったことで、明らかとなりました。実際の奴隷人口を調べてみますと、1800年の奴隷総数約89万人は、1860年には15の奴隷州全体で、395万人へと急造したのです。このうち男性奴隷は198万人、女性奴隷は197万人と、ほぼ同数になっていたのです。一方で、1860年段階での南部の白人家族のうち、奴隷所有家族はおよそ40万家族と指摘されています。南部全体の白人家族の推計は、およそ160万家族とされていますから、奴隷所有世帯数は、およそ25%程度ということになります。さて、この奴隷所有世帯の間にも、大きな格差が存在していました。約400万人の奴隷を、40万世帯の奴隷所有世帯が均等に所有していたとすると、1世帯僅かに10人になってしまいます。こんなことはありえません。統計上、大規模奴隷所有者は、50人以上の奴隷所有者を指します。彼らは推計でおよそ1万世帯とされており、奴隷所有家族の2,5%程度を占めていたのです。当然、なかには500人を超える大量の黒人奴隷を抱える、巨大プランターもこの中に含まれるのです。それゆえ、こうした大プランターの対極には、所有奴隷5人以下といった、零細な奴隷所有者群が、広く存在していたことになります。この事実は、数人の奴隷を抱えるだけでも、奴隷労働を基軸とする綿花プランテーション経営が、ギリギリのところで成り立っていたことを示します。一般にプランターと呼ばれ、南部社会でそれなりの尊敬を集めたのは、少なくとも10人を超える奴隷を所有する農園主でした。それゆえ、その域に達しない奴隷所有者が多数存在したのですが、彼らは、いつの日かプランターと呼ばれる地位にのし上がることを夢見て、プランテーション社会の基底部を支えていたのです。これが当時の南部社会だったのです。 続く
2010.06.20
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クロニクル ニコヨンの誕生1949(昭和24)年6月11日61年前だったのですね。そうなんです、この日東京都が、失業対策事業の日当を1日当たり245円とすることを、決定しました。コッペパンが1本10円、ラーメンが1杯30円の時代でしたが、家族を抱えた失業者には、十分といえる額ではありませんでした。そこからわが身をわらう自嘲的なブラックユーモアとして、ニコヨンという呼称が広まったのでした。
2010.06.11
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